2013年5月31日金曜日

お付き合い


「お付き合い」という言葉は、何となくいい感じのするものだが、これが「義理」となるとちょっとめんどいことになるようだ。

近しい人から、電話で相談があった。以前、夫と付き合いのあった人が亡くなったのだけれど、どこまで義理をはたすべきか、ということだ。無論、夫さんが亡くなったときは、香典をいただいている。でも、同町の方だが、その後のお付き合いはまったくないという。

私の答えは、「義理を欠くというのは、相手に対して、当然しなければならないことを欠くことだけれど、夫さんのときは、それなりのお返しをしていることだし、その後のお付き合いがないのだから、別に義理を欠くということではないでしょう」ということだ。

義理を欠くとか、礼を欠くというのは、お付き合いの相手を傷つけたりする場合は考えるべきだが、そうでなければ、自分の置かれた環境(例えば年金暮らしになっているとか、商売を止めているとか)によって失礼してもいいものだと思う。

よく言われることに、「年をとったら、もう義理を欠きましょう」と。
限られた年金暮らしの中で、負担になるような義理は、欠いてよろしいという教えだと思う。

お付き合いで一番大切なことは、心であって、自分にも相手にも、あまり負担をかけずに、精神的に豊かなお付き合いをしていくことが大切なのではないかと思っている。

2013年5月30日木曜日

田植え


私の家のあるこの辺りは、田植えが遅い。いつもなら6月に入ってからの田植えなのだが、今年はもう何日か前に田植えが終わっている。ただ、不思議なことに、田に水をはって、苗代かきをしても、いつも聞こえる蛙の声が聞こえない。まだ寝ぼけているのだろうか。()

田植えといっても、朝早く軽自動車に苗を積んでやってきた人と、田植え機に乗ってきた人の二人だけ。機械で一人がとんとんと植えるのだから、早いものだ。またたく間に植え終わってしまう。あとの一人が、田の周りの植え残しのところに、手で植えていくだけだ。今年はそれもしなかったのか、田のまわりに植え残したような空きがかなりある。

手で植えていた時は、升目の定規で何人かが横に並んで植えていたので、綺麗な絣模様が出来あがっていくのだが、機械植えは、定規を当てて植えるようには綺麗に植えることは難しい。ちょっとハンドルの加減で、植えた筋がカーブを描いたりしている。

手植えの時は、在所の人達は協力し合って植えていた。田植えだけではない。消毒の時も助け合いするのだ。そうしたことが、その在所の絆を強いものにしていたのだが、今はもう、助け合いの農作業は跡形も無くなっている。都会並みになっていく農村だが、そんな農村であっても、若い人たちはあまり好まないようだ。都会の様な人間関係が、世話がないと思っているようだ。

この頃よく言われている災害時のときなど、巧く助け合っていけるのかと心配する。

そんな田舎は、もう農作業をする人たちが、かなりの年寄りになりつつある。農業を継ぐ跡取りがいないのだ。専業農家では、生活が大変なので若者は皆さんが勤めに出ている。そうした人たちが退職後、親の跡継ぎをして農業をしていくのは難しそうだ。結局専業農家に土地を預けて、作って貰うしかない。日本の農業は、そういう形にだんだん変わっていくのだろう。

我が家も、私の代にはもう農業はしていない。わずかの土地ではあるが、専業農家に耕作して頂いている。ただし、昔のように地主と小作の関係ではない。農協や役場が間に入って契約しているが、小作ではないので、年貢は一円も頂いてはいない。ただ、戦後の農地改革と違うのは、返してくださいと言えば、返していただける、ということが違う。しかし、それもどう法律が変わるか分からないので、どうなることか……。
 
あっ?  蛙?の声かしら。何か聞こえるなあ……。

 

2013年5月29日水曜日

方言


朝、TVで、懐かしい方言を聞いた。「なげたら、いたましい」と。

この言葉は、北海道のことばだ。「捨てたら、もったいない」ということなのだが、私は12歳の夏までは、日常使っていたことばだ。

こんなことばは、もう忘れかけていたのだが、TVの中で、小樽の女の人が言っているのを聞いたとたん、思い出したのだ。そしてつぎつぎと、「はんかくさい」とか、「しばれる」とかいったことばが、頭の中によみがえってきた。

北海道には、もう付き合っている親戚は1軒もないので、訪れる機会は滅多になく、私が友人や、先生に会いたくて訪れたのが2度きりなのだ。やはり北海道は遠い国だ。でも、やはり懐かしいものだ。

方言で思い出した。今日、同窓会の通知発送の手伝いに、同級生5人が集まってくれたのだが、Sさんが、「Aさんの家は、昔から【さつがいっとる】と言われとる」と言う。
〝さつがいっとる〟という言葉を始めて聞いたので、何のことかと尋ねると、ケチンボでもないし、しまつな家というのでもないが、あまり褒めたことばでもないらしい。何となく分かるのだが、面白いことばだ。徳島市内に住んでいる二人は、私と同じように、聞いたことが無いことばという。しかし、市内から10キロほど西に住むMさんは知っていて、使うと言うから面白い。同じ徳島県であっても、違うのだ。案外、狭い所で使われているようでもあり、広い範囲のようでもあって、その分布はよくはわからない。同じように、【へんしも】ということばも、私は知らなかった。早く、とか、さっさと、と言う意味らしい。

こうした方言のことなど、調べたりすることを、まったくしたことがなかったのだが、こうしたことを調べてみるのも面白いと思った。思うだけだろうが……。 ()

2013年5月28日火曜日

タルトの思い出


古い空き箱を整理していたら、タルトの絵のついたしおりが出てきた。

それを見て、もう20年も昔のことになるのだが、上の孫の幼い時のことを思い出してひとり笑っている。

今は、S寸を着るほどの腰回りで、太くはない普通の体型の孫娘なのだが、幼いころは、かなり太かった。パパもママも、中肉中背。そんなに太くなる体質ではないのに太りだしたのは、食欲が人並外れて旺盛だったのが原因だったようだ。息子や嫁には言えなかったが、(これは、お爺ちゃんに似たに違いない。【大女】になるのかも)と心配だった。

私の夫は、幼い時から食欲が人一倍旺盛で、太くて大きく、小学生というのに学生服を誂えなければならぬほどだった、という話を義母から聞いていたのだ。
成人してからも、お相撲さんタイプではなかったが、それでも食欲旺盛。大柄でがっしりとした体格だったものだから【大男】なのだ。胃を悪くして、半分切除したとき、お医者に「大きな胃だったので、半分切っても大丈夫。普通に食べられますから」と言われたのだ。

