お久しぶりです。やっと、総会やら、同窓会も5月末には終わり、欠席者にも資料を送り、一息ついています。一年ぶりの同窓会は、やはり、かなりの変化がありましたが、何とか、無事に開くことができました。(パソコンをしているということで、世話人を仰せつかっています)少し長くなりますが、ちょっと私たちの同窓会の説明をしておきます。
昔、徳島師範学校という学校がありました。今の徳島大学の前身です。私は、その師範学校の最後の年に卒業しました。
学生時代は、まだ戦後のどさくさ時代だったので、180名余りの同級生の年齢・前歴は、まちまちでした。旧中学校卒、女学校卒、代用教員の経験者、インテリ学生にミーハー族、会社員を止めての入学者、左翼運動の闘士、そして元兵隊の復員者などは軍靴を履いての通学でした。予科練の七つボタンの制服を着た姿などは何人も机の間をまかり通っていた時代でした。
豪傑も多く、それまでの師範学校生とは、かなりの違いがあったので、先生方は随分と手を焼かれたらしいのですが、その一面とても伸び伸びとした個性豊かな学年だったように思います。
私などは、まるで子どもで、一部の学生のしっちゃかめっちゃかな行動に、眉を顰めたりしたものです。でも、今となっては、決して悪くはない体験でした。
そして昭和25年3月、めでたく全員卒業し、ほとんどは県内外の教員となりました。
教員となったものの、初任給で皮靴一足が買えなかったのですから、当時の生活は大変でした。なりふりかまわず、髪振り乱して働いていた、という時代です。
卒業後、始めて同窓会の通知をいただいたのは、卒業から、20年も後のことでした。その時の写真には、恩師数名を囲んで、真面目な教師らしい顔が並んでいます。暴れていた学生時代の顔とは違い、変われば変わるものだと感心したものです。
その後、思い出したように数回の同窓会を開いてきましたが、全員60歳を過ぎ、退職してから開いた同窓会で、『これからは同窓会を毎年やろうじゃないか。毎年会うたって、しれとる、回くらいしか会えないぞ』という提案が出ました。この提案は、みんなの耳をくすぐり、すぐに賛成の声があがりました。平成2年春でした。
その場で色々な規約が作られました。世話役は県内郡市が交代でする、昭和25年の卒業生ということで、【二五師会】という名で出発する、毎年5月か6月頃開く、など等が決まりました。二五師会は、規約通り、その後は毎年開かれました。
平成22年6月、卒業以来、25回目の同窓会のときのことです。『もう同窓会は、来年で最後としよう』という話が出されました。無理もありません。10回が20回も開くことができましたし、トシも80歳を越したのですから。
翌年、出席していた者の多くから、『まだまだ同窓会は続けられる、続けたい』という希望もわきあがったのです。そうした希望者だけで、再び同窓会は続けることとなりました。【二五師友の会】と名付け、世話役数名が中心となり、発足することとなりました。
平成24年、再出発のような友の会の発足。今年5月28日には順調に7回目の友の会を開くことが出来ました。現在会員46名海を越え、毎年集まって下さる方も数名いましたが、今年は1名となりました。昨年出席された方の内、4名の方が亡くなりましたが、30名の出席。話も弾みました。トシを寄せてからの同窓会は、心が開かれて和やかなものです。
同窓会の話題といいますと、よく昔の思い出話に花が咲きますし、もう忘れていたようなことを思い出させてもくれます。
何といっても嬉しいのは、健康で活き活きと活動している人たちから、元気を頂けることです。今だに山に出かけたりしている方は、姿勢から違います。そのためのトレーニングなどしているのですから見上げたものです。「人生を楽しんでいる」というのがぴったりです。長い年月を、ある時は競争し、ある時は憎み合うこともあったであろう人生から抜けて、面白く楽しく生きている、というのは、素晴らしいことです。見習いたいと思っても見習えないのが玉に傷ですが、そんな大きなことでなくてもいい「何か自分もしてみたい」という気分になれるだけでもいい刺激です。
また、一年の重みを、いやでも知らされるのも同窓会です。もう出席は出来ない方も、ぜんいんに近況報告を書いていただくので、終わった後から送くる資料を楽しみにし、皆さんの様子などを読んで、寝たきりも、自分一人ではないことに、力を得ているようです。隣に座っていたAさんが、『ここ数年は、同窓会で会うたびに、友達の変わりようを見て、自分の変わりようを知らされる』と囁いたことは、私も同感でした。それは当然のことです。幼児が成長していく急カーブのように、私たちの老化のカーブは急降下していくのですから。同じ一年であっても、六十代七十代のそれとは違います。ある学者さんの本に、【幼少時の一年は、大人の十年に匹敵する。八十代になると、その反対だ】と書いてありましたが、それは私らの一年は、若者の十年に匹敵するということです。八十代にもなりますと、自分で自分を見る鏡は曇りがちで、正しく自分を見つめることは難しくなります。でも、同級生の言動で、それなりのトシを認識出来、自分の鏡の曇りを拭うことができます。むろんそれは顔形だけではありません。
このような刺激を受けながら、人生の終焉を覚悟し、諦めと寂しさを克服していくのです。それは、これからの毎日が、大切な黄金の日々であることを自覚し、幸せに生きていかねば、という決意にもつながっていきます。
とはいいますが、もう全員が90歳前後の者ばかりです。会員は毎年減っていきます。これは致し方ありません。
長くなりましたので、このあたりで終わりますが、皆さん、全員が、来年の友の会を待っている、とのことでした。頼もしいことです。o(^^o)(o^^)o