2014年2月28日金曜日

つれづれ日記


天気予報では、曇り日と言っていましたが、まるで桜まつりが出来そうな陽気です。こんな日は、じっとしておれません。洗濯ものを干してから、庭に出て草取りをしました。もう雑草がいたるところから顔を出しています。長くはできませんが、玄関前の目立つところをちょっときれいにしました。もっともっとしたかったのですが、腰や股関節が痛くなって止めました。(笑)

若い時は、土に親しむことはあまり好きではありませんでしたが、年寄りになるにしたがって、土には親しみがわいてきたのですが、身体が思うようにならず、出来ません。

今日は2月の終わり。ひと月が28日というのは、なんとなく得をしたような気分になるものです。給料も年金も、同じですから、予算生活をしていますと、同じひと月でも、3日の違いは大きいものです。(笑)

明日からは3月。銀行に行って、来月の生活費に使う現金を下ろしてきました。こんなこと言いますと、いかにもきっちりと計画を立てて、赤字の出ないような生活をしているようですが、事実はそうではありません。家計簿はつけていますが、いきあたりばったりの支出です。月の初めの1日に、ひと月の生活費を入れます。頂く年金から考えて、引き落としの額やら、予備費などを差し引いた1か月分の現金を通帳から降ろします。それ用の財布に入れます。その財布から、2万円をいつも持ち歩く財布にいれて、買い物にいくのです。1万円が消えますと、1万円入れたします。ですから、私の持ち歩く財布には、1万円から2万円近くが入っていることになります。それ以下になりますと、ちょっと不安になります。車に乗っているものですから……。

特別なモノを買う以外、衣料品にしても、日用品にしても、高額なものは買わないので、そうしています。「この服、買いたい」と思って値札をみて、2万円なんてついていますと、財布の中には、ありません。衝動買いは、安物ばかりです。(笑)

そうは言いましても、思わぬ出費というのは、よくあります。まだ月半ばというのに、1か月の予算がなくなってしまうこともあります。銀行に走ります。わずかの預金も目べりをしていくのですが、ま、何とか暮らしていけるのも、健康のおかげと思っています。

身のほどを知る、ということばがあります。贅沢もしたくはありませんし、まあまあの生活ができ、ちょっとした旅行もたまにはしたり、身にあった欲しいと思うものが買える程度の生活で、十分幸せと思っています。(^^)

2014年2月27日木曜日

ちぐはぐ


昨日だったか、NHKの朝のテレビで、中高生の性教育について放映していた。今に始まったことではないのだが、私らの年代では、もう考えられない時代になっていて、学校では、性行為の注意(病気の感染、妊娠等)をする時代で、言うなれば、子どもに、そういう行為を、まだしてはいけない、と言う時代ではないらしい。薦めてはいないのだろうが、認めているということだろう。性行為の経験がある数値も、けっこうあるのも驚きだ。

その一方で、こんな記事がある。東北大2次試験、バス満員受験生乗れず 同行の親の増加で】 国公立大学の2次試験の前期日程が25日、全国で始まったのだが、仙台駅では東北大に向かう臨時バスに受験生と一緒に乗る父母が増え、そのあおりで乗り切れない受験生が続出。東北大は試験開始を30分遅らせた。というのだ。

ま、親の気持ちとしては、一緒について行きたいのは分かるのだが、以前は、こうしたことを、子どもは嫌がって断っていたものだ。

この2件の話から、ひどく大人になったという反面、まだ子どもなんだなあ、という思いが入り混じって複雑だ。

身体だけ早熟になり、精神面での自立が遅れているとしたら、色々な問題が起きて当然だろう。簡単に結婚し、子どもを産み、子が邪魔になると殺す、そんな現実が後を絶たない。

子どもによっては、きちんと家庭教育を受けている子もいるし、しっかりした考えの子もたくさんいるに違いない。

一部の子どもの性の乱れを、普通のことと宣伝することは、危険だろう。簡単にアルバイトのような考えで、身体を売るような子も出てくるのかもしれない。特に女の子は、自分で自分を守ることを、親や学校はきちんと教育するべきと思った。
 

 

2014年2月26日水曜日

高齢者洪水


今日の新聞にも、老人の万引きが増えていることが載っていた。以前にも書いた記憶があるのだが、老人の万引きは、若者の万引きとはちょっと違って、生活苦だけではないので、問題はなかなか解決できないだろう。何となく、こんな負の老人話を見聞きすると、ますます老人はお荷物の感を深くするのだ。

これからは、高齢者の洪水である。団塊の世代が、どっと高齢者の仲間に入ってくる。正直言って、若者たちは、この老人の増加は、大きなお荷物である。しかも、大きな借金を残したのも、高齢者が中心になって働いていた時代のものなのだから、借金まで背負いこまされるのだから、たまったものではなかろう。お金の借金だけではない。原発の処理だって、これからの若者の背負っていかねばならない借金なのだ。

老人は老人で、自尊心というものはある。お荷物と言われながらも、一寸でも自立をしていかねばならないと、健気な思いにかられている。少しでも負担を掛けないような暮らしをしたいと思っている。だから、年金が減っても、医療費が増えても、仕方がないと、諦めている。

ちょっとばかり臍曲がりなことを書くのだが、日本の医療は、ただ生かすことだけを考える医療は、もう止めるべきだと思うのだ。老人を大事に長生きさせるということは、費用だって大変なものである。もうそろそろ、延命治療などは、打ち切ることにしてほしいものである。こんなことは、若者は思っていても、口にはしにくいことだろう。年寄りが言わねばならないことなのだ。

おかげで私は、なんとか健康保険も、介護保険も使わずに生活しているのだが、このトシがくると、いつどうなるかはわからない。でも、自分で生きていたいと思うことも出来なくくなってしまったら、もう苦しまずに楽に死なせて欲しいものだ。介護や器具によって生かされるのは、ゴメンである。

