2015年1月31日土曜日

目の保養


義姉に、書道展の案内状を頂いていたので、義姉と観に行った。義姉は、毎日展という全国からの応募作品に出展しても、賞を貰って、東京まで出かけたこともあり、かなりの実力がある。それにくらべて、その弟である私の夫は、お世辞にも上手いとは言えなかった。不器用一家に生まれた私が、夫よりマシだつたのだから。息子がまた金釘流である。

字の上手い下手は、持って生まれたものと言うが、血筋といっても、受け継ぐものと、突然変異?のように、誰に似たのかと不思議なこともあるだろう。

夫の従兄弟の孫さんは、素晴らしい。4人姉妹で、小さい頃から、近所で習字を習っていたのだが、中・高生の頃から、めきめき頭角を現し、長女次女は、東京の大学に通っているのだが、その傍ら、日本でも有名な、元NHKの書道の指導をなさっていたほどのお師匠さんのところに弟子入りしたらしく、ある日、朝ドラの『花子とアン』の中で、白蓮さんが、字を書く場面で、手だけが写って字を書く場面に、ピンチヒッターとして出たりした。そのお師匠さんの弟子がいつも出ていたのだが、ある日、都合で出られなくなったので、出してくれたらしい。三女は、まだ高校生だが、先日、全国の高校生の大会で、二万人以上の応募があった中で、2席で新聞に出た。四女も中学生で素晴らしい字を書く。4人の素晴らしい孫をもつ家族は、だれに似たのか?と、首をかしげているというから面白い。

今日のグループ展覧会では、義姉やその息子のお嫁さん、4人姉妹の三女・四女の中・高生二人の作品なども展示されていて、目の保養をしてきた。

私の目も感激したのか、義姉が「あれっ。右の目が、真っ赤になってるよ」と教えてくれた。みると、白目のところが、切ったような真っ赤なスジが斜めに1本入り、周りも赤くなっている。何となく目の奥や瞼がおかしい。ヘンなものが目に入っているのかと思って、帰りに目医者に寄って、玄関の扉に手をかけると、「本日は、午後から学会云々……」の張り紙がしてあって休診。しかたなく帰ってきた。月曜日まで待つより仕方がない。それまでに直るといいのだが……。

 

2015年1月29日木曜日

つれづれに……


530分目が覚める。寝床の中で手足を動かしながら、身体のこわばりをほぐす。エアコンをつけて、部屋を温めてから起床。洗顔をし、着替えをし、化粧をする。このトシが来ても、身だしなみと思って化粧は毎日欠かさない。他人さんが見ると、化粧などしていないような顔に仕上がるのだが、それでいいのだ。年寄りの厚化粧は良くない。シミは隠れても、皺が余計に目立つ。若いお肌のようなわけにはいかぬ。重ねれば重ねるほど、斑になってしまう。

厚化粧はしないがけっこう手間はかかるものだ。素顔がひどいものなんで、しみ、そばかすの類を隠す。いや、隠せないのだが、ちょっとはごまかせる。化粧とは、字のごとく化かすことなのだ。

23年前までは、化粧品代というのが、かなりかかったものだ。化粧水も某メーカーの3,000円ほどのものを使っていたのだが、もう今は、昔、母が使っていた【ウテナ】という古くからの化粧品会社の680円ほどのもので間に合う。使っていて分かったが、安物も高い物も、たいして変わらないから不思議だ。高価な化粧品ばかりを使っている友人がいるが、皺はけっこうあるから、そんなに変わらないのだろう。ふふふっ。

昨日は、我が家で毎月1回開くミニ同窓会。ホテルでするよりも安上がりで、気安くて落ちつくし、時間制限がないのがいいと、皆さんが言うので、よく我が家でする。
私は来客には慣れたものなので、苦にはならない。弁当の注文は、いつも美味しい散らし寿司。(250円)お味噌汁は具沢山の豚汁を用意した。11時、全員が揃う。珈琲をたてる。
以前は、10人ほど集まっていたが、只今療養中の方3人、息子の住む遠方に引っ越してしまつた方が1人。6人しか集まれない。そのうち、7人8人とまた増えるだろうが、ちょっとばかり寂しい。

