2013年10月31日木曜日

似てきた姉妹


荒れに荒れた10月も終わる。暑くも寒くもない秋らしい日が少なかった今年の秋。寒さが一気に訪れるらしい今年の冬。何となく異常気象が続くので、気味が悪いのだが、取り越し苦労であってほしいもの。

つい先日、妹たちと会う機会があった。長女の私と次女のS子、3女のT子。お互い車で30分ほどのところに、△点のように、住んでいるので、時々会うことがある。S子の家に集まったのだが、近くに【御所の郷】という温泉があり、3人で行ってきた。

背中の流し合いをしながら、「トシとってきて、3人よく似た体形になったなあ」とT子が笑う。スマート?だったT子が、最近はちょっと太ってきている。

もうかなり昔の話になるが、私がS子の家の近くのお菓子屋にはいっていくと、そこのおかみさんが、私の顔をみるなり、にこにこしていたが、「あら、ごめんなさい。私の知っているS子さんかと思ったものだから……」とおっしゃる。

私と妹と間違えたのだ。私も妹も、似ているとは思ってもいなかったのだが、他人さまがみると、かなり似ているらしい。

また、あるマーケットのレジで、見知らぬ方から「Tちゃんのお姉さんと違いますか?」と声をかけられて、驚いたこともある。姉妹3人は、よく似ているらしい。一番末の4女は、T子としょっちゅう間違えられた。遠方にすんでいるので、集まりには加われないし、跡取りの弟(長男)は、男ということで、あまり集まりには呼ばれない。里に集まったときくらいだ。むしろ、弟の連れ合いY子さんが生きていたときは、私たち3人に加わってももらっていたのだが……。(笑)
しかし、弟の顔は、何となく私に似ているようだ。
血は争えぬものだとつくづく思う。

とはいえ、それぞれの育ちや個性、環境によって作られていく性格は、顔ほどには似ていないようだ。それぞれにプラスもマイナスも持ち、【らしさ】がある。長女という責任のようなものをいつのまにか身につけている私。家庭の主婦として過ごしてきた次女は、夫や子に頼りがちだし、幼い時に小児麻痺に罹り、足に後遺症の残った3女は、それには負けない強さと、他人の痛みには優しさを併せ持っていて、めんどうみがいい。親孝行も一番してきただろう。

年とともにどのように老化していくか、長女としての私は、責任上、口ではいつも姉さんぶって、偉そうに言い聞かせている。(笑)

 

2013年10月30日水曜日

Mちゃん


先日、小学校の時の親友、Mちゃんから、美味しいお林檎が送られてきた。Mちゃんとは、年に2回ほど、何らかの品物が行き来している。お礼の電話の折、「今度は何がいい?」と聞くと、「そうねえ。さつま芋が美味しかったので、さつま芋いただくわ」とのことだったので、私は、鳴門金時の美味しそうなのと、蓮根を送った。今日、そのお礼の電話があった。「まあ、驚いた。土のついたあんなに長い蓮根など、見たことも無かったわ」と喜んでもらった。

Mちゃんと別れたのは、終戦前の女学校二年生の夏だった。私が北海道の帯広から徳島県へ転居した時である。

お互い終戦前後のどさくさに、便りどころではなくなってしまい、そのままそれぞれの人生を歩いてしまった。気がついた時は、もう手遅れで、生きているものやら、死んだものやら、まったく手掛かりもつかめなかったのだ。

始めて帯広を訪れたとき、Mちゃんのむかしの家のあたりをぐるっと回ってみたが、何の手がかりもなかった。恩師のN先生にお願いしてあったところ、住所か分かったという報せのはがきを頂いたときは、子どものように胸にはがきを抱え込んで喜んだのを今も忘れていない。遠い心の洞に埋めてある宝物の箱の鍵を見つけた思いだった。

とるものもとりあえず、電話のダイヤルをまわした。

「Hちゃん? 本当にHちゃんなの? 生きてたのね。よかったわあ、もう生きてるうちには逢えないと諦めていたのに‥‥」

Mちゃんの声も、驚きと嬉しさで高ぶっている。

札幌と電話で半時間、それもあっという間だった。四十何年という長い空白が、お互いの友情を、新鮮なままふくらませていたのも嬉しかった。

そしてまもなく、「あなたの故郷、十勝の小豆で作ったお菓子ですよ。ほら、千秋庵の。子供の頃を思い出して食べてね。秋には男爵芋送るわね。戦争中よく二人で食べたっけ‥‥。懐かしく思うものあったら遠慮なく言ってちょうだい。私はあなたのことを身内と思っているから送りたいの‥‥。ああ楽しみが増えたわ」

子どもの頃、千秋庵のお菓子は、滅多に子どもの口には入らなかった。来客のあったとき、お相伴にあずかるくらいのものだった。それだけに、千秋庵のウインドから覗き見した、心ときめくお菓子の色香は、故郷の風景ほどに懐かしい。夢見心地で千秋庵を頬ばったっけ。

私の思いもMちゃんと同じである。徳島の名物はみんな送りたい。そして何よりも、今すぐにでも飛んで行きたい思いだった。

その後、Mちゃんを札幌に尋ねたり、Mちゃんご夫婦が、四国の旅の途中、我が家に寄ってくれたりして、お互いの友情を深めてきた。

最近は、お互い電話で「元気でいなくちゃね。したいこと、続けていこうね」と、励まし合っている。

彼女は、絵を描き続けている。彼女の描いた絵が、私の手元の壁に、かかっている。その下で私は下手な文章を書き続けている。(^^)

 

2013年10月29日火曜日

置き薬


使わなくてもいいですから、置かせてください」とおっしゃって、薬箱を置いていかれる業者の方がいて、私の家には、二つの置き薬の箱があります。
 
薬屋さんが、置き薬の点検にいらっしゃいました。今回も、何も使っていなかったので、薬の入れ替えも、断りました。賞味期限が、一年以上あるものばかりなので、勿体ないですから。

昔、富山の薬屋さんが、富山から来てくださっていた時代は、一年に一度、大きな荷物を自転車に積んでこられて、ちょっとした世間話などしたり、富山の話などしたりして、けっこう楽しみにしていました。「もうそろそろ来なさる頃だ」なんて家族で話ていました。

