2017年12月31日日曜日

№1190 大晦日(おおつごもり)


  いよいよ今年も終わる。今日は大晦日。一年の最終日の大晦日(おおつごもり)だ。小晦日とか、大晦日とか晦日(みそか)ということばは、最近はめったに聞かになくなった。晦日というのは、三十日という意味なのだが、月末という意味に転じている。

私は小さい時から、この言葉には馴染みがあった。小学校の4年生頃から、晦日に集金というイヤでたまらない仕事をさせられたのだ。近くの10軒ほどの集金だが、犬にほえられたり、留守だったり、日を延ばされたりするが、一番イヤだったのは、家人の差し出す縦書きの分厚い領収帖に、目の前で、〝一金〟と書かれてある下に、下手な字で 参十五円 藤○印刷所などと書きこまねばならないのだ。(家業が印刷業だったのに、今風の領収書をどうして印刷していなかったのかと思うのだが)字の下手なことが、今も凄く恥ずかしく思うのは、この時からなのだ。

今日は朝から大変だと思うので、大晦日に入ったところで書いている。大変というのは、私にとってであって、することはたいしたことではない。いつものような一日になるのだが、煮炊きが多くなるので、立ち仕事が多いだけの話。黒豆の仕上げ、シイタケ、こんにゃく、筍、高野豆腐、牛蒡、数の子の仕上げ、などが私の分担である。お正月3か日は、家族いっしょに食事をするならわしだ。もう味付けに自信がないのだが、黒豆は市販のものより人気がある。

一年は早くなってきた。というより、生きている時間が減ってきたので、惜しむ思いが強くなってきたのだろう。色々な思いがあった一年だが、生きていることの意味がだんだんと心にしみてきた感じもする。

皆様、よき新年をお迎えください。来年もよろしくご指導のほど、お願いもうしあげます。

2017年12月21日木曜日

№1189 平均寿命


 先日、平均寿命の発表がありました。また伸びたようですが、私は87歳なので、今死んでも当たり前のことのようです。何事でも中ほどでいいと思っているのですが、何の準備もしていないので、こればかりは明日死んでもいいとは言えません。半年くらいは、余裕がほしいです。()

それにしても、新聞の死亡欄に毎日目を通していますが、皆さん、長生きしていらっしゃった方の多いこと。亡くなる前の様子は分かりませんが、長寿といった方々は、そんなに長患いなさっていたとは思えません。私の同級生の方が二人、相次いで亡くなりましたが、寝込んでからは、あっという間に逝ってしまいました。

人生50年60年70年と、延命してきましたが、若くして亡くなる方が多かったということもあって、昔も長生きした方はかなりおりました。私の祖母も、粗食時代が長かったと思うのですが、93歳まで生きておりました。ただ、医学がまだ今ほど進歩していなかったせいか、88歳で寝込んでしまい、その後は寝たきりでした。今ならリハビリでもして、寝込むのはもっと短かかったのではと思います。

明日は知人のお葬式に参ります。夫の友人でしたから、私とよく似たお年です。人生100歳時代といいましても、なかなか100まで生きるのは、まだ大変です。そう思いますと、もっと、日々を大切に過ごさねばと思いますねえ。

 

2017年12月19日火曜日

№1188 年賀状


  12月もあと10日余りとなると、やはり気忙しい。やっと年賀状を書きあげた。書いたといっても、パソコンでの印刷で、余白にちょっとしたご挨拶程度のことを書きこむだけなのだが、それがなかなか書けない。特に右手の指の関節が痛く、膨れているものだから、何を持ってしても、下手な字が踊ってしまう。書きながら「読めるかな?」なんて心配しながら書くしまつである。

 もう、このトシになると、いつもお世話になっていたり、元気にやっていますよ、とお知らせしたい方は限られてくる。お顔も忘れたような方は、相手さんも同じだろう。年賀状だけのお付き合いの方には、「次回からは年賀状は失礼します」と書きこもうか?」と迷うことがよくある。特に若い方にとってみれば、年寄りから頂くのに、止めるわけにはいかない、ということになりかねない。こちらから失礼するのがいい場合もあるだろう。……なんて考えながら書いているものだから捗らない。

こんなことを友人に言うと、「私はもう出さなければならない方だけ出して、あとはトシだから、頂いた年賀状に返信するだけ」とか。なるほど、来年まだ生きていたら、そうしようと思った。(-)

2017年12月10日日曜日

№1187  ボランティア


  街中を車で走っていると、同じ襷をかけたり、或いは揃いのチョッキを着た方たちが、落ちている塵、ゴミを拾っていたり、公園の草取りをしているような情景をよく目にする。「あ、ボランティア活動をされているんだな」と思いながら走り去るのだが、そうした活動をあまりしてこなかった私としては、「ご苦労様です」と声をかけたい気持ちになり、感心してしまう。

 あるご夫婦は、【いつも目を輝かせていよう】というのがモットーとかで、ボランティア活動によく参加されている。ボランティア活動は、生きがいに通じているともおっしゃり、「元気で明るいのが一番ですわ。人間って、内面が輝いていたら、何を着ていても清潔でさえあればおかしくない。だから、おしゃれには無関心です」とおっしゃる。(でも陰で奥さんは、「お気に入りの服があれば、高くても安くてもすぐに勝手に買ってしまうんよ」と)ふふふっ。

 私も初心を振り返ってみると、初めて年金が、通帳に振り込まれたのを手にしたときは、やたら有難く、働けるうちは、少しでも世の中のためになるようなことをしなければ、と思ったものだ。と言っても、私のことだ。硬苦しく考えたわけではなく無理なく出来ることがあったら・・・といった程度のものだが。

でも、私的にしたいことが多くなり、けっこう忙しくなってきた。お金になるような仕事ではないけれど、ボランティアとは言えないだろうなあ。ほとんどが好きなことをしている、というようなことばかりなので・・・。

 思うのだが、【ボランティア】の核に有るものは、人間同士の愛情だと思っている。懐の深いひと、豊かな愛情にあふれている人は、止むにやまれぬ思いで、外国にまで出かけて人助けをしたりしている。自分や身内だけにしか愛が及ばぬ人は、他人さんのためにタダ働きするのはしんどいだろう。他人のためにどれだけの奉仕ができるか、というのは、愛情の一つのメモリになるだろう。

 自分は?というと、そこそこの事は出来ても、大きな事は出来ない小物で並みの人間。世の中には、並みの人間は、山と居られるだろうが、積極的に【ボランティア】をしている人は少ない。なんとなくテレもあるのだろう。ただ言えることは、少しでもやってみると、ボランティアは、他人のためではなく、自分のためにするものだということが、じわじわと心に沁み込んでくる。

このトシになると、グループの足を引っ張るようなボランティアなど、したくても出来ない。でも、曲がった腰を手でさすりながらも、ボランティアに精出す方の気持ちが良く解るのだ。見習わなくちゃぁ・・・。

 

2017年12月4日月曜日

№1186 報道で思うこと

 元横綱、日馬富士の事件がこれでもか、というほど毎日ニュースで取り上げられていた。今だに関連したニュースが流れている。「どうしてこんなことになったのか?」と、相撲関係者の中でも囁かれているようだ。ご本人も、事件のあと、土俵にもあがっていた。「こんな大きな事件になるとは思っていなかったので」と。

市井の人なら、たとえ新聞記事になっても小さく載ることも、有名人ともなれば、大事件となるのだから大変だ。

 私の思うに、大きな事件にしたのは、報道関係と思う。どの局も、毎日トップニュースで報道していたのでは、大事件に成らざるを得ないだろう。そうした責任は、報道関係の方々は、感じてはいないようだが……。

