2015年4月29日水曜日

№921  短歌 


 短歌を作ることにはご縁のない私ですが、先日、短歌界では有名でいらっしゃる伊藤一彦先生をお迎えして開かれた会での公演【現代短歌の魅力】というお話を聴きに行きました。(【心の花】短歌会主催)お話を聴きながら、「短歌に限らず、エッセイでも何でも同じだ」ということがあって、いい勉強になりました。以下、心に残ったことを書いてみます。

・作品は、【寝かせる】ことが大切。 その時は、感動して作るので、いい出来のように思っても、翌日になって読んでみると、出来がよくない、ということは、よくあること。……私も、駄文ですが、読み返すたびに直したいところが目につきます。読み返すひまのないまま、挙げているブログなどは、作品などではないので、あとからは読み返したくないですねえ。

・短歌は575という短い形ではあるが、自分の心の中を引き出してくれる。心に秘められている部分、奥深い部分を、引き出してくれるのが短歌。であるので、短歌は、カウンセリングのようなもの。歌は、心のカウンセリラー。悩み、苦しみ、重圧というようなものを、歌の神様に聞いてもらう。……なるほどなあ。そういうことも、短歌の魅力なんだ、と思わず目の鱗がはがれたような気分でした。歌集などは、よく読ませていただくのですが、いい歌、感動する歌というのは、こういう心の中を言い表しているものが、とても気持ちに響くものです。

・こうした、自分の心を言い表すという魅力があって、短歌は、1300年もの長い間、続いてきた。昔の人と同じ土俵で作れる。そして誰でもが作れるものである。老人でも、若い人でも、刑務所に入っている人であっても、日本語と、形式さえしっていたら、どこででも作れるのが魅力である。……何だか、私にも短歌を作りたいという気持ちが沸いてきました。いえ、気持ちだけで、つくりませんけれど。短歌にまで首をつっこみますと、頭が混乱して虻蜂取らずになること請け合いですから。(笑)

・自分が短歌を作ると、他人の短歌を読む喜びが生まれる。……その通りです。分かります。

・【心の花】という名称は、歌は心の花である、ということで、付けられた名。そして、各々の個性を大切にしている。幅広い歌人が出ているが、【白蓮】のような歌人であっても、大らかで咎められることはなかった。そして、その地方、風土に根差した歌人が、特色のあるいい歌を作っている。……なるほど。

・人間は、欲望を太らせて行く。それで幸せになれるか? 自分の身の丈に合わせて、つつましく生きることが、幸せに通じる。……もっともなことだと思いました。私が自分を不幸と思わず、十分幸せと思えるのは、身の丈を知っているからだと思いました。(^^)

2015年4月27日月曜日

№920 忙しい朝

 どうも雑事が多くて一日の24時間という長さが、とても短くなってきた。そのはずだ。何をするにも、時間がかかるようになっているからで、これは、仕方のないことだろう。


朝、5時には目を覚ます。5時間ほどは、眠っていることになる。トイレに行っても、また蒲団に入る。蒲団の中で、しばらく身体を動かしたりしながら、強張っている骨や筋肉をほぐすのだが、その時間も長くなった。時にはぼーっとして、夢見心地のまま、1時間も過ごすことがある。

6時近くになって起き上がってからも、洗顔、着替えがまた大変だ。テレビの天気予報をみて、シャツは、靴下は、と寒さ暑さに耐えうるように選ぶのだ。一度着てしまうと、脱いだり着たりはあまりしないので慎重だ。(笑)その日の日程によって、会があったり、お葬式があったりすると、それなりに考えて下着から選ばねばならない。

化粧ということもしなくては顔がもたない。女のたしなみだの、身だしなみと言えば聞こえがいいが、もう素肌のスッピンでは、自分でも見たくない。まして他人様の目を、驚かしたりしてはいけない。いつも化粧をしてきた者が、スッピンで顔を出すと、向こうさんが困るだろう。

化粧には、パワーがあるとか言われていて、老人施設などでは、しきりにすすめられているのだが、なかなか難しい。慣れてはいるものの、粉ふき吊るし柿のようになっては困る。化粧などしていませんよ、といったように、自然な顔を作らねばならない。けっこう手間暇かかる。

