2015年4月29日水曜日

№921  短歌 


 短歌を作ることにはご縁のない私ですが、先日、短歌界では有名でいらっしゃる伊藤一彦先生をお迎えして開かれた会での公演【現代短歌の魅力】というお話を聴きに行きました。(【心の花】短歌会主催)お話を聴きながら、「短歌に限らず、エッセイでも何でも同じだ」ということがあって、いい勉強になりました。以下、心に残ったことを書いてみます。

・作品は、【寝かせる】ことが大切。 その時は、感動して作るので、いい出来のように思っても、翌日になって読んでみると、出来がよくない、ということは、よくあること。……私も、駄文ですが、読み返すたびに直したいところが目につきます。読み返すひまのないまま、挙げているブログなどは、作品などではないので、あとからは読み返したくないですねえ。

・短歌は575という短い形ではあるが、自分の心の中を引き出してくれる。心に秘められている部分、奥深い部分を、引き出してくれるのが短歌。であるので、短歌は、カウンセリングのようなもの。歌は、心のカウンセリラー。悩み、苦しみ、重圧というようなものを、歌の神様に聞いてもらう。……なるほどなあ。そういうことも、短歌の魅力なんだ、と思わず目の鱗がはがれたような気分でした。歌集などは、よく読ませていただくのですが、いい歌、感動する歌というのは、こういう心の中を言い表しているものが、とても気持ちに響くものです。

・こうした、自分の心を言い表すという魅力があって、短歌は、1300年もの長い間、続いてきた。昔の人と同じ土俵で作れる。そして誰でもが作れるものである。老人でも、若い人でも、刑務所に入っている人であっても、日本語と、形式さえしっていたら、どこででも作れるのが魅力である。……何だか、私にも短歌を作りたいという気持ちが沸いてきました。いえ、気持ちだけで、つくりませんけれど。短歌にまで首をつっこみますと、頭が混乱して虻蜂取らずになること請け合いですから。(笑)

・自分が短歌を作ると、他人の短歌を読む喜びが生まれる。……その通りです。分かります。

・【心の花】という名称は、歌は心の花である、ということで、付けられた名。そして、各々の個性を大切にしている。幅広い歌人が出ているが、【白蓮】のような歌人であっても、大らかで咎められることはなかった。そして、その地方、風土に根差した歌人が、特色のあるいい歌を作っている。……なるほど。

・人間は、欲望を太らせて行く。それで幸せになれるか? 自分の身の丈に合わせて、つつましく生きることが、幸せに通じる。……もっともなことだと思いました。私が自分を不幸と思わず、十分幸せと思えるのは、身の丈を知っているからだと思いました。(^^)

2015年4月27日月曜日

№920 忙しい朝

 どうも雑事が多くて一日の24時間という長さが、とても短くなってきた。そのはずだ。何をするにも、時間がかかるようになっているからで、これは、仕方のないことだろう。


朝、5時には目を覚ます。5時間ほどは、眠っていることになる。トイレに行っても、また蒲団に入る。蒲団の中で、しばらく身体を動かしたりしながら、強張っている骨や筋肉をほぐすのだが、その時間も長くなった。時にはぼーっとして、夢見心地のまま、1時間も過ごすことがある。

6時近くになって起き上がってからも、洗顔、着替えがまた大変だ。テレビの天気予報をみて、シャツは、靴下は、と寒さ暑さに耐えうるように選ぶのだ。一度着てしまうと、脱いだり着たりはあまりしないので慎重だ。(笑)その日の日程によって、会があったり、お葬式があったりすると、それなりに考えて下着から選ばねばならない。

化粧ということもしなくては顔がもたない。女のたしなみだの、身だしなみと言えば聞こえがいいが、もう素肌のスッピンでは、自分でも見たくない。まして他人様の目を、驚かしたりしてはいけない。いつも化粧をしてきた者が、スッピンで顔を出すと、向こうさんが困るだろう。

化粧には、パワーがあるとか言われていて、老人施設などでは、しきりにすすめられているのだが、なかなか難しい。慣れてはいるものの、粉ふき吊るし柿のようになっては困る。化粧などしていませんよ、といったように、自然な顔を作らねばならない。けっこう手間暇かかる。

朝食の準備というのもある。食事には、お金はかけないが、栄養面では気をつけているつもりだ。一日30品目などと昔はいわれていたが、今は、それほど言われていないのは、あまり気を使わずに、何でも食べたらいいということだろう。私は以前から、110品目主義で、10品目揃うまで、冷蔵庫の中をかき回して引っ張り出す。ラッキョウでも胡麻でも、マヨネーズ、なんでも加えて10品にしてしまう。案外簡単なのだ。具だくさんの汁ものには、5品目は揃う。それに卵、主食、漬物だけでも、8品。ホウレンソウのおひたしに、胡麻をかけたら10品目になってしまう。

