2015年3月31日火曜日

№908 年度末

 3月は、何となく気忙しい月でしたが、本日が最後となりました。
 今日は、文芸協会の会計監査の日でした。事務局である我が家で、係の方などで致しました。会計係の方は、元銀行員、ということで、きっちりと処理をしていただいてますので、鬼に金棒です。
 もう、3月末の転勤だの移動だのということは卒業していますので、そうした煩わしさもなく、のんびり出来るはずの3月ですが、「あれっ、あの子は、もう中学卒業かしら」とか、「○子さんは、大学出たのかな」とか、熨斗袋を用意したりするのも3月。
 庭の雑草が、待ってましたとばかりに、天を突く勢いで伸び始めています。蕗が生えている一角には、草が蕗よりもたくさん生えています。何とかしなければ、蕗を口にできそうにありません。草抜きをして、蕗の生える場所を作ってやらねばなりません。指の関節が痛い痛いと言ってゴネていますが、ちかいうちに、ぼつぼつと抜くことにします。
 桜の花も、一度に咲き始めたようですが、なかなか花見には行けません。この間の蜂須賀桜が、最初で最後の花見になりそうです。今日も、徳島まで車を走らせながら、ちらちらと、窓からの花見です。それでも、今年も桜の花に、お目にかかれた幸せを嬉しく思っています。来年の桜も、ぜひ見せていただこうと思っています。(^^)




 

2015年3月29日日曜日

№907 クラス会


50数名ほどのクラスだった女学生時代だが、今は40人ほどになっている。ここ20年ほどは、毎年、クラス会をしているのだが、もう20名だけに通知を出すのみとなった。遠方の方、病気で臥せっておられる方たちには、もう通知は出していない。県外も、神戸、大阪のお元気な方3人ほど、毎年楽しみに待っていてくださるだけとなっている。

今日の集まりは、9人。クラス会に出てこられる人たちは、まだ老化の衰えや失敗を、人に告げて愛嬌化するゆとりがあるので、明るい雰囲気で笑いも絶えない。しかし、顔、体型など、1年ごとに進む老化現象を目にするのは、心中穏やかではない。自分も同じなのだから……。

皆の望む最良の晩年は同じ。死ぬまでひとりでトイレにも行き、できれば患わずにぽっくりと逝けること。だが、そう旨く逝けるとは思っていないのだが、家の中に閉じこもってばかりおらずに、せいぜい出て行こうと、話あった。

来年もこうして会いたいもの、ぜひ会いましょうということで、別れ際にAさんが、「来年は、桜のきれいな眉山山頂のホテルで皆で一泊したい」と言うと、即座に全員賛成。明日どなつてもおかしくない、なんて言いながら、皆さん、来年のクラス会は楽しみだね、とお別れした次第です。(^^)

2015年3月27日金曜日

№906 Sさん


Sさんの携帯に電話をしようと思ったら、電話番号が消えてなくなっている。不思議に思って、固定電話にかけたところ、もう、必要もないと思って止めたと言う。相手が取り止めたら、こちらの電話帳も勝手に消えるらしい。

Sさんは、以前、携帯電話なら、いつでもすぐに出られるから、携帯はいいなあと言っていたのに……。

私が電話をしたのは、日曜日予定の、女学校同窓のクラス会に出席予定だったけれど、やはり止めますという留守電をいただいていたからだ。Sさんは、身体は別に悪くはないのだが、気持ちが後ろ向きで、悲観的なのだ。クラス会に出て、皆さんとおしゃべりして元気もらいたかったのだが、やはり気が進まないとおっしゃる。生きる張り合いがないようなことも言う。家族に、自動車の運転は禁止されたし、携帯電話は、不要と取り上げられたので、手足をもがれたようなものだと、家族のことを恨んでいるような口ぶりだ。

長い間息子夫婦の手伝い(農業)をしていたのだが、もう手伝いも出来んので、草取りくらいしかしていないとか。私に言わせれば、草取りは、立派な仕事なんだから、まだあんたは現役じゃないの、と言うのだが、もう役立たずだと言う。何か、生きる張り合いを失ったようなSさんの話しぶりを聴きながら、昔、机を並べて仲良しだっただけに、とても悲しかった。

