2012年4月14日土曜日

年金とボランティア

頭からお金の話で申し訳ないが、昨日は2カ月ぶりの年金が振り込まれる日だった。いつもより2日早い。15日という日が土日にかかると、前倒しになる。何となくトクをしたような気分になる。昨日振り込まれたのは、23月分と思う。生活した後から頂く後払いだ。これが前払いに変わるなら、4が月分頂けて、もっとトクした気分になるのだが。()

いやいや、そんなこと言ったら申し訳ない。後払いだろうが遅配だろうが、頂けることこそ、感謝しなくてはならないのに。

年金を始めて頂いたときは、やたら有難いと思った。いくら働いてきたこととはいえ、死ぬまでこうして頂けることに感謝の気持ちでいっぱいだった。長生きするつもりの私は、ちょっとばかり、日本の将来も心配だったのだが……。
そして健気にも、「動ける間は、何か世の為人の為にになるようなことを、ちょっとでもせんとわるいなあ」という思いが広がった。大したことが出来るとは思っていないので、小さな親切でも、無理なくやれることはやってみようと。
その気持ちは、今も変わらない。口でいうほどのことが出来ないだけである。

私は、ボランティアらしいボランティアはたいしてしていないので、大きな顔は出来ないのだが、ボランティアの核に有るものは、人間同士の愛情だと思っている。懐の深い方、豊かな愛情をお持ちの方は、止むにやまれぬ思いでアフリカまでも出かけて行くだろうが、自分や自分の身内だけにしか愛が及ばぬ人は、他人さんのためにタダ働きするなど、しんどい話に違いない。愛を計る物差しは無いのだが、他人のために、どれだけのことができるか、ということは、ひとつの計器にはなるようだ。

私自身は…と言うと、そこそこのことは出来ても、大きな犠牲をはらうことなど出来はしない、という、どこにでもいる人間である。無理もしないし、苦しいことも出来ない。
もともと、ボランティアは、他人の為というよりは、自分のためにやっている部分が大きいのだが、小さなことであっても、自分自身が成長していくこと、仲間が出来ること、有難うと言っていただける幸せ、こうしたお金には代えがたいことが生きる支えとなってくれる。これは、やってみて初めて分かることかもしれない。

日本も、阪神大震災以来、導火線に火がついたように、ボランティア活動は盛んになってきた。今回の東日本大震災で、更に成長してきたと思う。被災者を思いやる愛の心が皆さんの胸にいっぱいあることが証明された。やはり日本はどこよりも良い国だと思っている。


2012年4月13日金曜日

今朝のニュースを聞いて

北朝鮮が、世界の反対を押し切って、「やるぞ、みておれ!」とばかりに打ち上げたミサイルが大失敗したと、先ほど世界中に発表された。
「ああよかった」と、胸をなでおろした方も多かっただろう。
これを、「お気の毒」と思う方もいるし、「ざまあみろ」と笑う方もいるだろう。
「神様は、こんなばかなことするより、餓死寸前の人達に、食をあたえよ、ということよ」と、神様を持ち出す方もいらっしゃるにちがいない。

こうした失敗を北朝鮮は、どのように弁解するのかしらないが、今頃は頭抱えておいでだろう。私なら、「ああ、打ち上げずにおれば、失敗は未然に防げたばかりじゃなく、不完全品もばれずにすんだのに……」と、後悔することしきりだろう。
ひょっとすると、失敗したなんて、国民には報せないかもしれない。「ある物体が飛んできて、撃ち落とされた」なんて、でたらめ言うことだってありうる国だ。

すぐお隣に、ヤクザやゴロツキが住んでいたら、引っ越ししたくなるし、それができなければ、お付き合いを遮断して暮らすことも可能かもしれないが、『国』ともなれば、そうはいかない。日本がいくら紳士の国であっても、そんなこと、関係無いのがゴロツキ国である。何の関係もない市民を掻っ攫って自国に連れ去り利用するのだから、常識の通る国でないことは明らかだ。

これから、どう国を守っていくのか、平和大好きの日本人は、憲法『戦争放棄』は変えられない。喧嘩をし掛けて行くことなど、もう懲り懲りだ。
ただ、喧嘩をし掛けられたらどうなるのか。
ある方は、「日本に軍備がないことが、世界からバカにされている原因」と言い切る。『軍備』という言葉を聞くと、昭和一桁人間は、眉間に皺を寄せるにちがいない。お偉い軍人さんに、ひどい目に合わされたことが、忘れられないのだ。
昔の軍隊と、今の軍隊は違うことは分かっている。でも、人殺しが出来るのが軍隊である。『平和を守るための軍隊』ということだろうが、軍隊を持つことの是か非かは、本当に難しい問題だろう。

