2013年8月31日土曜日

自戒


8月も終わりというのに、まだ酷暑だの、熱中症注意などと言っている。やはり、異常だ。環境が改善されなければ、これからも、こんな年が続くのだろうか。いや、ますます、ひどくなっていくのだろうか。嬉しくないなあ。

 
Aさんはこの夏が越せるか?と思ったという。私とよく似たトシだが、自分の体力に自信が無いらしい。どこといって悪いわけではないのだが、身体のあちこちにほころびが出ていて、何軒かのお医者にかかり、色々な薬を飲んでいるようだ。

私もあちこち痛いし、しんどくてたまらぬこともあるけれど、トシを考えると当たり前と思うので、病人とは思っていない。むしろ、元気だと思っている。接骨院には時々行っても、お医者にいくことはめったにない。

風邪だと思っても、医者に行かないのは、風邪は、薬で治らないと、医者が言っているので、静かに寝ていたら治ると思うからだ。無論、高熱が出て、流感の心配があれば別だが、効きもしない薬を頂いて、苦しい医療保険のお世話になることはないと思うのだ。

 
最近、何となく老人の方たちは、福祉に頼りすぎているように思えてならない。私達皆で、保険制度も支え合っているのだという、意識が無いようだ。だから、平気でいらない薬をどっさりと貰って捨てたりする。本当に医療が必要な人達に、十分のことがしてあげれなくなったら困るし、保険制度事態がつぶれたらたちまち困るのは、私たちなのだ。

皆保険という素晴らしい日本の医療制度が、これからも安泰であるためにも、老人といえども、むやみに無駄遣いをしてはならないと、自戒している。

2013年8月30日金曜日

化学兵器


色々な批判がされている中で、アメリカは、シリアに対して軍需手段で制裁を加えるらしい。シリアが、化学兵器を用いたという確実な証拠がない、という批判にたいして、耳を貸そうとしない。

どちらが使ったか、ということが、まだ解決されていないのだ。アメリカは、戦争で儲ける産業が多い。また、そういう人たちに支えられて、大統領や議員といった政治家になった人も少なくない。そういった力に押されて、アメリカは、戦争に踏切ざるをえないのかもしれない。以前も、アメリカはイラク攻撃で苦い経験をしている。日本だって、アメリカの言うがままに、その戦いを援助している。

イギリス政府は、このアメリカの闘いに、賛成して同調しようとしたが、議会が否決したので、参戦は難しくなった、と報道されている。

イギリス、内心はほっとしているのではなかろうか。戦争に加担するなんて、イヤにきまっている。

 
さて、日本だが、もし、安倍さんの望むように、憲法解釈を拡大して、日本も、アメリカが戦えば、それに同調して、自衛隊も鉄砲もって戦うことが出来るようになれば、必ず出動するだろう。いや、させられるだろう。

 
与党が、過半数以上という国会の怖いところは、これに反対しても、イギリスのように、政府の案を否決できないことではないだろうか。

政治にはくわしくないのだが、自民党の今の数では、そういうことになるだろう。自民党内で意見がちがっても、最後はまとまると、豪語していたのだからまとめるだろう。

 
どんなことがあっても、戦争をすることはよくない。関わりの無い市民が不幸になるからだ。意義もよく解らない闘いに、たとえ、援助の形であっても、してもらいたくないものだ。

 

2013年8月29日木曜日

怖い温暖化


昨日、TVのクローズアップ現代で、温暖化と気象異常について放送されていたが、見ていて、これは大変なことだと、恐ろしくなった。
この100年で、海水の温度が、0.5度上がっているらしい。たった0.5度だが、それが地球上の色々なところに影響が出ているという。広い海の表面積から蒸発する水蒸気の量が違ってくるのだから、雨の量も違ってくるだろう。現に、世界のあちこちで今までにないゲリラ豪雨による大きな被害がおこっている。猛暑の続く夏も、温暖化の影響という。

海の中では、魚が自分等の住む水が適温でなくなると、適温のところに行ってしまう。鮭が北海道では少なくなっているそうだ。鮭が北上しているのだ。マグロだって、いままで獲れたことのない地方の海に現れる。暖かい南に住んでいたものが、北まで足?をのばしているのだ。魚の住む体系が崩れつつあるのだ。もう、表面だけではなく、深海までも温度が高くなっているので、深海魚にも、影響が出ているらしい。

永久に凍土であったところが融けたり、氷山が崩れて海水が増えたり、じりじりと地球の様子が変わっていくのだから、何とか、こんな現象をストップしなければ、人の住めない地球になってしまいそうだ。

今年の酷暑でも、多くの人が亡くなっている。日本のように、医療も社会保障も発達している国ばかりではない。世界では、どれほどの人が暑さのために亡くなっているか、想像もできない。

こんな地球温暖化が進む中、温暖化がもたらす異常気象などの被害を防いだり、影響を少なくしたりすることが、とても重要な対策となってきているということで、昨日は、専門家会議が開かれた。日本国内の温暖化による様々なリスクを分析して、リスクを軽減するための対策案などを政府に提言するそうだ。再来年1月頃に報告書をまとめ、それをもとに政府は温暖化のリスクを軽減するための対策計画を立てるそうだが、盗人が戸を開けているのに、縄をなっているような感じがする。

地球温暖化対策は、リスクを軽減する対策だけが進めばいいのではなく、根本的な問題である二酸化炭素の排出量を削減して温暖化の進行を食い止める対策と両輪で進めることが必要なことなので、世界各国と共に削減対策を進めなければならないのだから、喧嘩や戦争なんかしている場合じゃないのだ。

私等のような年寄りは、まだ地球が息をしているうちにさよならするのだが、これからの若い方たちには、大きな問題のはず。もっと、一人ひとりが、危機感をもって、小さなことでも心掛けなければならないことを実行していかねばと思った。

