2020年8月15日土曜日

№1297 終わりにします。

先日から、ブログの書き込みコピーがうまくできなくなりました。 随分長らく皆様にご愛顧いただきましたが、今回をもちまして、ブログを卒業いたしたいと思います。 心より御礼申し上げます。 皆様のご健康とご多幸をここよりお祈り申し上げます。 これも、うまくあがりますかどうかわかりませんが、ありがとうございました。        E-mail:hisa@post1.netwave.or.jp        

2020年7月29日水曜日

№1296 年寄りの務め

年金も医療も日本に住む以上大丈夫、と思っている私は、トシをとることに不安はない。というより、このような、生死にかかわるような大きな問題について悩むなんて、ストレスが溜まるだけ。そんなことに悩むのはアホらしいと思うから、不安などとは思わない。でも、心配性の方は、超高齢社会になっても?という不安があるらしい。戦争などおっぱじめたら別だが、平和日本である限り、心配はないだろう。ただ、「高齢者は社会のお荷物」と言われるのは、ちょっとシャクに障るねえ。高齢者にだって、務められることはあるはずと思いたい。名前からして「シルバー」といういいお名前を頂いているじゃないですか。

ある方が『トシ取るということは、ええことでよ』ということを見せるのが年寄りの務めです』とか、『成熟した老人文化作ってほしい』などと言っていたのを思い出す。しかし、これはちょっと難しい。トシとるのも悪くはない、と思うことはよくあることだが、他人様に実体として見せることは、なかなか出来そうにない。第一、顔かたちや躰つきといった見た目が衰えて来るのは大問題だ。何しろ皺ひとつ出来ても嘆く女性は多い。人生の生きて来た勲章なんて思うのは自分だけだ。「ええこと」とは自己満足で、他人様はなかなかそうは思ってくれないだろう。

老いてくると、たしかにいらいらしたり、責任云々で苦しむようなことは少なくなってくる。したいことだけしていればいいし、何とか自立出来るようであればいうことはない。政治にハラ立てて、デモに参加するほどの情熱もないし、孫子の世代を心配しても、どうにもならないことは解っている。

こんなことをほざいていると、【それが年寄りの文化ですよ】と言ってくれる人があるかもしれない。

みんなの行く道だ。『トシ取るということは、ええことでよ』と胸を張って言いたいですね。

いずれにしても、年取ることは、しんどいことですよ、なんて若者に見せるような事だけはしないのがよさそうだ。うかうかそんなことみせていたら、そんなら……と殺されてしまいそうな世の中やものなあ。  

2020年7月16日木曜日

№1295 年金生活


 新コロナが今だに猛威を振るっている現状は、お客商売をされている方たちなど、地域によっては大変なことになっておられるようだ。収入減どころじゃなく、ほとんど収入が無くなり、おまけに支出は抑えきれない。たちまち食べていかねばならないし、家賃は、払わなければならないような方たちにとっては、貯えの目減りは大きいだろう。その点、正規の会社員や公務員は、月給もボーナスも頂ける。目減りしたといっても、幸せだ。

年金生活者も有難い。働いていたのだから年金は当然だと、胸を張って言えないが…。私のように働いていた年月より、年金を頂いている年月が長い者は、何となくすまないような気持ちになってしまう。

思い出すのは、はじめて年金を手にしたときのこと。何と有難いことか。これからは、世のため人のために小さなことでもしながら生きていかねばと、殊勝にも思ったものだ。初心を忘れたわけではないのだが、あまり偉そうなことは言えない。反省してみると、お金にはならないことに、忙しくしているのは、人のためというよりは、自分がしたいことをしているだけのことである。この歳になると、イヤなことはしない主義だし、体力的にも無理は出来ない。したい事があるというのは、幸せなことだと思う。だから、年寄りになり、あちこちが思うように動かなくなりつつあるのだが、のろのろと仕事をしながら不幸だと思ったことはない。老いなどは、素直に受け入れるべきと思うので愚痴などは言いたくない。愚痴って顔をしかめるよりは、にこにこしている方が、傷む足のことも忘れられる。

いつかは、寝たきりになるだろう。ピンピンコロリなんて、そんなに上手く死ねる人はめったにいない。寝たきりになっても、年金は入って来るなあとニコニコ顔で寝ていたいものだ。

 

2020年6月27日土曜日

№1294 貯金箱


  ある店で、貯金箱を見て驚いた。有るわ有るわ、昔懐かしい金槌で割ってしまう型もあれば、置物として十分使えそうな高級品まである。我が家には、郵便局からタダで頂いた小さな郵便ポスト型と郵便ポストを擬人化してくねらせたような可愛らしい貯金箱が2個、棚に並んでいる。

 子供の頃からどうも意志が弱くて、貯金箱がいっぱいになるほど貯まったことがない。目的を決めて貯めはじめても、いつも途中で引き抜いて祈願満願の喜びを知らないで大人になった。

 今は、500円玉が財布に入ると、貯金箱にいれている。これは、知人が毎日郵便局まで散歩して、500円貯金をしていると聞いて始めたのだが、それを貯金通帳に入れるということは、していないので、貯蓄目標とはなっていない。元来、家計簿は付けているものの、予算をたてているわけではないし、年金その月暮らしの身なので、使い過ぎたら貯金が減るということだ。