いつからか、自転車がオートバイになったりして、そのうち、ぱったりと姿をみせなくなりました。「何かあったのかしらねえ」と、2,3年は、気にかけていたのを思い出します。

最近は、もう薬箱の中の薬を使うことは滅多に有りません。風邪をひいても、【風邪を直す薬はない】ということを信じて、高熱でも出ないかぎり、治癒力に任せて静かにしていると、そのうちに治ります。熱が出ますと、インフルエンザか?と思ってお医者さんに行きますから、たまに目がコロコロしたりしますと、目薬を使うくらいです。

年に2回か3回、薬箱を見に来てくださるものの、殆ど使っていないので、なんだか悪いような気がして、薦められるままに、健康食品のようなものを買ったりしたこともありますが、それもあまり飲んだりせずに戸棚の中で賞味期限を待っている始末。何となく私は、野生の動物的だと可笑しくなるときがあります。(笑)あまり必要ではない薬を飲み、むやみに医者通いをすることは、返って自然治癒力を弱めてしまうような気がするのです。

それに、国民の医療費のことを考えますと、保険料が高い、医療費が高い、と嘆く傍ら、医療費の無駄遣いしてはいないか、やはり、ひとりひとりが、小さいことから考えていかなければいけないと、反省しています。

 

2013年10月28日月曜日

読書の秋


……とは言いましても、なかなか目が言うことを聞いてくれません。ちょっと字が小さいと、何倍も疲れますし、横になって読む本は、文庫本に限りますし……。

でも、書いた方の努力を思いますと、読むくらいのことは、簡単なことのはず。……という思いで、なるべくたくさん読んでみたいと思うのです。

読書は、決していやいやするものではありませんから、読みたくて読んでいるのですから読めないことはないはず。焦る必要なんかちっともないので、時間をかけて読んでいます。

もう、私などは、読みたい本しか読みませんので、読書を楽しむ、というのが本心です。以前は、「こんな本は、読んでおかなくっちゃ」「芥川賞は読んでおかなくては」なんて思った時代もありましたが、そんなことは、まったく意に解さなくなりました。
最近は特に、読んでみようか、と思って読みかけても、もう受け付けない、ということもあります。

はっきり申しますと、【面白い・こんなこと知りたい】と思う本を読みます。私の面白いと思う本は、随筆が多いのですが、それは、書いた方の生き方や考え方や、文章の巧さなどなど、とても面白いものです。

しかも、私がこの年になっても、知らないことがたくさんあるものですから、色々なことを知って、驚いたり、感心したりしています。例えば、ある本にこんなことが書いてありました。その方は、【置き忘れた時に目立つように、手帳はいつも派手な色のものを買う】そうです。なるほどなあと感心。私のよく忘れる傘も、派手なのがいいかもしれません。

こんな以外なことも知りました。A級戦犯で処刑された東條英機が、夫人に残した句 *ただ一羽渡る雁あり胸痛む  などに接しますと、ほろりとします。この方の公式の辞世は、*我ゆくもまたこの土地にかへり来ん国に酬ゆることの足らねば という歌だそうです。その違いもわかり、何となく心境が見えてきます。

このように、短い随筆を読んでいても、知らなかった事、考えさせられることがあって、面白いものです。

灯火親しむ秋の夜長。いえ、私のような年になりますと、昼でも朝からでも……。この特権、贅沢な時間。積読だけじゃなくしっかり読みたいものです。

2013年10月27日日曜日

改革


改革改革と言いながら、なかなか出来ないのはどうしてなのだろう。この頃が来て、国会改革のことが持ち上がっているようだ。

国会中継を見ながら、思うことがある。同じような質問の繰り返しだったり、答弁になっていない答弁が繰り返されたりしているのは、まことに時間の無駄だと思うし、答弁は、官僚の拵えた作文ということが明らかな答弁だ。おまけに与党の質問など、国民に何を見せびらかそうとしているのか知らないが、そんなものは、もう結構。質問は、野党だけにしてほしいし、質問内容を、前持って、お知らせして、官僚にお答えを書いてもらうようなことは止めてほしいのだ。
一国の国会議員ともあろう者が、質問されて分からないのであれば、それは勉強不足か、答弁者を間違えたということであろう。

県民は、自分たちの選んだ国会議員が、国の政治のことを、よく知って、正しく政治の仕事ができているのか、自分に質問されたら、官僚に答案を書いて貰わずとも、答えられる議員であるのか、よく考えてみなければいけないと思う。ただ賛成の時だけ手をあげる。あとは、誰にでもできる事務屋のような仕事をしているような議員の定数削減は、大いにやってほしい。議員が使うお金を考えると、ほんとに勿体ないと思う。国会議員を減らして、事務屋を雇うことで、随分経費の削減になるはずだ。

国会議員になるための試験、出来ないの? せめて官僚に馬鹿にされないような議員を選べるようにしなくてはねえ。いつまでたっても、日本は官僚の動かす国から抜けられないよ。

 

2013年10月26日土曜日

誕生日


今日は、83回目の誕生日です。周りの者に、「おめでとう」と言ってもらえるのは幸せなことで、素直に祝福を受けています。

一歩一歩近づくあの世のことを考えたりしますと、「誕生日なんて、目出度くないよ」なんて思ってしまいますが、つつがなくこの歳まで生きてこられたことは、とても目出度いことと思っています。

息子夫婦、孫二人のみんなから、祝福の言葉やプレゼントをもらってほろりとしています。

孫の選んでくれたケーキには、83の数字の蝋燭2本が並んで刺されていて、思わず笑ってしまいました。83を逆にならべようか?なんて冗談を言いながら、ご馳走もよばれました。

こうしたささやかではありますが、家族みんなに祝ってもらう幸せは、最高であり、世の中には、こうしたこともなかなかできない家庭もあることを考えますと、感謝の気持ちでいっぱいになります。

これからの私の仕事は、こうした家族の願いが叶えられるようなお婆さんになることです。「これからも元気で長生きしてください」ということですから、健康に気をつけながら、イキイキと毎日を過ごすことを心がけようと思っています。
 
