2012年2月29日水曜日

何と言っても日本は……

最新の仙谷議員の出した『仙ちゃんリポート』なるものを読んでいて思った。
いよいよ日本は、急を要する課題が山積みされている。どなんかせないかんことは、お金のかかることばっかり。困ったもんやなあ・・・と、溜息が出て来た。

こんなことを言うと、年寄り連中にドヤされそうだが、年寄りも大事にしてもらわな困るけど、それよりも若い人たちをこのままほっといたら、この国の将来はどうにもならんようになることは目にみえている。安心して家庭を持ち、子どもを育てていける社会は、幸せの基盤であって、それがなければ、年寄りの幸せもない。

大学は出たけれど、就職難、臨時や派遣では結婚もできん、こうした人たちが増えて行くので、貧困者が増えている。子供を産んでも、教育もろくにできないのでは、産む気にならない。
こうした若者を救うのにも、お金がなくてはどうしようもない。
これは、人ごとではないのだが、どうも人ごとと考えている人たちが大勢いるらしく、増税なんて、まっぴらと目を吊りあげる。こうした人たちのご機嫌を損ねたら、今度の選挙には勝てないと思う議員までが、反対を言うからなかになか意見が纏まらない。無駄を省いてから、なんて、呑気なことを言う。お尻に火がついているのに、わが身のことしか考えないらしい。

こんな文句を言っていたら、知人が言う。「まだ日本はいい国だわ。貧富の差と言ったって、餓死する人なんかいないもの。病気になれば、医者にみてもらえる。こんないい国が一大事というのだから、少々のことは踏ん張らにゃあかんわ。高校教育だって、親の負担は少しは軽くなったし、大学の進学率だって高い。お隣の中国なんか、・・・」と、中国通は続ける。

成熟した日本の社会(と私は思っている)に比べたら、まだまだ揺れ動いている中国社会とは、物差しが違うのだが、いずれにしても、中国人でなくてよかったと思う。日本に生まれていてよかったと思う。
こんないい国、もっと大切に考えたいものだ。

2012年2月28日火曜日

質問

学校には、(多分、今でもあると思うのだが)毎年、県のお偉い管理主事という方の、「学校訪問という行事があった。普段より緊張した顔つきの校長先生が、客人を案内して教室に回ってこられる。ものの4分か5分、主に授業をしている先生を観察するのが目的であるが、生徒も先生もかなり硬くなるのが普通だった。
しかし、天真爛漫な子どもたちの学級担任だった私は、緊張はご法度。私がいつもの調子を崩さずに授業をやっていれば、子ども達も、そんなにコチコチになることはない。でも、あのときばかりは兜を脱いだ。お偉い方がいけなかった。頭が、蝿も止まれぬほどに、ピッカと禿げておられたのだ。
その方が教室の横の廊下から見えたときから、私はイヤな予感がした。子ども達の目も、その現実を見逃すはずはない。失礼な態度をしやすまいか……と気になった。予感は的中した。いや、もっとひどいことになったのだ。

お二人が教室に入ってくるなり、A子が、私に真面目な顔をして質問した。
「センセ。あのヒトの頭、どうして毛が一本もないんですか?」と。
「ひぇーーっ。な、な、何ということを言い出すんやぁ」と、仰天。胃袋がぎゅぅっとなった。私の気持ちはすぐさま、その子を捩じ伏せて、謝らせたかったが、そんなことは出来もしない。でも、さすが校長先生だ。とっさに窓の外を指差されながら、「あの松の木はねえ・・・」とか何とか言いながら、客人の気を庭にそらされたのだ。
私はというと、お二人が窓から外を向いている隙に、ぐっとA子に睨みをきかせたものの、客人や校長先生に「すみません」の気持ちが渦巻いて、お二人の前に手をつきたい気分である。でも、何も聞こえなかったようなふりをきめこんで、授業を続けるしかなかった。
私の顔は、多分真っ青か真っ赤だっただろう。声だって、上ずっていたに違いない。子ども達だって、後ろを見たり私をみたりと、頭が大揺れだ。

有り難たかったのは、お二人が、短い時間で、そそくさと出て行かれたことだ。何が飛び出すか分からない学級というので、校長先生は「長居は赤信号」と逃げ出されたに違いない。
すぐさま、あたりは騒然となった。「センセ、あんなこと、言うたらいかんなあ」と、常識派はA子を非難。「だって分からないことは、いつでも聞きなさいって、センセが言うとるでぇ」と、A子も負けてはおらぬ。
ああ、いつもの指導が裏目に出るとはこういうことだ。ま、正直な疑問を私にぶつけてきただけのこと。直接ご本人様への質問でなくてよかったと思うことにした。
叱るわけにもいかず、そうかといって褒めることでは決してない。なんとか、今後は、そういう質問は、ご本人の前ではせぬことを約束させた。

