2016年11月29日火曜日

№1106 世代交代


  今年の年末紅白歌合戦のメンバーが発表されたらしい。もう、何年も前から、TVにかじりついて観ていた時代は過ぎて、TVは付けていても、他の仕事をし、聞きたいと思っている歌手が出たらしいときだけ、TVの前に座っていたものだから、殆ど観ていない。

今年の歌手は、かなりの世代交代をしているらしい。というのも、私がメンバーの一覧表を見ても、まったく横文字の歌手など知らないので分からない。選考に落ちた歌手の中には、今まで毎年出ていたような大物歌手が何人もいるらしい。和田アキ子も落ちたと書いてあったが、彼女が毎年出ていたことには、私には不思議なことだった。毎年同じ歌を歌っていたし、歌手として、目立った活動もしていたとは思えなかったからだ。彼女には、彼女にしかない才能があるのだから、そちらで頑張ってほしい。

これだけ紅白紅白と言う以上、年寄りの好む歌ばかりでは、懐かしのメロディ合戦となって、若者にそっぽをむかれてしまうだろう。世代交代は、当然のことだ。寂しいことだが、私のような年寄りには、横文字まじりの歌を、汗を流して舞台の上で暴れるように歌う音楽は分からない。後列に退くしかない。

でも僻んでいるわけじゃない。世代交代は、音楽だけではなく、それぞれの分野で行われているのだろう。老兵は消えゆくのみではなく、老兵には老兵の楽しみ方もあるはず。さて、何をして楽しもうか?と考えるのも楽しいことである。(^^)

2016年11月27日日曜日

№1105 年金


  ある団地に住む友人曰く。「もうあたりは老人ばかり。若者はだれもおらん。皆さん息子の出来がよくて、都会に出ていってるんよ」と。この団地に住む老人は、皆さんほとんどが年金暮らし。私だって年金だけで生活しているので、年金問題は他人事ではない。年金の改革案が、強硬採決だなんだと、与野党が争っているが、年金が少なくなろうが増えようが、手に入るだけの生活をするしかないのが年金暮らし。ただ、現状を思うとむげに反対ばかりを唱えてもしかたがないとも思う。

老人が増えて若者が少なくなることは、とうの昔から分かっていたことなので、その対策をしてこなかった政治が悪かったのだが、そんな政治に文句を言うことなく、政権をにぎらせてきたのだから、今更文句を言ってもはじまるまい。年寄りには、まことに住みにくい世の中になってきた。老人施設はこれからは不足して、中々入れないだろうし、施設は施設で、いきとどいているように見せかけながら金儲け主義に走っているところも少なくない。正直、これからは、頼りは自分自身しかないと覚悟しなければならないと思う。

 と言うものの、何の手立てがあるわけではない。ただただ、寝込まぬように、健康のまま、ぽっくり逝きたいと思って 痛い膝や腰を騙し騙し歩いたり体操したりするくらいのことだ。そうした努力をしながらも、だんだんと認知症的物忘れがひどくなりつつある現実。【宵越しの金はもたねえ】の江戸っ子のように、【宵越しの知識は持たねえ】主義になりそうだ。

 

2016年11月23日水曜日

№1104 地震


 こよみが変わつているので、昨日になるが、朝早くから、東北の地震、津波と、TVは連続放送していた。またもや福島……、福島の方たちの気持ちを考えると、何とも言えない気分になった。
 地震といえば、阪神淡路大震災のとき、(1995/1/ 17 AM:46)かなりの揺れで驚いたものだ。まだ4歳だった孫といっしょに寝ていたのだが、私は思わず孫の上に覆いかぶさった。しかし孫は、すーすーと眠ったまま、ビクリともしなかったのに感心してしまったのを思い出す。
 日本は、幾つもプレート上にあるのだから、いつの日か、日本沈没ということになるのかもしれない。
 私の住んでいるところは、海も山も離れているので、南海地震が起こっても、家は傾くかもしれないが、津波や山崩れの心配はないので、避難訓練などは、あまり真剣に考えていない。多分、この辺りに住んでいる方々は、私と似たり寄ったりだろう。真剣に考えれば、非常事態の時に持ち出す物などをそろえておかねばならないのだろうが、そんな用意はしていない。
 何事も【運】で片付けるつもりはないが、運が悪ければ、旅行中に出くわす不幸ということもある。我が家や病院のベッドで静かに逝けたらいいなあと思うが……。
 

2016年11月19日土曜日

№1103 白川郷


  新日本風土記というTV番組で、【白川郷】が再放送されるのを知り観た。もう20何年も前になるが、退職後、車で女学校時代の今は亡き親友の住んでいた高崎に会いに行ったことがある。その帰り路、秘境白川郷に立ち寄ったので、とても懐かしい思いで目を凝らしてみていたのだが、偶然にも、私の泊った宿が出てきた。合掌造りの民宿で、当時と同じ看板が掛っていた。それを見ていたら、走馬灯のように、その夜のことを思い出した。