 ただ、最近の若者と違って、貯えが無くなるほどの贅沢はしないし、少ない年金でも、赤字を出さないようにと心がけている。勿論、借金してまで外国旅行をするような真似は出来ない。

 これは、私だけではないだろう。戦前戦後の苦しい時代を生きて来た年代の者は、贅沢は身に付いていない。お金の有難さは身に沁みている。私も困っている人たちを助けたいという気持ちはあっても、大きなことは出来ない。出来る人もおられるが、そんな方は、ホントに尊敬する。

 年金を始めて手にした時は、仕事もしないのに、頂けるのは、有難い制度、これからは、出来る限り、世のため人のために出来ることをしなくては・・・と思ったものだ。初心を忘れたわけではないが、もう今は、人さまに迷惑をかけずに生きて行きたいという思いだけになってしまった。

 

2020年6月18日木曜日

№1293 新コロナウイルス 2


  新コロナウイルスに対する色々な対応を、行き過ぎているということが言われはじめている。私もそう思っているのだが、何となく、症状や死者の数から考えても、一般の流感と、さほど変わらないように思うのだ。(統計も出ている)小学校では、毎年、流感で何人もの子どもが感染し、学級閉鎖などが行われてきたものだ。 最近の死者の中には、以前からの持病のために亡くなった方たちも、コロナで亡くなったと言われている方もおられるようだ。ただ、予防注射もなく、薬もないという不安もあるのだが、それでも死者の数(%)は、そんなに変わらないのではと思う。

日本人の殆どがBCGを注射している関係で、私達の体には、かなりの免疫力があるらしい。このBCG、もうご存じの方が多いと思うが、結核菌のワクチンであるBCGの予防接種をした人は、BCGをしていない人より免疫力が高く、新型コロナウイルスに感染しても重症になりにくいのでないか、という分析が出ている。戦前からBCGの予防接種が広く行われ、結核撲滅のため全国民を対象にBCGが接種されてきた日本では、新型ウイルスの発症者の比率が世界的に見て異様に少ない。対照的に、感染者が急増している国には、これまで全国民を対象にしたBCGの接種が行われたことがないらしい。

またいらぬ事を書くが、もし毎年流行して来た風邪とあまり変わらないコロナであれば、世界的にこんな大袈裟に騒ぎたて(病人以外の人達をも巻き込んで)、影響を受けて苦しんでいる人達を作ってしまったこの現実は、一体だれの責任なんだろうか?

2020年6月9日火曜日

№1292 盲導犬


  TVで盲導犬をみて思い出したことがある。かなり以前のことだが忘れられない。仙台で、盲教育の全国研修大会があった。会の始まりが9時なので、同じホテルに県外からの参加者が10数名程その前日から 泊っていた。お迎えの方がこられ、「歩いても15分ほどですから、歩きましょう」ということで歩いて会場に行った。そのとき、盲導犬を連れている先生がお一人いらっしゃった。「ワンちゃんを連れての旅行は大変だろうなあ」などと思いながら歩いたのを憶えている。
 
 会場では、いくつかの部会に分かれたのだが、私とワンちゃんは、同じ部会でお隣の席だった。感心したのは会議中、机の横に座っているワンちゃんは、クンともスンとも声を出さずに、じっとして動かない。お弁当がくばられて、皆さんが食事をしていても、じっとしている。
 食事がすんで、めいめいが庭に出たりし始めたとき、初めてワンちゃんと先生は、出てこられ、ワンちゃんに食事を与えられていた。「盲導犬って賢いですねぇ驚きました」と申し上げると「もう私はこいつに頼りきりですよ」と笑っておられた。

 更に驚いたのは、帰りである。同じホテルに帰るのだが、だれひとり、道を憶えていなかったが、ワンちゃんを連れた先生が、「大丈夫ですよ、これが連れて帰ってくれますから」と。ワンちゃんを先頭に、ぞろぞろと帰って行く途中、ワンちゃんの足が、ぴたりと止まった。それは、珈琲店の前だった。その先生は、いつも学校の帰りに珈琲店に寄って帰るのだそうだ。ワンちゃんの臭覚も凄いのだろうが、ご主人さまに対する心構えには、【所変われども】なのだ。ほとほと感心させられた二日間だった。

 同じワンちゃんでも、家で可愛がられて抱っこされている犬もいる。そうしたワンちゃんも、それなりに飼い主さんを癒しているのだが、盲導犬は、なんと健気なワンちゃんであろうか。

 

2020年6月4日木曜日

№1291 忙しい!


  お蔭さまで新ウイルスのことでは、あまり神経質にもならずに暮らしているのだが、世の中が、これだけ何もかもがマイナス現象になってしまうと、気分は晴れない。いくら年金はいつも通りに頂けても10万円頂けても、多くの方たちが喘いでいらっしゃる姿が、これでもかとばかりにTVで報道されていると、心が痛む。

外出も控えてしまうと、(まだ治りきっていない股関節のこともあるし)運動不足が気にかかっている。(ご心配頂いている皆様に、申し上げます。もう、杖をついての歩行は卒業いたしました。ゆっくりですが、杖なしで歩いております)

