2019年12月30日月曜日

№1270  小つごもり


  今日は小つごもり、明日は大つごもりだ。こんな言葉は最近は聞き慣れぬコトバになったようだ。つごもりとは、月の終わりの三十日の意味なので、みそかと(晦日)とも言う。私は、小さい頃は、商売人の子だったので、「明日は晦日だから集金の手伝いがあるよ。遊ばずに帰ってきなさいよ」と、仕事をさせられたので、「ああ、また犬に吠えられるなあ」ということで、晦日は大嫌いな日だった。一年の終わりは、それに大小がついた。もう年寄りも使わぬコトバになってしまったようだ。

 正月の3が日は、母屋(息子夫婦と孫1人)で一緒に祝っているので、お節は私が黒豆と野菜中心のものをこしらえている。嫁が「お義母さんの黒豆は美味しいので、黒豆だけお願いします」と言ってくれたが、嫁も忙しい身、まだ作れると思ったので例年通りのものを作ることにした。全部で10種類程になるのだが、作り慣れたものなので大丈夫だ。ただ、何をするにも一服しながらの作業なので、今年は小つごもりからかかることにした。目の離せない黒豆は、もう出来あがっている。煮汁をたっぷりにして甘味を控えてある。温める度に、味にコクが出てきて美味しくなる。
 黒豆を炊いている間に、台所の整理と掃除も出来た。戸棚の中の使っていないものが幾つかあって捨てたいのだが、けっこうお金を出しているものばかりなので捨てきれない。例えば食品を真空パックにする機械など、TVショッピングで購入したものだが、そんな手間暇かけて真空にせずとも大丈夫なのだ。こうした道具は、一旦仕舞い込んだら最後、なかなか出して使う気にならない、というより、そんなものがあることも忘れて?しまっている。


 考えてみると、無駄な買い物は、随分している。お金が貯まらないのも無理はない。もう身辺整理、シュウカツ時代、来年こそは、無駄遣いせず、つつましい年金暮らしに明け暮れることを目標にせなあかんなあと、健気な思いの一日でした。 

2019年12月9日月曜日

№1269  12月8日


  私は北海道帯広市に住んでいた小学5年生の1941年(昭和16年)128日、あの太平洋戦争がはじまった。
8日の当日は、威勢のいい軍艦マーチ、あとに続く臨時ニュースに、家族も家業の手伝いをしてくれていた工員さんも仕事を放り出してラジオにかじりついて、真珠湾攻撃の大勝利に酔いしれていた。寒い日で、部屋のストーブの煙突が半分赤くなるほど、燃やしていたので、その煙突のそばでラジオを聞いていた私は、新しい毛糸のセーターの背中が焦げて煙が出てきて慌てたのを憶えている。

資源のない日本だ。勝利に酔いしれる日は、長くは続かなかった。鍋釜にいたるまでの鉄製品の没収、学校の二宮金次郎の銅像も、セメンに代り、食糧の配給、遅配、と国民の食生活も追い込まれていった。そんな時代を生き抜くために、貧しい、今なら喉の通らないような不味い食べ物、それも、お腹いっぱいは食べられず、空腹を抱えて生き抜いてきた。家を焼かれ、家族を失っても、歯を食いしばって頑張った。

やっと戦争が終わっても、暫く苦しみは続いたが、何はなくても平和な暮らしはありがたかった。この70余年、平和憲法のおかげで、戦争の無い国として、戦争に巻き込まれることのない国として、私たちは暮らしている。平和であったからこそ、このように立派に復興出来たのだ。戦争ほど悲惨なものはない。

しかし、戦争の恐ろしさ、馬鹿らしさを骨身に沁み込んでいる私たち年代の者は、数少なくなってきた。平和憲法だけは、何としても守っていきたいものである。
 
 

2019年12月6日金曜日

№1268  事件に思う


  アフガニスタン東部で、恵まれない人々のために働いていた医師の中村哲さんが銃撃で死亡したことを受け、現地で追悼集会が行われたほか、国際社会にも悲しみと怒りが広がっています。

こんなとき、〝この世には、神も仏もないのか〟、という思いに駆られた人はたくさんいらっしゃったと思います。神仏がいらっしゃって助けて下さるのであれば、こうした多くの悲劇は、この世から亡くなるはずですが、一向になくなりません。(神仏を否定しているのではありません)

多くの方々は、神仏を敬い拝みます。「どうか、家族が幸せに暮らせますように」とお願いしながら祈るでしょう。

でも、そんなお願いを神仏が聞き入れて下さるのであれば、世の中は平和です。祈りとは、お願いではなく【誓い】だと思うのです。神仏が居ても居なくても、自分の心の中で誓うことだと思うのです。お願いと誓いは違います。

元日には、多くの方がお参りに出掛ける事でしょう。お願いを否定はしませんが、神様の前で、「今年一年は、○○を頑張ります、△△のために頑張ります」と誓ってほしいものです。神仏の前で誓った以上は、頑張らなくてはいけませんよねえ……。

 

2019年12月2日月曜日

№1267 はや12月……


  昔は12月になると、「ボーナスが入って来る」という喜びがあったが、今はそんな楽しみはなく、ただただ「ああ、月日のたつのは早いなあ」という思いと、年賀状は、今年で最後にしようかな、どうしようかな」という迷いと、「身辺整理が出来なかったなあ」という反省が頭の中をよぎって行く。

 年賀状は、一年ぶりの友人知人から頂くのは楽しみの一つなのだが、相手さんは、どう思っていらっしゃるか? がわからない。

なかなかふんぎりがつかない。そのうち、書きたくてもかけなくなるだろうから、それまでは書こうか、とも思ってしまう。

 身辺整理は、やりはじめるとなかなか進まない。大量の写真などは、写真帳から剥がすことからはじめたが、剥がしながら、捨てるものを選ぶのにまた時間がかかる。思い出がよみがえってくるものだから、一向にすすまない。おまけに新しい写真も増えて来る。

それにしても、幾つになっても師走というのは心忙しいものだ。早めに年末年始に備えて計画的に片付けて行きたいものである。

 

2019年11月19日火曜日

№1266 櫛


  昨日、久しぶりに汽車に乗って徳島市の百貨店そごうに出かけた。強い風が吹いていて、頭の髪がぼさぼさになってしまったが、あいにく櫛を持って行くのを忘れたので、手櫛で整えたのだが、その時ふっと幼い頃を思い出した。女の人は、必ずと言っていいほど、頭にはいつも櫛がささっていたものだ。小間物屋の店先には、色々な櫛が並べられていた。髪の表面に出る部分1センチほどの幅だが、貝殻などで、色々な模様か゜張りつけられていたものだ。トシ相応の櫛を求めて、風で乱れた時は、すかさず櫛で撫でて整えていた。道路には、櫛が落ちていることもよくあったが、それを拾って帰ることはなかった。一度、拾って帰ってひどく叱られたのだ。お正月で、日本髪用の半月型の美しい櫛だった。「まあ、この子はお正月早々、縁起でもないものを拾って来てぇ。早く捨てて来なさい」と。

櫛が゜【苦死】に通じて忌まれていた、と知ったのは、大人ににってからだった。車中で読んだ文庫本の中にかかれていた。その時も私の鞄の中には、友人のお土産にと買った、つげの櫛が゜三本入っていた。