2014年2月24日月曜日

ある会話


「もしもしAちゃん?古女です。ご無沙汰してましたがお元気?」

「まあ、お久しぶり。何とか生きとるよ。でも、もうボケよるわ。どこにも行かんと家におるけん、あかんわ」

「この前から、携帯かけても、かからなかったわ。電話も留守みたいやったし。旅行してるのかと思った」

「ああ、携帯はもう使ってない。電話は、庭の草でもしよったんやろなあ」

「車、まだ乗ってるんでしょ?」

「息子が、もう乗るなって言うけん、近くだけ買い物に行くだけやもんな」

「車は、まだしばらく乗ろうよ。徳島くらいまでなら乗れるやろ?」

「乗れるけど、怒るけんなあ。もう、しんどいわ。ボケるしかないよ。家の中ばっかりおったら。車は乗るな言うくせに、私を載せてくれるんならええけど、どこも連れて行ってくれんしなあ」

3月末に、クラス会するから、行こうよね」

「もうクラス会に出ていく気もなくなったわ。皺苦茶になったもんなあ。恥ずかしいわ。一年たったら格別皺が増えたわ」

「そらそうや。これからは1年どころか、ひと月ごとに、顔は皺が増えるよ。皺は勲章や思うことにしようよ。皺苦茶になっとる婆さんの集まりやもん、何が恥ずかしい?皆同じやないの。Aちゃんなんか、まだ畑してるんやろ?」

「もう草取りくらいか出来んけどな」

「私なんか、草取りも出来んわよ腰が痛くなって。Aちゃんは、まだ現役やもんなあ。感心やわ。今から出無精になったらあかんわ。皆と昔話して笑おうよ。元気もらおうよ」

「田んぼしよる者は、皆の話についていけん。ほんまの田舎者やけんな」

「一昨年のクラス会のとき、隣にいたBちゃんが私にささやいたんよ。『Aちゃんは、畑仕事してるって言うけど、色は白いし、美人やし、着てる服はモダンやし、都会の奥さんみたいやな』って感心してたよ。私もそう思っていたから、同感同感って言ったんよ。それに田舎者も都会者もあるかいな。クラス会は、そんな垣根とっぱらって、わいわい騒ぐやないの」

「ほら古女さんには会いたいよ。仲良しだったもんなあ」

「私だってAちゃんが来ないクラス会は、おもしろくないよ。ぜひぜひ来てね。はがき3月に入ったら送るからね」

「ま、行けたら行くわ。ちょっと元気になれるやろかなあ」

「ぜひぜひ、行こうね。約束してね」……略

2014年2月23日日曜日

手塚知与美アートギャラリー


昨日、県外に住むAさんの話で、寝耳に水のように、同級生の手塚チヨミさんが、女流日本画家になられていると聞きました。お医者様のお嬢さんで、いつも穏やかに、勉強ばかりしていらっしゃった彼女でしたので、私たちは、雲の上の憧れの様な存在の手束さんとは、あまり、ことばも交わしたことがありませんでした。すらりとしてスマートな身体つきで、色白の目の大きな、ちょうど夢二の描く少女のような美しい方でした。遠方のお医者様に嫁がれたという風の噂でした。

さっそくネットで調べてみますと、ありました。手束知与美アートギャラリーには、何枚もの日本画が載せられていて、色々な立派な賞も授賞されているのです。しかも、故郷のお寺の本堂の天井画も奉納されているのです。以下は、そのネットの一部です。

如意山延命院聖幢寺 徳島県阿波市吉野町柿原字谷127 
吉野川沿いに広がる田園地帯にある寺院。吉野町では最も古い歴史を有し、往時は多くの末寺をもった古刹だが、変転をくりかえした。平成15年(200311月、伝統的な入母屋造りの本堂を新築。面目を一新した。吉野川堤防から望む寺容は美しい。また、本堂外陣には女流日本画家による天井画が掲げられている。歴史的に因縁の深い京都の雅風を感じさせる。この地方の新しい名所となるかもしれない。

今日は、同級生5人が集まって、昼食会と、クラス会の下準備の相談をしたのですが、それが終わってから、さっそく道を尋ねながら、聖幢寺に行って、見せて頂きました。

素晴らしい天井画「飛天と花」をじっくりと鑑賞させていただきました。皆さんが感激し、昔話に花が咲いたのは、言うまでもありません。とてもいい日となりました。

手束知与美さんの益々のご活躍を同級生一同念じております。

2014年2月22日土曜日

クラス会


女学校のクラス会を、毎年しているのだが、今年も、その準備をしようと思ったのだが、さて、今年は何人が集まれるのかと、下調べの電話を56人にした。

もう、10人以下になると、ちょっと会場その他の交渉の都合があるので、おおよその人数が知りたかったのだ。昨年は、13人の出席通知があったが、風のうわさでは、もう無理という方もあるらしい。

久しぶりの電話だったこともあり、積もる話やら、亡くなった方の噂やら、お聞きしているうちに、こんな時間になってしまった。Aさんは、「長話になったけど、ごめんね。私ね、主人の介護で、ストレスがすごくたまっているものだから、こんなにしゃべるのよ。娘にも、喋り過ぎって言われるんだけど、何かで発散させないと、身がもたないもの。ごめんね」 1時間40分の長電話のお終いにこうおっしゃった。私は、「いや、とても楽しかったよ」聞き役なのではじめから、疲れないように、心得て電話をしているので、どうということもなく、むしろ、知らなかった情報も有難くお聴きした。
ちなみに彼女、神戸の方。私の電話を一旦切って、向こうから、かけ直してくださっての長電話。()

もう、83歳、84歳というトシになると、連れ合いさんの介護で、出ていけないという方が多くなる。また反対に、介護していた夫が亡くなったので、今年は行きますという方もおられる。無論、自身がもう出ていけない、という方は、何年か前から、何人もいらっしゃる。健康であっても、もう出無精になられた方もいて、そんな方には、何とか引っ張りだしてあげたいと思うのだが、あまり出過ぎたことも出来ない。