 

2013年8月28日水曜日

ご縁


『縁』というものは不思議なものです。「こうなったのも、何かの縁」ということは、やはり、人の力を越えた不思議な力というか、巡り合わせなのでしょう。親子、夫婦、親戚、友人、知り合い、こうした繋がりは、見えない糸のようなもので結ばれあって、そういうふうになってきたのだと思います。言うなれば、見えない糸が縁というものなのでしょうか。……と、おっしゃる方がたくさんおられます。

 
否定するわけではありません。ただ私の思うのは、『縁』というものを、人の力以上のものと考えたくないのです。どんな良縁にしろ、腐れ縁にしろ、結ばれた以上は、自力でよくも悪くも出来るということですし、切ることもできます。むろん、我慢を通すことも出来ます。いい友達が出来ても、その関係を育てるのはお互い次第です。

『縁が無くて独身』というのも、縁がないわけではないのです。自分の考えに会わないというだけのことでしょう。

糸は、初めから固定されたものではないと思います。自力で糸を求めることも出来ますし、出会うまでは、糸で結ばれても、すぐに切れることもあります。

糸は出会うところですべて切れると思った方がよさそうです。そのあとは、自分で紡いでいくもののように思います。ご縁を大事に育てていくか、放置するかは、その人の自由です。親を捨てる人、子を捨てる人、友達を大切にする人、周りの友達を自ら失っていく人、それぞれです。ご縁があっても、相手次第では、苦労をかけられる相手もいます。その縁を断ち切ることも出来ないわけではないけれど、世の掟にしたがって、苦労を続ける人もおります。

そう考えますと、『縁』は捨てることもできますし、捨てられるということは、拾うこともできそうです。それが縁でしょうか。

いつも上手く事を運ぶのが人生ではないので、悲喜交々の人生が当たり前です。そうした中で、最低限に人を傷つけずに自分の幸せを、どう確保していくかは、その人の生き方できまるでしょう。

 
幸せというのも、その人その人の生き方の中で育つもののように思います。大震災で職も家族も家も失った方が、汗を流し、防塵マスクをして瓦礫の片付け仕事をしています。「その仕事、汚いと思いませんか?」との質問に、「瓦礫は、皆さんの財産だった大切なものでした。汚いなんて思ったことありません。有難いです。この仕事がなかったら、どうなっていたでしょう。幸せになれてよかったです」と。それを見て、私は人間の素晴らしさを見たと思いました。どこにいても、人間は、幸せをつかもうとしているのです。そして掴むことができるのですね。

 

2013年8月27日火曜日

辛夷の思いで


今年の8月分の電気代が、昨年の同月にくらべて、1万2000円高くなっている。エアコンの使用がそれだけ多かったということのようだ。いや、それ以上かもしれない。というのは、今年春、室内の主な電気をLEDに変えているから、照明代は、さがっているはずなのだ。

酷暑だったのは言うまでもないのだが、暑さの原因は、もう一つあったことに気付いた。西の窓を大きく覆っていた辛夷の木の太い幹が割れて、窓全体が、景色丸見えの窓となっているのだ。老木の上、根が傷んでいる様子だったので、幹が大小二つがくっ付いていたものが、昨年春、季節外れの台風に、二つに割れて、太い方が倒れてしまったのだ。堂々たる枝を、拡げていたのだから、かなり、気温をさえぎってくれていたのだろう。よく、ゴウヤ、へちまなどを植えて、みどりのカーテンをつくることを奨励しているが、辛夷は、そんな役目をしてくれていたのだ。

辛夷は日よけだけではない。春先には、白い花をみごとに咲かせてくれたものだ。気品のある花なので、花が咲き始めると、だれかれとなく、「辛夷の花、もう咲いた?」と、電話があった。今年の春は、私も気を落としていたが、写真を撮りに来る方、俳句を作る方、花好きの方、皆さんがっかりなさったものだ。去年夏休みに帰ってきた孫も、知らせてはあったが、あわれな辛夷を見て、ひどく驚き、「あーあ、私が生まれた時から、ずっと眺めていた樹だったのに……。涙がでそう」と残念がった。遠目にも巨木と分かる辛夷の木は、我が家のシンボルだっただけに、惜しい。

そんなわけで、今年の夏も、辛夷の恩恵がなく、酷暑がもろに我が家に襲いかかったのだ。

辛夷が倒れてからは、どこにいっても、辛夷の木が目につくようになった。「やっぱりうちの木が大きかった」と、ヘンな自慢気が頭をもたげている。

花の咲く春になると、あの寂しげな白いカップの底の薄いピンク色をにじませた楚々とした花をみながら、「今年も咲いてくれたね。ありがとう。1年は早いよね。また来年も頼みますよ」と語りかけたものだ。

残された辛夷は、何時頃から親木にひっついたのか知らないが、枝を全部南側に延ばしたまま、今年は僅かだが白い花を咲かせていた。この樹が親木と同じように、根がおかしくなっていたら、あまり期待はできないのだが、今のところ、何とか倒れる気配がないので、そっと見守っている。新しい辛夷の苗木を植えるつもりはない。

2013年8月26日月曜日

夏服


急に涼しくなった。雨が二日ほど続いたせいだろうか。曇っているせいだろうか。エアコンをつけなくても、『暑い』とは感じない。車で走っても、外気は19度と出ていたから、半袖ではすずしすぎるほどだ。変化の仕方が大きすぎて年寄りにはあまりよくないのだが、こればかりは仕方がない。