出来れば、家族から、「トシとっても、お婆ちゃんのように、人生を楽しみながら生きていこう」と思ってもらえたら、こんな嬉しいことはありません。
 
まだまだ不出来な婆さん。口では何とでも言えるものです。言うことと、することが一体になるのはいつのことかしら?(笑)

2013年10月25日金曜日

♪ウスクダラ


つけたTVから、この歌、ウスクダラが流れました。江利チエミさんが歌っていた歌で、紅白でも歌われた歌ということなのですが、記憶にないのは当然。調べてみますと、昭和29年発売とありました。私が結婚した年です。そのころは、テレビもなく、ラジオを聞く暇もないような、貧乏暇なしの教員生活をしていた時代です。どんな歌が流行っているか、など知るよしもありませんでした。何しろ水道もガスも電気釜もない田舎での、大変な生活時代でした。そうそう、台所は、時代劇に出てくるような、場面を想像してみてください。(笑)

お風呂を沸かすにも、井戸に紐のついたバケツをぶら下げて、よいしょよいしょと汲みげて二つのバケツに入れ、両手にバケツを下げて、30歩ほど離れた風呂まで運び入れ、焚口の前にしゃがみこんで麦わらをくべながら、沸かすのです。

当時の田舎はそれが当たり前なのです。お隣さんも、そうした生活です。

横道にそれました。なぜ、ウスクダラが出てきたかと言うと、ウスクダラはトルコのイスタンブールにある町ですが、ここで進められているプロジェクトについてです。 

どんなプロジェクトかといいますと、海底トンネルです。イスタンブールは人口1380万人の大都市で、最近日本人にも人気の観光地です。
2020年のオリンピック開催に立候補し東京と争いました。そのイスタンブールのウスクダラから、シルゲジまで、アジアとヨーロッパを隔てているボスポラス海峡の海底に鉄道を通すプロジェクトだそうですから、大変な事業でした。

西側がヨーロッパ、東がアジアです。ボスポラス海峡によって隔てられている2つの大陸をトンネルでつなごうというのは150年来の夢でした。

この2つの大陸の間には現在自動車専用の2つの橋がかかっていますが、アジア側の開発が進み人口が急増して、交通渋滞が慢性化し大気汚染も深刻です。ウスクダルからシルケジまで、車だと40分、混んでいれば1時間以上、フェリーでも30分かかるのが列車だと4分に短縮されます。その海底トンネルが、着工から10年がかりで開通にこぎつけました。

技術的にも予算的にも実現が難しかったのですが、それが構想から150年あまりたって日本の協力でようやく実現したということです。

トンネルの長さは1387メートルで、世界の海底トンネルと比べて決して長くはありませんが、たいへんな難工事だったようです。

工事を担当した日本の大手建設会社によって数々の最新技術が使われました。日本はやはりたいした国です。

総事業費は3900億円で、その4割に当たる1500億円が円借款でまかなわれ、日本の借款としては過去最大級の大事業だそうです。

トンネルは、海底部分は「沈埋函」と呼ばれるコンクリートブロックを海底に沈めて繋いでいく工法がとられました。沈埋トンネルだと、工事の期間も短く費用もおさえられるので。ただ、簡単な工事ではなかったことは、想像できます。
何しろ凄く重たいものを海に沈めそれを幾つも繋ぐのですから。日本の技術なればこそ出来たことで、世界に誇れるものでしょうね。

来週29日がトルコの建国記念日で、この日にあわせて、海底トンネルの開通式が、安倍総理大臣と、エルドアン首相の出席のもと盛大に催されます。バンザーイ日本。

2013年10月24日木曜日

ゆで栗


我が家の庭に、古い栗の木が2本あります。毎年、栗の実がなるのですが、家の囲いの中に落ちた栗は、極力拾い集めるのですが、囲いの外に落ちる栗は、殆どだれかが拾って帰ります。といっても、消毒をしないので、拾った栗の中で、虫食いの栗は半分くらいあって、美味しそうな栗は、たいした数ではありません。

栗のゆで方がよく解らない、と言う方がおられるので、美味しい栗のゆで方を紹介しておきます。以下の方法は、ネットでしらべて、私が実行してみた方法です。あまり間違いはないはず。

 
1)  拾った栗は、3日位から1週間ほど、冷蔵庫に入れて置く。
  甘みが出てくる。

2)  綺麗に洗って鍋に栗を入れて、水を張り、半日くらい浸けて置く。

3)  水を捨て、新しい水を入れる。栗が隠れるくらいの水をいれ、塩を適当に入れる。

4)  強火で沸騰させたら、栗が踊らぬ程度の弱火にして40分から50分くらいゆでる。途中3回か4回かきまぜる。

5)  時間がきたら、火をとめ、お湯がしっかり冷めるまで、そのままにしておく。

すっかり冷めてから取り出すとえぐみが取れて、味が逃げないし、ぱさぱさしないで、美味しく食べられる。

以上です。栗は、マーケットの店頭にも出ていますので、一度、試してみてはいかがですか。(^^)

2013年10月23日水曜日

パロディ


台風の前触れか、朝から雨。気分を転換して、パロディで楽しもう。ある本に、こんなことわざが載っている。
先妻は、忘れたころにやってくる。……ありえますね。ちょっと困りますかしら。こんなのもあります。レストランでのこと。フルコースの順番間違えらしいです。前菜は、忘れたころにやってくる。(天災は忘れたころにやってくる)
自信なくなり家事親父……リストラ時代の悲劇とか。(地震雷火事親父)
金は万票のもと……多くの政治家の好む座右の銘。世界共通。(風邪は万病のもと)
衣食足りて警察を知る……服を盗み、無銭飲食をして、警察につかまった男の呟いたことばとか。(衣食足りて礼節を知る)
人を見たら並ぼうと思え……泥棒と思ったりしちゃあいけませんよ。さ、早く並んで並んで。何の安売りかって? そんなこと、しらないよ。(人を見たら泥棒と思え)
悪妻盆に帰らず……盆くらい実家に帰ってほしい妻だが、帰らぬらしい。ちぇっ。朝寝朝酒朝湯がしたいのになあ……。(覆水盆に返らず)
壁にしみあり障子に穴あり……あなたのお家のことじゃありません。ただの普通の家の和室です。(壁に耳あり障子に目あり)
猿も煽てりゃ木に登る……当たり前です。猿は登るなと言っても叱っても登ります。(豚も煽てりゃ木に登る)
豚も木から落ちる……あたり前です。(猿も木から落ちる)
食うは易く行うは難し……食べたら運動しなくちゃね。それが出来ない人は、食うべからずよ。(言うは易く行うは難し)
笑う過度には腹痛来る……笑うことは卵3個ぶんくらい美容にいいとか。でも過ぎたるは……ですよね。(笑う門には福来る)
稼ぐに追いつく貧乏神……働けど働けど、ああ、じっと手をみつめて……(稼ぐに追いつく貧乏無し)
 

