2012年6月30日土曜日

指輪あれこれ その1


格別手のきれいな方がいる。手だけ、映画やコマーシャルに出演させるという仕事もあるらしい。そういう方は、手がお金儲けをしてくれるので、手入れをなさっていて、水仕事だけではなく、夜も手袋をはいて寝るなど、気をつけているらしい。


私は、若い時から、格別手が荒れていたり、年寄りのように皺だらけだったものだから、それなりのクリームをつけたりしてきたのだが、一向に綺麗にはならなかった。

美しくない手に、綺麗な指輪をしても、かえって醜い手が目立つだけとと思ったので、指輪は私にはタブーだった。

それに、指輪だけは、思い思われるお人に戴いたものでなければつまらない、と思い込んでいたものだから、自分で指輪を買ったことは一度もなかった。

幸か不幸か、このトシまで、指輪を戴けるような関係の男性は、夫のみだったし、その夫からは、婚約した時も、結婚したときも、指輪は戴いていないのだ。戦後のどさくさ時代はもう過ぎてはいたものの、安い月給しかいただけなかった時代だったし、そんなことはどうでもいい時代でもあったのだ。

それでも、結婚したとなると、まったく欲しくなかったわけではない。安物でいいから、記念に一つ……と思ったこともあるのだが、自分から言い出すほどのことでもなかった。


子どもが生まれて間もない頃だったろうか。夫が出雲へ出張した事がある。

「出雲」と聞いた時、ひょいと、「あそこはメノウの産地ね」と口が滑った。が、別に他意があったわけではない。

しかし、このつぶやきが効いたのだろうか。夫は、珍しく小さな箱に入った指輪を土産に手渡してくれた。


中身は間違いなくメノウの指輪だった。ただ、箱はボール紙なので、高価なものではないのは一目瞭然。出店の先に並んでいたものを手にとって買ったのだろう。それでも私は、にんまりとして押し戴いた。

しかし、どう間違ったのか、私の親指に入れてもくるくる回るほどの大寸である。まさか、自分の指に合わせて買ったわけでもなかろうが、何とも可笑しくて笑いをこらえるのに困ってしまった。どう見ても、メッキものなので、寸を詰めることも出来そうになく、そっと鏡台の引き出しの奥深く仕舞った。


それからしばらくして、夫は当時まだ外国だった沖縄に出張した。メノウが役立たずに終ったことが、気にかかっていたのかもしれない。今度は本物の金の指輪を土産に買ってきてくれた。入れ物からして、メノウとは格段の違いがあった。



……うまくいかぬものだ。金の指輪は、くすり指の節の手前までしか入らない。

「寸は直せるだろう」夫は落ち着いてそう言ってくれた。売り手にそう言われたにちがいない。

一旦は箪笥の小引き出しに収めたものの、何となく夫に悪いような気分で落ち着けない。(ようし、少しムリしてでも入れてみよう)と思った。

再び指輪を取り出した私は、くすり指に、石鹸を塗り、力まかせに押し込んだ。


指輪は、やっと節の真上まで入れることが出来た。でも、それからは、後へも先へも動かなくなってしまったのだ。オマケに、指が紫色にふくれてきたから大変だ。慌てて夫の鼻先に指を突き出して助けを求めたところ、「バカッ!指が落ちてしまうでないかっ」と怒鳴るがはやいか、そばにころがっていた先の尖ったペンチのようなものを拾い上げ、有無を言わさず指の間に突き入れて、指輪を切り落としてしまった。


……やっと傷と痛みの癒えた指に、寸を大きくした指輪がおさまったのは、ひと月もたった後だった。

こんな因縁いわく付きの指輪だが、二年後には、風呂場でちょっと外したすきに、水に流してしまった。


続きがありますが、またの機会に……。只今から、泊りがけの同窓会に出ます。帰ってきても、すぐに出かける会があって、忙しいので、明日はお休みさせていただきます。

2012年6月29日金曜日

トシをとってくると……


自分を見ても周囲を見ていても、よく分かる事は、トシを寄せてくると、かなり、自己中心的になってくるものです。しかも、個性が強くなる。ケチな人は、益々ケチになる。()
頑固モノは、益々頑固になってくる。おしゃべりも、お人よしも、しかりです。そして喜怒哀楽といった人間的な感情が、かなり鈍くなってくるように思います。


ただ、人間は常に自分の姿を鏡に映しながら生きていますから、いつも自分を理想の自分に近づけようとしながら生きていかねばと思っています。

こういう生き方をしておりますと、だんだんと、ステキな老人になれるように思うからです。といっても、現実はそうそう巧くはいきませんけれど……。


ある時期から、一日一日、荷物が重くなると感じますが、老いていくこと自体が、美、健康、記憶力といったものが、後退し、痴呆を恐れつつ、死に近づいていくことですから、そうした現実を、いかに受け入れ、いかにカバーして行くか、ということになるのです。