朝食の準備というのもある。食事には、お金はかけないが、栄養面では気をつけているつもりだ。一日30品目などと昔はいわれていたが、今は、それほど言われていないのは、あまり気を使わずに、何でも食べたらいいということだろう。私は以前から、110品目主義で、10品目揃うまで、冷蔵庫の中をかき回して引っ張り出す。ラッキョウでも胡麻でも、マヨネーズ、なんでも加えて10品にしてしまう。案外簡単なのだ。具だくさんの汁ものには、5品目は揃う。それに卵、主食、漬物だけでも、8品。ホウレンソウのおひたしに、胡麻をかけたら10品目になってしまう。

洗濯、掃除なども書くつもりだつたが、選挙の放送など見てていたものだから、今日のことになりそうにないので、ここらで置いて。おこう。あ、まにあわないかな。

 

2015年4月22日水曜日

№919 百舌の会


 徳島市近郊に住む仲良し同級生が、10人ほど集まって、1か月に1度、昼食をしながらおしゃべりをする会を百舌の会と名付けて楽しんで来たのだが、最近は諸事情で集まりが悪くなってきた。今日は5人しか集まらなかった。諸事情とは、体調不良ということなのだが、集まった5人が、全員元気というわけではない。杖をついたり、病院通いをしていたり、要支援だったりと、けっこう頑張って出てきている。

同じホテルで、私たちと同じような仲良しグループと出会った。この数名のグループは、何と、毎週水曜日に集まるという元気者揃いだ。トシは私たちと変わらないはずだが、どう見ても我々グループより若いし、第一歩き方が違うし、背すじも伸びている。

ひょっと思った。月1と、週1の違いかもしれないと。(笑)

 私のように、雑用を抱えて出歩いている者にも、月1のミニ同窓会は、楽しみなのだ。まして、いつも家庭の主婦だけをやっている方たちにとってのおしゃべり会は、生活の中の核ほどに、発電機の役目を果たしているのではなかろうか。

 そういうことであれば、私たちも、週1のおしゃべり会にしたのが、これからますます進む老化の歯止めになるのでは、ということを私の一人合点て思ったのだ。

 しかしこれは、なかなか実現できそうにない。要支援に来てくださる日、病院に行く日、ディサービスに行く日なんて、それぞれが言い出すと、曜日を決めることは難しい。出来そうなのは、「次はいつ集まれるか」と、相談しながら次回の日を決めることくらいで、月3回も集まることができれば、オンの字だろう。

 私も繕いながらのカラ元気なのだから、人様の心配どころではないのだが、「これからは、家に籠って孤独に暮らすよりも、友達の絆を強くして、お互い励ましたり頑張ったりしていくことの大切さ」を、退職後から言ってきた者なので、ついついお節介になってくる。

 さて、次回はいつになるかな?

2015年4月20日月曜日

№918 ロコモ


  ロコモということばがよく目につく。私も始めて知ったのは、去年、子どもたちの足腰が弱くなっていて、それをロコモ症候群とか言っていたのをテレビで見たからだ。一口に言うと、立ったり歩いたりすることが問題で、足腰が弱って来た状態を【ロコモ】などと、分かりにくいコトバで言っているだけのことなのだ。

 私も、①歩く速度が遅くなったし、②階段、特に降りるときは、手すりを使わないと、不安になって来た。そして、③椅子から立ち上がったり、車の運転席から降りる時など、足腰の痛みを感じたりするのだ。この衰えの順番は、およそ決まっているという。完璧にロコモなのだ。

ま、子どもと違って当然なのだが、足腰も道具と考えると、長持ちさせるためには、使い方と運動と手入れが大切と、いうことであろう。

よく、高齢者が転んで骨折したりして入院などすると、寝たきりになってしまうので転ばぬように、と言われている。結局、運動をしないで寝ていると、骨は分解されつづけ、筋肉は減りつづけて、骨や筋肉が作られず、歩けなくなるのだ。

高齢者でも、ロコモじゃない人が骨折して寝込んでも、その後もまた歩けるらしいので、普段から、【歩く】力をしっかりと維持していかねばならない、ということだ。

ただ、ロコモであっても、運動の継続で、改善されていくらしいので、無理せずに、(ガンガンやらずに)片足立ちや、スクワットなど、負担のかからぬ程度にトレーニングを続けることが、『歩ける生活』を続けていくために必要と言われている。

私はというと、台を上がったり降りたりの運動を1日30分続けたいと思っているのだが、20分で止めてしまったり、しんどくて、まったくしない日があったり、ということが多くなった。時間は短くても、しないよりましだろう。できれば毎日出来るように頑張ってみよう。

