2012年12月2日日曜日

エコしています


真冬のような寒い日は、寝る前に入るお風呂もたいそうになってしまいます。風呂場や脱衣所が寒いのです。ですから、脱衣所にストーブをつけたりして、温めたりするのが面倒で、顔だけ洗って寝床に潜り込むのです。最近は寝るのが遅いので、なおのこと、たいそうになります。

それでもまあ、一日おきくらいには入っていますが、お風呂に入らなくても、死ぬことはありませんし、水道代も電気代も灯油代も節約できて、エコにもつながるので、いいことずくめです。

私たちが出来ることは、こうした代金を少なくし、ゴミ袋代金を少なくすることこそが、エコ対策だと思います。

老人は、お風呂に入って身体を洗いすぎると、皮膚が痒くなりますから、石鹸など、週2回も使えばいいと思うので、そうしています。

首を痛めてからは、洗髪も週2回となりました。それでも何ともありません。髪を染めに行こうと思っていた矢先に首を痛めましたので、しばらく染めに行っていません。怖くて控えていますので、白髪も目立っています。外出するときは、ひさしのない黒い帽子を被って外出しています。女性は、めったに脱帽を強いられることもありませんのですが、ひさしのないのが室内でも目立ちません。

最近は、もう、白髪を染めるのはやめてもいいな、と思うようになりました。鏡の中の顔と馴染みができたのか、あまり気にならなくなりました。

お写真で拝見するかぎりでは、天皇家ご一家は、皆さん、髪は染めていらっしゃいません。とても自然で上品でいらっしゃいます。そんなご一家をまねても、自然で上品というわけにはまいりませんが、首が完全に治っても、白髪はそのままにしておこうと、思っています。

全髪が真っ白にはなれないのですが、(黒い髪とまじっていますので)染めた部分と白髪の部分が、際立ってきますと、皆さん、我慢ができなくなってしまうらしいです。白髪の似合う年なのですから、頑張ります。

こうして、ブログに書いてしまうと、三日坊主というわけにはいきませんしね。(^^)

 

2012年12月1日土曜日

被災地の市長さん


師走に入ったとたんに、冷たい風が吹きまくりました。そんな寒い一日でしたが、被災地福島県の相馬市市長・立谷秀清さんが、徳島にわざわざいらっしゃって、私たちに精一杯の復興の様子を語ってくださいました。勇敢にも、津波に立ち向かい、犠牲になった消防団第九分団長の稲山正弘さんの話は、涙と嗚咽を堪えることができませんでした。荼毘にふそうとするとき、母親がその棺にすがりつき「マサヒロ―、偉いどー。偉かったなー。偉いどー」と叫ぶ、その声を聞いた姉が、両手を天に突き上げて、絞り出すような声で「ばんざーい!」……と。

こんな母や妻子を残して逝った方たちの思いをしっかと受け止め、市長さんは出来うる限りのことをなさっておられます。

そして私たちに、まったく知らされていなかった衆議院候補者の仙谷由人さんの働きを知らされました。市長さんは、「日本のたくさんの政治家の中で、一番私等のために、真剣に取り組んでくれたのは、間違いなく仙谷さんだった。徳島の人は、多分知らんでしょう。仙谷さんがいなかったら、どうなっていただろう、東北の復興は、仙谷さんのリードで、次々と問題が解決されていったのです」とおっしゃってくださいました。
市長さんの相談に、真剣に考えてよい道をさぐってくださったのも仙谷さんだったそうです。政府も官僚も、今、すぐ必要なことが、すぐに出来ないという【法・条例】という壁があって、待たされるのだが、仙谷さんは、「こんな非常時に、そんなこと言っておれるか」と、またたく間に官僚や条例もねじふせてくださったし、実に罹災者の気持ちや心を大切にしてくださり、そういう事の出来る政治家で、人情のとても厚い方だと、おっしゃるのです。仙谷さんには、感謝してもしきれないと、ただごとでない褒めようでした。

私は、長年仙谷さんを支援してきましたが、こうしたご自分の働きをまったく語りませんから、復興のために、日本で一番頼りになったなどということばを聞きますと、「道理で徳島にはほとんどお帰りになれなかったのは当然」と思うのでした。

