2015年3月2日月曜日

№894  お洒落


最近、『お洒落は老化防止』ということが、よく言われるようになってきた。老人ホームなどでも、認知症の方に、お化粧などをすると、気持ちも明るくなったり、コトバが多くなったりと、変化がみられるらしい。

昔、お洒落な人、と言うと、派手好みとか、衣装や化粧品にお金をかける人、というイメージがあったのだが、今は少しちがってきた。まず、活き活きとしていて、輝いていることが、大切な条件になっている。とくに老人のお洒落な人ということになると、こうしたことが基本になくてはならないだろう。単に、いいモノを身につけているというのではなく、生活そのものがおしゃれでなくてはならないのだ。

考えて見ると、美人の条件も、昔と今ではかなり違っている。顔形がいいだけでは、ミス・日本にはなれないのだ。立ち居振る舞いから、教養、総てが審査される。

こんなことをあれこれ思って世の中を見渡してみると、随分お洒落な方が増えてきた。若い方ばかりではない。90歳近い方が、明るい衣装を上手に着こなしていらっしゃるのは、とても素敵だ。そんな方とすれ違うときは、「あ、あんなお婆さんになりたいなあ」なんて思い、ちらと振り返ってみたりする。なかなか難しいことなのだが。(笑)

ま、そんな高望みはしないが、面倒がらずにお化粧もし、小ざっぱりとした服装で毎日をすごさねばと、反省している。

2015年3月1日日曜日

№893 少年の残虐行為


連日、川崎で起きた少年の残虐行為が報道されている。この平和日本の国の中で、イスラム国の人殺しのような、残虐な行為が、少年たちの手で行われたというのだから、本当に恐ろしいことだ。少年のリーダーは、何もしゃべらぬらしいから、反省も出来ないのだろうか。

一体、どうしてこんな社会現象が起きてくるのだろうか。何が悪くてこんな子どもたちが出てくるのだろうか。原因は、簡単に決めつけられるものではないだろうが、それにしても、いくらストレス社会でも、少年がここまでやるのかと、寒気がしてくる。

何とかしなければ、益々こうしたことが起こるような気がしてならない。学校も、親も、大人たち社会も、政治家も、皆が反省して取り組まねばならない問題とつくづく思う。

2015年2月27日金曜日

№892 セクハラとは


コトバも遣いようでは、恐いことになるようです。うっかりと女の人にモノが言えない時代になっています。妊婦さんに、「女の子? 男の子?」なんて聞くのも、いけないし、「早く結婚した方がいいよ」というのも、バツなんです。「きれいだね」も、場合によってはセクハラ。相手の気持ちを考えて、と言いますが、人それぞれで、何言われても冗談と受け取れる人と、バカにされた、と受け取る人があるので、うっかりモノを言うなよ、ということのようです。むろん、同姓であってもです。

こうなると、普段からの人間関係というものが、大事になってくるのでしょうね。心から心配してくれての発言ならば、上司に「彼氏おらんのか?」と問われても、訴えられることもないでしょう。「いないです。誰かいい方いませんか?」と答えることもでき、瓢箪からコマということになるやもしれません。

気持ちの中に、相手を冷やかしたり、虐めの気持ちがあったり、バカにしたり、軽くみたりしての発言は、「春ちゃん」、「秋ちゃん」と、ちゃんづけで呼ぶこともセクハラということらしいので、すべてのことばがセクハラとなると心得るべし、ですね。

ちなみに、私ほどのトシになりますと、何を言われても、笑っていること請け合いです。そういうトシです。ま、若いころは、じっと我慢、心で軽蔑、というやつでしたけどね。(笑)

2015年2月25日水曜日

№891 古女の歯ぎしり


過去の戦争の反省は、大切なことで、私たちは二度と戦争をしない国造りを願って衆参議員選挙に足を運んできた。

国を代表する総理大臣が、過去の反省をもとに、色々と政策発表をすることは、当然だろう。

戦後の日本は、何といっても文明国であり、紳士的な国であって、どこかの国のように、鼻つまみな行為などはしていない。

戦後70年を迎えて、こうした日本を、他の国々が、とやかく文句を言うということは、おかしいと思う。いや、いつまでも、謝罪を求められたり、恨まれたりすることが、おかしいということだ。
長い歴史をみてみると、侵略はたくさんあった。日本が世界大戦に踏み切るまでの世界地図は、先進国が侵略した国々が、ピンク色などにに塗られ、大きく広がっていたのが印象に残っている。

日本と同盟国だったソ連などは、僅かな日数、日本を敵にまわして戦いを挑み、終戦となってからは、多くの日本兵を何年もシベリヤに送り込んで労働させ、ロクな食糧、衣類も与えずに非人間的行為をし、多くの日本人を殺したけれど、何の謝罪もないまま、70年が過ぎている。

今はもう、70年前に戦争を企み、戦争を仕掛けたお偉い人たちは、いない。日本人の殆どが生まれる前に起こったことにも、責任を負わされたのでは、たまらない、と思う若者は多いはずだ。

日本は、先に述べたように、礼儀正しい国、約束は守ってきた国である。戦争のために、損害を支払えと言われた国に対しては、賠償責任は、きちんと果たしているはずだ。そして、それ以上の支援もしてきた。

戦争ほど、愚かな行為はない。そして、どんな理由があろうとも、負けた国は、惨めな目をみなければいけない。我々は、子や孫に、こうした苦難をなめさせることだけは、絶対にさせてはいけないと思う。

 

