2014年10月31日金曜日

冷え性


朝晩、冷える季節になってきた。もう20年も前だろうか。身体の冷えは、万病のもと、ということを書いた本を、何冊か買い込んで読んだことがある。TVでも何度か冷え性についてのことを観た。

冷えの原因というのは、熱を運ぶ血液の流れが悪い、いわゆる血行不良が主な原因なのだ。そして代謝不良ということらしい。

事実私は、血行不良で、手足が冷えたり、肩凝りがひどかったりで、持病のようなものなのだ。

私のように、元来冷え症の者は、温度変化に弱く、一度冷えると、戻りにくい。とくに手足の冷えは、ひどく、よく「冷たい手やなあ」と言われてきた。

10年近くも前になるが、あるお手伝いで、夏場の2週間ほど、ガンガン冷やしている炊事室で過ごしたことがあるが、終わり頃になり、血尿が出て驚いたことがある。膀胱がんの末期かと思ってお医者に診てもらったほどだが、原因不明のまま直った。あとで思ったのは、多分冷えのためだったのだと。

それからは、冷え対策には、かなり気を使ってきた。夏でも寝る時も、靴下を穿いて寝るし、寝巻は上着もズボンも、手首、足首までのものを着けている。朝晩の温度がさがってくる秋口からは、首を冷やさないために、首巻きをしている。首は、本によると、温度に一番敏感なところらしい。首を温めると、手足もポカポカしてくるという。それでも、手足が冷たくなっていることは、よくあった。

しかし、最近は、手足の冷えを、あまり感じなくなっている。
理由を考えてみた。それは、ふくらはぎのマッサージ(以前、ここに書いた)と、卵(蛋白質)のおかげと思うのだ。卵の蛋白質は、身体の代謝をアップさせることで、熱を作りやすくすることと、ふくらはぎを15分ほど毎日マッサージすることによって、血行がよくなり、手足が暖かくなってくる。特に、足の内側(親指の面)のくるぶしから上へのマッサージは、冷えのツボもあって、冷え性に効く。

とにかく、ふくらはぎのマッサージで、私の妹は、和式トイレが使えなかったのが、使えるようになっているので、色々の効果はあると思う。

続けるということは、肝心なことであるが、私は、必ず効くと思いながらしているのが、いいのかもしれない。(^^

今日で10月も終わる。いよいよ冬に向かう。身体を冷やさぬよう、とくに下半身を暖かくして、身体を動かし、食べ物に気を付けながら冬をお迎えしようと思っている。

2014年10月29日水曜日

寝不足


月、火曜と我が家で会をしたり、来客があったり、昨夜は、シニア塾に出かけたりと動きまわっていたため、少し草臥れたか、頭がぼーっとしている。いつものことだと脳みそが言いそうだが、いつもと違うのは、このトシになると、疲れ過ぎると、寝付きが悪くなって、睡眠不足になるから困る。毎日5時間の睡眠は取りたいと思っているのだが、いつ寝ついても、5時すぎには、目が覚めるので、睡眠不足と言うことになる。昼寝が出来るといいのだが、暇があっても出来ないのだ。そのくせ、眠たいような眠たくなりそうな、ヘンな頭の状態だ。(笑)

ということで、今から、外に出て、太陽の光の下で、ぶらりと歩いてみよう。ちょっぴりと肌寒いような、いい気もちの中で、山や雲を眺めるのは、言い気分だろうから……。

 

2014年10月26日日曜日

誕生日


今日から、84歳になった。正直言ってこのトシになると、誕生日といっても何の感激も感傷も沸いてはこない。月日は、いつでも流れ去るものだと心しているので、淡々としたものだ。(笑)いや、常時残り人生の予想を考えながら、欲張ってあれこれしているものだから、(かな)しみや感傷などは、どこかに置き忘れているのかもしれない。