洗濯、掃除なども書くつもりだつたが、選挙の放送など見てていたものだから、今日のことになりそうにないので、ここらで置いて。おこう。あ、まにあわないかな。

 

2015年4月22日水曜日

№919 百舌の会


 徳島市近郊に住む仲良し同級生が、10人ほど集まって、1か月に1度、昼食をしながらおしゃべりをする会を百舌の会と名付けて楽しんで来たのだが、最近は諸事情で集まりが悪くなってきた。今日は5人しか集まらなかった。諸事情とは、体調不良ということなのだが、集まった5人が、全員元気というわけではない。杖をついたり、病院通いをしていたり、要支援だったりと、けっこう頑張って出てきている。

同じホテルで、私たちと同じような仲良しグループと出会った。この数名のグループは、何と、毎週水曜日に集まるという元気者揃いだ。トシは私たちと変わらないはずだが、どう見ても我々グループより若いし、第一歩き方が違うし、背すじも伸びている。

ひょっと思った。月1と、週1の違いかもしれないと。(笑)

 私のように、雑用を抱えて出歩いている者にも、月1のミニ同窓会は、楽しみなのだ。まして、いつも家庭の主婦だけをやっている方たちにとってのおしゃべり会は、生活の中の核ほどに、発電機の役目を果たしているのではなかろうか。

 そういうことであれば、私たちも、週1のおしゃべり会にしたのが、これからますます進む老化の歯止めになるのでは、ということを私の一人合点て思ったのだ。

 しかしこれは、なかなか実現できそうにない。要支援に来てくださる日、病院に行く日、ディサービスに行く日なんて、それぞれが言い出すと、曜日を決めることは難しい。出来そうなのは、「次はいつ集まれるか」と、相談しながら次回の日を決めることくらいで、月3回も集まることができれば、オンの字だろう。

 私も繕いながらのカラ元気なのだから、人様の心配どころではないのだが、「これからは、家に籠って孤独に暮らすよりも、友達の絆を強くして、お互い励ましたり頑張ったりしていくことの大切さ」を、退職後から言ってきた者なので、ついついお節介になってくる。

 さて、次回はいつになるかな?

2015年4月20日月曜日

№918 ロコモ


  ロコモということばがよく目につく。私も始めて知ったのは、去年、子どもたちの足腰が弱くなっていて、それをロコモ症候群とか言っていたのをテレビで見たからだ。一口に言うと、立ったり歩いたりすることが問題で、足腰が弱って来た状態を【ロコモ】などと、分かりにくいコトバで言っているだけのことなのだ。

 私も、①歩く速度が遅くなったし、②階段、特に降りるときは、手すりを使わないと、不安になって来た。そして、③椅子から立ち上がったり、車の運転席から降りる時など、足腰の痛みを感じたりするのだ。この衰えの順番は、およそ決まっているという。完璧にロコモなのだ。

ま、子どもと違って当然なのだが、足腰も道具と考えると、長持ちさせるためには、使い方と運動と手入れが大切と、いうことであろう。

よく、高齢者が転んで骨折したりして入院などすると、寝たきりになってしまうので転ばぬように、と言われている。結局、運動をしないで寝ていると、骨は分解されつづけ、筋肉は減りつづけて、骨や筋肉が作られず、歩けなくなるのだ。

高齢者でも、ロコモじゃない人が骨折して寝込んでも、その後もまた歩けるらしいので、普段から、【歩く】力をしっかりと維持していかねばならない、ということだ。

ただ、ロコモであっても、運動の継続で、改善されていくらしいので、無理せずに、(ガンガンやらずに)片足立ちや、スクワットなど、負担のかからぬ程度にトレーニングを続けることが、『歩ける生活』を続けていくために必要と言われている。

私はというと、台を上がったり降りたりの運動を1日30分続けたいと思っているのだが、20分で止めてしまったり、しんどくて、まったくしない日があったり、ということが多くなった。時間は短くても、しないよりましだろう。できれば毎日出来るように頑張ってみよう。

