昨日は、秋晴れの上天気。以前からお願いしてあった庭の樹の手入れをしてくださる方が、やっと順番がきて、我が家に来てくださった。先代とよく似た息子さんと、3人のお弟子さん?で、さっぱりした庭になった。伸び過ぎた木の丈を切ったり、枝を払ったりしていただいたので、田をはさんだお向かえさんや裏のお家が丸見えになっている。ということは、向こうさんからも、我が家が丸見えということだろう。毎年手入れをしたらいいのだが、2年に一度ということにしていたのに、最近は、手を抜いて、3年もあけると、もう切り落とされた枝葉が運びきれず、今日も運んでくださっている。
我が家は、その昔は百姓家だったので庭が広い。収穫した籾などを、むしろに拡げて干していたのだ。息子らの住む母屋と、私の住む兎小屋と、物置の建つ敷地は、300坪くらいだろうか。囲いの内側は、樹を植えてあるので、それが茂ると目かくしのようになってしまう。
家のぐるりは田になっていて、季節によっては、蛙の鳴き声が聞こえたり、虫の鳴き声や鳥のさえずりなど、けっこう自然を楽しむことも出来る庭である。といっても、小山を造ったり、大きな石を置いたりと、きちんと美しい庭作りをしているわけでもないので、雑草が生えまくるし、樹は大きくなるし、手におえないのが本心だ。人の出入りが多いので、駐車だけは、何台でもOKという庭で、草枯らしはあまり撒きたくない。でも慣れてくると、「雑草だって生き物だわ。雑草園の看板かけようか」なんて言いながら、平気になってきた。
足腰が少しマシになってきたのでぼちぼちと、台に腰かけながら草取りを楽しんでいる。長続き出来ないのだが、このトシになってくると、気ままに出来る草取り仕事は、とても気持ちがいいと感じられるようになった。
雑草にも色々あって、秋になれば、草紅葉になるものもあれば、憎たらしいものは、根をはり、実をつければ、衣服に所かまわずくっついて困らせるものもあり、そんなものは、大きくなる前に、引き抜いておくのだが、見落としもあって、スコップ片手に苦戦することもよくある。
秋の青空というのは、気持ちのいいものだ。昨日はしばらく眺めていた。寒くても暑くても、青空をじっと眺めていることはめったにない。
トシを寄せることも「悪くないなあ」と思えるのは、自然とともに生かされていることをしみじみと感じさせてくれるひとときが一番かもしれないなあ……。