当時の孫は、金魚をみても、水族館の魚をみても、「美味しそうなびんびが泳いでるぅ」と目を輝かせる子だった。

親は、小さいときに太ってしまうと、おとなになってからも、太る体質になる、ということで、極力おやつなどを控えて制限していたのだが、爺さんはそんな孫が可哀想で、親に内緒で喫茶店に連れて行き、蜜豆だのチョコのたっぷり入ったアイスクリームなど食べさせたりするのだ。

ある日、庭続きの爺婆の家に、3歳の彼女が駆け込んできた。運悪く、頂き物のタルトをお皿に盛ってあったものだから、孫の目がランランと輝く。

心ならずも「これは大人のおやつよ。子どもが食べたら、身体が痒くなるの」と言い聞かせて戸棚にしまった。相手は「痒くなってもいいから食べたーい」と言い出す。しかたなく「じゃあ少しだけよ、ママに内緒ね」と一切れを半分にして食べさせた。暫くして「お婆ちゃん、へんだよ。痒くならない」とおっしゃるものだから「よかったなあ。少しだから痒くならなかったんだ」と私。

さらに真面目な顔で孫が言う。「わたし、痒くなってみたい。もっと食べてみる」と。とうとう私は負けて笑いながら「ごめん。ウソよ。いくら食べても痒くはならないの。でも今食べたら夜、折角ママのつくったごちそうが食べられなくなるからね。ママ可哀想だものね」と、なだめるしまつ。やっと納得させて帰らせたのだ。

そんな孫が、先日東京の下宿先から帰ってきて言うことには、「胃袋が小さいから、すぐに満腹になる」などと言ってあまり食べない。胃袋の大きかった爺に似ていたはずだが、変われば変わるものだ。()

2013年5月27日月曜日

原価と儲け


色々なものの値段があがっている。円安は、外国から仕入れるものが高くなるので致し方ないのだが、生活用品や食べ物の値上がりは、有難くない。

たとえば、うどんの玉の原価が10円上がったら、今まで、300円だつたうどんが、310円になるのかと思うのだが、商売というのは、そんなに物差しで計ったようにはならないのが現実だろう。利益だって、あげなければならないかもしれないし、原価があがっても、利益を少なくしても、値段を上げられない場合もあるだろう。ま、一般的には、じりじりと物価は上がりつつあるようだ。このままだと、収入は変わらず、物の値段があがっていく、ということで、なかなか暮らしは楽にはならないだろう。

先日、友達と、昼時に回転寿司に入った。一皿105円だ。そのとき、知らない隣席の人が ウニのにぎりを食べながら、「ウニの原価は、85円。店は、ウニが売れても儲けが少ない商品だ。と笑っていた。ま、ウニより納豆巻きや卵巻きが好きな私のような客もいて、つり合いがとれるのだが。()

店を出てから友達が「ちょっと小さくなってるわね、握りが」と言う。あまり回転すしに入ってないので私は気が付かなかったが、値段が同じでも、大方の仕入れの値があがったので、小さくなっても不思議はない。

品物が上がって、握りの大きさが小さくなつても、働いている人の給料は、なかなか上げてはくれないだろう。人件費を上げるためには、ますます小さな握りにしなくちゃいけないだろう。() 

素人の私が思うには、お水を売る商売とドリンクバーのような店は、随分と儲かるだろうと思う。お水は、ただ同然。ドリンクだって原価なんか、ただみたいなものだ。オレンジジュ―スなんていっても、本物のオレンジを絞ったものじゃない。5円か10円のジュースを200円も、それ以上にも売っているのだから。大かた席代と思えばいいのだが。() 
ま、ジュースは飲み放題なんていう、子どもの喜びそうな店もあるらしいが、そんなジュースは、いくら飲んでも 店としてはあまり痛くはないのだろう。そんな店は、子連れのお客がよく行く。ということは、何度も来てくれるということで、店にとってはいいお客さんなのだ。 

ともあれ、世の中、あちらを立てればこちらはたたず、でなかなか安倍さんの言う好景気のお相伴にあずかる人たちは少ないようだ。給料が上がったなんて話、一向に聞こえてきませんねえ。

2013年5月26日日曜日

お化け屋敷?


こんなニュースが載っている。転写してみる。()

首相が任期中に住むための首相公邸。安倍首相は、第2次安倍内閣発足後5カ月ほどが経過した今でも入居していないが、24日、この公邸をめぐって、長い間ささやかれていた幽霊のうわさについて、政府が閣議決定をした。
静寂に包まれる夜の首相公邸。ここには身の毛もよだつうわさがある。
午後4時半、菅官房長官は「(気配を感じたことは?)言われればそうかなと思いました」と述べた。
「首相公邸に幽霊が出る」とのうわさについて政府は、「承知していない」とする答弁書を閣議決定した。
菅官房長官は「いろんなうわさがあるということは事実でありますし、この間、閣僚があそこで懇談会を開いた時も、そういう話題も出たということも事実でありますけれども」と述べた。記者の質問に、苦笑いで答える菅官房長官。
実は安倍首相が、就任からおよそ5カ月がすぎても、公邸に引っ越ししていないことをふまえ、民主党の議員が、「幽霊のうわさは事実か」と質問をしていた。
2006
年、小泉 純一郎元首相は「幽霊に出会ったことないね。一度会いたいと思ったんだけど」と述べていた。
旧首相官邸だった現在の公邸。かつては青年将校によるクーデター「二・二六事件」の舞台となり、今もその時のものといわれる弾痕が残されている。
また、この土地はもともと怪談「化け猫騒動」で知られる、佐賀鍋島藩の江戸屋敷があった所で、いわば、「いわくつきの土地」と言われていた。
羽田元首相の綏子夫人も、以前、住んでいた時の体験を著書で、「悪寒が走ったと申しましょうか、何か胸を圧せられるような、異様な雰囲気を感じました」と語っている。
その後、綏子夫人は、知り合いの女性におはらいを依頼。女性は「霊がうようよいる」と話したという。
真偽不明のうわさ。安倍首相の今後の入居については、諸般の状況を勘案しつつ判断されるという。

こんなニュースに、私は笑ってしまった。硬い話ばかりの永田町で、こんな噂があるのも、余興かと思うが、そんな噂を半信半疑の議員さんがいらっしゃることにも、驚きだ。
私は、まったく、そういうことは、体験もしていないし、信じていないものだから……。

