2012年3月9日金曜日

中国の野菜

ある中国通の方が、ネットでこんな文章を書き込んでおられた。本当でしょうか?

『中国の農民は私有物でない農地には愛情が持てないので大切にしません。
その結果日本の農地とは比べ物にならないほど土地が荒れています。
中国政府は農業政策を改善するだけの知識を持っていないので、外国から
農業技術を手に入れても農民を指導する体制がありません。農薬の使用説明を
農民に配っても、ほとんどの農民は字が読めません。
中国では未だに人糞が一般的に肥料として使われています。しかも発酵させる技術がないので生のまま使っています。結果土壌に細菌や害虫が繁殖するので、大量の農薬を撒く必要があります。中国農産物が農薬まみれなのはこのためです。
大量の農薬散布のために土は益々死んでいきます。土だけでなく水も死んでいきます。農業の溜池には全ての生活排水が何の処理もされずに流れ込みます。
当然のごとく悪臭を放ち、泡が浮き、アオコが繁殖して緑色をしています。その細菌まみれの汚水を畑にまいています。それでも植物は育ちます。日本の旅行者は知らずに喜んで中華料理を食べています。
飲み水である地下水は工業廃水と化学肥料による水質汚染でとても飲めたものではありません。中国富裕層は外国産のミネラルウオーターしか飲みません。
このような国が大国ですか? 人口と領土の広さだけなら間違いなく大国ですが、文明人が住めるような国ではありません』・・・・と。

またある記事によりますと、『中国に進出している日本の食品メーカーは、大量の野菜が必要だが、それは、現地の農民に、日本流の栽培を指導しているので、さほど心配はない』・・・と。

中国のあるある地方の大学で、日本語を教えられているPさんは、私とよく似たお年であるが、まだ現役として仕事をしていらっしゃる。その方のお話では、しっかりした女性は、野菜を流水にしばらくつけておいてから調理しているとか。

こんな話を聞くと、何を買うにも、裏をひっくりかえして、材料の産地を確かめてしまう。単品のものはいいが、色々な物が混じっている加工品では、その中の「タケノコ」が中国産だったりするから困る。

日本人の食糧の60%は輸入に頼らなければ賄えないというこの現実。一体、長い間、農業政策に力を入れていたはずなのに、どうして日本の農業は衰退してしまったのだろう。不思議だ。この責任はだれにあるのかしら・・・? 

ま、この齢がくると、何を食べても怖くはないのだが、日本の農家を応援のつもりで、なるべく日本産のものを買う主義なので、買い物に時間がかかる。虫めがねを持って行きたいと思うこの頃である。

2012年3月8日木曜日

櫛の土産

私が子どものころは、今とは違って、おとなの女性のほとんどが、頭に櫛をさしていた。頭の丸みに添うように作られていて、髪飾りも兼ねたもので、近隣に住んでいたおばさんたちは、立ち話をしながらでも、しょっちゅう櫛に手をやって、気持ちよさそうにササッと頭を櫛で撫でていたのを思い出す。どこの小間物屋の店先にも、こうした櫛が並べられていたものだ。よく売れる品物の一つだったに違いない。

そういうわけで、櫛が道ばたに落ちていることなど、よくあることだった。が、落ちている櫛を拾うことは、まずなかった。「櫛は拾ったらいけないもの」と、家族に言い聞かされていたからだ。
 
でも、一度だけ拾ったことがある。小学2、3年の、たしかお正月だったと思う。私は、半月型で黒塗りの、きれいな櫛を拾って帰った。貝殻で模様が埋め込まれたもので、日本髪の頭に挿す飾り櫛である。それを祖母に嬉しげに見せたところ、「まあ、この子は正月早々縁起でもない。はやく捨てておいで。櫛は拾うもんでないっていつも言ってるだろう」と、いつになく厳しい声で叱られたので、再び外に走り出た。といっても、秘密の場所に埋めただけで、その二、三日あと、その櫛をこっそり掘りだしてきて、ままごと遊びなどに使ったような記憶がある。

その後私は、女の頭髪や櫛が、古今東西を通じて、女性の心や命などと深く関わる、多情多恨、怪しげなるもの、ということを、文学作品などから感じはじめたのだが、祖母に、「縁起でもない」と叱られたことと、重ねてみることはなかった。

櫛が「苦死」に通じて忌まれていた、と知ったのは何年か前のことで、旅の帰路、車中で読んだ文庫本の中に書かれてた。すぐ私の脳裏をよぎったのは、私のカバンの中に入れてある知人への土産のつげの櫛。そして、正月早々縁起でもない、と言って顔をしかめた祖母のことだった。櫛が「苦死」ということであれば、これほど縁起でもない拾いもの、贈り物はないのだが、櫛は軽くてかさ張らないこともあって、私はよくつげの櫛をお土産にしている。