真夏用の衣類を、そろそろ片付けねばと思って気が付いた。一度も袖を通さぬまま、ぶら下げたままだった夏服が殆どなのだ。

ブランドものには、まつたく興味がないし、そんな高価な服など買う身分でないので、安物が多いのだが、それでも高いと思いつつ、買ったものもあるので、なかなか捨てられない。その結果、毎年、少しずつ増えていく。まして、今年のように猛暑が続くと、涼しいもの、着ていて身にひっつかないものが着たくて、いつもの夏よりも多くの新しいものを買っている。衣料関係の繊維の研究がなされるため、夏は涼しく、冬は暖かくというものが出回るものだから、そうしたものに手が伸びる。お洒落ということよりも、暑さ寒さの対策なのだ。その証拠に暑さ寒さに関係ない中間の季節の服は、あまり増えない。毎年同じものを着飽きることなく使用している。数少ない服を見ながら、さて、今日はどれにしようか、なんて考えるのだ。()

しかし今年は、新しい涼しく、ゆったりした服ばかりに手がのびた。といっても、二の腕や襟ぐりを曝すような服ではない。反って袖が長めで、さらりとした、着心地のいいものだ。大袈裟にいうと、お金はかかっても、命には代えられないという思いである。
 
夏は数が欲しい。汗もする。外出も多い。1枚着てみると、他の服が着れなくなった。2枚目を買う。洗い替えが欲しい。3枚目を買う。ちょっとしたよそ行きもいる。それを、ほとんど着回したものだから、他の半袖の夏服は、ぶらさがったままなのだ。かなり涼しい日があれば着てもよかったのだが、そんな日は、あまりなかったし、もう身体にくっつく服は、たとえ木綿のTシャツでも着たくない。暑さだけではなく、トシのせいかもしれない。暑さに弱くなっているのだろう。

沢山の衣装持ちの方は、どれを着ようか、という楽しみがあるだろう。着物でも洋服でも、そういう楽しみがなければ、衣裳持ちにはなれない。でも少ない衣装でも、そうした楽しみはあるものだ。

『おしゃれ』が嫌いという女の人も少ないだろうが、おしゃれまで手が伸びない方もいる。時間とお金がかかると思いがちだ。
でも、おしゃれも、お金をかけずにすることはできそうだ。お洒落に関しては、あまりアドバイスということは、期待できない。正直にそれは似合わないよ、なんていってくれる人がいないからだ。
しかし、トシをとったら、やはりおしゃれ心を失うことは、いいことではないと思う。衣装にしても、孫の物を借りたような若づくりは返っておかしなものだし、そうかといって、くすんだものばかりでは、なおあたりを暗くする。難しいが、自分なりのおしゃれを考えるゆとりは、いつまでももちたいと思っている。

2013年8月25日日曜日

川柳の日


今日8月25日は、川柳の日だそすです。俳諧をもとにして始まった川柳は、創始者の(から)()川柳が、江戸時代中期に、季語などの制約をなくし、人情や風俗、世相などを機知や風刺などをきかして表現する定型詩をうちたてました。その柄井川柳が、初めて世に広めた日?にちなんで制定されたそうな。

最近は、川柳ブームらしいです。サラリーマン川柳をはじめ、いろいろなところで川柳を募集して、賞もあたえているようです。

『エコ川柳』『時事川柳』『OL川柳』『奥様川柳』など等はじめ、自治体や市町村でも、公募したりしています。何となく、俳句よりとっつきやすく、誰にでも作れそうです。ま、俳句と同様、奥は深くて、その道の達人は一字一句考えるのでしょうが、素人の我々は、気楽に作れそうです。

「孝行をしたい時には親はなし」という古川柳がありますが、「孝行をされる白寿にする喜の字」という高齢化社会の現状をよんだ句も出てきました。()

川柳がよく似合う年代は、色々な人生経験の積まれた高齢者のようです。それだけに、尻すぼみの文芸になっていく可能性もあるようです。
川柳は、作って良し、読んでよしで、他人さんの作ったものを読むのも楽しいものです。

とはいうものの、時実新子さんあたりの川柳にもなりますと、「おかしみ」の文学も、深くてちょっとのぞいても解りませんが、でも面白い。想像力がかきたてられます。俳句と区別ができないものもありますが。

 *シャワー室 肉の落ちゆく音となる

 *花びらを噛んでとてつもなく遠い

 *父もトゲ母もトゲなら泣いて薔薇

 *火を焚いて心を少し押し戻す

 *何が不安で辛夷の花を数えいし

そしてこの川柳、満月の登ってくるのを見付けたら、思い出します。
 *何だ何だと大きな月が昇りくる (^^)
 
 

2013年8月24日土曜日

カラオケ


以前、我が家にもカラオケがあった。カラオケの機械がいらなくなったから、差し上げるといって、円い大きな盤をどさっとくださったのだ。スナックで使っていたものなので、曲の数は、たくさんあり、カラオケ好きの友達が集まってきて、よく歌ったりした。でも、そのうちに、機械の調子が悪くなって、もう処分してしまった。
私は、歌うことは余りないので、カラオケがなくなっても、どうということはないのだが、歌うことの好きな友達は、がっかりしていた。

 かラオケ好きに言わせると、声を出す仕事をしている人は、長生きだという。歌手、俳優、アナウンサー、など、不摂生なわりに、長生きしているのは、声を出しているせいだという。

お腹から声を出す、ということは、私もよくやっているのだが、歌ではない。腹式呼吸で、声をだすのは、全身運動に近いと思う。たしかに健康にはいいことなのだ。

声はトシとともに衰えていくものだから、しっかりとカラオケでも、発声練習でもやるのがいいのだ。歌謡番組などで、昔の歌手が出てきて歌う場面などを見ていて思うのは、いつも歌っている人と、もう歌っていない方との声の衰え方は、歴然と差がついている。

