2014年11月27日木曜日

短文ですが


今日は、朝から晩まで、あれこれと忙しく立ち働いていました。明日も午前、午後と、用事がつまっています。

なるべくブログは書きたいと思っていますが、夜がくると、身体も頭も「休みたいよぅ」と。(笑)
もうトシなので、しかたないと思います。しぱらくは、ブログもいいかげんとなりますが、病気ではありませんので、ご心配なく。(^^)

2014年11月25日火曜日

大義なき選挙


日本の各地で、もうすでに大義なき選挙戦ははじまっている。

……なんて、古女が言ったところでどうしようもないのだが、毎日TVで自民党の弁明やら、野党の攻撃を聴いていると、「ああ、こんなことを国民に言うために、大金使って政治家のセンセたちは、政治ほったらかしにして、生き残りのために走り回っていのかと思うと、何だか投票に行くのがしんどいとさえ思うようになった。この選挙が、安倍政権への大いなる反省と、野党の勝利への道筋が開ける、というのなら救いはある。しかし、それものぞめそうにない。自民党支持者が多すぎる。
ま、こんなこと言っても、私は必ず投票には行くのだが、冷たい目で見ている国民の何割かは、あほらしくて投票に行けんわと、棄権するだろう。最低の投票率になるやもしれない。

日本がこんなお祭り騒ぎをしていても、世界の国々では、日本そっちのけで、色々なことが相談されたり、協議されたりしているのだから困ったものだ。

安倍さんも、目まぐるしい外国訪問やらをして帰るなりの解散でお疲れ様と言いたいが、私のような政治のことをよく知らない婆さんでも、「安倍さんが、世界中の国々を訪問して、日本のために有難い外交をしてくれた」とは思えない。なんとなく、【底の浅い外交・人気取り外交】という感じである。私の思うことが間違っていればいいのだが……。

 

2014年11月23日日曜日

置き薬


昨夜は、なかなか寝付けず、ごそごそしていたためか、今朝は、クシャミが出るし、鼻水は出るし、頭が痛かった。何だか風邪をひいているような感じだったので、6時に目が覚めたのだが、8時まで床の中でもごもごしていた。

何をする気にもならず、TVの日曜討論などをみていたのだが、ますます何のための解散劇なのか、という怒りがこみあがってきて、いよいよ気分が悪くなった。

少々風邪気味でも、薬など飲まないのだが、飲んでみようか、と思った。それは、置き薬の箱が3つも戸棚に入っているのに、半年ごとに調べにきて、その度に「すみません。何も使ってないんですが……」と、まるで悪いことでもしたような気分になって、謝るのがイヤになったのだ。昨日も謝ったばかりだ。

最初から、薬は飲まないので、置き薬はいらないと言っても、『どうか置くだけで結構ですから、置かせてください。頼みます』と、大の大人に頭をさげられて、(ああ、この方もノルマがあるんだろうなあ。置くだけならいいか)と、しぶしぶ置いてある薬箱なのだが、毎回何も使っていないというのは、相手に悪い気分になるのだ。というのも、薬箱を置いて行った方と、薬を入れ替えにくる方が、同じでないので、具合がわるい。いちいち、無理に置いて行ったなんて言えないのだ。せいぜい「薬はそのままで、入れ替えなくてけっこうです。もったいないですから」と言うくらいだ。

ということで、久しぶりに風邪薬を飲むことにした。3つもあると、どれにしようかと迷う。

Aの箱は、2年前、勧められて栄養剤とかいうのを50本特別に買ったなあ、あの栄養剤は、だれかのお見舞いに差し上げたなあ。Cの箱は、まだ歴史が浅い。今年の春からや。……ということで、Bの箱の風邪薬を取りだした。

取り出しただけで、まだ飲んではいない。食後に飲もうと思っていたのだが、忘れていた。風邪気味だつたのは、朝の間だけだったようだ。

2014年11月21日金曜日

高倉健さんの死


高倉健さんが亡くなられていました。全国には多くのフアンがおられますが、私もその中の一人です。

映画『黄色いハンカチ』頃から、ずっと高倉健さんのフアンでした。有名な映画のほとんどは、CDにおさめてあります。いつか、ゆっくりと見直してみたいと思っています。彼は、随筆集もだしており、それも読みました。心の優しいお方だということが、文章のすだれごしに、ふつふつと胸に届く本でした。ちょっとした頂き物の小物を気にいられて、いつも身につけていらして、それが何かのはずみで落としてしまわれた時など、もし、送り主が知ったなら、どんな思いになるか、涙がでてきたのを思い出します。
人を想う心を大切に生きてこられた高倉健さんの生きざまは、作品の中の主人公にもつながっていて、観る度聞く度に「いい男」だなあ……の思いは、私の中ではいつまでも続いていくことと思います。健さん、どうか安らかにお休みください……。合掌