2015年4月18日土曜日

№917 またまた訃報


 昨日、またまた訃報が入り、慌ただしい一日だつた。一年前、癌が見つかって、闘病生活をおくっていた○子が、やっと退院できたことを喜んだのが昨年12月。それから2カ月たった頃、再度入院したと聞き、心配していたのだが、急に亡くなったという。朝、新聞の死亡欄を見たA子から、驚きの電話があった。A子も入院中で動きがとれない。
 さっそく問い合わせたところ、その日のお葬式である。慌てて10人ほどに連絡。行きたいけどバスでは間に合わないというB子の家に車で迎えに行き、葬儀場へ駆けつけた。葬儀に出たくても、もう体力的に行かれない方、とか遠方の方もあり、結局4人がお別れしてきた。

 気分は落ち込んでいたが、行けなかった皆さんに、○子が穏やかな寝顔だったことや、末期のご様子などを連絡して、一日が終わった。

 思えば、今年になって、友人知人の体調は、著しく変わってきた。A子は先日他界。B子は入院、C子は倒れて救急車に乗せられる。(1週間で退院出来てよかった)D子は、毎月の例会は、徳島では無理というし、E子は、もうその日の体調や天候によっては、外には出られないという。

 考えてみれば、このトシになれば、当然のことなのだ。一日一日が、綱渡りのようなものである。ま、そのわりには皆さん、気を張っていらして、前向きに生きているので、からりとしているし、口はたつのが何よりだ。

 とは言いながら、80歳後半からの体力維持の難しさは、体験してみて初めて分かることだ。ただ言えることは、健康寿命を延ばそうと思っている方たちは、それなりの努力をされている。やはり60歳、あるいは仕事を離れた時を機に、長期の計画を立てて、たゆまぬ努力をすることが大切なのだろう。心身共に、ということを忘れずに……。

2015年4月15日水曜日

№916 年金その月暮らし


 年金で、【その月暮らし】をしていますと、「ああ、415日は年金の入ってくる日か」と、何となくほっとして、家計簿を開きます。私の家計簿は、大まかなものなのですが、特別な出費がなければ、何とかやりくりが出来ています。いや、できなければ困ると思ってやりくりしています。年金だけが命綱なのですから。

年金はとても有難いものです。かなり昔になりますが、年金を始めて頂いた日の感激は、今も忘れていません。働いていないのに、お金を振り込んで頂けるのですから、有難い制度だと感謝しました。そして健気にも、身体の動く間は、世のため人のために小さなことでも何かしなければいけないなあと、思ったのです。たくさんの人達に、支えられての年金なのですから。(口は何とでも言えますが、身体はついて行きませんね)

もし、この国がおかしくなって、年金がちょっぴりになってしまったら、どうなるか、と思うことがあります。今更働くといっても、何一つできません。ま、戦後を生き伸びてきたのですから、最低の生活をせよ、と言われたら出来ないことはありませんが、でも、そんな時代になっては困ります。

途方も無い借金を背負っている我が国です。景気回復という麻薬のような言葉に酔うことは危険と心得ていますし、勢いに乗った自民党の右肩あがりの政治を、監視する民主党に頑張って貰いたいと、思う気持ちは変わりません。今日も、花の会の世話人の一員として、ちょっぴりですが、出版物発送のお手伝いをさせていただきました。そろそろ、お邪魔虫と思いつつ、猫の手よりましかと、出掛けています。ま、これもいつまで続くか分かりませんが……。

2015年4月13日月曜日

№915 政治家と政治屋


 先日からの雨続きには、気も湿ってしまう。天気を気にしなければならないような生活とは無縁なのだが、何らかの選挙がある日は、雨などが降ると、投票率が悪くなるようなので、なるべくなら、雨など降らないでほしいもの。

昨日の知事選挙と、県会議員の選挙では、日本全体では、選挙日としては、あまり良くない日だったらしく、投票率はかなり悪かったようだ。

 当選結果が新聞に出ている。ずらり当選者の名がならんでいるが、果たしてこの中に、「立派な政治家」ということになると、どれだけの方が、いらっしゃるのかと思う。政党など関係なく、どの政党であれ、本気で国を、県を、人々を思って仕事をするか、ということだ。その人間の質、人格、知性、器、と、考えてみると、選挙民には、よくは分からない。反物のように、手に取って、裏表を確かめることが出来ないだけに、騙されやすい。舌を何枚も持つエセ政治家もいらっしゃるだろう。ワルの燻製みたいなヤツ、自分の儲けだけに議員になるような人もいるにちがいない。

 それにしても、選挙とは厳しいものだ。A級と思われた実績のある立派な県会議員さんは、十数票の差で落選されている。党にとっても、県にとっても、大きな損害だろう。

 棄権は危険なのだ。益々社会が政治屋の思うままになっていくだろう。これからの若者たちは、もっと政治に関心をもっていただきたいものである。