明日は、郡内の4人(世話人会)が集まって、最終の相談会をすることになっている。さて、どんな結果になることでしょう。

2014年2月21日金曜日

真央ちゃん


今回の浅田真央ちゃんは、日本人の熱い期待を肩に、押しつぶされそうな重圧の中で、昨日のショートも、今日のフリーも、涙なしでは観られない演技をみせてくれました。実力を出し切れなかった昨日は、真帆ちゃんを抱き締めて、号泣させてあげたい気持ちになった方は、大勢いらしたにちがいありません。
そんな真央ちゃんが、たった24時間の間に、見事な集大成の演技を披露できたのですから、これまた、涙が出てきます。よかつたよかった、本当に嬉しいですね。金メダルよりも、もっといいメダルを真帆ちゃんの胸に掛けてあげたいと思った人たちは、日本だけではなく、世界中にたくさんいらしたにちがいありません。

人間の成長は、失敗や無念な思いが大きな力になることは、だれしも経験しています。真央ちゃんも今回の経験は、これからの人生を豊かな物にしていく宝物となることでしょう。

真央ちゃんだけではありません。世界に羽ばたく選手の皆さんは、私たちの真似のできないような努力をされてきたことと思いますと、どなたも、金メダルを胸に自信を持って、これからも頑張って堂々と生きていほしいものです。

2014年2月19日水曜日

松下幸之助


昨日、松下幸之助のことばを引用しましたが、彼の偉業は、改良ソケットからはじまりました。しかし、ただ儲けることだけではありませんでした。皆様のご存じのことと思いますが、こんな立派なことは、誰もが出来ることではないと、思いますので、ご紹介しておきます。(文芸春秋90周年記念5月臨時増刊号より)

彼は、明治27年、和歌山県の農家の8人兄弟の末っ子に生まれた。9歳で、火鉢店へ丁稚奉公に出され、幾つかの職業を経て、松下電器の前身となる工場を立ちあげたのが22歳。順調に伸びた社業は、敗戦で暗転。会社は財閥指定を受け、自身は公職追放。10億円の負債を抱えて「税金滞納王」と報じられる苦境に陥った。しかし、努力を重ねて再起し、「経営の神様」の称号を得られるまでなる。「苦労は、買ってでもしなければならない。そうしてこそ、間人間になるのだ。本当の筋金入りの人間になるのだ。単なる知識、学問ではいけないのだ」と、経験の裏打ちによることばのかずかずがある。
常に、「会社を大きくするのは社会のため。儲かったら社会に還元しなければいけない」と口にし、「日本人は、伝統の日本精神を失いつつある。それが政治、経済、教育の行き詰まりを生んだ原因だ」と、国の将来を愁い、そうした思いを実践するため、松下政経塾創設に70億円、「日本のノーベル賞」を目指した国際科学技術財団設立250憶円を投じた。
平成元年4月に亡くなられたが、遺産は2450億円。節税対策は一切しておらず、98%は自社株。遺族はその株を売り、莫大な相続税を国に納めた。

金持ちになればなるほど欲が深くなる人が多い中、鮮やかに、胸を張った生きた方を貫かれた方でした。

 

2014年2月18日火曜日

バーゲン


大型店舗のいたるところにバーゲンが行われている。けっこう安かった物が、更に安くなっている。

昔は【安もの買いの銭失い】ということがよく言われていたのだが、最近はあまり聞かなくなった。安い物ばかり買うお客さんがわんさと増えてきたこともあるし、安物であっても、けっこう間に合う品物も少なくないためだろう。キルティングの暖かそうな上着に500円の値札がヒラヒラと「おいでおいで」をしていたり、縫い賃にもならないような値が、寝巻についていたりする。

自分が買う時は、「ありがたい」と思って買うのだが、自分が買う気のないものに、あまりの安値がついていたりすると、作っている人たちのことが頭をよぎったりして、気の毒になるのだから、勝手なものだ。

かなり以前になるが、松下幸之助氏が、こんなことを言っていた。価格破壊は、資本主義を破壊するものである。モノの適正な価格を守ることは資本主義を守ることでもある。それが社員の給料を守り、国民の暮らしを守り、国を守ることにつながっていくのだ」と。

言われてみれば、その通りと思う。安値の絞めつけは、殆どが、労働者にふりかかっているようだ。外国からの安い品物がどんどん輸入される時代になってきた今は、国産品だからと言って、澄ましているわけにはいかないだろう。これはもう、国民一人一人が、国産品にもっと目を向け、余裕ある人たちは、バーゲンなどに、目をくらまさないでほしいと、勝手なことを思っている。

 

2014年2月17日月曜日

テンプルちゃん


先日、懐かしい名前を新聞で見た。『テンプルちゃん』という名前である。私の子ども時代のアメリカの名子役でスターだった。絵を描いても、ぬり絵をしても、テンプルちゃんか、キューピーちゃんか、ベテイちゃんが登場したものだ。1930年代の子役時代は、アメリカの象徴的存在だった。世界の子どもたちのアイドルだった。

今思い出して見ても、当時の日本の子役の名前は、誰も思い出せないのだが、テンプルちゃんは忘れられない。それほどまでに、当時の子どもたちの間では、人気者だった。

シャーリー・テンプルはいくつもの分野で顕著な業績をのこしているようだ。6歳の時から85歳になるまでアメリカの名士であり続けたという。彼女は2014210日、サンフランシスコ郊外のウッドサイドの邸宅で死去した。

彼女は、60年ほど前に、結婚し子育てに専念するために女優をやめているが、その後は外交官となり、活躍していたそうだ。

60年前に映画から引退しているが、アメリカでは現在にいたるまで、子役の人気投票をすると、現役の子役たちを差し置いて必ず1位か2位になる存在であるらしい。オードリー・ヘプバーンと同様に過去のスターでありながら、アメリカでは一種の「現在のスター」であり続けていたらしい。

アメリカでは勤勉さと真面目さと温かさと優雅さと品行方正で知られており、伝説的な映画女優としてまた著名な外交官として高い尊敬を受けているという。

私など、子役時代のテンプルちゃんしか知らないので、その後の活躍は、死後、新聞などで知ったのだが、素晴らしい方だったことは、間違いなさそうだ。ご冥福をお祈りします。合掌。

 

2014年2月16日日曜日

オリンピックあれこれ


スポーツ音痴の私も、日本選手の活躍ぶりには、感動させられました。41歳の葛西選手には、日本人の殆どが、何とかメダルを取って欲しいと願っていたことでしょう。この銀メダルは、年齢の壁を破っての快挙。「よかったですねえ、よく頑張りましたねえ」と心からのお祝いを呟きました。