何となく、家族も、Sさんのことを心配してのことだろうが、反って老化をすすめるような対応をしているように思えてならない。車もまだ乗りたいし、乗れるのに、もう運転は止めろと言ったり、仕事はもうせんでええと言うらしい。ボケるほかないわ、なんてコトバを口にする。息子夫婦と3人で暮らしていても、孤独なのだ。

日を追って暖かくなっていき、もうすぐ桜の開花も近いらしい。冬は枯れ木のようだった桜も、春には花を咲かす。人間は、そうはいかない。早かれ遅かれ枯れていく。いくら健康管理なんて言っても、不満の家の中に閉じこもってばかりいては、身はもたない。老化を加速するばかりだろう。Sさんには、まだまだ畑仕事をして、おしゃべりもしてもらいたい。近いうちに、会いに行きたいものだ。

2015年3月25日水曜日

№905  物忘れ


物忘れがひどくなった。火にお鍋をかけて煮物をしていても、タイマーをかけ忘れると、焦げ付いた匂いが鼻にとどくまで気が付かない。

こんなことは、よくあることで、いつもタイマーをかけ忘れないように、コンロのそばに、新しいタイマーを買ってきて常備している。

友人のまあちゃんは、「コンロのそばを絶対に離れないことにしている」と言う。それが一番良いのだが、そうもいかない。ことことと時間のかかる煮物など、お鍋のそばに付いていたら、なーんもできない。

問題は、お鍋だけじゃない。買い物に行っても、幾つかの品切れになったものを4品買うつもりでも、メモをしていないと、たった4品が揃わない。えーと、あと1つ、何だったかしら、ま、いいか、今度来たときにしよう」と、帰って来る。それを使うだんになって、「あっ、黒ゴマだったのかぁ」なんて舌打ちする。

探し物もよくあることだ。何かを使ったら、元に戻す、ということをいつもやっているつもりなのだが、何かの拍子に、元に戻しわすれると、次に使う時は大変だ。前に使ったときのことから思い出して、ああしてこうしてと、そのものの経路をたどることになる。やれやれ、いっぺんに疲れがでたような気分になってしまう。

こんなことを書くのも、今日も失敗したからである。干しシイタケをことことと、煮込んでいたのだが、火力を小さくするのを忘れていたものだから、早めに煮汁が無くなってしまった。慌てて火を止めた。煮汁は、一滴もなく、焦げていた。
でも、幸いにも捨てずにすんだ。洗って焦げたところを丁寧に落としたところ、何とか焦げた匂いもなくなって、薄味?の煮物が出来あがった、というお粗末でした。(笑)

2015年3月23日月曜日

№904  徒然日記


春の日が続くのかと思っていたら、そうは問屋が下さないようで、昨日にくらべると、8度も低い。同じ温度であっても、温度差があると、こたえ方が違う。

それでも真冬と違って、桜の開花が知らされたりすると、寒いとは言いながらも気は晴れるものだ。

そういえば、昨日の【徳島マラソン】で走った人たちは、暑かっただろうなあ。中には、ぬいぐるみのような服を着ていた人もいたっけ。応援には行けなかったけれど、MちゃんやKさん、毎日の練習結果、出たかなあと気になって、ゴールの予想時間前後は、テレビから目がはなせなかった。あっ、いたいた。Mちゃん、目標の4時間は切れなかったようだったが、元気よくゴール。ご苦労さん。でも惜しかったね。Kさんは探せなかった。

今日は午後、友人のEちゃんの入院先へお見舞いに行ったら、続いてAちゃんもやってきた。3人でわいわいとおしゃべりしてきた。入院しているけど、おしゃべりが出来るのだから、心配はない。でも、早くよくなって退院してよね。