 別に仕事を増やしたわけではないのだが、何をしても、時間がかかるようになってきたので、ゆっくりとのんびり過ごす時間が少なくなってきたようだ。さっと出来ていたことが、一息つきながら(休みながらと言うべきかなぁ)するものだから、何をしても時間がかかる。躰自体が重たく動きが鈍くなっているから仕方がないのだが……。でも、家事一般にしても手を抜きたいとは思わない。思わないが、以前のように、きちんと出来ているかどうかは解らない。モノ探しの時間も増えている。これだけは、舌打ちしたくなる。
 ま、したくないことはしない主義なので、いやいややっていることは少ないのだが、何となく、だんだん忙しくなってきたような感じがする。
 出来ることは頑張っていこう、というのが、前向きに生きている、というのなら、前向きかもしれないが、トシをとるということは、こういうことかと、しみじみと実感している昨今だ。……とはいうものの、けっこう一服しているじゃないの、忙しいなんて、言うなよ! という声がどこからか聞こえてくる。





 

2020年5月26日火曜日

№1290 嫌がらせ




  世の中には、色々な人がいて、色々な虐めや嫌がらせがあるようだ。そういうことをされて自ら生きて行くことを断つ方もおられる。多分、幸せな人生を送っておられる方は、そのような人を苦しめるようなことはしないだろうから、幸せになれずに心を曇らせている人たちも多くおられるのだろう。
 幸せって、何だろう?と思う。以前TVで「あなたは幸せですか?」という質問に、「幸せです」と答えた人の多い国は、コロンビアで、日本は、21位だったとか。コロンビアという国は、殺人が日本の百倍もあるらしい。しかも麻薬のはびこっている国とも言われている国。「家族が仲良くくらしている」「仕事がある」こうしたことが幸せと答えた理由なのだ。足元の幸せに満足しているのだ。

こうした考えからいうと、日本人は、もっと幸せ度が高くなってもいいはずだが、あまり満足はしていないようだ。もっと経済的に……という欲があるのだろうか。お金は、あり過ぎても大変らしいので、欲張らないことも、幸せの近道だろう。

 私は思うのだが、「分相応の暮らしをしている」と思える人は、みんな幸せだと思っているだろうと……。

 




2020年5月20日水曜日

№1289 明るい話


  新型コロナウイルスで毎日が大変なことになっているが、私は専門的なことはよく分からないのだが、感染しても、たいしたことなく完治する方が多く、死亡率から考えても、毎年流行るウイルス性の流感と、大して変わらないという数字が出されているようだから、ちょっと騒ぎすぎではないの?と言いたくもなる。

 こんな時期なので、明るい話を書いてみよう。随分古い話だが、小学2年生のA子の日記を思い出す。


「今日、B子ちゃんが、私に言いました。「私、太郎ちゃんが好きなんよ。太郎ちゃんに それを言いたいから、いっしょに付いて行って」とたのまれました。私も太郎ちゃんが好きだつたのに、仕方なく、いっしょに行きました。太郎ちゃんは、庭でボール遊びをしていました。B子ちゃんは、太郎ちゃんのところに走って行って、「太郎ちゃん、私を好きになってくれませんか」と言いました。太郎ちゃんは、「僕は、今、C先生が大好きなので、誰も好きになれません」と言いました。しかたなく二人は、石を蹴りながら帰りましたがB子ちゃんは、「C先生には かなわんなあ」と何回も言いました。私もそう思いました。

この日記の主は、もう30歳になりました。

2020年5月8日金曜日

№1288 股関節痛


  3月の末頃から、急に左足の股関節が痛くなった。初めは、運動のしすぎかと思っていたのだが、気になって病院に行ったところ、5年前のレントゲン写真と比べて大した変わりがないので、神経痛だろうと言われ、傷み止めの薬をいただいた。(5年前は、腰が痛くなって行ったのだ)でも10日過ぎてもますます痛くなったので、再び行くと、股関節の痛みという。暫くしたら痛みも取れるだろうということで、同じような傷み止めの薬だけ出してくれた。が、一向によくならない。痛い時は、杖を突いた方がいいと言われて使っていたが、何と言うか、膝が痛いのとは傷み方がちがう。足の付け根が痛いというのは、こんなに歩きにくいものかと思った。仲良しのK子が来て、私の様子をみるなり、研究熱心な鍼灸院の治療を薦めてくれた。藁にも縋る思いで、そこに4回ほど通ったところ、かなり良くなって、今は、杖なしで歩いている。医院のように保険はないが、予約制でたっぷりと一時間以上、本人の痛みを聞いてくれながらの治療なので、満足している。1回5,000円だ。都会なら、これだけの治療は、1万円くらいするはずだ。田舎なので安いのかと思う。Kが言う。「今は治療費、惜しくないやろ?」私「惜しくないわよ、治るんやから」K「惜しくなる頃に治るんよ」(笑)

2020年4月17日金曜日

№1287 溜息


  日本国中、溜息のでるようなニュースばかりである。徳島県は、日常から他県との交流が少ないというか、観光客も普段は通り過ぎて行くような県のためか、コロナウイルスの侵入も少なくて、今のところは陽性患者さんはゼロである。県外に出ている学生さんなどが帰郷せず、帰ってこなければ、このままの状態が保てるのかもしれない。

 こんな暢気なことは言っておれない話もある。私の身内では、出世頭かと思っている60そこそこの甥が癌に犯されて死期がせまっている。田舎に住んでいる病弱な母親は、TV電話で彼と話は出来たあと、会いに行くと言うのだが、周囲に止められてしまった。死んでもいいから会いに行くというが、母親一人の問題ではないと、止められている。助からない命なら、せめて大勢の方々に見送られて逝けるまで、生き伸びて欲しいものである。