以前、【人生遍路道】という文章をこのブログに乗せた記憶がある。四国遍路ということばが、いつも身近にあるところに住んでいるためか、人生双六ではないが、四国八十八番札所までは辿りつきたい、という願いがあること。88歳までは、生きていたいと言う思いで、書いた。そういう想定にしてると、今日は、香川県の八十四番札所にたどりついた日だ。鳴門市の一番札所、霊山寺を出発して、高知、愛媛を過ぎ、最終県の香川に入ってもう残り四寺しか残っていない。(笑)
振り返ると、山あり谷ありの遍路道だったが、大きな災難もなく、人並の人生を歩んでこられたことにただただ感謝しているし、お目出度いことでもある。

私の親は、父が86歳、母が83歳で他界しているので、八十八歳までというのは、甘い想定かもしれないが、まあいいとしておこう。いや、ちょっと欲張って、90の大台に乗る?ことも、あるやもしれぬ、と、極楽トンボは思うのだ。平均寿命も延びていることだし……。
とすれば、これからの人生こそが、胸突き八丁坂だろうという思いである。それなりの覚悟がなければ、などと、朝5時に目覚めて以来、何となく、背すじを延ばし、今日の予定である親戚の法事に出てお参りしてきた。
まだ、これからも、予定がある。郷のお祭りの行事が台風のため、延期されて、今夜は、近くのお宮で、カラオケ大会がある。もう、はじまっているらしく、音楽が流れている。【祭り】に関すること、何か、郷の発行しているお便り?に書いてくれと、先日役員さんに頼まれた。これから、ちょっと様子をうかがいに出かける。最後に籤があるので、大もの、引き当ててこようかな?(笑)



2014年10月23日木曜日

林檎の悲しみ


札幌に住む親友Mちゃんから、美味しい林檎が送られてきた。【早生ふじ】という大きな林檎で、真っ赤ないい色つや。ちょっと硬めで、ちょっと酸っぱくて、とても林檎らしい懐かしい味である。さっそくお礼の電話をする。

暫く話して「じゃあまたね」と言うと「私ね、古女ちゃんに隠しごとしたるんだよ」と言う。一瞬ビクリとした。何か悪い病気にでも……と思った。「主人がね、3か月ほど前に、急に倒れて亡くなったんだよ」と言うなりMちゃんは大声で泣きだした。「えーっ、ウソだろう?」とさけぶなり、私もMちゃんといっしょに泣きだした。夫婦仲が良くて、ひとの羨む幸せな生活をおくっていたのだ。Mちゃんが、とてもとても優しくて、いい奥様だったし、旦那様がまたとっても優しくて、ほんとに似合いのご夫婦だったのだ。Mちゃんの悲しみは、手にとるように分かるだけに、泣けてくるのだ。「古女ちゃんに、だまっているのがとても辛かったけど、言ったら古女ちゃんを悲しませると思ってね。でも、言って気持ちが落ち着いたわ」と。

どこまでもやさしいMちゃんなのか。今も思い出しては泣いているMちゃんだが、泣きたい時は、泣いたのがいいんだよと言いながら、私も電話を切ってからも何度となく涙を拭いた。

いつかはどちらかが、独りになる悲しみを味わうことになるのだが、あっという間に亡くなるというのは、本人は楽にあの世に逝くことができるけれど、あとに残るものにとっては、たまらない。せめて悔いのない看病をしてあげたかったと思うのだ。

ピンピンコロリという逝き方は、周りの者には、つらいことだ。長生きして、ちょっとばかり、迷惑かけてから、逝くのがいいのかもしれない。

しばらくは、林檎を頂く度に、Mちゃんの悲しみを思うだろう。

2014年10月21日火曜日

身体検査


安倍内閣の一つの目玉が、女性大臣だつたが、バタバタとおふたりが辞任しなければならなくなった。安倍さんも、大臣に据える以上、しっかりと身体検査をせねばならないと、厳しく叱られている。

外野から見ていると、そうそう簡単には身体検査も出来ないだろうなあと思うのだ。本人が知らない間にそういうことになっていることがよくあるらしい。私達から考えると、大きなお金があちこちと動くのだから、知らないなんて、とんでもないと思うのだが、小渕さんのような世襲議員の場合は、もう常識であって、昔から、そういうことになっていたのだろう。たまたま、二世、三世がお偉くなって、外野からとやかく言われるので問題になるのであって、大臣ではない議員の中には、こうしたことをしてきた議員はたくさんいなさるに違いない。