もし、そのようなお化けなどが実在するのなら、この世は、恨みつらみの幽霊で、隙間もないと思う。

ま、これは、私個人の思いであって、人、それぞれ。信じている方、霊を体験された方には、それなりの思いがあるはず。

でも、霊などに鈍感なことを、私は喜んでいる。鈍感という言葉には、あまりいい印象はないのだが、霊だけではなく、何事にも鈍感ゆえに、幸せなこともあって、結構いいものだ。()

2013年5月25日土曜日

カレーの味


今日は、文芸協会の8回目の総会。会員が、95名の会だが、丁度農家の方は、忙しい時期でもあったのか、集まったのが20名にも満たないという少なさ。いつも多くは集まらないのだが、それにしても少ない。半数は集まっていただきたいものだ。欠席の方には、書類と、総会の報告書を送ることになる。特に総会に行かなければ困るというわけではないので、出足が悪いのかもしれない。

さて、総会のあと、何人かの役員が近くの喫茶店で一服した。丁度お昼時だったので、それぞれが、好きなものを注文した。私は、久しぶりにカレーを注文した。

カレーは好きだ。しかし、カレーを外食で注文していただいたことは、ほとんどない。理由は、カレーの専門店以外では、「美味しいカレーに出会うことがまずない」と思っているからだ。今日も、思った通りの、【喫茶店のカレー】の味だった。

喫茶店などでは、ほとんどが、大きな缶に入ったカレーを業者から購入している。だから、味はよく似たもので、特に不味くも、美味しくもない。無難というべきかもしれない。
ただ、カレー好きな者にとっては、物足りない。

自分で作るカレーは、けっこう美味しいと満足しているのだが、一人暮らしというのは、あまりカレーを作らない。作れないというのが正しいかもしれない。それは、少量の美味しいカレーを作るのは、難しいのだ。煮込みの時間もかかる。

自分ではあまり作らないが、たまに隣家のママ(嫁)が作ったカレーを何度か食べてきたが、ママは私よりずっとお料理が上手なので、手早く美味しいカレーを作る。愛情のこもったカレーだ。孫たちもママのカレーは大好きだ。

以前、市内に美味しいカレーを食べさせてくれるお店があった。ある時立ち寄ったら、「今日はカレーはだめ。仕込んでまだ3日しかたっていないから」と断られた。一皿1.000円だったと思うが、とても美味しかった。当時は高いと思っていたが、5日も煮込んで作るカレーと聞いて、それじゃあ安いと思ったのを憶えている。()

学校給食の人気メニューにはカレーがある。何校かの学校給食を経験しているが、どこもそんなに時間をかけて作っているわけではないのだが、大量作るためか、殆どの学校のカレーは、美味しかった。

もう、学校給食のカレーとは、ご縁がなくなって久しいが、味はまだ憶えていて、同じようなカレーに出会ったことはない。外で頂かないせいもあるが、多分どこのお店でも無理だろう。

ただ私のように、民主党の選挙のお手伝いを長くしてきた者は、(炊事を手伝うことが多かった)選挙事務所で、無償でお手伝いしている方のために、無償で作っているカレーは、いつも美味しい。 沢山作るし、愛情も入っている。もうベテランのカレー担当?の方がいる。() 
やはり、食べてくれる人のことを考えて工夫しながら作る料理は、何であれ美味しいものなのだ。

 

2013年5月24日金曜日

ぼんやりしています


毎日のように書いているブログだが、「何を書こうか」と、考える時間が長くなった。その上、思い出や昔のことなどを書くときは、今までに書いたものかもしれない、という不安も出てくる。同じ話を何度も書くと、これは、認知症の始まりのようで、まずい。「その日に思ったことを書く」ということで書いているのだが、例えば、今日治療に行って、先生と話したことは、三浦雄一郎さんが、素晴らしいということだった。つくづく感心している。でも、もう昨日書いた。ブログには書けない。()

疲れた頭は、半分眠っているようなものだ。取り立てていいことを思ったわけでもないので、こんなことを書いているのだが、今日は、ここまでにしておこう。

明日は、文芸協会の総会。準備は昨夜の役員会で仕上がっいている。上手くことが運びますように……。

 

2013年5月23日木曜日

80歳の挑戦


お昼ご飯を食べながら、TVをみていると、上のところに、ニュース速報が流れた。

冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、23日日本時間午後0時15分、史上最高齢となる80歳で、世界最高峰エベレスト8848メートルの登頂に成功!ということだった。

三浦さんは、衛星電話を通じて「世界最高の気分。人生でこれ以上ない気分。80歳でもまだまだいける」と喜びを語った、という。 これまでの最高齢登頂記録は、2008年5月25日に成功したネパール人男性の76歳。

三浦さんは03年に70歳で、08年5月26日には75歳で登頂に成功しており、今回が3回目の登頂。三浦さんのアタック隊は日本時間の23日早朝、標高8500メートル付近の最終キャンプを出発、最終アタックを開始していた。更にニュースを読んでみると、彼は、08年の登頂に成功した直後から、80歳での登頂を模索。76歳だった09年に札幌市内のスキー場で事故に遭い、大腿骨の付け根や骨盤を骨折したが、リハビリに努めて克服している。昨年の10月に今回の登頂計画を表明してからは、持病の不整脈を抑えるために同11月と今年1月の2度にわたり、心臓手術も実施して臨んだのだ。もう、人間というよりは、怪物だ。

三浦さんは1932年、青森市生まれ。66年に富士山をスキーで直滑降。70年にはエベレストの8000メートル地点から滑降するなど85年までに世界七大陸最高峰のスキー滑降に成功している。スキーヤーとしても、凄い方なのだが、以前TVで、80歳でエベレスト制覇するという夢を語られていたのを観た時、「まあ、そんな無茶をして、もしものことがあったらどうするの。止めといたらええのに……」と心配したのを思い出す。

ある新聞には、三浦雄一郎さんにとって、史上最高齢でのエベレスト制覇という記録は、実は最大の価値ではない。本当に大事なことは「80歳の自分という壁」に打ち勝ち、夢をかなえることだ、と書かれているが、その通りだ。
私等が、彼の真似をせよと言われても、出来るものではないのだが、自分の病気という壁や、年齢の壁に打ち勝つということは、やって出来ないことはなさそうだ。自分では、「もう無理や」と諦めていることはたくさんあるだろう。その中の一つでもいい。この三浦雄一郎さんの勇気に刺激されて、『いっちょ、頑張ってやったろか』と思う人が、このニュースを知った人たちの中には、たくさん居るにちがいない。私たちに、素晴らしいプレゼントをおくってくださった三浦雄一郎さんに、カンパーイ!

