2015年2月27日金曜日

№892 セクハラとは


コトバも遣いようでは、恐いことになるようです。うっかりと女の人にモノが言えない時代になっています。妊婦さんに、「女の子? 男の子?」なんて聞くのも、いけないし、「早く結婚した方がいいよ」というのも、バツなんです。「きれいだね」も、場合によってはセクハラ。相手の気持ちを考えて、と言いますが、人それぞれで、何言われても冗談と受け取れる人と、バカにされた、と受け取る人があるので、うっかりモノを言うなよ、ということのようです。むろん、同姓であってもです。

こうなると、普段からの人間関係というものが、大事になってくるのでしょうね。心から心配してくれての発言ならば、上司に「彼氏おらんのか?」と問われても、訴えられることもないでしょう。「いないです。誰かいい方いませんか?」と答えることもでき、瓢箪からコマということになるやもしれません。

気持ちの中に、相手を冷やかしたり、虐めの気持ちがあったり、バカにしたり、軽くみたりしての発言は、「春ちゃん」、「秋ちゃん」と、ちゃんづけで呼ぶこともセクハラということらしいので、すべてのことばがセクハラとなると心得るべし、ですね。

ちなみに、私ほどのトシになりますと、何を言われても、笑っていること請け合いです。そういうトシです。ま、若いころは、じっと我慢、心で軽蔑、というやつでしたけどね。()

2015年2月25日水曜日

№891 古女の歯ぎしり


過去の戦争の反省は、大切なことで、私たちは二度と戦争をしない国造りを願って衆参議員選挙に足を運んできた。

国を代表する総理大臣が、過去の反省をもとに、色々と政策発表をすることは、当然だろう。

戦後の日本は、何といっても文明国であり、紳士的な国であって、どこかの国のように、鼻つまみな行為などはしていない。

戦後70年を迎えて、こうした日本を、他の国々が、とやかく文句を言うということは、おかしいと思う。いや、いつまでも、謝罪を求められたり、恨まれたりすることが、おかしいということだ。
長い歴史をみてみると、侵略はたくさんあった。日本が世界大戦に踏み切るまでの世界地図は、先進国が侵略した国々が、ピンク色などにに塗られ、大きく広がっていたのが印象に残っている。

日本と同盟国だったソ連などは、僅かな日数、日本を敵にまわして戦いを挑み、終戦となってからは、多くの日本兵を何年もシベリヤに送り込んで労働させ、ロクな食糧、衣類も与えずに非人間的行為をし、多くの日本人を殺したけれど、何の謝罪もないまま、70年が過ぎている。

今はもう、70年前に戦争を企み、戦争を仕掛けたお偉い人たちは、いない。日本人の殆どが生まれる前に起こったことにも、責任を負わされたのでは、たまらない、と思う若者は多いはずだ。

日本は、先に述べたように、礼儀正しい国、約束は守ってきた国である。戦争のために、損害を支払えと言われた国に対しては、賠償責任は、きちんと果たしているはずだ。そして、それ以上の支援もしてきた。

戦争ほど、愚かな行為はない。そして、どんな理由があろうとも、負けた国は、惨めな目をみなければいけない。我々は、子や孫に、こうした苦難をなめさせることだけは、絶対にさせてはいけないと思う。

 

2015年2月23日月曜日

№890 ブログの題


随分長いあいだ、ブログの整理をしていないことに気が付いた。整理というのは、ブログの№と、日付けと題を書いておくことなのだが、まあなんと手間のかかったこと。文章の下書きは、のこしてあるのだが、それは、パソコンの中なので、それをしらべながら、の整理である。というのは、いつ、どんなことを書いたのか、ほとんどわすれていて、「こんなこと、以前書いたかなあ」なんて思って、調べようと思っても、なかなかしらべられないのだ。しかも、題のつけかたも不味く、題だけでは、何を書いたものやら、よくは分からない。

これからは、№をきちんと題に書き込んでおくことにしようと思う。そうしておくと、ブログヲ開いて探すことも、少しは楽になりそうに思う。ということで、きょうは、ちょっと試してみた。
ということで、もう890もの駄文を書き散らしてきた、ということであります。(^^::

 

