2018年6月10日日曜日

№1211 ニュースをみながら


昔、〝七つ下がりの雨は止まないという諺があったが、これは、ある年齢からの、のめり込みを危惧したものによく使われてきたようだ。例えば年寄りのイロコイののめり込みや、博打等によく使われたようだ。

何かを心配させるようなことは、色恋や博打に限らない。近頃の雨の降りよう、お天気のこと、あるいはいつ新聞を開いても、汚い地金を見せつけられるような記事など等が続くと、いったいこの先、どうなるのかと危惧するものである。

大自然の災害も、人間の力の及ぶところではないとは言いきれなくなってきた。気温の上昇なども、環境汚染などによるものも大きく、そのツケが回ってきたに違いない。

また人間社会においては、その人の質や格の良し悪しは、なかなか見た目では分かりにくい。反物のように裏、表など確かめはできないし、その人間の持つ器というか、持って生まれた天性のようなものもあるだろう。人を選ぶことの難しさも良く解る。

とはいうものの、何であれ、トップに立つ人たちの良し悪しによっては、その傘下にある人たちを幸せにも不幸にもさせてしまうことがあるから怖い。

最近のニュースをみながら、思ったことをちょっと書いてみた。

 

2018年6月1日金曜日

№1210 同窓会


  お久しぶりです。やっと、総会やら、同窓会も5月末には終わり、欠席者にも資料を送り、一息ついています。一年ぶりの同窓会は、やはり、かなりの変化がありましたが、何とか、無事に開くことができました。(パソコンをしているということで、世話人を仰せつかっています)少し長くなりますが、ちょっと私たちの同窓会の説明をしておきます。

昔、徳島師範学校という学校がありました。今の徳島大学の前身です。私は、その師範学校の最後の年に卒業しました。

学生時代は、まだ戦後のどさくさ時代だったので、180名余りの同級生の年齢・前歴は、まちまちでした。旧中学校卒、女学校卒、代用教員の経験者、インテリ学生にミーハー族、会社員を止めての入学者、左翼運動の闘士、そして元兵隊の復員者などは軍靴を履いての通学でした。予科練の七つボタンの制服を着た姿などは何人も机の間をまかり通っていた時代でした。

豪傑も多く、それまでの師範学校生とは、かなりの違いがあったので、先生方は随分と手を焼かれたらしいのですが、その一面とても伸び伸びとした個性豊かな学年だったように思います。

 私などは、まるで子どもで、一部の学生のしっちゃかめっちゃかな行動に、眉を顰めたりしたものです。でも、今となっては、決して悪くはない体験でした。

そして昭和25年3月、めでたく全員卒業し、ほとんどは県内外の教員となりました。

教員となったものの、初任給で皮靴一足が買えなかったのですから、当時の生活は大変でした。なりふりかまわず、髪振り乱して働いていた、という時代です。

卒業後、始めて同窓会の通知をいただいたのは、卒業から、20年も後のことでした。その時の写真には、恩師数名を囲んで、真面目な教師らしい顔が並んでいます。暴れていた学生時代の顔とは違い、変われば変わるものだと感心したものです。

その後、思い出したように数回の同窓会を開いてきましたが、全員60歳を過ぎ、退職してから開いた同窓会で、『これからは同窓会を毎年やろうじゃないか。毎年会うたって、しれとる、回くらいしか会えないぞ』という提案が出ました。この提案は、みんなの耳をくすぐり、すぐに賛成の声があがりました。平成2年春でした。

その場で色々な規約が作られました。世話役は県内郡市が交代でする、昭和25年の卒業生ということで、【二五師会】という名で出発する、毎年5月か6月頃開く、など等が決まりました。二五師会は、規約通り、その後は毎年開かれました。

平成22年6月、卒業以来、25回目の同窓会のときのことです。『もう同窓会は、来年で最後としよう』という話が出されました。無理もありません。10回が20回も開くことができましたし、トシも80歳を越したのですから。

翌年、出席していた者の多くから、『まだまだ同窓会は続けられる、続けたい』という希望もわきあがったのです。そうした希望者だけで、再び同窓会は続けることとなりました。【二五師友の会】と名付け、世話役数名が中心となり、発足することとなりました。

平成24年、再出発のような友の会の発足。今年5月28日には順調に7回目の友の会を開くことが出来ました。現在会員46名海を越え、毎年集まって下さる方も数名いましたが、今年は1名となりました。昨年出席された方の内、4名の方が亡くなりましたが、30名の出席。話も弾みました。トシを寄せてからの同窓会は、心が開かれて和やかなものです。

 同窓会の話題といいますと、よく昔の思い出話に花が咲きますし、もう忘れていたようなことを思い出させてもくれます。

 何といっても嬉しいのは、健康で活き活きと活動している人たちから、元気を頂けることです。今だに山に出かけたりしている方は、姿勢から違います。そのためのトレーニングなどしているのですから見上げたものです。「人生を楽しんでいる」というのがぴったりです。長い年月を、ある時は競争し、ある時は憎み合うこともあったであろう人生から抜けて、面白く楽しく生きている、というのは、素晴らしいことです。見習いたいと思っても見習えないのが玉に傷ですが、そんな大きなことでなくてもいい「何か自分もしてみたい」という気分になれるだけでもいい刺激です。