2013年5月22日水曜日

独り暮らし


独り暮らしの人は、栄養不良や、低栄養になりやすい、という統計があるそうだ。

私も食事は自分で一人で作り、一人で食べているので、さもありなんと思う。独り分の料理を、わざわざ作るのは面倒と思うことがよくあるのだ。特に忙しいときには、手を抜きたくなるものだ。その結果、出来あいのものを、マーケットで買ってくる。(ま、最近は、手作りの美味しいものも、かなり出まわっていて、よくそんなものを買うのだが)しかも、一人ぼっちで食べるのだから、よほど気を付けないと、器だの、盛り付けなどに工夫をして……といったことも、疎かになりやすい。そうならないためには、かなり生活にタガをはめ、だらしなくならないように、日々気をつけることが大切なのだ。
誰もみていなくても、器を楽しみながら……とか、盛り付けを美しく、とか、まんべんなく、偏らない食事を、とか気を付けることで、何とか、健康な食事ができるというものだ。

私は以前から、1日30品目は、なかなか取りにくいので、1食10品目、ということに気を付けてきたのだが、あるときから(ブログ№356 3月12日に記したように、NHKの番組【新型栄養失調】を観て以来)1日の食べ物を、肉類・魚類・卵・乳製品・大豆・野菜・芋類・果実・海藻・油類の10項目の分類に切り替えた。こちらの方が、取りやすいのだ。3食で、この品を食べたらよいのだ。まず、たいていは9~10点の合格となる。平均9~10点取れていれば、寝たきりになりにくく、8点以下からは、リスクが見え始めるので、食生活を改善していく必要があるという。

高齢者は、やや太り気味が元気でおれるらしい。あまりスタイルなど気にしてはいけないのだ。

高齢者のほとんどの方たちは、「長生きしたいというよりは、健康寿命を延ばして、生きているあいだは元気でいたい」という、かなり無理な願望をもっているのだ。()

そんな無理な願望が、少しでもかなえられるよう、努力するのも、生き甲斐の一つだろう。

2013年5月21日火曜日

友情


疲れがまだ取れないのだが、今夜もちょっとした会があって先ほど帰宅。

ちっと横になつていたのだが、しんどくてなかなか起き上がれずにいた。昨日は、それほどには思わなかったのだが、今日は昨日よりしんどい。後から出てくる疲れということかもしれない。気の緩みもあるのだろうが、何しろ何日もの疲れなので、そう簡単には、取れぬのだろう。

 
昨日、今日と、たくさんの方から、お電話を頂いた。「疲れていない?」ということで、心配してくださってのこと。ありがたいことだ。私が色々と関わってきた方たちが大勢いて、芝居のチケットを買ってくださったり、心配してくださる方がいるのは、私の宝物なのだ。こうした友人のお蔭で元気に過ごせることを感謝している。

同級生の中には、もう外出もままならない方もいらっしゃる。そういう方たち何人からか、「同じトシのあなたが、頑張っていることを知って、励まされた。元気もらったからね。ありがとう」と電話をいただいたときは、涙がでるほど嬉しかった。

また、10歳も20歳も後輩の方たちから、「古女さんを目指して年を寄せていくつもり」と言われて、こういう形で、私をみてくださっていることに、とても勇気をいただいた。これじゃあ、まだまだ元気でいなくては、申し訳ない、の気分である。こちらが、若い方たちに励まされている。

ともあれ、今の私の生き方が、間違ってはいないらしいことに、自信を頂いている、幸せな昨今である。

2013年5月20日月曜日

感動!


昨日、【市民で創る郷土の演劇】『すみれの花咲く頃』の公演が無事終わりました。無事といっては語弊があるかも分かりません。ゲストとしてお迎えした元宝塚女優【安奈淳】さんが、体調をくずされて、出ていただけなくなったのです。金曜日に徳島に来られたのですが、その日から、一度もお稽古に出ることなく倒れられたのですから、ご本人も、私たちもどうなることかと心配いたしました。

でも、当日、開幕の2時には、車椅子に乗って、会場の皆さまに、心よりのおわびをおっしゃいました。

安奈さんは、言葉に窮して、泣いてしまわれました。開場の皆さんは、その言葉に感動して、あちらこちらから、すすり泣きの声があがりました。出演者、お世話をしてくださった方々も、むろん涙です。

人の言葉というのは、不思議な力があるものです。気持ちを伝える道具にすぎないように思われがちなことばですが、その人の心の中の真実、悲しみ、愛情までも伝えることができるのです。すると、聞く人は、そのことばの正体を感じとってしまいます。歌を聞いても、同じです。心をこめた歌を聞いてこそ、私たちは感動できるのです。

会場の皆さん全てが、安奈さんのフアンではありません。むしろ、安奈さんをあまり知らない方も大勢いらっしゃっていたと思います。
でも、そういう方たちも、感動と、優しさの涙を流したのです。

出演者は、そうした安奈さんのお言葉で、ますます「しっかりと安奈さんにご迷惑かけんようにしなくては」という気持ちを頂き、いつもよりもいい出来の劇となりました。安奈役は、安奈さんをお世話してくださったお友達の内藤順子さんが、「安奈淳さんの代りです」とおっしゃって、劇をすすめました。とても素敵なお方です。

劇の最後に、私たちと、安奈さんが、いっしょに白ばらの歌をうたう場面では、再び車椅子で、舞台の中央に出てきてくださったのです。そしてマイクをにぎり、うたってくださいました。カーテンコールも、ごいっしょに……。ご無理をなさったはずです。ここでも、大きな歓声と拍手です。

安奈さん不出演のマイナスは、あったかもわかりません。しかし、それ以上のものを安奈さんは私たちや観客に与えてくださったことは確かです。

もし、安奈さんがお元気でお芝居に参加いただいていたら、楽しく満足できたかもわかりません。でも、安奈さんと、私たちの心の交流は、どうだったでしょうか。涙を流すほどの感激をいただけたかどうかはわかりません。

車椅子の安奈さんから投げられたボールは、皆さんの胸のポケットに、ずしりと仕舞われています。

幼いころを思い出してみました。何ごともなかった運動会は、いつの間にか忘れ去られていますが、雨の中の泥んこの中で走って転んだ運動会は、いつまでも懐かしく忘れられません。私たちの胸の中に、しっかりとたたまれています。

昨日のことは、雨の中の運動会と同じです。

安奈淳さま。ありがとうございました。
そして初めからお終いまで、心から私たちをご指導いただいた浅香寿穂先生、お疲れになられたことと思います。また何日も浅香先生と一緒にご指導いただいた内藤順子先生はじめ、多くの方々、客席で感動してくださった観客の皆さま。
更に、最高齢者の私めを、いつもいたわってくださり、我がままを許してくださった優しい出演者の皆さんに、心よりの感謝を申し上げます。