音が通じている、というだけのことなら、お正月につきものの獅子舞だって、死んでしまい、ということになる。縁起のいい悪魔払い、おまけに、獅子舞に頭を噛んでもらうと、頭が良くなるとも。櫛だけが苦死と結びついているのは、女の黒髪、多情多恨、といったような情念との結びつきがあるからなのだろうか…。

私の土産の櫛は、迷うことなく差し上げて喜ばれた。形の残るお土産は、お饅頭よりも良いと思っていたのは私だけかもしれない。こうした迷信みたいなことは、若い方たちには、無縁なこととなっているはずだが、お堅いお年寄りやご病気の方へのお土産には、櫛より美味しいお饅頭がよさそうだ。

2019年11月8日金曜日

№1265 80代の最後


  誕生日を迎えてまず思ったことは、「来年は90歳かぁ」というとだった。当たり前のことだが、やはり今までとちょっと違っていた。

ここ23年の間に、「忙しい」ということばがよく出て来るようになった。10年という歳月は、あっという間に過ぎるのだが、80代になってから、この間の10年近い歳月というのは、人をガラリと代わらせる。50代と60代との違いとは異なるのだ。これは人によっては、少々ずれがあるかもしれないが、80代になると、70代の有難さが良く解る。私の個人的な経験では、85歳を過ぎるころからは、何もかもが衰えを感じ始めた。特に身体的な衰えは大きい。スキップどころか、転倒が怖くて走れなくなる。重いものが持てなくなる、高い棚に手がとどかなくなる、何をするにも、時間がかかるようになる、といったように、いつのまにかなっている。掃除をするのがおっくうになっても、化粧をすることが、面倒になっても、炊事がしんどくなっても、気持ちを立て直して、することを減らさずに続けていくと、一日の時間が短くなってくる。1時間で出来たことが1時間では出来なくなるのだから、忙しくなる訳だ。ま、一休みする時間は、増えているのだが・・・。

することがなくなってTVを見ている時間が増えた、という方がおられるが、それはすることを減らしてきた、ということだろう。今更イヤなことをするつもりはないが、なるべくなら、続けたいことは、続けて行こうと思っているので、ゆっくりのこのこであっても続けて行くつもりである。それが一日でも長く自立した生活を送ることにつながっていくと思うので・・・。

2019年10月30日水曜日

№1264 興味と関心


【脳】と聞くと、セットのように認知症を思うのは私だけかもしれないが、トシがトシだけに無理も無い。トシと言えば4日まえに、89歳の誕生日を迎えた。

 ある学者さんは、『生物の脳は、もともと考えるためのものではなく、体に密接に結びついていて、進化の過程で、色々と考えることが出来るようになってきた。言うなれば、脳は体の奴隷である。脳の立場からすると、いつも頭骸骨の真っ暗闇の世界で、外の情報は何も解らない。目、耳、手、触覚などの体を通じてしか分からない。身体からの働きかけがなければ、脳は活性化しない』と書いている。

 この理論からすると、寝てばかりいては、脳は、ただ命を守るだけの働きしかしないことになる。若いときのように、何事にも興味・関心を持ち、体を動かして、脳に刺激を与えなければ、脳はトシとともにどんどん退化していくのは当然ということになろう。

 そういえば、私の友人Aさんは、よく体を動かす元気者だ。興味を持っていることに対しては、すごく記億がいい。それは当然であって、常に、聴いたり調べたりする熱意がある。私など、自分の言ったことも忘れているのに、彼女は私が昔言ったことまで憶えていて教えてくれる。Aさんをみていると、興味と関心は、トシをとっても持ち続けることが可能であることを教えられる。

 だれしも心身ともに元気でいたいのだが、極端な言い方をすれば、脳より体の方が大切で、体を動かし、元気にしておいて、いろんなことに興味を持ち、挑戦していくことが大切、ということのようだ。高齢になるにつれて、身体にも異状がきて、動かしにくくなるのだが、昨日できたことが今日出来なくなるわけではないので、毎日続けていくことが大切なのだろう。

2019年10月15日火曜日

№1263 台風19号

  毎日、TVで被害状況を報道していますが、随分ひどい状態なので、被害を受けている方がたがお気の毒でなりません。
 こんな大型台風は、温暖化と関係がある、とすれば、今後こうしたことが毎年のように起こるのではないのか?という不安がつのってきます。報道では、一切そういうことは言いません。言わないだけに、不安は強まります。海水の温度が上がってきて、海中の魚の生態も変わってきたといいます。海面から蒸発する水蒸気が増えているのですから、雨が多くなるのは、私のような者でも分かります。

 こうしたことが、何十年も先にまた起こる、ということと、近いうちにまた起こり得るというのとは、かなり違います。たちまち、家を建て直す人たちにとっては、どこに、どのような家を建てたらよいか、考えなければなりません。
 19号台風が、どうか、温暖化とはまったく関係ないことを祈るばかりです。

2019年10月11日金曜日

№1262 一周忌


 1011日、今日は、民主党元官房長官 仙谷由人先生の一周忌である。午後7時より。阿波観光ホテルで、偲ぶ会が開かれた。80人ほどの方が集まって、思い出話に花がさいた。私は、彼が衆議院に立候補したときからのフアンだったので、31年ものお付き合いだ。今も、政治家としては、まれにみる本物だったと信じている。

頭が良くて、実行力がある方だったが、生前の先生はご自分の自慢話は一切なさらなかった。亡くなられてから、新聞その他の報道で、多くを知る事が出来た。先生は、世界のことはむろん、現代だけではなく、未来についても見通していたので、このままでは将来の日本はこうなっていく、とおっしゃっていた通りの日本になってきた。先生が心配なさっていたようなことが、つぎつぎにおこってきた。かなり早くから、「このままでは、銀行や保険会社がつぶれるような時代が来る、とおっしゃっていたことも、事実となった。

 先生は、若い方たちの教育だけではなく、私たちも色々と学ぶ機会をつくってくださったので、有難かった。惜しい方を失ったのは、徳島だけではない。日本のためにもっともっと長生きしていただきたかったと、あらためて思いかえした日だった。

 

2019年9月30日月曜日

№1261 早くも月末


  てんやわんやしているうちに、早、月末が来てしまった。あいずみ文藝の校正その他、でやっと今年の14号が出来あがり、10月の発送にこぎつけた。会員74200頁ほどの雑誌だが、投稿者は、67名、そのうち俳句が27名と、数の上では一番多い。俳句、短歌、詩などは、結社にはいっている方は、自分の作品が、活字になって残ることは多いのだが、その他の方たちは、こうした地方誌がないと、なかなか活字となって残ることは少ない。随筆や、短編小説も、枚数には制限があるが、書き貯めて、将来本にしたいというか方もいらっしゃる。

若い方が少ないのは残念なのだが、やはり創作欲というか、頭を使ってコトバで何かを作るということは、思いを練ることでもあり、思いを深めることでもある。しかも、大脳を活性化することでもあるはず。上手下手は問題ではない。

こう考えると、惚け防止にも役立っているはず。私も、もっと熱心にブログをかかねばいけませんねえ。(_ _)

 