今となっては、もうあの世に旅立たれているお二人に、「ほんと、すみませんでした」と、心から詫びながらも、思い出すたびに、お腹のあたりがびびってしまう。

2012年2月27日月曜日

3億円の使い道

ブログを始めてまだ日はたっていないのだが、早くも反省している。どうも年寄りの書くものは、やはり年寄りくさいものが多くなってくるようだ。反省はしているが、これも致し方ないとは思う。文は人なりという言葉もあるのだから・・・。

昔の話になるが、孫二人に、「ね、ね、おばあちゃんがもし3億円当たったらどうする?」と、真面目に質問されたことがある。 宝くじの10枚も与えられての質問なら答えようもあるのだが、当たるはずのない3億円なので、こっちもいい加減な返事になる。
「あなたたち二人に1億円ずつあげる。残り1億円は、パパとママにあげるわ」
と、答えた。
気のいい上の孫は、言下に私の取り分のないことを指摘して、それは困るから、少しでも分け前を取ってくれと言う。下の孫は、今持っている貯金箱に、1億円が入らないのではないかと、心配しはじめる。
どちらもまことに真剣。こんな光景を見ていると、子供はいいなあと、ちょっぴり大人になったことが悔やまれる。

そんな孫たちも、今はもう、4月からは大学4年生と1年生なので、そんな質問はしてこない、と思っていたら、高校卒業近い下の孫が、先日宝くじの看板を見て同じ質問をしてきた。「あんたが当たったらどうする?」と聞くと、「3億円もいらないから、どこかに2億円寄付する。今なら東北の震災地やな。残り1億円は、家族みんなに同じ5等分して、ちょっと贅沢な気分になる」という。なるほど、婆ちゃんの私にも2000万円戴けるらしい。いい考えだと、ほめておいた。(ああ、世の富豪たちよ。この孫を見習っておくれ!)

彼女は、私と同様に、宝くじなどは、まつたく買う気にはならない性格と私は睨んでいるのだが、ぜひ買ってほしいものだ。彼女、最近、何だかんだと、のし袋に入ったものを頂いているから、資金はあるはず・・・。

2012年2月26日日曜日

岐路は黄昏期

退職後というのは、私が大人になってから、こんなに早く過ぎていった年月はなかったように思う。まるで秋の夕暮れである。1020年という年月は、過ぎてしまうとアッという間なのだが、あっという間だからこそ、大切にしなければいけないということが、過ぎ去ってみると強く思う。

一日のうちで、昼でも夜でもない「黄昏」があるように、人の一生にも、若くもなく年寄りでもない頃合いがある。5060代という年齢は、そんな時だった。若いころのように、何でもはできないが、やる気があれば、そこそこのことは出来る年齢である。そしてこの時期は「老いの潜伏期」なのかも知れない。

何をするにも心準備がいるように、「老い」を迎えるにも、それなりの足場があったほうがいい。潜伏期が過ぎると、「老い」は情け容赦なく現れてくる。顔はむろん、足腰にガタがくるし、もの忘れはするしと、いやでも『齢』を感じることになる。

でも、「老い」といったら、何もかもが下降線を描くというイメージがあるが、私は「自分の人生の総仕上げ」の時だと思うことにしている。(これくらいのことはほざいていないと、私は不精者なので、豚女になってしまう恐れがある)

どちらにしても萎びるか活き活き印かの岐路は、どうも黄昏期が大切と言えそうだ。そしてその後、かなり続くはずの『老後』という道のりを、自力でどこまでやっていけるか、ということは、その日その日を、『黄金の日々』とわきまえて、大切に生きて行くしかなさそうだ。

2012年2月25日土曜日

老婆は一日にして成らず

長年の教師生活から足を洗って、名実ともに専業主婦の座についたのは、昭和614月。55歳のときだった。当時も定年は60歳だったが、残り人生を逆算しての決断だった。預金があったわけではないが、同年の夫は、定年まで働くつもりだし、子どもの学費も不要となっていたので、生活よりも、人生を選びたかった。

人生にも、句読点や行変え、起承転結があるとすれば、さしずめ退職というのは転であろうか。もう給料が戴けないのは淋しいが、袴を脱いだ身軽さと、毎日が日曜日という嬉しさはお金には代えがたく、背中に大きな羽根が生えたみたいな気分だったのを思い出す。

まず、何はともあれ、三十年も手を抜いてきた主婦業を、じっくりやって、主婦としての実力のほどを家族にみてもらわねばなるまい。こんな健気な決意をした私は、その日から、心に鉢巻き、背にタスキの出で立ちで張り切った。それだけではない。見たい映画、お芝居、テレビ、そして好きなときに行きたいところに行くことが出来る幸せは、最高に楽しかった。

ところが、である。何カ月かするうちに、こんな毎日でいいのか? という声が、気持ちの穴ぽこから、ぷつぷつと湧きだしてきたのだ。なぜ? それは自分でもよく解らないが、ただこのまま老いていくには、何か侘しかったのだろう。

ある日、夫がこんなことを言った。
「退職したからといって、家のことばっかりしていると、すぐ婆さんになってしまうぞ。長いこと忙しい目してきたんだから、これからは、自分のやりたいことに力入れたらどうか? 女が上手く年寄りになっていくのは難しいぞ」と。
これは言ってみれば、私にボケられたら困るということだろうが、有り難い忠告だったと思っている。