2015年4月18日土曜日

№917 またまた訃報


 昨日、またまた訃報が入り、慌ただしい一日だつた。一年前、癌が見つかって、闘病生活をおくっていた○子が、やっと退院できたことを喜んだのが昨年12月。それから2カ月たった頃、再度入院したと聞き、心配していたのだが、急に亡くなったという。朝、新聞の死亡欄を見たA子から、驚きの電話があった。A子も入院中で動きがとれない。
 さっそく問い合わせたところ、その日のお葬式である。慌てて10人ほどに連絡。行きたいけどバスでは間に合わないというB子の家に車で迎えに行き、葬儀場へ駆けつけた。葬儀に出たくても、もう体力的に行かれない方、とか遠方の方もあり、結局4人がお別れしてきた。

 気分は落ち込んでいたが、行けなかった皆さんに、○子が穏やかな寝顔だったことや、末期のご様子などを連絡して、一日が終わった。

 思えば、今年になって、友人知人の体調は、著しく変わってきた。A子は先日他界。B子は入院、C子は倒れて救急車に乗せられる。(1週間で退院出来てよかった)D子は、毎月の例会は、徳島では無理というし、E子は、もうその日の体調や天候によっては、外には出られないという。

 考えてみれば、このトシになれば、当然のことなのだ。一日一日が、綱渡りのようなものである。ま、そのわりには皆さん、気を張っていらして、前向きに生きているので、からりとしているし、口はたつのが何よりだ。

 とは言いながら、80歳後半からの体力維持の難しさは、体験してみて初めて分かることだ。ただ言えることは、健康寿命を延ばそうと思っている方たちは、それなりの努力をされている。やはり60歳、あるいは仕事を離れた時を機に、長期の計画を立てて、たゆまぬ努力をすることが大切なのだろう。心身共に、ということを忘れずに……。

2015年4月15日水曜日

№916 年金その月暮らし


 年金で、【その月暮らし】をしていますと、「ああ、415日は年金の入ってくる日か」と、何となくほっとして、家計簿を開きます。私の家計簿は、大まかなものなのですが、特別な出費がなければ、何とかやりくりが出来ています。いや、できなければ困ると思ってやりくりしています。年金だけが命綱なのですから。

年金はとても有難いものです。かなり昔になりますが、年金を始めて頂いた日の感激は、今も忘れていません。働いていないのに、お金を振り込んで頂けるのですから、有難い制度だと感謝しました。そして健気にも、身体の動く間は、世のため人のために小さなことでも何かしなければいけないなあと、思ったのです。たくさんの人達に、支えられての年金なのですから。(口は何とでも言えますが、身体はついて行きませんね)

もし、この国がおかしくなって、年金がちょっぴりになってしまったら、どうなるか、と思うことがあります。今更働くといっても、何一つできません。ま、戦後を生き伸びてきたのですから、最低の生活をせよ、と言われたら出来ないことはありませんが、でも、そんな時代になっては困ります。

途方も無い借金を背負っている我が国です。景気回復という麻薬のような言葉に酔うことは危険と心得ていますし、勢いに乗った自民党の右肩あがりの政治を、監視する民主党に頑張って貰いたいと、思う気持ちは変わりません。今日も、花の会の世話人の一員として、ちょっぴりですが、出版物発送のお手伝いをさせていただきました。そろそろ、お邪魔虫と思いつつ、猫の手よりましかと、出掛けています。ま、これもいつまで続くか分かりませんが……。

2015年4月13日月曜日

№915 政治家と政治屋


 先日からの雨続きには、気も湿ってしまう。天気を気にしなければならないような生活とは無縁なのだが、何らかの選挙がある日は、雨などが降ると、投票率が悪くなるようなので、なるべくなら、雨など降らないでほしいもの。

昨日の知事選挙と、県会議員の選挙では、日本全体では、選挙日としては、あまり良くない日だったらしく、投票率はかなり悪かったようだ。

 当選結果が新聞に出ている。ずらり当選者の名がならんでいるが、果たしてこの中に、「立派な政治家」ということになると、どれだけの方が、いらっしゃるのかと思う。政党など関係なく、どの政党であれ、本気で国を、県を、人々を思って仕事をするか、ということだ。その人間の質、人格、知性、器、と、考えてみると、選挙民には、よくは分からない。反物のように、手に取って、裏表を確かめることが出来ないだけに、騙されやすい。舌を何枚も持つエセ政治家もいらっしゃるだろう。ワルの燻製みたいなヤツ、自分の儲けだけに議員になるような人もいるにちがいない。

