2015年8月31日月曜日

№969 八月も終わり


 残暑の残る毎日だが、やっと八月も終わる。35度を超える猛暑も何日かあって、身体も精神も、ぐにゃりとしてしまった。忙しいと言いながら、仕事は捗らず、ぼんやりとしている時間が増えていく。……といったような八月だった。おまけに、身体や足が重く、(どこか悪いのかなあ)というような日々だった。

そんなとき、【ためしてガッテン】という番組で、いいお話を聞いた。それは、次のような話。

40歳を過ぎるころから、誰もが自覚するのが「体力がなくなった」「無理がきかなくなった」その原因は、体を動かすエンジン役のミトコンドリアが年とともに減ってしまうことだ。しかも、認知症やがんになりやすくなるのも、ミトコンドリア不足が原因! でもご安心。あることをすれば、若い頃なみに数を増やすことは可能! さらには、疲れにくい体を作る「本当のスタミナ食」も分かってきた。

ということだ。詳しくは、次回に書きます。

 

2015年8月29日土曜日

№968 車検と鞄


  車の車検の通知がきたので、お願いしてあったら、2日ほどで、出来た。前輪のタイヤを変えて頂いて、13万円。前日に、15万円ほどかかるかなと思って15万円貯金をおろしておいた。何となく、2万円得したような気分になってしまう。そして気が大きくなって、昨日まで、買うまいと思っていた手提げ鞄14,040円のものを買ってしまった。チョコレート色の、肩にも掛けられる、小ぶりのものだ。使って見たが、使い便利もいいので、後悔はしていない。

焼き物とか、鞄類が好きなので、買うつもりがなくても見ることがよくある。今日買った鞄も、何度かみて、いいなあと思っていたものだ。だから、今日は、幸せ気分なのだ。

ま、高級なウン10万もするような鞄などには、興味はない。身の丈に合った物しか買わない。たかだか1万円少々で、これから何年も? いい気分で使用するのだから、お安い買い物だ。ただ、今までに幾つもの鞄を買って、使い便利が悪くて使っていないものは、いくつもあるのだが……。

 こういう性格では、お金は貯まらないだろうなあと、思うのはいつものことだ。(笑)

 

2015年8月27日木曜日

№967 バナナ


  袋入り3本のバナナの最後の1本が、色が変わって来た。あまり間食をしないので、バナナを買っても、ご飯代りにすることになる。今朝、その最後のバナナが、ごはん代りになった。

 バナナには、色々な思い出があるので、時々買ってみる。食べたくなるというよりは、手にとって眺めていると、つい買い物かごに入れてしまうのだ。

 幼い時、月に一度くらい、バナナを食べていた。父が、組合の会に出掛けた帰り、夜店のたたき売りのバナナを一房買って帰るのが習わしだった。今思うと、随分大きな房だったように記憶しているが、子どもの目で、そのように写っていたのかもしれない。家族皆がバナナ好きだった、というよりは、バナナは、誰もが大好きな果物だったように思う。夜店に行ったときは、いつもバナナのたたき売りが面白くて眺めたものだ。

 そんなバナナも、戦争が始まったころからは、店頭に並ぶことが少なくなった。そしてまったく姿がみえなくなり、戦後は、高級果物になってしまった。

 それでも、だんだんと庶民に手の届くものになってきたのは、昭和も30年になった頃のように思う。私がお産のため、徳島の産院に入院し、陣痛がはじまったのは、昭和32年7月30日。それから30時間という長い時間、ベッドの上で苦しんだ。食事も喉を通らなかった。
 そのとき夫が、近くの果物店で、バナナを一房買ってきて、皮をむいて私の口元に持ってくる。「ほら、バナナ食べて元気だせ」と。
 しかし、そんなものが食べられるはずがにない。仕方なく、夫はそれを食べる。そんな繰り返しで、とうとう夫は、30時間の間に、バナナ一房を全部食べてしまうハメになったのだ。何しろ、陣痛の切れ目がほとんどないし、ちょっとの切れ目も、ぐったりなっていて、ものを食べる元気もなかったのだ。

 やっと出産して一息ついたとき、私が「バナナ食べる」と言うと、「もうないわ」(笑) 

2015年8月25日火曜日

№966 台風15号


 台風がよく来る年だ。夏の間に、何度も日本列島に上陸するなんて。台風の季節と言えば秋というのが以前の常識だったと思うのだが。やはり、最近の異状気象のせいなのだろうか。