音が通じている、というだけのことなら、櫛だけではない。正月につきものの獅子舞などは、死死となり、とんでもないことになってしまう。ところが現実は反対で、縁起のいい悪魔払いとなっている。おまけに、獅子に頭を咬んでもらうと頭が良くなる、などといって、泣く子の頭を無理やりお獅子に咬ませる親もいる。櫛だけが苦死と結びついているということは、やはり多情多恨といった情念の絡みつきがあったからだろうか。あるいは、ひとの肌にふれるもの、ということが原因なのだろうか。

さて、私のカバンの中の櫛だが、どうしたものかと、ちょっとばかり迷ったのだが、親しい方に櫛を贈るはなしは、昔から歌や物語にもよく出てくることで、どこの観光地の土産物屋にも、櫛は大きな顔をして店頭に並んでいる。(「櫛は苦死」などというのは、一部の善男善女の口承に過ぎず、今はもう、こうした口承も風化してしまった)ということにして、私は予定どおり、つげの櫛を知人に差し上げることにした。ま、風化したとはいうものの、お堅いお年寄りやご病人には、櫛の土産はやめておいた方が無難かもしれない。

これは蛇足の話になるが、怪しげなる黒髪、とは、むろん色はカラスのぬれ羽色、しかも水の底に沈んでも、玉藻となりて漾う丈なす髪、でなければならないわけで、はやりの茶髪や目刺し髪ではない。

こういう私は、怪しげなる黒髪とは程遠い腰折れの目刺し髪。もう色香も神秘も蚊帳の外であるので、どうでもいいわけだが、やはり私も女のはしくれ、大いに気にして、あれこれと髪染めやシャンプーの品を変えてみたりしている。「女百まで黒髪忘れず」ということであります。

2012年3月7日水曜日

朝の散歩

春本番は目の前に来ているのだが、寒がりの私は、着膨れたままである。何しろ、前の日より10度も気温が上がったかと思うと、翌日は7度下がる、というような状態では、冷蔵庫に入れられたり出されたりで、身体がついていけない。

それでも日の出が早くなったので、朝の散歩を始めようかと思って身支度をした。ここのところ、運動不足で体重が今年になって2キロも増えている。チビの私が2キロも増えると、たちまち膝がぐずりだす。膝のご機嫌もとらねばならない。

車の疾走する道を避けて、30分ほど歩くのだが、気の向かない日は歩かないし、お天気が悪ければ止めるし、といった気ままなものなので、大きな顔をして語るほどのものではない。だが、朝外に出ると、ピリッと味の締った空気が、鼻先を刺激しながら、肺の奧まで入ってくるのが、何とも心地よいし、風景を眺めながら色々と思いを巡らせるのもいいものだ。
 
家を出て北に足を向けると、あの阿讃山脈が目に映る。阿波の国と、讃岐を分けている山なみである。中でも大麻山は、真向かいということもあるが、他の山々より威勢がよく、引き立っている。「おはようさん」と声を掛けるのも楽しい。

山は、ただ仰ぎ見るだけで、深い快さを味わえるのがいい。暗黙のうちに慰め合い、勇気を与え合う「無口な夫婦」のようなものかも知れない。
同じ大自然でも、海となると、底が見えないせいか、あるいは大津波のような暴れようをするためか、警戒心が絡まってきて、近寄りがたく、何となく他人じみてくる。

そこへいくと、同じ水であっても川は少し趣が違ってくる。
北に歩いて行き止るところに、旧吉野川がある。水音が聞き取れるような流れではない。
以前はよく、小船が八の字の波紋を従えて、川面を滑って行くこともあり、扇のように広がったうねりが、川岸までとどくと、いかにも品のよい水音を聞かせてくれたものだが、近頃は、あまりお目にかからない。

川べりより少し離れた野道を歩くと、手をすけたくなるほど実をつけた夏みかんが、朝日にまぶしく光っていたり、名も知らぬこごめのような花をつけた雑草が、私の足元を飾ってくれる風景があったりする。また、もうお役ずみのような伸びきった蕗の薹が、花の蕾を誇らしげに抱えていたりと、この季節はけっこう退屈がない。

空を見上げると、また気分は一段と爽快になる。一片の雲もないという朝もあったりする。こんな空は、かの有名な映画監督黒沢明氏に言わせると、「雲のない空なんて空じゃないよ。今日は撮影は止めだ」ということになるらしいが、なけりゃなしでいいじゃないの?いや、まてよ。やっぱり雲の浮いている方がいいかなあ・・・、などと首をひねる。ま、忙しげに流れる雲があれば、詩人じゃなくても、「おおい雲よ、どこまで行くんだ・・・」と語りかけてもみたくなるもの。ここは、黒澤氏に従うとしておこうか・・・。