 日馬事件だけではない。良きにしろ悪きにしろ、ちょっとした失言を取り上げて、その人をこき下ろす、或いは政治そのものを変えてしまうことも今までにはあった。要人は心すべきだ。

 コトバは、たしかに大切だ。その人の人格まで崩壊することもある。ただ、人間は、いつもいつも正しく緊張して心境を吐露しているわけでもない。ハンドルに遊びがあるように、コトバにもそうしたものがあるだろう。時と場所を考えねば、ということだろう。

いい人間関係というのは、心のつながりを感じるような話し合いが出来る関係と思う。たとえ話の内容が怒りや苦い感じのものであっても、生きるための「塩」になるだろう。人を教育する立場の者には、そうした関係が不可欠だろう。長く生きてくると、生きていく上での「人間関係」の大切さが身に沁みている。

 

2017年12月2日土曜日

№1185 師走


  ついこの間、年賀状を出したような、そんな気分で師走を迎えた。一年が、あっという間だった。一年が早いという感じは、年ごとに強く感じる。残り人生を考えるので、そうなってしまうのだが、これは仕方がない。一年の重みが一年ごとに重くなっていくのは一年の大切さや惜しむ気持ちが強くなってくるのだから。

一日一日が大切ということを思いつつも、それに反比例して無駄な時間が多くなっていく。たちまちモノ捜しとか、忘れたことを考えて思い出すなんて、昔はそんなになかったことだ。(けっこうあったのだが忘れたのかも。笑)

師走というと、昔はボーナスを頂けるという楽しみがあったが、今はもうただ心忙しいだけの12月であるが、片付け魔?かと思うほど、忙しいときに片付けや掃除がしたくなる私なので、楽しみもある。今日も、冷蔵庫の中のものを全部出して、掃除をしたり、いらぬものを捨てたりした。

こんなことを書くと、さぞ家の中は、整理整頓が出来ているだろうと思われそうだが、そんなことはない。何をしても雑なのだ。このパソコンの周りも、いつも雑然としている。

あ、もう日が変わる。書きたかったことがかけなかったが、もう終わりとします。

 

2017年11月29日水曜日

№1185  大丈夫?


  北朝鮮が、またお騒がせなことをやったらしく、朝のとっぱちからTVが騒ぎ立てている。安倍さんは、トランプ氏と共に断固戦うと意気まいている。日米同盟だからといって、アメリカが戦争はじめたら、日本もはじめるのだろうか。いや、アメリカが暴挙にでたら、日本は、戦場となる。アメリカの基地があるのだから、まずはそこが狙われるだろうから、間違いなく戦場だよ。

相手は対話を願っているに違いないのだから、制裁制裁といくら行ってもなかなか聞く耳をもってないのに、大丈夫?と思ってしまう。気の短そうな北朝鮮とアメリカのトップ。それについて行く従順な日本のトップ。なんだか怖いなあ。大丈夫なの?

ま、そうは思っても、金さんだって、バカじゃないだろうから、戦争なんかはするつもりはないだろけど、どこで、だれが仕掛けるか分かったもんじゃないもんなあ、この世界は……。

2017年11月23日木曜日

№1183  ニュース


 ニュースをみていると、有名人になると、大変だなあと思ってしまう。お酒の場で、誰かを殴って怪我をさせても、たいしたニュースにはならないが、横綱となると毎日毎日、これでもかというほど繰り返して全国に流されている。お気の毒さま。

誰とは言わないが、繰り返し責められても、同じようなウソで固めた答弁しかしないお偉い方もいらっしゃる。聞いていても、もうハラもたたなくなってしまった。お偉い政治家は、ウソも巧く言えないといけないなあ。

北朝鮮のニュースをみていると、沢山の兵隊が行進していても、全員といっていいほどスマートだ。太っている人は、あまり見かけない。太っているのは、只一人、一番お偉い方だけだ。何となく、今の北朝鮮を象徴しているようで面白い。彼は、毎日ご馳走をお腹いっぱい食べているに違いない。餓死寸前の国民がたくさんいるらしいのに。

ご馳走で思い出した。東京への旅の途中、何度か駅弁を買った。そして、新幹線の中で頂いた。

ところが、徳島県には、駅弁が一つもない。昨年の秋頃から、なくなったらしい。列車の中で駅弁を食べるのは、けっこう楽しいものだ。その地方の名物があったりして、迷いながら選ぶのもいい。ときおり、大きなスーパーなどで、日本各地の有名駅弁を並べて客寄せをすることがあるが、そんな場に出くわすと、つい覗きこんでしまう。何となく旅をしている、いや、旅がしたくなる気持ちになってしまう。行けなくても、そんな気分になるのもいいものだ。

人殺し、窃盗、子殺し、色々なニュースが流されるが、心温まるような、思わず感動して涙が出てくるような、そんなニュースが沢山流れる時代はくるのだろうか……。

2017年11月17日金曜日

№1182 旅行



  久しぶりに、明日から嫁と二人で東京へ行く。東京は、5年ぶりになる。高速バスで新神戸まで行き、新幹線で東京へ。私はついでに2泊するのだが、嫁は日帰り。飛行機で行ったらいいのに、往きは飛行機嫌いの私に合わせてくれたのだ。私を心配してくれてのことだ。5年前は、まだどこまでも独りで大丈夫だったのだが、このトシで、荷物持っての一人旅を心配してくれてのこと。ありがたいことだ。おかげで最近は、足腰も少しマシになってきたので、何とかなるだろう。これも、足腰によいというストレッチを続けて来たおかげと、毎日の卵3個のおかげと思っている。(^^

天気予報では、明日から天気が崩れるし、寒波が襲ってくるという。冬仕度での旅行になる。風邪をひかぬように、行ってきまーーす。

 

2017年11月14日火曜日

№1181  闘いすんで日が暮れて……


   1112日、演劇公演が終わりました。ホッ。トシだなあと、つくづく感じ入りました。反省することばかりですが、疲れてしまって、もう何もしたくない気分でした。でも、色々と電話をくださったりして、本当は、休むどころではなかったのですが、今日あたりから、やっと仕事が手につきはじめました。何日も読んでいなかった新聞にざっと目を通したり、机の周りのいろいろなものを片付けたり……。

シニア劇塾なので、若い方たちのように、体力があるわけではありませんが、皆さん、よく頑張りました。舞台作りから、荷物運び。何より台詞を間違いなく言えるようにと。私は最高の年寄りですから、皆さんがしている仕事をただみているだけですが、それでも疲れました。みんな、私からみますと、息子や娘のようなものです。塾長の先生は、演出され、私達を指導してくださるのですが、(私より10歳お若い)大変なお忙しい中いつ倒れてもおかしくないほど、毎夜、遅くまでご指導されて、当日もハラハラされておられました。何とか大きなミスもなく、2回の公演をすませ、胸をなでおろされておられることでしょう。

私も、ちょろりと認知の婆さん役で舞台に出ましたが、自分の台詞は、極力少なく出番も少なく書きましたのに、間違えたりして。(爆笑)

反省することはたくさんありました。オムニバス形式という形式をはじめてしました。関係のない3つの話をそれぞれが演じるのですが、1つが30分ほどの劇となりますから、出演者も、3グループに分かれての練習が出来るのはよかったものの、30分では劇に必要な【事件】を盛り込むことが難しいなどの、問題点もありました。でも、何とか、見に来てくださった方々にとっては、老後のことは切実な問題ですから、何かを感じとってくださったかもしれません。

これで最後、と昨年も思っていたのに、今年もやってしまった。(笑)なんとなく、ヤクザの世界です。なかなか足が洗えない。おだてられても木に登る豚にはなるまい、と思っております。