朝から風雨が強かったが、台風の直撃から逃れたので、たいした被害もなくすんだのは、何よりだった。

昨夜は、あまり眠れなかったせいもあるが、一日中、頭がぼんやりしていた。外出もせず、テレビの前で、録画したものを見ていたが、何度も居眠りをしていた。机の前で、何かをしていても、集中できず、「こんな一日は、つまらないなあ」と、何度も思った。今夜は、ぐっすり眠りたい。

2015年8月21日金曜日

№965 人殺し


  どういう理由があるのかないのか、いとも簡単に人を殺すという事件が、あまりにも多くなってきた。まともな神経の持ち主なら、人殺しなんて、出来るはずがないので、狂った人間が多くなってきたのだろうか。

 中学生が二人、45歳の男に殺されたというニュースが流れている。ちょっと前には、少年が、同じような少年を殺している。いい年の者も、若者も、残酷な人殺しを、簡単にしてしまうのだから、怖い世の中だ。

 こうした行為が、いわゆる善悪の判断ができない狂った人間がするのではなく、普通の社会生活をしている者がする、というのは、どこに原因があるのだろう。

 幼いときから、ゲームやテレビなどで、殺し合いをしたりみたりしていると、人殺しということに対する感覚が、いかに人の道に外れたものであるか、という感覚が、麻痺してしまっているのだろうか。成長して行く過程で、何が不足していたのだろうか、社会がわるいのか、育ち方がわるかったのか……。いずれにしても、何かが悪かった、たりなかったとしか考えられないのだが……。

 

2015年8月18日火曜日

№964 お盆も終わり……


  お盆も終わり、朝夕が少し涼しくなりました。今年も、阿波踊りを観に出掛けることもなく、仏様をお迎えしたり来客があったりで、あっという間のお盆でした。

 お盆の行事も、昔に比べますと、ずいぶんと簡単になりました。仏様のお迎えも、以前は庭に棒を立て、その上にざるを載せて、なすびやら、きゅうりやらの野菜を載せ、仏壇の前には、色々なものを吊り下げて、お迎えしたものですが、そうしたことも、もうしていません。ただ迎え火を焚いたりお供え物はいろいろとしても、以前のように手間はかかりません。来客も、食事は出前だったり、外に食べに出たりで、家であれこれ作ることも無くなりました。

ま、我が家のように、手抜きする家ばかりではないでしょうが、祖先を敬い感謝の気持ちさえあれば、お許しいただけると思っています。

今日は、火曜日で、演劇塾の日で、夜遅く帰って来たので、すぐお風呂に入って寝ようと思いましたが、ちょっとでもと思い、パソコンの前に座りました。

明日は、また会があります。文藝協会の役員会です。まだ、「送りますが、ちょっと遅れます」の連絡を頂いている方の3人の作品を、首を長くして待っています。(笑)皆さん、お忙しいのでしょうね。ま、年に一度の会誌の出版ですから、ぜひ、送ってきてね、と願っています。

 

2015年8月15日土曜日

№963 戦後70年 その3


☆終戦の日

私はもう何事も忘れてしまうトシになりましたが、70年前の8月15日のことは、今もかなりはっきりと覚えています。ということは、毎年この日がめぐってくると、あの日を思い出して、「平和な日本」に住んでいることに感謝してきたからでしょう。

思えばあの日も、今日のような暑い日だったのですが、暑さなどを苦にするような時代ではなかったような気がします。夏休みも返上で、学校に行き、松根堀りや、芋畑と化した運動場で、唐鍬をふるう毎日でした。

その日は、先生から『重大放送があるから家に帰りなさい』ということで、帰りました。家に着くと、緊張した耳に、ガーガーという大きな雑音とともに、ラジオ放送が入って来ました。ラジオの前には、家族と近所の人が3人ほど座っていました。内容は、戦争に負けたらしいこと、戦争が終わったらしいということくらいしか聞き取れなかったのですが、皆がかなりの時間、泣いていました。大声では泣かなかったのは、多分複雑な気持ちだったのでしょう。鍋釜まで供出し、頑張ってきたことが、水の泡となったのだ。戦死した兵隊さんたちは、犬死じゃないか! 鬼畜米英に、これからどんな目に会うのか、と、不安と悔しさ、死なずにすんだのだ、と言う喜びが入り混じり、何とも言いようのない思いだったのです。