また、羽生結弦選手の金メダルは、あの少年のような面差しからは、想像もできないような演技を見せられて、これもまた涙が出るほどの感動でした。

しかし、オリンピックというのは、魔物がいると言いますが、羽生選手が、今までの練習その他の場面で、転んだという場面を一度も見たことの無かった私は、ここぞ、という場面で、2度も転んだのを観て、オリンピックというのは怖いものだ、魔物がいるなあという思いでした。それでも、皆さんよく頑張っていて、どんな結果であっても、参加できたことが大きな意義があるということでしょう。

新聞に書いてありましたが、フィギュアスケートで、五輪に出場するまでの費用は、5歳から20歳までの16年間だと、約13500万円と試算していました。趣味で楽しむのであれば、靴は1万円程度、あとは帽子と手袋があればOKだが、競技選手になるのであれば、靴も12万円以上のものが、年に2足は必要になるというのですから、子どもの時から親は大変です。ま、総てが自己負担ではないにしましても、なかなか貧乏な家庭では、選手にはなれそうもありません。

国内大会、国際大会等自分以外のコーチ、トレーナーの滞在費等も、選手負担となり、年間の活動費は、トップ選手ともなれば、2500万から、3800万以上にもなるというのですから大変です。スポンサーがつくような選手は一握りで、アルバイトをしながら頑張っている選手もいて、華やかな世界ですが、多くの人達の支えがあってこそ、選手は、氷上で輝けるのだそうです。

これからの後半も、皆さん頑張っていただきたいものです。

2014年2月15日土曜日

安倍さん、大丈夫?


こんなこと、古女が心配しても仕方ないけれど言いたい。

安倍さんは、口先ではいいことばかり言っているが、貧富の差は縮まらないどころか、ますます開いていきそうだ。大体、国の中で、中産階級という人口が減っていくということは、いいことではない。普通の人達が、国を支えているのだから。

しかも、安倍さんの言うことを信じている人たちが、沢山いること、これも心配なことだ。天気予報とは違うのだ。『明日は晴れます』と言われて、大雨になったとしても、それは仕方がない。雨に濡れても、身体が融けてしまう心配はない。

安倍さんが、間違った判断で国を動かしていて、万一沈没したら、海に放り出されて助かるのは、お金持ちだけになるだろう。

野党が、とやかく言う中には、当たらないこともあるやもしれないが、与党的立場の中から、痛烈なアベノミクス批判が出てくるようになると、これは、いよいよ心配になってくるというものだ。
特に、もう退陣なさっている元自民党の大物議員さん等が、おっしゃる言葉の中には、『見ちゃあおれぬ』という心配もあるだろう。『三本目の成長戦略。たった4文字だがこれほど難しいものはない。この20年間、成長可能な新産業分野を探して、探して、探しまくったが見つからなかった』(与謝野氏)といったことなどは、本当のことにちがいない。

ま、今の日本の抱える問題は、それほど大変なことだということなのだろう。安倍さん、ほんとにこの国、大丈夫?

2014年2月14日金曜日


フィギュアスケートの羽生選手の素晴らしい演技を観て感動しました。19歳という若さで、世界で初めての最高得点を手にした演技の美しかったこと。技術的な良し悪しは、私には分かりませんが、見ていて、どの選手よりも美しかったと思います。

これは、恵まれた体型にもあるのでしょう。均整のとれた体型での動きは、やはり得点には有利でしょうね。手足を伸ばしきった格好など、他の選手には見られない美しさがあったと思います。なまじっかキンキラの衣裳などは付けずに踊る羽生選手は、ストレートに演技の巧さや美しさが伝わってきました。最後までの成功を願っています。

それにしましても、オリンピックというのは酷なものだと思います。4年に一度ということなので、4年間その日のために血の泌な努力を重ねても、ちょっとした体調の崩れ、僅かのミスで、夢が叶えられなかったり、出場ができなかったりするのですから……。スケート競技などで、転倒したりすると、気の毒で見ちゃおれません。ま、金メダルを手に出来る方は、幸運にも恵まれた方たちなのでしょう。0.0何秒というスピートの争いは、実力の差もあるのでしょうが、金に並ぶような人たちは、世界には、何人もいらっしゃるということでもあるのでしょう。メダルは取れなくても、正々堂々と闘う選手の方々には、拍手を送りたいものです。

 

2014年2月13日木曜日

お休み


最近、ちょっと寝不足気味です。

夜遅くなって、ブログを書くのは、止めることにしました。無理をせずに続けたいと思いますので、昼間書けなかったら、お休みさせていただくことにします。今後、1週間に、1日か2日、お休みいたしますので、よろしくお願いします。

今日は、昼から花の会のボランティアに出ていましたが、目がチカチカしてきました。目の使いすぎのときに、よくなります。寝る前のパソコンもよくありません。

ということで今夜は、このへんで止めておきます。

 

2014年2月12日水曜日

脳の話


今日は、気心の知れた客人3人と、色々とお話をしたりして、楽しい一日だった。家に来て頂くということは、有難いことで、色々な刺激を与えて頂くことでもある。

……なんて書き始めたのは、今まで、TVで「人間とは何か」という番組で、脳の発達についての脳科学という番組をみていたので、ちょっと書いてみたくなった。

一言で言うと、今までは、再生不可能と思われていたような脳細胞も、脳は、生まれ変わる能力を持つものだ、ということで、決して老人であっても、成長していく、という有難い話であった。
また、運動や音楽と、脳とは、深い関係があるとか、赤ちゃんの脳の発達過程での愛情は、とても大切な刺激であり、反対に、虐待は、脳を委縮させる、などの関係なども、興味深く視聴した。

また、やる気というものについても、報酬とやる気について、褒めることと、やる気について、などなど、面白く見せて貰った。

報酬という刺激は、そのときは、効果があっても、報酬が途絶えると、やる気も失せてしまうことの実験も、「よい点とったら、お駄賃を」なんていうことの無意味なことや、自主的なやる気の大切さ、なども、昔の子育てのことを思い起こしたりしながら、納得させられた。