政治家という素質が、遺伝されていて、二世三世が、親より優れた政治家になるのであれば、世襲はどんどんやるべきかもしれないが、何と言っても、お金持ちのお坊ちゃま、お嬢様の多い世襲議員であるから、庶民の生活状況などは、とても感覚的には捉えられないのではなかろうかと思うのだがどうだろうか。

世襲議員が増えていくと、ロクなことはない、と思うのは、私だけではない。皆さん、そう思っているに違いない。

余談になるが、我々の【身体検査】というのは、小学校から毎年おこなわれてきた行事だった。

小学生の時は、みんなすっぽんぽん。パンツひとつで、身体検査をうけていた。女学校に入学して、「明日は、身体検査です。浴衣をもってきなさい」と、言われて驚いた。「へえーっ。浴衣なんか着て受けるのか」と。まだおぼこかったのだ。(笑)

その後、今から思うと、考えられないような身体検査を受けたことがある。戦後、不便だつた吉野川の北地の生徒のためにの新しく出来た女学校に転校したときのことだ。各学年1学級という小さな女学校で、先生もすくなかったのだが、男性の体育のおっちゃんの先生が、女先生を押しのけて?胸囲を計ったのだ。今なら、セクハラもいいところだろう。生徒は、ブツブツ文句をいいながらも、その命に従った。先生曰く。「これは、ダテにしているのではない。胸を見れば、妊娠している子があれば、一目瞭然に解るんじゃ」と。戦後のどさくさとはいえ、とんでもない教師がいたものだ。今なら考えられない話である。(笑)

 

 

2014年10月19日日曜日

生きる


T君は、私の最終の勤務先だった筋ジストロフィーの子供たちの養護学校の卒業生です。私の勤めていたときは、高等部の生徒でした。直接教えていたわけではありませんが、毎日、顔をあわせていましたし、車椅子を押したり、話をしたりして、私の心のうちでは、けっこう親しみのある生徒でした。

今は、人工呼吸器を付けて生活しているT君のところへ、同僚だった仲良しのK先生と、昨日陣中見舞いに行ってきました。もう、それが毎年の行事となり、お互いの楽しみにもなっています。

Tくんは、20歳のとき、病院の美人看護師さんと恋愛結婚をして、高松のアパートで、生活しています。現在40歳になられました。

24時間、誰かが、そばにいなければなりませんので、ヘルパーさんや、ボランティアの方たちの手助けをうけながらの生活です。
筋ジスには、いろいろあって、タイプによっては、病気の進行が遅く、長生きなさっている方は、多いのですが、そうではないタイプのTさんは、不思議と言ってはなんですが、医者が驚くほどの活き活き生活なのです。

Tさんだけではなく、もうひとり、YくんもT君同様、仙台で結婚し、呼吸器をつけながらも、画家として活躍をしています。

このお二人は、それぞれに生きる目標をもっていて、僅かに動く指先を使い、絵を描いたり、デザインしたり、作曲したり、作詞したりしているのです。

考えてみますと、お二人とも、【生きる】ということに、とても積極的で、前向きです。卒業後の暮らしをどこにするか、ということについても、Yくんは、自分で研究して、福祉の街といわれている仙台に、単身車椅子で乗り込みました。結婚にも、ふたりは、積極的に突き進みました。卒業後も、学ぶことには、とても熱心でした。

そうした前向きのすばらしい情熱は、彼等の病魔との闘いにも、大きく影響していると思うのです。

仙台には、遠くてなかなか行くことはできませんが、出来るだけの応援をしたいと思っています。

昨日の高松行きも、「頑張ってね」と言うよりは、「私もあなたたちの生きる力のお裾わけをしていただいて、元気貰いました。有難う」の気持ちで岐路に着きました。

2014年10月16日木曜日

食事の在り方


最近、いやもうずっと以前から、食のあり方が、長寿と関係があるとか、ないとか、よく言われています。以前、『長寿の食卓』という冊子が出ました。執筆者は一応社会的に名の通った、長寿者またはそれに近い方たちで、食生活・健康法・人生観などを披露しています。「えっ?この人がこんなに手まめに食事に気をつけているの?」と驚いたり、またその反対だったり、楽しく読んだのですが、結論から言いますと、長寿とか、健康法といったものは、人それぞれであって、正解があるようでないということでした。