思えば毎日眠れないほどの空腹を抱えながら、何時爆撃されるか、という恐怖や苛立ちも口には出さず、頑張ってきたのですから、戦争の終わりは、悔しさと喜びが交錯するのは、無理もありません。まだ15歳にもならない少女が、死を覚悟していたのですから、怖いといえば、こんな怖いことはありません。教育次第では、骨の髄までも染められるのです。

死なずに済んだことは、この上もなく嬉しいことではありました。死ぬ覚悟と死にたくないこととは、表裏です。ましてや、特攻隊のように、爆弾を抱えて死にに行く少年たちの心境を思うと、今でも涙が出てきます。

ああ、本当に戦争は恐ろしいものです。戦争のない平和国家のありがたさを、噛みしめている終戦記念日です。

2015年8月13日木曜日

№962 戦後70年 その2


962 戦後70年 その2

☆想像だにしなかった変化

 だれが想像しただろう。子どもまでもが電話を持ち歩くなんて。私の家に有線電話を引いたのは、何時頃だったろうか。ちょっと思い出せないのだが、昭和30年代後半だったように思う。10軒ほどのグループのだれかが使っていたら、使えなかったような電話が普及して、それでもとても便利になった。その後NTT電話を引いたのは、40年代半ば近かったように思う。

 阪神大震災のとき、半年あまり淡路の出先機関に応援に行った息子は、まだポケットベルしか持っていなかった。その後、あれよあれよという間に、携帯電話は普及し、今や腰のまがったお爺さん、お婆さんや、子どもまでもが持つ時代となっている。たまに携帯電話を忘れて外出をしたりすると、不安でしかたがない。待ち合わせなど、携帯電話が無ければ不便で仕方がない。

電話だけではない。自分の家の庭に、自家用車が何台も並ぶだなんて、想像もしなかったはずだ。おとな4人家族で車が4代ある家は、めずらしくない。それぞれ、勤めに出るときは、自分の車に乗っていくのは、当たり前と言う時代なのだ。

 そして食生活の変わりようもすごい。特に、戦後の給食は、子どもたちの体格を変えてしまった。ほとんどの子供が親より足の長い子になっている。

 また、あまり噛まなくていい食事のためか、顎の発達が悪く、顔形まで、変わってきている。給食だけではない。家庭の食事だって、和食は片隅に追いやられるし、最近は、外食も増えている。和食のよさが見直されてきたとはいえ、野菜の煮炊きものは、『おふくろの味』なんていう、特別食みたいになっている。

 食生活が全てではないが、子どもたちの心身の成長は、目まぐるしい。大人になるのも早い。小さくても、おませさんだ。テレビその他の機器の影響もあるのだろうが、中・高生にもなると、我々の時代では、考えられないほどの進歩的?な男女の交際も始まるようだ。

 ま、とにかく70年をこの目で見てきた私どもは、もう驚くことばかりである。これが幸せなのかどうかは、よくわからないのだが……。

2015年8月11日火曜日

№961 戦後70年 その1


 戦後70年ということばが、いたるところで踊っている。

さて、この暑さで、あまり硬いことは書きたくないのだが、戦後の70年で変わったことはたくさんある。昔は、『貧乏人の子沢山』ということばがあった。今は、貧乏で子が産めない、という人が多くなっている。結婚もままならない。少なく産んで、十分な教育を受けさせたい、ということもあるが、どちらにしても、子育てにはお金がかかるし、子は、親の役に立っていた時代ではなくなった。少なく産んで、十分な教育を、という考え方の方が増えていることもある。

 更に医学が発達して、年寄りが長生きする時代になってきた。国の人口分布が逆さまになってきたのだ。若者が少ないので、老人を支え切れなくなってきた。

先日も、仙谷元官房長官のお話をきいたのだが、こうした問題は、早くから分かっていたにもかかわらず、何の手も打ってこなかった結果とおっしゃる。長い自民党の政治が続いたのだが、やはり、考え方の古さが、それをじゃましたということが分かった。やはり、女性が、どんどん働きだしたにもかかわらず、働きながら、子育てのできる社会作りをしていかねばならなかったのに、それを怠った。【女は、家庭の中で、夫に仕え、子どもを育てることが最良】という考えでは、新しい法律も、作れないだろう。

ま、手遅れの重病人となったこの国の人口問題、これからの若者たちには、何とか沢山の子供を産んでもらいたいものである。

 