味噌汁が美味しいと褒めてくれる。いつもそう言ってくれるが、お世辞ではない。美味しいはずだ。私もそう思うもの。(笑)

しばらくおしゃべりに花が咲く。生まれたばかりのような曾孫の写真を持参して見せてくれるAさん。『息子や娘の自慢はあかんけど、孫やひ孫の自慢はええんよ』と言いながら自慢。(笑)そうだろう。皆、可愛い可愛いの連発。お世辞では言えない雰囲気だもの。

こんな小さな命でも、身内はもちろんのこと、多くの人達に愛されて大きくなっていくのだ。コトバが分からないうちから、どれほどのコトバを投げかけてもらうことか。自然に日本語が喋れるようになるのはこうした周りの暖かい愛情のおかげなのだ。英語を10年習っても、幼稚園児ほどにも喋れない大学生は、ざらにいる。

日が西に傾く頃になって、やっと帰り仕度。車に乗せてあった、畑で採れた野菜を配ってくれるAさんとBさん。楽しかったと、それぞれが笑顔で散っていく。もちろん来月の日時と場所も忘れずに決めてある。
いい日だったなあ。

 

2015年1月27日火曜日

お風呂


寒い夜は、お風呂に入って温もるのが一番手っとり早いのだが、トシをとると、それも億劫になってくる。まず、脱衣所を温めることからしなければならない。お風呂に入っても、身体や頭を洗うには、どうしても湯船から出るので、身体が冷える。完全な寒さ対策をしていないので仕方がない。毎日入りたいのだが、つい1日置きになったりする。

こんなとき、お風呂屋さんが近くにあると便利だ。近くにはないのだが、車で10分も走ると、吉野川温泉というお風呂屋さんがあるので、昨夜も行って、しっかり温もって来た。

私が女学校2年生まで住んでいたところは、北海道の帯広という小都市の街中だったので、家にお風呂のある家庭は少なく、ほとんどが銭湯に通っていたので、何の抵抗もないのだが、誰もが入る湯船は不衛生だとおっしゃって、入らない方がいる。我が夫がそうだった。せっかく温泉に行っても、小さな内風呂にしか入らなかった。

話が後先になるが、田舎に引っ越してきて困ったのが銭湯が無いことだった。借りた家にはお風呂が無かった。当時田舎には、【貰い風呂】という習慣があった。お風呂の無い家は、珍しくなかった。近所の親戚A家に風呂をたてたら(沸かすことをたてる、と言っていた)わざわざおばちゃんが「風呂たてたけん、どうぞ」と言いにきてくれる。おばちゃんと言ってももう50歳にもなる方だ。

その日は、その家の茶の間には、5人も6人もが、風呂を貰いに集まってきて、雑談をしていた。おばちゃんは、外の風呂の下で麦わらをくべたり、木をくべたりしながら、バケツで水を運ぶ。何しろ、どんどん水を入れて沸かさないと、湯船の湯が無くなってしまう。(笑)おばちゃんは、最後の残り湯に入る。大変な仕事だつたが、文句など聞いたことがなかった。

我が家は、このような貰い風呂では、満足に身体も洗えないと、早急に五右衛門風呂というやつを狭い庭の片隅に作ったのだが、水道があるわけではなく、井戸から水をくみ上げてバケツで入れるのだから、毎日は出来なかった。

結婚しても、風呂は外で、釣瓶井戸から、バケツで運んでいた。夫が見かねて自家水道のモーターを付け、不格好ながら、やっと水道の蛇口をひねると井戸水が、風呂場や台所に入ってきた。その時の嬉しかったことは、今も忘れられない。

あれこれと、お風呂以外にも、思い出がたくさんあるのだが、今はもう、夢のような生活と様変わりしてしまった。そのツケが、何となく怖いのだが……。

 