毎年恒例の女学校のクラス会を29日にするのだが、出席締め切りの20日には、予定11名だったが、今日、2名が出られなくなったとの連絡が入った。もう、このトシになってのクラス会は、県外からは、近くの神戸からの2名のみ、県内も、鳴門、板野郡まで。阿波市まで西に行くと、徳島までは無理という方ばかりだ。ほとんどの方が、足腰に問題ありなのだ。駅の階段が無理とか、何時間も乗り物に乗れないとかおっしゃる。1年ごとに、そうした方たちが増えていく。中には、もうどこにも行く気力がなくなったと。特に身体が不調というわけではない、とおっしゃるのだが、こういう気分は、良くないんだけど、無理にとは言えない。駆け足で老化に向かっていくと思うけどなあ。仕方がない。

今の世の中は、日一日と若者には便利に、年寄りには不便になっていくように思う。いや、そうではなく、老いということが、そう感じさせるのだろう。昨日の可能が今日の不可能……ということだって現にあるのだから……。

2015年3月21日土曜日

№903  高校野球


100年も前に始まったという選抜高校(中学)野球が、今年も始まりました。野球その他、スポーツにはあまり興味のない私ですが、高校野球のように、プロではない選手が、我武者羅に頑張っている姿を見せていただくのは感動します。全てはとても観ることができませんが、せめて開会式は観たいと、今日もテレビの前に座りました。

選手の一人一人、どの顔も、出場出来たことに、喜びと誇りでいい顔をして行進していました。

感じたことを書きますと、開会式でのお偉い方々の祝辞・挨拶が、同じようなことを、長々と言われていましたが、もつと短くしてもらいたいものです。聞いている球児も、そう思っているな、という顔が映し出されましたよ。(笑)

いつも太陽の下で練習しているのに、真っ黒に日焼けした選手が少ないのも意外です。日焼け止めを塗っての練習でしょうか。いいことです。日焼けは皮膚に悪い。中には、雛段から抜け出たお内裏様が、野球帽とユニホームを着けたのか、と思われるような子もいました。

そして、目元ぱっちりという子よりは、埴輪のように、細く切り込まれたような目元の子が多かったですね。それだけに、何となく、野球に打ち込むというタイプらしいと、思いました。これが、音楽祭のような場面では、反対かもしれません。

一人ひとりの胸の内が伝わってきますと、私のような年寄りは、つい、涙が込み上げてくるのです。親なれば、きっと泣いてしまうでしょう。

第一試合で、故郷に帰ってしまう球児は、半分あります。でも、堂々と帰ってほしいですね。

この高校生時代に経験した尊い体験を、自分の人生に、どう生かすかは、それぞれ違ってくるでしょう。この中で、スターと呼ばれる野球選手になれるのは、一握りです。でも、こうした経験は、だれにでもあるわけではありません。素晴らしい経験だったと誇りを持って、感謝できる人生を歩んでくれることを願っています。

2015年3月19日木曜日

№902  お疲れさま


汽車で通勤しているAさん曰く。

「高校生が、帰りの汽車の中で、友達とぺちゃくちゃしゃべっているが、友達と別れるときに、皆、さよならとか、バイバイなんて言っている子、だれもおらん。皆、『お疲れさん』と言うんやけど、おかしいと思えへん?」と。

列車は、幾つかの高校生が乗り降りするのだが、どこの高校生もお疲れさんと言うらしい。仕事帰りのおじさんか、おばさんみたいだと言う。

考えてみると、最近の高校生は、ほんとに【お疲れ様】と言いたいくらい、頑張っている子がほとんどかもしれない。クラブ活動、受験勉強と、大変なのだろう。それにしても、若い高校生らしくない挨拶と思うのは、私も同じだなあ……。

 

2015年3月17日火曜日

№901  濃霧


今朝、6時20分に家を出て、車で人を石井駅まで送ったのですが、なんと、20メートル先を走る車らしきもの。その赤いライトが見えない状態でした。この深い霧の中を無燈で走っているのかと思ったのですが、近寄ると、赤いランプがみえました。