一人暮らしをしていると、声を一言もださないで一日が暮れることがあるという。私は、「そんなときは、電話でもして、おしゃべりしたらいいのに。聞いてあげるわよ」と笑うのだが、そんな日は、私なら声を出して新聞読んだり本を読んだりするだろう。ひとりごともいい。お気に入りの名舞台のセリフをいうのもいい。
『ととさんの名は十郎兵衛、かかさんの名はお弓と申しますぅ』なんてどうでしょう。また、お風呂に入るときなどは、『ああ、年寄りにさら湯は毒というけれど、あたいは毎日さら湯の毒につかっておりまするぅ』なんて10回ぐらい言いながら入って見るのはどうかしら。()

2013年8月23日金曜日

手入れ


久しぶりにデパートで買い物をした。いつも衣料品でも化粧品でも、スーパーか、量販店で買うものだから、最近は、滅多にデパートなどには足が向かないのだ。

そこでぱったりと知人に会った。その方が「もう、病院へ就職したみたいに、毎日、どっかこっかの医者通いよ」と、おっしゃる。そして「今から歯医者よ。歯一本入れても、七万円もかかるんだもの。大変よ。これから、何本か入れなきゃならんのに。年金暮らしは預金のなしくずしだわ」と。

医者さんには、私も月1度、お掃除に通っているが、300円くらいでことすむ。今のところ、お蔭で歯を抜かなければならないような状態の歯は1本もない。
 
歯医者さんは、保険の効かない歯を入れたがる方と、保険の効く歯を勧める方がいらっしゃるようだ。ま、年金暮らしなら、1割負担で入る歯で上等だと思うのだが、薦められたら七万円の歯になるのかなあ。

前にもちょっと書いた記憶があるのだが、私は、20数年も前から、歯を磨いたあと、ポルタデント(商品名かも)という水を噴射して歯の間に溜まったカスを取り除く器具を愛用している。先日新しく買い換えた。4台目である。そんなに高価なものではない。今は通販で1万2000円ほどだ。78年使うと壊れるので買い換えてきた。
 
それを使い出してからは、あまり歯の病気にならなくなった。ま、トシガトシなので、これからはどうなるかわからないが、歯医者さんがおっしゃるには、手入れしていると、このまま、自分の歯でいけるとのこと。死ぬまで入れ歯をしないでいけるという意味なのかと思ったが、詳しくは聞かなかった。いつまで生きるか私にも先生にも分からぬことなので。()

歯だけではない。身体のどの部品も、古くなっていくのは当たり前だ。やはり、手入れということは、どの部品も大切なことだろう。
手入れも、部品によって違うだろうが、動かしていると錆びないことは、間違いなさそうだ。

2013年8月22日木曜日

汚染水



福島原発の汚染水の漏えいが続いている。

地下から汚染水が海に流出していることが明らかになったのは、先月だったが、福島第一原発は、地下からも地上からも汚染水が際限なく漏れ出しかねない危険な状態のようだ。

新聞によると、今回漏れだした汚染水、1リットル当たり8000万㏃とかなりの高濃度らしい。合計24兆㏃が流出したことになるそうだ。こんな数字を並べられても、私らには分からないのだが、とにかく東電は測定の結果、海への漏えいはないと説明したらしい。信じられるのだろうか? 

まだどこから漏れているのか分かっておらず、漏えいは続いている恐れもあるというから、怖い話である。

タンクからの漏えいは過去にも4回あったので、胴体部分の継ぎ目のゴム製のパッキンが劣化して、隙間ができて漏れたことが分かっているので、東電は継ぎ目を中心に調べることにしているようだ。

こんな話を聞くと、今、この国で一番大事な急いで対策をしなければいけない問題は、自衛隊にオスプレイを導入するだの、TTPがどうのこうの、消費税を上げるだの言ってるけど、それより先に、汚染水を何とかせにゃならんのと違うの?

東電にまかしといてええんかいな、とも思う。東電では、もう手におえん問題なら、何とか安倍さん、せなあかんのとちがいますか? 汚染水は、毎日400tずつ増えるというのに。

あんたらが、ええ目して作った原発なんですから。……と、嫌みの一つも言いたくなる。何も手を打とうとしない安倍政権に、国民は、いらいらしているというのに。

夏休み、しっかり充電したので、今後の公務をしっかりやる、とおっしゃる安倍さんの重要課題に、汚染水問題は、入っているのだろうか。



2013年8月21日水曜日

またまた卵のこと


懲りもせず、また卵の話を書きます。

T銀行から頂いた冊子の中に、「健康レシピ」ということで、こんなことが書かれてありました。

 
 卵は、毎日1個は必ず食べているという方も多いのではないでしょうか。
反面、コレステロールが気になるので、と言う方もおられることと思います。「卵=コレステロール」という印象を持つ方が多いようですが、それは間違い。安心して、一日に1~2個食べられます。

 コレステロールには、善玉と悪玉がありますが、卵黄にふくまれるレシチンヤオレイン酸は、悪玉コレステロール値を低下させ、善玉コレステロールを増やしてくれる働きがあります。

 さらに、卵は素晴らしいパワーを秘めています。卵黄には大豆の3杯のコリンが含まれています。人間の体を構成する60兆個のリン脂質に重要な成分がコリン。コリンは、脳を活性化させ、認知症予防にも効果が期待されているのです。

 他にも身体に良い成分をたくさん含む卵。購入後は、冷蔵庫に保存して、生のまま使う場合は、賞味期限内に。

 
と。これは、多分、健康レシピを書いた方が書かれたのでしょう。1~2個はいい、というところが三石理論と違って、気に入らないのですが。(笑)