2017年11月3日金曜日

№1180 秋晴れ


  昨日は、秋晴れの上天気。以前からお願いしてあった庭の樹の手入れをしてくださる方が、やっと順番がきて、我が家に来てくださった。先代とよく似た息子さんと、3人のお弟子さん?で、さっぱりした庭になった。伸び過ぎた木の丈を切ったり、枝を払ったりしていただいたので、田をはさんだお向かえさんや裏のお家が丸見えになっている。ということは、向こうさんからも、我が家が丸見えということだろう。毎年手入れをしたらいいのだが、2年に一度ということにしていたのに、最近は、手を抜いて、3年もあけると、もう切り落とされた枝葉が運びきれず、今日も運んでくださっている。

 我が家は、その昔は百姓家だったので庭が広い。収穫した籾などを、むしろに拡げて干していたのだ。息子らの住む母屋と、私の住む兎小屋と、物置の建つ敷地は、300坪くらいだろうか。囲いの内側は、樹を植えてあるので、それが茂ると目かくしのようになってしまう。

家のぐるりは田になっていて、季節によっては、蛙の鳴き声が聞こえたり、虫の鳴き声や鳥のさえずりなど、けっこう自然を楽しむことも出来る庭である。といっても、小山を造ったり、大きな石を置いたりと、きちんと美しい庭作りをしているわけでもないので、雑草が生えまくるし、樹は大きくなるし、手におえないのが本心だ。人の出入りが多いので、駐車だけは、何台でもOKという庭で、草枯らしはあまり撒きたくない。でも慣れてくると、「雑草だって生き物だわ。雑草園の看板かけようか」なんて言いながら、平気になってきた。

足腰が少しマシになってきたのでぼちぼちと、台に腰かけながら草取りを楽しんでいる。長続き出来ないのだが、このトシになってくると、気ままに出来る草取り仕事は、とても気持ちがいいと感じられるようになった。

雑草にも色々あって、秋になれば、草紅葉になるものもあれば、憎たらしいものは、根をはり、実をつければ、衣服に所かまわずくっついて困らせるものもあり、そんなものは、大きくなる前に、引き抜いておくのだが、見落としもあって、スコップ片手に苦戦することもよくある。

秋の青空というのは、気持ちのいいものだ。昨日はしばらく眺めていた。寒くても暑くても、青空をじっと眺めていることはめったにない。

トシを寄せることも「悪くないなあ」と思えるのは、自然とともに生かされていることをしみじみと感じさせてくれるひとときが一番かもしれないなあ……。

2017年10月29日日曜日

№1179 最近思うこと


  またかいな、と思っていた台風も、我が町あたりは、たいした被害も無く、過ぎていってくれたので、ひと安心しています。何か月も前から庭の手入れをお願いしてあるのに、未だに来てくださっていないものですから、倒れそうになっている古木が心配なのです。
 近年のお天気の異状は、やはり気になります。毎年、今年のように大型台風や大雨が日本列島を暴れるのではないかと……。

つい先日、87歳の誕生日を迎えました。このトシになりますと、「目出度くもあり、目出度くもなし」の心境ですが、身内は勿論、私の誕生日を憶えていてくださった方たちからの、「おめでとう」を頂き、つくづくと、よくぞ生きてこられたと、感謝の気持ちでいっぱいの誕生日でした。あと、どれくらい生きているのかは不明ですが、これからの生き方が、私の総仕上げの季であることをキモに命じた次第です。そして、いつ出頭令状がきても慌てずに、ということで、最低の片付けをしておこうと、赤紙の来る前の兵士のような気分で、暇を見つけては、片付けに専念しています。(笑)

……なんて、偉そうなことをほざいていますが、机の中の整理だけでも、一日かかるしまつですから、どれほどの整理が出来るものやら危ういものです。

 片付けながら、今ごろ気がついたことがありました。「どうしてこんなものまで大切げにしまい込んだのか」というモノが山とありました。例えば、毎年定期的にくる自動車保険の書類。こんなものは、期限が過ぎて、新しいものが来たら、すぐに捨ててしまっておくべきで、何の役にもたちませんし、一度も封筒から出して見たこともありません。捨てるものは、直ぐに捨てるべきでした。また、いつかは役に立つだろう、なんて切り抜いていた新聞記事なども、何の役にも立てずのものがほとんどです。整理もせずにしまい込んだものは、イザというときには、見つからないことがほとんどであることを考えますと、そういうことは、はじめからしないことに決めました。本当に必要と思うことは、頭の中にいれておいたらいいことですからね。すぐ忘れる私ですが、それはどうでもいいことなんで、忘れるんです。(笑)と、まあこんな調子で、やっていくことにしました。

 良く私のことを、「お元気ですねえ」と言ってくださいます。家族までもが、そう思っています。息子などは、「お母さんぐらい、元気婆さんは少ないでよ」と。事実はそんなことはありません。少々の痛みやだるさや、ふらふらした歩きようは、外見には、分からないだけです。ただ、腰が痛くても腰は曲がっていないし、平地はスタスタ歩けるので、本人は、杖を突きたい気分でも、元気ババアにみえるんでしょうね。足は分銅をぶら下げているほど重たくても……。ま、車の運転だけが自慢できる私なので、それも元気印になっているのでしょうか。乗っている時は、腰も痛くはありませんし、リラックスしていますが、車を降りたとたんに、ヘッピリ腰で腰をさする私です。

 ともあれ、寝ることと食べることは、生きていく基本ですから、手を抜きながらも、お野菜たっぷりと、毎日卵3個は、続けていくつもりです。出来るだけ、睡眠時間も12時までには、床に付けるようにし、6時間は、寝るようにしたいと思っています。

 

2017年10月23日月曜日

№1178 コトバの重み


  飛ぶ鳥も落とす勢いだった【希望の党】が、あれよあれよと言う間に、人気が落ちていった。党首のひとことふたことが、影響したようだ。民進党が、「野党が結集して政権交代を」、ということで、希望の党に合流しようとしたのはいいが、意図的かどうかは知らないが、報道関係が何だかんだと書きたてたものだから、たちまち人気下落につながってしまった。

 コトバは、その人柄を表すものである。言い換えると、コトバは、その人の思想なのだ。例えば、歌、俳句、随筆、その他、文章を練る、思いを練ることは、つまりはあれこれとコトバを選び、ひねくり回し、取っかえ引っかえすることであることを思うと、ことばを練ることは、「思いを深める」「深く考える」ことと同じなのだ。

国や都民の上に立つ者が公言したことは、消しゴムで消すわけには行かない。秘書さんに、非常識な暴言を吐くと、もうその人格を評価されても不思議ではない。そんなことをしでかした者が、再び当選など出来るはずもないのに、立候補する、というのは、コトバの重みなど、自覚していないのだろう。

 身から出た錆ということばがあるが、落選議員総てではないが、そうしたことも、反省していただきたいものである。

 それにしても、日本人は、現状に満足している幸せな人たちが多いようだ。安倍総理は、勝手な解散をしたと言われていたけれど、これだけの支持があったと言うことで、鼻高々のようだ。それを望む国民が多数いのだから、当然だろう。ただ残念ながら、安倍さんの演説を何度聞いても、国民と心の繋がりを感じることはない。やはり、コトバは、その人柄を表すというように、温かみが感じられないし、信じられるお人柄とも思えない。ま、政治家というのは、ウソも平気で言えるだけの、ツラの皮は厚くなければいけないのかもしれないが……。