ところが、吉野川に架かる橋まできますと、全く霧が晴れているのです。対向車は、皆、無燈です。もう晴れたのかと思っていたら、帰りは、吉野川を過ぎると、また濃霧です。無燈では走れませんでした。吉野川を挟んで、こんなにも違うものかと、驚きました。久しぶりの濃霧の中の運転でした。

昔、北海道を走った時、狩勝峠が、まるでミルクを噴射したように、5メートル先が見えない中を、のろのろと、運転したことを思い出しました。道路わきが見えない状態だったので、それにくらべますと、何ということもない濃霧でしたが……。(^^)

 

2015年3月15日日曜日

№900  蜂須賀桜


蜂須賀桜は、ヤマト桜と、沖縄系の桜の一代交雑種カンザクラの一種で、江戸時代まで徳島城御殿にあった桜です。最後の城主蜂須賀茂韶(もちあき)が、重臣原田家(国登録有形文化財)党首に託したとされています。その母樹は、今も毎年、この季節には、咲き誇っています。

今日は、その原田家で行われる【武家屋敷と蜂須賀桜】の一般公開の日なので、小雨の中、会のメンバーの方に連れて行っていただき、桜を見せていただきました。淡い紅色の花をつけて、枝を四方に拡げる蜂須賀桜の母樹の、堂々たる姿は、不思議な清々しさと艶やかさがあり、老木とは思えぬものがあります。老いてもこうした桜のように生きたいものです。

そのあと、お屋敷内に入れていただき、お手前を頂きながら、尺八と琴の演奏(千鳥・六段)を聴き、帰りました。連れのひとりは、蜂須賀桜の苗木を買われましたが、桜は虫がつきやすく、消毒等の手入れをすることが出来ないと思って私はよう買いませんでした。

とにもかくにも、今年初めての桜との出会い、しかも何百年もの老樹の咲かす花との出会いは、私のどこかに鞭を打っていただいた気分でした。

2015年3月13日金曜日

№899  maru様へ


かなり以前に書きました私のブログを読まれたmaru様が、今日、こんなコメントを下さいました。

……前略……文中にある塚本の本で、笹野さんの歌を拝見したのですが、他のお歌もぜひ見たいのですが、歌集も出ていないようで、ネットでも見当たりません。もしお手元に作品の断片でもございましたら、お暇な折にでも、ブログ中にご紹介いただければうれしいです。

と。

笹野儀一さんは、歌集 【供華】(くうげ・昭和61年刊)を出版されています。その本が、当時、短歌界では、塚本天皇などと言われていた塚本邦雄氏の目にとまり、戦後の全国の歌集の中から、100冊を選ばれて新聞に連載された【現代百人百首】に、取り上げられました。代表歌は、ご存知の軍隊から帰還すると、すでに母上が亡くなられていた、そのときの歌、

★胸中のしぶくが如き悔しさに百合突き立てるたらちねの墳  

そのほか、★父の骨抱きつつ行けば父ならぬわが死ののちの風韻(ひび)くなり ★戦ひの修羅経し後にわが観たるものなにならむ曼珠沙華昏し ★あらあらと知恵づきはやき女童(めわらわ)の臍(ほぞ)金剛の汗光るかな ★虹の脚垂るる窓辺の夕闇に熱高き子のいのち漂ふ  
以上の歌を、塚本氏が選び、新聞に出ておりました。

私は、短歌には縁のない無骨者ですが、笹野氏の歌集を手にして、何度も感動して釘付けになったのを憶えています。maru様のおかげで、笹野氏のことを、久しぶりに懐かしく思いだしました。

 

2015年3月11日水曜日

№898   3.11


東日本大震災から4年。あの日から毎日、何らかの形で、大災害に遭われた方たちの悲しみ、復興への努力や、頑張っておられる様子、そして震災の恐ろしさ、復興の難しさを目にしてきたし、いつ、またどこで大災害が起こってもおかしくないと言う日本列島住民の心がまえ、訓練などなどを、教えられてきた。

