2013年7月7日日曜日

七夕さま


今日も、曇り空で雨が降ったり止んだりのお天気だったので、「これでは年に一度の逢瀬というのに……」と心配していましたが、夜になると、ちょっとばかり晴れて、幾つかの星も見えています。織姫さんと彦星さん、うまく出会えたらいいのにねえ。

もう星が降ってくるような夜空は、特別なところにいかなければ見られなくなりました。高い山の上とか、都会を離れた高原などには、そうした星空が見えるのでしょうが、このあたりでは、もう何十年も前からそんなことは出来ません。

私の息子は、もうじき56歳になりますが、実際の【天の川】を見たことはないと言います。まだ幼いころには見えていたのですが、もう記憶にはないのでしょう。あの満天の星空を見る幸せ感は、何とも言い難いもので、宇宙の点でしかない自分の存在が実感できて、ストレスも、くよくよも発散できたものです。
星に願いを込めて……などというロマンは、難しい時代となりました。

私は、以前から目があまりよくありませんから、星座などは、分からないのですが、最近は、スマホを星空にかざすと、星座と星の名前が分かるらしいです。でも、何となくスマホで星座を覗いてもねえ……の気持ちですが。()

星空は見えませんが、プラネタニュームというのがありますから、それで我慢するというのも、一つの手でいいかもしれません。
もう5,6年も前に見たきりですから、また行きたいと思っています。満天の星空の下で見ていると思って見ると、その気になれるものです。いいものですよ。(^^)

2013年7月6日土曜日

予想外


朝、天気予報を見間違えたのか、予報が当たらなかったのか、予想外の大雨が降った。気温が上がるらしいので、居間の窓を網戸にしたまま、朝から出かけ、夕がた帰ってきた。途中、大雨に会ったが、すぐに雨は上がったので、いい雨だな、なんて思って帰ってみて驚いた。窓から雨が吹き込んでいて、水が床にたまっているではないか。こんなことは始めてだ。余程の豪雨か、風向きが悪かったのだろう。

洗濯ものも、干し場は屋根付きなので、余程の大雨でないかぎり、外の干し場にほしている。しかし、今日は洗い直しをした。

そういえば、今日は、予想外のことが多かった。お中元が届いた。これも、お中元のやり取りなどしていない、気易い友人から届いていたので、すぐに電話で「届け先間違ったのではないのか」と聞いたところ、「間違いではない。いつかは食べてみてほしいと思っていたものよ」とのこと。友人10人ほどの同級生に送ったらしい。

それは、彼女の住んでいる、小松島市の名物【焼き竹輪・天ぷら】と、【フィッシュカツ】というもので、これは、全国では、小松島だけにしか作っていない魚のカツだ。徳島で味を知った県外客が、帰ってから注文をしてくるらしい。カツと言っても、あっさりとした味で、珍しさと相まって人気のある食べ物だが、地方の小さな市の竹輪屋さんの作るフィッシュカツは、なかなか県外までは広まらないようだ。

ああ、そうだ。お礼の気持ちを込めて、この際、小松島名物の宣伝をしておきましょうか。

(有)天龍蒲鉾 ☎0885-32-0328 で作られています。 美味しい【フィッシュカツ】や、焼き竹輪を食べてみてね。(^^)

 

2013年7月5日金曜日

叩く


最近の子は、親に叩かれたことはほとんどないと思うが、私の子供のころは、親はよく子を叩いたり、お灸をすえたものだ。

子どもの頃の私は、ひょろりと痩せた子で、気の弱い女の児だった。だから、たいした悪戯はしなかったように思う。何しろ随分昔のことなので、はっきりとは憶えていない。

とはいうものの、今も色あせぬまま、思い出の引き出しにたたみこんであるのも、いくつかある。

ここまで書いてきてふと手が止まった。私が今書こうとしている思い出話は、以前書いたのではないかな?と。もう、460ものことを書いたので、何を書いたものやら、思い出せないのだ。()

それを調べるのは、これまた容易ではない。

ま、いいか。私が忘れているのだから、読んでくださった方も、忘れているはずだよね。ふふふっ。

北海道に住んでいた頃で、私と二つ違いの妹の二人姉妹の時代だったから、多分小学生にもなっていなかったろう。いつものように、家の中で妹とかくれんぼをしていたときのこと。

ちょうどからだが入ってしまうほどの小豆の少し入った木箱を見付けた私は、その中に隠れ、箱の中に入っていた小豆を両耳の穴に詰めて、耳の奥のおかしな感触を楽しんだ。小豆の産地なので、よくぜんざいや餡子を炊くので、一度にたくさん買っておくのか、木箱は、私がくの字になって入れるほどの箱だった。

箱から出てきたときは、耳や頭が変な感じで、おまけに耳が痛かった。それでもはじめのうちは我慢ができたが、夕方になるとひどく痛みだし、母に事の次第を話したところ、頭を叩かれた。多分すぐ医者に連れて行かれたにちがいないが、その方の記憶はまったくない。今の親なら、叩く前に、急いで医者に走るだろう。「痛い? 聞こえる?」と心配しながら。()