また、一年の重みを、いやでも知らされるのも同窓会です。もう出席は出来ない方も、ぜんいんに近況報告を書いていただくので、終わった後から送くる資料を楽しみにし、皆さんの様子などを読んで、寝たきりも、自分一人ではないことに、力を得ているようです。隣に座っていたAさんが、『ここ数年は、同窓会で会うたびに、友達の変わりようを見て、自分の変わりようを知らされる』と囁いたことは、私も同感でした。それは当然のことです。幼児が成長していく急カーブのように、私たちの老化のカーブは急降下していくのですから。同じ一年であっても、六十代七十代のそれとは違います。ある学者さんの本に、【幼少時の一年は、大人の十年に匹敵する。八十代になると、その反対だ】と書いてありましたが、それは私らの一年は、若者の十年に匹敵するということです。八十代にもなりますと、自分で自分を見る鏡は曇りがちで、正しく自分を見つめることは難しくなります。でも、同級生の言動で、それなりのトシを認識出来、自分の鏡の曇りを拭うことができます。むろんそれは顔形だけではありません。

このような刺激を受けながら、人生の終焉を覚悟し、諦めと寂しさを克服していくのです。それは、これからの毎日が、大切な黄金の日々であることを自覚し、幸せに生きていかねば、という決意にもつながっていきます。

とはいいますが、もう全員が90歳前後の者ばかりです。会員は毎年減っていきます。これは致し方ありません。

長くなりましたので、このあたりで終わりますが、皆さん、全員が、来年の友の会を待っている、とのことでした。頼もしいことです。o(^^o)(o^^)o

 

2018年5月1日火曜日

№1209 暫く休みます

ブログをしばらく休みます。ブログの調子が悪くなりましたのと、忙しくなりました。

2018年4月18日水曜日

№1208 遅過ぎることはない?


以前は、健康だけが取りえと思っていた私だが、身体のあちこちから注意信号が発信され始めて久しい。まず膝が痛みだしたり、疲れが次の日に持ち越すといったようなことがはじまってきた。そのころは、トシを考えるとこんなものだろうという思いもあって、それほど気にすることもなく、まだ10年は何とか好きなことが続けられるだろうというのがホンネだった。

でも、これからの10年が、心がけ次第ということだろうという思いもあって、健康には気をつけて、いや、健康だけではなく、心を枯れさしてはならないぞ、と言い聞かせながら、お金にはならない、ま、ボランティア的なことを、けっこう身に余るほどの仕事を引き受けてきた。演劇という新しいことにも挑戦してきた。ただ、嫌いなことや、気分ののらないことには、手は出さなかった。

あの頃から10年後、80歳を迎えた頃も、口では、トシ寄ってもうあかん、などと言いながらも、「おっ、案外達者にやってきたなあ」と、内心は思っていた。(口で言うほどのことは出来ていないのだが……)

ところが、80代半ばに差し掛かる頃からは、まるで幼児が成長していくカーブのように、どんどんと体力が落ちてきた。年齢は正直やなあ……と実感している。何をしても、はかどらない。首から上も、おぼつかない。物忘れはするし、漢字は忘れるし、物探しが多くなってくる。忘れた漢字や名前等は、なるべく思い出そうと考えることにしているのだが、まさに時間の無駄遣い。自分ながらうんざりさせられる。

話をしていても、同じことを以前言ったのに、憶えていない時もある。「前にも言ったと思うけど」ということばをつけてから言い出さないと不安になることもある。

ま、潮流に逆らって泳ぐようなものなのでしかたがないのだが、健やかに、無駄なく一生を使いきることは、無理なことなのだ。

といっても、やはり一日でも長く自立していこうと思うので、努力は続けたい。努力によっては、マシになることもある。膝や腰の痛みは、TVで教えてもらった体操やストレッチでかなりよくなっている。何事も、今からでは遅過ぎる、ということはないという。無理なく楽しみながらやっていけたらと思う。

2018年4月9日月曜日

№1207 食事のありかた

 最近、庭の草取りをしたり、雑用におわれたりしていて、ブログに手が届きません。以前どこかに書いたものを、張りつけておくことにします。どこかで、読んでくださった方がいらっしゃるかもしれませんが。m(_ _::)m 