 それにしても、選挙とは厳しいものだ。A級と思われた実績のある立派な県会議員さんは、十数票の差で落選されている。党にとっても、県にとっても、大きな損害だろう。

 棄権は危険なのだ。益々社会が政治屋の思うままになっていくだろう。これからの若者たちは、もっと政治に関心をもっていただきたいものである。

2015年4月11日土曜日

№914 幸せな最期


 友人の葬儀に参列というのは、楽しいものではありません。でも、延命治療などもせず、安らかな最期であったとお聞きしますと、ほっといたしました。

考えたくないのですが、自分の最後を想像したりしてしまいます。そして、不幸せな長生きは、これからは減らして行かねば、などと考えます。幸せに長生きする、ということは、元気で最後は安らかに、ということです。

【お出かけは歯科外科内科耳鼻眼科】 というシルバー川柳があります。高齢になりますと、1年1年が、荷物を背負って坂道を登っていくようなことになる……と暗い気持ちでいらっしゃる方もおられるかもしれませんが、常に前を見て生きていますと、【80代まだまだ夢のある暮らし】ができるのではないでしょうか。

うまく荷を下ろしながら、身を軽くして生きることも、長生きの秘訣かもしれません。【今が一番若くて幸せ】という、極楽とんぼになるのもいいものです。

笑い千両。笑いと笑顔のある生活で、これからの難所の坂を登りたいものです。

 

2015年4月10日金曜日

№913 訃報


 友人が入院しているので、見舞いにいっておしゃべりをしていたら、携帯電話が鳴った。それは、ある友人の訃報だった。昨夜亡くなったとのこと。昔、一緒のグループで、随筆を書いていた仲間だ。グループを解散したのだが、その後は1年に1度は、数人が集まっていた。

彼女はまめな方で、よく新聞の読者の手紙などに投稿されていたのだが、2年ほど前から、それも書かなくなって、いっときは音信不通になっていたのだが、半年前に、ある施設に入られていることが分かった。お元気だったのだが、急に亡くなられて、ご家族の方も、驚いていらっしゃるようだ。私と同じトシなので、驚きながらも、寝込まずに【ピンピンころり】と逝かれたということで、拍手を送りたい気持ちにもなるのだが、そうした気分ではない。やはり悲しい。

彼女は、若い時から随筆を書いていて、書くことがとても好きだった。それだけではなく、研究熱心で古文書を読みたいと、古文書を学んだり、幼い子等に、読み聞かせのボランティアをなさったりして、とても活動的な方だった。せめて、あと4,5年お元気で生きてほしかったと思う。

 安らかな最期は、だれもの願うことである。身近に死を体験すると、人生の最後を、どこでどのように迎えるか、自分のこととして考えさせられる。

 明日は葬儀に参列させていただくが、当時の仲良しと、在りし日の彼女のことを語りあう機会を作りたいと思っている。合掌。

2015年4月8日水曜日

№912  無駄遣い


 朝のテレビを見て思った。私は、元来【始末気】で、自分自身の贅沢などは、あまり興味のない人間と思っている。ま、それでもお金が貯まらなかったのは、身内その他に、割合に気前がよかったせいかと思う。

ただ、反省させられるのは、後で後悔するような買い物をよくしてきた。列記して反省してみよう。

・掃除機 15万円? 頑丈で重たく、絨毯も洗えるというドイツ製。昔の話だが、電話で頼まれて、アンケートに答えたところ、お礼に家の絨毯の掃除をさせてくれと言う。断ったが、きまりだといって、無理にしてくれた。絨毯の一部を洗ってくれた。結局、その製品を買わされたが、洗ってくれたところがなかなか乾かなくて困ったので、買っても一度も絨毯は洗わなかったし、掃除だけに使っていたが、半年も使えなかった。使うと肩や腰がひどく痛くなるので、物置の屋根裏に鎮座している。