【愛は脳を育てる】【虐待は、脳を委縮させる】【外からの刺激は、いつまでも脳の発達には効果的】なども、科学的に証明していただくと、「いいことは、やってみようか」なんていっ時であっても、健気な心になってくる。朝が来たら、忘れているのが実のところだが。(笑)

 

2014年2月11日火曜日

マンガ


さて、何を書こうか……と考えても思いつかないときは、まずは書き始めるに限る。書き始めると、何かかんか、思いついて、下らぬことだが書き綴ることが出来るもの。今日もその手で書き始める。

余り動かないせいか、肩凝りがひどくなった。ちょっと外に出ても、首を縮めて緊張した格好になる。風でも吹いてきたら、白髪頭の髪の毛が総立ちになって、まるで誰かのマンガに出てくる妖怪婆さんだ。

マンガで思い出した。(こんな具合に話が進む)()

昔からマンガは見ない私なので、ほとんどのマンガはみていないのだが、孫たちがよくみていたTVの【さざえさん】は、私もよくみた。「日本一有名な家族」といえば、さざえさん一家ということにもなりそうだ。随分昔から、延々と続く家族は、トシをとらないし、理想的な家族だろう。

作者の長谷川町子さんは、もう20年以上も前に亡くなられているのだが、亡くなってからひと月もたって、亡くなられたことを公表されたのを憶えている。

【さざえさん】は、朝日新聞に、長い間連載されていたものだ。朝刊は、なかなか朝の出勤前には読めなかったものだが、夜のひと時の新聞タイムでは、必ずマンガは見ていた。新聞のマンガを読む楽しみというものがあった。

サザエさんが終わったあとも、根本進作【クリちゃん】も、とても楽しく可愛いマンガだった。

今は、新聞は地方新聞と読売新聞を読んでいるのだが、両紙とも、マンガは見ていない。マンガは、何とも言えない可笑しみ、ユーモアがなければ、面白くない。年寄り向きではないのだろうか、それとも、もうマンガの傾向が変わってしまったのか、笑えない。 

さざえさんや、クリちゃんのようなマンガは、いつの時代であっても、おとなも子どもも楽しめると思うのだがなあ……。

 

2014年2月10日月曜日

貧困女性

世の中はほんとに不平等である。恵まれた人は、一生使いきれぬお金で無駄遣いのし放題、遊び放題をしているかとおもうと、一方では、啄木さんではないが、働いても働いても楽にはならず、じっと手を見る人たちがいる。

最近、若い女性の貧困が、問題になっている。1020代の、女性が、家庭の事情や、不安定な仕事などが原因で苦しんでいるらしい。更に深刻なのは、シングルマザーの方たちで、子どもを抱えての生活。およそ80%が年収114万円未満という貧困状態とか。こうした母子家庭は、20年前の2倍にもなっていて、123万世帯にもなっているそうだ。しかも、離婚した母子家庭のおよそ8割が、元夫からの養育費を受け取れていないという現状。

このような女性は、朝早くから、夜遅くまで働いて働いてしても、月収が不安定で10万そこそこだったりするのだ。

そうした女性が、どうにもならなくなって駆け込む風俗店の話が何日か前のNHKTVクローズアップ現代で紹介されていた。

その店では、住まいと託児所を用意してくれるので、それに惹かれて、やむなくそこで働くケースが多いとか。そんな仕事で得たお金が、全額懐に入るわけではない。半分は、雇い主に収める。そうした仕事からも、なかなか抜けだせないのだ。
こうした女性を助けようと立ちあげているNPOのことも紹介されていたが、そうしたところに相談に行く暇もないという女性も多いとか。

このように底辺の苦しみを抱えて生きている女性、明日のまったく見えない生活をしている女性たちを、国は、やはり何とかしていかなければ、本当の民主主義、幸せ社会は、やってこないと思う。

2014年2月9日日曜日

スポーツ音痴


ソチオリンピックが始まりました。スポーツの不得手な者は、どうしてもスポーツに対して興味が薄くなってしまいます。ですから、日本の選手が、活躍してくれることを願ってはいますが、TVにしがみついて観ようなんて思いませんし、夜中に観るなんて、とても考えられません。

私は、小さい時は虚弱児のような子どもでしたので、体操(昔は、体育とは言いませんでした)の時間は、嫌いでした。唯一楽しみにしていたのは、寒くなると、運動場にスケートリンクのように、円い形に、雪で土手を作り、そこに消防車が水を流し込んでくれて、凍りますと、スケートが出来るくらいでした。スキーも、小さな山を作って滑るくらいのもので、お遊び程度。スポーツとは言えません。

学生時代、音体部と言うクラブで、ダンスをしているのを観て、音楽に合わせて『浜千鳥』だの、『荒城の月』などを美しく踊っている人たちをみて、音体部に入りたくて仕方がなかったのですが、この部は、ダンスだけではなく、跳び箱をしたり、平均台の上で倒立したり、マットの上で回転したりするものですから、これは無理だと入部を諦めたというスポーツ音痴なのです。

そんなあんなで、ソチの競技は、ニュースで結果を観たり聴いたりすることになるのですが、考えてみますと、スポーツに興味がない、ということは、世界が狭いなあと、自分ながら悔しいことなのです。皆が嬉々として騒いでいるときに、冷めていたりするのですから、気の毒なことです。野球でも、阪神フアンの方が、熱狂的に喜んだりしているところは、本当に幸せそうです。
ちなみに、私が野球選手の名をフルネームで正しく言える方は、過去の選手も含めて鈴木イチローと、長島茂雄、王貞治位しかありません。(笑)
最近騒がれていた、大金で外国に売られていく(ごめんなさい。そんな感じなのです)選手の名前も、憶えていません。興味がないと、憶えようともしませんし、聞いてもすぐ忘れます。(これは、トシのせいでしょうが)
【野球というこんな楽しいことを喜べないのは、不幸なことですよ】と、言われたことがあります。私もそう思っていますが、こればかりは、どうしようもありません。野球を観ているより、好きな作家の本でも読んでいるのが楽しいのですから。