 

2014年11月19日水曜日

解散その2


昨日は、複雑な思いの一日だった。私の尊敬している政治家仙谷由人氏が、政界引退ということが、新聞に載ったのだ。

45日前、仙谷由人氏を応援している『花の会』のお世話人の一人として夕方からの後援会連合三役会の通知を頂いていたものだから、てっきり、今回の衆議院議員選挙第1区からの出馬決定のお話があるものと思っていたところ、新聞で仙谷由人氏、政界引退の記事だ。若い者に譲った形になったのだが、それはそれで、仙谷氏の男気というか、偉いところだが、何といっても日本には、いや、今は、アジアのこんな時だからこそ、名の通ったそして筋の通った論客でもある仙谷氏が民主党にとってはなくてはならぬ方なのだ。発展途上国にとっても、必要な方だけに、残念無念の気持ちでいっぱいだ。

この、わけのわからぬ解散劇でふりまわされている野党の中にあっては、10人分も20人分もの働きをする方というのは、過去の実績で分かるだけに、複雑な気持ちなのだ。

しかし、ご本人の口から、「政界引退」ということばは出ていない。今回は、若者に譲ったということと理解している。そして、バッジを付けていなくても日本の国のためにしなければならない仕事はある、と仰っている。力強い。だから、私たちも「花の会を解散」するわけではない。今まで通り新年会&お誕生会は、予定通り行うことにしている。 何人かに、心配しているという電話などいただいたので、そういうことになっていることをお知らせしたい。

2014年11月17日月曜日

解散?


「殿、いかが致しましたか?」腰巾着でなくても、殿を戒めたい解散劇の噂。1年で一番忙しい師走に、大金を使っての衆議院解散をするっもりらしい。安倍総理の鶴の一声に、国民は首をかしげてしまうだろう。

さては?と私めは思ってしまう。彼が以前首相だったときの『難病引退』を。今回も、いよいよ情勢が思わしくないため、逃げ出すんかいなあ……と。

大体、安倍さんの言っているように、日本の経済がうまくいくはずがないのは、我々庶民の浅知恵でも見当がつくというものだ。大企業は儲かっていても、格差は大きくなるし、多くの人達が、月給が上がらない、不安定な雇用者が大勢いて、結婚も出来ない、というような政治では、GDPのマイナスは当然のことである。日銀が札束をいくらばらまいたって、庶民の懐には、何の役にも立ちはしない。

日本人というのは、バカではない。本当に皆が歯を食いしばって国難を乗り切らなければならないときは、8%の消費税が10%になっても、助け合って頑張らねばと思うだろう。低収入で困っている人たちへの心使いをほっといて、何だかんだと言っても、それは、本当に国民の幸せを願っている政治とは言えないだろう。

こうした安倍政権の独走を食い止めるだけの力が野党にはないのが残念だ。

今回の選挙の目的が、安倍さんの言う消費税を1年半延期することへの問いかけだとするなら、そんな必要など、さらさらない。GDPが2年連続マイナスなので、増税を延期しますと言ったら、国民は納得するだろう。いったい、何のための突然の解散か分からない。
やはり、逃げ出すつもりかなあ……。それとも、今のうちなら、自民圧勝と思ってのことかいなあ……。ともあれ、強い野党、モノ言える議員をおくりださねば、この国は、破滅するかもしれないなあ……。

2014年11月15日土曜日

幸せ


私が日常思っていることに「心がけ次第で、幸せは、足元に一杯転がっている」ということです。暮らしの中で、ちょっとした楽しみがあったりしますと、とても幸せと思うことができます。有難いと感謝します。

半月ほど前、mimiさんが、歌集を出版されました。そのご本を頂いて、とても嬉しく思いました。中味の立派なことは無論ですが、mimiさんが入院されたり、身体のあちこが痛かったりする中で、こうしたご本が出来あがったことが、とても嬉しかったのです。そしてmimiさんが幸せな気分で毎日を送られていると思うと、私もまたそのお裾分けを頂いて、幸せな気分になりました。

つい先日、4人ほどが集まって、小さな祝賀会となりました。これがまた、すばらしく幸せ気分になりました。久しぶりの4人の顔合わせが、とても嬉しかったので、幸せ気分は増幅されました。

自分のことであれ、人様のことであれ、楽しいこと、嬉しいことは、幸せなことです。私の幸せ袋は、幸せがたくさん詰め込まれました。有難いことです。

年を重ねて、重たい老害を背負い込んでいても、幸せ袋をいつも満杯にしていくことで、荷は軽くなります。気持ちが前を向きます。生きていることがとても有難くなります。これは、体調不良の時などの、何よりのいいお薬になると思っています。