2019年9月9日月曜日

№1259  わからん消費税


  何度も聞いているのだが、今だに良く解らんのが新しい消費税だ。買う店舗によっても違ってくるし、どこで食べるかによっても違ってくるし、払っている税金によっても違ってくるし、カードを使うか使わないかによってもちがってくるし、何がなにやら、さっぱりわからん。プレミアム付商品券とかいうのがあってが、非課税者と子育て世帯主が購入出来るらしいが、2.5万円子分を2万円で買えるという。どんな商品券なのか、お釣りがもらえるのか、そんなことはわからん。

 私たち庶民は、大根1本の税込値段表を見て、5円安い、高いを見比べて買う買わないを決めて来た。広告と睨めっこして、あそこの店は5円安い、とか言いながら、財布と相談してきたのだ。もう、そんなことも、そう簡単には出来なくなるようだ。

 今回のような、法律を作る人たちは、庶民の苦労も感覚も分からない人たちが作ってきたのだろう。国会の暇をみて、地方に帰り、庶民の声を聞くなんて、言っているが、ただただ、選挙運動のために帰って来るような政治屋さんが作る法律というのは、庶民のことをわかって作るのではないことが良く解る。

 少なくとも、女性議員がもっと増えてきたら、少しはマシになるのではなかろうか・・・。

2019年8月28日水曜日

№1259  ワクワク感


  100歳時代に必要なこと、と題してある方が書いてあった。誰もが元気で長生きしたいし、高齢化にどう立ち向かうか、の関心は高いが、ある調査によると、男性の7割が、トシと共に体が弱り、2割が早めに体を壊し、残り1割がトシをとっても元気な人とか。男女を問わず元気な人たちは、良い緊張感を持ってワクワク感を持ち続けることでトシをとらない、と。

 ワクワク感とは、具体的には書いてないが、想像はつく。楽しい人生を送っている、ということだろう。女性の場合は、トシをとっても元気な人は友達が多い。そのため、人に合うことが多いし、炊事洗濯等の家事に体を動かす機会も多い。健康のためにいろいろな趣味とか、会合に、参加するのも、男性より積極的だ。しかも、家に閉じこもるのではなく、社会とつながっている、ということも、生活を充実させているのだろう。「トシとることも悪くない」と思っている人も多い。

 私としては、身体的には、今年はあまりいいことがなく、大変な目にも遭ったのだが、精神的には新しい友人も出来たし、いいトシだと思っている。お話をしていると、ワクワクするような友人もいる。いずれにしても、人と人の繋がりは大切なことであって、皺が増えても、心が萎まぬかぎり、幾つになっても生きていることに幸せを、そして感謝出来るのではないだろうか……。

 

 

2019年7月20日土曜日

№1258 欲望


  人間の欲望というのは、満足する、ということが、中々出来ないものらしい。特にお金に関しては、贅沢という欲望があるので、お金には特に欲が出てくるようだ。大金持ちは、ますます太り、お金に苦労している人たちは、増えていく。資本主義というのは、こういうことらしい。

お金にあまり縁のない私などは、負け惜しみではないが、そこそこの生活が出来たら幸せと思っているので、年金収入しかないのだが、年金は有難く、その中でやりくりしている今の生活を十分有難いと感じている。そこそこの生活というのは、食生活で、「ああ、鰻は一年に1度や2度は食べようか」と、思って食べられる生活だ。「東京に年に1度は行きたい」と思うその旅行に行く事が出来る程度のものである。

 そもそも、私はあまり金銭欲というものがない。しかし、気分は、いつでもお金持になれる。「私の財産3億円、使いきれないから全部銀行にあずけてある」と思っていたらいいことだ。()

 幸せってその人その人によって違うのだろうけど、欲がなければ、けっこう幸せな人生が送れると思う。夫も私も貧乏のさ中に結婚したので、花嫁姿の経験もないし、写真もない。でも、一度もそうした経験がしたかったなどと思ったことはない。

 欲を出したら、けっして幸せにはなれない。ちょっとした〝いいことをしたなあ〟と思ったり、誰かに感謝されることをしたり、涙のでるような感動をしたり、美しい青空と白い雲に見とれたり、遠くの山々を眺めたり……こんな小さな幸せも、数があれば、幸せ袋はふくらんでくる。大きな幸せにつながっていくだろう。

 エレベーターの中で、可愛い赤ちゃんがママに抱っこされていた。赤ちゃんににこにこして手をふったら、じっと私を見つめてくれた。降りるとき、首を伸ばして私を見送ってくれた。楽しかったなあ。

 こんな生活をしていると、色々と心配事もあるけれど、けっこうストレスも発散しているらしい。嬉しいことである。

 

2019年7月14日日曜日

№1257 あと何年・・・


  このトシになると、「あと何回桜が見えるかなあ」とか、「誕生日は、あと何回……」などとよく思う。

マラソンをしている知人に、「達成感は解るけど、走ること事態は大変でしょう。苦しいでしょうに……」と言うと、「私は楽に走っているから、苦しいとは思わない」という返事が返ってきた。楽に走っているといっても、時間内に走っているし、5時間と言う時間は、結構頑張っていると思うのだが、その方は、「苦しい走り方は、あと何キロある、なんて考えながら走ったら、楽には走れないから、私はただ、景色を楽しみながら走っているだけ」とおっしゃる。

 なるほどと思った。ゴールなど気にしないで、自分で好きなように走るのは、楽しいに違いない。

 これは、人生も同じだろうと思った。自分の人生、あと何年だろうか?なんて考えるよりは、今を楽しみながら暮らすに限るなあと。死は人生のゴールである。ゴールなど考えていてはつまらない。今を楽しみながら、噛みしめながら、味わいながら生きて行くことが、幸せな賢い生き方だ、と、つくづく考えさせられた。

 

2019年7月3日水曜日

№1256  ご報告 6


  腎臓結石の手術のあと、皆さんに、いろいろとご心配をおかけしておりましたが、本日、やっと腎臓と膀胱を繋ぐステン(管)を抜くことができました。2回の手術のあと、2ヶ月間、管を入れたままの状態は、夜は熟睡できず、腹圧の関係か、日増しに辛い状態になり、人様には言えず、もう限界状態になっていたのですが、抜いて頂いたとたんに、今までの状態から、抜け出すことができました。抗菌薬を3日間飲むことで、完全に良くなりますと、先生がおっしゃってくださいました。この場を借りまして、ご報告をさせていただきます。ありがとうございました。今夜から、よく眠ることが出来そうです。!(^^)!   