私の訪れたのは、七月の初めだったが、陽射しはかなり厳しかったが、家の中は涼しく、通された部屋は、クーラーも扇風機もなかったが、外気とは比べものにならぬほど涼しかった。泊り客は、数人だったが、一坪ほどの囲炉裏には薪がくべられていて、それを囲んでの夕食。4人程は、仕事仲間らしく、商売の話に余念がなかったが、残ったもう一人の男の客は、ぽつりぽつりと私に話かけてきて、ビールの勢いもあってか、「いやあ、さっき、徳島ナンバーの車が入ってきたので、感心したんですよ」なんて言っているうちに、身の上話まではじめた。「白川郷は3度目で、いつも家族に黙って家出してくるんですよ」なんて、面白そうに話してくれる。家出は10日ほどらしいが、それにしても、家族の身になれば心配だろう。「言えば止められるか、連れていってくれと言われますからねえ。それに発作的に飛び出すんです」と。何となく、ストレスのたまるお仕事らしく、もうこの10年で5回も家出旅をしていると言うのだから、結構な御身分らしいが、ご本人は、めちゃくちゃ働いてきたと。しかも家出がなければ生きてはおれないなんておっしゃる。「ま、2年に一度くらいの家出で死なずにすむのなら、奥様も許さねばしかたないでしょうね」と笑ったが、人生はいろいろだ。つかの間とはいえ、家や仕事を忘れて、自然の中に自分を溶け込ませ、打ち直されてまたふっくらとなって仕事に励む、一夜のすれ違いの旅人と人生を語り合う……なんて、ま、男のロマンかもしれない。
意地悪く「奥さんの家出も認めてあげるんでしょ」と言うと、「あいつは楽天家だから、悩みなんてないですよ。悩みより寝るほうです」 いつのまにか、家内、妻が、【あいつ】に格下げになってしまったが、何となく、ほほえましいご夫婦像が目にうかんだのを思い出す。

 

2016年11月17日木曜日

№1102 月


 11月の1415日にかけては大きなおz月さんが見えるということだったが、雨であったし、十六夜の月も見ることができなかった。私たちが神秘な世界と思っていたものが、数学の図式のように解きあかされていく現代だが、やはりお月さまは、かぐや姫じゃないが、殺風景な月面は似合わない。昔、はじめて人間が月に着陸した時の興奮は今も忘れられないのだが、人間のすばらしさとともに、月への夢はかき消されてしまった。 
月への夢なんて言っているのは、我々の年代だけかもしれない‥‥。あの月世界着陸のテレビを職場で子ども等と見たのだが、家に帰ってからも、ただただ「すごいすごい」と感嘆しているいる私のそばで、息子は、
「ぼくは、まだ誰も月の世界へは行ったことがない、と知ったときの方が驚いたなあ。だから、人間が月ぐらい行って当然という気持ちが強いから、かあちゃんほど感激しないなあ」
と言ったのだ。月には兎が住んでいる‥‥と、私は小さいとき思っていたのだが、息子の世代は、月の世界は科学の世界なのだ。子ども時代に読んだ絵本や雑誌の違いだろう。

 とは言うものの、科学がどんどん発達していくと、反対に宇宙や自然の神秘にいやおうなく感じ入ってしまう。突き詰めれば突き詰めるほど、謎めいた自然の法則が、神秘のベールにつつまれて浮かび上がってくるのだから、この世は不思議である。

 始めて月にいった宇宙飛行士が、地球に帰還してから神を意識したり、キリスト教の伝導者になったなどというはなしを聞いたことがあるが、科学ばかりがこの宇宙を支配しているのではないことを知らされた思いだ。余談になるが、最近ある番組で、宇宙に暫くたいざいして地球に帰ってくると、立っては歩けないほど、筋肉がなくなっていて、リハビリをしなければいけないらしい。無重力での生活は、いくら動いていても、身体をうごかしていることにはならないらしい。

 それにしても、私個人としては、科学なんて何の知識もない。小さなねじ釘一本作ってみよと言われても作れないのだ。ほとんどの人がそうだろう。それなのに、みんな科学のおかげで大そうな生活をさせてもらっているのも、これまた不思議なものである。世の中には、頭のいい研究者がたくさんいらっしゃる。そんな頭を、悪いことに使う人もいるのも現実だ。地球を人が住めなくしてしまうのも、人間のしわざなのだから……。

 