さて今朝は、青空は隠れんぼうだ。東を向いても眩しくないのはいい。しっかりと小さな目も見開いてあちこちと眺められる。

でも、そのあと、いつもながら何とも言いようのない空き地に出くわす。ぽいすてゴミの山なのだ。ゴミは、指定の有料ゴミ袋に入れて出すことになったためか、不法投棄が増えたと聞いたことがある。
大昔かの有名なベスビオ噴火でポンペイと運命を共にしたある町から「公共の場所にゴミを棄てるな」と書かれた布石が出てきたというから、道徳心というものは、昔も今も、たいして進化もなく、変っていないらしい。

ま、あんなこんなで、いい気分ばかりではないのだが、無理のない程度に、しばらくは朝の散歩を続けていきたいと思っている。

2012年3月6日火曜日

古女の歯ぎしりでは・・・

困った世の中になりそうだ。大体、50年も先のことは、見通しがつかないのが当たり前なのだが、これからこのまま50年もすると、働く人一人ひとりが、老人を肩に乗せていく『肩車式』という形になるらしい。食べさせるだけではない。医療年金介護、すべてが、肩にかかってくるのだから大変だ。
こうした事に対する策は、もっともっと以前からしておくべきだったのに、国は先送りしてきた結果、もう待ったなしに手を打たねばならなくなってしまったらしい。

こんな実情を考えていると、これまでの50年の政治のやり方の何と無責任なことかと、ハラがたってくる。終わったことをとやかく言ってもしかたないし、今の舵取りの民主党は、そうした前任者の悪口は、一切言わない紳士なので、私も言いたくないのだが、あまりにも、自分らのしてきたことを棚にあげて文句ばっかり言っているのを見ていると、「あんたさんには言われとうない」と、民主党に代って言いたくなってくる。

戦中は、「産めよ増やせよ」というお国のお達しで、どんどんと増えたものだ。
「あそこは、1ダース(12人)で表彰された」という家もあった。
戦後は、むしろ少なく産んで、豊かな生活を、という風潮になり、4人も産むと、珍しがられるようになっていく。いや、戦後の貧困生活では、産みたくても産めない時代でもあった。

しかも、国の為に子供を産むなんていう考えは、今は全く無くなっている。戦中戦後の反動か、家庭生活の幸せは、自由な核家族の中で、十分な教育、豊かな暮らし、といった幸せを求めて働き続けて来たのが実情なのだ。

結果、この戦後60年の変わりようは、すさまじい。誰一人として、今のような生活が待ち受けているとは想像できなかった。子供までが電話を持ち、高校は義務教育なみ、修学旅行で海外まで行く時代。頭が良くても悪くても、大学卒は洪水。運転免許を取得して車を持つチンピラ、などなど、枚挙にいとまがない。

そんな生活が、良くないとは言うつもりは毛頭ない。だが、そうした環境の中で、何かが欠落した人間が増えてきたのも事実なのだ。
これは、政治だけではなく、我々世代の者にも、責任の無いことではないと思う。
髪ふりみだして働いてきた今の老人達も、反省しなければならないことだろう。

ま、私めのようなごまめが、眉つりあげて言ったところで、どうにもならない問題で、せいぜい孫平どもに、「結婚は早くして、しっかり子供を産んでほしい」と言うくらいしか出来ない。あとは、国のお力で、何とかしてもらうしかない。
でも、こうして歯ぎしりして言いたいこと言うと、まるでお腹の中を掃除したみたいに、スカッとしてくる。いい気分。()

2012年3月5日月曜日

呼び名

童謡のCDをかけながら、車を運転しているとき、助手席に 座っていた女性が、「この歌、今は通じないわね」と笑う。『村の渡しの船頭さんは、今年六十のおじいさん』の歌だ。六十では、おじいさんには合格しないということである。よぼよぼのお爺さんでも、一生懸命に、ぎっちらぎっちらぎっちらこーーと、お船をこぐときは、元気いっぱいだぞ。みんなのお手本だぞ、という歌は、『今年八十の』とでも直さなくちゃ……ということである。

あるとき、10人ほどのグループ写真をとっているのを見ていたら、カメラを持った人が、70歳は過ぎていると思われる男性に、「おじいちゃん、もっと右に寄って」と言った。頭がちょっと禿げていたので言ってしまったのだろうが、そのときの男性は、一瞬、形相が変わられた。六十でも、七十でも、今どきの人は、爺婆呼ばわりされると、目の色が変る。要注意である。