 

2019年6月27日木曜日

№1255 冷え症


  若い時から冷え症だったので、冷え症とのお付き合いは、延々と続いています。普通、夏が来たら冷え症は、どこかに身をひそめていると思い勝ちですが、そうではありません。夏が来てもそれなりに冷えるのだから始末が悪いです。

 一口で言うと、冷え症とは、血行不良ということなので、もともと元気ハツラツというタイプではなく、虚弱体質なのです。小学校時代から、通信簿には、「肝油と太陽燈(上半身裸になって、10人位ずつ浴びる。学校に備えてあった)を続けてください」と書かれていました。

 冷え症を、少しでも克服するためにしていることは、まず首を冷やさない、ということで、夏も寝るときは、マフラーを首に巻いたり、長袖の寝巻、靴下を穿いて寝ています。(寝苦しいときは、エアコンを2,3時間かけています)。

 以前、TVのためしてガッテンという番組では、蛋白質を多く取ることによって、身体を温める、ということもあって、卵はもう何年も前から13個、そのほか、大豆製品を多く食べています。

 ただ、食品には、身体を温めるもの、冷やすものがあるようですが、最近良く食しているキュウリ、トマト、ナス、キャベツ、バナナは、身体を冷やすものらしいです、そんなことは、気にしないことにしています。バランスよく食べることが大切と思っています。

 これからも、冷え症が治ることはないので、一生うまくお付き合いしていかねば・・・と思っています。

 

2019年6月20日木曜日

№1254 近頃思うこと


  日本も、随分酷い犯罪が増えてきたが、これからは、犯罪に手をだすのなら、必ず捕まる、と考えてするべきだろう。もう殆どの犯罪者は捕まっている。これだけ防犯カメラがとりつけられたり、優秀な警察官らが捜査するのだから、つかまえられるのは当然だろう。

昔から泥棒などは、よくあったのだろうが、子どもも結構万引きという窃盗をしていたようだ。小学生のとき、一緒に遊んでいた近くの旅館のA子ちゃんが、瀬戸もの屋の店先に並んでいた可愛い魚の箸置きを手掴みにして服のポケットに入れた。驚いた私は、「そんなことしたらだめ」とも言えず震えていた。家に帰っても、親にもよう言わず、 黙っていた。言ったらA子が悪い子と言われ、「そんな子と遊んだらいけない」と言われそうだった。A子ちゃんは、遊んでいる最中に、家のお酒をコップに入れてきて飲んだりもした。市内の歩道は、けっこう道幅が広かったので、ケンパとか石蹴りなど、いろいろな遊びをしたのだが、輪ゴムをゴムとび用に鎖状に編んだものなどは、「頂戴」と言って、持ち帰られたものだ。三つ子の魂100までとか言われるが、環境がよくなかったのだろうから、今は立派な社会人になっているのだろう、と思いたい。

戦後は、生きて行くために、ヤミ取引や泥棒などは日常茶飯事だったが、そんな時代も体験して来た者としては、平和を守り復興のため、髪振りみだして働いてきた世代の方たちが、「安心して暮らせる老後」であってほしい。国の政治というのは、そういうことを大切にやっていくことだろう。

 

2019年6月10日月曜日

№1253  梅干し


  買い物袋から品物を出して冷蔵庫を開いたとたんに、梅干しを買って来るのを忘れたことを思い出した。梅干しにも、ピンからキリまであるのだが、私は高級品にはあまり手が出ない。立派な美味しそうな梅ではなく、やや小粒の塩分5%というのを買っている。それくらいが食べきれるし、口に合うのだ。梅の産地が中国だろうが日本だろうが、そんなことは、もうどうでもいい。88歳の老婆がひとりで口に入れるのだから。

 梅干しというと、思い出すことがある。小学生の頃、家の前にアルミの弁当箱の落とし物があった。小学生のものらしかった。しばらく外に置いて、落とし主が来るのを待っていたらしいが、だれも来なかったという。中をみたら、それは「日の丸弁当」だった。梅干し1つ入っているだけの弁当である。その時代でも、粗末な弁当の代名詞だった。別のおかず入れなど無く、弁当箱の片隅に細長いおかず入れが付いていた弁当箱だ。「せめて漬物か海苔でも敷いてやればいいのに」と、家族が言っていたのを憶えている。

 以前聴いた話だが、昔、梅干しは大変貴重なもので、庶民の口には、めったに入らなかったとか。薬扱いだったらしい。それも〝見る薬〟で、お膳の上に乗せて、時々見ながらご飯を食べたら、むせたりしない、ということで、笑い話のような話である。

それにしても、最近のお弁当は、けっこう豪華になっている。TVでお弁当を披露している番組等観ていると、手間とお金をかけている。 戦中戦後を体験して来た者にとっては、本当に日本はいい世の中になったと思う。外国には、まだまだ食べ物に不自由している子どもたちがたくさんいるというのに、あるとろでは、賞味期限近いといって、まだ食べられる弁当を捨てている。こんなことがあっていいのだろうかなあ・・・。

 

2019年6月7日金曜日

№1252  天気予報


  親切な天気予報に、どれ程の人が助けられているだろうか。傘の種類までも教えて頂けるのだから有難い。昔は、ちょっと傷み掛けた食べ物を口にする時に、「天気予報天気予報」と繰り返し言って食べたものだ。「天気予報なんか、当たらない」ということでのおまじないだった。

 最近のお天気は、何となく不気味である。私が子どもの頃住んでいた北海道の帯広が、今や徳島よりも暑い日があったりするのだから驚く。30年まえに訪れた帯広は、ホテルにもタクシーにもエアコンは付いていなかった。必要なかったのだ。真夏の昼間が少々暑くても、夜がくると、お蒲団は掛け布団二枚重ねだった。

 こうした変わりようも、温暖化ということなのだろうが、ただ温暖化したというだけですまされない異状気象があちこちで起こりだすと、これからのお天気がどうなるのかと、心配だ。孫や子がこれから先長く生きて行かねばならないのだから・・・。

 私たちが、どうすればいいのかと考えても、なかなか今の生活を昔に戻すことは出来そうにない。ただただゴミを出さないように、と言うくらいしかできそうにない。環境に良いという車に買い替えることも中々出来そうにない。歩いて行けるところは歩くことくらいである。それも、買った荷物を持っては歩けない、ということになれば、車のお世話になるしかない。古女がこんな心配しても、どうにもならないことだけど・・・。

 

2019年5月29日水曜日

№1251  ご報告5


  ご無沙汰していましたが、今週(26日)になって、やっと「もう大丈夫」と、思えるようになりました。それまでは、かなりの高熱が出たり、抗生物質や、熱さましなどの薬の副作用などになやまされながらの不安な日々を送りました。その間も、じっとしてはおれないこともありましたので、ごそごそと動いたり、運転もしたり、けっこう動きまわったのも、いけなかったのかもしれません。でも、26日には、やっと薬を飲まなくてもいい状態になり、予定していた同窓会(27日)には、なんとか楽しく過ごすことができました。ただ、まだ体内に管がはいっていますので、管の取れるまでは、膀胱炎のような状態は、続くので、快調とは言いにくいのですが、これは、病気ではないと思い、我慢しています。やはり、若い方のようには、体力もなく、回復力も劣っているので、気持ちだけは、シャンとしなくてはと、頑張っています。ご心配をかけました。(_ _)

 何となく、世の中には、精神を病んでいる方が多いようで、大変な事件も発生していますが、怖いですねぇ。ストレスも上手に発散していくことの大切さも、つくづく感じます。

2019年5月14日火曜日

№1250  ご報告 4


  腎臓結石の手術をして、1か月近くなりました9日、二度目の入院をしました。10日手術。残っていた腎臓結石すべてを取り除くことが出来ました。先生は、1回目より、簡単に出来たとおっしゃっていましたが、20センチほどの管は、そのままで、2か月後に撤去するとのことです。それは、日帰りで出来るそうです。

私は、麻酔が覚めてからも、1回目より身体はしんどいなあと感じていました。熱も出ました。しかし、それもよくあることらしく、2日目には熱もさがり、予定通り12日には退院させられました。