自称前向き婆さんの私め、自分の不出来は棚上げにして、よかったよかったと、喜んでおります。

2013年5月17日金曜日

感謝


「大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」と、よく声をかけられるこの頃です。【シニア劇塾生】中心の今回の市民演劇ですが、その中でも、最高齢者の私を気遣ってくださる有難いおことばです。私などは、たいした用事をしているわけではありませんし、出番も少ないので、他の皆さんにくらべますと、随分楽をさせてもらっているのです。

ただ、家にいても、することがあるので、じっと休んでいる余裕があまりないのです。さすがに疲れます。でも私の主義で、イヤなことはしていませんし、毎日を楽しくすごしているものですから、ストレスもなく、心地よい疲れです。夜横になれば、すぐに熟睡しています。
時には、時間を忘れて用事をしてしまい、気が付くと午前1時を過ぎている、なんていうときもありますが、翌日もいつもの通り目を覚まします。蒲団の中の時間をちょっと長目に起き上がると、シャンとします。

やはり【感謝】の気持ちを忘れてはならないと思っています。

今日もおかげで元気で目覚めることができました。感謝感謝です。一日、いい日でした。充実した一日になりました。感謝しています。ぐっすりと快眠が得られることでしょう。感謝。ありがたいことです。と、全てに感謝します。

このトシがきますと、【人のふり見ても我がふり直せず】の心境ですから、あまり反省することもないので、悔やむこともあまりありません。(笑)
どんなことでもいいのです。良い友人、知人、先生との出会い……毎日感謝していると、とてつもなく有り難い日々に思えてくるから不思議です。

こんな気持ちでおりますと、めったに、気持ちに角をはやしたり、トゲをのばしたりはしません。これは、生きる知恵ででもあるようです。

 
よく、高齢になりますと、愚痴が多くなると言われます。不安も大きくなるのでしょうが、愚痴ったところでしかたないものです。人間貧しくても、世の中よくならなくっても、逞しさを失わなければ、生きて行けるのだ、と思っていますから、どうということはありません。(そのわりには、自民党の悪口言いますけど。笑)

人間は逞しいいきもので、飢えに直面すれば、草だろうと昆虫だろうと、根こそぎ食べつくす生きものでありますからね。これは、戦中戦後を生き抜いた者だから言えることかもしれませんが……。
 
 *明日・明後日は、お休みさせて頂く予定です。m(_ _)m

2013年5月16日木曜日

核武装


今日の新聞に、原子力規制委員会の専門家チームは、昨15日、敦賀原発の2号機の原子炉建物直下にある断層を活断層と断定したと書いてある。ということは、2号機は、再稼働が難しくなったのといことだが、それにたいする反発もかなり大きいようだ。

また、同市のもんじゅは、使用済み核燃料から、プルとニュームなどを回収して、再利用する施設なのだが、今までにトラブルがよくあって、停止中。その施設も、再会に向けて準備をしてきたが、敦賀原発の稼働が難しいとなれば、当然もんじゅも再会が凍結されることになる。

こうした新聞記事を読むと、いかに原発問題が複雑で、ややこしいかが分かるのだが、さらに、ネットでこんな、物騒なことを書いている評論家(田中 宇)がいる。これは、どうも根も葉もないうわさではないらしい。転写しておこう。

 
安倍政権の周辺からは、日本が核武装すべきとの世論を盛り上げようとす る動きがある。
日本外務省は、06年9月に、日本が核兵器を作るとしたら3-5年の時間と、3000億-5000億円もの経費がかかると試算した報告書を作っている(報告書を、防衛省でなく外務省が作った点に注目)。

日本は核兵器を作る方向を模索していると考えられる。現実を見ると、六ヶ所再処理工場の正式稼働は困難だ。政府内で六ヶ所を正式稼働させたい勢力がいることに対抗し、原子力規制委員会は5月15日、プルトニウムを燃やす「もんじゅ」について、1万個の機器に点検漏れ(保安規定違反)があったことを理由に、再稼働に向けた準備をやめるよう命令した。もんじゅが動くめどがなければ、六ヶ所の正式稼働を急ぐ必要も減る。

この決定は、六ヶ所正式稼働を急ぐ政府内勢力に対する原子力規制委員会からの反撃だ。日本政府の中枢で、核武装したい勢力としたくない勢力がいて暗闘している感じだ。
最近、もんじゅだけでなく、一般の軽水炉の再稼働を困難にする決定がいく つも出されている。原子力規制委員会は5月14日、福井県の敦賀原発2号機の直下に活断層があると判断する決定を下し、敦賀2号機は廃炉の可能性がぐんと高まった。青森県の東通原発の敷地内でも活断層が見つかり、建設中や完成後数年しか経っていないのに廃炉の可能性が高まっている。今夏は電力各社が電気を安定供給できそうだとの見通し記事も出た。電力を安定供給できるなら、国民の不安を押しのけて原発を再稼働する必要がない。以前の記事で予測したとおり、国内原発の再稼働は拡大しそうもない。稼働中の福井県の大飯3、4号機も、次回の定期点検で運転停止した後、再稼働できるかわからない。

安倍政権の肝いりで、日本企業がトルコで原発新設を受注しそうだという報道が出る半面、米国では原発の新規建設が次々と頓挫し、原発の新設が全くできない状況になっている。シェールガスブームなどによる石油ガス相場の低下もあり、数年前に比べ、米国の状況は激変した。
先進諸国では原発がすたれていきそうな半面、中国と韓国は、日本が核燃料
の再処理を稼働したがるのを横目で見ながら、日本に負けない核燃料再処理をやりたがっている。

これまで再処理を自国内でやっていなかった中国は、フランスの政府系原子力産業アレバに再処理工場の建設を発注した。日本の六ヶ所と同規模の再処理工場だ。

韓国は、米国と締結している原子力協定を改定し、これまで同協定で許されず米国に委託してきた核燃料再処理を自国内でやりたいと言い出している。日本がプルトニウムを増産するなら、うちも負けられないというわけだが、米国は韓国の要請を断っている。日本の核燃料再処理の拡大は、中国や韓国が対抗して再処理を拡大する動きを呼んでいる。米国はこの点も懸念している。日本が再処理拡大を通じて核武装し、対抗して韓国も核兵器を持ち、中国は保有核兵器を増やすかもしれないからだ。