例えば、火を消し忘れて、火災にでもなったら、大変です。鍵をかけ忘れて空き巣に入られでもしたら、多くの方に迷惑をかけてしまいます。老いには、責任も重くかぶさってくるのです。


ま、こういうことが、現実の『老い』です。若い方たちには、多分、まだ本当の意味での荷物を担ぐご自分は、分かりかねるでしょうね。
だんだんと、感じ取る以外には、手段はありません。


でも、決して、暗いトンネルばかりが老後ではありません。よくしたもので、老人になれば、それなりの安らぎや、幸せ感もあります。むろん、心次第ではありますが。過去ばかりを振り返っていては、ダメです。


『今が最高に幸せ』ということばを、あと、何年も先がない老人が口にします。現状に満足しています。
そういう方は、ある程度、苦労の人生をおくってきた過去もあります。

考え方にもよりますが、「苦労は買ってでもせよ」という教えは、老人になって、そのありがたみが味わえるのかもしれませんね。


2012年6月28日木曜日

ホームステイ


今年大学生になった孫が、この夏休みに、一ヶ月間、イギリスにホームステイに行くらしい。大学の学校行事として、希望者を連れて行ってくれるらしいので、総て学校まかせ。家族としては、大船に乗った気持ちで、本人が行きたいのならと許可したようだ。百聞は一見にしかず。特に英語の勉強には、いい機会だろう。それでもまだ子ども。今から、途中で帰りたいなどと電話があるのではないかと婆は心配してしまう。


ホームステイといえば、思い出す。

何十年も前の話だが、アメリカの青年クリス君を、一ヵ月余りホームステイしたことがある。彼は高校は卒業した成年だった。

私はまつたく英語がダメなので、夫がそうするといったときも、気がすすまなかったのだが、夫は、英語の勉強ができると、乗り気だった。

いざ、本人が来てみると、私以外の家族は、大いに英語を学んだ様子だった。私も、英語は関係なかったが、色々と面白いことがあって、決して悪いことではなかったと思っている。


夫の英語力もたいしたことがなく、隣に住む息子夫婦に何かと助けられたのだが、こんなこともあった。


たしか私の誕生日の前日だったと思う。夕方、外出先から帰ってきたクリスを捉まえて、夫がおぼつかない英語で何やら話し込んでいたが、私に向かって、
「おい、クリスのヤツ、どうもおまえの誕生日のプレゼントに、花屋から花を贈ってくれるらしいぞ」
といってくれるではないか。私はすっかり恐れ入って、
「へえーっ。さすがアメリカ人だわねえ。なんとお礼を言ったらいいのかしら。サンキューサンキューだけしか言えないわ」
と、恵比寿顔で困っていた。

しかし、心配には及ばなかった。花は、誕生日が過ぎても届きはしなかった。その代わり花屋から、クリス宛ての花の請求書が送られてきた。
みると、アメリカに花を贈った代金である。彼は、自分の彼女のバースデーに代金を後払いにして花を贈った、というわけである。

ま、夫の英語力は、この程度のようだ。

話はまたそれるが、アメリカの男と日本の男、どうしてこうも違うのであろうか。夫には大変申し訳ないのだが、私と夫のその日の朝の会話である。

「明日は私の○回目の誕生日やわぁ……」

「ふーん」(とだけ言って、朝刊より目を離さなかった)

「……」

我が家の味もそっけもない会話である。心を抜きにしてみると、ガキと紳士ほどの違いである。多分クリスは、結婚しても、いや八十歳が来ても彼女に花を贈ることだろう。それはもう、男性の最低の義務と心得ていたようだ。(花を贈ったからといって、二人はうまくいっているとは限らないのだが……)

そんなクリスに感心はしても、決して見習おうとはしなかった夫だが、これは日本の昭和一桁生まれの男の標本であり、我が家の男だけが特別ではない。女の方だって、もうそんなことには慣らされているから、期待などしていなかった。


妻の誕生日に、花の一輪も贈ったことのないままに、あの世に逝ってしまった夫だが、はたして今頃は後悔しているだろうか。いやいや、後悔どころか、前世より、もっといい女はおらぬかと、探していることだろう。

(ふふふっ。お性根を先に直さなんだら、そうそう簡単にはいい女など寄ってきてはくれまへんよ。この頃の若い人、みーーんな、釣ったサカナにも、花か団子か知りまへんがプレゼントしてますんよ)



