先日、ある店舗で衣類をみていたときのこと。
幼い子が、何かを拾ったらしい。母親が、
「拾われん。落ちとるもん、何でも拾うたらあかんのでよっ」
と、声を荒げていた。
すかさず子供が尋ねる。「お金が落ちてても?」
ふふふっ。どんなお答えがでてくるのかと、耳をすましていたが、生憎聞き取れなかった。多分小声で何か言ったのだろう。
昔、幼かった孫に、「もし道で百円拾ったとしたら、警察にもっていく?」と尋ねられたことがあった。
私は元教師、ということもあってか、ある一面では、正直者であるが、百円で警察には行かない。その金額によっては、頂戴してしまうこともあるだろう。
落としたことは何度かあるが、拾ったことはめったにないので、想像するだけなのだが、おそらく、千円札1枚拾っても、交番に届けに行くことは、まずしないだろう。
めんどうで行く気にはならないし、どうせ、何カ月か後には私のものになるにちがいないので、おまわりさんに手間ひまかけるだけのこと、という思いなのだ。
拾った場所が、マーケットなら、店員さんに訳を言って手渡すか、近くにある募金箱に入れてしまうだろう。道端なら、あたりを見回して、落とした人らしき方がいれば尋ねるし、いなければ、ポッケに入れる。
しかし、これが財布にはいった千円、となると、やはり届けなければ、と思う。マーケットや交番に財布を落としたと、届ける確率が高くなるからだ。
中身はどうでも、財布には、思い出がある、ということだってあるにちがいない。
もどって、私が孫に答えたのは、上記のようなことを説明したように思う。
そそっかしいのか、私はよく落し物をする。ポケットに入れてあった駐車券を落としてしまったとか、お土産に頂いたばかりのブローチをその場で襟につけたのに、家に帰ってみたら無かったとか、こんな類の落し物は、数えきれない。
駐在所に走り込んだことも2度ほどある。幸いにも、正直な方の手で戻ってきた。
未だに胸の痛む落し物があめる。女学生の頃、お向かいのお嫁さんが、小さな包みを持って私に届け物を頼みにきた。これを、同じクラスにいる、お里の姪であるK子さんに渡して欲しいとのこと。私は快く引き受けた。中身は何かその時は知らなかったが、それを自転車の荷台に括り付けて6キロ先の駅に行ったのはいいが、その包みをどこかで落としてしまったのだ。駅についてみると無い。
学校へ行くどころではない。青くなって引き返してみたが、あるはずない。母と一緒に慌てて謝罪に行くと、これまたお嫁さんも慌てて「いやいや、何でも無い」と、困っているふうだった。
中身は当時には珍しい羊の肉だったらしい。食糧難の時代なれば、犬だって包みを見つけたらだまってはおらぬはず、どこかに咥えて逃げ、独り占めして食べたやもしれない。お嫁さんの慌てた様子から、多分、家族に内緒で里の親たちにお裾分けしたかったのだろう。ほんとに悪いことをしてしまった。
ちょうどそのとき、我が家には、北海道から送ってくれた塩鮭の片身があったので、それを代わりに持参したのだが、私としては何年たっても忘れられない失敗である。