米国の懸念が当たっているなら、日本は急いで核兵器を開発しようとしている。日本が急いでいないなら、先にもんじゅや軽水炉群を再稼働していき、プルトニウムを核燃料として使う必要があることを世界に示し、世界に納得してもらってから再処理工場を正式稼働すればよい。そうした気の長い話をすっ飛ばし、国内原発がほとんど稼働していないのにプルトニウムだけ作りたがる日本は、急いで核武装したがっていることがバレバレだ。
日本が急いで核武装したがる理由は何か。北朝鮮の核武装か。中国の脅威か。
私が見るところ、本質はいずれでもない。日本政府、特に、核武装の計画書を書いたことがある外務省が考える至上の国是は対米従属だ。北朝鮮や中国の脅威拡大は、日本が米国の核の傘にしっかり入る好機であり、むしろ日本が核を持たず丸腰であり続けた方が、日米同盟の強化に好都合だ。】

 
私たち市民は、【裏】を読む力に乏しい。こうした現実があるのは、考えられることだ。原発で生活している市民や町村のあることも、分かるのだが、政府の中で、核武装をしたがる議員がいるなんて、どう考えてもおかしい。平和憲法の元で、核武装なんて……。

2013年5月15日水曜日

ばら祭り


外は、涼しい風が吹いて、とても気持ちの良い五月晴れ。買い物の途中、町内のばら園に立ち寄りました。ばら祭りの最中です。
ばらの香りが一面にただよっていて、鼻をひくひくさせながら、目のお正月をしてきました。
見物の方が、たくさんいらっしゃってました。ばら祭りは、今週中ひらかれているようです。

 

 

2013年5月14日火曜日

コレステロール


コレステロールが、多くの人から目の敵にされているようですが、
コレステロールは、そんな悪者ではない、という三石理論のことを要約しておきます。

コレステロールは、病原体のようなものではないし、これが直接成人病を引き起こすものでもない。コレステロールは、体にとって、必要不可欠なものである。これがなければ、健康な体にはなれない。
体は、小さな細胞が集まって出来ている。皮膚なら、約、4週間で代謝回転するように、常に新しいものに作り替えられているから、その材料となるものを、いつも用意しておかねばならず、それを食べ物で取ったり、体内で作りだしたりしている。脂質であるコレステロールも、細胞を作る時に必要な材料の一つである。

全ての細胞は、細胞膜に包まれているが、その細胞膜をつくる成分として、コレステロールはきわめて重要な成分なのだ。コレステロール不足が、ガンを招きやすいと言われるのもそのためである。細胞膜が弱いと、その部分がガン化しやすいのだ。
また、皮膚にあるコレステロールは、紫外線を浴びるとビタミンDの前駆体というのになる。ビタミンDは特にカルシュームの吸収に必要とされるので、コレステロールが少ない人は、ビタミンDが不足し、その結果骨に影響する。
その他女性ホルモン男性ホルモン、寿司レスを受けたときに副腎皮質から分泌される抗ストレスホルモンなども、コレステロールがなければつくることができない。このように、重要なものなので、コレステロールは体内でも作られている。肝臓でつくられているコレステロールは、食品から摂取しているコレステロールの数倍になるだろう。

コレステロールは、肝臓で、リポタンパクという蛋白質に包まれる。いうなれば、宅配便のパッケージのようなもので、いくつかの種類がある。その中で、しばしば問題にされるのが、善玉(HDL)と悪玉(LDL)である。悪玉が肝臓から発送されて、コレステロールを必要とする組織へ運ぶのに対して、善玉は、例えば血管壁などで、余ったコレステロールがあれば、それを元の肝臓へ持って帰る役目をしている。往路LDLにはコレステロールが多いが、復路のHDLにはコレステロールは少なく、変わりにレシチンが多い。HDLは回収したコレステロールを、LDLに戻すこともやっている。

そもそも、血中コレステロールを動脈硬化や、心臓病の促進因子という考え方からだが、LDLに対して、HDLの割合が多ければ、問題は生じない。それが、HDLを善玉とよぶゆえんであるが、どちらもそれぞれに任務をもっていることを忘れてはならない。必要ゆえに、わざわざ梱包されて運ばれているのだ。

コレステロールが身体にとって問題なのは、この梱包が壊れてしまったときである。移動中に、活性酸素という有害物質にぶつかるとリポタンパクが酸化され、梱包がほどけてしまう。(活性酸素は、ガンを含めたさまざまな病気や老化の原因となる)そしてこぼれたコレステロールが、掃除されるのだが、それが多くなると、脳こうそくの原因のアテロームという物質をつくりだす。

要は、壊れたゴミになったコレステロールをうまく処理することが大切なのだ。体内の不要物は、大便か尿にまじって排泄されるのが普通だ。ところが水に溶けないコレステロールは、腎臓で処理出来ないため、胆汁にまじって捨てられる。ただし、それには条件がある。レシチンという物質と一緒になった時、コレステロールは胆汁として出て行ってくれる。このとき、ビタミンCとEが加勢する。
善玉は、最初からこのレシチンを一緒に用意しているので、梱包がほどけても、すぐにレシチンがコレステロールを道連れにして体からでていく。
一方悪玉とよばれるものは、レシチンが少量である。しかし、レシチンは、卵の黄身や、大豆などに含まれているので、口から摂取すればいいのだ。これを十分とっていれば、余分なコレステロールは、適切に処理され、アテロームも発生しない。

と、まあこういうことであります。

2013年5月13日月曜日

権力


昨日の時事放談の司会者【御厨 貴】氏が、こんなことを先日、朝日新聞に書いている。

「……民主党は、残念ながら、小沢を例外として、【権力】に対して批判は出来ても、拒否感覚のあまり、権力と、寄り添うことが出来なかった。自民党が、当たり前のように使いこなしていた権力を前に、たじろいだ」と。

自民党は、権力を私物化することはあっても、弱者である国民のために使うことはしなかったのだが、「統治」の難しさをかいまみたように思う。「権力」を弱者のために、正しく使う。これができなければならないということだろう。

そういう意味では、権力を正しく使ってあの大震災の時、素早く活動できるための働きをしていたのが、仙谷議員だつたのだ。
被災地の市長さんが、衆議院選挙のとき、仙谷氏の応援に駆けつけてくださり、「仙谷さんだけが、頼りになった。すばやく対応してくださったのは仙谷さんだけだった」ということばを県民の前でおっしゃっていたのを思い出す。
 
いざというとき、国民の命を守ることが第一のときに、条例だの法律だの言っておれない場合があったのだ。そんなときの仙谷議員の働きこそが、市長さんには、有難かったにちがいない。