しかし、正直言って、私の心のうちは、切羽つまった感覚はなく、「もう、このトシになれば、どうなっても仕方がない。若い者こそ、命を大切にしてほしい」という気持ちが先立っていて、いざというときには、どうするか、などと具体的に考えたことはない。

ただただ、あれ以来、涙もろくなってしまって、気の毒な方たちがテレビに映ると、目が洪水になってしまい、何もできない自分が悔しいのと同時に、健気にも頑張る方たちや、若い方たちの優しい心や奉仕精神に、感動の涙を流すだけである。

それにしても、福島の原発事故の恐ろしさは、始めの想像をはるかに大きく、しかも、何も解決できていないというのに、『安全』ということが決まれば?稼動するというのは、どう考えても怖いことのように思えてならない。電気代が上がってもしかたがない、いや、少々不便な生活になっても、我慢してでも、原発は動かさないのがいいのでは、と思うのだが、こうした考えでは、国は動かなくなるのだろうか? 我慢出来なくなるほど、国の情勢が悪くなるのだろうか? それとも、大企業や、裕福層が困るのだろうか? 我々のような者は、どちらの意見も、もっともだと思うので、分からなくなってしまう。

ただ、言えることは、【想定外】ということは、どんなときであっても、起こり得ることを忘れてはならないと思うのだ。

 

2015年3月8日日曜日

№897  出征


また朝ドラ【まっさん】のことですが、息子を戦地に送り出す父親の様子が映し出されました。私はその時、昔母が、父の出征を見送って家の中に入るなり、奥の間に走り込んで、押入れの戸をあけ、積みあげた蒲団に顔を埋め、泣きだしたことを思い出しました。身体を震わせながら、声を噛みしめても漏れてくる嗚咽に、子どもながら驚きました。息子や夫を、戦地に送り出す辛い気持ちは、戦後生まれの方には分らないのでは……。

ドラマの中の父親も、弾にあたらぬように、逃げ回っても生きて帰れと言いましたが、それが親心でしょう。

戦争にいかず、国を守っていた国民も、家を焼かれ、身内を爆撃で殺され、丸裸になった人たちは、大勢おりました。どんなことがあっても、どんな目にあっても、戦争よりましだ、戦争だけはしてはならないと、総ての国民は思ったはずです。

キナ臭い法律が出来そうで、落ち着けません。日本が戦争を始めることはないにしても、戦争しているところに出かけて、戦争にに参加出来る国になってしまいそうです。

もう、戦争を知らない人たちが、国の舵取りをしているので、戦争の恐ろしさを骨の髄まで知っている者には、怖くてなりません。

70年という歳月は、戦争の怖さを、だんだんと色あせたものにしてきたようです。子や孫たちの世代に、戦争などに巻き込まれるようなことだけは、私たちでストップさせねばと思うものです。

2015年3月6日金曜日

№897  優希美青さん


朝ドラ【まっさん】を、視ています。まっさんの娘役をしている優希美青さん(15歳)が、ひどく痩せているのが、とても気になっていました。横顔など、頬が削りおとしたようになっているのは、とても普通ではないように思い、何か悪い病気にでも……と、心配だったのですが、やはり、体調不良で、今後暫く休養ということ。働きすぎの過労かも、などと噂されているようですが、15歳といいますと、まだ高校1年生?くらい。女優というには、早すぎる年齢です。子役に毛が生えたようなものですから、過労で痩せてしまうほど、こき使うのは、どんなものかと思えてなりません。

私など、若い芸能人の名も顔も、殆ど知らないのですが、朝ドラのように、毎日のように顔をみていますと、情もうつるというもので、気に罹ることもあるものです。

それにしましても、芸能界というものは、若者には憧れの世界のようですが、一人前になるまで、というか、自立出来るだけの収入を得るまでが、容易ではないようです。そんな中でも、スターと呼ばれる人たちは、一握りの方たちですから、大変な世界と思います。ピカリと光る才能も必要でしょうが、そういう方たちの集まりでもあるのですから、努力の積み重ね、巡りあう運、健康、辛抱強さ、人柄、そうしたものが人一倍必要な世界でもあるようで、棚からぼた餅のように、いい役が降ってくることは、珍しいでしょう。