2015年2月21日土曜日

呼び名


 昔、男の人は、色々な呼び名で呼ばれていた。私の父は、小さな町工場の主だつたので、工員さんからは、「旦那」「かしら」「大将」「ご主人」などと呼ばれていた。

私の友人Aさんは、だれかに「ご主人はお元気ですか?」なんて尋ねられると、「私に主人はおりません。夫はおりますけど」と答えるほど、呼び名にもこだわっている。徹底した男女平等だ。(笑)

ま、そう言いながらも、夫のために、あれこれと気を使ったり、お世話をしたりすることは、きちんとされているのだが。

知らない方に呼ばれる時がある。このトシになると、「お婆さん」と呼んでくれたらよいのだが、呼びにくいのか、そうはめったに呼ばれない。「奥さん」が多い。最近は、「おばはん」とか、「おばちゃん」と言うコトバは、あまり聞かなくなった。もう、おばさんは通り過ぎたのだ。中には「お嬢さん」なんて、失礼な方もいるが。(笑)

汽車の中で、ハンカチを落としたとき、後ろにいたお爺ちゃんに、「姉はん、姉はん」と呼ばれ、気付かずにいたら、肩を叩かれて、はっとしたことがあった。

私も、困ることがある。知らない方を呼び止めなければならないときがあるが、お嬢さんやら、奥さんやら、最近は分からないのだ。そんなとき、「もしもし」とか、近寄って肩を叩くことしかできない。腰が曲がって杖でもついていらしたら、「お婆さん」と呼んでも叱られないと思うのだが、それも勇気がいる。何しろ、80歳すぎていても、「お婆ちゃんと呼ばれた」と、憤慨する人は、多いのだ。

日本語は難しいと、言われるが、外国人が、適切に、使いこなすのは、ほんとに難しいだろう。

余談になるが、「かしら=頭」だが、魚の「おかしら付き」ということばがある。私は、嫁にくるまで、お頭の付いた魚と思っていたら、「尾頭付き」と知って、慌てたことがある。学校では教えてもらっていないことは、殆ど知らないまま大人になった。まったくお粗末なことだ。(笑)

2015年2月19日木曜日

優しさ


私のすぐ下の次女の妹は、老々介護の身で、病気で体が不自由になった夫の世話をしていた。80歳を過ぎた妹は、その大変さをよく言っていた。何から何までも手をとり足をとりするものだから、息子や娘から、『お母さんは、お父さんを甘やかし過ぎだ』と言われていたのだが、妹は、「出来ることでも、時間がかかって見ちゃおれんのよ」と。

そんな妹が、二日前から入院していると、三女の妹が昨夜知らせてくれた。自分は後ろ向きになって、トイレまで夫を歩かせていたところ、夫とふたりが転んで、夫の下敷きになり、頭には大きなタンコブができ、腰をひどく打って、歩けなくなったという。夫さんは、幸いにも妹の上に落ちたので、怪我はなかったとか。

妹が入院となると、連れ合いの世話は出来ないので、ショートステイに、しばらくお預けということになったらしい。近くに住む娘は、仕事もあるので、父母二人の世話は無理なのだ。

今日見舞いに行ってみると、三女の妹が、入院した日の朝から駆り出されていろいろと手伝っている。この妹は、まだ70歳そこそこなので、元気なものだから、だれかれに頼りにされるのだ。そういうことに、イヤな顔をせずに、よく世話をするので、重宝がられている。私の実家の弟の嫁が大病をして、亡くなったときも、毎日世話をしてくれた。我が家に来ても、「腰が痛いんだろうから、来たついでに掃除機かけといてあげるわ」と、嬉しいことを言ってくれるのだ。

ふと思った。人間の優しさというのは、どのようにして育っていくのだろうか、と。

彼女は、よちよち歩きが出来始めた頃、小児麻痺になって、足がびっこになっている。小さい時から、よく腕白坊主に「チンバ」とからかわれ虐められた。でも、気が強く、そんな子には、石をぶつけたりしたとか。(笑)

親にも泣きごとを言ったことがなかったらしく、母が涙ながらに語ったことがあった。

振り返ってみると、何かにつけて彼女が一番親を大事に思っていたし、親孝行だったようだ。

私は、長女でありながら、弟妹の世話は、殆どしていないし、忙しさにかまけて、実家に行くこともまれだった。交通の便が悪かったのもあったが、今思うと、悔いは山ほどある。大事にしてもらった祖母、苦労をかけた父母、そして姉妹たちに、もっと優しくもっと親身になってあげられなかったかと……。