2012年6月27日水曜日

民主主義のルール


昨日一日は、TVを見ることも出来ず、消費増税問題も気になりつつも、夜中にネットで見た次第。思った通りの結果だった。


「壊しの小沢」などと、今更のように新聞が書いているが、国会という場所で、民主主義のルールが守られないということが、まかり通るこの不思議。


多数決というのは、良きにつけ悪しきにつけ、これを無視しては、民主主義は成り立たない。


むろん、増税反対の意見があっても当然のこと。それぞれの考えで、選挙のことを優先したい方、国情を優先する方、この違いはあって当然である。


しかし、同じグループの中にあって、個人の意見が、違うからといって、自分の言い分をごり押しするのは、ガキでもしない。しかも、増税には反対ではない、といいながら、その前にやることがある、だの、国民の皆さんとの約束が違うだのと野党の屁理屈としか思えないようなことを言う。



山を登っていると、その状況によっては、コースを変更しなければならないことがあるだろう。「変更は、約束違いだ」「山登りを応援してくれる人に顔が立たない」などといっているのと同じである。そんなこと言っていられない状況というものを彼等は認識できていないとしか言いようがない。


しかも、明日から増税と言っているわけではないのだ。これから、いろいろと、不備を調整していくと言っているのだ。


とにかく、一日も早くお尻に火のついているこの現状を、まずは火を消さねば、大やけどしてしまうと言うことなのだ。


増税反対の声は高い。まだまだ自分の生活と国の状況とを、重ねることをしない人はたくさんいる。


消費税増税を先延ばしにしてきた今、そのツケがこうした状況を招いた理由の一つであることを、あまり知らされていないので、消費税と口にしたら落選の図式がまかり通る。


ルールを破って反対を唱えた方たちに聞きたい。いつなら納得されるのかと。することがある、というその「すること」は、いつやり終えるのかと。いつまでたっても、借金ばかり増えて、社会保障も不安のまま、私たちは暮らしていくのですかと。


市民全てが反対しているわけではない。貧しい生活をしている人たちだって、この国難を乗り切るためには、私たちも、歯をくいしばって共に頑張らなしゃあない、と思っている人、たくさんいる。

私もそんな中の一人である。孫や子が、将来大変な負担を背負うくらいなら、今から私等のこしらえてきた借金は、少しでも減らしておかねばと思う。


ああ、私としたことが、ハシタナイことも申上げました。お堪えください。m(_ _)m


2012年6月26日火曜日

倒れた辛夷


先日の台風で、老齢の辛夷の樹が割れて、太い幹の方が倒れてしまったことを、ちらとコメントのお返事に書きましたが、毎年、綺麗な花を咲かせてくれていた大樹だけに、残念でなりません。
ですがこればかりは致し方ありません。倒れるのは当然か、と思うほど、幹の下の部分が痛んでいました。

それでも、立っていたときは、手で叩いても押しても、びくともしなかっただけに、台風の威力を思い知らされました。


その倒れた幹や枝葉を、何とかしなければと、ご近所のNさんにご相談したところ、次の日、私の留守の間に、ご夫婦で運びやすいような大きさに切って、軒に積み上げてくださっていました。

「軽トラックがないので、わしは運ぶことは出来んけど、通りかかったYさんが、天気になったら運んでくれるって言うとったでよ。Yさんが独りで無理やったら、いつでも手伝うから、言うてつかいよ」とおっしゃる。

そして雨が上がった昨日、Yさんが、軽トラで、3回もゴミ焼場に運んでくださり、すっかり綺麗に片づきました。


NさんもYさんも、「お金出して業者に頼むことない。これくらいのこと、直ぐ出来るからしてあげる」とおっしゃって、快くしてくださったのです。業者にお願いすれば、何日も待たされて高いお金を支払はねばならないのですが、おかげで助かりました。気持ちだけのお礼でもと思っても、受け取ってはくださいません。

それにしても、何と頼もしいお方が私の近くにはいらっしゃることか。
「いつでも用事があったら言うてよ。遊んどる身やから」と、お二人はおっしゃるけど、世の中、遊んでいるお方は、たくさんいますが、そうそうお願い出来るものではありません。ご近所の有難さをつくづくと感じた一日でした。


私自身は助けて頂く側なので、偉そうなことは言えませんが、こうした助け合う気持ちというのは、これからは、とても大事なことと思われます。大震災の時もそうでしたが、助け合うことで、どれだけの方々が生きる希望を持たれたことでしょうか。


私という一本の老木も、支えてくれる家族や親切な皆さんの気持ちにタッチしながら、これからも、生きて行くことが出来る幸せを、噛みしめています。

2012年6月25日月曜日

映画「エンディングノート


昨日、ちょっと変わった映画を観てきました。


主人公砂田知昭は、高度成長期を熱血営業マンとして駆け抜け、退職して2年後に、毎年欠かさず受けている検診で、すでに手術不可能の肝臓癌を告知されます。

死の宣告を受けたにもかかわらず、残された時間をユーモアと活力を最後まで失わず、前向きに生きようとするその姿と、それを暖かく見守る家族の様子を、娘である砂田麻美が、感動のエンターテインメント・ドキュメンタリー映画に仕上げたものです。ですから、この映画を創ったのは、娘であり、娘の撮り続けた膨大な家族の記録であり、娘の第一回監督作品でもあります。