仙谷さんは、どんなときにも、国民のためには、へっぴり腰にはならないのだ。ま、これも、実力がなければ出来ないことだが……。

2013年5月12日日曜日

時事放談


毎日TVの御厨貴司会の【時事放談】(出演者・石破茂&仙谷由人)は、朝早くのTV放送なので、万一を思って録画をして置いたのだが、こうしておくと気が緩むのか、目がさめたら6時。もう半分以上終わっている時間だ。かけてあった目ざましが、15時となっている。05とするはずだつたのに。これでは午後のお茶タイムだ。(笑)

石破さんは、自民党きっての理論派、と言われている方だけあって、安倍さんよりも、しっかりしているし、突っ込まれても繕いはうまい。
かたや対する仙谷さんも、これ民主党の支柱的人物。おっしゃることに隙もなく、納得させるだけの理論をお持ちなので、安心して聞いてられるのは、いつもと変わらない。

結論は、この景気云々は、仙谷さんの言われる通り、一部の輸出大企業が景気を回復したのはいいが、資源のない日本の国は、何をするにも輸入している原料と、その製造機械を動かす油や、電気代の値上がりで、貿易収支は上がらないのが現状。物価は上がる、給料は上がらない、このままでは、ますます国民は苦しくなる、という図式、それが心配なのだ。石破さんは、それに対処するべく、いろいろと考えておられるようだが、その実現は、いつになるのかは我々には分からない。

更に最近のアメリカの、安倍政権への批判、とくに右寄りの現状批判にたいしては、もっと根本的に歴史を学んで、現実に対処しなければ、解決出来ないことが多々あることを仙谷さんは示唆されていた。

ま、私ごときは、お偉い方々のお考えは、雲の上のことのように不明なので、とやかく言うことはできないが、贔屓目ではなく、やはり、このアベノミクスは、不安であるし、何の恩恵も受けてはいないのが現実だ。しかも、独走政治というか、自民党の天下だった昔の政治に、後戻りしていきそうな安倍政権。これだけは、決してさせてはならないことだ。
 
民主党には、頑張って自民党にお灸をすえられるだけの政党に、早く復帰してもらいたいと、願っている。

2013年5月11日土曜日

お知らせ


朝から、夜遅くまで外出していて、先ほど夜食を頂きました。

お腹が空いて、眠れそうにありませんので。
ゆで卵と、野菜ジュースです。
最近はよく、寝る前に食べていますが、ま、なんとか体重は、そのまま。()

明日は、午前5時30分より、毎日放送で、【時事放談】に、仙谷氏が自民党の石破氏と出演します。キャスターは、御厨 貴氏。

朝が早いので、もう寝ることにします。(^^)

2013年5月10日金曜日

植物の不思議

最新の研究によりますと、隣の植物の音を「聞いた」植物は、何も聞いてない植物より、成長を自分から促進する、という研究がなされているそうです。

そういえば、ビニールハウスの中で、いろいろな野菜を作っている方が、野菜に音楽を聞かせると、よく育つ、というのを聞いたことがあります。音楽ではなく、隣の植物の音を聞いた等、ということですが、音楽よりも、ずっと小さな音なんでしょうね。音というより、何かの信号みたいなものかもしれません。

「あら、あなた、もう芽を出すの?じゃあ、私もそろそろ出そうかしら」 なんて会話はないでしょうが、何かを感じるものがあるのでしょうか。植物が、よき隣人との、コミュニケーションで、信号を出し合っている、ということらしいのです。
研究者によりますと、つまり、植物は化学物質のにおいをかぐ「嗅覚」や、隣人に反射した光を見る「視覚」に加えて、周囲の音を聞く「聴覚」も備わっている可能性があるというのです。そして、「植物は、私たちの想定よりもずっと複雑な生物体だ」と。

そう言えば、植物の植え方に、隣に、○○を植えたらいいとか、あかん、とかいうのがあります。

もし、植物が、何らかの言葉を話しているとしたら、どんなものなんでしょう。とても興味があります。

以前書いたかもしれませんが、我が家の柿の木は、ある時から、何年も実を付けずに、葉だけを繁らせていました。その時、もう切ったろか、と思ったのですが、切ることはせずに、「実がならんのなら、もう切ってしまうよ」と、見るたびにいっていましたら、次の年から、実を付け出したので、驚きました。ま、これは、私の言ったことに憤慨して実をつけたとは思っていませんが、そういうことにしておこうかなと、思ってニヤニヤしています。



 

2013年5月9日木曜日

ニンジンの町


家の前の田んぼに、一昨日までビニールのトンネルハウスがあって、中にはニンジンが収穫時を待っていました。

それが昨日、2人ほどの人がビニールをはずしているのを見かけたのは朝のうちでしたが、もう夕方には、あちこちに、商品にはならないニンジンが、収穫されぬまま、転がっていました。機械にもかからなかったのか、目につくと、放り投げたのか、使い方によっては、十分食べられるニンジンです。
 

 

(どうも写真が上手く動いてくれません)
 

 
収穫したニンジンは、綺麗に洗って、形をそろえ、段ボール箱に入れて、出荷場に運ばれて行きます。私たちの町は、ニンジンの産地なので、農協はこの季節、屋外にテントを張って、次々と軽トラで運ばれてくるニンジンの受け取りに大忙しです。

収穫して持ち帰ったニンジンの中にも、写真ほどの器量のものでなくても、箱詰め商品にならないものは出てきます。勿体ないと思うのですが、くずニンジンに手間をかけて、市場に出しても、値は安いし引き合わないのでしょう。こうしたニンジンは、ビニール袋に詰め込んで、農産市場などに、安く売っています。

ニンジン農家は、収穫時は、人を雇って、出荷をしていますが、その手伝いに行っている方たちは、商品にならないニンジンをどっさり貰って持ちかえって、隣近所の方に差し上げたりしますから、町内の家庭では、かなりのニンジンが豊富にあるはず。()

いくらニンジンの産地とはいえ、ニンジンばかりを顔が赤くなるほど食べるわけにはいきませんから、頂いたニンジンをまた、知り合いに「ニンジンいらん?」なんて、電話をして差し上げるのです。

ま、この時期、しっかりとニンジンを食べて、元気になりませんか。(^^)