2017年10月20日金曜日

№1177 ポイ捨て


  私の住む田舎町は、めずらしく人口が増えています。徳島市に近いこともあって、通勤に便利と言うこともあるのでしょう。むろん、私のような高齢者もたくさんおりますが、割合からいいますと、他町村より少ないと思います。移住してくる方、家を立てて引っ越してくる方は、若い方が多く、小学校の生徒数も、減ってはおりません。
  若者の道徳心が薄いというわけではありませんが、道路へのポイ捨ては、ほとんどが車からのポイ捨てです。それも、県道などではあまり見かけませんが、両脇が田というような町道に多く見かけます。多くは食べ物の入っていたような容器などが、2,3入った袋とか、煙草の吸い殻、中には、車の灰皿が満杯になったのか、吸い殻の山までありました。

 どこの国も、昔から、こうしたことはあったらしく、ベスビオ噴火で灰に埋もれた町の発掘中に【公共の場所に、ゴミを捨てるな】と書いた布告が出て来たといいますから、世の中、進歩することもありますが、足踏みばかりしていることもあるのだなあと思います。

 最近は、道徳教育とかいうものが復活しつつあるようですが、経験上、道徳教育ほど難しいものはありません。学校で週に1時間ほど学習したところで、なかなか身につくものではないでしょうね。やはり家庭生活の中で、小さいときから教えられたり見習ったりしながら、身につけていくもののように思います。今、ポイ捨てをしている若者が親であったり、あるいは将来親になっても、あまり期待は出来そうにないのですが……。

2017年10月18日水曜日

№1176 風邪


  1016日(月曜)は、かなり寒かったのに、ダテの薄着をしたものだから、体調を崩してしまった。文藝誌12号出版祝賀会ということだったので、その準備やら雑用で、疲れていたためもあったのか、翌日は、風邪気味だつた。めったになったことのない頭痛というのを経験した。そのうえに、よく痛くなる背中のスジまでが痛みだしたので、昼間はごろごろと最悪。でも、夜は、劇の練習に出かける時には、シャッキリとしてしまった。()

10時半に帰って来たが、それからが大変。1時間もあれば出来ると思ってはじめた冬衣装との入れ替えに、何と3時間もかかった。「この機会に捨てようか?」「こんな色合いは、もう派手すぎる」……といったようなことなので、仕事がはかどらない上に、眠たくならないものだから、気がついたらコヨミが変わって2時間以上たっていた。

 慌てて蒲団にもぐり込む。さすがにすぐに寝むれるだろうと思ったが、足が冷たくて寝付かれない。冬衣装をどうこうする間に、すつかり冷え込んだらしい。

 やれやれ、朝目が覚めたのが7時。頭が痛い。鼻水が出る。ああ、最悪。午前10時来客。ちょっと声がおかしいよと言われたが、頭痛はなくなっていた。午後1時半約束の来客、戦中戦後の生活を聞きたいということにお答えする。

 何年ぶりかに訪れてくれた風邪さんは長居はつまらなかったのか去ったらしく、夜のお稽古は、頭痛もなく終わり帰宅。入浴も出来たし、今夜は早く寝よう。風邪さん、さようなら。(^^) 

 

2017年10月9日月曜日

№1175 選挙戦


  衆議院の解散が、なぜ今なのか、安倍さんの説明を聞いても、分からない。ひと月先であっても、半年先であっても、一向にかまわないはずだと。

 ま、もう火ぶたは切られたのだから、古女が何をぼやいてもはじまらない。私は、はっきり言って、もう、どうでもよくはないけれど、以前のように、【この人は、絶対に日本の国には、無くてはならない人、というような熱意はなくなってしまった。仙谷由人氏が政界を出てしまった今は、ただただ、自民党に対して、一党支配、独走をストップさせるだけの、野党が誕生してほしいだけである。

今回は棄権という方もいる。私たちの区には、自民党と、共産党と、幸福野等の3にんしか立候補していないのだ。入れたい方がいないという。でも、それは危険である。私たちの持つ一票は、力の弱い、何の力にもならないような一票だが、今までの結果をみると、そこには、何らかの民意が現れているからだ。

 今の日本が、大変な時にきていることは、だれもが感じているはずなのだから、一票の弱い力も、数さえ集まれば、大きな波を作るかもしれない。決して棄権などはしてはならないと思っている。  

とはいいながらも、世界を見渡せば、日本は本当に有難い国であることも、国民は知っている。それなりに満足している方たちは多い。アメリカの傘の下で安定していることも事実だろう。こうした国民の一人ひとりの思いが、どう反映されるのか、

選挙は魔物といわれているのは、やはり蓋をあけるまでは解らないことが多いからだろう。

2017年10月7日土曜日

№1174 ブログの落ち

 ふっとブログの目次をみていました。1173回も書きますと、いったいどんなことを書いてきたのか、記憶にないものも沢山あります。目に留まったのが、番号の落ちでした。994から、996となっています。995が抜け落ちています。番号の付け間違いかな、と思って書いてある元原稿をみますと、ちゃんとありました。内容が腸内細菌というものです。これは、ある本の紹介で、皆さんにお知らせしたくて始めたものです。気になりますので、遅くなりましたが、ここに落ちていた【その7】を挙げて置きます。

 995 (H271113日) 腸内細菌 その7

  ☆腸内細菌を理想的にするためには、食べ物に気を付けるだけではなく、体内の活性酸素を減らすことも重要だ。腸内細菌にダメージを与えるだけではなく、免疫機能などにも悪影響を及ぼす。しかし、体内には、活性酸素を消す酵素も備わっている。でも、この酵素は加齢とともに減っていく。そして老化が始まる。

自力で活性酸素を除去する方法は、第一によく噛んで唾液をたくさん出すこと。第二に抗酸化力の高い食品を食べる。(すべて植物性)これらの食品には、炭酸ガスを吸って、酸素を出す性質があり、酸素は、腸内細菌に変質しやすいので、植物は、身をまもるため、フィトケミカルと呼ばれる抗酸化物質を沢山保持している。フィトケミカルは、1000種類くらいあるが、世間で体によい、と言われている植物性成分の多くはフィトケミカルである。ビタミン類もフィトケミカルの一種である。色、香り、辛味、苦み

成分もそうで、こうしたものの強いものは、より、フィトケミカルを豊富に取れるということになる。同じ植物であっても、路地栽培のほうが、フィトケミカルは、豊富という。

 最近多い癌については、癌細胞に影響を与える成分は、にんにく、キャベツ、キノコ、長ネギ、玉葱、ニラ、大根、ワサビ、などに多く含まれていて、特にニンニク、キャベツ、キノコは優等生。ということです。(^^)

 27/10/9982より その1がはじまります。)

 

 




2017年10月1日日曜日

№1173 10月だぁ


 朝、窓を開けると、金木犀の香りが飛び込んできた。「ああ、やっと秋がやってきたな」と鼻をくんくんさせながら顔を突き出した。
 昨日は忙しく、講演会にも出かけたり、出来あがって来た文藝冊子を送り届けるための残り作業を夕食後始めたところ、日が変わっても片付かず、頑張って午前2時に眠りについたので、7時近くに目が覚めた。正直なものだ、2時間遅く寝ると、目覚めも2時間遅れている。
 7時にもなって目がさめても、身体の動きはいつもと同じなので、朝食も9時過ぎてしまう。そうなると、昼食もずれてくる。時間を忘れて仕事をしていたものだから、気がついたら、3時になっていた。3時にもなると、もう何でもいいや、という気持ちになって、おやつ程度のものを食べてすませた。パソコンの前に座りつづけていたせいか、夕食もあまりほしいとは思わないが、9時過ぎに、何とか簡単なものですませてしまった。