あるお医者さんは、ほとんど食事には気を使わないし、メタボや栄養なんてことも当てには出来ない、とおっしゃっています。

そうかと思うと、自信をもって「手作りスープを毎日欠かさないので健康です」という方もおられます。ご本人は、そのおかげで長寿と思われているので、それはそれで安心できたり納得したりということなのでしょう。それがまた、いい結果と結びつくのかもしれません。

寿命というのは、体質や遺伝、運命といったことも大きくかかわっていると思われますので、食事だけで、どうこう言うのも難しいようにも思います。

一般的には、野菜たっぷりの『日本食』を主にして、無理せずに、過度の疲労とか、暴飲暴食・喫煙などは避ける、ということが常識のようです。ま、当り前といえば当たり前のことで、特別に書くほどのことではありませんが、ただ、当り前のことが守られているとは限らないのが我々凡人です。

私たちは遺伝も体質も、簡単に変えることが出来ませんし、元気で長生きしたいという願いは、万人共通の思いなので、身体の発する声に耳を傾けながら、身体に良いと言われていることはしながら、好くないことは、なるべく避けるのが賢い生き方ということになりますね。

こんな内容は、何度も書いたなあ、なんて思いながら、書いています。(笑)

 

2014年10月14日火曜日

衣装の入れ替え

この辺りは、台風19号の被害も少なく、ほっとしていますが、大変な目にあわれた方たちも多かったことと思います。一日も早く、復旧して頂きたいものです。

今日は、台風の名残りのように、かなり強い風が吹いていて、気温もあがらず、ちょっとばかり寒いので、今日明日中にでも、箪笥の中の衣類の入れ替えをせねばと思っています。整理の上手な方は、【3年袖を通していないものは捨てなさい】とおっしゃるのですが、なかなかそうはいきません。すでにかなりの整理をしたつもりなのですが、これから先も着ることのなさそうなものが、まだ残っています。思い切りというのも性格の一つでしょうが、モノの無かった時代を経験している者にとっては、まだ着れるものを捨てるのは【もったいない】と思うのです。そうかといって、売りにいくほどのものではありません。()

友人のTさんは、私と違って、高級品を身につけている方なので、それこそ捨てるのはもったいないと思って、大きなビニール袋二つに、洋服を詰め込んで、【古着高く買います】と看板の出ている店に持って行ったところ、長い時間待たされて、300円にも足りないお金で買い取ってくれたと、ぼやいていました。なるべく安く買って高く売るのが商売でしょうから、見たわけではありませんが、きっと、かなりの値札を付けてぶらさがっていることでしょう。
私の古着など持って行くと、廃棄賃を取られそうです。

ま、どこまで捨てられるか、やってみます。

2014年10月12日日曜日

台風19号


またまた台風だ。大型台風19号が、まともにぶつかってきそうな気配に、気が気でない。

18号台風になぶられて、色変わりしてカサカサと音をたてている辛夷の葉は、どう見ても19号に耐えられそうにない。それどころか、根元の腐りかけた幹もろ共地面に倒れてしまうやも知れない。地面に倒れてくれたなら、まだ救いはある。窓にでも倒れかかってきたらどうしよう……と心配だ。窓は出窓で雨戸がない。もう、取り急ぎ、枝を全部切り払って、少しでも上部を軽くしておかねばと思って、急遽枝をすべて切り払ってもらった。何とか倒れずにすむだろう。

