2018年9月27日木曜日

№1219 修理より買うがまし?


 朝から葉書70数枚を印刷するため、試し刷りをしていたら、その紙がパソコンにつないであるプリンターに詰まってしまった。いつものように簡単に取り出せると思っていたが、念入りに探したのに肝心の紙が見当たらない。しかたなく、機器を抱えて(かなり重い)K電気まで運んだ。紙は、どこか底のネジでもはずせば、簡単に取れると思ったからだ。

K電気の修理の方は、私がしたようなことをしてみたのだが、「これは、キャノンの会社に送らないとダメですねえ」とおっしゃる。「修理代はですねえ・・・(表で調べて)14000円です。10日ほどかかりますが・・・」とのこと。10日もかかっては間に合わない。ちょっとネジをはずして詰まった紙を取り除くだけにしては、高い修理代やなあ。器用な方なら、自分で出来るはず。「こちらでしていただけないのですか?」と聞くと、「ネジを外しての修理は、店舗では出来ないことになっているんです」とのこと。(そんなはずないだろう)と思ったが仕方がない。「買い換えならどれくらいからありますか?」と。「ああ、これくらいのものなら、修理代より安いのがあります」とのこと。(へー、安くなったものだ。これを買った時は、3万もしたのに・・・)

さっそく売り場案内をしてくださる。色々あって、帯に短し襷に長しで、やっと見つけたのがメーカーの違うエプソンの機種。ちょうど割引中で修理代より安いが、家に買い貯めてあるインクはまるまる61箱と、黒大2本入り1箱なので8.000円以上だから、それが無駄となれば、インク代も含めれば、決して得にはならないのだが、急ぐものだから仕方がない。機器とインク6色入り1箱を買う。

せっかく持ちこんだ機器は、廃棄手数料540支払って処理して頂く。(町の廃棄場に持ち込めば100円ですむのに)
新しい機器の使い方は、前のとまったく違っていて複雑。四苦八苦して、やっと使い始めたのは夜になってからだった。

今や何でも使い捨て時代となっているのだが、こんなことでいいのかなあと思う。【もったいない】と思うのは、経済成長には敵なのだろうが・・・。
余談になるが、買いだめしてあったインクは、いつもお世話になる親しい友人が、同じものだったので、差し上げることにした。無駄にならずホッ。(^^



2018年9月20日木曜日

№1218 危機感


「内外情勢調査委員会」という、耳慣れない立派な名の会があって、その徳島支部の方々(お偉さんばかり)が、仙谷先生を講師として迎えられました。せっかく、久しぶりの仙谷講演とあって、事務所の方が、後援会からも十数名ほど参加出来るのでどうですかと、急なお誘いがあったので、喜んで割りこませて頂きました。かんたんに内容を書いてみます。 

今の日本は、皆さんが想像している以上に危機が迫っている、ということで、日本の危機状態を具体的にご説明があり、こうしたことに対する危機感がなさすぎる、ということでした。

そういわれてみますと、私個人としては、ぼんやりとした危機感はあっても、何をしていいのかは、分からず、お役所まかせなのですが、主催者である方々にとっては、大変なことだと思います。例えば、個人経営なら、跡継ぎが無くなるとか、私立の学校など、生徒を確保することが、たちまち困難になるし、医療関係の方たちなら、老人が増え続けるし、建設関係の場合は、労働力の不足という大問題、銀行など、今の国のやり方では、先行き真っ暗、消滅の危機ということです。

各業界にこうした危機が、もう目の先にきているのに、そのわりに日本人は、危機感がなさすぎる。「なんとかなるだろう」といった考えでは、廃業か倒産になる。云々・・・といったようなお話でした。

 お偉い方々ですから、先の先まで考えておられるのでしょうが、頭の痛いことでしょう。切り抜け作はあるのでしょうか。

 私個人では、温暖化の影響で、今年のような災害が来年も起こるのではないかと心配したり、年寄りが増え過ぎて、年金がだんだん減って行くのではないかということが心配ですが、これはどうにもなりません。ただただ、再生出来るものは、ゴミにはせず、無駄な医療費は使わぬようにと、風邪をひいても、医者には行かず、肩が凝っても整体にも行かず、家でしっかりと肩を動かしています。(笑)