・健康器具 23万円。 パットを肩など、に当てて、電気を通すもの。 顔みしりの農協から来て断れなかった。殆ど使わない。

・健康器具 11万円。足マッサージ機。デパートで、実際に使ってみて、疲れた足に、とても気持ちがよかった。が、面倒で、ここ何年間に、孫が1度使ったきり。

・ビデオカメラ 10万円? 小型が出たので使い便利がよさそうだと思って旅行用にと買ったが、いざとなると、そんな暇もないし、撮るものもなし、写真で十分だ。

・フードサーバー 2万円 夜中、目が冴えて眠れなかったので、テレビをつけたところ、テレビショッピング。これがあったら、余り物を真空にしておけば、鮮度長持ちで経済的と、すぐに注文。届いて説明を読むと、専用のバックロール以外は使えないし、手間のかかること。おまけに、少量の肉や魚など、真空などするより、冷凍がましと気づく。3度つかったきり。戸棚の奥で欠伸。

・その他諸々。可愛い小物や、気のすすまぬまま、薦められて買った衣類等は数多い。着せられ、剥がされ、また着せられたりすると、何か買わねばと思って買ってしまうからだ。

 遅きに失しているのだが、これからは、無駄遣いをなくして、有意義に使うことを心している。(^^;;

 

2015年4月6日月曜日

№911 駐車違反


 先日、徳島駅前で、10分ほど車を止めて用事をすませてもどってみると、べたりと駐車違反の黄色い紙が貼られていた。

 昔、一度同じ違反をしたのだが、その時は、車の前輪のところに、チョークでふた所、見回りの時間と、貼った時間を書きこんであつた。ちょうど15分間だったので、「ああ、駐車違反で貼られるのは、15分間車を離れたら罰金なんだな、と、勝手に思い込んでしまった。聞いたところによると、そんな決まりはないらしい。1分でも、違反は違反だと。ま、警察官が、違反の切符を切っている時にでも帰ってくれば「すみません」ですむのかもしれないが、そうでないと、すぐにでも貼られても、文句は言えないのだ。

 だから文句は言うつもりはない。1万8000円の罰金は、ちと高いとは思うが、高い罰金は、もう二度と違反はしないための懲らしめだろう。

 それにしても、ガテンのいかないことがある。罰金は、出来たらすぐに持って行くつもりで、書いてある警察の電話番号にすぐ電話で問うたのだが、その支払い方法を二つ教えてくださった。結果を言うと、
①直接警察署へ持っていく。そのときは、3点の減点になる。
②そのまま、ほっておくと、何日かすると、警察からの通知がくる。その用紙を持って、銀行や郵便局から振り込むと、減点はない。
 ということなのだ。ま、それなりの理由でそのようになっているらしいのだが、道理にあわないところがある。

 だが私はそのままにしておいた。10日ほどで、仮納入通知とかいうのがきた。文句のある方は、申し出よ、ということが書いてあったが、文句はない。文句がなければ、そのまま納金すればいい。すべてそれで終わり。減点もなく、ゴールド免許もそのままなのだ。

 道理には合わないが、減点を免れたので、よしとするのだが、もし私が電話をかけず、すぐに警察に18000円を持参して、「すみませんでした。以後気をつけます」と頭をさげながら、納金していたら、3点減点、お説教も聞いていただろう。

 徳島駅前の駐車違反は、よく見かける。いつも警官が隠れているわけではないが、ご注意あれ。10分間で1万8000円の納金は、お国のために使ってくださるのだ、と私は諦めましたが、ほんと悔しいですよ。(><)

 

2015年4月4日土曜日

№910 思い出すままに


 子供のころは気が弱かった。遊び道具のゴム紐や、毛糸で作ったあやとりの紐を、「頂戴」と言われると断れず、あげてしまった。祖母が、「この子は、お人よしだ」とか、「やねこい子やなあ」などと言っていたのも憶えている。

反対に、親を困らせるようなことを言ったりしたりした記憶は、思い出せない。そうしたことで、叱られたことが、あまりなかったのだろう。何かを買ってほしいと言って、だめだと言われたらすぐに諦めていたように思う。これも、諦めがよいというよりは、気が弱かったのだろう。

近所の友達も、好い子ばかりではなかった。中には、小学生というのに、ゴム跳びの遊びの最中に、家の中に駆け込んで、湯のみにお酒を入れて、飲みながら出てきて、驚かされたり、近くの廉売の中の瀬戸物屋さんの店先で、可愛らしい魚の箸置きを万引きしたりする子もいた。そんな様子を見ても、「告げ口したら泣かすから」と言われると、親にも言えなかったし、「縄跳びして遊ぼう」と家に誘いにきたら、断れなかった。今のような【虐め】のような怖いことはなかったのだが……。