徳島駅前で、街宣車に乗っての演説も聞きました。「徳島で、仙谷さんが苦戦していると聞き、これはどんなことがあっても国会に帰ってきて貰わねばと思って飛んできたと、道行く人達に叫んでおられました。巷では、【虚像の仙谷】が、まことしやかにささやかれています。そんな虚像を打ち砕くため、「花の会」も頑張っていますが、仙谷さんの政治家としての資質を見抜いている市長さんに、「あなたも、まちがいなく、素晴らしい市長さんですね。復興、頑張ってください」の声援をおくりました。いい日でした。

 

2012年11月30日金曜日

停電


11月27日の北海道の暴風雪で、停電があちこちに起こり、中でも、登別では、鉄塔の倒壊で、停電が何日も続いて、大変なことになりました。やっと、本日15時45分に全面復旧したということですから、3日間も、この寒いときの停電は、さぞ震えあがったことでしょう。

私が12歳までいた当時の北海道は、殆どが石炭ストーブか、薪ストーブでしたから、冬場の停電があっても、震えることはありませんでした。(雪が降りますと、電線に雪が積もって、その重みで垂れさがり、停電するのです。)

今はもう石炭ストーブなど、ほとんどありませんし、薪ストーブも、田舎の薪が手に入るところでは使っているでしょうが、ほとんどは煙突を付けた石油の大型ストーブで暖をとっているので、停電となると、何の役にもたたぬストーブになってしまいます。幸いにも、電池で火をつける式のストーブでもあれば、少しはましでしょうが、なんせ、0度以下になる北海道では、あまり役にはたたないのではないでしょうか。

北海道の人達は、寒さには、あまり強くありません。ちょっと寒くなると、すぐにストーブをつける習慣なのです。真冬でも、裸になれるほど部屋を温めます。私の家でも、寒い日は、煙突の半分も真っ赤になるくらい石炭や薪をくべてガンガン燃やしていました。

私たち一家が、四国に来て初めての冬を迎えた時は、とても寒くて北海道では経験しなかった辛い思いをしました。火鉢と炬燵しかないのですから。冬の寒さ対策がこんなにも違うものかと思いました。

今のように、各家庭の暖房が十分整ってきたのは、戦後、かなりして、石油ストーブや冷暖房付きのエアコンなどが普及してからでした。

停電中、登別の方々は、「電気がこんなにもありがたいものかと、つくづく思いました」とおっしゃっていました。

私たちの生活は、電気がないと、水も使えない、トイレも使えない、ご飯も炊けない、電話も使えない、という状態になってしまうのですから、情けないものです。あまりにも、便利になり過ぎた生活に、慣れ切ってしまった私たちです。こうした生活を50年前に返すことは、なかなかできそうにありません。いろいろと考えさせられた【停電】でした。

2012年11月29日木曜日

小さな幸せ


「あなたは幸せですか?」と尋ねられたら、私はすぐに「まあまあ、幸せと思っています」と答えます。「幸せ」というのは、その人の個人的満足感というか、思いであって、他人の目では測れるものではありません。それぞれの持っている幸せ袋に、何を入れているかによって、違ってきます。

私の「幸せ袋」の中には、大したものはありません。でも、けっこう入っています。まず「自分も家族も、まあまあ健康」という幸せがあります。贅沢しなければ、何とか暮らしていけるという「生活の安定」といった幸せ。家族や周りの人たちと、いつも「心おだやかに過ごせる」そして、「まだやりたいことがある」「いい友人に恵まれている」などの幸せが入っています。改めて取り出して並べて見れば、袋の中身はいたって平凡です。でも、この平凡の中に満足できる自分があってこその幸せ、というのが本当のところでしょう。

身のほどを知る、もっと沢山を望まない、他人さまを羨まない、急がず、焦らず、自らの足にあった速度を守り、やりたいことだけコツコツとやっていく、……こうしたことが、私の生き方なので、体調を崩すようなストレスもなく、いたって平凡な毎日です。トシを考えず、欲張りすぎて忙しく、ゆとりのないことが、問題かもしれません。