【死】を目の前にして、この映画の主人公が取り組んだものは、自分の人生をきちんとデッサンしておかないと、残された家族は困るはず、ということで、死にいたるまでの段取りを成し遂げました。人生最後の最後までを自分の目や足で確かめながら、素晴らしいを迎えるのです。


死は、だれもが迎えなければならない人生最大の山でありますが、ここまで家族の生と死という重々しいテーマを、哀愁とユーモアを交えながら、軽快なタッチで、描きだしたのは、何とも言えない感動でした。

この監督は、幼いときから、カメラを持ち、色々な物を撮り、大学卒業後は、映画監督助手として、映画の製作にたずさわってきたとのことですが、流石はプロ。もし、父の死という現実に、カメラを捨てて親に抱きついたなら、こうした感動を私たちに与えてはいただけなかったはず。心を鬼にしても、撮り続けた根性は見上げたものです。

また、親として、自分の最後を娘のために、世のために、「よきにせよ」とばかりに撮り続けさせたこの親心にも感動しました。

そして私たちの避けては通れない死というものの重さを、ぐっと身近にそして軽くしていただいたような、大きなお土産をいただいて帰ってきました。


【エンディングノート】は、遺書のようなものですが、法的な効力は持たないそうで、家族への覚書のようなものです。彼は、ことこまかに、お葬式の当日のことはもちろん、死を知らせなければいけない親族の名、墓、仏教の家ではあるが、近くの教会で葬儀を行うこと、また、最後には、洗礼を受けることなど、何の落ちもない準備をし、可愛い孫や医師、年老いた自分の母にも感謝のことばを、妻には、「愛してるよ」と、宝石のようなことばを残して69年の一生を終え旅立ちます。


私も見習いたいことばかりですが、自信はありません。せめて、近いうちに書いておきたいと思っていた『エンディングノート』だけは書いておかねばと思っております。


2012年6月24日日曜日

インディアンの教え


シンディさんと言う方に教えていただいたことばです。深く頷くことばなので、ここに載せさせていただきます。

これは【インディアンの教え】だそうです。



批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。

敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います。

冷やかしを受けて育った子は、ハニカミ屋になります。

妬みを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。

心が寛大な人の中で育った子は、我慢強くなります。

励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。

ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを忘れません。

公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。

思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。

人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大切にします。

仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。


いい教えですね。

自分自身に当てはめてみるのも面白いかと思います。




2012年6月23日土曜日

都会というところ

昨日、無事に帰ってきました。

台風4号の通過のあと、すぐに家を出てから丸三日間、徳島も東京も大雨や大風があったのですが、持参した折りたたみ傘は、一度も開かず終いでした。太陽の顔はほとんど見えなかったのですが、恵まれたお天気だったと言うべきでしょうか。

最近は、田舎者と都会者の違いは、ほとんど見分けがつかなくなってきました。私のような年寄りのお上りさんは別として、見分けがつくのは、コトバ遣いの違いくらいではないでしょうか。服装も顔つきも、身体つきも、変わらないのです。

あちこちと電車によく乗ったのですが、乗客の中でおしゃべりしているのは学生の一部くらいで、ほとんどが居眠りしているか、スマホをいじくっているかのどちらかです。

以前は、携帯をいじっているのは若い人がほとんどでしたが、今や、いいお父さんまでもがスマホを手にしています。昨日も、私を囲む5人全員がスマホに夢中でした。

ひょっと隣のおっちゃんを覗くと、スマホで新聞を読んでいる。ああ、そうなんだ。スマホはメールやゲームだけじゃないんだ。スマホは小型パソコンなのだ。電子本も読めるし、時刻表も辞書も、何でも調べられるんだ。だから、「いいトシこいて……」なんて思う方が間違っているんだよなあ……。時代に遅れている、いや、置いてきぼりの私は、大いに反省してしまったのです。

ことばといえば、この頃は地方出身者も、堂々と方言を使う時代になってきました。以前は、地方出身者は、コトバを気にして、早く江戸っ子のようなアクセントに直そうとしたものですが、最近はそのような努力などあまりしていないようです。

私の孫も、阿波弁のまま、大学四年生を迎えています。「あんたの言葉はやっぱり阿波弁やな」と言うと「だって阿波っ子やもん。阿波弁って感じがいいから、ずっと阿波弁よ」と言う。恥ずかしいなどとは夢にも思っていないから、堂々と阿波弁を使っている頼もしい阿波っ子です。

電車の中で耳を澄ましていると、おしゃべり中の学生も、標準語のアクセントばかりではありません。聞いて解からぬような方言は使われてないが、地方のことばらしいアクセントの学生もいて、しかも違和感がありません。