年を寄せると、優しさには敏感になるものだ。そして自分も優しい人間になりたいと強く思うようになるのだが、なかなか難しい。

妹の優しさに触れて、今日も反省させられた。

 

2015年2月15日日曜日

相談会

今日は、女学校時代の同級生7人が寄って、3月に開く同窓会の相談会をした。1年ぶりに会った方がほとんどだったが、皆さんが、「こうして出掛けて来れるだけでも幸せだ」とおっしゃる。もう、7人とも、夫を亡くしていて、独り暮らしが殆どだ。子どもの数も、1人か2人。ということは、孫のかずも少ない。子どもが未婚と言う方もおられる。

でも、近くに、或いは同じ敷地内に子や孫がおられる方がほとんどなので、皆さんがおかげで寂しくはないとおっしゃる。

私は義父母と同居していたが、子育て中に、一番気を使ったのは、一人っ子の弊害を被らないように、ということだった。私自身は5人の妹弟の中で大きくなったので、十分ではないが、それを補うすべを知っていたし、そういうことが出来た時代だったように思う。

そもそも、少子化現象は、かなり根の深い問題で、経済的なことだけではない。つまり、女性が社会で男性と同じように働き、家庭をつくり、子供を育てることが、いかに大変であるか、ということでもある。これは、国にも男性にも、大いに責任があると思う。「国のため、将来のため、子供をたくさん産め産め」と、言われたって、そうやすやすと女性は納得しはすまい。

ま、私らの時代と違って、今は男性も子育てに参加している方はおられるだろうが、それでも、まだまだ女性は大変な時代だろうなあ。


 

2015年2月13日金曜日

国際情勢に……


何となく、今の国際情勢を考えると、安倍さんの言う、憲法を変えて、軍備を強化し、戦争が出来る国にしないと危ない、と思う人が増えるのではなかろうか、と心配だ

原発もしかりだ。お隣の中国も、原発を増やしていくと宣言している。日本だって、負けてはならないと、思うかもしれない。

でも、日本は戦争や核でどれだけ犠牲になっているか、忘れたわけではあるまい。
原発が稼働するかもしれない県では、もしものことがあったら、どこに避難するか、と、真剣にその対策を練っている。そんな危険なことが、絶対に起こらないから、稼働するのではないの?
そんな訓練や対策をしなければならないのなら、稼働すべきではないのでは?と思うのだが……。電気代が高くなってもいい。ボロを着ても、贅沢な食事などしなくてもいい。我慢できる。

日本は、どんなことがあっても、平和憲法を守らねばならないし、原発稼働は、100%大丈夫でなければ、稼働は控えるべきだと、思うのは、古い考えなのだろうか?

2015年2月11日水曜日

早春の庭


今日も、寒い一日でした。でも、庭には早くも雑草が芽吹こうと頑張っているものですから、私としましては、憎き雑草めっ!ということになります。そうは言いましても、同じ生命を持つ植物でありますから、「ごめんなさいね」と言う気持ちで、15分ほど雑草を抜いていました。何しろ、そのままほっておきますと、【雑草園】と看板をあげたいほど、草の生える庭です。しかし、私の今の状態では、15分が限度という情けない状態で、長くは出来ません。足腰が言うことをきいてくれないものですから。

そんな庭の片隅に少しばかりですが、蕗が生える一角があります。まだ寒い初春の頃、萌黄色の襟元を緩め、タガを外した装いで、もっこり枯葉を持ち上げて蕗の薹が顔を出します。

蕗の薹が出始めますと、一つ二つちぎって、香りを楽しむのですが、しばらくすると、そんな愛嬌のある姿からは、想像も出来ない変わりようの逞しい蕗の薹が出来上がり、そのうちに色香の失せた、まるでだらしのない格好の蕗の薹となるのです。これを俗に【蕗の姑】と呼ぶそうです。

お世辞にも美しいとは言えぬ蕗の姑を見て、毎年思い出すのが、歳時記に載っていた、呆けてはならずと思う蕗の薹という俳句ですが、もう、蕗の姑など見なくても、この句は骨身に沁みてしまいました。(笑)

