2018年12月31日月曜日

№1230 今年も終わります


  元日を明日に控えて、まだしなければいけない仕事があるのですが、パソコンに向かいました。分母が不明ですが、もしあと3年生きれるなら、一年は残り人生の1/3ですし、2年なら一年は、人生の半分でとてもぼんやりとは過ごせない月日となります。

 今年を反省してみますと、忙しい一年でした。ということは、多分充実していたことなのでしょう。忙しい理由は、仕事は増やしてはいませんから、何をするにも時間だけはかかるようになったと言うことでしょう。ですから、余分にしなければいけないシュウカツというものが出来なかったのです。身の回りの整理は、どうしてもやっておきたいと思っていながら、出来なかったのが、ちょっと悔いが残ります。

 家族や身近な者達は、私をまだまだ大丈夫と思っているらしいのです。車に乗って走りまわるし、滅多に寝込んだりしないし、愚痴を言わないものですから・・・。でも、本当は、かなりくたびれました。あ、もうじきトシが変わりそうです。

 つまらぬブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

2018年12月18日火曜日

№1229 師走


  このあいだ年賀状を書いたように思うのだが、もう一年が過ぎてしまった。今年はまだ一枚も手を付けられず、気持ちはあせっているのだが、元日配達には間に合わないだろう。

 一年ぶりの知人友人の年賀状を頂くというのは楽しみなものだが、だんだんと、「今年を最後に・・・」という方も増えて来た。ま、私もそのうち書きたくても書けなくなるだろうから、それまでは、このままでいこう、と思っている。

 師走といえば、昔はすぐにボーナスというコトバを思い出していたが、もうそんなコトバとはご縁がなくなったので、あまり楽しいコトバは思い浮かばない。身体が疲れそうな仕事ばかりを思ってしまう。

 まず、大掃除はしたい。掃除というよりは、いらぬ物を捨てる片付けだ。手の届かぬ高い戸棚には、捨てたらいいものがたくさん入っているはずだし、食器戸棚にも、使わぬものがたくさんある。食器は興味があるので、かなりあるのだが、頂き物や、衝動買いをしたものなどで、使ってない物もかなりある。頂き物は、品のいいものでも、趣味の合わない物は使わない。以前は毎年バザーをしていたので、出したり買ったりしていたのだが、仙谷さんが議員を止められてからは、もうバザーの必要もなくなってしていない。地域の子供会のバザーも、いつの間にか消えている。

個人的にいらない物をだれかに差し上げるというのは、なかなか難しい。友人たちも、身辺整理中だ。だれも貰ってはくれそうにない。

お節作りは母屋と共同で、私は野菜全般と数の子の係なので、頭を使うことではない。ただ、煮炊きばかりなので、黒豆のように、コトコトと、二日ほどかけて作るものなど、焦げ付かせたりしたらオオゴトだ。最近は、よく失敗するので、何を作るにもタイマーが離せない。ちなみに私が焦げ付かせるのは、必ず弱火にして、あと3分とか、5分煮込むと言うようなときである。ちょっと目をはなして、他の事をしているときだ。

話は飛ぶが、お鍋だけは、年寄りは安物を買うべきではないと思う。高価なお鍋は買うときにはかなりお鍋と睨めっこして買うが、いくら焦げ付かせても、綺麗になるので、安心だ。安物のお鍋はそうはいかない。我が家の安鍋は、焦げ付かせてもうお払箱になったので一つも無し。(笑)

最近、よく火災のニュースが出てくる。老人が逃げ遅れて亡くなった話も多い。鍋を焦げ付かせるのはまだ許せるが、火災をだしては大変なことになる。火の用心だけは、特に気を付けている。私は、胆石で、胆嚢は全摘出術をしているので、油物は控えているため、揚げ物は一切作らない。油炒めにとどめている。油から火をだすことはないだろうが、札幌でのガス爆発のように、ガス漏れなどがあっては大変だ。何かに付けて、老人は、確かめることをマメにするようにと、言い聞かせている。

あと10日あまり。忙しい毎日となりそうだが、頑張って新年を迎えたい。

2018年12月10日月曜日

№1228 一件落着


  先日、詳しく書くと、12月2日(土)この題を書いて、続きを書こうとしていると、次々と電話がなったり用事が出来たりで、続きを書くのを忘れてしまった。その日だけではなく、忙しい日が続いてしまって、1件落着ではなく、何件かの落着をまたねばならぬようになって、やっと、書く気になったしまつ。

 シニヤ劇塾の公演が済んだのだ。これは、大きな出来事だったので、肩の荷はおりた。私がチケットを差し上げたお方や、買って下さったお方たちは、面白かったとか、身につまされてとかおっしゃって褒めてくださったが、これはお世辞と言っては悪いが、作者本人に、出来が悪かったなんて言えるものではない。良かった、楽しませてもらったと言うのは、当たり前だろう。こういうとき、お上手なしの評をしてくださる方は、身内と、信頼出来る劇評が出来なさる識者である。見に来て下さった方の多くはシニアの方たちなので、身につまされたりするのは、本当かもしれないが、劇評ではないだろう。

 本心今年が最後と思って書いたので、来年楽しみにしているなんて言われると困ってしまう。何時までも書いていたら、後取りが育たないのだ。書いたら書けるはずの人はいる。そんな方に、ちょっと勉強していただいて、書いてもらうことにした。まだ若い。私の娘や息子のような方たちばかりだから。先生だって私より10歳お若い。私もちょっぴり劇に顔を出すのだが、私には遠慮なさってか、何もおっしゃらない。さしせまってきたら、気長な先生も、怒鳴ることもある。シニアは、何度言われても忘れることもあるので、しかたがない。長い台詞を、苦労して憶えても、いざ動作を伴うと、台詞は出て来なくなる。先生もしびれをきらしてのことだ。() それでも皆はにこにことしている。いい人間関係ということでもある。

 ま、皆さん本番は、トチルこともなく、すらすらと劇がすすんでいったので、先生もご安心なさったことだろう。私もちょっぴりの台詞だが、間違わずに言えました。(^v^)