2018年9月14日金曜日

№1217 ふと思うこと


 一年365日、特別忙しい日を除けば、ほとんど一日一度は、外出しているなあ・・・。同じ屋敷に息子の家があっても、殆ど自分の家に住む独り暮らしをしているので、外出は刺激があっていい。食糧の買い物なども、その日、または翌日必要なものだけを買っている。冷蔵庫が小さいこともあって、余分なものは買わない主義。よく聞く冷蔵庫満杯で、食べきれなかったものが中で腐っていた、などということはほとんどない。幸い、車に乗るのが好きなので、「今日は夢タウンに行こうか、隣町のフジグランにしようか」などと思いながら、ハンドルを握る。

 こうした外出は、私にとっては頭をからっぽにするというか、ただただ安全運転を心掛けながらルンルン気分でのストレス解消なのだろうなあ。

 最近、気になるのは、運動不足だ。トシとともに体力が落ちてきて、さっさと歩けない。今年になって、三度も転んでしまった。転ばぬようにと気をつけて歩いているのだが、ちょっとした不注意で転倒してしまう。その度に、骨折は免れているが、肩を打ったり、膝をすりむいたり、頭を打ったりする。そんな故障は、何とか治るのだが、元に戻るまでは治らない。だから、だんだんと姿勢にしろ、歩き方にしろお婆さんらしく老化してきた。こうなってくると、ますます車頼りで、歩く機会は少なくなってきたなあ・・・。運動不足は、間髪いれずに体力に現れる。足腰がますます弱くなってしまったのでよくふらつくようになった。

 私ほどのトシになると、はたから見ると、健康で前向きに生きているように見えるらしい。何の心配もなく、幸せ者にも見えるらしい。でも、長く生きておれば、それなりの心配事もあれば、悩みもある。でも、人生って、そんなものだと開きなおっているのだが、凡人だから、寝付かれぬ夜もある。

もう自分の欲はほとんどなくなってきた。美味しいものがあれば、隣に住む家族に食べさせたい。友人に食べさせたいと思う。

 ありがたいことに、多くの人達、友人に恵まれている。小さな我が家に来て下さる方が大勢いらっしゃる。小さな社交場だ。会も開く。頭がだんだん認知のように忘れっぽくなっていく中で、こうした刺激は有難いことだ。

 いつまでこうした生活が出来るかは解らない。でも、一人暮らしでも寂しくはない毎日が、一日でも長く続いてくれたらと、願っている・・・。

 

 

2018年9月8日土曜日

№1216 ホッ


 今日、やっと北海道の仲良し同級生に電話が通じた。ホッとした。札幌に住むMちゃんは、一人住まい。地震と同時に停電したが、戸棚の食器等は、飛び出したり割れたりはまったくなかったというから不思議なくらい。でも、近くのマンションに娘さん夫婦が住んでいて、すぐに迎えに来てマンション9階に連れて行かれたそうだ。停電でエレベーターが使えないものだから大変。しかも、最近のマンションは、大きく揺れるのだが、倒れたりしない造りで、一戸建て住宅より、ずっと安全らしい。ここも、戸棚のモノなど、何一つ壊れたりしなかったとか。でもMちゃんは、大きく揺れる建物が怖くて怖くて、帰りたくてたまらなかったのに帰らしてくれず、やっと今日帰えらしてくれたとか。(笑)

 室蘭の近くの伊達市に住むYちゃんは、震源地にも近いので、特に大変かと思ったら、家も家具もなんの被害もなく、お茶碗の一つも壊れていないとのこと。ご近所もそんなに変わった様子はないらしく、停電が困ったくらいというから、TVなどは、大変な所だけを写しているので、写されないところは、被害がほとんどないところ、ということのようだ。私が、「電話も通じず心配だ」と息子に言うと、「TVで報道されないような地方は、心配ないわ」なんて言っていたが、その通りだった。(^^)