追伸 私の気ままに書くブログは、矛盾だらけと思います。【昨日の敵は今日の友】で、ころころと、思うことが変わるのですが、いずれも、その時の思いであり、心がけでもあるので、そのおつもりで読よみ流しください。m(_ _)m

2014年11月14日金曜日

溜息


本箱の整理をしかけては、溜息をついている。

読書家ではない私だが、図書館をあまり利用しないので、読みたい本は、殆ど買いこむことになる。読みながらラインやらを引いたりすることがあるので、自分の本でなければ、そうしたことは出来ないからだ。
20年ほどまえ、作り付けの本棚をこしらえた。奥行きを深くし、二重に入れてある。奥には、歴史、日本文学、詩歌、などの全集物と、あまり再読はしないと思うものを入れたのだが、どんな本をいれてあるのか、もうさっぱりわからない。その上、本箱に入りきらない本があちこちに積みあげてあるものだから、この際、整理をしようと、先だって思いたった。

古本を集めてくれるのが金曜日なので、木曜日の夜始めると間もなく、手にとった古い本を読みふけってしまうものだから、そこらあたり、本を散らかすばかりで、廃棄処分にする本がなかなか出てこない。
夕べも始めたのだが、3時間もかけて、やっと10冊あまり、紐で結わえただけだった。こんな調子では、中々目的が達成できないと、溜息をついている。

本に比べると、衣類の整理は、まだ簡単だ。「これはいらない」「これはまだ惜しい」と、その場で判断が出来る。といっても、なかなか捨てられないのが現実なのだが……。

自分のトシを考えると、荷物を減らさねば、困るということが分かっているだけに、【挫折しない整理の極意】だの、【上手な整理のしかた】だの、しょうもない本を買ったりしたのだが、何の役にも立たない。(笑)

ある方は、「風呂敷包み1つで死にたい」と書いていたが、それくらいの心がけで、かからないと、溜息ばかりでは、どうにもならない。何とか頑張りたい。

 

2014年11月11日火曜日

喪中葉書


早くも喪中のお知らせ葉書が届きはじめました。今日は、札幌の恩師A先生の奥様が満百歳になられていたのですが、七月に永眠されていたことを、息子様より知らされました。

先生が亡くなられて、もう20年近くになります。北海道の友人が、新聞に出ていると教えてくださったのです。電話で弔電をお願いしたのですが、電話口で途中から言葉がつまってしまいました。電話口の女の方が、とても優しい方で、私が「ごめんなさい」と謝りますと、「いいですよ。お気持ちわかります。ゆっくり心が落ちついたら続けてください」とおっしゃってくださり、ありがたかったのを思い出しました。

A先生は、私が小学校12年生のときの担任の先生でした。生徒を分け隔てなく大事にしてくださったことが忘れられません。お忙しい毎日だったでしょうに、休み時間は、いつも生徒達と遊んで下さいました。
私は教師となりましたが、A先生のような教師になりたいと思ったものです。なれませんでしたが……。

退職して、2度ほど先生にお会いする機会があり、泊めていただいたこともあります。お優しい奥様には、大変ご迷惑も掛けました。心からご冥福をお祈りいたしたいと思います。

 

2014年11月9日日曜日

障害と障碍


最近、障害者ということばを、障碍者、障がい者と書くことが多くなっている。【害】という字が、よくないらしい。ただ、障害も障碍も、意味は同じである。何かの妨げになると言う意味の『しょうがい』だが、障害者の立場に立って文字を変えたり、コトバを変えたりするのは、今までに何度かあった。「盲学校」「聾学校」などは、養護学校となり、更に今は「特別支援学校」と、改善されている。

このように、呼び名が変わってきたのだが、果たしてその結果はどうなのだろうか。

根本的に、特別だの支援だの言ったところで、そうした方たちへの差別意識が同じであれば、何の役にもたっていないのだ。同じ人間同士であるはずが、知恵が遅れているとか、耳が聞こえないからといって、心の中で差別したりするのであれば、何のための改名かわからない。

差別は、口に出したらいけないのではない。気持ちの中の差別がいけないことなのだ。

私の子供時代のことになるが、目の不自由な方で、とても立派な方が近くに住んでいらした。鍼灸マッサージをなさりながら、家に盲・聾の幼い子供を10人程も預かって、寝食をともにしながら、塾をされていた。正規の盲聾学校がまだ無かった時代である。貧しい家の子も受け入れながら、盲人のご主人は、子供達に点字を教え、それなりの勉強も教え、奥様は、聾の子供に手真似口真似で、読み書きを教えておられた。そして、盲亜学校の設立のため、力を入れられていた。

