地下鉄サリン事件に係わったオウム真理教の教祖、麻原彰晃と、その弟子数人の死刑が行われたニュースが世界を走った。このサリン事件は、忘れられない事件なので、当時のことを思い出して、いろいろと考えさせられた。
裁判のとき、「弟子たちが止めるのを聞かずに暴走した」と言って責任を弟子になすりつけた卑劣な男が、いかに出鱈目な宗教団体といはいえ教祖であったのだから、教祖を信じて入団した人たちは、本当は気の毒な人たちだった。弟子の中には、人殺しにかなり抵抗があったと弁明していた人もいた。
入団し、マイルドコントロールされていくうちに、人を殺すことが平気になるのは、不思議ではない。こうした経験者と、麻原彰晃と並べて同時に死刑執行というのは、何となく腑に落ちない。罪の重さも同じように感じられるからだ。
死刑囚となった弟子たちは、深く反省しているだろうし、教祖ほどの卑劣な人間ではないだろう。せめてこの世のために何かを残してもらいたかったと思った。
戦争の殺し合いも似ている。長年かけて、国のためなら、人殺しも出来る人間になっていく。死刑廃止を唱えるのも、決して悪いことではない。そうしたことを唱えるのであれば、戦争など、決してしない国にならねばならないだろう。