 世の中には、こんな話どころではない悲しい話が山ほど詰まっていることだろう。そうした方たちの溜息は、消す事は出来ぬまま、沈殿していくのだろう。一日も早く、何とかしてほしい。 

 

2020年4月2日木曜日

№1286 新年度


  41日の昨日は、雨風の強い一日で、まるで今年度の様相を象徴しているかのようなイヤな一日だった。新コロナウイルスのため、何もかもがマイナスになっているこの状況は、世界の平和をかき乱してしまった。もし、このウイルス発生に、どこかの国の不衛生とか、生活習慣とか、何かの原因があるとすれば、口には出さないが、恨めしい問題であろう。

 つい最近までは、この周囲は、そんなに気にすることもないだろうと思っていたものだから、マスクが買えなくても早朝から並んで買うこともなく、人ごみの中に買い物に行ったりしていたのだが、一向に治まる気配もなく、徳島にも患者さんが帰郷して、夢タウン等で買い物をしたなどと聴くと、出歩くことも、最小限にと心掛けている。万一のことになれば、自分だけではすまなくなる。このトシでは、ちょっぴりのウイルスを吸いこんでも、肺炎になり天国逝き間違いなしだ。まだ何の身辺整理も出来ていないので、それだけは避けたい。

 県外に住む孫夫婦が、一年ほどイギリスに住んでいて、先日帰国した。感染はしていないのだが、2週間は、散歩程度の外出ということで、ホテル住まいをしているらしい。「日本に帰ってきて驚いたわ。皆、危機感あまりないなあ……」と。感染者数が少ないことが、危機感のなさと関係しているのだろうが、知らぬうちに感染している人がたくさんいるだろし、そうした人たちから、ねずみ算式に増えて行くこともあるのだから、都会の人達は、もっと危機感をもつべきだろう。【人を見たら泥棒と思え】じゃないが、【人を見たら、ウイルス持ちと思え】くらいに用心して行くべきだろう。ああ、田舎者でよかったなあ。

2020年3月25日水曜日

№1285 もっと心配性に……


  人間を長くやっていると、色々な物が体内に溜まって来る。良い物が貯まるのは歓迎だが、そういうものは少なくて、ストレスとか心配ごと、後悔などのような不燃物が、解決されぬまま、月日が流れ、忘れていく。しかし、忘れたというのは正しくなくて、心の奥深く包み込んで沈殿しているのだ。私的なことばかりではない。国の行く末、地球の将来、などなど、真剣に考えだすと、夜も眠れなくなってしまう。だから私はノンキな楽天家となって生きて来た。「なるようになるさ」と。でも時々思う。私ってもっと【心配性】になるべきなのか?と。

 その一つに、認知問題がある。忘れることが多発、憶えなければいけないことが、中々憶えられない。もしかして頭の中は天津甘栗のように、隙間だらけになっているのでは……と。以前このブログに書いたかもしれないが、(こういうことも忘れているのだ。)認知だけは心配になって、調べてもらったことがある。初めに色々と質問されるのだが、それには皆答えられるものだから、先生は初めから認知ではなさそうだと思ってしまうためか、真剣には見てくれない。脳の写真では写らない認知症もあるだろうに、「心配ありません。少し鬱気味ではありませんか?などとおっしゃって、鬱の薬をくださった。鬱どころかノンキ者なのに。()

 最近の新コロナウイルス問題についても、あまり神経質にはなれない。この徳島県で、そんなに心配することはないじゃないか、と思っているものだから、人ごみにマスクをして出かけることもしない。マスクをするときは、ろくに化粧もせずに出かける時の、日焼け防止のためとか、防寒のためだ。こんな心がけではいけないのだ、もっと危機感をもつべきだろう、もっと心配性にならねばと思うのだが、ノンキにかまえている。これは、持って生れた性かもしれない。直りそうもないから……。

2020年3月19日木曜日

№1284 障碍者


  長い教員生活の殆どを障碍者の教育に当たってきました。障碍の無い子供の教育も、初めの4年間は経験しているのですが、やりがいのあったのは、やはり障碍者教育だったように思います。難しい教育でした。何も分からないのに飛び込んで、失敗もありましたが、否応なく、いろいろと勉強せざるをえなかったのは、ありがたいことだったと思っています。

 今日TVで、出産前検査で、産む産まないの選択ということで放送されていました。そういう時代になっているのは当然だろうと思います。それを見ながら、ある日の教室の一場面を思い出しました。盲学校の中学部の特殊学級を受け持っていた時のこと。夏休みが終わってのある日のことでした。

「夏休の思い出で、どんなこと、心に残っているかしら」

A「ぼくはなあ、母ちゃん泣かしてしもたことやなあ」

「ありゃりゃ、お母さん泣かしたん? どうしたん?」

A「ぼくがな、こんなぼくでも、産んでくれて嬉しい言うたらお母さんがおいおい泣きだしたんよ」

……私も泣きだしてしまったのです。これでは授業にならんと思いながらも、涙がとまらなかったのです。

B「こら、Aよ、先生も泣かしたらあかんやないか。あかんやないか」
 泣き虫の私は、Aのお母さんの気持ちが胸いっぱいに広がってしまったのです。

 Aが、生まれてきて良かったと心から思っていることが、とても嬉しかったです。お母様きっと、嬉し涙と、障碍者に産んでごめんなさいの気持ちとが、泣かずにはおれなかったのでしょう。