TVその他で、最近は、コレステロールのことは、心配ないと、いうことがよく言われていますから、だいぶん、変わってきたのですが、まだ気になさって食べない方もいます。無理にとは言いませんが。(笑)

ついでに、書かれているレシピも、ご紹介しておきましょう。

 
    簡単 美味しい味付け卵の作り方

  ゆで卵3個

  タレ……醤油、みりん、水を各大匙2はい。

  すりおろしたにんにく 小さじ1 

  タレを鍋に入れて沸いたら火を止め、粗熱をとる。
  ビニール袋に卵とタレを入れて冷蔵庫に1日漬け込む。以上

2013年8月20日火曜日

ブログのこと


ほとんど毎日のようにブログを書いていると、思い付きで書いたり、その時の心情に任せて書いたりするので、全体からみると、辻褄の合わないことがあるかもしれません。以前は赤と言っていたのに、今日は黒と言ってみたり、ボケたくないと言っていたのに、ボケてもいいじゃないか、と言ってみたりするのですが、両方とも、その時の思いなのです。
でもそれは、それで、矛盾のようですが、どちらも本心ということですから、仕方がありません。

書いている私が高齢者なので、年寄り事が多くなるのも、致し方ないし、同じような内容を書くのも、お許しいただきたい。書いたことを全部憶えていないので、そういうことになるのですが、私が忘れても、読んでくださる方は、「前に同じこと書いたじゃないの」と、いうことがあると思います。思い出など書くときなど、特にです。
ま、本人が忘れているくらいなので、皆さんも忘れていてくださればありがたいのですが……。(笑)

 

大抵の場合、寝る前に書き始めることが多いのですが、何を書こうかと、考える時間は長いですが、いざ書き出しますと、割合に集中出来て、早く仕上がります。でも、読み返す時間が余りないので、誤字脱字がかなりあると思います。(読み返しても見付けにくいものです)ひどいのは息子などから翌日メールで知らせがありますから、直したりしますが、これもしかたがありません。

毎日読んでくださっている友人が、こんなことを言います。「毎日よく続くなあ。でも、長続きしたいなら、無理せずに、その日にしたことでも、日記のように書くだけでいいわよ。ああ、古女さん、今日も元気だと思うから」と言ってくれました。

私も、「そうだよね。あんまり深く考えなくてもいいよね」と。気楽に書いたらいいんだと思っています。事実、気楽に書いています。だから、つまらないことが多いです。それでも、ありがたいことに、毎日読んでくださっている方がおりますから、ほんとに感謝です。

今日火曜日の夜は、劇塾の日です。大きな声を出して発声練習もしましたから、気分はいいですが、まだ眠くはありません。

でも、寝ながら本を読むと、すぐ眠たくなることと思いますので、もう寝ます。お休みなさい。(^^

2013年8月19日月曜日

球児たちの夢


今日も高温注意情報が出ました。熱中症にならないように、とのこと。それでも朝晩は、少しばかり涼しいと思えるようになり、ちょっぴり過ごし易くなってきたようです。

あまり動かずに、椅子に座っての仕事ばかりしていましたので、夕食後、治療院まで歩いて行き、腰や手の指の治療をしていただいて、往復20分は歩いてきました。(^^)

夜道を健康のために歩いている人はかなり多く、顔が見えないのですが、皆さん、どちらからともなく「こんばんは」と、声をかけます。何となく仲間意識なんでしょうか。「暑いですね」とか「ちょっと涼しくなりましたね」などと言ってすれ違うこともあります。

 
さて、高校野球は、徳島県代表の鳴門高校は、惜しくも敗れ、4強には入ることができませんでしたが、よく頑張ってくれました。有難うの気持ちです。近ければ、ちょっぴりでも寄付したい気持ちでしたが、卒業生でないため、言うてくれませんでした。()

野球の好きな少年は、いったいどれくらいいるのかと、思います。休日、小学校の運動場には、野球少年と、その子らを載せてきた父兄の自動車が、かなりならんでいます。「孫が野球してるので、親は休みの日がない」と言っていたお年寄りがいましたが、親も大変らしいです。

中には、将来は野球選手になってくれと、子のお尻を叩いている親もいるやもしれません。子ども達は、自分の力がどれほどのものかは知りませんし、夢は大きいほどよい、なんて聞かされていますから、イチロー選手のようになりたい子ばかりでしょう。

もう何年前になりますか、上の孫の同級生が、飛びぬけて野球の巧い子がいました。その子は、小学低学年から野球をはじめ、中学からは、特別の指導を受けていたようです。県の中学生チームに入っていたようです。

高校は、県外の野球で有名な高校に入りました。県内にいたのでは、甲子園に行けない可能性が大きいからでしょう。

その子は、3年生の時だったと思いますが、甲子園で優勝しました。投手でした。大学に進んで、今は、大手の会社に、野球メンバーとして就職して活躍しているようです。

小さいときから、特別の指導をうけて、甲子園でも優勝し、プロ野球には入っていませんが、大手の会社での野球人生。
こうした人生も、ただ好きというだけでは、なかなか野球で生きていくのは難しいものです。

よく、【夢は必ず実現する】などといいますが、そんなあまいものではないようです。

猛暑の中、がんばっている球児たちの夢、叶えられるといいのですが……。

2013年8月18日日曜日

パソコンの不思議


不思議なことに、作文(原稿用紙12枚分)が、今しがた消えてなくなってしまった。昨日、3枚ほど書いたものを、読み返して訂正し、続きをかいて、12枚に仕上げたものだ。

この作文、藍住文芸第8号の原稿だ。皆さんには、7月末締め切りということになっていて、ほとんどの方は、もう私宅(事務局)に届いているのだが、今だに揃わない。お盆がすむまで待ちますということで、20日をめどに届けてくれるように、お願いしてある。