誰もが行き着く先が、「死」であることを思えば、争うことの無意味さ、競い合うことの無駄、こうしたことをしっかりと噛みしめて生きていきたいと思っています。

世の中には、いろいろな老人がおりますが、多分、幸せ袋に詰め込んでいるものが、あるいは詰め込もうとしているものが、よく似たもののように感じます。
過去に詰めたものが抜け落ちたり、偽物だったり、思い違いだったり……ということがあったにしても、今は、それぞれが、ささやかであっても、「本物の幸せ」を求めていらっしゃるのではないでしょうか。


「幸せは歩いてこない だーーから歩いて行くんだよーー」という歌がありましたが、元来幸せになるためには、自分から歩いていくことが大切なんだと思います。目の前に落ちている小さな幸せを拾うことが出来るか、綺麗な小石を拾っても、いい音楽を聴いても、幸せを感じ、感謝できるか、そのへんで、どうもその人の『幸せ袋の重さ』がきまるのではないかと思うのです。 

 

2012年11月28日水曜日

寒い朝


寒くなると、身を縮ませているせいか、気持ちまで縮んでしまいそうです。徳島も、山間部の今朝は氷点下になっていました。と言いましても、平年気温を下回っているわけではありません。たかだか数十年前の11月末の寒さは、かなりの寒さだったように思います。
家の作り、暖房器具、衣服、といったものが、以前とはかなり違うこともあるのでしょうが、それでも平地であっても、洗濯ものが凍って、手ぬぐいが薄焼き煎餅のように固くなったこも、めずらしくはありませんでした。

今朝、テレビを見ていますと、この100年ほどで、海水の温度が1度以上あがっているとのことでした。たった1度少々、と思うのですが、そのおかげで、海中の生き物の生態系が、変わってしまうようで、私のような素人は、「へえー、そんなものなのかなあ」と驚きでした。
海の中の緑の海草が、少なくなつて、砂漠化しているのだそうです。

それは、アワビのような生き物にとっては、食べ物がなくなっていくということですから、死活問題で、すでに、アワビの捕獲は、ぐっと減少してしまったそうです。
その原因というのは、海水の温度が低かったときは、冬場は海の底でじっとしていたウニどもが、冬がきても、じっとしておらず、海草をたべ、どんどん増え続けた結果といいますから、【風が吹けば桶屋が儲かる】じゃありませんが、地球の温暖化が、ウニの増加、そうして海底の砂漠化、アワビの激減と、さまざまな変化をもたらしている、ということで、たかが1度、されど1度、でありまして、1度くらい、などと言ってはおれないのが現状のようです。ウニの捕獲作業もしているらしいのですが、この温暖化は、今すぐにどうにかなるものでもないだけに、困った現象です。

私は、死ぬまでアワビを食べなくても平気ですが、コトは、アワビだけの問題ではありませんから、いろいろな不都合が起こってきます。すでに、問題は出ています。せめて私たちの生活の中で、温暖化防止に役立つ省エネなどをこつこつと実行していくことしかなさそうです。

2012年11月27日火曜日

責任


以前、ブログにも書いたかもわからないのですが、何度でも書きたい思いなので、書いておきます。最近、一握りではありますが、戦争を知っている者の孫や曾孫たちが、「これが子どものすることか?」というような社会的問題を引き起こしています。親の責任を問うならば、その親を育てた祖父母の責任も問わねばならないかもしれません。考えようによっては、これも戦争に負けたための結果だと言えないこともない、と私は受け止めています。

戦後の親たちは、子どもに食べさせるだけが、精いっぱいでした。『鍵っ子』という言葉も生まれました。
そのうち、高度成長期に入って、ちょっと生活に余裕が出来てくると、贅沢の味を知らずに大きくなった親たちの愛情は、子どもに不自由はさせまいと、モノだけはどんどんと買い与えました。子どもの心を育てることは二の次になったように思います。
 