今は亡き、A君のご冥福を祈っています。

 

2020年3月15日日曜日

№1283 香害


  あまり聞いたことのないコトバだが、人工的な香りに含まれる化学物質によって、吐き気や目まいなどの症状を起こす人が増えていて、公害をもじって、香害という呼び名になったらしい。

私は、そんな害にあったことはないが、そうした香りはあまり好みでない。その主なものは、化粧品、洗濯に使う柔軟剤などらしい。化粧品のほとんどに香りがあるのだが、香水は別として、付けた時は少々香っていても、そのうち消えてしまうように思うので気にならない。今、先ほど付けた手の甲のクリームも、鼻を近づけて嗅いでみても臭わない。勤めていたこともあり、化粧は習慣で、このトシになっても、毎日欠かさない。顔のシミやしわを隠す?目的もある。ただ、薄化粧らしくみせねばならないので、けっこう手間はかかる。()

洗濯の柔軟剤は使わない。理由は乾かしても匂いが残る。洗剤の匂いが残るのはなお嫌なので、決められた量の洗剤は入れるが、出来あがったら、そのまま、もう一度「洗い」だけ繰り返して脱水している。洗剤の匂いは殆どしない。

私は何事にも鈍感な方なので、その程度なのだが、敏感な方は、そうはいかないらしい。新聞によると、カフェを経営しているご夫婦は、科学物質の過敏症を発症したとか。店の入り口に、柔軟剤を使用した衣服の着用した人の入店を控えてもらよう張り紙を出したという。また、女子社員の香水によって同僚が知らないうちに症状をひきおこすこともあるというから怖い。

そういえば、妹のひとりは、娘時代から、化粧は一切しない。結婚したとき、化粧をしなければと思ったが、夫に化粧は嫌いと言われて喜んだようだ。トシとって皺もシミも出てきたが、化粧する気にならないという。自分の娘の結婚式の時も、スッピンで留袖を着ていた。化粧は身だしなみと思っていた私だが、しなければしないで、それなりのプラスはあるようで、「私は素顔でも姉妹では一番の美人やろ?」と、面の皮も厚いが、誰もが認めている。残念ながら手入れしているだれよりも、顔も素肌もきれい。肌も、香害を受けているのかもしれない。

香害を取り締まることは無理だろう。隣にすわっている同僚に「化粧してくるの、止めてくれない?」なんて言えそうにない。自然の香りだけを用いての製品には限りがあるだろうが、化学物質を使わない製品や、無香料の製品がたくさんでてきてほしい。

人々は、良い香りを嫌っているわけではない。自然の香りは、心身をリラックスしてくれる。疲れた夜など、枕元でお香を焚く。線香一本でリラックスできるのだ。あちこちに、自然の美しい花々が香り高く咲き乱れている町づくりができたら、素晴らしいことだと思う。

 

2020年3月7日土曜日

№1282 柿の木


  庭に2本の柿の木がある。義母が生きていた頃は、蜜柑の木が何本もあったのだが、今は、総て枯れてしまった。私が柿の木を植えたことはないので、多分、義母が何時の頃かに植えたのだろう。柿の木の寿命は、50年から300年とも言われているのだが。何の肥料も与えず手入れもせずなので、50年もすれば、多分枯れるだろう。もう寿命が来ているのかもしれない。

実をつけだしたのは、記憶にない。【桃栗3年 柿8年枇杷のアホめは13年】と言う諺? を聞いたことがある。何時まで実をつけてくれるかは分からない。

 10年も前になるだろうか、3年程実を付けなかった。木の幹をトントン蹴りながら、「どうして実をつけないの? もう切ってしまうよっ」と叱ったところ、再び実を付け出した。私の気持ちが通じたわけではないだろう。柿の木も、一休みしなければ、身が持たなかったに違いない。

 柿に限らないだろうが、実の生り年と裏年というのがある。昨年は、裏年で、一つも口に入らなかった。上のほうに、20個程生っていたが、総て鳥の餌になってしまった。消毒をしたら、少しは実を結んだのだろうが……。

 そんな柿の木が、家の垣根の外の一段と低い土地に根をのばしたらしく、柿の木が生えて来た。チョン切る事もせず放ってあるのだが、子指ほどの太さで、二本出ている。ふと思った。「柿8年か、これが実をつけるのは、見届けられないなあ」と。にわかに、「ああ、私もトシとったもんやなあ……」と思った。秋には90歳になる。まだ90歳だ、と思うことにしようか……。

2020年3月4日水曜日

№1281 常識


  普通、常識というのは、一般人が持ち、というか、持っているべき判断力、思慮分別などをいうと思うが、最近、ふと常識は、人それそれにかなり違うものかなあと、思ってしまった。今回のコロナウイルス事件で、TVでもしきりに、トイレットペーパーは、国内で生産されているものなので、買いだめなどしないように、と言われているにもかかわらず、Aスーパーのトイレットぺーパー売り場が、カラッポになっていた。B店も売り切れていた。私は自分では常識人と思っているので、買いだめをする人たちが不思議でならない。そんなことをしたら、たちまち家に余分の無い人たちはどうなるのか、と心配してしまう。どうも、自分さえよければ、という考えは、常識なんだろうか……。古女の呟きでした。