 2回目までの1か月間の生活が、水分を多く取って、夜も何度かトイレにいったり、熟睡できなかったりしたことが原因か、体力的に以前より弱っていたのかなあと思います。帰って来た日から、首や肩がカチンカチンになって、首が動かせないほどになり、熱も出て、次の日、整形の病院に連れていってもらいました。幸い骨には異常はなく、ストレス等による肩凝りとわかって、投薬や湿布で、今日は何とか首も動くようになりつつあります。

 ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。あとは、日にち薬で、元気を取り戻していきたいと思っております。

 

2019年5月3日金曜日

№1249 令和の始まりに思うこと


  昭和5年生まれの私は、昭和もたっぷり、平成も満了したので、令和時代を生きていけることに感謝しています。欲は言いませんが、令和ということばに慣れて、いつでも無意識に令和が出て来る頃までは生きていたいなあと思っています。  

長い人生を振り返ってみますと、三つ子の魂云々言われますが、小さいときからの性格は、本質的には同じということを強く感じています。むろんこれは、表面の私ではなく、内面の私です。小さい時から家業に忙しかった母よりも、祖母との関わりが多かったのですが、よく叱られたのは、「おまえはお人よし」と言うことでした。何でも人にせがまれたら与えてしまうというのです。でも、私はそれに対して、心の中では反発していました。惜しいものを取られたわけではないのです。格好つけるわけではありませんが、相手が喜んでくれるのなら、ということでした。それは今も変わりませんねえ。

母と祖母とは血の繋がった親子でしたから、母は私を祖母まかせにしていたようで、祖母に盲愛された私は、母に甘えたいという気持ちもあまりありませんでしたし、寂しかったという記憶もありません。そんな祖母は、母をも甘やかしていたと思います。普通の家庭では、母親がするような朝の炊事や弁当作りなども祖母がしていましたから・・・。

そんな母が、祖母に「弁当作りなど、本人にさせたらいい」と言ったところ、「炊事はお前にもさせてないのに、この子にさせんでええ。炊事など、嫁に行ったらだれでもするようになる」と、言い返しました。() 私は、「おばあちゃんは優しいなあ」と心から思ったものです。

そんなわけからか、私は、若いときから、〝優しい人になりたい〟という思いが強くありました。なかなか難しいことですが、これは、母にもっと優しくして欲しいという気持ちが心の底に沈んでいたことも関係しているのかもしれません。

自分では、けっこう優しいと思っているのですが、これからも、もっと優しいお婆ちゃんになりたいです。!(^^)!

2019年4月28日日曜日

№1248 腰痛体操


 テレビでもやっていたが、思いついたら腰痛に効果があるという【これだけ体操】をしている。(これだけしていたら、よくなるらしい)
  1. 足を肩幅より少し広めに開いて両手をお尻に当て.(指先は真下にむける)顎は軽く引く。
  2. 腰は曲げずに骨盤を押しこむように押しながら、ゆっくり上体を反らす。息を吐きながら、3秒間保つ。そのとき、肘も内側に寄せて行く。
  3. この体操を10回くりかえすのを1セットとして、13回以上する。何となく、少しずつよくなってきたように思う。こういうことは、「よくなるはず」と、信じてすることが効果的なので、素直?に 信じている。

     連休あけには、2度目の手術が待っている。再び腰が痛くて泣きたいほどになるだろうが、少しでもマシな腰で手術を受けねばと、頑張っている。。 

2019年4月15日月曜日

№1247  ご報告 3


 皆さんにご心配をおかけして申し訳ありませんが、お許しください。
一応、手術は、先生のお話では難しい手術だったが成功したらしく、34日の入院で、予定通り帰されました。というのは、もっと、置いてもらいたかったのですが、追い出されました。() 
全身麻酔の時間内の作業というのは、限りがあるのでしょうね。一度には出来なくて、1が月後くらいに、もう一度しなくてはいけないのですが、一応ひと山越えました。
 手術といっても、尿道から、機械をいれての作業なので、お腹に穴をあけて石を砕くのではありませんから、傷はありません。ただ、血尿がなかなか止まらないのが不愉快なのと、手術日と翌日は、ベットで安静しいうのが大変でした。何しろ、腰が弱い私には、痛くてそれが一番の苦痛でした。
 一ヶ月後の手術の心配は、何もありませんが、腰の痛くなるのだけが恐怖です。()
 家にかえってきてから今日まで、何もする気になれず、ご報告が遅れましたが、元気をとりもどしつつあります。ご心配いただき、ありがとうございました。m(_ _)m 
 



2019年4月10日水曜日

№1246 ご報告 2


  今日の午後、入所します。明日は俎板の上の鯉です。1回で成功するか、2回になるか分かりませんので、〝1回ですみますように〟と神頼み中です。今まで医者の薬というものを飲んでいなかったせいか、傷み止めなどを飲むと、10日程前から、体調が崩れだしました。副作用に悩まされたりしましたので、後半はなるべく薬は飲まずに過ごしましたので、体調はあまりよくなかったのですが、何とか漕ぎ着けました。何と言っても病気ではありませんから、気分は平静、〝なるようにしかならない〟というテンネン的性格ですからなおのことです。()

 何しろ、自他共に名医と言われている先生です。普通なら、手術は6か月待ちです。大きな石にはバイ菌も沢山ついてくるのでしょうね。それが散らばったら大変なことになるそうです。

徳島県は、石持ちが多いそうです。運動不足が原因だろうとのこと。車に乗ってばかりの私は、当然の結果ですね。皆さんも、どうかお気をつけください。

2019年4月1日月曜日

№1245  新しい年号【令和】


【令和】・・・何となく馴染みのない言葉だったが、色々と聞いているうちに、「そのうちに耳慣れてくるだろう」と思って納得した。

ま、皆が願うように、平和で、幸せを感じるような年代であってほしいと、ただそれだけを願っている。やはり、平成と言う時代が、大変な時代だっただけに、皆さんの願いがかなう時代になってほしいものである。

どんな年号かしら?と、私も予想の文字を10程選んでいたのが、その中の【和】が選ばれたのは、嬉しい。頭文字(HST)の重なりは不便なので避けられることとは思っていたが、令は多くの方が予想外だったようだ。でも、冷と違って温かいし、令のつく言葉で悪いものはない。とてもいい字。それに和がつくのだから、素晴らしい。

現在は、明治(M152年)。大正(T108年)。昭和(S94年)。平成(H31年)令和(R元年)となる。まだ、少なくなったとはいえ、明治生まれの方がいらっしゃる昨今のことだから、(107歳以上)頭文字の重ならないような年号というのは、もう限られた文字ということになるから、本当に、大変な難産だったと思う。

 今夜は、いい夢をみたいものである。

2019年3月26日火曜日

№1244  味のある老後


 4,5年前までは、「老いを跳ねのけて、心豊かに楽しく、元気に過ごしたい」という気持ちが強かったように思う。ところが、ここ4,5年の間に、老化の速度が年ごとに早くなっていくことが解った。正直に言うと、老化とは、身体的にはマイナスがほとんどの世界である。そうかといって、「いいことなんか一つも無い」なんてぼやいていたのでは、老化はつまらないことばかりになるので【老い】と、仲良く付き合っていくこそが大切と思っている

それは、ちょっとした考え方で仲良くなれるのではないのだろうか。個人的な差はあるだろうが、私の友人の多くは、特別いい暮らしをしているわけではないし、つつましい年金暮らしをしながらも、生きていることに、感謝している方たちが多い。