 ああ、これではあかんなあと、思っているのだが、もう遅い。早くも日が変わりそうだ。直ぐに寝る準備にかからなくちゃ。

 

2017年9月21日木曜日

№1172 対談


  あと1か月ほどしたら、87歳にもなるのだが、こんなに長く生きてきても、知らないことは、山ほどあるなあ……とよく思う。考えてみると、それは当然で、読書家なんて言えるほど、本を読むわけではないし、しかも読む本は片寄っているし、作家にしても、好き嫌いがある。

 本を読むということは、その人の知識はもちろん、人格形成などにも、大きな影響があると思うので、このようなことを書くのだが、最近はTVでも見たいものがよくあって、世の中には、こんな方がおられたのか、と驚くことがある。その例の一つを書いておこう。

 再放送だったが、先日、【福島 智】氏と、【柳沢 桂子】氏の対談があった。柳沢 桂子氏のことは、よく知っていたので、観ようと思ったのだ。柳沢 桂子氏は、現在79歳の生命科学者で、31歳の時、難病になり、48年間、痛みと闘いながらベットの上で研究や、著書を書かれておられる。福島 智氏のことは、まったく存じあげていなかった。ところが、彼は、ヘレンケラーの男性版というか、9歳のとき、視力を失い、16歳のときに、聴力も失ってしまった。そうした環境にありながら、現在は、東大の教授をなさっている54歳のバリヤフリー研究者なのだ。(心のパリやフリーも)

 お二人の対談は、見えない聞こえない福島氏に寄り添った介助者が、彼の両手の指6本(親指子指を除く)の上に、点字の形に、自分の指を載せていく方法なのだ。指点字というものだ。点字は、縦に1232列目に456と、1から6までの点の組み合わせで出来ている。「あ」は、1の点、「き」は、126の点というようになる。相手が喋る早さと、同じ速度で乗せて行く。これは、点字に慣れた方なら、練習すれば出来るだろう。というのは、私も、13年間、盲学校で、点字を読んだり打ったりしてきたので解る。字の形が、もう頭の中に刷りこまれているので、「の」は即座に236の点と浮かぶのだ。福島氏は、それを即座に読み取り、ご自分の声で返事をなさる。聴き取れぬような発音ではない。しっかりとしたお声だ。16歳までは、聞こえていたことも、よかったのだろ。

 それにしても、そんな現状でありながら、受験勉強をし、博士号をとり、東大の教授になるまでの努力は、健常者でも難しい。いかに頭脳明晰であってもだ。

 柳沢氏は、おおくの著書がありなさるが、以前、53万部という売上をされた【生きて死ぬ知恵】という本を出された。般若心経を科学的解釈で美しい現代語に心訳されている。この本も感動した。

柳沢氏は、福島氏と対談なされ、「人間って、どんな環境にあっても、何かをしようと思えば出来るのだ」と。

 こんなに素晴らしいお二人の対談でした。

*NHKの達人達のインタビュー「福島智×柳沢啓子」再放送

2017年9月13日水曜日

№1171  訃報


  先日、同級生で、親しくしていた友、Mちゃんの訃報がはいりました。彼女は、教員の経験は少なくして結婚し、医者であった連れ合いさんの手伝いをしたり、手伝いが不要になった頃からは、自分磨きに全力投球をした女性で、持っている免許の数は、半端じゃありませんでした。そうした免許を活用して、ボランティア的なことも、たくさんしていらっしゃったのです。

 ご主人が倒れられてからは、至れり着くせりの介護をして見送り、その後も、持ち前の明るさと、世話好きで、多くの人に頼りにされておりました。

 85歳のときだったと思います。お子様二人ともが、湘南の方で家庭をもたれていたので、お二人のたっての願いで、娘さんと同じ階のマンションに転居されました。転居されてからも、近所の方々との交流は、料理のこと、お菓子作りのことなどのを通じて、活動されておりました。むろん、昨年も、今年の春も、同窓会には、泊りがけでいらっしゃり、夜は私達数名の友達と、楽しい一夜を過ごしたのです。

 常々私は、自分の体調等から考えても、人間は、70歳代と80歳代は大違い、と思っています。10年という年月は、あっという間に過ぎるのですが、この10年で、ガラリと変るのが人間で、面目一新というところでしょうか。70歳の人は、ここ10年が「命の春」「晩春」と心得るべきである、なんて、偉そうなことを言っているのですが、70歳代の価値のありがたさが分かるのが80代なのです。

 ところが、彼女だけは、80歳になっても、ますます活動的でした。それがなんと、あっという間に亡くなられたのですから、本当に80代というのは、魔物です。

『人間の存在など永遠の時間から言えば、一瞬にすぎない。だからこそ、その刹那セツナのわが身を我が命をいとおしむこと、これが死を克服する道だ……』と、ある哲学者は書いてあります。哲学などは、解りませんが、このことばは何となく解ります。

  友の死を、驚きと悲しみを、そして今は、〝素敵な人生を歩まれたMちゃんに、カンパーイ〟……と、合掌しています。

2017年9月9日土曜日

№1170 心の旅路


  もう何度目かになる写真の整理をした。する度に少しは減っていくのだが、なかなか思うようには減らせない。何しろ、87年近くも生きてきた証明のような写真であるから、忘れていたようなことも、瞬時にスイッチが入って、否応なく思い出の花が咲くので捗らない。

 生まれ故郷の帯広には、12歳の夏まで住んでいた。その後、大人になって3度ばかり足を踏み入れただけの、ま、蝉の抜け殻のような故郷だが、それだけに引力は強く、色あせた写真に絡まる感慨は尽きない。

 50人ほどが、日の丸の小旗をもって並んだ幼稚園の集合写真がある。硬い台紙付きの立派なものだ。こんな時代から、「天皇陛下万歳」を刷り込まれてきた。「日本で、一番偉い人はだれですか?」という質問が出る。最初は、「うちのお父ちゃん」なんて答えていた子もそのうち、「天皇陛下です」と、一人前になって卒業する。

  名詞ほどの運動会の写真が1枚ある。当時は、軍隊式の整列や行進が、一つの見せ場だった。全校生が行進する。手は肩の高さまで振り、足は腿を高くあげ、角を回る時は直角に曲がる、という行進だが、どの学年も、とても美しかったが、練習は厳しかった。小学生でも、やれば出来るものである。

 戦後の写真は、写真機はあっても、フイルムを買うゆとりもなく少ないだけに貴重である。教師になるために入った学生生活は、この上なく貧しい時代だったので写真も少ない。そんな中の1枚は、父親の背広を仕立て直した物を着て、下級生から借りた(というより、頭に無理にのっけられた)角帽をかぶってのすまし顔。これは似合わない。() それでも若いということは素晴らしい。けっこう楽しい学生生活だった。

卒業し、教員になったものの、月給で革靴1足も買えない時代。インフレのなか、給料もあがっていくのだが、物価に追い付かず、買いたいものはどんどんと店頭に並ぶが、大抵は我慢である。

貧乏の中、結婚し、子育てをしながらも、電気製品には憧れる。電気釜も洗濯機も欲しい。何を買うにも、月賦で買うものだから、10回払いが済むと、次の製品を買うので、楽にはならなかった。でも買いたい服も買わず、旅行もせず、嫁としての気遣いをしながらも、どの写真も幸せそうに笑っている。何と健気であったことか。()

息子の写真は、いつ見ても心が潤んで来る。もう定年近くになった息子だが、毎朝、井戸のつるべから水をくみ上げて、庭の隅のみかんの樹の根元にしゃがみこんで、盥でゴシゴシとむつきを洗う姿、朝食もそこそこに、息子を背にくくりつけて髪振り乱して乗合バスに飛び乗るというあられもない格好、昼休み、預けてある息子のところに走り込み、ほっと一息ついて授乳。……そんな映像が走馬灯のように炙り出されるからたまらない。