最近思う事があります。友人知人が、次々と病気になったり、おかしくなったりしてきました。病気になるまい、呆けまいと、涙ぐましい努力をしていていた方も、いつまでもふんばれないのが人間だ、と言う思いが強くなりました。

〝呆けてもよいではないか蕗の薹〟という気持ちにならねばならないのです。

「ぼけ」は差別語「認知症」と言うように、などといったとて、気持ちの中に認知症を蔑んでいたのでは、何と名を変えても同じことです。

このトシらなりますと、自分が辿る道と思うので、決して蔑んだりはしません。が、なりたくないの気持ちは、誰しも強いものがあります。

老いは平等にやってくるのですから、もっと素直に優しく自分の中に「痴呆」を受け入れていかねばと思うこの頃です。

2015年2月9日月曜日

動けば……


春が後ずさりしてしまった。昨日より7度も気温が低かったので、しっかりと防寒していたのだが、足元がすかすかしている。滅多にない冬型の寒さらしい。

こんな日は、身体を動かすに限るのだが、橋本夢道の句の如しで、「動けば寒い」のだ。(笑)パソコンの前でほとんど過ごす。寒いためか、割合集中出来た。

肩が凝ったので、夕食後、温泉で(お風呂屋さん)ゆっくりと温まってくる。8時過ぎ帰宅。観たいテレビを見る。

明日も寒い一日らしい。早めに寝ることにする。

2015年2月6日金曜日

全員独り身

近々、女学校時代の同級生8人が集まって、今年の同窓会の準備会を開くことになった。
電話でその連絡をしていると、Aさんは、昨年の暮れに夫が亡くなったという。「もう仕方ないよね。トシだもの」と、おっしゃる。あまり、長患いはしなかったということを聞くと、何となくほっとする。というのは、あまり寝込まずにあの世に逝きたいという願いは、誰しも思うことなので、ほっとするのだ。
8人中、だだひとり、ご夫婦お揃いだったAさんだったので、今年からは、全員が独り身となってしまった。

連れ合いを亡くして独り身になっている方の殆どは女。これは、男性の平均寿命が、女性より短いということなので、当然なのだが、夫が年下という夫婦が少ないことも原因だろう。

元気で長生きしていると、寝込む期間は短く、あまり苦しまずにあの世に召されるのが普通らしい。

というわけで、元気で長生きしたいですね、お互いに……。(^^)


2015年2月4日水曜日

立春

春の到来を思わせるようないいお天気。立春という日に相応しい一日だった。

目が赤くなったり、ころころしておかしかったので、昨日、目医者さんに行った。目の血管が切れていたらしく、これは、心配するようなことで
もなく、年寄りにはよくあることらしい。23日、あまり目を酷使しないようにしていたので、もう大丈夫だろう。

帰り、ついでに、股関節の痛みがひどくなっているので、整形の病院にも寄って診てもらった。レントゲンで、股関節や、腰を撮ってくださったが、股関節には異常がなく、腰が悪いので、腰からきているのだろう。寒さで神経痛が出てきているのだろう、とのこと。【だろう、だろう】では、なんとなくたよりないのだが、仕方ない。しばらくは、様子をみる以外には、なさそうだ。

先生は言わなかったが、「もうトシだから、それくらいはしかたない」
ということだろう。「杖も付いていないし、普通に歩けてるようだから、薬は、どうしますか?」と。「薬も病院も嫌いなんで、結構です。ほほほっ」と言って帰りました。(「病院も」と、うっかり出てしまいましたが、本音です。)

 

2015年2月1日日曜日

人質殺害





朝から嬉しくないニュースが飛び込んできた。拉致されていた後藤さんが、殺害されたという。ご家族の思いはいかばかりかと、心が痛む。

どうして日本人が、このようなことに巻き込まれたのだろうか。安倍さんの中東政策は、正しかったのだろうか?阿部さんが、のこのこあの次期に中東訪問をしたので、相手を刺激した、と言う評論家はたくさんいる。でも、政治家の中には、そういうことを言う方は少ない。言ってもやんわりとしか言わない。

これから、テロ戦争の仲間入りをする日本。こんなことになったら、いったい、誰のせいだろう。誰が責任をとってくれるのだろう。困った事だ。