この話は、これで終わりにならなかった。それから数日して、今度は妹が小豆をおへそに入れようとした。なかなか入らなくて汚い手でいじくったらしい。おへそは細菌で赤く腫れ上がり、それもまた医者のお世話になった。

妹は変わった子で、薬と医者が大好きだったものだから、多分小豆をおへそに入れたら、お医者に連れてってもらえると思ったのだろう。妹も私同様、頭を叩かれ、おまけに私までこづかれた。姉が馬鹿なことをしたから妹が真似た、ということなのだが、この時は、何となく「母さんは、ママハハかもしれない」なんて思ったから、かなり、こたえたのだろう。

自分の耳の治療の記憶はほとんどないのに、妹がおへその手当てを受けている光景は、はっきりと覚えている。おへその中に、ピンセットでガーゼを詰め込まれていたこと、赤チンでおへそのまわりを染められていたのが、おかしくてたまらなかったこと、泣くどころか、私と目が合うと、にこっと笑ったことなど、鮮明に思い出す。

ちなみに妹は、中学生の頃から、大きくなったら、看護婦になりたいと言い出して、祖母にひどく反対されてなれなかった。その理由は、「病気の人が集まるところで働いたら、病気になる」ということだった。今思うとおかしな話だが、そんなことで腰を折った妹も、意気地がなかったのだろう。()

今は懐かしい思い出の一つになっている。

 

 

2013年7月4日木曜日

寝る前の1杯


【寝る前の1杯】なんて書きますと、ビール?それとも水割り?なんて聞かれそうですが、これは、熱中症対策のための水分補給のことです。

年寄りは、「寝る前に水分などとると、夜中にトイレに起きなくちゃならないから、飲まない」という方が大勢います。

私も、寝る前は、あまり水分は取りたくないものですから、ほとんど飲みませんでした。大抵、12時前後に床に入るので、睡眠時間は、平均して5時間ほどです。この頃のように、ちょっと疲れがたまってくると、入浴が億劫になってしまって、朝風呂にしよう、と、顔だけ洗って蒲団に入ると間もなく寝てしまうのですが、そんなとき、水を飲むことだけは、忘れずに、と心がけていますが、ときには忘れます。

先日も、熱帯夜でしたが、汗をかき、喉が渇いて目が覚めました。なんとなく、身体がアッっぽく、頭が痛いような気分だったので、「これはいかん」と、慌てて水を飲みました。熱中症にはならずにすんだのですが、やはり、寝る前の一杯は、飲むのがいいと、それ以後は、忘れずにコップ1杯飲んでいます。

スポーツドリンクのように、塩分を含んだ物は、保水力も高く、夜間にトイレに行かなくて済むようです。私もトイレには起きず、大丈夫です。
冷房も、タイマーで、1時間つけておきますと、今のところは、寝付きもよく、熟睡できているのか、朝は、そんなに寝不足感もなく、5時間ほどで、自然に目が覚めます。

これからは、厳しい暑さに向かいます。私のような高齢者は、暑さにも、センサーが鈍くなります。十分に水分補給をして、熱中症にならないよう、心がけて、この夏を乗り切ろうと思います。 (^^)

2013年7月3日水曜日

ラジオ体操


テレビでしても、ラジオ体操とはこれいかに! なんていっちゃってー。(笑)
久しぶりに、ラジオ体操をしてみた。肩コリをほぐすために。

子どものときから、ラジオ体操とは、切っても切れないご縁があった。今のラジオ体操とは違うのだが、昭和3年にスタートしたというから、私が生まれた時は、すでにラジオ体操はあったのだ。ただ、ラジオが各家庭に出回ったのは、昭和も10年を過ぎてからではなかろうか。
 
私の記憶では、小学校に入学したときは、ほとんどの家にラジオはあったが、お隣の頑固なお年寄りは、ラジオなんか不要と、買わさず、家族が困っていたのを思い出す。朝6時のラジオでの天気予報で、零下20度以下になると、(北海道帯広市)小学校が10時はじまりになるので、そんな時は、母が電話で、「今日は10時はじまり」と、教えてあげていた。どちらも、商売をしていたので、電話はあったのだ。
そのうちに、お隣さんもラジオを買ったが、暫くは、高い棚の上に載せて、音を小さく絞ってお爺さんに隠していた。(笑)

今のラジオ体操第1は、昭和26年から、第2体操は、1年遅れて27年より、ずっと続いている。当時は、新しい体操が、何となく違和感があって、なかなかなじめなかったのを思い出す。(前の体操がしやすかったのに、何故変えたのかしら……)なんて思ったものだ。でも、慣れてしまった今となれば、良く出来ている。(笑)
なんせ、教員になってからは、毎日のように、生徒と一緒に体操をしてきたのだ。

私の教師時代は、生徒と向き合って、生徒と反対の動作で、模範演技?をしていた。
それが癖になっていて、今もよく左右間違えて反対から始める。今の先生方は、反対の動作はしていないようだ。