 

2020年3月1日日曜日

№1280 新コロナウイルス


  まだ冷たい風が吹いて来るでしょうが、庭の雑草や木々が春らしく精気を取り戻したような感じがしています。

徳島県に新コロナウイルス陽性の方がいらっしゃったようですが、本日退院され、家庭に帰られたとのニュースを耳にしました。特に症状もなかったらしいのですが、ひどく騒がれてしまいました。私は、何の心配もせず、自由に外出もしていましたが、ちょっと騒ぎ過ぎでは?と思いました。全国殆どで、明日から学校は、お休みになる気配です。沢山の患者さんが出ているところは危険ですから、一斉休業の意味はあるのでしょうが、この徳島県で、そのような処置は、必要なのか?と思うのは、のんき過ぎるのでしょうか。

 私の町も、ほとんどの集会は、キャンセルとなっていますし、施設も使えなくなっています。私のようなのんき者ばかりではありませんから、直ぐ近くの店に行くのも気遣ったり、近所の数人が集まるような会にも、出て来ない心配性の方も事実いらっしゃいます。

こういうときは、私のようなのんきな性格は、得やなあ()と思いますね。

2020年2月21日金曜日

№1279 叱る


  あるTV番組をみて思った。一口に言うと、子供を叱ったら子供のためにはならない、何故そのようなことをするのか、考えて、その原因をさぐって取り除く事が大切で、叱るのは、子供にとって何の利益にもならない、というようなことだった。

 子供のころ、よく叱られた私としては、「そうかしら?」と、首をかしげてしまった。同じようなことを仕出かして、何度も叱られた記憶もある。叱られながら、叱られるのは当然と思ったことも多い。暗くならないうちに帰りなさいという家の決りを守らず、遊びに夢中になり、気が付いたら、薄暗く、走って帰ったが、間に合わず、叩かれたこともある。親は、かなり心配していたにちがいないのだが、気持ちとしては、不満はあったが、すぐそんな不満は消えていた。

 しかし、こうした経験は、別に悪いことではなかった。今になって思うと、懐かしい思い出となっている。

 子供のころからよく叱られても、よその家を羨むことは、まったく無かった。平凡な自分の家や家族だったが、最高と思っていた。この家に生まれてきてよかったと、思っていたのだ。お金持の家を羨んだりすることはまったくなかった。と、いうことは、叱られることが私にとってマイナスではなかったのだろう。

 思うに、親や家族が、本当に子供を愛していたら、叱り方もちがってくるはずだ。叱っても叩いても子供にとってマイナスではないと思う。叱られることの経験がない子が、大きくなって社会人になると、どうなるのだろうか、と心配になる。社会人になってはじめて小言を言われてショックをうけて会社に行きたくない、なんてことにならないことを願う。

 

2020年2月16日日曜日

№1278 赤ちゃんの名前


  いつの頃からだろうか、子供の名前が変わって来たのは……。カナをふってなければ、正しく読めないような名前が増えて来た。

  例えば、私の町の毎月発行されている広報に、「こんにちは赤ちゃん」というところに1月に届け出された親子の名前と住所が掲載されている。両親のお名前は、総て読めるのだが、赤ちゃんの名前は、17名のうち、正しく読めた子は3人、奏成(そうせい)ちゃんと、瑛斗(えいと)ちゃん,愛依莉(あいり)ちゃんだけだった。あとの14名の赤ちゃんの名は、括弧の中のひらがなを見て、「へえー、そんな読み方ができるのか」と、思うようなお名前だった。「ああこれは解る、姫奈は、ひめなちゃんだろうと思うと、【ひな】ちゃんだったりする。虹心ちゃんは、にこちゃんなので、なんとか納得できたが、心詩ちゃんという女の子の名は、こしちゃんかと思ったが、みうちゃんだった。

 漢字の読み方が、幾通りもあったにしても、以前は、だれもが納得できるような呼び名だった。私の父は、延(のぶ)太郎だったが、のぶをえんと呼ばれることがあった、と聞かされたことがあったが、それくらいの間違いだった。

 元教員としては、【先生泣かせ】の名前と思う。こうした流行り(といってはいけないのかな)は、なるべくすたれてほしいと思うのは、私だけだろうか、花子さん、太郎さんが懐かしい時代になってしまった。何となく漢字というものが、泣いているような気がしてならないのだが……。

 

2020年2月10日月曜日

№1277 文化人


   文化人といっても、色々と幅は広いだろうが、公衆道徳ということが、守れることも一つの条件だろう。町を車で走っていると、前を行く車が、窓から何やらポイ捨てをした。町には、先日立派な文化ホールが出来て、色々な催しがあるのだが、そんな催しものを見聞きしても、なかなか文化人には成れないのが、この世の中らしい。
 我が家の近くに大きなスーパーが出来てから、家の前の道路には、食べ残しの弁当やら、空き缶などのポイ捨てが多くなっている。ゴミを出す日には、家の近くを見て、それらのゴミを拾いながら出しに行くことになる。
 ざっと2000年も昔になるだろうが、かの有名なベスビオ噴火で、ポンペイと運命を共にした町が何と13もあったらしいが、その一つ高級リゾート地の発掘の時、今ふうに言うと、歩行者天国のようなところの交差点で、【公共の場所にゴミを捨てるな】と書かれた布告が発見されているらしい。その時代より、世の中は、随分進歩してきたのだが、永遠と言っていいほど足踏みばかりしている人間の現実は、何としたものか。本物の文化を伝承していくことは、難儀なことらしいと、つくづく考えさせられた。
 