2015年1月25日日曜日

人質


先日来、ニュースでは、二人の日本人が、イスラム過激派に囚われてその安否を気遣っての放送が繰り返されています。

私は気が小さいので、このようなニュースをみるのも苦しくて、なるべく見ないようにしていたのですが、今日は、湯川さんという方が殺害されたらしいとのこと。ご本人は、覚悟の上で出かけられているのでしょうが、親ごさんの気持ちを思うと、泣けてしまいます。

地球上で、戦い・殺し合いの無い日は、ないという現状は、文明社会になっても、続いています。しかも、幸せのためにある宗教が違うというだけで、殺し合うこともまれではありません。

人間とは、愚かな動物なのでしょうか。誰が悪いのでしょうか。多くの平和を願う凡人でしょうか、それとも、お偉い方たち、裕福な方たちなのでしょうか。多くの平和を願う凡人たちは、どうすればよいのでしょうか。何をすれば平和な地球になるのでしょうか。

そんなことを考えていると、将来、この地球は、人類によって破滅されるのではないかとさえ思います。思いすごしであればよいのですが……。

2015年1月23日金曜日

睡眠不足


今日は、朝早く出掛ける用事があったので、昨夜は12時前に床についたのだが、寝そびれて、2時くらいまで眠れないまま、5時に起きた。寝不足のまま車を運転したので、普段より緊張したのか、首が凝ってしまった。

睡眠時間が短くても長くても、その質によって、よい睡眠かどうか決まるのだが、やはり深い睡眠をしっかりとるのがいいのは分かっていても、思うようにはいかない。特にとしをとると、睡眠時間は短くなる。

浅い眠りの時は、夢をみている。こうしたレム睡眠ばかりでは、昼間、眠くなるのだろう。深い眠りのときに、脳が休み、体と脳を修復するというから、深い睡眠はぜひ必要だ。

義母はトシをとると、よく昼間に横になり、うとうとするようになった。この頃私も横にはなれないが、テレビなどみていたら、首を垂れて寝ていることがよくある。昔は、そんなことは絶対にしなかったなあと思う。やはり、睡眠が足りないのだろう。眠いだけにならいいが、身体の修復が出来ないのは困る。

先日テレビで知ったのだが、睡眠不足になると、食欲を抑えるホルモンが減るので、食べ過ぎて太るそうだ。

私は、背が低いのに体重は49キロ前後なので、太り気味というところだが、この体重はあまり変わっていない。消費カロリーは減っていくのにつれて、食欲がだんだん衰えてきたためだろう。ホルモン云々の心配はなさそうだ。(笑)

ま、何よりも、ぐっすりと眠って、頭をすっきりさせて目覚めたいものである。

2015年1月21日水曜日

文章


最近、【文章を書くのは苦手】と言う方が増えてきた。昔はよく手紙やはがきを書いていた方でも、書くのは苦手とおっしゃる。やはり、書くと言う行為は、書かないと書けなくなるということかもしれない。

私も最近は、私の目指す文章は書けていない。一字一句、その音感、語感にこだわって書くことが、文章を磨くことになるのだが、そうしたことが出来ていない。【すっきりしたいい文体】ということにも、もっと自然に習慣的に働くようにならねばいけないのだが、なかなかそうはなれない。

いい文章を読んでいると、ちょっとしたことばに彩や華が織り込まれていて、感心する。『文章は細部が勝負』と、誰かが書いていたのを思い出した。

 

2015年1月19日月曜日

週刊朝日に……


先日17日は、花の会の新年会でした。集まった会員と、その他仙谷ファンは200名近くでした。バッジをはずした仙谷さんですが、人気は衰えません。というのも、まだまだ必要とされて活躍なさっているからでしょう。その一つとして、先日の週刊朝日にも、書かれていることなので、読まれた方も多いでしょうが、紹介します。その書き出しは、

 民主党きっての政策通で、官直人内閣の官房長官を務めた仙谷由人氏。昨年の衆院選で再起を目指すと思われたが、世代交代を理由に不出馬を表明。惜しまれつつ政界を去った。その仙谷氏が、いま知人に熱心にすすめる本がある。フランスの経済学者

