2016年8月28日日曜日

№1079  旅


  旅することが好きなのだが、中々出来ないこの頃は、TVの旅番組を録画しておいて観ることがある。ほとんどが自然の美しい所が多い。

以前、車で北海道や九州を走っているので、立ち寄ったことのあるところも多いのだが、もう殆ど忘れているし、憶えていても、かなりの様変わりしているところが多い。それでも、見覚えのあるところもあって懐かしい。

白川郷の民宿に泊まったのは、七月の、かなり厳しい日差しの頃だった。合掌造りの屋根も、心なしか、日の陰りを待つ風情だった。立ち寄った土産物屋のお爺さんに、「民宿に泊りたいので、どこかありませんか」と尋ねると、教えてくださったのが、とても素朴な宿を教えてくださった。通された部屋には、クーラーも、扇風機も無かったけれど、外気とは、比べものにならない程の涼しさだった。

泊り客は、数人で、囲炉裏のある部屋で、食事をし、団らんしたのを憶えている。当時、私の通った国道は、険しい山道のガタガタ道で、砂埃でよごれた車で乗り入れたのが、ちょっと恥ずかしかったのだが、今はそんな国道ではないだろう。そんな宿が、テレビで写ったので、おっ!と巻き返して観てしまった。

あまり詳しく書いてあるわけではないが、写真とともに、ちょっとした記録をしてあるので、それも引っ張り出してみてみたいと思った。旅の思い出は、旅を再びしたような思いになったりして、なかなかいいものだ。

2016年8月26日金曜日

№1078 残暑


  八月も下旬になると、朝夕はかなり涼しくなるのがいつもの年なのだが、今年は、夜もまだ真夏日が続いている。一向に涼しくならないものだから、何となくしんどい日が続いている。日中は、絶え間なくエアコンを付けた部屋だし、夜も高目とはいえ、エアコンの付けっ放しだ。身体も、たまらないだろう。たぶん、身体の一部は、冷え過ぎているだろう。

 そうは言いながらも、食欲は変わらないので、痩せも太りもしまいまま、秋を迎えることになりそうだ。

 この夏は、腰が何とか少しよくなったので、草取りが一応残すところなく、見えないところまで出来たのが上出来だった。ま、朝夕の草取りの疲れが昼間のしんどさを増していたのかもしれないが……。

 先日、猛暑の中、友人の葬儀に参列した。90歳だった。半月ほど前、電話がかかってきて、『施設に入っとるけど、とくに悪い所もないし、頭もしっかりしてるから、私は100ぐらいまで生きられると思うわ』と笑っていた。急に肺炎になって亡くなられたらしい。長患いせずに旅立つことが出来たのは思い通りだったろうが、「おめでとう」とは言えない。ただ、寂しいという思いはあるが、悲しみは、もう卒業してしまった。手を合わせながら、「後から参りますからね。いい所で待っててね」と。

最後の着地が、どうなるのか、自分では想像できないが、長生きできたら、案外簡単に着地できるような気がする。≪元気で長生きしてぽっくり≫と逝きたいものだ。

 

2016年8月19日金曜日

№1077 草抜き


   最近、腰の調子がかなりよくなっているので、草抜きが出来るようになった。風呂の古椅子に腰かけて抜くのだが、以前は、とても無理だった。お盆までには、誰か雇ってでも庭の見える所だけは草抜きをしなければと思っていたのだが、ふと最近、腰痛体操のせいか、腰の調子が良いことを思い出してやってみたところ、1時間から2時間ほどだが、何とか出来るようになっている。

腰痛体操は、TVのあさいちで、徳島医大の整形の先生が指導していたもので、足を肩幅くらい開き、屈んで両手で足首の後ろを掴み、お尻を持ち上げる。そのとき、太ももと胸がくっつくようにして、膝を伸びるところまで伸ばす。頭は、両膝の中に入れるようにする。そして10秒間で元に戻してこれを5回する。このセットを朝と夜する。(1日10回)
こうすることで、腰を支えている筋肉が強くなるらしい。はじめは、なかなか痛くて膝が伸びにくいが、なれてくると、膝がだんだんと伸びてくる。くれぐれも、太ももと、胸が離れないようにする。