2016年11月15日火曜日

№1101 続きです


  徳島にも、演劇の好きな方は、大勢いらっしゃり、幾つかの演劇団体があります。若い方やシニアの方が混ざった劇団が多いのですが、そうした劇団は、公演を目的としての練習をしているようです。お勤めの有る方たちが多いので、夜8時や9時からおそくまで稽古やっていますから、好きでなければ出来ません。

 私たちは、公演が終わっても、毎週火曜日の夜、7時半から、9時半まで、発声練習、基本のレッスンなどしています。50歳以上であれば、どなたでも入会できますので、参加してください。

 私は、皆さんにご迷惑をかけぬうちに、そろそろ足を洗わねばと思うこの頃です。

 

2016年11月14日月曜日

№1100 一息ついて……


  昨日の日曜日、シニア劇塾の公演をやっとすませ、一息ついています。塾長先生のご指導・演出、出演者の頑張りで、何とか皆さんに楽しんで頂けたらしい芝居だったので、ほっとしました。内容が、戦争や年寄りの抱える問題を取り上げたものなので、共感いただけたのでしょう。実を言いますと、今までにないほど、心配していました。練習の集まりが悪く、全員がそろっての稽古は、数えるほどしかできなかったものですから。それに何と言いましても、シニアです。記憶力も、若い者のようにはいきません。それでも何とか本番には、これまでにないほどの集中力で、2回の公演を無事やりとげました。(^^)

 終わった時の達成感は、やはり嬉しいものです。皆さん、手をとりあって喜びました。お客様が、書いてくださったアンケート用紙を眺めながら、目がしらがあつくなりました。ありがたいことです。

 

2016年11月8日火曜日

№1099 日記帳


  このトシがくるまで、日記らしい日記は付けていない。というのは、あまり詳しいことを書き遺すのをためらう気持ちがある。日常生活の忘備碌程度のことしか書かない。それも、大切に置いておく気持ちはない。2年も置くと焼き捨ている

 1991年から10年日記というのを使いはじめた。B5版の2000年まで。1930年生まれの私だ。2冊くらいは書けるかな、と思いつつ、手にしたのを思い出す。1頁を10に分けたのが一日分なので、詳しい内容を書くスペースがないのもいいと思った。

思い通りに2冊めの終わるとき、3冊目をどうするか迷った。10年は長く、最後まで書きあげる自信がなかったのだ。それで3年ものにした。少し小さめのA5版のものだが、厚さは変わらない。

無事に3年が終わりに近い12月、本屋で日記帳を見かけ、どれにしようかと、随分迷ってしまったが、1年物の、気にいったものがあったので、それに決めた。見開きが1週間の日記と、別に見開きに1カ月のカレンダー予定表のついた、月曜始まりのものを購入した。2年も生きておられるか?と思ったわけではないのだが……。

月曜始まりの手帳や日記というのは、使い始めた頃は少なくて、さがすのに苦労したのだが、今はどこにもあって、さがす苦労などまったくない。

先日書店にいったついでに、来年の日記帖も、早々購入した。今使っているものと、同じものを選んだ。かなり時間をかけて、もっと使いやすいものはないかと見くらべたのだが、使いなれたものにした。

 日記帳選びというのも、けっこう楽しいもので、色々な思いがよみがえってくるものだ。過去の日記帳は、身辺整理をしながら、焼き捨てたものがほとんどで、今は、3年日記以後のものしか置いてないのだが、過去を懐かしむ気持ちはあっても、心に残っているものだけで十分だと思っている。今は、前だけを見つめて歩くのに、精一杯だから。()

 

2016年11月3日木曜日

№1098 天高し


  文化の日。天高く馬も豚も肥える秋なので、私も太るかもしれないなあ……と思いつつも食後、美味しい頂き物のチョコをつまむ。でも、最近は、体重は、増えも減りもせずに大体安定している。もう、食べる量が決まってしまったのが原因だろう。それと、ケーキだのお菓子などを食べるときは、炭水化物類の主食は、ちょっぴりにしている。ケーキなどは、入るところが違う、などと言っていた時代は、もう終わったのだ。

 もう一つの理由は、三度の食事は、野菜類その他副食を先にいただいて、主食は大好きなお漬物で頂くようにしているので、ご飯はそんなに食べられない。お茶碗に半分くらいで事足りる。 こうしたことは、あまり努力もせずにできるのはトシのせいだろうか。

 私はチョコレート類はもちろん、つぶあんのたっぷり入った甘いものなども好きだ。でも食後に頂くことが多いので、大量は食べられない。あまり間食の習慣がないのも、体にはいいのかもしれない。

 健康上からいうと、ちょっと太り気味というのがいいらしい。標準体重よりも、ちょっと多いくらい、ということなら、私は今のままでいいようだ。さて、こうした体重維持が、いつまで続けられるかな?