ひと口に言うと、私のような凡人の判断では、どれが正しい判断なのかは、分らないのだ。自分の信念を通すことは易しい。反対反対を唱え続けることは、案外易しいことなのだ。反対意見に耳を貸さなければ容易である。
しかし、軍隊が必要という方の意見にも一理ある。戦争がしたくて言っているわけではないことも分かる。世界の状況や、外交上のこともあるに違いない。
要は、どうしたら、国民が、不安なく平和で安心してくらしていけるか、ということである。

これは、軍隊だけの話しではない。原発問題も同じだ。大きな視点で考えていかねばならない問題である。

私の頭では結論は出てこない。どちらの意見も、いい加減というものが、かなりあることもしっている。
ただ、国の舵を握る方たちは、優秀な頭脳集まっているはずだ。しっかりと勉強していただいて、国と国民の幸せになる道をえらんでいただきたいし、国民にも、よくよく解る説明義務も果たしていただきたいと思うものである。

2012年4月12日木曜日

年齢

一年が早いと思うようになって久しい。その気持ちは年ごとに強くなるだろう。残り人生の分母が小さくなってくるのだから、分子の1年は、当然惜しむ気持ちも強くなって当然。必然的に『早くも過ぎてしまった…』となるのだ。

鏡とにらめっこしてみるまでもなく、当然のことながら、『お肌』はそれなりに衰えているし、鏡には映らない『おつむの中身』も、トシ相応に萎えてきた。
天心甘栗のように、隙間だらけになっているネガを見たくないので脳検査にも行かない。

女性の多くは、「お幾つ?」なんてぶ遠慮に聞かれるのは嫌いらしい。(『らしい』などというと、男性みたいに聞こえるが、私は、ある面では男性並みの無神経さと大雑把さを持つものだから、トシぐらい平気なのだ。)聞かれた女性は一瞬相手の顔を見つめる。なかなか答えないのは、忘れたわけではない。忘れるどころか、他人様に1才でも多く間違えられようものなら、すぐに訂正するに違いない。
女は特に年齢には神経質になるのだ。

以前、或る書類に、年齢を書き込んでくださいと言われてペンを持った。ちょっと時間を置いたらしい。忘れたと思われたのかも知れない。「大体でいいですよ」とおっしゃる。(大体でいいなんて、サバ読んでもいいよ、ということ?それとも四捨五入でもかまわないの? じゃあ、九十歳と書いておこうか。ふふふ)なんて思いながらも、正確に書き込んだ。もし私が年齢欄に、九十歳と記入していたら、「あら、お若くみえる」と、思われるだろうし、もし、七十歳と書いたら、(おや、お年のわりに老けてるね)と思われただろう。
同じサバを読むのなら「若い」と言っていただける方が、いいかもしれない。

いや、実はこんなことは、どうでもいいと思っているのが本音である。
というのは、もうトシなんて、80歳過ぎたら、どうでもよくなるものだ。
開き直っているわけじゃないのだが、気持ちの持ちようの方が、実年齢よりも
ずっと大切と思うからだ。
トシを忘れていることが、元気の元になることが多いのだ。トシを考えていたら、今していることで気恥しいことはいっぱいある。

ときによっては、70代、60代の若い人たちを叱咤激励したくなるのだが、そんなとき、お節介ながら、「私は80過ぎてるのよ。貴女達は、まだ60代なんて青春じゃないの」と言うと、そうだなあと、思ってもらえるし、それはとてもいいことだし、私の気分も悪くはない。

ただ、高齢者というのは、いつ何どき、何が起こっても不思議ではない。そのことさえ忘れていなければ、トシのことなんてどうでもいいのだ。……と、思うものであります。



2012年4月11日水曜日

何かおかしい……

朝のTVニュースを観ていて思ったことだが、「えっ? そんな間違ったことこと、貴方さんが言うてええの?」と、首をかしげてしまった。

この世の中、『何かおかしい……』と思う事は山ほどある。中でも、私たち庶民の生活に関わってくる政治の問題では、いっぱいあって、私たち素人には「お偉い人達の集まりなのに、どうして?」と、不思議でならない。