それらをそれぞれの編集委員が、集まって、誤字脱字、ページのオーバーなどを訂正して、印刷に回す。私は自分のエッセーは、大抵、お盆がすんでから書き始める。それまでは、届いたものを見せてもらっている。随筆、エッセーは、俳句や短歌より、時間がかかるので、こつこつとはじめておかねば、ならないからだ。

やっと、自分の作文が何とか仕上がり、さっき上書き保存に入れたのだが、ちょっと気になることがあって、再び(すぐに)開いたのに、元の昨日のままの3枚分しかでてこないのだ。

たまにではあるが、こんなことが、今までに何度かあった。どこにとんでしまったのか、いろいろなところを開いてみたが、それらしいものは、見当たらない。

何時間かかけて書いたものが、なくなったのだから、むだな時間を費やしたことになる。

自分が書いたものだから、もう一度書いたらいいじゃないかと言われそうだが、同じように書くことは難しい。特に、集中して頭をひねりながら?書いたものは、同じには書けない。きっちりと12枚に収めるために、削ったり、入れたりと、その苦労もある。

どこかに間違っていれてないかと、1時間近く、調べていたのだが、もう諦めてブログにとりかかった次第。

笑われるかもしれないが、こんなときは、1万円札をトイレに落として流してしまったような気分になる。

だから、もう、何を書く気にもならないので、こんな愚痴を書き散らしている。あーー、悔しい。

2013年8月17日土曜日

つれづれなるままに


20年も前は、お盆を区切りに秋風が吹いて、朝晩は涼しかった。でも、今年は、まだ酷暑が続きそうだ。地球の温暖化は、こうした異状とも思える暑さにもあらわれているのだろうか。

それにしても、高校野球の選手たちは、暑くても大活躍だ。鳴門は、63年ぶりに、ベスト8入り。大差をつけて相手校の常葉学園菊川に大勝した。よく頑張っている。今日は、はらはらすることもなく、見せて貰った。ありがとう。(^^)

一日5.000歩程度は、歩こうと思っても、なかなか出来ない私なので、この暑さのなかで仕事している道路工事の方や、屋根屋さんなど、立派なものだと尊敬する。

いくら卵食べても、暑さには勝てないようだ。()

今、目の前に有る雑誌には、「目ざせ1日8.000歩!と書いてある。10年以上も継続して大量のデーターを採取したある研究所は、「少し負荷の高い、中くらいの強度の運動を、1日20分継続することが、シニアの健康維持には最適」と書いてある。

私が炊事場などで、ちょろちょろと動いて4000歩になっても、中程度の運動は0だ。やはり、外に出て、20分は、歩くのがいいのだ。8000歩は無理でも、せめて5000歩は歩くという習慣を取り戻さねばなるまい。
今年あたりから、急に、歩くことが少なくなってきたのだ。以前は、よく散歩にでていた。夏も、早朝に歩いたものだ。あまり、「熱中症・熱中症」とさわぐので、つい、散歩も億劫になる。

おいおい、ヒトのせいなんかにするな! トシのせいなんだから。

と、誰かが言っている。(^^;;

2013年8月16日金曜日

粟と栗


通販で、ある器具を購入したときに、オマケに、100gほどの穀物(お米にいれて、いっしょに炊く)の袋を頂きました。

吉備(きび)(ひえ)(あわ)、など、13種類の雑穀です。

袋の裏に書かれたそれを読みながら、ふと、思うことがありました。

寺田寅彦の随筆「柿の種」の最後に載せた句に、次のような句があります。

  粟一粒秋三界を蔵しけり

一粒の粟(粟という字に、あわとルビがうたれています)の中に、この世のすべてがつまっている、と言う意味らしいのですが、寺田寅彦全集が作られた時に、この句、粟が栗になったそうです。

原因はよくは分からないそうですが、単なる間違いか、あるいは、選者の添削か……。

というのは、俳句をしている方は、よくご存じと思いますが、(私も、ある時期、俳句を教えていただきました)句会などで、ちょっとした字を直されたりしても、そのまま、作者の句として通します。それは、はじめは不服でしたが、それが、昔からの伝統で、つまりは、俳句は、作者や読む人らの共同の作品ということが分かってきます。

ちなみに、俳句に詳しい方の話では、粟では、平凡すぎるのだそうです。粟ではこの句は、それほど有名にはならなかっただろうと。

そして今や、最近の歳時記には、【栗】の項には、大抵この句が載っているそうです。私の持っている歳時記の何冊かの中にはありませんが……。

寅彦殿も多分「いい句になりました。ありがとう」と、おっしゃっていることでしょう。

2013年8月15日木曜日

終戦の思い出


 
このブログが、500回目を迎えた。記念すべき日に、記念すべき日のことを書くことになった。
今、68年という歳月を巻返しながら、やはりかなりなものだと、あらためて感じ入っている。
もし、「今までの人生の中から10の思い出を」といわれたら、私は間違いなく終戦の日を入れるだろう。私にとって終戦は、強烈なショックだった。
 
しかし、いざライトを当ててみると、具体的なことは、かなりの部分が剥げ落ちており、はっきりとしないのだ。
だが、何とも名状しがたい感慨が心中渦巻いていて、私の中の貴重な思い出であることには変わりない。
 
その時私は女学校三年生。8月15日といえば当然夏休みのはずだが、そんな悠長なものは返上して、山へ行って原木を担いで持って帰ったり、(炭を焼くため)松根掘りや芋畑と化した運動場で、唐鍬をふるう毎日だったように記憶している。たしかその日は、「重大放送を家で聞くように」と、早ばやと帰された。
 