そうした子どもたちが、子どもを生んで親になったのです。はたして、うまく我が子の心を育てることが出来たのでしょうか……。ある記事によりますと、非行に走る子どものほとんどの家庭に、仏壇がないそうです。核家族というのでしょうか。母親たちは、経済的自立、あるいは生活を豊かにするためにと、家をカラッポにして働きました。仏壇はなくともテレビはどこの家庭にもある時代です。子どもたちは、毎日愛情の薄い、テレビやテレビゲームにお守りをしてもらっていたのです。そのテレビやゲームたるや、スイッチ一つで、極悪非道な犯罪、人殺しが、まるで日常茶飯事のように画面から放射されてきます。自分とは無関係なはずの事件が、何でもない、当たり前のことのように、幼い頭に刷り込まれていても不思議ではありません。
 
その結果、一部とはいえ、子どもでありながら、殺人、強盗、虐めと、まるで想像もつかないほどのことをやってのけるようになったのでは・・・と思えなくもありません。

こうした現実に追い討ちをかけてきたのが、戦後教育だったようにも思います。はき違えた自由主義や個性尊重がどういうことになったかは、結果が物語っています。

いやな予感も頭をよぎります。今は、わずかの子ども達の引き起こす事件ではありますが、将来は、もっともっと増えていくのではないかと思うのです。一部の子どもの悪事なども、まるで子ども全体の問題のように報じられることで、健全な子どもたちまで、汚染されて行くような危険を感じるのは、私だけでしょうか。

戦後六十数年とはいえ、長い歴史の中での、たった六十数年間での、世の中の変わりようが、あまりにも大きく、そしてあまりにも嘆かわしいことに、なすすべのない一老人です。

これはやはり、政治も、しっかりと教育に力をいれていただかねばと思います。

何もしていないと言われる民主党ですが、長い自民党政権時代になしえなかった教育の改革をしてくださいました。進学の格差を縮めたり、35人学級で、教育体制の充実を計ったり、こうした政治が、これからも、人作りに、まさにコンクリートから人への政治がつづけられることを、祈って止みません。そして、戦争の悲惨さを繰り返すような、平和日本を覆すようなことのないよう、私たちは、目を光らせていこうではありませんか。

 

2012年11月26日月曜日

軍隊を作るの賛成?


今朝の新聞をみて驚きました。自民党支持率が24%、民主10%だというのです。このまま、自民党の安倍さんが、一国の主になれば、平和憲法の中の第9条を改正し、自衛隊を軍隊にして、いくことになるのです。

日本は、こうした方向にすすんで行ってもいいということなのでしょうか。

出世魚と呼ばれている魚があります。成長すると名が変わっていく魚のことをいいます。

自衛隊も、名が変わってきました。自衛隊の元祖は、警察予備隊です。それが保安隊、自衛隊、そして今度は軍隊らしいです。

安倍さんが、はっきりと言っています。自民党は、恐ろしいことを考えている、と言っても過言ではないのです。自民党のお偉い方たちのほとんどは、世襲議員で、親も自分も戦争の苦労など知らないのでしょう。

自衛隊は、今のところ、憲法9条というイケスの中のものですが、そのイケスも取り壊してしまうらしいのです。

このイケス、かなりの犠牲でこしらえたものなので、その犠牲を強いられた者にとりましては、平和の有難さが身にしみこんでおるものですから、怖くてなりません。「戦争を怖がるのは腰くだけ」というようなことをいう太陽族もいます。そんな人たちは、戦争を知りません。昭和一けた生まれであっても、家が裕福であったりして、悲惨な生活はしていません。こんな人たちが、政治家になって、核をもったり、軍人を戦争にかりだしたりする。そんな人たちの子や孫だけで、戦争してくれるのでしょうか。平和ボケした人たちが巻き起こす戦争に巻き込まれるのは、まっぴらです。一時のパフォーマンスに目がくらんで、古い時代に逆行しようとしている大衆に、大手新聞もメディアも、何の警笛も鳴らさないのは、どうしてなのでしょうか。

せっかく、この3年半で、多くの庶民に優しく、人間らしい政治へと、足を地につけて民主党はやってきたと思います。せっかく変わりつつあったのに、残念でなりません。
(昨日に引き続き、私め、歯ぎしり古女となりましたが、お許しください。m(_ _)m)