贔屓にしている民主党のやることなので、格別腹がたってくる。
「この国難を乗り切るために、皆力を合わせませんか」ということにたいして、「政権交代した味を、国民に与えきってない」というようなことを言う武者がいる。
政権交代して2年半で、与えきってしまうような、そんなちゃちなことを掲げていたの? 第一、2年半にしては、随分と政権交代をしたおかげでよくなったことがあるじゃない。

ただ、やることはやっているのに、外部からは、なーんもしていないようなことを言われつづけているが、それを内部が言っていいものなの?
例えば、高井美穂議員が関わってきた文部科学部門一つ見てみても、『教育子育て支援』なんか、素晴らしい驚異的改革ができてきたじゃない。格差差別のないように、高校授業料無償化や、小学校だって、小泉政権から減らしつづけていた教員数も、交代以後、教員を増やして35人学級を実現した。これは、児童の学力向上間違いなし。(秋田県は、県独自で少人数学級をやっていて、素晴らしい効果があがっていることは、もう実証済み)
保育サービスだって、『安心子ども基金』を積み増ししているし、待機児童の解消や、多様な保育ニーズへの対応も、前進してきたじゃありませんか。
まだまだありますよ。ワクチンの公費助成、スクールカウンセラー、書ききれない。

こうした成果を民主党は、宣伝しない。こんなのを奥ゆかしいと言うの?
いや、多分多忙でそんな暇がないのだろう。でも、宣伝しなくても、やったことは、きちんと国民にしめさないと、一部の間違った宣伝に惑わされてしまう。
なにしろ、ちょっと口出ししただけで、自分がやったみたいな顔する人、けっこういる社会なんだから……。

小泉政権の政策以来、格差が広がって、年収がぐっと下がった家庭が多くなっているのだが、そうした家庭の子供にも、高校、大学進学がしやすくなった。
コンクリートから人へ、というマニフェスト通り、確実に人への予算は増えている。このために頑張ってくれた大臣も、ほめられた新聞記事はみたことないなあ。


ま、議員さんたちも、自分の選挙のことばっかり考えて、みっともないこと言うたりしたりせんとってほしいものです。
マスコミと一緒になって、民主党のしたことを否定したり、どうしようもない緊迫している状態に目ぇつぶって、選挙を乗り切らにゃどうにもならん、といったような性根だけは、許せませんです。もう、ぎりぎりなんでしょ? 私らにも感じられますもの。やることいっぱい借金いっぱい。どうするの?

ああ、古女の歯ぎしり、またやっちゃった……。

2012年4月10日火曜日

不器用

文房具屋に行って筆ペンを買ってきた。半時間も選りすぐって、何とか気に入ったものをみつけたものだから、同じものを3本も買ってきた。字がとてつもなくヘタなので、筆ペンにはかなり神経を使う。机の中には、香典返しなどにいただいた筆ペンがごろごろしているのだが、あの筆ペンでは、下手が更に下手になってしまうので使いものにならない。

字に限ったことではなく、何につけても不器用なものだから、それにまつわる失敗談も豊富にある。

教師になったばかりのときだった。単身赴任で学校に来ていた教頭先生のYシャツのボタンが、ぶちっとちぎれて私の机の上に飛んできた。私は親切心でそのボタンを付けて差し上げたが、そのとき、針を力まかせに引き抜いたところ、運悪くそこに教頭先生の額があって、思いっきり太い木綿針を突き刺してしまった。
教頭先生は、「あっ」とも「うっ」ともつかぬ声を発せられたように記憶しているが、私は、「ギャー」と大声を出してしまった。もう少し私の手先が下がっていたら、教頭先生の目玉を突くところだった。
 
私の不器用は一体誰に似たのか……と、深いため息とともに考えこむことがある。何をしても手先のことに関しては、ひと様の半分もできない。習字、絵画、工作、裁縫、どれをやらせてもまずダメである。父も母も字こそ巧くはなかったが、父は大工顔負けのような仕事をして、「器用貧乏在所の宝、隣のなんとかに使われる」といったところだったし、母だって、自分の卒業した女学校の裁縫の助手に雇われていたほどの腕たちだった。

実は、この不器用というのも、本当は理由があってのこと。それは、私はもともと左ききなのだ。
左ききは器用というケースが多いらしいが、私の場合は、学術書にも書いてあるのだが、能力が左右に別れてしまうというケースで、この場合は不器用になってしまうらしい。
こういった学説が嘘でないことは、私にはよく分かる。例えば、剃刀で眉の形を整えるときも、眉ペンで眉を引くときも、右は右手、左は左手で、ちょっと誰でも真似のできないことをするのだが、実はどちらも同じように巧くはやれない。アイラインも同様で、いくら慎重に構えても、目のふちからとびだしてしまったり、太くなったりで、けっきょく見栄えのするような化粧は諦める……ということになってしまう。
お手玉や毬つきなど遊ぶことは当然左だが、お箸と字は、厳しく右手で躾られたせいか、左手では食べたり書いたりはしたことがない。今はもう、そうしたことは自然にまかせている親がほとんどだろう。