トマ・ピケティ著書『21世紀の資本』だ。同書は、昨春英国版が出版されると、米国でベストセラーになり、半年で50万部に、昨年12月日本語版も刊行され、5940円の学術書が、日本でも異例の売れ行きだ。仙谷氏は、この本が熱狂的に受け入れられている理由をこう語る。「経済成長がすべてを解決するというのは、ある段階と局面に限られる。この本は、それを歴史的データーで裏付けた」云々

ということです。この本は、アベノミクスへの警告でもあります。週刊朝日は最後に、【ビケティは今月29日に来日し、公演シンポジウムに参加する予定だ。アベノミクスをどう見ているのか、その発言が注目されている】と結んでいます。

私にはもうこの大著を読む元気はちょっとありません。難解ではないそうですが、日本語版で728ページ厚さ4センチもあり、重すぎます。(笑)(この週刊誌を読んで、内容が分かったような気になるのは、私の悪い癖ですが)
ま、何度も書きますが、仙谷さんのような日本の知的リーダーの、政界(議員)引退は、日本にとっては、大きな痛手としか思われないのは、私だけではないでしょう。

不思議だ!


最悪だったパソコン、ももぐりまわしながら、あれこれしていたら、どうしたはずみか、カーソルが、正常に動きだした。

どこをどうしてなおったのか、分からない。(笑)何日も苦労しながら書いていたのが、ウソみたい。不思議だ。

それなのに、今日(もう昨日だ)よい天気だつたので、ちょっと油断して外周りの仕事をしたところ、腰と足と手の指を痛めた。もともと悪い所ばかりを痛めたので最悪。(笑)

パソコンのように、身体もももぐりまわしていたら、直るのならいいのだが、そうはいかない。用心しなくては。

 

2015年1月16日金曜日

文藝春秋から


何日か前、文藝春秋という雑誌の新春2月号を開いて読み出した。いつも、最初のグラビアにさっと目を通し、何人かの有名人のエッセーが載っているところを最初に読むのだが、そこに、【仙谷由人】氏も書いておられた。こういうのは、何というか、贔屓なもので、「おっ、仙ちゃんがこの欄に書いてるぞ」と、息子の晴れのように嬉しくなる。誰でもは載せないからだ。(笑)

内容は、【我が友 松本健一君を送る】という東大時代からの友人で、仙谷氏によれば、気鋭の学者作家であり、別格のすぐれた歴史観、文明観を持っていて、単に文献だけに向き合う学者ではなく、様々な土地、人間と向き合って調査・研究をするタイプだったと言う。現場第一の政治家にとって、彼のような存在は頼もしく、内閣官房参与への就任をお願いし、彼はそれを受けてくれたという。そうした師であり友であった松本氏を昨年11月末に失ったと。俗論を排し、自らの目で確かめたことを元に大きな構図で論を立てた21世紀の日本にこそ、必要な思想家であった、と、仙谷氏は、残念がっている。

この文章を読んだあと、同じ欄で、塩野七生さんが書かれている【脱・樹を見て森を見ず】を読んだ。数多の難事に直面した昨年だつた。何一つとして解決されぬまま迎えた2015年だが、樹を見てても、森を見ることを忘れてはいけないということが書かれている。

仙谷氏にしても松本氏にしても、こうした考え方が根本にある。特に仙谷氏のお話を聞く機会の多かった私は、樹の枝葉のことしか論じられない多くの政治家の方たちと、どこが違うのか、ということが証明されたような気持だった。

明日は【花の会】新年会&仙ちゃんお誕生会だ。

以前も書いたが、花の会というのは、仙谷由人氏(元民主党幹事長)の政治家としての資質、情熱に惚れ込んだ女性たちの会で、もう30年近くも応援して来た会である。たとえバッジを外しても、政治活動は続けられている仙谷さんを、私たちは、応援している。ま、仙谷党員というべきかもしれない。どんな話がお聞きできるか楽しみにしている。

 