余談になるが、癖というのはひどいもので、「右手をあげて」といいながら、自分は左手を挙げる、そういうことが、日常だったものだから、退職して随分とたっている今も、左右をよく間違うのだ。一瞬考えないと、無意識には出てこない。人様に道を教えたりするとき、慎重に左右を確かめながら言ってる始末。(^^;;

2013年7月2日火曜日

本物


スポーツは、「結果がすべて」で、いくらバットをカッコ良く振っても、技術がうまくても、本番で打てなければ野球選手としては、専門家とは言えない。

政治の世界だって同じで、いくら、よいことを並べられても、結果がよくなければ、それは、やるべきことをやっていない、ということと同じである。

プロの政治家なら、結果が出せないようなことでは、プロとは言えないし、自分のことばで、政治が語れなくては、政治家失格だろう。国民は、どういう人を選ぶかは、人任せに、あるいは風まかせでは、本物の政治家は選べない。

国民が政治に求めているのは、「国民生活の重視」である。国民の幸せを考えてくれる政治。こうした姿勢が私たちに見えないかぎり、参議院選挙で何を訴えても、国民の心には響かないと思う。

 そういう点からみてみると、過去の民主党政治の3年あまりは、「国民の生活重視」の政治をしようと、努力をしていた姿勢が今も記憶に残っている。事実、コンクリートから人へ、というスローガンの通り、国民の中でも、子育て中の人達や、勉強したい人達に、少ない予算の中から、色々と援助していた。
野党だつた自民党に、「ばらまきだ」とうるさく避難されていた子ども手当なども、今は自民党も、参議院選を考えてか、名を変え、縮小して、民主のしてきたことを引き継いでしているようだが、選挙がすめば、どうなることか分からない。何しろ、「ばらまき」とさけんでいたのだから。
医療にしても、民主党の努力によって、改革がなされて、救急病院をたらいまわしされるようなこともほとんどなくなったし、医者不足も、解消されつつあった。

政治は、「結果」が全てだ。安倍政権は、やはり国民の生活よりも、「政局優先」の政治の姿勢だと、つくづく思う。苦しむ人が増えることは、あってはならないのだ。「やるべきことはきちんとやる」ということが私たちには感じとれない。
はたして、プロの政治家としての「政治力」をもつ議員が、どれだけいるのか、疑問に思う。

先日、徳島県参議院選挙候補者が全員集まっての、公開討論会があった。コーディネーターは大学の教授で評論家。残念ながら、私は、出掛けることができなかったが、事実上は、自民と民主の一騎打ちといわれる選挙戦だ。
行った方に聞いたところ、まつたく顔をあげないで、書いたものを読むばかりの候補者と、はじめから終わりまで、真正面に向いて、質問に応じたり、意見をのべる候補者だったとか。この熱意というか、政治力の違いが、票につながるのか、つながらないのか、何とも言えないが、どうか県民が、本物の政治家を選ぶという姿勢を、一票にたくしてほしいとつくづく思う。

2013年7月1日月曜日

友の会 その2


先日も書きましたが、25回目の同窓会をきりに解散して、集まりを続けたい方たちばかりの【友の会】というのを作りましたが、今回は、その2回目。会員56名中、30人(男女15名ずつ)集まっての会が無事に終わってホッとしています。昨日は、お世話係りの8人が、県外の方とホテルで泊って、最後のお見送りまでしてお別れしました。

来年も、またお会い出来るかどうか分からない、なんて言いながら、わいわいと騒ぎ、またの日を約束して……というのが、同窓会の当時からずっと、恒例になっています。

元気だから集まれるのですが、その中でも、【生涯現役】の心意気で、ボランティアや、農業、趣味などに打ち込んでおられる方が、両指に余るほどいらっしゃいます。そうした方たちは、毎日が楽しく、幸せいっぱいというお顔です。

中には、酔うにまかせて、子どもや孫の自慢話を繰り返す方。(ちぇっ。そんな話、いいかげんにせえや)と、思いながらも、褒めまくる人。(笑)

しかし、そうした方たちにも、元気を頂けるのも事実です。「わいは、自慢話はせんぞ」と、硬く誓う人。スモール三浦氏のような山男の話に、「私もがんばらにゃ」と、背を伸ばして帰られたAさん、漢字の検定に、どんどんと挑戦しているBさんの話に、「ボケ防止に、漢字の検定でも受けようか」と、目を光らせたCさん。「さあ、来年も来れるように、しっかり歩くわ」と言っていたDさん。そして、「古女さん。あんたのパソコンのおかげで、集まれるんでよ。ありがとう。長生きしてよ」なんて、的外れのお礼を言われて、案内状や資料作りなんか、手書きだっていいんだよ。だれでも出来るんだよ。する気ないだけじゃん。と、笑顔の裏側で毒づいている私。(笑)

とか何とか言いながら、私もしっかりと元気をいただいて、帰りました。

でも疲れたわぁ。(爆笑)