2020年2月3日月曜日

№1276 春近し


  1月があっという間にいってしまった。2月というのは、1年のうちで、一番寒いと感じる月で、名ばかりの春である。あまり好きな月ではない。1月のカレンダーをびりっと破りながら、「はや2月かぁ、2月は逃げる、3月は去る、ああ、すぐに4月がくるなあ……と、溜息まじりの声が出る。

90歳も近くなると、躰の動きも鈍くなる。最近特に躰全体が重く感じる。別に体重が増えたわけではない。朝、寝まきを脱いだら裸で体重計に乗るのだが、ここ2年間の体重は、殆ど変化はない。

ま、愚痴は言わないことにしているので人様の前では、毎日ニコニコ顔をしているので、皆さんに「あんたは元気でいいなあ」と言われている。カラ元気なんだけど……。

老人ばかりの施設に入っている友人が、『トシとると、自慢とヒトの悪口しか言わない人、泣きごとと、愚痴ばかり言っている人が居る』と。やはり、自分を写す鏡を曇らせず、【どんな老人になるか】という目標をしっかり持っていないといけないなあと、教えられた。

明日は立春だ。ちょっと温かくなりそうだぞ、なんて気を緩めたら、風邪をひきそうだ。しばらくは、厚着スタイルでいこう。

2020年1月26日日曜日

№1275 運のよしあし


  世の中には、色々な運というものがあるが、籤運などは悪いと言ったところで、そんなに悔やまれるものでもないのだが、そうかといって嬉しい事ではない。幼い時も、駄菓子屋で引く籤も大抵はスカだつた。今年の年賀状の番号も調べてみると、100枚ほどの中で、1枚の切手シートも当たらなかった。今年だけではない。今までに、切手シートは、1まいか2枚を手にする年は、よくあることだが、それ以上のものは、当たったことはない。

反対に引きたくない籤は引いてしまう。忘れられないのは、師範学校に入学して間もなく、女子学生の制服の生地が、教室にとどけられた。紺色のサージで格安だった。数は5枚ほど少なく、皆に当たらない。その5枚の不運の籤を引き当てた私は泣きたかった。皆がそれでスーツを作って着ていたが、私は父の背広を仕立て直したものを着ていた。こういうことは忘れられない。

金運というのもあるようだ。籤運が悪いので、宝くじなどは買ったことはない。あるとき旅行先で、手相をみてもらったことがある。そのとき、「あんたは、これから先、生活に困ることはまずないけど、お金が貯まっていくようなことは、あまり期待しないほうがいい」と。もう年金生活者だったので、納得出来た。期待などしていない。これから先、年金がどれだけ頂けるものか分からないけど、不安はない。それなりの生活をしたらいいだけである。戦後の貧乏暮らしの経験があるので、貧乏も平気だ。

お金で困っているわけではないのに、先々のことが不安で愚痴ばかり言っている人がいる。夫さんは、会社の重役さんだった。亡くなられたが、旦那の年金で、十分生活出来るし、別居はしているが、立派な長男夫婦が近くにおられ、毎週来てくれているらしいのに、お金のことを心配ばかりしている。預貯金が少ないという。どれだけあればいいのかしらないが、頂けるだけの年金で暮らしていったらいいことで、少なくなったらそれなりに節約して、いったらいいではないか、と思うのだが、やれ、病気したら、やれ家が焼けたらなどなど心配していたら、キリがない。こんなストレスを抱え込んで生活していると、折角の幸せを感じることなくて、こんなばからしいことはない。まあ、他人さんのことにあまり口出しはできないので、「私は貴女より年金も少ないし、預金も少ないけど、心配は何もない。病気したら、年金で賄えるだけの手当てしてもらうから。入院だって、大部屋にはいったら、大丈夫だしね」と、大きな事を言っている。

お金はいくらあっても邪魔にはならない、というが、大金を持った人たちが、欲張りになって、悪い事をしている世の中だ。お金は、平凡な生活が出来、たまに友達と旅行が出来、食べたいものが食べられたられ、葬式代くらいの預金があうれば、幸せと思って暮らすのがいいと思う。

人生の最後に、「私の人生は、運が良かったのか悪かったのか?」なんて考える暇はあるのだろうか? あれば、「ああ、いい運命だつたよ。今も幸せだからね」と言いたいものである。

2020年1月16日木曜日

№1274  車の運転


  90歳近くなって、車の運転をしているのは、めずらしいね、と言って下さった方がいるのだが、私の同級生で、車に乗って居られる方は多い。そんな方は、車がないと、色々な活動を止めることになるとおっしゃる。私などは、そんなに活動しているわけではないが、毎日の買い物でも、車がないととても不便で、近くのスーパーにしか行けなくなるし、重たい物など、買って帰る事も出来なくなる。

 お蔭さまで、私は車に乗ることが好きで、今となっては私の自慢できることは、運転しかない。() 自分から事故をおこしたこともない。違反もあまりしていないので、ずっと優良運転手で、点数を引かれていない。