私の家族などは、「あのめくら先生と奥さんほどの立派なお人はここらにはいないと、とても尊敬していた。ことばは今は使えないめくらであっても、決して差別語ではなかった。

こうした心の中の問題についての教育は、家庭や学校で、どのように指導されているのだろう。ちょっと気になったので書いてみた。

2014年11月7日金曜日

子供の声が……


いよいよ寒さが本格的になってきました。気温も低いのですが、殺伐とした世の中にも気が滅入ります。この少子化という大きな問題を抱えて悩んでいる人たちが大勢いるというのに、子供たちの遊ぶ声がウルサイと言うおとな?が増えていると言うのです。殆どの人達が元気な子供達の増えることを望んでいるというのに、どうしてほころびて火を吹くのでしょう。

保育所の建設に反対、外で遊んでいる子供たちの声が煩いと文句を言われるので、保育所が建てられない、外で遊ばすことを制限しなければならない、というようなことが、よくあるらしいというのですから驚きました。

こうしたことは、都会だけのことかと思いましたが、そうではないようです。田舎であっても、小中学校の近所の家から、色々と文句を言われている学校も多いらしく、ちょっと私らの世代のものたちには、考えられないことです。

風の強い日など、運動場で体育などしていると、砂埃が家にはいってきて困ると苦情がくる、などなど、どう考えても、学校側が悪いとは考えられません。

近頃の子供達は、ただでさえ外で遊ぶ機会が少なく、それが大きな問題とされているというのに、幼い保育所や幼稚園児が、外でキャッキャッと騒いで遊べないなんて、気の毒でなりません。
【産めよ増やせよ】と、国が掛け声をかけていた戦時中には、こんな話は聞いたこともありません。戦後しかも、ここ何十年かの最近になって、言い出したことのようです。

子供の数は、ぐっと減って、以前は1学年5クラスもあったものが、1クラスというような減少ぶりですから、騒音だって、昔に比べたら、ぐっと少なくなっているのです。何とか我慢が出来ないのでしょうか。戸や窓を閉めるなり、耳栓をするなり工夫してでも、子供達のために、我慢していただけないものかと、思いました。無理なことなのかなあ……。

2014年11月5日水曜日

国の行く末


アメリカの中間選挙で、オバマさんの顔色も冴えないようだ。日本にも、何らかの影響があるやもしれない。何しろアメリカさんの言うままのようなお国である。

古女が国の行く末を心配しても、どうにもならないことであるのだが、国の行く末によっては、私らの生活が、大変なことになるのではないか、という心配はある。戦後の経済の混乱を体験しているからだ。

これからは、年金は下がっていくらしいし、デフレ脱却ということは、悪くすればインフレになるやもしれない、ということだし、ある経済学者の言うように、日本はアメリカの経済が破たんする前にアメリカに潰される、ということにでもなれば、年金どころか、わずかな預金も紙屑になりかねない……なんて思うのだ。イヤでもあの戦後を思い出してしまうのだ。

おぼろげにしか憶えていないのだが、預金封鎖と言うことで、お金はいくらあっても勝手に下ろすことは出来なかった。また、新円切り替えということになったが、インフレの嵐である。昔の一万円は、家が買えたというのに、靴が二足しか買えないようなことになってしまった。給料は、それに追いつかないものだから、ひと月働いても、革靴1足が買えないのだ。現物を生産する農家はそれなりの収入がある。そんなわけで、教員では食べていけないので、教員を辞めて農家に嫁入りした方もいた。

まあ、何事も楽観主義の極楽トンボの私なので、まさか、そんなひどいことになるはずがない、と、最後はそう思い直してしまうのが常なのだが……。

2014年11月3日月曜日

文化の日


【文化】とは一口で言うと何ぞや?と、道行く人に聞いたなら、まちまちの答えが返ってくるでしょう。というよりは、何もかもが文化なのでしょう。芸術はもちろん、農業だって、生活だって、教養だって、色々なものが文化という名で表現されているわけで、ただ何となく、生きていることだつて、勲章は頂けませんが、文化的発展に、つくしています。

年とともに寄る皺波、鏡を見なくても、顔をひと撫ぜすれば、皺もタルミも判ります。何十年も生きてきた証です。手を拡げてみますと、節くれだって曲がった指が、働いてきた証を誇らしげに語っています。人生体験が、豊富になればなるほど、身体全体が証明してきます。それこそが文化勲章なんでしょうね。

美容整形という医学も発達してきました。皺やタルミも、お金さえだせば、取り去ってくれるそうですが、勲章をわざわざ取り去るこみともないでしょう。ま、本物の勲章頂けるような方なら、取り去ってもいいでしょうが。(笑)

文化の日、ということで、思い付くままの駄文を書きました。