……といったように、古い写真を拡げると、心の旅をしたような気分になって、目的とは裏腹に、再び写真をかき集めてしまいこんでいる。最終は、アルバム1冊ぶんの写真が残ればいいのだが……。

2017年9月8日金曜日

№1169   心の筋力


  足腰を鍛えるための筋力アップというのは私もやっている。最近は、膝の痛み解消ということで、足の後ろの筋力を延ばすという簡単なことを朝晩にやっているのだが、【心の筋力】とかいうものは、やったことがない。ある、薬品会社のパンフレットに目を止めて読んでみると、今、自分が何に注意をむけているか、を意識する、ということらしい。注意力ということのようだ。よくはわからないが、〝呼吸法〟が書かれていて、やってみると、なるほど、と思ったので、書いてみよう。これは、意図したところに注意をとどめて心の筋力を鍛えるらしい。

 ・意識のむけ方……空気を吸いながら、空気が鼻を通る時の冷たさを味わう。→ 空気がのどを通って肺に入る感じを味わう。→吐く時は、肺から喉、鼻を通る時の、空気の温かさを味わう。

 姿勢としては、椅子に座り、背すじを伸ばして、手は太ももに置き、視線は斜め下にして目を閉じ行う。

 実際にやってみると、こんなこと、感じたこともなかったなあ……と。たしかに吸い込むときは冷たく吐く息は温かい。いままでこんなことに注意したことなどなかった。

 呼吸法のほかに、〝首回し〟もある。体の感覚に注意を向け、皮膚のハリや傷み、気持ちの良さなど、反応や変化を味わいながら、1階に1分くらいかけて、ゆっくりと、頭の重みで首をまわす。(反対も)お暇な方は、お試しください。(^^)
ふと思った。〝呼吸法〟は、目的は違うけど、寝付きが悪い時に、蒲団の中でしたら、すぐに眠れそうだなあ……と。(笑)

2017年9月5日火曜日

№1168  思い出すS先生


 二度しかお目にかかっていないのに、時々思い出している素敵なお医者さんがいらっしゃる。【成せばなる、成さねば成らぬ何事も……】という諺など、もはや関係ないのが老人、と考えてしまうのが老人だが、この方は、知る人ぞ知る、糖尿病の世界的権威者でいらっしゃるが、1934年生まれなので、今もお元気でご活躍されていることと思う。

 この方は、大学を65歳で退職後、1年間受験勉強をされ、若い時から興味があった考古学を学ぶため、66歳というお年で、勤めていらした徳島大学総合学科に堂々と合格なさった。お勤めをしながらである。

 先生は、「老人は、そんなにダメなものではありません。その気になれば、だれにでも出来るということを、自分で証明しただけです」とおっしゃる。むろん、学ぶことが目的ですが、新しいことへの挑戦意欲は、ただごとではない。

 人には色々な経歴があって、だれもが真似できるものではないが、特に強調されたのは、意欲、気力の源は、健康で、【運動】のおかげと。60歳頃から、毎日5キロのジョギングをされ、すでに何度もフルマラソン大会で完走されていた。

 また、大学退官記念パーティでは、自分でショパンの〝別れの曲〟を弾きたいという素敵な夢をもたれ、60歳からピアノにも挑戦され、見事に念願を達成されている。

 私がお会いした時は、教官時代に部長をされていた〝水泳部〟の部員として、卒業コンペも部員として参加され、若い部員に囲まれて、一段とお顔が輝いていらっしゃった。『自分の能力を試しながら生きるのも、意外に楽しいものですよ』とおっしゃった。先生の真似は出来ずとも、凡人には凡人の能力の試し方がある、だれにでも出来ることだと思った。

 その後の先生は、走って、診て、泳いで、弾いて、しながら、大学院に進まれている。退職も楽し、加齢も楽しという人生を送られている先生を思い出すと、老後は暗夜行路と決め込むことはないようだ、どんな小さな扉であっても、叩いてみるだけでも楽しそうだ、と思ってしまう。扉のキーは体力とおっしゃるのだから、まずは、先日ガッテンで教わった膝の痛み解消で、膝関節を延ばす運動を毎日朝晩、(各5分くらい)続けて見よう、と決心。2週間で効果が見えてくるらしいが、私は今2か月くらいで、かなりの効果を感じている。まず、徳島駅のホームを渡るとき、階段の下りは、いつもエレベーターを使っていたが、先日は、使かわなくても大丈夫だった。成せばなるかな? \(^o^)

 

2017年9月3日日曜日

№1167 最大目標


 ちょっと暇が出来たことで、嬉々として取り組んでいるのが、家の中の片付けです。四角い部屋を丸く掃くことが多いのですが、元来自分の部屋に限って(外は別)掃除は好きで、ちょっとした暇にも、コードレスの掃除機を動かしています。

 実は、片付けと言うのも、最近は、もしもの事を考えての片付けです。もう、最終コーナーを回っている身としましては、歩んできた道のりを振り返って、あれこれと考えたり、反省したり、軌道修正することも大切でしょうが、これからを、いかに周りに迷惑をかけずに生きていくかが、最大の目標になってきました。

 まずは、何とか元気でいることです。長生きがしたいわけではありません。もう、いつどうこうなってもおかしくありませんが、それまで一日でも長く、ということです。

それには、毎日を〝ああ、今日もいい日だった〟と思えるような、日々を送ることと思っています。性格的に、大まかであまりくよくよしませんし、良くないことが起こっても、〝ああ、これくらいで事がすんでよかった〟と、考えるタチですから、例え怪我しても〝よかった〟と感謝できます。ストレスがあまり溜まりません。勝手ながら、「いい性格だ」と。() そして、ちょっぴりでも、誰かのお役になることが出来たなら、言うことありません。

人の一生なんて、この宇宙の中では、一瞬の瞬きのようなものですが、やはり、自分の一生となりますと、かなりの時間です。理想は願いで、願いがかなうとは限りません。寝た切りになってしまっても、認知になっても、「有難う」が言えるように、これからも、感謝の心を育てていくことが大切と思っています。(^^)

 

2017年9月1日金曜日

№1166  9月



 まだ暑い日がつづいていますが、9月の声を聞きますと、何となく、ほっとします。周りの田んぼは、頭を垂れた稲穂が、波うちながら、このまま、15号台風の余波を受けることなく、お米になるのを待っています。
 多忙な毎日でしたが、やっと一息ついています。11月公演の台本が出来上りました。(^^) あとは野となれ山となれ。まな板の上の鯉です。() 

 練習にとりかかり、皆さんでやれ、ここがどうのこうのと、切り刻まれるでしょう。演出の先生が、つたない台本で苦労なさいますが、素晴らしい演出をなさるので、何とかなるわけです。もう、そろそろ足を洗います。……と、昨年も宣言しましたが、煽てられたり、脅されたりして、今年も引き受けてしまいました。意思薄弱なんですよ。(^^;; とは言いながらも、こんな私に、仕事を与えて下さり、育ててくださった皆さんには感謝です。することがある、というのは、カラ元気の元でしたから……。

 ただ、もう体力と脳が限界です。もう、頭ふったら、カラコロと音が聞こえるほどに隙間だらけとなりました。天津甘栗です。


 夜はやっと涼しい風です。今夜は、エアコン不要かな?……

 