こんなこともある。ある女性がプンプン怒っている。「そばに寄ってきた店員が、『お婆ちゃん、これ美味しいよ』だって。買おうと思ってたけど、何も買わずに出た。ほんとに失礼なヤツだわ」
ちなみに、その女性は85歳。「そんなにハラたてることないじゃないの」と、思うのだが、その真剣な顔は、まるでバカにでもされたと思っているようだった。

どこから見ても『いいおばさん』が、「おばさん」と呼ばれて不機嫌になった方もいる。日本語はちょっとしたことで、違う顔になってしまうことがあるようだ。難しい。名前が分かっておれば、名を呼ぶのだが、分からないときは、何と呼んだらいいのか迷うことがある。

去年の夏、汽車に飛び乗って汗を拭いた。後ろから、「あねはん、あねはん」という声。「あねはんとは懐かしいことばだなあ」と思っているとき、肩を叩かれた。振り向くと、「あねはん、ハンカチ落としたでよ」と、言ってくれた。
好々爺といった感じの方が、にっこりと笑っている。あねはんとは、私のことだった。私は慌ててにこにこと好々婆になってお礼を言った。

2012年3月4日日曜日

小金持ちのご老人方

日本の年寄りは、昔から無駄使いしないので、小金を貯めている方が大勢いらっしゃるらしい。「小金」というのは、どれくらいの金額なのか、ちょっと分からないのだが、まあ、常識的に考えると、差し詰め『葬式代』と、『病気したときの費用』『孫やひ孫に与える小遣い』ということか・・・。
いつまで生きているのか分からないだけに、病気した時の云々は、個人差があるだろう。

つつましい年金生活をしている老人は、収入と支出のバランスは、なるべく崩さないようにと気を付けている。日本の台所のように、借金を子に残してはならないと思うし、出来れば、虎ではないが、死んだら皮を残すくらいのことはしたい、ということで、年寄りの財布の紐は堅くなるし、10円でも安いモノを買いたいと、新聞のチラシを毎日覗く。

TVの中で、ある主婦の方が言う。「チラシを見て、少しでも安い物を買うように、努力しています。この大根は、○○マーケット、このジャガイモは、△△商店。これから、電気ポットの安い店に、見に行きますの・・・」
庶民の台所事情からすると、よくあることで、決して珍しいことではない。

こうした努力?が、本当は、巡り巡ってデフレ社会を作り、失業者を増やして、わが首を絞めて行く・・・という結果になっているようだ。

昨年、多くの人達が買い替えたTVにしても、競争社会の中で、生き残るということは、「いいモノを安くたくさん売る」ことしかないのだから、利益も少なくなるのは当然。利益を半分にして2倍の数を売ったからと言って、トントンにはならないはず。2倍の材料費と、2倍の労力が必要になるはずだ。当然、下請を締め付ける、減給、給料の高い正社員も首、給料の安い臨時職員で賄う、という図式になっていく。
ああ、どうしたらいいんかしら。めんめら庶民は・・・。

私は、少しくらい(いや、かなり)安いからといって、外国製品を買うことを改めようと思う。そちらに伸びそうな手をパシリとしばいて、日本のメーカーの品物を掴む。古女の歯ぎしりは、行動にも現さなくちゃねぇ。
そうだ、「日本製品を買いましょう」運動をしようかな。

△「・・・あのう、その高い品と安い品の差額の埋め合わせは、どこでしたらいいんかしら?」
それは、へそくりや通帳からです。お金は、使うもの。持っては死ねません。
△「病気したら、たちまち金がいるんよ」
だから、お国は、安心して病気でもボケでも、ドンとこい!」っていう福祉国家を!とお考えなんですよ。ま、十分とは言えないが、昔とちがって、今はお金がなくても、治療受けられる世の中になっていますからね。
△「そんなにうまくいくかしら・・・」
ともかく、ちょっと贅沢気分・・・とまではいかないけど、お金、使ってみましょうよ。景気回復のために。これくらいしか、国の為にできることないのよ。古女じゃあ・・・。

本当は私め、やりくり下手なので、小金持ちじゃない。預金なんか、ちょっぴりしかないけれど、日本製の大きなTV買っちゃいました。エヘン。

2012年3月3日土曜日

耳に痛いことば

以前、ネットでこんな言葉をみて、面白いと思ったので記録してありました。ご存じの方もおられると思いますが、載せます。

  高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位

深いつもりで浅いのが知恵
浅いつもりで深いのが欲

厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面の皮

強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我

多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄

なんだか耳が痛いことばです。
多かれ少なかれ、あてはまりまる人もいらっしゃるでしょうね。(笑)