2015年1月15日木曜日

免許証


……と言えば、【車】の免許証だけではないが、一番大勢の方が持っているのが車の免許証だろう。私は、49歳のときに取得したので、まだ35年程の経験だ。ハンドルを握らない日はないほど、車とはご縁が深い。運転することは好きなのだ。そのせいで、まだ暫くは乗れるだろう。車に乗れなくなったら、ほとんどの活動が出来なくなるだろう。車は、乗っていたら90歳がすぎても運転は出来ると思う。

但し、どんなときでも安全運転を心掛けねばならない。ゴールド免許を汚すようなことのないよう、注意している。

49歳まで免許証を持たなかったのは、夫が「お前のような不器用な者は、すぐに事故をおこすから、ダメ。命いくらあっても足りないぞ」と、許可がおりなかった。そのため、不便な生活をしていた。

息子が夏休み帰郷して、教習所に通いはじめたとき、「母さんのようなトシの人、ようけ来てる」と言ったとき、「よしっ、内緒で申し込もう」と決意したのだ。叱られたが、今になってみると、「よくぞ取得していたものだ」と、息子に感謝している。ちなみに夫はよく「わしの運転は上手い」と威張っていたが、小さな事故はよくおこしてい。私は点数を引かれたことなど、一度も無い。ペーパードライバーのゴールドとは違うよ。(笑)

【器用不器用】と運転は、あまり関係がないらしい。運動神経とも、関係がないらしい。私より20年も早くに免許を取得した体育の教師だったAちゃんは、市内には乗り込まずに汽車やバスを使う。田舎はまた、細い道なので、好きでないとか。用心深いのだろうが、私だって用心深い運転しているよ。だからどこまででも車で走るよ。(笑)ま、色々と顔が違うように個性も違うので、仕方がない。

最近、高齢者の事故がとやかく言われている。認知の方の高速の逆走など、大事故につながる行為だ。高齢者が義務付けられている講習予備検査は、何度か受けたが、だれでも通りそうな検査だ。もっと点をきびしくしたほうがよいと思う。一緒に5,6人が、説明を聞きながら受けるのだが、明らかに【運転は危ない】と思う方がいらっしゃる。それでも、「車がないと、困る」とおっしゃっている。周りから止められても、乗りそうだ。怖い。
警察は、自主返納を呼び掛けているが、私だって、いつ認知になって「まだ乗れる」なんて、ゴネるやもしれない。事故をおこしてからでは遅い。益々注意して上手な運転をしなくっちゃあね。(^^)

2015年1月12日月曜日

異物混入


一つの事件が発生すると、あちこちでよく似た事件がお見ることがよくある。悪戯でそういうことをするのか、それとも、不注意からか、最近は、食べ物の中に、ヘンな物が混入していた、ということが次々と出ているようだ。

マクドナルドの製品に、新たな遺物が次々に出ている。マックに勤めたことのあるある女性は、店内では異物混入など、とても考えられないほど、中は厳しいチェックもあるし、教育も受けていると言う。とすると店外とか、製造元か? 不思議である。それにしても、歯がでてくるなんて、不思議を通り越して笑ってしまう。

そういえば昔、ラジオでこんな放送を聞いた。視聴者からの葉書を読む時間だった。「我が家の母は、キャラメルを食べていた時、カチリと異物が出てきた。母は驚いて、ぶつぶつ文句を言いながら、それをキャラメルの会社に送って抗議したところ、数日して、「これは、貴女の歯です」ということで、送ってあった歯を送り返してきた。まったくそそっかしい母です」という内容だった。それを聞き笑ってしまったことを思い出した。ご本人も、あらためて口の中を調べて納得されたのだろう。何とものんびりした時代である。

食べ物に異物混入ということは、昔もよくあったと思うのだが、あまり騒いだりはしなかったのだろう。そんなに気にもせず、箸でつまんで捨てたりしていたのだろうか。今は、外国で生産されているものは、ちょっと不安だが、国内で生産されているものは、殆どは間違いないという思いがあるのだが、どうだろう……。

 

