2016年3月30日水曜日

№1039 死ということ


今年になって、同級生3人が亡くなられた。3人ともが男性で、やはり平均的に男性はお先に逝くようだ。

このトシになると、そういう訃報を耳にしても、悲しみとか、お気のどくというような気持は、ほとんどわいてこない。寝たきりだった方の訃報などは、「ああ、やっと安らかに眠ることができたわねぇ」の気持ちになる。寿命が延びたとはいうものの、100歳まで生きて頑張れる方は、そう多くはないのだから、いずれ自分の番が近いうちにくることを認識し、ちょっぴり落ち込むだけである。

最近、【死】ということについて色々と考えさせられている。と言うと、いかにも哲学的思考みたいだが、そうではない。今考えているシニア劇の中で、【死】の問題を皆が語る場面を想定してのことだ。死を怖がる人、怖がらない人、色々な考えがあるだろうから、自分一人の考えでは書ききれない。『死が怖い。どうしたら、怖くなくなるかしら』などと問われると、まともに答えることは難しい。ある人は、宗教で、或いは強い意志で、などなどあるだろうが、私には宗教もなく、強い意志もない。『生まれたら死ぬのは当たり前。皆、死ぬんだもの、考えたって死ぬ時は死ぬ。考えなければいいんだよ』ぐらいだ。でも、ちょっとは真面目に考えようと思うのだ。今のように漠然と死を考えていては、筆が進まない。荷が重いなあと、思っているためか、最近首と肩が痛い。(笑)

2016年3月27日日曜日

№1038 三寒四温


春らしいポカポカ陽気から、寒さが戻ると老体には堪える。下着も減らしていたのに、また冬のシャツを着込むと、体がシャツにしめつけられているような感じになり、肩も凝る。桜が咲き始めても、花を愛でる気分には遠い。

予報によれば、あと1,2日もすれば、急に暖かくなり、初夏なみの気温の日もあるというから、こんな変化も、なにやらついて行けそうにない。日めくりをくっていくように、1日1日と暖かくなったり寒くなったりでなければ、調子が狂いそうだ。

ま、こんなことを言っても、自然には何の抵抗も出来ないのだから、愚痴をいってもはじまらない。

今日は、徳島市の市長選挙があり、四国放送(民放)の元アナウンサーの方が、当選された。やはり、お顔がよく知られているということもあってのことだろう。西新町の開発を推し進めてきた前市長が落選し、白紙撤回を唱えていた方に人気があったようだ。他町村に住む私は、直接関係はないのだが、対岸の火事という気持ちにもなれず、関心はあった。

それにしても、投票率が45.7%というのは、ちょっと寂しい。それでも前回より20.6ポイント上回ったというのだから……。

選挙への関心が薄いというのは、やはり問題だと思う。「私の一票くらい」と思っていた人たちが、もし投票していたら、その町や国を変えることだってあり得るのだもの。

当たり前のことなのだが、選挙権を得て以来、一度も棄権したことのない私なので、投票率の低いことには、いつも肌寒い気分になってしまう。

2016年3月24日木曜日

№1037 慌ただしい日が……


 まだ23日と思ったら、日付けが変わっている。せっかくブログをひらいたのだから、何か書いておこう。(笑)
慌ただしい日が続いた。彼岸の入り、20日は、それまで特訓の稽古をしていた劇の発表会。翌日は春分の日、お墓参りの来客、女学校のクラス会の取りまとめ、返信催促、文藝便りの仕上げ、地域の班の規約改正の相談、などなど、草臥れる暇がない。
 ま、何とか動けることに感謝しながら、「今日もいい日だった」と、思いつつ、寝ることにしよう。

2016年3月19日土曜日

№1036 根


  早くも雑草が伸び始めた。それをかき分けるように、クロッカスの花が咲いている。このクロッカス、もうかなり古い。水栽培をしていたものを、土に移されて10年にもなるだろう。ほったらかしにされていながら、健気にも枯れることなく命を咲かせている。こうした生き物をみていると、どんな根っこなんだろうかと思ってしまう。そして根が大事は人間も同じだなあと……。