「今の自分」はよく見える。でも、将来、どんなお婆さんになっていくのか、というのは、想像しにくいものだ。確実に年を寄せて行くが、上手く年を寄せるとは、どういう年寄りになっていくことなのか、どんなお婆さんになりたいのか、自分に問うてみた。『理想のお婆ちゃん像』が幾通りも頭をよぎっていく。祖母や母、そして先輩のあれこれを重ね合わしてみて、何となく、理想の自画像らしきものが出来ていく。でも、そんな自画像よりも、そんな『私』になるためには、どんな生き方をしていくか、が大切なのだ。
まずは健康維持。そして前向きに生きること。これが大前提となるのだが、ともかく、やりたいことをコツコツとしていくことしかないのだ。自分磨きといえば聞こえはいいが、磨くといったところで、錆を落とすことからはじめなければならないこともあるし、容易に前進出来ないのが現状である。人さまのために何か、といっても、大きなことが出来るわけではない。でも、頭のどこかに、理想の自分を掲げていると、小さなことからでもしていこうという気持ちになれるから、結構いいことだと思う。

今、私は81歳。未だに理想の婆さんには程遠いのだが、健康維持も繕いながらだが、何とか元気だし、したいことは『無理せず楽せず』でやっているので、まあまあ・・・というところかな?
「老婆は一日にして成らず」 そして「すべての道は老婆に通ず」なのだ。

2012年2月24日金曜日

正々堂々

今朝の新聞みると、大きく小沢さんのことが書かれている。いよいよ民主党内のまとまりのなさが、一般公開された。
マスコミ報道が全て正しいとは思わないけど、民主党内の亀裂は本物らしい。

先日、ある知人Aさんに、「東北の復旧には、土木関係の仕事が山ほどあるけど、これで建設業界は、少しは息を吹き返せるんやろか?」と、素朴な質問をしたところ、Aさんはこんなことを言う。
「東北の土木工事には、小沢一郎を頂点にして、ある建設会社が仕切っていて、他の大手建設は東北の縄張りに手を出せないらしい」
「えっ?そんなことってあるの?」
「しかも、その頂点の小沢が現在裁判中で動きが取れないという怪しい危険な情報が囁かれていますよ」
Aさんは、こんな話も、ネットで読んだにちがいないのだ。もし本当ならとんでもない話。いやはや、最近は報道が、正直言ってどこまで真実を発表しているのかわからない状態なので、ネットの情報が正しいと言う人もあるくらい。せめて、新聞TVは、ほんまのことを流してほしいなあ・・・。お断りしておくが、私はどうしても小沢さんという方が好きになれないのだが、そうかと言って、ヘンなウソの噂を流されるのは許せない。裁判のこともそうだ。あくまでも、正しい正当な裁判であってほしい。この文化日本が、証拠を捏造したり、もみ消したりなど、考えただけでも身の毛が立つ。裁くものも、裁かれるものも、国民が納得できるよう、正々堂々とやってほしい。

2012年2月23日木曜日

ちょっとばかり自己紹介

1930年生まれの惚れっぽい古女。今現在も、惚れているお方は、大勢います。そのほとんどは、自分の名誉、私欲とはあまりご縁のない方たちばかり。人間味があり、何か引かれるものを秘めています。一途な情熱だったり、ロマンだったり、人さまの為に何かをやっていたり、などなど、感心させられます。むろん、名を成した方もいらっしゃいます。例えば本県(徳島県)出身の政治家『仙谷由人氏』などは、もう知らぬ人はいません。しかし私は、彼が無名の時からの大のフアンだったので、お偉くなったからといって、どうということもなく、お話しています。人間として、昔と変わっていないからです。とにもかくにも、自分の周りに、心温かな人たちが、大勢いることの幸せを、大切にしてこれからも生きていきたいと思っています。

以前は「未曾有」という漢字を正しく読めない方は、案外多かったと思うのですが、ある事件をきっかけに、ほとんどの方が正しく読めるようになりました。事件を起こされた方の功績は大きいと思います。
「古女」と書いて「ごまめ」と読むことをご存じない方は今も多く、私も俳句を紐どくまで知りませんでした。
鱓(ごまめ)という字を使った諺で、『鱓の歯ぎしり』という諺があります。ここでは鱓とは、『かたくち鰯を干したもの』で、かたくち鰯のような弱者が、どうしようもないことに憤慨し、残念がることを言うので、その字が『古女』となっても、その意味は変わりはありません。字も気に入っています。私にぴったり。どこに出かけても、最高齢に近い大年増もいいところ。お断りしておきますが、私のプロフィールにある似顔絵は、自分で描いたものではなく、心優しいSさんが描いてくださったので、皺とシミは描いてないので、けっこう若くなっています。ありがとうSさん。
これから私め、このブログに、古女として、ひとりごと、歯ぎしり、そしてエッセイなどなど、書き込みをしていこうと思っているので、ご贔屓にしていただければ、有難いと思います。m(_ _)