2013年10月22日火曜日

末期医療


義兄が、入院先の病院で亡くなりました。私も午後からそちらに出かけていて、先ほど帰ってきました。明日はお通夜、明後日は、お葬式と、心忙しい日が続きます。

昨今は、自宅で最後を迎えられるように、医療や看護体制は少しずつですが、整ってきているようです。しかし、義兄の場合のように、老老介護の場合は、自宅での最後は無理だろうなあと、思います。個人病院なので、病院に置いてもらえたのでしょう。大きな公立の病院では、早くに追い出されていたかもしれません。

しかし、病人さんは、家がいい、家に帰りたいと仰る方が殆どと聞きました。そして家に帰ると、病人さんは、心穏やかに、療養されて、旅立つことが出来るようです。
余命が限られた方の希望は、叶えてあげられたら、これ以上のことはないでしょう。 

義兄は、幸いにも、苦しむこともなく、安らかに、息を引き取ったそうで、まるで眠っているような、穏やかな顔です。病気にもよるのでしょうが、傷みの訴えもなく、手足を擦ってあげるくらいのことだったといいますから、いわゆる【緩和ケア】ということが、きちんとできていたのでしょうか。

どんな状態であれ、病人が、心穏やかに治療がうけられ、苦しみや傷みを緩和していただけるような医療こそが、私たち高齢者の望む医療だと思います。

私のようなトシになりますと、好い知らせ、嬉しい報せよりも、よくない報せを受けることが多くなります。だんだんと、寂しくなるのですが、こればかりは致し方ありません。

何か、楽しいことでも書こうと思ってパソコンの前にすわったのですが……。

明日は、楽しいこと書きたいなあと、思っています。

2013年10月21日月曜日

日本語


【ゆめタウン】という大きなマーケットに買い物に行った。行ったついでに、散歩しようと思って、店を眺めながら、中を歩いたのだが、看板だけでは、何を売っているものやら分からない。殆どが横文字か、カタカナことばの店名である。

ま、店の展示物を見れば分かるのだが、どうして日本人相手に分かるような名をつけないのかと、不思議に思う。

これは、夢タウンに限ったことではない。道路ぶちの商店などは、車の中からは、店内など見えないものだから、何屋さんか分からない新しい店があちこちにできている。

日本人でありながら日本の新聞雑誌のカタカナことばが理解できない、という情けないことがよくある。ひどいものになると、文章の半分以上もカタカナで埋めたチンプンカンプンの広告文などにもお目にかかる。

こんなこといっちゃあ何だが、私だって、まんざらモノの分からぬバアさんじゃない。横文字にはめっぽうヨワイが、こんな年寄りは、箒で掃いて捨てても余りあるはずである。それほどの数の者を新聞や広告が、眼中になしとするならば、これはもう僻みたい。

正直言って、「こんなこと言うのは、年老いた証拠やな」という気持ちもないことはない。新聞程度の常識に追いつく精進もせず、視野狭窄に甘んじている……という負い目もあることなので、このことはこれでおいておこう。

問題は別にある。日本語を、こうもケソケソに扱っていいのか、という、国語に対するわれわれの基本的精神とか態度に関する事柄なのである。

私は何も、戦中のように、「カメラ」や「インスタント」までも日本語で‥‥と言っているのではない。日本語をよそ語に置き換えて使うということと、物事を地球規模で考えよう、ということとは、まったく次元の違う問題である。

私は、「ことばは文化の礎」と固く信じているので、日本人は日本語を大切に育てていかねばならないと思っている。語彙はお金と反対で、使わないと消えていく運命にあるもの。死語の歴史を見ればよく解る。

どうも日本人はむかしから、西洋かぶれをインテリと勘違いしているらしい。本物のインテリは、自国の文化を育てこそすれ、霧散させたりはしないはずだ。だからこの責任、えせインテリにあり、と私は言いたい。

カタカナことばの氾濫は、もうすでに危険水域を突破している。ここでタガをガチッとはめておかないと、日本語は、停電の冷蔵庫の中味みたいに、何もかも萎びていく。日本人の大切な食料を萎びさせては大ごとである。文化遺産ともいわれている「方言」が、どんどん消滅している時代だからといって、日本語自体、霧消させてしまってはたまらない。もうすでに、かなりの若者たちの日本語は、萎びている。

「日本語よ! シコ踏んで頑張っておくれ!」 と叫びたい。
古いと笑われても、昭和一桁族の僻みといわれても、何度でも叫びたい。

2013年10月20日日曜日

盲導犬


盲導犬の出てくるビデオをみた。最近、盲導犬をあまり見かけなくなった。TVでたまに見ることがあるのだが、盲導犬で忘れられない思い出がある。

私は、13年間、盲学校に勤務していたのだが、その折、仙台での研究会に出席したことがある。前日は、会場からひと駅離れたところのホテルに泊っていた。ホテルには、研究会に出られる何人かの先生方が泊られていた。

翌朝、案内の先生が、駅まで誘導してくださり、電車を降りてからも、会場である学校まで、歩いて誘導してくださった。その仲間の中に、一人の盲人の先生が、盲導犬と一緒に歩かれていた。