【根性】って何?と聞くと【性根】と言った方がいるが、人間も、しっかりした根があれば、太くも、高くも、花を咲かすことも出来るのだろう。根は、土の下の力持ちだ。上には出て来ない。土の下で伸びたり張ったりして上を支えている。しかも、硬い岩があれば、器用に岩をよけて伸びている。

  ある脚本家が以前しゃべっていた。脚本を書いていると、その一人ひとりの性格や生きてきた過程などがしっかりと決まらないと、なかなか前に進めない。いわゆるその人間の根っ子の部分だ。そんなことは、関係ないようだが、そうではないのだ。これには深く頷けた。10人もが出演する台本など、その一人ひとりの生きてきた歴史がきちんと整理できていないと、筋の通ったものは書けない。

  平凡な私めが考える様々な人生絵巻は高が知れたものだ。でも、やはり考えねば何も書けないのだ。

 

2016年3月15日火曜日

№1035 気晴らし


  どうも寒かったり暖かくなったりの天候の加減か、坐骨神経痛がまた起ったようで、左側の腰やお尻や足にかけて、痛くて昨夜はあまり熟睡できなかった。腰かけたり動いたりするのも、億劫になっている。最近、ちょっと忙しく、動き回ったのも堪えてしまった。

こういうときは、気晴らしをするに限る。痛みもあまり感じず、けっこう楽しめる。残っていた、CDの目録つくりをしたり、頼まれものの名詞やシール作りのための材料を見に電機屋の梯子をしたり、机の引き出しの整理などに没頭する。(笑)

私は、体調不良以外にも、よく、ごそごそと気晴らしに動いている。それは、平凡な頭を使って、脚本考えたり、作文かいたりするのが好きなのだが、これはけっこう集中力がいるので、ストレスもたまる。そうすると、ごそごそとし始める。だから、大抵かなり忙しい時に、どうでもいいことを始めてしまうのだ。あるときなど、大きな机やベッドを、うんすこ言いながら一人で動かして、部屋の模様替えをしたりするものだから、後で腰が痛くなって困ったこともあった。

さて、気晴らしばかりしていては、前に進めないのも事実。今夜は、7時から出かけなければならない。そのために、さきほど、痛み止めを塗っていたので、痛みは止まっている。

何度も書いたことだが、私は、このトシがきたら、イヤなことはしない、ということにしているので、何処に出掛けても、何をしても、面白がったり楽しんだりしているので、へなへなでも、自分流の生き方が出来るのかもしれない。感謝している。

2016年3月10日木曜日

№1034 アラハン


  朝食をたべながら、NHKTVをみることがよくある。今朝も、朝食の後片付けをしているとき、『朝いち』を聞いていると、「アラハン」に学ぶ生き方ということばが聞こえてきた。アラハンって何?と、慌ててTVの前に座ったのだが、つまり100歳前後 の高齢者のことだという。どうしてこんな解りにくい言葉を遣うのか、と思いながら、急いでメモしたのだ。「アラウンド・ハンドレッド」というのを略したことばらしい。英語は皆目の私なので、へえーと思うだけなのだが、最近、アラハンの本が売れていると言う。色々な方が出版されているのだ。
 
 その一例として、103歳の篠田桃紅さんの【103歳になってわかったこと】をあげていた。この本は、私も2か月ほど前に、本屋で目にし、何となく元気を頂けそうに思って買って読んだ。美術家で抽象表現主義で、世界的に広く知られている方だ。今も現役で制作活動をなさっている。私など、とても足元にも寄れない雲の上の方なのだが、本は、解りやすく、教えられることが多かった。
 
 こうした本は、私のような年寄りが読むのかと思っていたが、TVでは、若い方たちも、随分読まれていて、その反響に、出版社も驚いているとのことだ。本を買っても、本に挟んである葉書(感想や質問を書く)など、書いたことも無く、捨てているので、出版社に、山のように積まれた葉書をみて驚いた。
 