といっても、年齢の壁は、いたるところでほころびていく。が、Aさんは、痛い足をさすりながらも、歩けるのは有難いと愚痴は言わない。足が痛くても、新しいことに挑戦している。Bさんだって、治療に通いながらも、今だに戦争のない国にと、政治活動に走りまわっている。ま、足腰は別にして、心身健康でなければ、何をするにも動くことは出来ないのだが、一日一日を感謝で暮らしていくことが出来れば、老後もまた楽しで、若い時には味わえなかった幸せがあると思う。

 

2019年3月20日水曜日

№1243 ご報告


 私のブログは、近しい方の殆どはパソコンをしておりませんので見ておりません。みてくださっているのは、10指にとどくくらいの方です。別に隠す必要もないと思い、現在の私の体調の事を書いて、皆様のご参考になればよいと思いますので、ご報告する事に致します。
 ある夜、突然真っ赤な尿が出て驚きました。痛くも痒くもありません。これは、膀胱がんの末期かと思いました。次の日の朝、医院に行きますと、身体のあちこちを、痛くないか調べてくれましたが、どこも痛くありません。多分、膀胱炎だろうとおっしゃって、水分をたくさんとるようにと、薬もいただいて帰りました。
次の日の夜遅く、急に左わき腹から背中辺りに激痛が走り、歩けないほどになり、家族にすぐ医者に連れて行ってもらいますと、多分腎臓結石だろうと、エコーをかけてくれました。小さな石が二つほど映りましたが、これでこんな痛みはないはずだから、すぐ大きな病院でCTをとってもらってください、ということで紹介状をいただき救急治療をうけますと、大きな石が見つかりました。石は大きいので、手術で取りだすしか方法はないが、3日間夜飲むようにと、抗生物質の薬と傷み止めを頂き、次は家族同伴で○日に来院して、手術前の色々な検査を受けるとのことでした。家に帰るころは、傷みもおさまっていました。
○日までは、かなりの日があるのですが、酷い痛みはなく、少しでも傷みだすと薬を飲むことで落ち着きます。薬は副作用もありません。万一8度以上の熱がでたら、すぐ救急で来てください、とも言われました。風邪の熱など出してはまぎらわしいので、気をつけています。
何しろ、命にかかわる病気でありませんから、手術も順番待ちで、すぐにはしていただけませんのが、私には有難いのです。予定がこなせます。
石は、急に大きくなったわけではありません。今思うと、横腹が痛くなったりしたことは、よくありましたが、スジでも違えたな、なんて思って辛抱していましたが、石のためだったようです。医者嫌いなどと言ったり、医療費は、国のためにも使いたくないなんて、カッコつけたりせずに、体調の悪いときには、ちゃんと診ていただくのがいいと、反省している昨今です。
薬のおかげで、予定に入れてあったすべての行事は、無事できそうなので、その準備は忙しいのですが、無理をせずにやっております。ご心配は無用でございます。(^^)
(ちなみに、前回【早寝】のブログを書きましたが、早寝はやめました。早寝しても、トイレに起きたら、あまり眠れず、寝床で目をとじていても、何度もトイレに行ってしまい、寝不足になりますので、いつものように12時近くに眠たくなって寝ますと、5時間くらいは眠れますので)!(^^)!



2019年3月15日金曜日

№1242 体調


 気温があがっていますが、夜はやはり冷えますね。

ご心配いただくようなものではありませんが、久しぶりに病院の薬を 飲んでいます。()

夜は、早寝をして体力を付けています。睡眠時間をたっぷりとるように、しています。明日に備えてもう寝ます。お休みなさい。

2019年3月3日日曜日

№1241 花粉症


  花粉症とはご縁がなかったはずの私め、この春先から、花粉症と思われる症状が出て来た。目がしばしばと、まるで小さな埃がはいったようになって、目があけられないほどになったり、鼻水が流れ出したりする。もうマスクが手放せない。

 以前、目がしばしばして眼医者さんに診ていただいたときは、トシをとると、白目にちょっと皺が寄ったりしてころころする、と言われ、目薬をいただいて治っていた。

今回は、TVで「今日は昼ごろになるとたくさんの花粉が飛ぶのでご注意ください」と言う放送があったので、「花粉症の方は、気の毒やなあ」なんて思いながら庭に出て草取りを始めたとたんに、私も気の毒な仲間に入ってしまったのだ。急になるとは聴いたことがあるのだが驚いた。

 先日も、花粉は多いらしいとのことだったので、家にこもっていたのだが、回覧板を回さなければと、マスクをして外に出て五分程して帰ってきた。やはり目がコロコロとしてきたから、花粉にやられたことは間違いなし。普段用の眼鏡では、予防にならないが、ゴーグルを付けての外出などはしたくない。()

 でも、これくらいの症状では、医者にいくつもりも、薬を飲むつもりもない。我慢が出来るからだ。医者嫌い、薬きらいなので、ころころがひどいときは、ちょっと手間をかけて、目を洗ったりして、置き薬の目薬でことをすます。

 それにしても、身体って、急に体質が変化することに、驚いている。これも、老化現象なのだろうか? いいようには、あまり変化しないので、やはり老化なんだろうなあ・・・。

2019年3月1日金曜日

№1240 終活


  暖かかったのか寒かったのか、あまりにも寒暖の差が大きな冬だったので、気温に翻弄されたような冬だったが、やっと春らしい光が差し込むようになった。台所に斜めに差し込む光が軟らかい。

 トシのわりに元気だと皆さんによく言われているのだが、まだ車を運転してあちこちするものだから、そう見えるらしいのだが、実は体調がくずれると、なかなか元には戻らないまま次第に、老化が進んでいる。これは、私だけに限ったことではなく、このトシがくると、殆どの方が感じていることだと断言できる。

 そんなこともあって、暇があると【終活】の時間となっている。これまでと違って、わりと真剣にやっているので、捨てるものもたくさん出てくる。例えばCDなど、何日もかけて整理したところ、50枚ほどを廃棄した。そのうちの20枚ほどは、2枚張り合わせて、両面光るようにして、鳥よけをこしらえた。柿の木に実がなったら吊るすためだ。鳥よけにはよく効く。2年ほど前から、洗濯物干し場の囲いに吊るしてからは、屋根も床も鳥のフンなどは、落ちていないし、鳥が近寄ってこないので野菜や魚の干物をつるしても大丈夫になっている。

 といったように、これからも、身の回りの整理に暇をみつけては励んでいくつもりである。

 

2019年2月19日火曜日

№1239 誘眠剤はもういらなくなるかな?