2017年8月24日木曜日

№1165 エッセー


  私の属している藍住町文藝協会は、『あいずみ文藝』という200頁あまりの冊子を年一度出版しています。(会員80名あまり)短歌、俳句、詩、随筆、小説、評論と、何でもありです。ちょうどその原稿の〆切が7月末でしたが、なかなか揃わず、やっとお盆が過ぎて揃い、2回の校正をすませて、先日印刷に回すことが出来ました。この会の事務局をひきうけておりますから、雑用は多いのですが、会長はじめ、編集委員(役員)の方々が皆さん立派な方ばかりで、和気あいあいのうちに、仕事が 出来ますから、私も大年増ながら、お役に立てることはやっております。

私は、巧くもないエッセーを書くのが趣味なので、このブログのように、つまらぬことを書くのですが、最近は、ちょっと疲れ気味か、読み返すこともせずに書き殴りのまま挙げてしまうことが多くなりました。いい物が書けるはずもありません。(^^;;

むろん、プロではありませんし、それで口すすぎをしているわけではありませんから、気楽に書いておりますが、これがプロなら、大変だろうなあと思います。

 プロの、小説を書いたり詩を書いたりする方の中には、エッセーは難しいとおっしゃる方はよくあります。分かります、その気持ち。自分が丸裸に近い状態にならないと、ただの自慢話や体験では、「それがどうしたの」ということで、もう次の本は買っては頂けない。() それだけに、プロのエッセーは、読む人の心を掴むのがうまいと思います。私もいつかは、読む人の心を掴めたらいいなあと思うには思うのですが、まだまだそこまでの余裕はありません。
 書くという作業も、トシとともに劣ってくるもので、運動と同じで、書かなければどんどん書けなくなっていくこと間違いなしです。登り坂を後ろ向きで登って行くような状態なので、いつ前のめりになって下ってしまうやら……という現状です。お尻にムチを打ちつつ、何とか、ブログも続けていけたらと思っております。読んでくださっている方、ほんとにありがとうございます。m(_ _)m

 

2017年8月23日水曜日

№1164 宗教


  ある宗教団体の女性の方が、小冊子を持って尋ねてこられた。聖書も解釈の違いによって、こうも違うものなのかと思うほど、かなり考えが片寄っている。まず、選挙には行かない。この世は、神が治めると。本も読まない、輸血もしない、「この世は将来戦争も病気も、死も無くなり、地球上の生き物総てが仲良く、永遠に幸せに暮らせる世の中になります」と断言される。
 こうした説明を以前お聞きしているので、それ以後は、「私には私の宗教がありますから」と玄関先で、お断りしている。

 色んな宗教があるのは当然だし、信仰の自由も当然だが、こうした変わった宗教にのめり込んで行くという心理のほうに興味がわく。

 私はどちらかというと、信心深い方ではない。そうかといって、宗教をまったく軽蔑しているわけではない。進化論や化学の発達で、あの世の極楽や地獄を否定しつつも、この世に生まれた以上、大自然の力というか、どんな生き物や生物にも、命をふきこんでくださっているのだから、神としか言いようがないものの存在があって当然と思う。総ての生き物は生かされ還元されて地球の一部となっていく。土となり、石となり、或いは水となって……。

 どんな動物であっても、植物であっても、命をつないでいくすべを持っている。不思議なことだ。動物のように、脳があるわけではない小さな花の種をじっと見つめながら大いなる神の存在を感じたのでした。

2017年8月14日月曜日

№1163 軟らかい頭って……


  ある広告のテストをしてみた。自分の頭の状態は、認知一歩前くらいやなあと、いつも思っているので、「それでも軟らかいかもしれんなあ」なんて思ったのだ。答えのイエス・ノーで→に沿って進み、たどりついてみると、【けっこうやほらかタイプ】というところにたどりついた。ふーん、何でもすぐ忘れても、まだ頭はそんなに硬くはなってないな、なんて思いつつ、注意書きを読むと、「その軟らかさを5年10年とキープしたいものです。そのためには油断は禁物」と言うことで、最後は、「脳の細胞一つ一つが、血液や体液に溶けてしまわないように、アブラの膜でおおわれているが、この膜の質が大切で、いい油を取って、細胞膜のアブラを入れ替えましょう」と言うことに落ち着いた。そのアブラが、ARA・DHA・EPA(3つのオメガ脂肪酸)で、特に大切なのがARAとDHAだそうで、ARAは肉や卵に、DHAは、青魚に含まれていると。ま、偏らずに何でも食べることが大切ということのようだ。

セルフケアとして、脳が一時戸惑うようなこと、慣れないことをすることで、刺激され活性化によいと言う。

 ○ひとりで左右の手でジャンケンをし、左の手と右の手を交互に勝ち負けをする。

○日常の利き手と反対の手で字を書いたり、食事をしたり、歯をみがいたり、テレビのリモコン操作等をする。

真剣にやってみよう、とは思わなかったけど、悪いことではないようだ。思い出したらやってみようかな。(笑)

 

2017年8月5日土曜日

№1162 暑い夜


  県外に住むAさんから、電話がかかって来た。女学校の同級生で、昨年まで続けて来た同窓会には、毎年参加してくださっていた。参加者が減ってきたので、一応昨年の集まりを最後とした。
 でも、県内の同郡や近くの郡市の希望もあって、年二回ほどの集まりを持っている。わずか10名足らずだが、その様子が知りたいとのことだった。
 それは10分ほどで終わったのだが、それからの1時間20分ほどは、彼女のおしゃべりタイムとなった。彼女の唇は見えないけれど、多分活き活きと、陽気なマシンガンのように動いていたにちがいない。
 聞き役の私がまったく知らない下級生や、その子供のこと、孫のこと、旧制中学生(男子)のことなどなどが飛び出してくる。『○○君、知っとるやろ?』「いや、知らんなあ」『その子が立派になってるんよ』と言う具合なので、私は「へえー」「ほうー」くらいしか発言はできない。(笑)でも憎めない。他人ごとだが感心しながら聞いている。
 ただ暑いのが苦になるだけ。何しろ、エアコンを切って、隣の部屋に異動しようとしたときに電話がかかってきたものだから、親機の受話器を耳にしたまま、その前の机の椅子を引張り座りこんでの1時間あまりだから汗が流れるのだ。可笑しかったのは、話の中で、「△△さんの電話は、いつも一人喋って長いんよ」というのが○○さんは、□□さんも、などと3人くらいあったこと。(ふふふっ、あんたもよ)と言いたいところだったがぐっと我慢。(笑)

ああ、Aさんはまだまだ元気でおれるなあ、あれだけ口が動けば心配なしやわ。お顔のシワもきっと増えないはず。しっかり動かしていてね。

それにしても、トシをとると、Aさんタイプは少なくない。Aさんもそれは感じていて、私にも告げている。私だって長話をすることはよくある。でも、その時はお互いがしゃべくりあっていて、笑いあっての楽しい時間である。……と思っていても、相手はそうは思っていないかもわからない。

老化とは、【人のふりみてわがふり直せ】ということが、なかなか出来なくなる、ということでもあるようだ。用心しなくちゃなあ……。

 

2017年7月31日月曜日

№1164 Sさんのこと


  今日で7月も終わりだ。ひと月があっという間に過ぎるのは、予定していることが、あせっても思うように進まないことが拍車をかけている。

お盆までには、庭をきれいにしておこうと思っていたのだが、この暑さの中では、どうしようもない。ちょっとしたら腰も痛くなる。これは何とかしなければと思って、以前お願いしたことのある知りあいの草取りが好きという80歳のSさんに相談したところ、朝の6時から暑くなるまでさせてほしいということで、5日間ほどお世話になった。1日4時間ほどだ。私としては、彼女が熱中症になったら大変なので、気をくばりながらして頂いたのだが、その仕事ぶりは、シルバーでお願いしたよりも、手際よく、早いことに驚かされた。(これはシルバーさんより賃金は高くしなければ、申し訳ない)と思った。お婆さんは、恐縮なさっていたが、こちらこそ、ありがたいことだった。おかげで、広い庭の雑草園が、何とか雑草園の看板を下ろすことができた。