会場は幾つかの部会に分かれていたが、私はその盲導犬の先生とご一緒した。隣の席に座られている。

ワンちゃんは、クンとも言わず、朝から夕方まで、主の足元に座ったきり身動き一つしなかった。

主以外の者は、盲導犬には話しかけないのが礼儀?なので、昼休みも、ワンちゃんの頭を撫でたりは出来ない。犬の気が散るといけないのだ。

よく躾られていると感心しながら「先生、盲導犬って随分賢くて辛抱強いですねえ。じっとしていても、眠ったりはしないのですね」と尋ねると、「そうですね。自分の任務を心得ているというか。でも、一旦仕事を終えて、ハーネス(帯)を外しますと、普通の犬に戻って走ったり、遊んだりしますよ」とおっしゃったので、私も内心ほっとした。いつもいつも緊張ばかりではワンちゃんはたまらないだろう。

一日目の会が終わって、再びホテルに帰るときがきた。もう、案内の先生はいなかった。6人程の者が、帰りかけて、ひとりの先生が、「だれか、道を憶えてるかい? わしはついてきただけで、道憶えてないぞ」と言うと、盲導犬の先生が、「心配ありません。犬が案内してくれるでしょう」とおっしゃった。

その通りだ。またまた感心してしまった。おまけに、ある喫茶店の前で、犬はぴたりと止まったのだ。「あ、私がいつも帰りに珈琲を飲んで帰るものですから、気をきかして止まりましたわ」と笑っておられた。

何とまあ賢いワンちゃんであることか! こんな忠犬、聞いたことない、と益々可愛いくて、頭をなでてやりたかったが、何もできぬまま、無事ホテルまで案内していただいた。

盲人の方にとっては、一心同体の盲導犬だ。ワンちゃんが失敗すれば、命の危険さえ起こりうる。こんな信頼関係は、人間同士であっても、なかなか難しい。

盲導犬の育成は、限られていて、盲人すべての方が手に出来るわけではない。かなり高価であるし、主の方も、何日かかけて、訓練を受けねばならない。そのため、務めておられる方の中には、そういうことが難しく、手に入らぬ方もある。

でも、盲人の方のカンはとても鋭く、東京駅や大阪駅のような人ごみの中、白杖を突かれて、点字ブロックをたよりに、通勤されているのを見かける。走りよって、「どうぞ」と肩を貸したい気持ちになるのだが、私も田舎者。そんなことは出来っこない。役にはたてない。

盲導犬は、きっと、主のお役にたっている、という幸せ感で満足にちがいない。もし、街中で盲導犬に会ったら、心の中で【頑張れ!ワンちゃん】と、声援をと思っている。

2013年10月19日土曜日

タガをはめて……


私の頭の中は、のんびり屋と心配症、几帳面と大雑把、勉強好きと不勉強、やる気とものぐさ、というように、まるで雑居だ。

でも、しかたがない。部屋を几帳面に片付けたりするかとおもうと、机の上は、散らかしている。机の上をきちんと片付けたと思うと直ぐに散らかっている。独り暮らしというのは、気を付けていても、タガのゆるむことがある。

ゴミ屋敷と言われる家がある。よくもこれだけ汚いものを集めてきたものだと思うような家がある。車の通るようなところまでゴミ袋のようなものがはみ出してきている。そこをたまに通ると、いつもその脇で、汚れた衣服を身につけたお婆さんが、うろうろしている。何となく異様な光景だ。

これほどでなくても、部屋の中は、異様なほどに散らかしている、という方は、案外多いという。老若男女を問わず、というから、不思議だ。若いお嬢さんが、掃除もせずに散らかった部屋での独り暮らしなんて、想像できない。ヘンな時代になったものだ。

ある友人の話では、「Aさんとは、親友のような付き合いをしていたのだが、ここ5年位の間に、だんだんと疎遠になってきた」とおっしゃる。その理由は、はじめのうちは、訪問するとすぐに家の中に通うされて、台所だろうが奥のま間だろうが出入りをゆるされていたのが、そのうちに限られてきて、客間だけになり、玄関先からは、上には入れてもらえなくなり、終いには、玄関にも入れず、戸をちょっと開けて、外に出てきて用をすますようになってしまったというのだ。家中を散らかしているのだ。まだ、友だちには、恥ずかしくて上がって貰えない、という気持ちがあるのだろう。いや、ひょっとすると、それは友情というようなものまでも枯れてしまっているのかもしれない。何となくぶるっと身ぶるいしたくなるような話である。 

独り暮らしというのは、タガをはめておかねばならないことがある。誰も見ていない生活というのは、手抜きをしてしまいがちになる。台所の流しに、汚れた食器がたまっていても、だれにも迷惑はかからないし、笑われることもない。それが恥ずかしいと思ううちは、いいが、慣れてくると、そんな生活が何とも感じなくなるのだ。そうならないためには、流しの上に、洗いものを1つでも置いておくことをしない、という習慣を身につけておくことが大切なのだ。

食事をする時だって、パックに入ったままのものを並べて食べるようなことが独り暮らしでは可能なのだが、きちんと食器のあれこれを選んで、たとえマーケットで買ったおかずであっても、綺麗な器に盛り付けて食べることをしていると、味も違ってくる。お皿にしろ、どんぶりにしろ、選ぶ楽しみも出てくるというものだ。

食器戸棚には、私なりのこだわりのようなものがあって、数はかなりある。頂き物も多いが、焼き物が好きで、愛媛などに行くと、必ずといっていいほど、砥部焼のものを買って帰りたくなる。高価なものは買わないが、安くても気に入りのものは愛着がわく。砥部の絵柄はほとんど変わらないものも多いので、昔買った湯のみと同じ柄のお茶碗を見付けて買って帰ったり、何年かして、同柄のカップを買ったりして、楽しむのだ。

しかし、私には美的センスというものがないので、たいていのものが【よく見える】のが難点だ。(笑)

余談になるが、センスというのは、磨くことはできるのだろうが、難しい。私の近しいT子さんなどは、とてもセンスがいい。いつも感心している。安い物でも、彼女が身につけると、素敵になる。こうしたセンスは、ただ見ているだけでは身に着かないように思う。持って生まれたものだろうなあ……。