 
 食のあり方が、長寿と関係があるとか、ないとか、よく言われている。以前、ある雑誌に『長寿の食卓』というのがあった。主な執筆者は一応社会的に名の通った、長寿者またはそれに近い方たちで、食生活・健康法・人生観などを披露している。「えっ?この人がこんなに手まめに食事に気をつけているの?」と驚いたり、またその反対だったり、楽しく読んだのだが、結論から言うと、長寿とか、健康法といったものは、人それぞれであり、正解があるようでないということだった。あるお医者さんは、ほとんど食事には気を使わないし、この頃流行のメタボや栄養なんてことも当てには出来ない、とおっしゃっている。
そうかと思うと、自信をもって「手作りスープを毎日欠かさないので健康」という方もおられる。ご本人は、そのおかげで長寿と思われているので、それはそれで安心できたり納得したりということなので、いい結果と結びつくのかもしれない。寿命は、体質や遺伝、運命といったことも大きくかかわっているので食事でどうこう言うのも難しいようだ。一般的には、野菜たっぷりの『日本食』を主にして『無理・過度の疲労』『暴飲暴食・喫煙』は避ける、ということが常識のようだ。ま、当り前といえば当たり前のことであり、特別に記すことでもない。ただ、当り前のことが守られているとは限らない。

私たちは遺伝も体質も、簡単に変えることが出来ないし、元気で長生きしたいという願いは、万人共通の思いなので、体の発する声に耳を傾けながら、体に良くないことは、なるべく避けるのが賢明のようだ。

 

2018年4月2日月曜日

№1206 老いては子に……

  息子がこの3月で60歳を過ぎたので一応退職となった。しかし、続いて再雇用されたので、しばらくしは働くらしい。人生五十年から、100年と延長した昨今、60歳で隠居では身がもたないだろう。

以前、ある八十歳過ぎた方が、「『老いては子に従え』って言うけど、何歳から従ったらいいのかねえ」と、真剣に言われたことがある。運転免許を返上せよ、と子に言われたらしい。私が見ても、ちょっと不安を覚える運転技術なので、「出来るだけ運転は続けるべきよ」とは言いにくかった。

高齢者と言われながらも、まだボランティア活動に参加したり、色々と役をこなしている方たちは、少なくとも身体面、精神面共に自立なさっているのだろうから、まだ息子の言うことには耳を貸したくないようだ。反対に子が親に従うのは、随分短くなってきた。これも、時代がそうなって来たのだから、当然だろう。選挙権まであたえられている若者が、何でもかんでも親に従うはずもない。頭の古い親だっているだろうから。そんな方にかぎって気が強そうだ。

気の強かった方がお連れ合いが亡くなったとたんに、しぼんでしまう方もおられるので、油断はならない。優しい夫を亡くしたある方は、何もかも夫が管理し、それに縋っていたものだから、夫の死後は、さっぱり分からないことばかり。何事も息子に相談し、それに従う弱気な母親となってしまった。しかも、「淋しい」が口癖のようになり、友達をつかまえたら愚痴を並べるようになった。間もなく、認知になりかかっているという噂がたってしまった。単に金銭面だけではなく、身体的自立、精神的自立、社会的自立と、四面の自立のどれが欠けても子に従わねばならないときがあるようだ。

ある方の本の中に、親権ならぬ子権が親の権利を束縛する、と書かれてあった。特に、親の再婚や恋愛、家を売って有料老人施設に入居したい、といったことに、ひどく反対するらしい。その大きな理由は、親の財産を当てにしている息子や娘の不安がそうさせるという。ま、そればかりではないだろうが、昔ならこういった問題も、滅多になかった。大家族では、老後の不安も少なかったし、五十歳で独り身になっても、もう近々連れ合いを追いかけて逝かねばならない年だったはず。ひと花さかそうなんて、とても考えられなかったに違いない。

どんなときにも、「自分の幸せは、自分が決める」という自立心、そして従うべきは従うという判断力を持つ老人でありたいものである。

 

2018年3月30日金曜日

№1205 久しぶりの病院


  体調がおかしいと思って血圧を測ったら、低いはずの血圧が、158にもなっていたのが3週間くらい前だった。何となくふらふらしたり、頭が重かったりしていたのだが、そのうち治るだろうと思っていたのだが、家族に何度も言われてお医者に行った。血圧はちょっと高くなっているが、心電図は特に異状はないとのことで、お薬は出してくださったが、1回飲んだら合わないのか、気分が悪くなったので止めてしまった。10日ほど血圧を1日3度計ってくるように言われて付けていたが、朝は105くらいで一寸仕事すると150になったりの変化はあるのだが、気分はまあまあというと、お医者さんは、「トシなので、高くなっても普通は、大したことはないから、あまり気にせずに」とのこと。(笑) 

久しぶりに医者に行き、出してくれた薬が、身体に合わなかったというのが、何とも可笑しかった。

丁度時期を同じくして、ママ(嫁)のお父さんが急に救急者で運ばれて危篤状態のようになり、心配したりしたものだから、血圧の上下も、関係したのだろう。東京の孫も飛んで帰ってきたりの、てんやわんやだったが、お蔭でお父さんも山を越して安心。一昨日は、とてもよくなっていて、驚いたほどだった。

 ふらふらしていると、万一転倒でもしたら大変と思ってのろのろと歩いたりしていたものだから、治っても、歩き方はのろのろになったままだ。まだ怖いのだ。「このトシになると、病気がよくなっても、もとに戻ることなく、だんだんと老けこんでいくらしい」と感じた。ま、当然のことだろう。さっさと終活をしなければと思っている。