やはり大都会です。田舎なら、一両きりで走る電車もガラ空きという時間帯なのに、駅に停車する度に大勢が入れ替わります。

私の座っている足元が、男性のズボンから、新しい女性の足に変わりました。ひょいと見上げると、外国人。西郷隆盛を女にしたような恰幅のいいお方です。
驚いた! いや、西郷隆盛に驚いたのではありません。なんと、一つの耳に7つの穴をあけているらしく、色々なイヤリングを7つぶらさげているのです。耳の上から耳たぶまでのわずか10センチほどの間に7つということになります。
さすがに小さなものばかりですが、これをつけるのは並大抵の技ではつけられません。とても器用な方なのでしょう。

おまけに下唇の左側にも1つ。(これもイヤリングというのだろうか?)食事中は外すのだろうか?とか、間違って飲みこむことはないのか?とか、いらぬ心配をしてしまいました。
田舎では、これだけぶらさげたお方は見たことなかったので、とても面白いものを見たと思いました。

帰ってきてつくづく思います。都会に住む息子が、田舎に住む独り暮らしの親を心配して、「一緒に暮らそう」と言ってくれても、暮らす気にはなれない親の気持ちがよく解ると。
景色も空気も水も、そして人間も違い過ぎるのです。
自然の風の吹く、土の匂いのする、緑の木々の木陰で語らえる、……こんな所に住みなれた田舎者は田舎で終わるのが、一番幸せのようです。

2012年6月19日火曜日

飛行機に乗って……


明日から3日ほど、一人で飛行機に乗って東京へ行く、と言うと、何人かは驚くに違いない。
私の飛行機嫌いは、友達仲間では、かなり知れ渡っているのだ。

飛行機が怖いわけではないので、どうしても乗らねばならないときは乗る。今までにも三回乗っているのだが、本心をいうと、仕方なく乗ったのだ。

高所恐怖症なの?と聞かれたら、それに近いかもしれない、と答えている。高い所に立つと、足の裏がジンジンとしてくるし、高層住宅には住みたくないし、スカイツリーに登りたいとも思わないのだが、登れと言われたら、登るから、本物の高所恐怖症ではなさそうだ。

東京には、何度となく行っているが、時間のゆるす限り、新幹線を使っている。どうしたって列車に乗れば外の景色を見ることになる。これがいい。富士山を観るのも楽しみだし、ガラス越しに流れる緑の景色を観ていると、心底旅をしいる気分になれるのもいい。

それに比べると、飛行機は旅というよりは、用事に出かけている、の気分なのだ。第一、飛び上るときから着地するまで、いい気分とは言えない。『怖い』と『いい気分でない』とは、かなり違う。

むろん、あんな鉄の塊が、人を座らせて空を飛ぶこと事態、私には信じられないことだし、落ちて当然のものと思うのだが、ほとんど落ちないので、そんな心配はさらさらしていない。万一落ちても、このトシがくれば仕方ないと諦められる。

昨年の暮れに、ある用事で、家族4人が東京に行った。
私はそのとき、時間があるので、私ひとりで新幹線で行くと言うと、息子は「じゃあ、オレ、おふくろに着いていくわ」と言う。「まだそこまでくたばっておらん」と言ったのだが、「新幹線には、何十年も乗ってないから、乗ってもいい」ということで付いてきた。本心は物珍しさ3分、心配7分だったのだろう。傍に付き人が居るのは、何かにつけて便利で重宝したのだが、まだ一人旅は出来る。

とはいうものの、退職後の気儘な旅のほとんどが、愛車に乗っての旅で、沖縄以外の全国をほとんど走っているのだが、列車の旅には慣れていない。新幹線も、東京行き以外は、乗っていない。
昔、学生時代を東京で過ごした息子に、「東京だけは、車を乗り入れないように」と脅されていたので、郊外は別として、都心は新幹線ということになったのだ。

さて、今回の旅の目的は、ぜひ聴いておきたい音楽会を聴きにいくのだが、午後6時開演なので、新幹線でも良かったのだ。でも、『飛行機での一人旅』という経験もしておかねば、という思いがあったのと、ついひと月前、15人ほどのグループで、山梨に出かけ、富士山もたっぷり観て来たこともあって、清水の舞台からじわっと降りたのだ。

今、台風が四国に接近している。明日の朝は、もう台風は通過しているのか、それとも、降りた羽田が台風の直撃を受けている最中なのか解からない。珍しいことをすると、珍しいものが付いてしまった。季節外れの台風など、めったにあることではない。