 私は、家でパソコンなどで疲れてくると、車に乗りたくなってくるのでドライブに出掛けることが多い。肩が凝ったときなども、買い物を兼ねて遠方のマーケットに出向く。ハンドルに手をかけていても、力は全く入れていないから、肩はリラックスしているので肩凝りは自然に楽になる。ま、夜間の運転は、目を凝らして見ているので、多少目が疲れるので、なるべく昼間に用事を済ませている。

 今年の秋には、免許更新がある。何でもよく忘れる頭になっているが、テストは大丈夫と思う。満点とれる方法もある。間違う所はたいてい16の絵をみせられて、あとで、その絵に出ていたものを憶えていて書かされる所だろう。出て来る絵の種類は、決まっている。その種類だけを憶えていたら、大抵書ける。その名前は、次の16種類。( )内は例

戦いに使うもの(大砲) ②楽器(オルガン) 
体の一部(耳)     ④電気製品(ラジオ)
昆虫 (テントウ虫)  ⑥動物(ライオン)
文房具(物差し)    ⑧乗り物(オートバイ)
果物(ブドウ)     ⑩衣類(スカート)
野菜(筍)       ⑫台所用品(フライパン)
(鶏)        ⑭(ばら)
大工道具(ペンチ)   ⑯家具(ベッド)

*この青色の16種類を憶えていて、名前を書く時に「果物は何だったかな?」というふうに思い出すと思い出しやすい。高齢者のテストに、このような、テストが必ずあるはず。これが全部できたら、まず満点とれるだろう。うっかりミスというのもある。例えば時計の針など、うっかりと長短を反対に書くなど。
ま、いらぬ事まで書いたが、ご参考になればありがたい。

2020年1月9日木曜日

№1273  火災


  最近のTVニュースで、火災のことがよく放送されている。逃げ遅れて死亡された方がおられるような火災を主に放送しているのかもしれないが、出火したらたちまちのうちに家中に煙がまわっていくらしい。私の知り合いの方が、先日、家がまる焼けになられた。コンセントから火が出たらしく、あっというまに火の手があがり、二階にいた方は、家の中の階段から降りられず、外に付けてあった階段から逃げたという。夜だったが、まだ皆さんが起きていた時間だったので助かったものの、寝ていたら、全員焼け死ぬところだったとか。

 コンセントが、完全にさしこまれておらず、隙間にゴミがたまっていたらしく、そのコンセントの上?に紙製品があったものだから、たちまち火がついて、あっという間に火が広がって、何ひとつ持ち出すひまもなく、逃げ出したらしい。コンセントは、しっかり押し込んでおくことと、コードで引っ張ってあるような場合は、上にものを置いたりしないことだ。いつもは、コンセントから火事、など考えたこともなかっただけに驚いた。慌てて我が家のコンセントの点検をした次第である。火災だけは出したくないと心掛けている。

 

2020年1月3日金曜日

№1272  三が日


  昔から、お正月の三が日というのは、女の人にとっては、骨休めの日と言われてきました。そのためにつくったお節料理ということでもあります。炊事の手間が省けるということになります。私もゆったりとすごしました。録画してある映画も見ましたし、電話での長話もしました。

 長話といえば、私が年賀状をお送りしてあった知人から、電話で『年賀状ありがとう。もう私は出してないけど電話でごめんよ』とおっしゃる方との電話は、殆ど長話になりました。() 

私が、もうこの方には、年賀状は控えておこうか、と思って出してなかった方からは、ほとんど相手さんからも、きませんでした。相通ずるものがあったということでしょう。

 来年の年賀状のときは、私自身が生きているものやら寝込んでいるものやら分かりませんが、もう私より若い方たちばかりですから、ほとんどの方には、こちらからはお礼のお返事ということで、出させていただこうかと思っています。

 今年の健康についての目標は、踏み段(高さ17㎝)を朝、昼、夕の3回、それぞれ4050回上がり降りすることとしました。無理のない息が弾む程度のものですが、何とか続けられそうです。頑張ります。

2020年1月1日水曜日

№1271  令和のお正月


  令和になってはじめての新年を迎えました。皆様、明けましておめでとうございます。旧年中はサボってばかりのブログでしたが、これを読んでくださっている方に、厚く御礼申し上げます。今年はもつと力を入れて、書いていこうと思っておりますので、どうかよろしくご指導をたまわりますよう、お願い申し上げます。

 一年の計は元旦に、などと言われますが、このトシになりますと、毎朝〝あ、今日も生きて目がさめた〟と思うその日暮らしの身ですから、大きな目標など、とても考えられないのですが、それでも、気持ちはいつも前向きに、と心していますから、今年も去年と同じことが出来ますことを目標にしています。ということは、仕事を減らさずに、ということにもなりますので、益々忙しくなっていくことでしょう。何をするにも、だんだんとトロくなっていきますから、124時間が増えないかぎりは、忙しくなるはずです。でも、考えてみますと、時間がかかるのは、失敗やら、うっかりミスや、一服(煙草は飲みませんが)が多いということなので、天津甘栗のような隙間風の吹く頭を鍛え直しながら、やっていきたいと思っています。(こんなこと、来そうにないのですから、困りますねえ)

とにもかくにも、元気が一番と思っています。元気であれば、己を映す鏡も曇らせることなく生きていけると思っています。重ね重ねですが、よろしくお願い申し上げて、新年のご挨拶に代えさせていただきます。m(_)m