2015年1月9日金曜日

福袋


時間をかけますと、何とか、書くことが出来ます。忙しくしていましたが、やっと落ち着きましたので書いてみます。

昨年のお正月には、あるお店の方に「福袋はとてもお得ですよ。1万円程の上着が3枚はいって1万円ですから」と薦められて、生まれて初めて福袋というものを買いました。
でも、3枚のうち1枚だけ着ていますが、あとの2枚は、着ません。その時は中も見せてくれたのですが、家に帰って手をとおしてみますと、どうも派手で、着る気がしないのです。
1枚1万円の品になりましたが、損をしたとは思いませんでした。何となく、1万円の定価でも売れなかった残り物だろうくらいに思うと、損も得もしなかった買い物という気分でした。でも、同じ1万円出して1枚買うなら、好きなものを選ぶのに、とも思いました。

今年は、そんな買い物の暇がなかったのもありますが、もう福袋を買う気はなくなりました。一度の経験で、【福袋なんて得にはならない】という勉強をしたということでしょうか。(笑)

と言いながらも今日は、冬ものの、売れ残り?半額セールの上着を買ってきました。あまり、気にはいってませんが。ふふふっ。安物買いの……かもね。

2015年1月5日月曜日

やっと……


私が、気儘勝手に書き殴った台本を、演出の先生や、熱心なキャストの皆さんのおかげで、盛会のうちに公演が終わりました。有難いことです。練習は、全員が揃うことはめったにないような状況でしたが、それでも、本番はプロンプターの私の出番はほとんどなく、台詞を間違ってもスムーズにごまかして前に進めることもできました。(笑)皆さん、お芝居大好き人間ばかりの集まりなんです。特にお客を前にしますと、あがるどころか、いつもより熱が高まって、熱演となりオーバーな表現になってしまうほどです。(笑)

私は、昨夜はくたくたになっていて、いつもより早寝をしたのですが、そのぶん、早く目が覚めてしまいました。西の空には、円い大きな夏ミカンのよな月が光っていました。まるで日の出の太陽のような月を見ながら、今日は、私にとっては、元日を迎えたような、というか、やっと新年を迎えたような気分になれました。公演がすむまでは、お正月気分にもなれなかったのです。
ふと、このトシまでに迎えてきた元日の色々を思い出しました。
お年玉をもらってとび跳ねた元日、何のご馳走もなかった、ただただ寒いだけの元日、平和に迎えられて嬉しかった元日、新しい家族の一員となって迎えた元日、そして家族が増えて何となく居心地が座ってきた元日、子供にお年玉を渡し、子どもの喜ぶ顔に幸せを感じた元日、家族や身内を失って、悲しみの元日……。波瀾万丈とは言えないが、あれこれとあった元日を、今しみじみと懐かしく思い出しました。

*いよいよ、パソコンがおかしくなってきました。これだけの文章を書くのに、10回もやり直したり、消したりしなければ、書けなくなっています。
しばらく入院させることになるかもしれません。私個人の都合ではありませんので、ご心配なく、(^^)

2015年1月1日木曜日

新年


明けましておめでとうございます。拙い私のブログを読んでくださっている皆様ありがとうございます。本年もぼつぼつと続けてまいりますので、どうかよろしくお付き合いお願い申し上げます。

今、窓の外は、明るい太陽の光が輝いております。かなり風も吹いておりますが、天気予報に反して、雨も雪もなく、平和な元日を迎えられたことは、嬉しいことです。

昨夜は、紅白歌合戦を観ておりましたが、若者たちの歌が出てくる度に、同じようなことがさっきもあった、と思うほど、どれも良く似たものとしか、思えないので、途中で観るのを止めてしまいました。そもそも、若い方たちの顔が、みんな良く似ているように思うので、顔も名も憶えられません。(笑)トシをとるということは、若者の世界から、ぐんぐんと引き離されていくことと思いますが、ちょっと寂しいですね。

今年も、【寝込まずに、周りの方たちに迷惑のかからぬようにしながら、少しでも何かのお役にたてることがあれば幸せだなあ】と思っています。

皆様も、今年もよいお年でありますよう、念じております。