  なかなか寝付けないので、誘眠剤を半錠飲むのが習慣になってしまった。12時前後まで起きているので、早く眠りに付きたいという願いがあるにも関わらず、横になると頭の中を空っぽにできないのだ。以前、本を読んで、「眠れなくてもいい、昼間居眠りしたらいい」、なんて思っているのだがやはり本心は、居眠りしなくてすむような睡眠にあこがれている。 
 こんな状態は、ある意味で気持ち(心)が弱いのかもしれない。こんなことを思っているとき、「心の筋力をアップする呼吸法」という小文を読んだ。


まず、椅子に座り、目を閉じて両足をしっかり床に付け、鼻孔に注意を向け、息を吸いながら、空気が鼻を通る時の冷たさを味わい、空気が喉を通って肺に入る感じを味わい、吐く時は、肺から喉、鼻を通る時の空気の温かさを味わう、と。確かに、吸うときと吐くときの温度は違うことに気づく。これは、横になっても出来そうだ。また、腹部に注意を向け、息を吸った時の皮膚が引っ張られる感覚、吐く時の縮む感覚を味わうことでもいいようなので、こちらもやれば出来そうだ。


 空気の冷たさ温かさ、皮膚の張りや傷み、気持ち良さなど、反応や変化を味わいながらするのだが、途中、他の事を考えた時は、その都度身体に注意を向けて繰り返すことが大切なので、続けていると、誘眠剤はもういらない、というようになかな?・・・。と、期待しながらしてみたのだが、他の事を考えない、ということは、かなり難しくてなかなか寝付けなかったので、ここ二日程は、一応誘眠剤を飲んでからやっている。慣れてきたら、薬はいらなくなるだろうと、期待しながら・・・。!(^^)!

2019年2月15日金曜日

№1238  ミニ同窓会ご報告

 少々疲れはあったが、予定していたことなので、ミニ同窓会をした。集まった方たちが、「少し痩せたなあ・・・」とおっしゃる。体重は変わっていないのだが、顔がやつれて見えたに違いない。6名中、一番元気者のSさんが、何くれとお手伝いしてくださったおかげで、予定通りのことは、出来たのでよかった。  
 
 話が弾むと、私もだんだんと元気が出てきて、にこにこ顔で皆さんのお話の中に加わることが出来た。Iさんの孫さんが帯広に住んでいて、曾孫が出来た、と、スマホの動画を見せてくださったものだから、私も『帯広』と聴くと身をのりだしてしまう。やはり幾つになっても生まれたところは懐かしいものだ。

「今日は、早めに切り上げよう」なんて言っていた連中だが、帰ると言い出してからも、1時間も話が途切れず、5時近くなって慌ててお帰りになった。皆が、「楽しかったなあ、来月の日を決めて置こう、今から楽しみにしておくから」などと言ってくださると、「私も皆さんに元気を頂いた、友達って、いいものだ」としみじみ思う。いつものことながら、いい仲間の集まりだなあ・・と幸せを感じた一日だった。






 

№1237  実感


  最近・・・といっても、ここ一年くらい前から、よくふらつくようになった。初めのうちは、気がつかなかったが、転倒して、肩や手足を打ったことが原因かと思っていたのだが、本当は、じわじわと足腰が弱って来たためであることに気が付いた。転倒自体が、そうした原因なのだ。

歩くというのは、かならず、一本足で立っている瞬間がある。軸足だが、それが頼りなくなると、歩く時に、ふらつくようになる。杖をついたら歩きやすくなるだろうと思うのだが、杖はもっと先にしたいと思う。格好が悪いなどとは思わない。ただ、なるべく二本足を甘やかせたくない。

 明日は、月例の同窓生の仲良し6人の集まりがある。10人揃って元気だったころは、徳島でしていたのだが亡くなったり、出かけられなくなったりで6人になってしまった。徳島市内のホテルではお金もかかるし時間の制限もあってゆっくりおしゃべりできないということで、我が家が落ち着くということになってもう長い。昼前に集まって来る。いつも散らし寿司を注文して置く、汁ものとお漬物は私が作っておく。食事がすんだら、珈琲を飲みながらの雑談がもりあがる。皆は忘れてしまったようなことを詳しく覚えているSさんが、思い出話をしてくれる。皆呆れるほど記憶している。本人がわすれているというのに。() Sさんは、元気者なので、台所に居る私の手伝い係でさっとしてくれる。後の方は座ったらもう動かない。いや動かないのがいいのだ。()

 こうして毎月集まることを楽しみにしてくれているのは、私にとっても喜びであって、決してめんどうなことなどとは思わない。耳の遠い人、足の悪い人、医者通いしている人と、とし相応の体調だが、皆さん、口だけは達者なので楽しい一日になる。「楽しかったなあ」と言いながら帰るのを見送りながら、私も実に嬉しい気持ちになれるのだ。いいお友達がたくさんいて、幸せである。

2019年2月6日水曜日

№1236 冷え症


  私は冷え症です。冷え症というのは、冬は格別応えます。寒い時だけではありません。血行不良ということなので、年中冷え症は冷え症なのです。桜の頃になっても厚着し、気温が夏並みに上がってきてもなかなか薄着にはなれません。
  よく、〝冷えは万病のもと〟と言われていますが、これは、冷え症ということを、自覚出来ないと、色々な病気を引き起こすことになるのだろうと思います。私は、最近は自覚していますから、それなりの対策はしていますが、それでも、いろいろと気になることがあります。肩が凝る、こむらがえり、頭がぼーっとする、腰痛、手の節々の痛みなどなどです。
まず、首、足、腰を冷やさないことです。特に首や足は身体を温めるスイッチということなので、マフラーをよく用いていて、寝るときもむろんそれ用の首巻きをして寝ていますし、足も、靴下を穿いて寝ています。そのおかげか、風邪はあまりひかずに今まで過ごしてきました。(^^)
冷えのチェックというのがあります。脇の下よりお腹が冷たいとか、耳を折ると痛いと言うのは、冷えているのですが、今は冷え対策をしているためか、お腹も温かいし、耳を折っても痛くありません。といっても、冷え症が治ったわけではありませんから、油断すると、冷え症状が出てきます。とにかく、しばらくは防寒に努めます。!(^^)!
 


2019年2月2日土曜日

№1235 別れ


  1月の末、長い間親しくしていたSさんが亡くなった。学生時代は、二人がどら焼きみたいにくっついていたし、教員になっても、いや、退職してからは、同じ趣味で、彼女も随筆など書いていたものだから、葬儀から帰ったとたんに、気持ちが滅入ってしまって、何をしても失敗ばかりしている。

 彼女は、20年前に、脳梗塞を患った。手当がおくれて、片足の足首に麻痺が残った。たったそれだけのことだつたが、一人では生活がままならず、ご主人に助けられていたのだが、そのご主人に先立たれ、施設に入っていた。施設の中では、車椅子や歩行器で動いていたのだが、頭も口もしっかりしていたのに、急に体調が悪くなり、自分では何も出来なくなってしまった。それから1年近く、そのような状態が続いていたのだが、とうとう旅立ってしまわれた。

覚悟はしていたものの、冷たくなった彼女をみると、いろいろな思い出が胸に込み上げて来て、涙をこらえることが出来なかった。

このトシになると、悲しみというより、寂しさが気持ちを覆ってしまうのだが、こうしたこともトシとともに重たく心に沈んでくる。しかたのないことだが、ふと、思ったのは、高齢者が鬱になったり、認知になったりするのは、こうう気持ちが長く続くと危険信号だなあ・・・と。

 2月は逃げるというように、すぐに3月だ。気持ちを切り替えて、身辺整理や、しなければならないことに頑張ることにする。

 

2019年1月26日土曜日

№1234 寒い日


  寒い日は厚着をして暖房はあまり強くしない。その方が、過ごしやすい。鏡に映る姿は、まことに不格好で、背中とお腹は丸く、首は前にのめっている。誰も見ているわけじゃないけど、ちょっと恥ずかしい。