……ということで、このブログも、3日ほど、休息ということになります。幾つかの宿題を残しての旅ですが、『忙中閑あり』で、手足をのばして一息いれてくるつもりです。










2012年6月18日月曜日


最近、人の顔が憶えられなくて困っている。

特に若い男女の顔が憶えられない。皆よく似ているのだ。目といい鼻といい……。
どこかで会っているはずなのに、挨拶されても思い出せないことがよくある。。

【嵐】とかいう若い男の子のグループがよくテレビに出てくるが、誰一人として憶えられない。あまりテレビを見ないこともあるが、それにしても、巷やあちこちにポスターも貼られているのだ。

朝ドラはよく見ているのだが、朝ドラに出てくる顔は、そのうちに覚えることができるのだが、終わると忘れてしまう事が多い。

スナップだかスマップだかしらないが、あのグループも、憶えているのは二人きりだ。その二人なら、「ああ、あの何とかいうグループの男の人だ」と、やっと解かるようになった。

有名な48人の少女が歌っているらしいが、そんな顔は、誰一人として憶えられない。

世の中は色々な人がいるもので、グループの中での人気投票を、総選挙とか何とかいって、お金を出して投票の権利を買うことまでして参加した人が大勢いたらしい。私は「凄いことするのね」とは言ったものの「バカバカしいことするのね」という裏張りのある言葉なのだが……。年寄りの僻みと言われればそれまでだ。

私が誰一人の名前も憶えられないのは、憶えようとしないことも原因だが、昔の役者さんのように、特徴があるのかないのか、私にはよく似た顔としか写らない。

それに比べると、今でも、知らない人に出会っても、忘れられない顔がある。若い人ではない。
旅先の仲居さんが、オトワノブコさんをちょっと悪くしたような顔だったり、ワカオアヤコの妹みたいだったり、野菜を売るお母さんが、キキキリンさんがメガネかけてるみたいとか、山道を歩くのは、宇野重吉が鬘を被っているようなお婆ちゃんだ、なんて思って気持ちを遊ばせるのだが、むろん今の若いタレントさんの顔など浮かんでこない。
トシをとるということは、こういうことでもあるのだろう。

贔屓なもので、『高倉健』なら、茶髪の鬘を被ってスカートをはいて出てきても解かる。
高倉健の映画を特別たくさん観て来たわけではないのだが……。

贔屓といえば、子どもの頃、祖母が身贔屓の強い人だったものだから、孫の私を前にして「いい顔しとる」とか、「○子は器量よしじゃ」とよく言われた。
小学生終わる頃までは、祖母の言うことを本気にしていたのだが、女学生になると、それがまったく的が外れていることに気がついた。(ちょっと気がつくのが遅すぎるのだが)周りには、自分よりずっと器量よしがたくさんいることに驚く。かなりのショックだった。

私が祖母にそれを言うと、「○ちゃんの器量のどこが悪い?」と、またまた言うのだ。

母にそれを告げると、「あんたも小さい時は器量がよかったのだけど、『貧乏人の子と樫だんごは3つまで』っていうことだわね」と、笑う。
育ちのええ子、家柄の立派な家の子は、可愛いまま、大きくなるらしい。
大きくなるにつれて地がでてくるのか、家に似合いの子になるようだ。

それにしても、祖母の身贔屓にはひどく迷惑をこうむったと、今でも思っている。
でも、祖母の愛を、たっぷりといただいて大きくなったことを忘れたことはない。

2012年6月17日日曜日

野田総理殿


賛否両論を抱えたまま、原発が稼働する方向に動き出しました。

もう、この問題は、「憲法改正問題」と同じように、理論的には解決出来るような問題ではないように思います。
私たちは、原子力発電のことは、いくら説明されても、解からない科学の素人ですから、安全か安全でないかは、専門家にお任せるしかない問題なのです。

反面、電気が不足すれば、どうなるか、という問題は、丁寧に説明していただくと、私たちにも納得できます。

ただ、納得できてもどうあっても原発反対、何がなんでも反対という人達がいてもおかしくないし、それはそれで止むをえない、と思うのです。

私としましては、自分のことだけに限れば、熱帯夜も、クーラーが無くても網戸で何とか田んぼの風を引き入れれば熱中症になることもありません。先日も、電柱立て替え工事とかで、何時間か停電しましたが、どうということもありませんでした。

しかし、都会の高層ビルに住む方たちや、病院、工場で機械を動かしている方たちにとっては、これは大変なことと思います。『風が吹いたら桶屋が儲かる』じゃないですが、『電気が止まれば首がとぶ』人も出てくるのが現実です。ただでさえ低賃金、請負社員、アルバイト社員が広がってきた現在、景気の回復などは程遠いことになるでしょう。

国民も国も理想としている【クリーンエネルギー】に置き換えるという大仕事は、すでに始まっているようですが、これもとてつもない大仕事で、お金と熱意と歳月がなければなかなか進んでいくものではないようで、今すぐに間に合うものではありません。