 今は、100歳以上の方は、日本国内には、6万人以上いらして、その9割が女性らしい。全部が篠田さんのようにお元気な方たちではないにしても、女はやはり強いのだ。
  しかし、私がもし100歳まで生きていたとしたら、多分寝たきりと思うので、困っちゃうなあ、という気持ちなのだ。(笑)
 
 元気で長生き、ピンピンころりと、皆は願っているのだろうから、こうしたアラハンに学ぶ生き方は、大切なことには間違いなさそうだ。
 

2016年3月6日日曜日

№1033 憲法


  安倍さんは、任期中に憲法を変えたいらしい。時代の変化に合わないこともあるだろうから、憲法が、いつまでも変わらないのでは、困るのだが、平和憲法が売り物の日本の憲法なので、そこをしっかりと錠前をおろしての改正は、いつかはしなければいけないとは思う。

 地球上で、戦争が無かったという時代は、ほとんどなかった。歴史を学ぶことの意義のひとつに、過ちを繰り返さないということがあるのだが、日本の歴史を振り返ってみると、軍隊という大きな団体が暴走し、政治家はそれを抑えきれなかったという印象が強い。あの戦争を体験した者は、平和憲法の有難味は、骨身に沁みていて、ちょっとやそっとで変えられてなるものかと思っている。

 憲法のどこを、どのように変えたいのか、安倍さんは、しっかりと国民に知らせるべきだろう。『いかなる戦争もしない国』ということが、世界に通用しないのか、いくら周りにヤクザな国があっても、そうした平和主義の国家が侵略されるようなことはないと信じたいのだが……。

2016年3月4日金曜日

№1032 居眠り


  1日24時間が今日も終わりが近づいてきた。この頃は、知らぬ間に居眠りをしている。机に向かって何かをしていても、疲れて来ると、居眠りをしている。睡眠時間が足りないのか、よく居眠りをするようになった。これは、老化現象と思うのだが、以前にはこんなことはなかった。横になって昼寝というような習慣が、まったくないのだが、ちゃんと、横になって昼寝をするのがよいのかもしれない。 ちょこちょこと、うとうとするということは、姿勢からして良くない。ほとんど首を垂れていたりして、肩や首が痛くなっている。

 今日1日を思い返すと、起床は5時30分。睡眠は、5時間ほどだ。することはたくさんあるので、退屈するということはなかったし、適当に外に出る用事もあった。夕食は7時以後になったので、食後は観たかった録画を見ていたが、気が付くと、何度か居眠りして、巻き返して見直した。(笑)
  やはり居眠りは、疲れているのだろう。日づけの変わらぬうちに、寝ることにしよう。

 

2016年3月2日水曜日

№1031 3月

   12月が過ぎたということは、1年の6分の1が過ぎたことで、あとひと月すると、4分の1過ぎることになる。当たり前のことだが、すぐに半年過ぎてしまう。そして1年が過ぎるのだから、歳月はたちまちのうちに、行きどまりまで行くのだ。

こんなこと思うと、いつも「ああ、一日一日を大切に過ごさねば……」と思うのだが、なかなかそうはいかない。

話は変わるが、今朝の【朝いち】と言う番組に卵の話が出てきた。やはり、卵は、1日に、何戸食べてもいいということだった。卵を食べるとコレステロールが高くなるという誤った認識が、40年もかかって、やっと、訂正された、ということを聞いて、医学の盲点を知らされた気分になった。

私が卵を毎日3個は食べてきたが、それをはじめたのは、【三石巌】という学者さんが書かれた本を読んでからだが、先生は、医者ではなく、東大の教授を退職なさってから、ご自分が病気になられ、栄養の研究をはじめられ、自分の病気も直されたということで、理論はとても納得のいくものだった。こうしたことが、お医者の間では、まったく無視され続けたということだろうか。

今、医学はとても細分化されていて、おまけに進歩がはやくて、専門以外は、分からないということをおっしゃるお医者が多い。一般の患者は、どなたがどこの部位が専門なのかも分からない。でも、卵云々くらいのことは、お医者は、知っていてほしかったと思うなあ……。