不器用ゆえに頬を染めた、ということは何度もあるが、公衆の面前で恥ずかしい思いをしたことが二度ばかりあった。
学生のとき、粘土細工の宿題がでた。私は苦労して茶わんを作って持っていったところ、口の悪いO先生は、私の茶わんを高々と掲げて、「こんな小学生みたいなのがある」と言われた。ただでさえ肩幅を狭くしているというのに、そんなことを言われて、私はもうすっかり工作とO先生が大嫌いになってしまった。

二度目は教師になってからのこと。図工の指導の講習を受けにいったことがある。むろん、いやいやながらの受講である。
人物写生の仕方の講義をうけ、画用紙を与えられた。講義を聞いたからといって上手く描けるはずもなし、私はまたまた身を縮めて描いていると、机間巡視をしていた講師先生が、私の描いたものを高く持ち上げて、「この顎の線、いいですね」とおっしゃったのだ。
正直いって、その年まで自分の描いているものを、こういう形で褒めてもらったことがなかったものだから、驚きと嬉しさと恥ずかしさで、年がいもなく顔を赤くした。 
その次の先生のことばを聞かなかったら、私もいい気分のままでおれたのだが……。
「教師は、自信のなさそうな子に自信をつけさすのも大事ですね。このようにして何か褒めてやることが大切です」
 ……やられた! と思った。でも、前回のように、講師先生を恨めしく思うことはなかった。むしろ、感心してしまった。といっても、恥ずかしかったことには変わりはない。

この二つ、私にはいい体験だった。 
不器用な先生というものは、子どもたちにとっては、あんまり有り難くない。大きな被害を被ることだってある。宇をひとつ書いても、先生の字は、お手本なのだ。絵にしても工作にしても、指導に自信がないし、ぶちまけたはなし、力の入れようがちがってくる。

ああ、今ごろは、どこかでだれかが、「不器用なセンセのおかげで、字も絵も巧くはならなかった」なんて陰口いわれているかもしれない。O先生を恨めた義理じゃなさそうだ。


2012年4月9日月曜日

ふるさとの味

私の産まれ故郷は北海道である。12歳まで住んでいた。だから、ちょっとした『北海道美味いもの市』などに出くわすと、懐かしくてその場に吸い寄せられてしまう。
そして、いつもフイルムのコマ切れのような情景で私の頭を通り抜けるものは、何と、カボチャと、とうきび(トウモロコシとは言わなかった)に噛り付いている幼い日の姿だから泣けてくる。

詳しくいうと、秋、黄金色のはち切れそうな実の並ぶプリプリのとうきびや、金太郎の担いでいるような、まさかりで割るほど硬い、まさかりカボチャを、たらふく食べて大きくなった道産子である。

その季節ともなると、蓄えのきくカボチャは、カマスに幾俵も買い込んで、床下の室(むろ)に入れられる。それからは、おやつはもっぱらカボチャと、リヤカーで毎日売りに来るとうきびである。
たかがとうきびやカボチャなのだが、これがどうしてどうして。駄菓子なんかより、ずっと美味しいのだ。日頃、口中でとろけるような、上等なおやつは口にしていなかったせいもあろうが、噛みごたえのある実のプチプチのおいしいとうきび、そして甘くてホロホロのカボチャは、喉を詰まらせるほど美味しかった。

手のひらや足の裏が、カボチャの色素で真っ黄色になるのも、この季節の風物詩のようなものだった。休み時間、学校の校庭などで、友だちと黄色い手のひらを競い合ったのも懐かしい。

……今、私はふっと手が停まった。どうも、この〝思い出の味〟は、現実の味から、少々飛び出していることに気付いたのだ。
証拠もある。北海道物産展で求める、とうきびやカボチャは、昔のそれとは少々異なっている。品質は、改良されて良くこそなれ、悪くなってはいないはずであるが、子どもの頃味わったような味にはかなわない。

考えてみると、「忘れられない美味」などというのは、「感動の味」なんだと思う。子どもの心は、何のかけ引きもなく、感嘆することができる。ケーキとカボチャを比べたりはしない。たかがカボチャであっても、幾十年も忘れられないような美味を、胸中にしみ込ませてしまう。
 