2015年2月23日月曜日

№890 ブログの題


随分長いあいだ、ブログの整理をしていないことに気が付いた。整理というのは、ブログの№と、日付けと題を書いておくことなのだが、まあなんと手間のかかったこと。文章の下書きは、のこしてあるのだが、それは、パソコンの中なので、それをしらべながら、の整理である。というのは、いつ、どんなことを書いたのか、ほとんどわすれていて、「こんなこと、以前書いたかなあ」なんて思って、調べようと思っても、なかなかしらべられないのだ。しかも、題のつけかたも不味く、題だけでは、何を書いたものやら、よくは分からない。

これからは、№をきちんと題に書き込んでおくことにしようと思う。そうしておくと、ブログヲ開いて探すことも、少しは楽になりそうに思う。ということで、きょうは、ちょっと試してみた。
ということで、もう890もの駄文を書き散らしてきた、ということであります。(^^::

 

2015年2月21日土曜日

呼び名


 昔、男の人は、色々な呼び名で呼ばれていた。私の父は、小さな町工場の主だつたので、工員さんからは、「旦那」「かしら」「大将」「ご主人」などと呼ばれていた。

私の友人Aさんは、だれかに「ご主人はお元気ですか?」なんて尋ねられると、「私に主人はおりません。夫はおりますけど」と答えるほど、呼び名にもこだわっている。徹底した男女平等だ。(笑)

ま、そう言いながらも、夫のために、あれこれと気を使ったり、お世話をしたりすることは、きちんとされているのだが。

知らない方に呼ばれる時がある。このトシになると、「お婆さん」と呼んでくれたらよいのだが、呼びにくいのか、そうはめったに呼ばれない。「奥さん」が多い。最近は、「おばはん」とか、「おばちゃん」と言うコトバは、あまり聞かなくなった。もう、おばさんは通り過ぎたのだ。中には「お嬢さん」なんて、失礼な方もいるが。(笑)

汽車の中で、ハンカチを落としたとき、後ろにいたお爺ちゃんに、「姉はん、姉はん」と呼ばれ、気付かずにいたら、肩を叩かれて、はっとしたことがあった。

私も、困ることがある。知らない方を呼び止めなければならないときがあるが、お嬢さんやら、奥さんやら、最近は分からないのだ。そんなとき、「もしもし」とか、近寄って肩を叩くことしかできない。腰が曲がって杖でもついていらしたら、「お婆さん」と呼んでも叱られないと思うのだが、それも勇気がいる。何しろ、80歳すぎていても、「お婆ちゃんと呼ばれた」と、憤慨する人は、多いのだ。

日本語は難しいと、言われるが、外国人が、適切に、使いこなすのは、ほんとに難しいだろう。

余談になるが、「かしら=頭」だが、魚の「おかしら付き」ということばがある。私は、嫁にくるまで、お頭の付いた魚と思っていたら、「尾頭付き」と知って、慌てたことがある。学校では教えてもらっていないことは、殆ど知らないまま大人になった。まったくお粗末なことだ。(笑)

2015年2月19日木曜日

優しさ


私のすぐ下の次女の妹は、老々介護の身で、病気で体が不自由になった夫の世話をしていた。80歳を過ぎた妹は、その大変さをよく言っていた。何から何までも手をとり足をとりするものだから、息子や娘から、『お母さんは、お父さんを甘やかし過ぎだ』と言われていたのだが、妹は、「出来ることでも、時間がかかって見ちゃおれんのよ」と。

そんな妹が、二日前から入院していると、三女の妹が昨夜知らせてくれた。自分は後ろ向きになって、トイレまで夫を歩かせていたところ、夫とふたりが転んで、夫の下敷きになり、頭には大きなタンコブができ、腰をひどく打って、歩けなくなったという。夫さんは、幸いにも妹の上に落ちたので、怪我はなかったとか。

妹が入院となると、連れ合いの世話は出来ないので、ショートステイに、しばらくお預けということになったらしい。近くに住む娘は、仕事もあるので、父母二人の世話は無理なのだ。

今日見舞いに行ってみると、三女の妹が、入院した日の朝から駆り出されていろいろと手伝っている。この妹は、まだ70歳そこそこなので、元気なものだから、だれかれに頼りにされるのだ。そういうことに、イヤな顔をせずに、よく世話をするので、重宝がられている。私の実家の弟の嫁が大病をして、亡くなったときも、毎日世話をしてくれた。我が家に来ても、「腰が痛いんだろうから、来たついでに掃除機かけといてあげるわ」と、嬉しいことを言ってくれるのだ。

ふと思った。人間の優しさというのは、どのようにして育っていくのだろうか、と。

彼女は、よちよち歩きが出来始めた頃、小児麻痺になって、足がびっこになっている。小さい時から、よく腕白坊主に「チンバ」とからかわれ虐められた。でも、気が強く、そんな子には、石をぶつけたりしたとか。(笑)

親にも泣きごとを言ったことがなかったらしく、母が涙ながらに語ったことがあった。

振り返ってみると、何かにつけて彼女が一番親を大事に思っていたし、親孝行だったようだ。

私は、長女でありながら、弟妹の世話は、殆どしていないし、忙しさにかまけて、実家に行くこともまれだった。交通の便が悪かったのもあったが、今思うと、悔いは山ほどある。大事にしてもらった祖母、苦労をかけた父母、そして姉妹たちに、もっと優しくもっと親身になってあげられなかったかと……。

年を寄せると、優しさには敏感になるものだ。そして自分も優しい人間になりたいと強く思うようになるのだが、なかなか難しい。

妹の優しさに触れて、今日も反省させられた。