 

2013年10月18日金曜日

終の住み家


今日、あるお方のお葬式に行き、お見送りをしてきました。奥様のおっしゃるには、大きな病院というのは、治らない、死が近い病人でも、最後までは看取ってはくれないので、家で苦しむ連れ合いさんを看取って、とても辛い思いをされたとおっしゃっていました。傷みを伴う病気で苦しむのですから、むろん、点滴やら、モルヒネの薬を飲ませたりしなければなりませんが、病院のように、的確にできるとき限りません。

最近は、在宅介護とかいって、家で看取ることを奨励しているようですが、大変ですし、独り暮らしでは、それは不可能に近いでしょう。

有る年齢が来ますと、「元気なうちは、このままでいいけれど、自分の身のまわりのことが十分に出来なくなってきたら、老人ホームのような施設にでも入らねばならないなあ」と思うようになってきます。家族がおる人はまだいいのですが、娘や息子は遠方で家庭を持っている、という方や、連れ合いに死なれて独り暮らしという方たちにとっては、深刻な問題になってきます。

ただ、ホームであっても、ホームで最後を迎える方は、少ないのです。ホームでは、なかなか医療行為はしてもらえず、病気になると病院に送られます。ホームで知らぬ間に亡くなったというような場合は、ホームが終の住み家になりますが、そういう方は、案外少ないそうで、何か変わった症状が出ると、病院にすぐ搬送されます。第一、看護師さんは、医師がその場に居ないと、点滴も行えないそうです。
しかも、施設によってその期間は、まちまちかもしれませんが、1か月、2か月と入院していると、今度は施設から、出ていかねばならなくなるのです。入院している人に対しては、介護補助金が零になり、そのまま、部屋をあけておくと、収入がなくなるからです。

元気な時から「家族に迷惑をかけたくないから、ホームに入る」などと言っていても、どうしたって家族には迷惑をかけてしまいます。施設に入っても、入院しても、何らかの形で、助けてもらうようになりますから、元気なうちから、そのつもりでいたのがいいのです。

私のお友達や知人も、何人もが、ケアハウスや、老人ホームに入っています。いや、入っていた、と言ったほうがいいかもしれません。Aさんは、90歳すぎて、離れて住む子らに、無理やりのように、ケアハウスに入れられましたが、1か月で、自分のマンションに引き上げてしまいました。「あんなところに入れられたら、することがないので、はよう死んでしまう」とかおっしゃって出ました。Bさんご夫婦は、もう買い物もままならない、ということで、入ったケアハウスは、安いのはありがたいが、狭苦しいし、都会のマンションのように、入居者の交流がなく、「隣は何をする人ぞ」といったようなハウスなので、家がいい、と半年ほどで、家に帰りました。Cさんは、ケアハウスに入られていましたが、体調がすぐれずに、入院されましたが、娘さんが、帰ってきたらいい、ということで、退院と同時にお家に帰られて、娘さん夫婦や孫さんたちに囲まれて、生活することになりました。独り暮らしの自由気ままはちょっぴり少なくなくなったかもしれませんが、何と言っても身内に囲まれての理想的な老後です。

Aさん、Bさん夫婦が、これから先、自立が不可能になったりしたとき、どうなるか、Cさんのように、家族と暮らせるか、あるいは老人ホームか、それは分かりませんが、考えないわけにはいきません。

こんなことを書いてますと、1日でも長く自立していたいなあと、思います。健康寿命の終わりが命の終わりというような具合にいきたいものです。年寄ってからの人生は、健康であったなら、【黄金の人生】にもなりうると言う時期です。貧しくても自由があって、したいことが出来るということは、高齢者でなければ味わえない幸せでしょうね。

 

2013年10月17日木曜日

糖尿病


先日、近所に住む女性6人ほどが集まって、集会所でお祭りの用意などの仕事をしていました。「年取ったらなかなか身体が思うように動かん」などと言いあっています。私よりかなり若い人たちなので、「そんなこと言うの、早すぎるわ」と言ったのですが、3人もが、糖尿の予備軍らしく、食事制限をしているとか。

徳島県は、糖尿の人が全国一なんていう汚名をいただいているし、野菜の摂取量が、少ないとかも言われていて、何となく健康管理が良くない県らしいです。

いや、徳島だけではなく、糖尿病は、日本の国民病とも言われているほどの勢いで増えているそうで、3人に一人が糖尿病の時代がくるという予測もあるようですから、だれもが無関心ではいられない時代です。

糖尿病にも色々なタイプがあるようですが、怖いのは合併症で、目が悪くなったり、腎症悪化で透析したり、というのは、よく聞く話です。
糖尿病そのものは、そんなに怖い病気でないらしいので、合併症をおこさぬようにすればいいということのようです。

あるお医者さんは、カロリーのコントロールがいけない。こうした合併症を生み出すと言ってます。「血糖値を上げるのは炭水化物だけ。脂肪や蛋白質は、いくら取っても、血糖値はあがらない。ご飯を減らして、肉や卵や野菜をたくさん食べなさい。そのあと、15分くらいすぐに歩くことです。私の患者で、合併症を起こした人は、ひとりもおりません」とおっしゃっています。

ま、医学も日進月歩の時代で、お医者さんも、お勉強している方と、していない方の違いがあるので、「カロリー制限」ばかりすすめられて、一向に好くならない、という方は、お医者さんをかわってみることも大切かと思います。

 

2013年10月16日水曜日

アンパンマン


アンパンマンの作者、やなせたかしさん(94歳)の死を新聞は大きく一斉にとりあげていました。

【やなせたかし】という漫画家の名は知らなくても、【アンパンマン】を知らない人は、まずいらっしゃらないでしょう。大人も子供も、あのアンパンマンや、バイキンマン、ドキンちゃん、ショクパンマンの顔を子どもといっしょに絵本、映画、テレビで何度もみたことがあるはずです。

このマンガのテーマは【貧しいものへの味方】【正義の味方】、そして【反戦と命の大切さ】ですから、子供に見せたくないマンガと違って、多くのフアンがいらっしゃいます。ですから、「やなせたかし」という漫画家の偉大な功績が、人々に惜しまれているのでしょう。