こんなことがあった。旅の途中で、ガイドブックで褒められているラーメン屋に立ち寄ったことがある。一口でいうと、味はいいのだが、店主は、職人気質か何か知らないが、お客の心を無視した態度で、自信満々の傲慢さが鼻を突いていた。美や感動を求めて旅をする者の立ち寄る店ではない、と思った。両者の心の有り様では、感激も喉元で踵を返してしまうのだ。

この頃は飽食・美味の時代である。でも、飢えと無縁の現代は、舌先を喜ばすだけのことはできても、それ以上のことはなかなか難しい。 
そしてまた一方では、お金では買えないものを求めて、パクパクしていることも事実である。殿方等がよくいう、おふくろの味のお惣菜だって、舌鼓を打ちながらも、大地のような母親の愛を懐かしんでいるのではないだろうか。

いろいろと思いを巡らせてみると、私の「ふるさとの味」は、単なるカボチャやとうきびの味ではなさそうだ。何かがしっかと裏打ちされている。それは、心のふるさとや、離れ去ったものへの望郷の思い、そして、カボチャと私を紡いだ、子ども時代の郷愁と憧れのようなものでもあるようだ。

味は昔と違っても、今でも私はトウモロコシとかぼちゃは大好きだ。とくに私のトウモロコシ好きは、知れ渡っていて、収穫の季節ともなると、あちこちから集まってきて、三度の主食はトウモロコシになり、冷蔵庫の中は、トウモロコシの冷凍でいっぱいになる。

美味いもの市や、お正月、お祭りなどの屋台で焼いているトウモロコシもいいものだ。出かけた家族はよく買ってきてくれる。孫までもが「お婆ちゃん、お土産」といってお小遣いで買ってくる。とても幸せな気分で美味しく頂いている。



2012年4月8日日曜日

桜満開

今日は少し暖かくなりそうだ。桜が咲いても冷たい日が続いていたが、それでも余寒はしのぎよい。指折りかぞえているうちに、ぽかぽか天気になってくれる。
今年も、間に合えば、ちょっとでも花見気分を味わいたいと思っている。 
今から2時間もすれば、女学校の同窓会に出かけるのだが、途中、お花見が出来るかもしれないと、ちょっぴり期待している。

何年か前の話になるが、桜並木を眺めていた時、通り過ぎていく若者たちのほとんどが、携帯電話を片手に、わき目もふらず、うつむいたまますり抜けて行ったのが心に残っている。まるで機器に心を吸い取られてしまったロボットのようだった。昨今なら、スマートフォンだろうか。
長い人生の途中には、花どころではない時期もあって当然なのだが、そういうことではなさそうで、何か大切なものをどこかに置き忘れて大きくなった感じを受けてしまった。
こういう若者も、きっと『お花見』は大好きなはず。お酒を楽しみながら、しっかり花見もしてほしい。

最近のスマートフォンばかりいじくっている若者をみていると、人間や情緒にも関心が薄くなっているように思えてならない。何となく砂漠化した人間というか、水分が無くなって、サラサラのような感じを受ける。携帯でのメッセージのやり取りも、即座に反応、返信、意思表示をしなければ、何かがもつれてしまう、とでも言いたげである。

とはいいながら、もう若者と、私ら世代の感覚は、食い違いというよりは、異なってしまった、と言い切ってもいいだろう。価値感も、文化も、常識までもが時代とともに変化してきたのだから仕方がない。
そのうちに、スマートフォンも使えない者は、塀の中に取り残されたように世間のこともチンプンカンプンになるかもしれない。

思うのだが、花を愛でる幸せは、たとえ行きずりの幸せであっても、心に沁み込むものがある。私のような雑端人間でも、綺麗な花を見ていると、「家計を引き締めよう」と決心したことも、「膝が痛い、腰が痛い」なんて、常日ごろこびりついているおこげも、どこかに消えてしまう。
世界のあちこちで人殺しをしていたり、物騒な原発騒ぎやら、大型地震、大津波がいつくるやもしれない世の中なればこそ、心をやわらげたいとも思う。

土と石ころのふんだんにあった大地で、樹を抱え、花を摘んで、伸び伸びと遊び育った者と、家の中で、ファミコンやテレビで遊び、大きくなっても、携帯電話が手放せない連中との違いは大きい。どちらが幸せかは知らないが、同じ土俵で語れても、共感できないものが多過ぎるのはとても淋しいことである。