午後になってから、太陽が顔を出し、ガラス越しに見える空は青くなった。夏の青と冬の青は違っていて、見るからに寒そうな青色だ。それでも山の稜線が見たくなって外に出る。風は冷たいが、讃岐山脈の凸凹の稜線がくっきりと見えて気持ちがいい。着ぶくれているので,風は通さない。

一番高いおあさはん(大麻山)に登ったのは、もう30年も前だ。近所の方に誘われて行ったものの、私だけが息が上がってハアハア言ったものだ。若い時から山は苦手で、すぐに息切れがする。大好きな富士山にも登っていない。もともと心臓が怠け者らしい。普段から脈拍数が少ないのも、そのせいだろう。

家の裏庭に、たくさんの水仙が咲いている。植え替えなどはしていないのだが、雑草だけは抜き取っている。大好きな花だ。水仙のほかには、花らしいものは植えてないのだが、今は山茶花の花ざかりだ。もうちりはじめたので、樹の下は真っ赤になっている。手入れは、2年に一度剪定をしてもらう程度の無精者の主なので、草も木も、生命力はすごく、真夏の日照りにも水などやったことがないのだが、根を下の方まで延ばすらしく、枯れない。人間にも、こんな生命力があったら百歳以上の老人が増え過ぎて国は困るだろうなあ()

2019年1月19日土曜日

№1233 新年早々から


  今年は〝ついてない〟と思うことが続いた。まず元日早々に、と言っても、午前2時近く、台所その他の掃除を終えて、(寝てはいないが)年初めの初湯に入ろうと思って裸になったところが、風呂の栓がうまく出来たおらず、お湯が溜まっていなかった。2日には、使い慣れていたトイレの便座が壊れ、お湯が出てくるはずが、冷たい水が出て飛びあがる。調べても原因不明、冬場は耐えられない。慌てて取り替えて頂く。3日、年賀状の余分はかなり買ってあったのに、足りなくなった。町中のコンビニあちこち走りまわったが、どこも売り切れてなかった。こんな経験は初めてだ。4日、遠方に住む妹より電話、年賀状は出せなかった。肺がんのため入院、8日に手術するとのこと。後日、手術は成功でやれやれ。7日、朝まだ薄暗い中、出勤のため庭に出た家族が転倒して頭に傷、12針縫う。翌日から通勤出来たのでひと安心。14日洗濯機が動かなくなったので買いかえたが、取り付けは二日後になった。という具合で、災難やら心配事、おまけにオアシに足がはえて財布はカラになる。

こういうことで、何となく出足の悪い新年だ。ここらあたりで心機一転、いいトシでありますようにと願っております。(^^)

2019年1月10日木曜日

№1232 睡眠力


  医者嫌いの私だが、寝付きが悪いので、誘眠剤を頂くために時々行っている。二週間分しかいただけないのだが、14個を二つに割っているので、ま、3か月に2度くらい医院に行く。行くたびに診察を受けないと頂けない。聴診器で胸と背中をちょっと診て、血圧を測るだけだが、足が重い。

 寝付きが悪いだけならいいのだが、朝は、4時か5時に目が覚める。トイレに行きたくなって目が覚めるのだが、そのあとが眠れない。結局睡眠不足になってしまう。眠れないまま、6時には起床する。エンジンはかかりにくいから、のろのろと、朝の仕事がはじまる。身繕い(化粧は毎日することにしている)洗濯に掃除、ゴミ出し、朝食の準備などなど。朝食はなるべく8時からの朝ドラを見ながらしたいので、この時間頃からやっとエンジンがかかるのだが、食事は1時間近くかけている。(TVを見ながらなので、ゆっくりになる。)

ところが、朝食後、ちょっとTVを見ていると、すぐに居眠りをしてしまう。背を丸めて首を垂れての姿勢は、長くは続かないのだが、朝からの居眠りなんて、やはり睡眠不足が原因としか思えない。朝だけではない。1日に、何度も仕事中にも、うとうとしている。夜の睡眠中に、身体は疲れを回復したり脳の活性化が出来るというのに、と思うと、薬無しで直ぐに寝付けたり、4時5時からも再度眠りたい、何とかしたいと思い続けていた。

そして昨年【あなたを変える睡眠力】という本を見つけて買ってきた。本に書いてあることは、よく解る。実行出来るか?というと、そんなに簡単に出来るものではない。寝付くためにすることも、してはならないことも、私には無理なことばかりだ。

ところが、睡眠時間は短くてもいい。仮眠をしたらいい、居眠りは良いことで、短い時間でいい。横にならずに、何度でもうたた寝や居眠りはたくさんしよう、というのだ。『目をつぶるだけの1分間仮眠法』というのもある。【椅子に深く腰掛け、全身の力を抜き、リラックスするる。1分間目を閉じて、脳を休息させるという気持ちで仮眠する。1日の中で、何度もする。眠くなる前にするのがいい】と。これだけで脳や大脳皮質が休まるという。

うたた寝やこんなことなら出来る。なんとなく安心出来た。これからも、生活リズムはあまり変えられそうもないので、うたた寝はいいことだと思えただけでも、いい本を買ったと喜んでいる>

2019年1月1日火曜日

№1231 新年のご挨拶


明けましておめでとうございます。

昨年は気候の不順、自然災害と、嬉しくないことが続きましたが、皆様にはお変わりなくよいお年をお迎えでしょうか。本年は、皆様にとりまして、良いお年であります事をお祈り申し上げます。

 こちら徳島は、朝から太陽が輝き、窓からは雲ひとつ見えません。讃岐山脈の稜線が、朝日を浴びてふんばっています。

こんな田舎町に住んでいますと、自然を毎日目一杯楽しませていただいていますので、ビルの谷間に住んでみたいなどと、思ったこともありません。ときには自然の力に屈しなければならないときもありますが、それでも、大自然は生き物すべての古里です。生かされていることをしみじみと感謝しています。
 
 私は、毎朝体重計に乗って記録しています。大きなポスター程の暦に付けているのですが、この一年の体重は、ほとんど変化なしでした。ちなみに今朝の体重は46.1キロで昨年元日は、46キロでした。46キロの前後1キロほどを上下した毎日です。暴飲暴食も運動もしていないのですが、ごそごそ動きまわるので、歩数は3000歩数を前後する日がほとんどです。とは言いましても、体力脳力の低下はまぬがれず、もし調べていただいたら、2,3種類の薬を頂く結果になるかもしれません。医者嫌いなので、年1度の血液検査と、ときおり誘眠剤をいただきにいくくらいですが、今のところ、何とかやっております。

年頭の目標などは特にありませんが、これからは、一日一日を大切に生きるということで、目標は毎日立てる、ということで、小さく、数多くやっていきたいと思っています。ちなみに、今日の目標は、頂いた年賀状の整理と、文藝便り新年号(P6)の印刷の半分(出来たら全部)です。同じ仕事をしても、達成感がちがいます。夜、時間があれば、昨夜見ていないTVの紅白などの録画をみようと思っています。


ここまで書いて、中座しておりました。(年賀状がとどいたので)朝の天気と違い、雲が出てきて空が薄ぼんやりとしています。最近の天気予報はよく当たりますねえ。しかも、ご親切に、傘の大きさまで心配してくださいます。有難い世の中ですが、傘など、自分で考えさせたのがいい。その方が子どもなどにはいいのですよ。(笑)
 ともあれ、日本は平和です。こんな平和がいついつまでも続きますよう、念じております。。