彼女がおっしゃった。「私は小さい時から苦労して仕事さされていたし、大きくなってからもいろいろとつらいこともあってずっと働いてきたけん、しゃがんで草するときは、嬉しく楽しかったんよ。今でも楽しいんでよ」と。私は目頭が熱くなった。

彼女の人生は、苦しい人生だったらしいが、色々と聞いていると、まるで気持ちの優しい仏様のような方だと思った。Sさん、いつまでもお元気でね。

 

2017年7月25日火曜日

№1160  とくしま藍の日


 オリンピックまであと3年という今日(あ、もう昨日だ)は、徳島県が伝統の阿波藍PRに向け、条例で定めた【とくしま藍の日】である。記念フォーラムやパーティー、藍染作品の展示即売、東京での情報発信など、県内外で多彩なイベントが開かれたようだ。

 私の住む藍住町は、名のとおり、昔は藍の盛んな土地であったので、【藍の館】と言う施設もある。旧奥村家から寄贈された藍商屋敷と、その門前にモダン藍倉風といった、鉄筋二階建ての資料館で、藍住町の大目玉である。平成元年にオープンしたが、明石海峡に大橋が架かってからは、県外観光バスも何倍にも増えたという人気ものである。私は以前は何度も行って藍染めをした経験もあるので、よく覚えているのだが、藍屋敷の大門をくぐると、かりさおを打ったり作業をしている数人の等身大の像が迎えてくれる。こうした汗水流す人たちの多くの苦労があってはじめて出来る藍なので、像を目にすると、「ご苦労さま」とつぶやいていた。(^^

 色の好みからいうと、藍とか青という系統が好きなので、自然に藍染めのものが目に付く。ハンカチ、手ぬぐい、マフラー、手袋その他、身のまわりには藍色系のものが目立つ。

 ちょっとばかり、我が町の宣伝を書きました。

 

 

2017年7月22日土曜日

№1159  日野原茂明先生の死


 何日か前、亡くなられた日野原先生、105歳までの生きざまは、とても素晴らしかった。随分多くの人たちは、色々なことを教えて頂いたり、勇気を頂いたことだろう。

日野原医師の睡眠時間が、忙しさのため、とても短いことに驚いたのだが、のろまで要領の悪さから、私の睡眠時間が短くなってきたことを、「日野原さんに比べると、まだ長いわい」なんて思ったものだ。

日野原先生のことばで忘れられないのは、『私の家にある老齢の梅の木は、幹が割れて折れそうだが、毎年綺麗な花が咲く。人間も同じで、身体はボロボロになっても、咲くものがある』と。日野原医師のように、立ち止まらずに行動し続ける方は、そうだろうなあ、私にはそんな真似は出来そうにないけれど、心しなければ……と、思った。(自信はまったくないが、思わぬより思うだけでもいいよね)(笑)

105歳というのは、誰もが生きられるものではないのだが、ただ生き延びたという方ではないだけに、頭がさがる。深さ、重さと長さ、3拍子そろって生きてこられた日野原先生。心からご冥福を祈りたい。合掌

 

2017年7月12日水曜日

№1158 今朝のひととき


 朝、5時前に目が覚めました。定期便のように、たいてい同じ時間に目が覚めてトイレに行きます。多分、生理的に目が覚めるのでしょう。昨夜は12時半に寝床に入ったので、睡眠時間は、少ないのだが、仕方がありません。目が冴えかえってしまうので、続けては眠れないのだから。

1時間ほどは、洗顔、着替え、化粧、身体を動かすなど、のろのろぶらぶらしていると6時になります。ゴミの日なので、昨日から用意してあるゴミ袋二つを出しに行く。ゴミ係りは私が引き受けています。朝の忙しい若いものにはさせたくありません。外に出たついでに、家の塀からはみ出している蔓になってはびこっている雑草をちぎり取る。すぐに汗ばんできたので、家に中にと思ったが、庭の雑草の天を突くような伸びようを目の前にすると、一本でもと思って草を抜く。雨のため、軟らかくなっている土地なので、面白いように引き抜ける。でもすぐに汗が出て来たものだから、諦めて家の中に入りました。

洗濯機を回しながら朝食の用意。洗濯物と朝食が、同時に出来上がる。洗濯物を干して朝食にする。食事はTVを見ながら食べることにしています。そのほうがゆっくりと食べられるので。

TVを付けると、朝ドラが始まりました。続いて【あさいち】が。高齢者の栄養失調が増えているとのこと。原因は、蛋白質の不足。最近は、65歳以上の高齢者は、総コレステロールは高めがよいとのこと。長年の調査の結果とか。こうした話は、以前も放送されていたので、このブログに書いた記憶があります。卵の話を書いた辺りだったと思うのですが。一日に、10品目のものがとれるようにとのことも同じように放送されていました。

肉類、魚類、卵、乳製品、大豆、野菜、芋類、果実、海藻、油類の10品目。何でもまんべんなく食べるということです。キノコ類がはいってないのが気に入らないのですが、10点満点として、10日間で90点あれば合格と聞いていたので、付けたことがあります。まあまあの成績でした。今朝の放送では、芋類が少ないそうです。私は魚類肉類が少なかったのですが、卵を3個以上たべているので、ま、いいか、なんて思ったのですが……。(笑)

最近は、もう慣れてきて、同じようなものであっても、まんべんなく食べているように思います。

元気でなくてもいいけれど、何といっても、寝込まずに生きていかねば、今倒れたら皆さんに迷惑かけることばかりなので、食べ物には、ちょっとばかり気をつけているところです。

 

2017年7月6日木曜日

№1157  九州大荒れ


  九州が大変な大雨で、いたるところで洪水やら、がけ崩れなどが起こっています。このブログにコメントを寄せてくださっているkoga様も、九州にお住まいと思うので、心配です。どうか大したことのないように願っております。

 九州は、大好きで、何度も車で走っているので、地震や水害の報道がある度に、思わずTVに釘付けになってしまいます。
 また、九州は夫の生まれ故郷です。父親が、仕事の関係で九州のあちこちで暮らし、戦後、父親の退職でここに帰って来たので、私が道産子であるような、ないような、というように、彼も、九州男子であるような、ないような……といったところです。

 夫が亡くなって一年あまりのちに、どうしても夫の暮らしたところを巡りたく思って、夫の遺影と、義姉二人を誘って九州の旅に出ました。姉たちは、昔のことをしっかりと憶えていて、小学校の校門まで来ると、必ず弟が走って教室に駆け込んだとか、この鉄棒にぶら下がって遊んだとか……。
 今も残っていた社宅の前では、この庭にかぼちゃを植えて代用食にしたなどなどを教えてもらいました。その家に住んでおられる老夫婦の方が不審に思われたらしく出て来られたので、事情を話ますと、会社が閉鎖されたので、この家を買い取って住まわれているとかで、親切にいろいろとお話ししてくださいました。「大きな坂と思っていたけど、こんな小さな坂だったのかあ……」と言いながら、姉たちも、懐かしい思いに浸っていました。
 月に一度は家族で食事したというデパートの食堂では、「あの子は、よくオムライス食べよったなあ」ということばに、私もオムライスを頂きながら、夫と同じ体験をしました。

 九州は、何度訪れても新しい発見がありました。この災害が早く納まり、早く復興されて、沢山の方たちが訪れる日を願うばかりです。