2019年5月29日水曜日

№1251  ご報告5


  ご無沙汰していましたが、今週(26日)になって、やっと「もう大丈夫」と、思えるようになりました。それまでは、かなりの高熱が出たり、抗生物質や、熱さましなどの薬の副作用などになやまされながらの不安な日々を送りました。その間も、じっとしてはおれないこともありましたので、ごそごそと動いたり、運転もしたり、けっこう動きまわったのも、いけなかったのかもしれません。でも、26日には、やっと薬を飲まなくてもいい状態になり、予定していた同窓会(27日)には、なんとか楽しく過ごすことができました。ただ、まだ体内に管がはいっていますので、管の取れるまでは、膀胱炎のような状態は、続くので、快調とは言いにくいのですが、これは、病気ではないと思い、我慢しています。やはり、若い方のようには、体力もなく、回復力も劣っているので、気持ちだけは、シャンとしなくてはと、頑張っています。ご心配をかけました。(_ _)

 何となく、世の中には、精神を病んでいる方が多いようで、大変な事件も発生していますが、怖いですねぇ。ストレスも上手に発散していくことの大切さも、つくづく感じます。

2019年5月14日火曜日

№1250  ご報告 4


  腎臓結石の手術をして、1か月近くなりました9日、二度目の入院をしました。10日手術。残っていた腎臓結石すべてを取り除くことが出来ました。先生は、1回目より、簡単に出来たとおっしゃっていましたが、20センチほどの管は、そのままで、2か月後に撤去するとのことです。それは、日帰りで出来るそうです。

私は、麻酔が覚めてからも、1回目より身体はしんどいなあと感じていました。熱も出ました。しかし、それもよくあることらしく、2日目には熱もさがり、予定通り12日には退院させられました。

 2回目までの1か月間の生活が、水分を多く取って、夜も何度かトイレにいったり、熟睡できなかったりしたことが原因か、体力的に以前より弱っていたのかなあと思います。帰って来た日から、首や肩がカチンカチンになって、首が動かせないほどになり、熱も出て、次の日、整形の病院に連れていってもらいました。幸い骨には異常はなく、ストレス等による肩凝りとわかって、投薬や湿布で、今日は何とか首も動くようになりつつあります。

 ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。あとは、日にち薬で、元気を取り戻していきたいと思っております。

 

2019年5月3日金曜日

№1249 令和の始まりに思うこと


  昭和5年生まれの私は、昭和もたっぷり、平成も満了したので、令和時代を生きていけることに感謝しています。欲は言いませんが、令和ということばに慣れて、いつでも無意識に令和が出て来る頃までは生きていたいなあと思っています。  

長い人生を振り返ってみますと、三つ子の魂云々言われますが、小さいときからの性格は、本質的には同じということを強く感じています。むろんこれは、表面の私ではなく、内面の私です。小さい時から家業に忙しかった母よりも、祖母との関わりが多かったのですが、よく叱られたのは、「おまえはお人よし」と言うことでした。何でも人にせがまれたら与えてしまうというのです。でも、私はそれに対して、心の中では反発していました。惜しいものを取られたわけではないのです。格好つけるわけではありませんが、相手が喜んでくれるのなら、ということでした。それは今も変わりませんねえ。

母と祖母とは血の繋がった親子でしたから、母は私を祖母まかせにしていたようで、祖母に盲愛された私は、母に甘えたいという気持ちもあまりありませんでしたし、寂しかったという記憶もありません。そんな祖母は、母をも甘やかしていたと思います。普通の家庭では、母親がするような朝の炊事や弁当作りなども祖母がしていましたから・・・。

そんな母が、祖母に「弁当作りなど、本人にさせたらいい」と言ったところ、「炊事はお前にもさせてないのに、この子にさせんでええ。炊事など、嫁に行ったらだれでもするようになる」と、言い返しました。() 私は、「おばあちゃんは優しいなあ」と心から思ったものです。

そんなわけからか、私は、若いときから、〝優しい人になりたい〟という思いが強くありました。なかなか難しいことですが、これは、母にもっと優しくして欲しいという気持ちが心の底に沈んでいたことも関係しているのかもしれません。

自分では、けっこう優しいと思っているのですが、これからも、もっと優しいお婆ちゃんになりたいです。!(^^)!