こういうことは、国民にもっと解かり易く説明していただく必要がありそうです。いや、これは私たちも知るための努力をして行かねばいけないと思います。

そして最もいけないのは、マスコミの勝手な報道です。もっと大切なことを国民に知らせてほしい。ただただ、国民の不安をあおるだけの報道は謹んでいただきたいものです。


それにしても、この最近の大きな問題、社会福祉、年金、消費税、原発稼働と、センセたちの忙しそうなこと。ネジレ国会のもたらす弊害もあろうかと思いますが、国会審議、委員会審議と、何かにつけて答弁に引っ張り出されている総理や大臣のお気の毒なこと。じっくりと考え、研究をする暇があるの?と思ってしまいます。

野田総理殿、過密スケジュールでもお痩せになっていないことは解かりますが、野党案を飲まされる度に、歯ぎしりして奥歯が擦り減る?のではごさいませんか?

どうか、命をかけるという国家の一大事なればこそ、小渕総理のように倒れたりしては大変です。どうかお大事にしていただきたいものです。

民主党が、政権交代後、過去の瓦礫処理に精力をすりへらしてしまうだけでは、政権交代の意味は半減します。これから頑張っていただきたいと思っている国民は、大勢いるはずです。

今後はどうか、民主党の人材育成にも、力を入れていただきたいと願うものです。人材不足などと言われては情けないです。

私たちの県には、「この方なら、日本の将来を託せる」という信頼できるプロフェッショナルな政治家・仙谷由人氏がいらして、後輩の高井美穂・仁木博文衆議院議員、中谷智司参議院議員が、いつも仙谷議員を見習って成長してきました。すばらしい成長ぶりです。
将来は日本を背負って立つ政治家に育ってきました。
このような議員をどんどん育成していただきたいものです。

私の率直な思いを書きました。




2012年6月16日土曜日

迷子


昨日、スーパーで買い物をしていたら、可愛い男の子が「ママ~~ママ~」と飛び出してきて、大声で泣き叫んだ。

すぐにレジにいた店員さんが飛んできて、「ママいなくなったの?」と問いかけても、その子は耳を貸さないほど取り乱している。

最近、こんな風景をときどき目にする。
すぐに館内放送があるのだが、中にはノンキな親もいて、繰り返し放送されることもある。

以前、こんな光景を見た。
泣く子のそばに、現れた母親が、子どもに「ごめんごめん」と言うのかとおもったが、反対に、「アホ。あんたは何を騒いでるんよ!」と、ひどく怖い声で子どもを叱るのだ。子どもは母親の声を聞くなり、ピタリと泣くのを止め、何事もなかったかのように、母親の手提げ鞄につかまっている。安心したのだ。

そしてまた直ぐに、そばに並べられているものに近づいて遊び始めた。
母親もふらふらと子どもから離れて行く。 

私は子どものそばに寄って「ママのそば、離れたらいかんよ。ほら、ママはあっちよ」と、隣の売り場を指さした。
このままでは、またまた「ママー」と泣き叫ぶ危険性があったのだ。

親が傍にいなくても、心配のない遊び場のある店舗もあるが、そんな店ばかりではない。親がいつも子どもの手を引いていなければならないのは理想ではないが、現実をわきまえておかねば何がおこっても困る。

先日のニュースでも、二人を刺殺した男が捕まっている。彼は言う。「自殺できなかったから人を殺して死刑になりたかった」と。とんでもないヤツもいる世の中である。

私らが子どもの時代は、年上の者は幼い弟や妹のお守をさせられていたものだ。そんな役目も忘れて遊びほうけていても、大した事故も事件も起こらなかった。

それに、人間は怖くはなかった。怖かったのは、暗がりやお化けや山にすむ天狗だった。

今は違う。夜でも明かるい巷には、暗闇の恐怖はほとんど無くなったが、その代わり嘆かわしいことだが、人間が怖い時代となったのだ。

買い物に夢中になるお母さんの気持ちも分かるが、どうか、気を付けてお買いものをしていただきたい。子を迷子にさせるのは、親の責任。何か起こってからでは遅すぎる。

ましてや、子どもを車の中に押し込めて、パチンコに夢中になるようなお母さんなど、お母さん失格です。

2012年6月15日金曜日

堀 文子という画家


掘文子さんという画家がいらっしゃる。1918年生まれ(大正7年)なので、もうかなりのお年寄りだが、多分、療養をつづけながら、創作活動をなさっていらっしゃるに違いない。

私が初めて掘文子の名前を知ったのは、何年か前、NKKの教育TVで【柳沢桂子著 生きて死ぬ知恵】を取り上げて、柳沢さんを取材し、放映されたのを観て、その本を買った時である。その放送は、録画して、それをまた録音したものを私は散歩のおりに何度となく聞いたのだが、その本の挿絵を描かれたのが堀文子氏だった。