2015年8月7日金曜日

№960 食事


 お盆前になると、草取りに精を出す。雑草園という看板をかけたい庭では、仏様もお帰りにならないかも。(笑)けっこう綺麗になっていくのは楽しいものだ。といっても、2時間が限度だ。足腰が文句を言う。
 朝は5時から2時間の草取りをすると、全身汗まみれになる。シャワーをあびて朝食の用意をするのだが、もう、何でもいいや、の気分で、冷蔵庫にあるものを、そのままいただくことになる。
 普段は、けっこうこだわりがあり、毎食材料が10品ないと、胡麻や梅干し、等を加えて10にするので、食卓に並べてから、「1.2.3……」と、何時も数える癖が付いている。
 ただし、1日30品目には、こだわらない。毎食同じものでも数に入れる。朝炊いた味噌汁には、具が5品目。これを昼か夜、もう一度頂くことになる。一人分の味噌汁など、すぐに焦げ付いてしまいそうで、いつも2食分は作っている。3食同じということはないが、似た食事はよくしている。

手抜きは、朝だけではない。こう暑くては、もう昼も夜も手を抜きたくなってしまうのだ。この頃のように、パソコンや、机の前の時間が多いと、なおさらだ。

手を抜くことになると、出来あいのものをよく買っておくことになる。夜、散歩がてら、近くのスーパーへ、いくと、牛蒡のきんぴらや、ポテトサラダ200円が半額になっていたりすると、つい手が伸びる。賞味期限が今日中であっても、明日食べても大丈夫ということが分かっているので、平気だ。

独りでの自由な暮らしというのは、食事を作る楽しみは、半減する。これは、「美味しい」と言って食べてくれる家族がいないということだ。平均寿命でも、独り暮らしの人は、既婚者より、短命ということを読んだことがあるが、こうした食事面のことも、その原因かもしれない。

ともあれ、要注意だ。気をつけよう。ああ、早く涼しくならないかなあ。

 

2015年8月5日水曜日

№959 今日は……


 このブログは、読んでくださる方は、少ないと思うのですが、皆さん、私のことを心配してくださる方が多いので、何日もお休みしますと、〝くたばっちゃったかな〟と心配おかけするやもしれませんので、ちょっぴりでも、顔をみせないと、……と思いまして、書いています。

 今日は、5時起床。7時まで、庭の草取り。これは、とても気持ちがよいのですが、腰と、膝が悪いので、あまりはかどりません。

朝食後、役員会(藍住文藝)の準備。10時より会。7月末締め切った作品の点検と、忘れていらっしゃるかもしれない方たちに、電話を入れたりの作業をしました。俳句、短歌、詩、小説、随筆、広告、それぞれの係の方が、受け持ちの部を誤字脱字、その他をみてくださいます。おかしなもので、自分の作品の間違いは、見落とすのですが、他人さまの作品の間違いは、けっこう目につくものです。元、新聞記者のNさんも、そうおっしゃるので、そういうものなんですね。

午後からは、遅れて作品を手持ちされた会員さん、2名と、会費を持参してくださった方2名の方の応対と、まだ目を通していない作品(随筆・小説)の一部を見たりと、目を酷使していました。(笑)

ポストを覗きますと、文芸協会に寄贈してくださる詩誌、俳句誌の2冊と個人的私あての手紙とはがき各1通。計4通の礼状と返信。何とも慌ただしい一日でした。おかげで、腰が痛く、毎日の日課としている踏み台昇降運動は、出来ませんでした。この運動、一日10分ずつ3回することを目標としていますが、8月に入ってまともに出来た日がありません。運動不足は、てきめんに体重増加という有難くないおまけがついてきます。夏痩せということばは、もうエアコンがついてからは死語に近いです。

といったような一日でした。

 

2015年8月2日日曜日

№958 焼かれてしまいそう


 この2・3日は、外にでると、殺人的な暑さで、ぐらっとしてしまうし、車に乗ると、焼かれてしまいそうだ。ま、車はガンガンとエアコンつけて走りだすと、冷えてくるのだが、体にこたえるのは内外の温度差だ。いや、もう、家の中でも、エアコンを点けた部屋から、点けてない部屋へ2,3分移動しても、汗が流れ出す。だから、総てのエアコン(と言っても2つきりだが)をつけておかねばならない。

毎日のように、暑さで死者が出ているのを見聞きすると、人ごととは思えない。葬式出すこと思えば、電気代のことなど心配することない。

昨日は、義弟の七日法事にいって、ちょっと疲れたし、今日は、徳島のシビックセンターでの会にでたのだが、帰ってくると、やはり疲れていて、何をするにもしんどい。やはり、この季節は、気をつけないと、体がついていけない。つくづく無理のきかないようになっていくのが、自分で分かる。要注意だ。