今度生まれ変わってくるときは、スポーツ選手とはいきませんが、スポーツのそこそこできる、スポーツの楽しめることを条件に、産まれかわらせてもらいます。(^^;;

2014年2月8日土曜日

銭湯


今日は全国的に大雪という寒い日。昨夜も寒かったので、車で15分ほどの吉野川温泉という大きな銭湯に行って、身体の芯から温まってきてから、床に就きました。やはり、家庭の風呂と違って、裸になっても、頭を洗っても、寒いと思うことが1度もないので、大儀なく入浴できるのです。

こんなことを言いますと、それこそ大儀なことだ、と言われそうですが、昼も夜も車に乗ることが億劫でないのですから、どうということはありません。普通の入浴だけなら360円というのも手ごろです。

私は、幼いときから銭湯通いでした。家のすぐそばに、銭湯がありましたので、とても便利でした。銭湯は、いつも顔見知りの大人や子ども、そして少し早目に行きますと、裏通りの置屋?の芸者さんが、2,3人来ています。髪を桃割れや島田に結った芸者さんが、鏡の前で、襟白粉をぱたぱたと、塗り込むのを面白げに横目で見ていたものです。

しかし銭湯も、たまには大変なことも起こります。小学校の6年生の1231日、混雑していた洗い場で、もう上がり湯をかぶり、出ようと思っているときに、隣の人が、熱湯の入った桶をどうしたはずみかひっくり返したのです。一瞬冷たい水が私の向こう脛にかかったかと思ったのですが、見ると皮膚がちょうど洋ナシの形にぺろりと剥けていました。それでも隣の人には、何も言えず、寒い中、靴下もはかずに走って帰りました。
まあそれからの大変だったこと。痛いのなんの、もう歩けないほどになり、すぐ皮膚科の医者に連れて行かれました。今はそんなことはないと思いますが、【お餅は火傷によくない】なんて医者が言ったものですから、お正月というのに、お餅も食べられないしまつ。

ちょうど大人の手の平ほどの火傷でも、足の付け根にまで、ぐりぐりができて痛く、しばらくは、外にも出られませんでした。
その火傷は、かなり深かったのか、火傷の痕は、今でこそ消えていますが、50年ほど残っていました。

昔の銭湯の蛇口は、湯と水の二つで、各自で調整しながら桶に入れるものですから、大勢の客が来るということで、普段は最高温度を、50℃くらいにしてあるのでしょうが、そんな温度では間に合わないのか、特別火傷するほどに高温度にしてあったのでしょう。
今では考えられない火傷でしたが、懐かしい思い出です。

2014年2月7日金曜日

打(ぶ)つ


珍しい光景に出合った。ある量販店のお菓子売り場あたりで、母親が、幼い女の子を打っていた。「買わんと言っただろ? なんでとってきたんで。返してきなっ!」と、怒鳴りながら、子の頭を2回ほど叩いたのだ。子どもは、泣きながら、手にしたお菓子を棚に返しにいった。

私は、この様子を見ながら、こんな時、叩かないのがいいなあ、と思った。しかし、母親が【取って】とか、【持って】ではなく、【盗って】ということを言ったのであれば、叩くのは当然だったのかな、とも思えたのだ。子どもは、盗んだという気持ちではなかったろうが、親が【買わない】と言ったものを黙って持ってきたら、それは泥棒だぞ、と言うのであれば、親の躾は、子どもにとっては、それなりの教えになったかもしれない。

最近、親が子を打つことは、ほとんど見なくなった。打つと体罰ということになる。学校でも、どんなに生徒が悪くても、体罰は禁止されている。

まだ戦後しばらくは、学校も親たちも、体罰は認めていた。「先生、うちの子はど悪いけん、殴ってつかはれよ」なんて、親の口から言っていたものだ。そういう家庭の子は、親に殴られて大きくなっているものだから、先生に殴られても、親に言いつけたりはしない。うっかり言うと、また親にも殴られかねないのだ。だが、殴っても、大した効果もなかった時代でもあった。

ある教師が、私に、こんなことを言った。「父兄にアンケート用紙をくばって、殴ってもいいか、殴ってほしくないか、ということを調査した」と言うのだ。しかしそのあとがいけない。その教師は、殴ってほしくないという家の子を窓際の一列に集めて、何をしても、叱らずに、ほっておいたと言うではないか。先生にしてみれば、殴ってほしくないというのは、ほっといてくれ、と勘違いしたのかもしれない。あるいは、親の教育方針というよりも、自分の叱り方に文句あるなら勝手にせい、ということかもしれない。江戸(親)の敵を長崎で打たれる子どもこそ、いい災難だ。いずれにしても、感心したことではない。

ふっと子どもの時に母親に打たれたときのことを思い出した。自分で言うのもおかしいが、そんなに悪さをして困る子ではなかったし、口で言ってくれればいいものを、という思いがいつまでも尾を引いていた。

殴って教える、ということは、かなり難しいものだ。殴った後のケアが大切だろう。どうしても、ここで殴っておかねばならない、というときもあるに違いない。自由主義、個人主義のはびこっている時代だけに、殴る教育は難しい。

2014年2月6日木曜日

成績表


先日、卵の話を書きましたが、コメントを書いてくださったmimiさんが、こんな内容のことを書かれています。

【私は退職後3か月ほど養鶏組合でバイトをした事があります。雛は孵ると雄と弱い雌は淘汰され、卵を産める雌だけ狭いケージに押し込まれてひたすら餌を食べ抗生物質を与えられ卵を産み続けるんです。卵は食品ですが命でもある訳。弱い卵からいい鶏は生まれません。私は地上を走り回る鶏を飼い、その卵を頂くのが夢でしたが、今となっては叶いそうもありません。】

Mimiさんが、経験されたようなことは、現在も多少は機械化されていても、同じようにして、鶏は卵をうみ続けていると思います。

卵の栄養も価値も、そんなに変わらないとはいえ、やはり、鶏の一生が、ゲージの中だけというのは、何となく鶏さんも気の毒ですが、大量生産をしているところでは、放し飼いなどは、とても出来ないのでしょうね。放し飼いは手間がかかる分、値段も高くなるのでしょうか。