これを私は、2か月以上続けている。その効果があらわれてきたと思うのだ。草取りは朝夕の涼しい時にしていたので、かなり庭の草取りが出来、さっぱりしている。綺麗になっていくのは、とても気持ちがいいので、イヤイヤではなく、楽しんで草取りが出来るから、続けられるのだと思う。今は、まったく見えないところの草取りの最中だ。≪雑草園≫の看板は、掲げなくてもよさそうだ。

2016年8月15日月曜日

№1076 忘れてはいない終戦記念日


  今、70年余りの歳月を巻返しながら、やはりかなりなものだと、あらためて感心している。でも、忘れてはいない。

 もし、「今までの人生の中から十枚のスライドを」といわれたら、私は間違いなく終戦の日の一枚を入れるだろう。私にとって終戦は、強烈なショックだった。

しかし具体的なことは、かなりの部分が剥げ落ちており、はっきりとしないのだ。だが、いかにぼかしのスライドになろうとも、何とも名状しがたい感慨が心中渦巻いており、私の中の貴重な一枚であることには変わりない。

 ……その時私は女学校三年生。815日といえば当然夏休みのはずだが、そんな悠長なものは返上して、松根掘りや芋畑と化した運動場で、唐鍬をふるう毎日だったように記憶している。たしかその日は、「重大放送を家で聞くように」と、早ばやと帰された。

 家に着くと、緊張した耳に、ガーガーというラジオの雑音が入った。古ぼけたそのラジオは、それに似合った整理箪笥の上に載っていた。その前には、家族以外にも、二、三人はいたような気がするのだが確かではない。

 よくは聞きとれなかったが、戦争に負けた、戦争が終わった、ということは理解出来た。

 みんな、「死なずにすんだんだ……」心中そう思っていたのはたしかなのだが、誰一人喜びを表すことはしなかった。かなりの時間、大人たちは泣いていたような記憶がある。みんな、大声では泣かなかったが、我慢している分、鼻がやたらにぐすぐすと音をたてていた。(今日までの、多くの兵隊さんたちの死は、犬死じゃないか!我々も、何のために鍋釜まで出して頑張ったのか!)という悔しさが、みんなの頭の中で渦巻いていたのだろう。

 私も涙がわいて止まらなかった。思えば小学一年生のときに支那事変勃発、物心ついてからは戦争戦争である。「最後の一人になるまで戦う」ことを、信じて疑わなかった筋金入りの「軍国少女」であるから、眼の底が洪水になるのも無理ないことである。

 今から思うと、十五才にも満たない子どもが、「討ちてし止まむ勝つまでは」などと口走り、お国のために死ぬ覚悟が出来ていたというのだから、恐いといえばこんな恐いことはあるまい。教育次第では、骨の色まで変えられる、ということかもしれない。

 しかし、ひと月もたつと、自分たちにも、平和と自由があたえられたことを、じんわりと感じはじめたのを覚えている。それまでは外来語のようでもあり、惨めったらしくもありで、使えなかった「敗戦」ということばにも馴染めだした。

 戦後の衣食住の苦労は、戦中よりひどいものだったけれど、平和という安心のチケットを握っていたためか、気持ちの中はカラッとしたものがあった。

 こうした戦中・戦後の強烈な体験は、私の性格形成に何らかの関わりがあったと思っている。「死を覚悟」などと大げさなことをいったが、それは建前であって、本心は正直いって、「本土決戦で玉砕」など、恐くて恐くてたまらなかった。戦場に狩りだされる男性を見送りながら、(オンナでよかった……)と思ったものだし、そのうち神風のようなもので、敵は全滅、日本は勝つにちがいない、と信じて疑わなかった。そう思うことで、恐怖から逃げていたのだろう。だから私にとって敗戦は、神風だったといっていい。

 私はいつの頃からか、逃げの姿勢で物事に対してきたようである。困ったこと、心配ごとに出くわすと、すぐ楽天という大風呂敷を広げて包み込んでしまう。そんな大風呂敷を背負って逃げるスタイルは何かに似ているが、私の「小心で神経質」という本来の性格をなだめすかしてきたのがこの姿勢である。「今に神風が……」の残党のようでもあり、ウイルス菌のようでもあり、どうも一生付き合う羽目になりそうだ。

 

2016年8月9日火曜日

№1075 オリンピック


  あまりスポーツと縁のない私ですが、オリンピックに出場されるような方たちの演技などを見ていますと、同じ人間かしらと思うことがあります。努力訓練と才能、よき指導者がなければ、出来ないのでしょうが、並々ならぬ努力には、感動します。

