ある店で、貯金箱を見て驚いた。有るわ有るわ、昔懐かしい金槌で割ってしまう型もあれば、置物として十分使えそうな高級品まである。我が家には、郵便局からタダで頂いた小さな郵便ポスト型と郵便ポストを擬人化してくねらせたような可愛らしい貯金箱が2個、棚に並んでいる。
子供の頃からどうも意志が弱くて、貯金箱がいっぱいになるほど貯まったことがない。目的を決めて貯めはじめても、いつも途中で引き抜いて祈願満願の喜びを知らないで大人になった。
今は、500円玉が財布に入ると、貯金箱にいれている。これは、知人が毎日郵便局まで散歩して、500円貯金をしていると聞いて始めたのだが、それを貯金通帳に入れるということは、していないので、貯蓄目標とはなっていない。元来、家計簿は付けているものの、予算をたてているわけではないし、年金その月暮らしの身なので、使い過ぎたら貯金が減るということだ。
ただ、最近の若者と違って、貯えが無くなるほどの贅沢はしないし、少ない年金でも、赤字を出さないようにと心がけている。勿論、借金してまで外国旅行をするような真似は出来ない。
これは、私だけではないだろう。戦前戦後の苦しい時代を生きて来た年代の者は、贅沢は身に付いていない。お金の有難さは身に沁みている。私も困っている人たちを助けたいという気持ちはあっても、大きなことは出来ない。出来る人もおられるが、そんな方は、ホントに尊敬する。
年金を始めて手にした時は、仕事もしないのに、頂けるのは、有難い制度、これからは、出来る限り、世のため人のために出来ることをしなくては・・・と思ったものだ。初心を忘れたわけではないが、もう今は、人さまに迷惑をかけずに生きて行きたいという思いだけになってしまった。