94歳まで現役だったやなせさんが、亡くなられて政府は、勲章を与えることにした、という報道がありました。「えっ?今までに勲章を差し上げていなかったの?」という思いがしました。そして、亡くなってからの勲章なんて、本人には分らない。どうしてもっと早くに……と、思ったのです。勲章なんか、いらん、という方もおられます。それはそれでいいのです。ただ、政府が、生きているだれもかれもに勲章を授けている中で、ちょっと不思議な気持ちになりました。もっと厳しく言いますと、なーんも国の役に立たなかった政治家に、ただ国会議員だったというだけで、勲章をやっています。それなのに……と、古女は歯ぎしりの思いなんであります。

【えへん。漫画家よりも、政治家が偉いんだよ】【ああ、そうですか。すまんことでした】

 

2013年10月15日火曜日

乾杯条例

先日二人で訪問した、高松の方への手土産は、鳴門金時・いも焼酎と、阿波の彩・すだちワイン。お菓子も、ブドウ饅頭とか、阿波ういろう、といったように、徳島で生産されるものばかり。これは、本人の希望でもあるのだが、やはり、その地方のものを、味わっていただくのが、県外の方にはよいように思う。

こんなことを書いているのは、実は、【日本酒で乾杯条例】というのが全国に広がっている、と言うことを知ったからだ。これは、『乾杯は、日本酒でしましょう』、という条例で、守らなくても別に刑罰があるわけではないのだが、最近特に落ち込んでいる日本酒の売れ行きを心配して、ビールで乾杯が殆どの昨今だが、日本酒でやりましょうや、ということなのだ。
 
こうした条例を決めた自治体が今年になって急速に増えているという。
一番に京都市が皮切りになって、13の自治体が成立させているそうだ。
いずれの地も、日本酒の産地だろうが、地元の日本酒を盛りたてて、地域の活性化をはかったり、観光の促進にも役立てようということで、何となく後押ししたい気分になってくる。

最近は、酒類の種類も随分と増えていて、日本酒は、片隅に追いやられてしまった感がする。

はたして効果はいかに?と思うのだが、京都市では飲食店などに【日本酒で乾杯しておくれやす】という、ポスターなどを貼り、観光客に訴えているし、酒造組合は乾杯用の1杯目の日本酒をタダで提供したりして、客に呼びかけるなどの取り組みを行った結果、京都のあるホテルでは、今年前半の消費量が前年の2割ほど伸びたとか。

今後、お酒だけではなく、徳利だの盃だのの焼き物、酒には和食、酒を飲むなら洋服より和服が似合う、なんて、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、すそ野がひろがれば、京都も言うことなしだろう。(笑)

徳島は、日本酒もビールも焼酎もワインも多種類のお酒が作られていて、どれも贔屓にしてあげたいと思うのだが、他県同様に落ち込んでいる日本酒も、元気をとりもどして貰いたいもの。
 
私は、ビールよりはお酒がおいしいと思うので、お酒で乾杯は、賛成だが、お酒は嫌いという人には向かない条例だろう。ま、乾杯のあと、お酒を続いて飲むことになるか、すぐビールを手にとるか、それはその人の好みだが、どちらにしても、【条例】って、色々つくれるものだなあと、感心した次第。(^^)

2013年10月14日月曜日

直感力


長年生きてきますと、いろいろとマイナスになっていくことが多くなってきました。トシのせいで、どうのこうのと言い訳することがよくあるのですが、それはあまり格好のいいものではなさそうなので、控えることにしています。(笑)

反対にプラスになった面もあるのです。それは、直感力とでも言ったらいいかもしれません。私の言いたい直感というのは、霊感や、やま感といったような先天的なものではありません。ま、言ってみれば、長年生きて経験が豊富にあるために、感じられるものです。分かりやすい例を申しますと、世の中には、籤運のいい方と、籤運の悪い方と、その中間の方がおられます。不思議なくらいよく当たる方が私の知人に居りますし、全く籤運の無い私のような者もおります。

昨夜は、宵祭りで、役が当たっていたものですから、息子と手伝いに出ていました。最後にくじ引きがあります。かなりの数が当たり籤ですが、私は、「100%当たらない」と思っていましたら、やはり当たらなかった。(笑)しかし、昨年当たったAさんとBさんは、また当たるだろうと思っていたら、当たりました。何となく分かりました。

ま、籤は直感だけじゃないかもしれませんが、ともかく、ちょっとお話をしただけで、「この方は真面目な方らしい」とか、「お友達になれそうにない」とか、わかりますし、「冗談の通じる方」「神経質らしい」など、あまり狂いはありません。ちょっとコトバでは説明できないのが直感かもしれません。何となくそう感じるので、自分の心の中だけにたたみこんでおくカンなのですが。

演歌の新曲を披露している歌手さん。テレビを見ていて、「これは流行らないな」「あ、これは流行るな」は、当たりますね。曲がいいとか悪いとかではありません。名曲でも流行らない曲もありますから。

まあ、あれこれ思いますと、脳味噌も、衰えることばかりではない、ということで、あまりマイナス思考にならないのがよさそうです。更に言いますと、ボケてきよる、とか、もうじきボケそうだ、なんて、いらんこと考えて取り越し苦労などするのは、あほらしいことで、自信もって堂々といきませんか、と言いたかったのです。(^^)

 

 

2013年10月13日日曜日

一日一生


何日か前(10月7日)、千日回峰行を二回もなさった酒井雄哉さんのことを書きましたが、この方の本の中に、こんなことが書いてあります。

【「一日一生」】一日を中心に、一日が一生と思って生きる。と。

修行をした仏様のような方のおっしゃることが、私のような凡人に出来るわけはないのですが、なるほどと思うのです。

行にはいると、毎朝新しい草履を履いて出て行く。そして帰ってくると、草履がボロボロになっている。翌日はまた新しい草履を履いて出掛ける。そんな毎日を繰り返していると、自分が草履に見えてきてね。一日が終わると、また生まれ変わってくる。【動】の世界と【静】の世界で、草鞋を脱いで、お経をあげたり反省したり、横になる静の世界があってまた新しく蘇る。一日が一生のようなものだから、今日失敗したってへなへなすることはない。落ち込むことも無い。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃないか。それには、今日を大切にしなければ、明日はありませんよ、ということでもある。今、自分がやっていることを、一生懸命、大切に、忠実にやることが、一番いいんじゃないのかな。ただそれをくりかえすだけなんだよ。