 MちゃんもYちゃんも、「北海道は、昔から台風も、大雨もあまりなかったのに、これからが心配」と言っていたが、それは私たちも同じだ。昔は【天災は忘れた頃にやってくる】といわれていたが、今や【天災は明日にでもやってくる】のだ。

とは言いながら、何の準備も出来ていないのだが・・・。

2018年9月6日木曜日

№1215 災難続き


  今日は、北海道で大変な地震があった。私の生まれた帯広は、大したことはなさそうだが、室蘭や札幌には今もお付き合いしている親しい友人がいるので気が気でない。すぐにでも電話をして安否を確かめたいのだが、例えば家の中を想像すると、戸棚の中のものが飛びだしたり、窓が壊れたりしていたら、今頃は、てんやわんやだろうと想像して、電話などかけては悪いと思い、我慢している。

 台風が異状に発生して大暴れしたり、大地震に襲われたりと、次々に災難が続くと、地球の怒りが爆発したのではないかと思ったりする。地震は、地球の温暖化とは無関係なのかもしれないが、台風や大雨などは、私たちに責任があるような気がしてならない。吹きつける風雨は、「バカ者」「コンチキショウ」と叫んでいた。もう、人間は住まわせたくない、と地球が怒っているのでは・・・。

 残り人生が少なくなってくると、目には見えないようなモノに心惹かれるようになってきた。信仰心などなかった私でも、神仏を信じたいと思うようになるし、青い空を見ると、何かを語りかけてくれる。毎日働かせている洗濯機も、その日によって違う言葉を伝えてくれる。小鳥の囀りもしかりだ。

 実際は、私の気分しだいの勝手な想像で楽しんでいるのだが、そんな時間がとても心を和ませてくれるのだ。

 

2018年9月2日日曜日

№1214  老いの坂道


  近く、米寿を迎えようとする私め、最近はこの坂道の険しさを実感している。

 老いを感じ始めたのは、60歳を過ぎた頃だろうか、その頃は、ぽつぽつと坂があっても、下ることも出来た気分だったのだが、70歳にもなると、何があっても元には戻れないことが多くなった。ある程度は戻っても、完全には戻れないものだから、自然に老いが積み重なって行く。

 坂道が急勾配となってきたのは、80の坂を越えた頃からである。一年の足跡がはっきりと目に付く。ところが、85歳を過ぎてくると、一か月、いや、一日一日が目につきはじめるようになってきた。

ふた月程前、転倒した。その時は、骨も折れず痛みもさほどでなかったが、歩きにくくなってしまった。別に骨の異状があったわけでもないのに、足元がおぼつかない感じなのだ。それ以来、歩くことには、とても慎重になっている。

 ところが、またして昨日、買い物をして、ダンボール箱に詰め込んで、それを抱えて駐車場に出たまではよかったが、足元が見えなかったため、駐車場の車止めが目に入らずそれに躓いて前のめりに派手に転んでしまった。むろん両膝を付いたのですりむけている。膝のお皿が割れたと思ったが、起き上がって歩けたので、お皿は無事だったようだ。おかげでまた歩くのが慎重に成らざるを得ない。気分としては、杖でも突きたい気分である。侘しいものだ。

 同級生の仲良し10人が、10年ほど前から、毎月集まっておしゃべり会をしていたのだが、すでに亡くなった方が3人、体調がよくなくて集まれない方が1名で、残る6名も杖使用者4名、となってしまった。そのうちのひとりである私は、足元がおぼつかない始末。元気いっぱいはSさん一人だ。私が忙しいこともあって、8月は休会しているので、(我が家が会場) 皆さん、今月の集会を、「無理せんとってね」と言いながら待ちわびてくれている。寄ったら笑いの絶えない楽しい会だ。老いの坂道なんのそのだ。愚痴など言ってはいられないなあ・・・。