私たちからしますと、銀も銅もすばらしいもので、競技によっては、銀・銅というメダルは、金のメダルに比べて、針の先ほどの違い、ということもありますから、金と同じ値打ちと思うのですが、悔しい思いで涙しているのをみますと、大変な世界だなあと思ってしまいます。

現地とは時差がありますから、真夜中の演技を見ている方も大勢おられるのでしょうが、見るほうも大変ですね。私は、ほとんどの競技は、ニュースで見る程度ですから、語る資格はありませんが、寝不足による事故などのないようにしてくださいね。

2016年8月6日土曜日

№1074 風化させてはいけない記憶


  昭和20年8月6日午前8時16分頃、広島は、一瞬にして地獄絵と化してしまった。続いて89日には、長崎への原爆投下は、最初の攻撃目標の小倉が雲で視界が悪いために、原爆搭載機が急きょ、長崎に移動し、午前1102分、長崎上空で、2つ目の原爆が投下された。

71年前の話であるが、原爆の恐ろしさは、今も語り継がれているし、核のない世界を目指すと言いながら、今だに実現されていない。

そして忘れてはならないことの一つに、88日、ソ連が参戦したのだ。たった1週間ほどの参戦で、どれだけの人達が、シベリアで非人間的な扱いを受けながら犠牲になったことか。

こんなことを思い出すと、随分遠い昔のことだが、胸が痛む。戦争の無い世界をのぞむのは無理かもしれないが、私たちの日本は、やはり、どんなことがあっても、二度と戦争に参加するようなことだけは、してほしくない。戦争を知らない人たちばかりで、国を、動かしている。

2016年8月2日火曜日

№1073 大臣の椅子


  ネットにこんなことが載っていた。

【首相が8月上旬に行う内閣改造を控え、初入閣を切望する自民党の中堅議員らがそわそわし始めた。衆院当選5回以上、参院当選3回以上で閣僚経験のない「待機組」は約70人に上る。各議員や派閥による猟官運動は活発化しつつある。云々】と。

素人考えだが、大臣というのは、その道のエキスパートがなるのがいいと思うのだが、実際は、だれがなっても勤まるものらしい。大臣になってから、お勉強するのだろうが、勉強しても、中々大変だろうし、そんな暇などないくらい、接客にお忙しいのではなかろうかと、心配してさしあげる。官僚の原稿のまましゃべっていればいいのだろうか。それでは、いつまでたっても、官僚政治からはぬけられないではないか。

それにしても、大臣の椅子というのは、随分と座り心地のいいものらしい。

何であれ、その道にかけては、実力のある方たちが、先頭にたってこそ、発展・進歩があるのではなかろうか。

2016年8月1日月曜日

№1072 8月


  暑中お見舞い申し上げます。日ざかりに鳴く蝉が、暑苦しく、耳ざわりになってきましたが、皆様には、お変わりございませんか。

年賀状は出しても、暑中見舞いは出さない私めなのですが、そういう方も多いのか、頂く暑中見舞いも少なくて、ほとんど返信不要な業者の方のものばかりです。

暑さやトシのせいにはしたくありませんが、思考が鈍り、何を考えても堂々巡りです。こんな夏場のスランプ? の脱出法は、美味しいものを食べ、十分な休養をとることでしょうか。と言っても、毎日美食でゴロゴロでは、益々頭は硬くなりそうです。

もうじきお盆がやってまいりますね。来客もあることなので、朝夕に、庭の草をむしっておりますが、すぐに背中から暑い光が差し込むので、長くは出来ません。それでも、雨の降らない日は、やっていますので、案外マシになりました。(案外つければ、バカでも利口)掲げようかと思っていた【雑草園】の看板は、やめときます。(^^

ニュースでは、あちこちが大雨の被害で大変らしいのですが、徳島は、降りそうでも降らない日が続いていますから、土がぼこぼこです。降ってもほんのひと時なので、庭の樹木には、十分ではありません。でも、いつも庭木に水をやっている家の木と違い、我が家の木は、そのままほったらかしにしているので、枯れたりしません。多分根を深く張っているのか、それなりに生きて行く術を心得ているのでしょう。大切に育てている庭樹との違いです。

ああ、今日も暑い一日になりそうです。熱中症になりませんよう、ご自愛くださいませ。