ともあれ、早く、健康になって、また素敵な女優さんに成長してほしいものです。

 

2015年3月4日水曜日

№895  転倒


先日、部屋の中で、転倒してしまった。木で出来た昇降台に躓いて、思いっきり前に転んだ。両膝と手や腕が顔より先に床に着いたらしく、頭や顔をぶっつけることはなかったし、骨に異常はなかったのは幸いだったが、打ち身というのは、打ってないところまで痛くなるらしく、翌日は背中まで痛くて大変だった。()

二日ほどは、トイレに座るのも、立ちあがるのも、うんうん言っていたのだが、日にち薬で、なんとか痛みも納まり、今日は、毎月の役員会を我が家(町文藝協会事務局なので)で予定とおり開くことも出来た。

こんなアクシデントに見舞われたものだから、思うように動けなかった二日間ほどは、気分が落ち込み、ろくでもないことばかりを考えて、このまま、認知症になっていくような気がしてしまった。

そして思った。私は、病気やけがで寝込むようになったら、多分1か月もせぬうちに、認知症になるだろうと。

私は、外を歩く時は、転ぶことには、いつも気をつけていたつもりだったが、家の中では、そんなこと思って歩くことはまったくなかったことに気がついた。家の中で転倒なんて、考えてもいなかったのだ。私としたことが……。私の生活信条の中には、・歩くときには転ばぬように。・モノを食べるときには、喉につまらせぬように。・何事も、無理せず楽せず。なんて、かかげているのに。(笑)

ともあれ、トシも考えて、これからは気をつけようと思った次第です。

2015年3月2日月曜日

№894  お洒落


最近、『お洒落は老化防止』ということが、よく言われるようになってきた。老人ホームなどでも、認知症の方に、お化粧などをすると、気持ちも明るくなったり、コトバが多くなったりと、変化がみられるらしい。

昔、お洒落な人、と言うと、派手好みとか、衣装や化粧品にお金をかける人、というイメージがあったのだが、今は少しちがってきた。まず、活き活きとしていて、輝いていることが、大切な条件になっている。とくに老人のお洒落な人ということになると、こうしたことが基本になくてはならないだろう。単に、いいモノを身につけているというのではなく、生活そのものがおしゃれでなくてはならないのだ。

考えて見ると、美人の条件も、昔と今ではかなり違っている。顔形がいいだけでは、ミス・日本にはなれないのだ。立ち居振る舞いから、教養、総てが審査される。

こんなことをあれこれ思って世の中を見渡してみると、随分お洒落な方が増えてきた。若い方ばかりではない。90歳近い方が、明るい衣装を上手に着こなしていらっしゃるのは、とても素敵だ。そんな方とすれ違うときは、「あ、あんなお婆さんになりたいなあ」なんて思い、ちらと振り返ってみたりする。なかなか難しいことなのだが。()

ま、そんな高望みはしないが、面倒がらずにお化粧もし、小ざっぱりとした服装で毎日をすごさねばと、反省している。

2015年3月1日日曜日

№893 少年の残虐行為


連日、川崎で起きた少年の残虐行為が報道されている。この平和日本の国の中で、イスラム国の人殺しのような、残虐な行為が、少年たちの手で行われたというのだから、本当に恐ろしいことだ。少年のリーダーは、何もしゃべらぬらしいから、反省も出来ないのだろうか。

一体、どうしてこんな社会現象が起きてくるのだろうか。何が悪くてこんな子どもたちが出てくるのだろうか。原因は、簡単に決めつけられるものではないだろうが、それにしても、いくらストレス社会でも、少年がここまでやるのかと、寒気がしてくる。

何とかしなければ、益々こうしたことが起こるような気がしてならない。学校も、親も、大人たち社会も、政治家も、皆が反省して取り組まねばならない問題とつくづく思う。