家に着くと、緊張した耳に、ガーガーというラジオの雑音が入ってきたた。古ぼけたそのラジオの前には、家族以外にも、二、三人はいたような気がするのだが確かではない。暑い盛りの日中のはずであるが、汗を流していたのか、団扇など手にしていたのか、はたまた暑さなど感じるゆとりなどなかったのか、こういうことはまったく思い出せない。
 
内容がよく聞き取れない放送を聞き終わり、みんな、「戦争が終わった、死なずにすんだんだ……」心中そう思っていたのはたしかなのだが、誰一人喜びを表すことはしなかった。いや、かなりの時間、大人たちは泣いていたような記憶がある。みんな、大声では泣かなかったが、鼻がやたらにぐすぐすと音をたてていた。
 
今日までの、多くの兵隊さんたちの死は、犬死じゃないか!
我々も、何のために鍋釜まで出して頑張ったのか!という悔しさが、みんなの頭の中で渦巻いていたのだろう。
 
今でこそ、侵略戦争とかいって、当時の指導者たちを責めているが、そのころは、世界のために悪者を征伐している、と思い込んでいたから、鬼畜生の米英に、国を取られ、奴隷になってしまう‥‥という脅えもあったと思う。
 
眠れないほどの空腹を抱えながら、いつ敵機にやられるか、という恐怖や苛立ちも口には出さず頑張っていたのだから、放送ごときもので裏返るのは、後ろめたかったのかもしれない。無理をして自分に「悔しくないか」と言聞かせていたふしもあるのではないだろうか……。
 
私も涙がわいて止まらなかった。思えば小学一年生のときに支那事変勃発、物心ついてからは戦争戦争である。「最後の一人になるまで戦う」ことを、信じて疑わなかった筋金入りの「軍国少女」であるから、眼の底が洪水になるのも無理ないことである。
 
今から思うと、十五才にも満たない子どもが、「討ちてし止まむ勝つまでは」などと口走り、お国のために死ぬ覚悟が出来ていたというのだから、恐いといえばこんな恐いことはあるまい。教育次第では、骨の髄まで変えられる、ということかもしれない。
 
私の忘れ得ぬ終戦記念日も、このように、「泣いた」ことぐらいしか思い出すことは出来ないのだが、ひと月もたつと、自分たちにも、平和と自由があたえられたことを、じんわりと感じはじめたのを覚えている。
それまでは外来語のようでもあり、惨めったらしくもありで、使えなかった「敗戦」ということばにも馴染めだした。
 
戦後の衣食住の苦労は、今から思うと、戦中よりひどいものだったけれど、平和という安心のチケットを握っていたためか、気持ちの中はカラッとしたものがあった。
 
今、日本は、右へ右へと、ハンドルを切っている。そのうちに、日本は軍隊が出来、いやおうなく、戦場に駆り出されるかもしれないのだ。たとえ、日本が主役でなくても、手を組んでいるアメリカが戦っていたら、共に助け合うということで、出陣の可能性は、大いにあるのだ。いくら、憲法があっても、憲法の解釈をゆるめて、集団的自衛権行使の容認に向かって突っ走る安倍さんは、戦争体験はない。戦争の本当の怖さを知らないらしい。怖い怖いおじさんだ。……と、私は思う。
 

2013年8月14日水曜日

年金


年金で、その月暮らしをしていると、「ああ、8月15日の明日は年金の入ってくる日か」と、何となくほっとして、家計簿を丁寧に見たりしてみる。

私の家計簿は、大まかなものなので、こさいは分からないのだが、収支決算は分かる。特別な出費がなければ、何とかやりくりが出来ている。いや、できなければ困る。年金だけが命綱なのだから。

日本の高齢者は、一般的に派手好きではない。質素な暮らしを心掛けている。その証拠とも言えるのが、日本の年金支給額の半分近くは、使われていないという。貯金されているのだ。そんなはずはないと思うのだが、考えてみると、年金だけが頼りの者は、貯金に半分なんてとんでもない話だが、国民年金の方たちは、他の収入がある人が多い。農家だったり、主婦で夫が務め人だったりパートに行っていたりすると、「老後のために」と、貯金に回すことも可能だろう。

前にも書いたことがあるが、かの金さん銀さんが、TVに出たりして有名人になったとき、あるキャスターが、「出演料は、何に使いますか」と質問すると、「老後のために、貯金します」と答えられたのが、冗談半分にしても、貯金したに違いない。

お国のためには、しっかり散財することがいいと分かっていても、長年の習性か、高級な洋服も、よう買わず、旅行にいくときは、なるべく安いツアーで、というような暮らしが身についているのが高齢者だ。

でも、考えてみると、【風が吹いたら桶屋が儲かる】ではないが、年寄りが自分のためだけではなく、家族のためにも、散財すれば、景気回復にも役立つことになるのだから、せいぜい頂いた年金は、お返しするつもりで、使うことがいいと私は思うのだがどうだろうか。

こんなことを書くと、「お金は持っていないと困るときがくる」と言われそうだ。何を頼むにもお金がいるのだと。国は頼りにならないとも言う。

そこなのだ。思うに、国がやることやってくれたら、安心して使えるということなのだ。

安倍さん、そうじゃないですか?