人より抜きん出ようとか、よく思われようとかすると、あせってしまう。身にあったことをしているのが一番いい。私は知識も学問もないから、ただ歩くことでいろいろなことを学ぶことができたと思っているよ。

と、酒井氏は、淡々とおっしゃっています。

悔いのない人生をと、私たちは思いますが、まずは、悔いのない一日を積み重ねていくことなんですよね。

2013年10月12日土曜日

頑張るI君


Tさんと二人、高松に住む教え子(といっても45歳)の筋ジスのI君のお見舞いに行って来ました。私とTさんの年中行事です。難病中の難病といわれる筋ジストロフィーのI君ですが、昨年よりも少し太り、とても元気そうだったので安心しました。人工呼吸器をつけているのですが、車椅子に座って、私たちの受け答えは、動く指先に手にした細い棒の先で、ボードの文字を抑えながら、パソコンの画面に言いたいことを書き表していくので、お互いの気持ちは、よく解ります。24時間の介護を必要とする障害をもちながらも、フエ―スブックで友達と情報交換をしたり、パソコンで絵を描いて個展を開いたり、作曲をしたり、今は、2か月前から、シナリオの勉強のため、通信教育を受講しているというのですから、すごく前向きです。

彼は、25年前、当時病棟の美人看護婦さんだったMちゃんと恋愛して結婚し、高松に移り住んだのです。小さなアパートでの生活でした。むろん、Mちゃんの両親は大反対。でもMちゃんは、何よりも愛をえらび、両親を説得しての結婚でした。

この病気になった人達は、若いうちに病気が進行して、なかなか30歳までは生きられない、ということが現実だったので、そんな中でのふたりの勇気と愛は、頭の下がる思いでしたし、どうか、最後まで、幸せが破壊しませんようにと、祈る気持ちでいっぱいでした。

結婚してからの二人は、実に明るく楽しい生活をおくっていました。

あれから25年。二人の愛は、病魔をも退けてしまったのか、お医者様がびっくりするほど、進行はのろのろです。

I君だけではありません。仙台で画家として活躍しているY君も、結婚して愛を育みながら、活動しています。

生きる力。これは、やはり精神力というものが、かなりの影響力があるのだと思わずにはいられません。そして愛の力とでも言うのでしょうか。

社会に目を向け、地域の中で多くの人達に力を頂きながら、前向きに生き続ける姿は、病気と闘う人達に、希望と力を発信しつづけています。

I君頑張れ!と声援を送りつつ、私もI君に大きな力を頂いて帰ってきました。I君、ありがとうね。

2013年10月11日金曜日

安売り


私の住む藍住町は、大手の電気器具メーカーが、何軒もあって、人の噂では、全国一安い、東京の秋葉原より安い、という噂があるほど競争が激しい。

新聞の折り込み広告も、畳ほどもあるような大きな広告が、どのメーカーからも一緒に出されることもある。なかには、『他の店より高い場合は、お申し付けください』などと書かれているので、客は、何軒もの店を回って、安い買い物をするのだ。

私は、Kデンキのカード1枚しか作っていないので、いつもKデンキ店で買うのだが、他よりも高い買い物をしているとは思ったことはない。どこも似たり寄ったりだと思っている。

先日、居間のエアコンが壊れて動かなくなったので、Kデンキで買った。居間だけは広くとってあるので、家庭用の一番大きいというのを買った。26畳用というので、数が少なくて、最新式の最高の値段のものしかなかった。店の売り出し中の黄色い特別料金表には、32万円近い値がついていた。
私は、25万円しか持っていない。「かなり高いものですねえ」「最新の最高のものですからねぇ」そうおっしゃりながら、電卓を叩きながら、「268000円までは値引きできます」とおっしゃる。へえーっ。そんなに引いてくれるのかぁと、ちょっと驚いたのだが、「予算が25万円なので、25万円しか持ってきてないのよ」と言うと、「うーーん。ちょっときついですねえ……」と言いながら、再び電卓でやっていたが、「内緒で25万にしましょう」というわけで、財布の中身を言っただけで、1万8000円安くなった。
 
こんなことをブログに書くと、店の人に叱られそうだが、事実なのだ。取り付け料は、高い品物なので、サービスらしく、古いものを持ち帰って貰うのには、廃棄処分料2100円プラスになる。財布の中身をかき集めて支払って帰った。

しかし、取り付けにきてくださったのはいいが、古いものは、(25年前に取り付けた)『オフイス用』という、業務用なので、店では外せない。特別の業者に来てもらってはずすことになるという。そうしたお世話はしますというのでお願いした。
業務用エアコンの廃棄料金は、39800円と言う。家庭用より少し大きいくらいなのに、えらく高いと思ったが仕方がない。
 
取り付けにきた会社の方が言うのには、「この機種は、一番新しいので始めて付けるので、ちょっと時間がかかります。この機種は、定価70万円のものですよ」と。「へえーっ。70万円のものが、25万円で買えたんですか。随分安く買えたものねえ」私は高いと思ったはずの廃棄処分料のことは、頭から消えてしまった。70万円のものが、29万円で買えたようなものだ。

「定価なんて、どうなっているのかしら」と言うと、「Kデンキさんは、大きな会社ですから、安く手に入れるのでしょうね」と。
安く買えた私はいいとしても、会社としては、安売りばかりしていては、大変だ。倒産する会社が出てきてもおかしくないなあと、つくづく考えさせられた。

会社の利益が少ないと、従業員の給料だって上がらないのだ。大きな目で眺めてみると、市民が、安く安くと安い物を追いかけると、働く夫や子供達の給料は上がらないということにもなりかねない。難しい問題やなあ……と、複雑な思いがした。