この時代住んでいたところは、北海道の帯広市内の大通りだったので、商店街だが、道幅がとても広くて、遊び場は歩道が多かった。車道と歩道の間には、幅の広い下水が流れていて、細長い木の蓋が敷き詰められていた。ときどき、その蓋が一つ開けられていることがあった。そこには、ネズミ捕りの籠に罹ったネズミが、籠ごと下水の中に吊り下げられていて、見るのも怖かった。私のネズミ嫌いは、ここが出発点だろう。

歩道には、アカシヤの木が植えられていて、花の季節になると、白い花房がゆれていたのも思い出す。輪ゴムを鎖状につないだゴム紐の片方を、アカシアの木に巻きつけ、一人が片方を持って、高さをだんだんと高くしながら、ゴム飛び遊びをよくしたものだ。

同級生だったMちゃんと、Yちゃんは、大の仲良しで、よく一緒に遊んだ。戦後のどさくさに、一時、文通が途絶えた時期があったのだが、ずっとMちゃんYちゃん、そして担任の先生が気になっていた。

やっと北海道に行く機会を得て、探す手立てを小学校に求め、懐かしい担任の先生の住所を調べていただき、お二人の先生とお会いし、その先生から、MちゃんYちゃんの住所も突き止めることが出来た。あのときの嬉しさ、電話で元気そうな声を聴いた時の喜び、いつまでも忘れられない。

お二人の先生は、もう亡くなられた。知らせを受け、長い弔電を電話口でお願いしながら、泣き出してしまい、「ごめんなさい」と謝ったところ、電話局の方が、易しく「いいですよ。急ぎませんからね」とおっしゃってくださったことも、忘れられない。

Mちゃんのお連れ合い様は、昨年亡くなられて、とても落ち込まれていたのだが、今は、何とか元のMちゃんに戻りつつある。Yちゃんは、お元気だ。Yちゃんも、急に腹痛を起こし、入院というアクシデントがあったが、もう元気になって退院した。お互い、何が起こってもおかしくないことをキモに命じているのだが、いざとなると、うろにきょろが来るようだ。

思い出すにまかせて、後先なく書いているが、どんな思い出もいいものだ。心がほっかりと暖かくなってくる。思い出だけが生き甲斐と言う時代も、いつかくるだろう。(^^)

 

2015年4月2日木曜日

№909 春本番と共に……


 春本番となりました。桜の満開も近いことでしょう。でも、いいことばかりではなさそうです。新年度より、色々な物の値段もアップしそうです。反対に、年金などは、物価の値段が上がっても、上がらない仕組みになるそうですから、景気がよくなっても私どもの生活は、じり貧の形となっていきそうです。

これも、時代が時代だけに、我慢をしなければなりません。これから先の人口構成を考えますと、何とも恐ろしいような構図でありますから。

それにしても、今の政策のように、富める者がどんどん富んで、そのオコボレが貧しい者に回って来て、生活が向上していく、というような構図では、ますます貧富の格差は大きくなっていくばかりだと、素人でも思うのですが、どうでしょうか。

フランスのピケティ氏というお偉い学者さんの書かれた【21世紀の資本】という高価で分厚くて重たい、読みにくい本が、そのようなことを実に丁寧に歴史的にも詳しく書いてあります。この本が、大変な売れ行きとなっています。私は、とてもそんな本を読みこなす力は有りませんから、この本のサブテキストのような本を買って読みました。

 この方の理論で言いますと、資本主義というのは、格差は広がるし、結局日本のアベノミクスは、失敗だと。と書いています。マルクス主義ではありません。根本的矛盾は、国民所得の成長率よりも、資本資産の収益率が上回っているということです。それを、 r>g という不等式で表現しています。
 ま、簡単に言いますと、お金持ちの資産運営で増える財産が、一般国民の収益を上回るので、格差は、広がるということです。最もなことです。だから、安倍さんの言うところの、大企業がもうかれば、自然と国民は楽になり、格差は無くなるということは、あり得ないという理論です。一般の市民の方々が、ちょっとばかり、給料が上がっても、富める方たちは、それ以上に太っていくということです。

願わくば、富豪以外の私たち皆さんが、ま、【中流の下くらいの生活をしているな】と思えるくらいの生活環境で暮らしたいものです。

ま、古女が、こんなことを言っても、どうにもなりませんけどね。