 

2013年8月13日火曜日

さつま芋


新芋が出始めた。鳴門金時という徳島県のブランド品である。鳴鳴門金時に因んだ「鳴門金時」というお饅頭やお菓子もある。さつま芋の産地は、いろいろあるが、鳴門金時はけっこう名が通っている。

さつま芋と聞いただけで、イヤな思い出につながる人もいて、「イモは、たべたくない」と言う人もいる。それは、戦時中の食糧難時代、ご飯の代わりに芋を食べさせられた、というのだ。

終戦の2年位前から、いよいよ食糧難になり、土地の空いたところには、カボチャや、さつま芋を作って【代用食】としたのだ。それは、今の家庭菜園のようなものではなく、趣味だの楽しみなどといったものとは程遠いものだった。何しろ、配給されるものだけの生活では、栄養失調になったり、病気になったりして、死んでしまうという、時代だった。

土地のない人たちは、法を破って闇で食糧を手に入れなければ生きていけないのだから、命がけなのだ。

当時の代用食のさつま芋は、今のように、品質改良された美味しい芋ではなかったから、思い出の芋を連想して、食べないというのは、ちょっとおかしいのだが、分からぬでもない。

 
私にも、さつま芋には苦い思い出がある。

北海道の帯広高女から、美馬女学校(今の穴吹高校)に転校したときのこと。丁度夏休みが終わり、2学期が始まったときだ。

運動場は耕されてさつま芋が植えられていた。当時は、「農業」という時間があって、生徒は、1平方メートルの土地をあてがわれ、それを耕してさつま芋を植えてあった。
転校生の私は、もう空き地がなかったので、一番隅っこの石ころだらけの土地をあてがわれて、芋苗を植えさせられた。
他の生徒は、もう蔓が青々と茂っている。いくらなんでも遅すぎるのだが、仕方ない。
 
そして収穫の日、自分の芋を抱えて先生のところに持って行き、目方を計る。私は、親指の細長いような芋を両手に握って秤の上に載せた。恥ずかしかったがしかたがない。先生は、何もおっしゃらなかった。いつも、にこにこしている、どこかお百姓さんのような先生だった。ホッ。でも、そのあとがいけない。

何と、2学期、始めての通信簿を見て驚いた。通信簿の点は、農業=可と付いていたのだ。優・良・可の可だ。何の情状酌量もない判決だ。どの教科でも、可などいただいたことがなかったものだから、通知表を見て涙がでてきた。

今でも、にこにこしていた農業の先生が、目に浮かぶ。(笑)

2013年8月12日月曜日

お盆


庭で火を焚いて、ご先祖様をお迎えした。こうした行事は、私がここに嫁いできて以来、毎年行っている行事だ。いくら私が、死後の世界はないと思っていても、万が一あったら大変だ。心をこぬて、お迎えしている。

ほとんどの町村では、今日から盆踊りがはじまっている。都会の大学に行っている子などは、帰省のおり、阿波踊り見物の友達などを引き連れてくる子もおり、女どもは、忙しいお盆になる。

先日、友人のお連れ合いさんの初盆ということでお参りさせていただいた。ご家族は、懐かしさや悲しさもひとしおである。日頃の好物などを備えて、生きているかのように、写真に語りかけている。

私の夫が亡くなったのは、平成7年であるから、もう18年も月日がたっている。夫の次に逝くべき私が、まだこの世にいるので、一番若い仏様は夫なので、仏壇の前の写真は夫である。18年前の顔をして、語りかけてくる。多分、「お前、その顔、どなんぞせえや」と言ってるのだろう。(笑)夫はよく、私のなりふり構わぬ頭をみて、「お前、その頭、どなんぞせえや」と、言ったものだ。

昔のパーマは、今と違って、ちりちりになつたり、ぱさぱさになったりして、ぱーっと広がってしまう。いちいち美容院へセットに行くわけにもいかず、美容院にあるような、頭からかぶさってくるような、セットの機械を買って、洗髪後は、髪をロットで巻いて、その機器の下にすわって自分でセットをしたものだ。懐かしい。

今年も、もう踊り見物には行かない。ケーブルTVで放送してくれるのを見るだけだ。それで十分楽しめる。

でも、元気な人たちは、どんどん町にくりだして、見たり踊ったりしてほしいと思う。実に楽しい。……と、大いに宣伝もしておきましょう。(^^)

2013年8月11日日曜日

暑いよう!


外は、体温に近い気温だ。外に出ていく用事が幾つかあったので、車に乗ったが、車の中は、炒りつくような暑さだ。いくらエアコンを強くしても、応えない。用事は1つだけすませて、早々に家に引きこもってしまった。

引きこもったものの、差し迫って書かなければならないものがあるのだが、出来そうにない。頭の中が、そんな状態ではない。

TVを観ていても、すぐに居眠りをしてしまう。首が痛くなって目が覚める。

こんなときは、部屋の模様替えをするか、片付けをするに限る。模様替えは暑い。とりあえず、片付けることにする。机の中、箪笥の中、食器戸棚の中、何でもいい。エアコンの冷気が当たる場所といえば、本棚か。まず、もう捨てていい本を選びだす。手にした本が、ちょっと面白そうとなると、片付けは忘れて読み出すが、それはあまり長くは続かない。20冊ほどを選び出して紐でくくってゴミの日(本類)に出せるようにしておく。これで何度めかの廃棄処分だが、まだまだ整理したいものが残っている。

私は小説類は、殆ど買って読むことはない。どちらかというと、随筆や、ちょっと硬い読みものが多い。それもかなり偏っている。本にアンダーラインを引きながら読むこともあるので、図書館の本ではそれができないので、買って読む。

但し、間違っても読書家とは言えない。もっと読まなければと思いつつ、読めない齢になってしまった。目が疲れるし、第一小さな字の本は、読めない。分厚い重たい本もダメ。

 
最近は、【老】や【死】【健康】の字がついてる本が目立って多い。(笑)何しろ、世界に類の無い早さで高齢化の進んでいるこの国の一員として、命の尊厳を失わずに最後まで生きることは、大変なことらしいので、せめて自分なりの出来ることは、何かと、いうことである。

こんなことを言うと、まるで老人のお手本のように聞こえるが、読んで身につくものばかりなら世話ない。読んでも聞いても、右から左へと抜けてしまうことがほとんどだ。ま、気休めということである。