昔、戦後の食糧難時代、小銭稼ぎに母が鶏を30羽ほど、家の裏に小さな小屋を立てて、ゲージの中で飼っていたことがありました。卵を産み始めると、母は几帳面にノートに鶏の成績表を付けていくのです。卵を産まないものは、処分されます。餌代がかかりますから、仕方がありません。

ある日母が言うには、Aは、この頃卵を産まなくなった。どうしたのか、もう産めなくなったのかなあ。Aの隣のBは、また格別よく産むようになったのに。こんな調子では、Aは鶏屋さんに、処分してもらうしかないと。
祖母がそのとき、もう少し様子みたらええ。また産みだすかもしれんからと、引きとめました。

私は、そのAという鶏が何となく可哀想になってゲージのそばで、じっとみていました。すると、何と、パタパタしていたかと思うと、ころりと卵を産んだのです。すると隣のBが、すばやく手、いや足かな、伸ばしてその卵を自分の前まで転がしていきました。まあ、何ということをするBめ。成績表を付けている母のことを知ってか知らずでか、ど狡いヤツじゃ。と、笑いを堪えて「コラーッ」と叫び、急いで母に報告しました。母も驚いていましたが、「どうりで隣のBは、一日に2個も産む日があるので、スジのいい鶏だと思っていた。呆れた」と笑っていましたが、Aにとっては、笑いごとではありません。私が盗人の証拠を見付けなかったら冤罪で、もうそっとで死刑になるところでしたのに。

こんな昔話を思い出しました。(^^)

2014年2月5日水曜日

寒い一日


外は冷蔵庫のような寒さである。北に並ぶ阿讃の山々には、うっすらと雪のようなものが、黒ずんだ緑の木々の間から顔を覗かせている。

寒くても、家の中に一日中いると、酸欠のような、だんだんとぼんやりしてきて、集中力が無くなってきて、何をしても、能率があがらなくなってくることもあって、ほとんど毎日のように買い物に出かけている。

あまり食品の買い置きというのをしないので、買う物は多くはなく、時間はそんなに長くはかからないのだが、買わないモノまで覗きこんだりするものだから、けっこう気晴らしの時間になっている。

今日は、大型店舗に行って、中を4000歩ほど歩いてから、3品の買い物をしてきた。

今夜は、早く眠れそうだ。昨夜は、友人のお六さんの出版した【絆】という随筆集を読みだしたところ、かっぱえびせんのように、止められなくなって、最後まで読んだものだから、睡眠不足。

あ、いらぬことながら、睡眠不足は、脳の海馬を小さくしていくらしいので、特に子どもなど、夜更かしなどさせないように、とのこと。私めの海馬は、もう十分縮んでいるので、どうということもありませぬが、もう寝ることにします。

 

2014年2月4日火曜日

その後の卵の話その2


☆気になる卵とコレステロールのこと

コレステロールに関する学術的研究があります。


卵に関する話題で必ず出てくるのがコレステロールの話です。
最近はコレステロールにも悪玉(LDL)と善玉(HDL)という分類がされ、話が複雑になっています。

悪者扱いされているコレステロールですが、人間や動物が生きていくうえでは必要不可欠な栄養素です。食事から取り入れた脂肪の消化吸収に必要な胆汁酸やホルモンの原料になるもので、LDLは血管などに必要なコレステロールを運び、HDLは余分なコレステロールを肝臓に回収する働きを持っています。適当な量であればLDLHDLも私たちの体の中には両方存在しなければならないものなのです。
ただし、LDLが増えすぎると血管壁に入り込み、動脈硬化を促進します。一方、HDLは血管壁に付着したコレステロールを回収し、動脈硬化の進行をおさえる働きをします。

学術的には、私たちがTVなどで耳にする悪玉コレステロールと言われている成分も、卵を食べた結果、増えるということはありません。
卵黄に含まれているレシチンというリン脂質はLDL値を低下させる働きがあり、また卵に含まれるオレイン酸という脂肪酸は、LDL値の低下とHDL値を増やす働きがあることがわかっています。
普通に生産された卵であれば、コレステロールを気にせず、安心してお召し上がりいただけます。

近年の研究で、食事以外に卵を13個ずつ、2週間に渡って食べ続ける、といった卵の摂取とコレステロールの因果関係を研究する実験がいくつか行われました。
どの実験でも、血中コレステロール値にはほとんど変化が見られませんでした。

☆コレステロールに関する俗説
「卵を食べるとコレステロール値があがる」という俗説は、今から100年以上も前のロシアでの実験にさかのぼります。
実験では、"ウサギに卵を食べさせたところ、血中コレステロールが増加し、動脈硬化が起こった。よって、コレステロールは動脈硬化の原因だ!"と結論づけられたため、上記のような悪いイメージが定着しました。
しかし、ウサギは草食動物。植物にはコレステロールは含まれていません。そんな草食動物のウサギに動物性の卵を食べさせれば、コレステロール値が急上昇してしまうのは当たり前。実験の前提自体が現在の科学では考えられず、これが誤解の原因となってしまったのです。

 
☆生卵と加熱した卵との栄養比較

オムレツやプリンなど他の食材や調味料と合わせる場合を除き、単純に生卵とゆで卵で栄養価を比較してみますと、卵は、加熱をすると熱に弱いビタミンB群などの減少が多少ありますが、基本的に栄養価に大きな差はありません。
ただ、細菌を溶かす働きを持つリゾチームなどの成分は、熱にとても弱く、失われてしまうため、加熱した卵の方が生卵より保存できる期間は短くなりますので注意して下さい。

 

ということです。ご参考までに。

 

 

2014年2月3日月曜日

その後の卵の色々 その1


毎日卵を3個は食べて1年以上が過ぎました。体調は、足の関節などは、強くなったと感じます。人様にも、薦めている関係で、三石理論以外の資料で色々と調べてみたりしたので、そうしたことを書いておきます。