堀さんは、独特の世界をもつ日本画家でいらっしゃって、作品そのものも熱狂的なフアンを持っておられるのだが、私はあまり絵のことはよく解らないが、堀さんの生き方にひどく興味をそそられた。

肩書きを求めず、ただ一度の人生を、美にひれ伏し、何者でもない者として送ることを志してきた方である。

日本画家を志された理由をこう書かれている。

【私は、小さい頃から自然に強い関心を持っていて、自然界の営みの神秘、不可思議さを突きとめたいという欲求から、科学者になりたいと夢みていた。ただ当時は女が大学に入って男子と同等に勉学にいそしむということには程遠く、男女の差の壁が大きく立ちはだかっていた。どうして女には、このようなハンデがあるのか、その差別は許せないと思い、差別されない生き方とはなんだろうと考えた末、美の世界である絵にたどり着いた】略

彼女の何冊かのエッセーを読んだが、宝石のような言葉が読む者の胸に流れ込む。
こんな言葉もある。

【秋に樹が葉を落とすのも、学校で教わったわけではないのに、生きていくための戦略をちゃんとやっているのです。無意味な消耗を避けて、冬は葉を落として冬眠しているのです。
どうして人間に「冬眠」という素晴らしい能力を神からいただけなかったのか。行きづまったら、冬眠する。そうすれば、無駄な喧嘩も競争もしなくていい。人間は冬眠出来ないから、永遠に戦い続けている。
医学が進歩すればするほど、便利な生活になればなるほど、人間が生物としての自然を失って、ついには脳が衰えて、いずれ人類は滅びるのではないかと思います。私たちは、自然の生き物であることを忘れて、人間がいちばん偉いと思っているから、おかしくなるのです。】

【刻々と失われていく心身のエネルギーの目減りを防ぐのは、自分自身の力でしかできないことだ。人の助けで埋められるような生易しいものではない】

【老いに逆らわず、私は私の手足で働き、私の頭の回線を使うしか方法はないのだ。過去の功績によりかかり、人を従えたがる老人の甘えを何とか寄せ付けないよう心掛けたいものである】

【私はいつも己と一騎打ちをしています。自分で自分を批判し、蹴り倒しながら生きる。そんな自由が好きなんです】

【身体が衰えてきますと、誰でもが何もできない諦めの老人と思うでしょう。けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。いままで「知っている」と思っていたことが、ほんとうは「知らなかった」と。それがだんだんわかってくるのです】

90歳を過ぎた女性の言葉を、一回り若い私は、神妙に受け止めている。

2012年6月14日木曜日

バナナ


マーケットの果物売り場に、バナナが【特売大安売り】の札つきで並べられている。バナナは安売りでなくても安い。欲しいときには、いつでも買うことができる部類の果物である。

私の子供の頃は、バナナはけっこう口に入れていた。父が夜店のバナナのたたき売りを月に一度くらい買ってきて、家族中が食べた思い出があるし、お客がお土産にバナナをひと房さげてきたりすることもあった。子ども心に「早く帰らないかなあ」と、客の帰りを待ちわびたものだ。

戦中戦後の食糧難時代がやっと終わり、三度の食事が何とか出来るようになると、手のとどく範囲の高級果物といえばバナナだった。

バナナにくらべると、メロンは雲の上。入院でもして、見舞いに頂くと口にできたが、自ら買い求めて口に入れるなどということは、考えてもいなかった。メロンは、とてつもなく高価だったが、当時から、メロンまがいの、金瓜とか、ニューメロンといったものが、畑にごろごろあったので、それでメロンの味を偲んでいた。

バナナといえば、思い出すのが息子を出産したときのこと。骨盤が狭いので、早めに産ませましょう、という医者のことばで、7月29日入院した。ちょうど、30日が、結婚記念日だったものだから、わざわざその日を選んだのだ。医者もそのつもりで陣痛を起こす注射をしてくださった。結婚記念日に生まれてくる、ということになれば、何となく喜びも倍増する気分だった。

ところが、うまくはいかなかった。陣痛は予定通りにはじまったのだが、難産で34時間もかかってしまったのだ。

もう、24時間を過ぎたころからは、私の体力は消耗し、食事も喉が通らない。当然力も抜けてしまう。心配した夫は、病院前の果物屋から、一房の大きなバナナを買い込んできた。それを剥いて私の口に押し付けてくる。声も出ないほどの私はそんなもの食べるどころでない。手ではらいのけると、しかたなく、それを夫が食べる。その繰り返しで、とうとう、何時間かの間に、夫は、バナナ一房を食べてしまったのだ。

やっと死ぬ思いで出産し終えたとき、そばの夫に「バナナ」と言うと、「もうないわ」という返事。思わず笑ってしまった。

そのときの息子も、もうじき、55歳の誕生日を迎えようとしている。