2013年5月8日水曜日

戦争を知らない人たちが



安倍さんが、ひどく高揚して、憲法改正に力を入れている。安倍さんも、戦争を知らない世代だ。

以前、こんな笑い話のようなことが、本に書かれていた。

あるお偉いさんと大学生の会話。

「世界第二次大戦を知っているか」

「知らない」

「学校で歴史を習わなかったのか」

「習ったけど、明治維新までしか習っていない」

「そんなはずないだろう。教科書にちゃんと書いてある」

「明治維新のところで三学期が終わったので、先生が、『あとは、自分で読んでおけ』と言ったけど、読んでない」

「日本史は、逆さまから教えたのがいいかもしれんなあ」……これは実話である。

これもまた実話だ。

広島に観光旅行した女子大生が、こんなことを言った。

「原爆原爆っていうけれど、原爆がなかったら、広島って、何もないでえなあ」

原爆を有難く思えとでも言うのかっ!と怒鳴りたいような気分になる。

みんながみんな、こんな若者ばかりではないだろうが、こういった若者もいるのである。これを平和ボケとでも言ったらいいのだろうか・・・。

憲法問題にしても、9条改定反対の理由が、「兵隊に取られたらたまんない」といった程度の若者も珍しくない。

これからの日本を背負ってもらわねばならない若者である。こんな意識を、そのまま、ほうっておいていいものか……、と、古女の私が言うたところで、どうにもならないのは分かつているのだが、それでも言わずにはおれない気持ちである。

 

2013年5月7日火曜日

寒い朝


汗ばむような昨日に比べて、かなりの寒い朝だ。温室から冷蔵庫に入ったような温度差は、体調を崩してしまいそうだ。冬季の13度と、立夏を過ぎてからの13度は、肌の感じ方が違う。

窓から見える辛夷の枝葉が、季節外れの小型台風ほどに揺すられていたのだが、今は少しばかりおさまったようだ。太陽がにこりと愛想を振りまいたので、顔色もよくなっている。

近々、町の一斉清掃日だ。家やその周りをきれいにしておかねばならない。今から、庭の草取りと、片付けをすることにする。……続きは、夜、書くことにしよう。

 
……と外の仕事に精出したのはいいが、やはり、何時間も長くは出来ない。一服に家の中に入ると、もう、外には出る気がしなくなって、30分ほど横になる。

午後は、衣類の入れ替えにかかった。

どうしても思い出せないことがある。夏服を引っ張り出してハンガーに掛け替えながら、まだ新しいTシャツ風のブラウスを手に、考え込んだ。いつ、どこで買ったものなのか、思い出せないのだ。ありあまる衣装持ちならともかく、数少ない衣装を、買ったときのことぐらい、おぼえているのが常だが、とにかく思い出せない。こうしたことが、これからも増えて行くのだろう。仕方がない。

夕方から幾つかの用事で外出したのだが、郵便局で投函するはずの手紙を入れ忘れてしまった。用事をいくつも抱えて出るときは、メモすることにしているのだが、それをし忘れた。明日投函すればいいことだから、こんなことで悩むことはない。()

明日の朝は10度とか。ストーブのタイマー付けて寝ることにしようか。

2013年5月6日月曜日

懐かしい映像


朝のニュースで、北海道の帯広が映し出された。5月での積雪は、8年ぶりとか。私は、帯広生まれで、12歳まで住んでいたので、【帯広】と聞いただけで、目が釘付けになる。生まれ故郷というものは、何十年たってもいいものだ。なにもかもが美化されていて、いい思い出が次々と浮かんでくる。

徳島に来て70年もたつのだから、もう完全に阿波人なのだが、いまだに私のしゃべることばのアクセントが、阿波弁とちょっと違うらしい。三つ子の魂百までというのも、何となく分かる。

私の性格が、友人等の目には、北海道生まれらしい大陸的でこせこせしていない、おおらかな人間と写るらしい。本人に言わせると、のんびりしていて、気の付かない、鈍感というだけなのだが……。

子どもの頃よく祖母には「お前はお人よしだ」と叱られたものだが、そんなことはない。「人が悪い」とは思わないが、決してお人よしではない。その人の身になって考えてあげるだけのはなしなのだ。お人よしとの違いは、騙されたとか、辛い目に会う、ということは、していないからだ。むしろ、友人はありがとうと感謝してくれたものだ。
例えば、余り毛糸で輪を作り、 【糸取り遊び】というのが流行ったが、その輪を、よく友達にせがまれて与えてしまうとか、持っているおもちゃを友人の使いふるしたものと取り替える、というようなことをよくしていたのだ。(笑)

ま、あんなこんなの思い出が、雪の帯広の映像で思い起された、ひと時だった。

2013年5月5日日曜日

子どもの日


子どもの日だが、端午の節句でもある。
先日も書いたように、鯉幟が目に入らない節句。男の子の居る家では、内幟という男の子用の飾りものを並べているのかもしれないが、やはり、威勢のいい鯉幟がいいなあ。

遅い夕飯を用意して食べ終わったのはよいが、もう眠くて眠くてたまらない。顔くらい洗いたいのだが、それも出来そうにない。上の瞼と下の瞼が、殆どくっ付いている。僅かに開いて、キーを叩いている始末。こんなに眠たく感じるのは珍しい。睡魔にとりつかれている。(笑)
今夜は、何をするのも無理。このまま、布団に潜り込むことにする。

2013年5月4日土曜日

みどりの日





みどりの日というのは、自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日。と法にさだめられている。子どもにとって、いい祝日である。しっかりと、自然に親しんでもらいたい。そして、心豊かになってほしい。
 
私は今更みどりの日なんて不要で、毎日自然の恩恵に感謝して生かしていただいているのだが。(笑)
 
今日は、一日家におれる日だったので、庭の草取りに精を出した。草取りは嫌いではない。綺麗になっていくのは気分もいい。ただ、長くはできないのが玉にキズだ。休み休みの仕事は、はかどらない。無理をすると、明日が怖い。明日は朝8時から晩遅くまで出たきり婆さんだ。弁当2食持参の方もいらっしゃる。私は外食派。半時でもじっと寝床に居たいから。(^^::
 

話は変わるが、【みどりの日】は、歴史が複雑な祝日だ。昭和23年にみどりの日が、ゴールデンウイークを構成するために出来た。天皇誕生日だった4月29日が、天皇崩御により、みどりの日となったのが平成元年。昭和の日ができたことにより、4月29日より5月4日に変わったのが平成19年。とくにこの日でなければならない理由もないみどりの日は、そのときの都合によって、日が変えられてきた。ま、どちらにしろ、学生、務め人は、都合のいい日になるのだから、結構なことである。(^^)
 
さて、ゴールデンウイークは、お金が使われて、景気回復に一役かったのだろうか? 我が家は、今のところ何の変化もなかったけど。(笑)