☆卵の色

スーパーなどで白い卵と茶色の卵を見た時、茶っぽい卵の方が高級で栄養価が高いと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、卵の殻の色の違いで、基本的には、鶏の種類によるもので、栄養価にほとんど差はないことを知りました。(一部、特別に栄養価を高めた特殊卵はのぞく)
そしてこの通説は、卵黄にも当てはまります。
卵黄も、オレンジなど色が濃いものほど栄養価が高く、薄い黄色のものは栄養価が低い、と思っている方が多いようですが、それは間違いです。
黄身の色はエサによって変わります。卵は季節や鶏が食べたものがそのまま影響し、特に黄身の色はエサの配合などによって変わってきます。
鶏のエサの主となるものはトウモロコシだそうで、黄身の色は基本的には薄い黄色です。エサに赤い色素のものを混ぜると、黄身の色は濃いオレンジ色になるのです。
以上のことから、卵黄の色が直接、栄養価を示すわけではないということが解りました。

☆食べる数

また、1日に何個も食べてよいか、ということも、他の資料で調べてみました。以下は、それの抜粋です。
良質な蛋白質やビタミン、ミネラルなど人間に必要なあらゆる栄養素が含まれている卵。それが多くの食品の中でも「最も完全に近い栄養食品」と呼ばれているゆえんです。
考えてみれば、卵1個からひとつの命が生まれ、ヒヨコとなり鶏となるのですから、卵にはヒヨコや鶏が育つための栄養素がぎゅっと凝縮されているということ。

そんな栄養素の宝庫である卵、1日に何個まで食べてよいのでしょうか?という質問をよくうけますが、健康であれば2個~3個食べても何の問題もありません。
そしてぜひ毎日、卵を食べる習慣をつけていただきたいと思います。
ただし、カロリーや他の食材とのバランスを考えて召し上がってください。

……ということです。また、私の気になっていたことも、解決出来ました。それは、卵を割ったときの白いすじのようなものについてです。
☆卵の中の白いすじ
卵を割ったときに見える白いヒモ状の部分、これは「カラザ」と呼ばれる卵白の一種です。
卵黄を卵の中心に固定させ、外部からの衝撃から守るという、卵黄にとってはハンモックのような役割をしています。
料理番組やレストランなどでこの「カラザ」を取り除くのは、イメージを考慮してのことでしょうか。「カラザ」は食べてもなんら問題はありません。
むしろ、「カラザ」にはシアル酸という成分が含まれており、最近の研究ではシアル酸に抗がん物質が含まれていることが実証されています。
できれば取り除かずにそのままお召し上がりください。

……ということでありました。(続く)

2014年2月2日日曜日

つれづれ草 その2


もうかなり夜明けが早くなってきました。今日はまた、まるで桜の開花時期のような暖かい一日でした。

義妹の7回忌の法事で出かけていましたが、家を出る時は、「吹きさらしの墓地で風でも吹いたら寒いかもしれない」と思って厚着をして行ったものですから、汗をかいてしまいました。

それなのに、明日からは、がたりと気温が下がるらしいのです。2月という月は、思いがけなく寒い日があるのは、いつものことなのですが、それだけに風邪をひかぬよう、体調には気をつけねばと思っています。

義妹は、60歳で亡くなったのですが、残された弟は、何となく体調を崩してきたようです。やはり、毎日の食事が問題と思います。飲みすぎたり、好きなものばかりを食べたりしたのでしょう。最近になって、やっと食事の大切さに気付いたのか、青汁飲んだり野菜も食べたりしているようですが、女が先に逝ってしまうと、男は、気の毒なものです。妻は、夫より1日でも長生きしなくては……。

庭に出てみますと、春を告げる蕗の薹が、もう10センチほどに伸びていました。もうすぐ蕗も、あちこちから、姿を現してくることでしょう。蕗は大好きな食べ物ですが、雑草に巻かれてしまって、だんだんと少なくなってきたのが残念です。何しろ、手入れというのをしないので、はびこって困ってしまうものがあったり、消えてしまうものがあったりです。

庭一面に生えてくる雑草も、今は、ちっとばかりおとなしげに遠慮がちに顔を覗かせていますが、そのうちに大きな顔をして、ぐんぐんと増え始めます。始めのうちは、草取りもしようと思って始めるのですが、ひと通りもせぬうちに、サジをなげるのが恒例となっています。(笑)

久しぶりに、色々な方とお会いしたせいか、ちょっと疲れたようです。無理はしない、ということを心掛けているのですが、やはり変わった一日というのは、普段よりも疲れるらしいです。ま、今夜は早めに横になります。

 

2014年2月1日土曜日

つれづれ草


つい先日、お正月をお迎えしたというのに、もう2月です。2月は、一年で一番寒いと感じる月なので、立春だの早春だの言いますが、名ばかりの春ですから、あまり好きではありません。


1月のカレンダーをビリッと破りながら、いつも「ああ、はや2月かあ。2月は逃げるし、3月は去る、すぐに4月がくるなあ……」と、ため息ではありませんが、何となくそれに近いものが漏れてきます。
ま、それでも何とかこの寒さにもめげずに、今年もひと月無事に過ごせたことに感謝です。


昨日は、今年最後の新年会でした。10名の予定が、2名の方はインフルエンザで欠席でした。会場が近くでしたので、アルコールも久しぶりに頂きましたが、ビールは中ジョッキ1杯、焼酎の湯割り少々。飲めばまだ飲めるのですが、それだけ飲みますと、もう欲しいとは思わないのです。強いのか、弱いのか、顔色や態度が変わったりすることもないので、解りません。周りの人は、強いのだと、言ってくれます。
強くても、普段は一切欲しいとは思わないので、家で飲むことはまずありません。持ってうまれた貧乏性なのかもしれません。お蔭で身上つぶすこともなく、今日まで来ました。(笑)


余談になりますが、集まった連中は、皆さん文学好きの方です。話はほとんどがそう言った系統の話になります。俳句や短歌、詩をされている方は、いい趣味ですね、なんて言われますと、【趣味ではありません。命です】と、言いたい方ばかり。根がつながっているのか、どの部類の話にもなじめるのもいいものです。私は、短詩型はほとんどダメなので、ただただ、傾聴して頷くばかり。(笑)
それでも、色々と勉強させていただきました。いい新年会でした。