この辛夷は、元は大木だった。西日がまともに当たるような出窓は、いつも辛夷の葉で覆われて、夏の暑さを和らげてくれていた。幹が二本くっついる大木だったが、3年ほど前の台風で太い方が庭に倒れてしまった。それからの夏は、光の傾斜によってはまともにギラギラの光が差し込んできた。巻き上げ式のカーテン?を下ろして光を調節しても、眩しくて困る窓になってしまった。

ところが今年は、そんな夏らしい夏ではなかった。燃えぬまま灰になったような夏だったので、暑さは一人前だったが、何ともふがいのない夏だったので、様子が変わっていた。これから先、地球の温暖化の影響で、気候がおかしくなったり、大型の雨台風や、竜巻がどんどんやってくるようになるのだろうか。困ったことだ。

話は変わるが、今年は柿がほとんど落ちてしまった。去年沢山の実をつけたので、今年は休養の年だろう。そんな柿も、葉の殆どを落としてしまうと、上の方の枝にかなりの実を付けているのが見える。といっても、ほとんど手の届かぬところなので、総ては鳥の食べ物になるのだが、ま、鳥のためにも、この19号に吹き飛ばされぬことを祈りたい。

2014年10月9日木曜日

困ることが……


私のブログは、若い方は、ほとんど読んではくださらない。お年を召した方……と言っても、同級生はパソコンをしていない方たちがほとんどなので、見ては頂けないのだが、506070代といった方たちから、色々とご意見を聞く。私も、そういうことを考えて書いているわけでないが、古女が書くので、どうしても、年寄りの話が多くなってしまうのは、仕方がないと思っているが、

前置きはこれくらいにして、今日の話題に入ろう。

先ほど、友人Tさんが美味しい手作りの散らし寿司を持ってきてくださった。感謝感謝である。

Tさんは、最近認知症になった元同僚のAさんのお世話をなさっている。むろん、ボランティアだが、そのAさんが今の医療制度の不満をおっしゃる。Tさんは、娘さんといっしょに住んではいるが、娘さんは仕事をしている。それなのに、娘と同居という理由で、まったく支援が受けられないと。仕事を止めて母親の介護をするには、経済的にも無理なので、施設に入れるか、娘と別居させたらいいのかも知れないと言うのだ。国は、自宅介護だの、自宅療養だのを進めているが、これでは、どうにもならないだろうということだ。

国の決めごとは、お偉い方たちが決めるのだろうが、どうも問題があり過ぎる。【お役所仕事】と言われるように、杓子定規で何事も処理されてはたまらないだろう。

知人のOさんは、視覚障碍だが、介護に来てくださる方は、郵便物が、何処のだれからの物かは、読んで知らせることができるが、「中の手紙を読んでください」と、お願いしても、規則では、読んではいけないことになっているという理由で、読んではもらえないという。これも何とかならないものかと思う。

理由はあるだろうが、臨機応変ということもなければ、困る障碍者の方は多いだろう。こんなところで、古女がほざいても、どうにもならないことだが……。

2014年10月6日月曜日

台風18号


招かざる第18号台風の襲来で、先ほどから風雨が強くなってきた。気が付いたら日が変わって丁度0時を20分過ぎている。藍住町も、場所によっては、水位が上がり、避難しなければならない方たちもいるらしく、数時間前、広報塔からのマイクが、町体育館に避難する方は、食事の準備をして来るようにと、放送していた。大したことがないことを祈る。

台風の中心から外れているので、風はあまり心配はいらないだろうが、それでも油断は出来ない。西の窓のそばの樹が、根が腐っているらしい。それが倒れたら、窓ガラスを割るやもしれない。先ほどからかなりの強い風が、窓に雨を叩きつけている。明け方まで、続くようなので、眠れそうもない。どうせ眠れないのなら、たまっているTVの録画してあるものでも観ようかと思う。そのうちに、眠たくなるだろうから……。

 

2014年10月3日金曜日

転写


田中 宇(さかい)と言う日本のジャーナリスト、評論家、(有限会社田中ニュース代表取締役)がおられます。フリーの国際情勢解説者で、独自の視点で世界のニュースを 分析したたり、新聞やテレビを見ても分からない、世界中のできごとの背景を 説明します。この方が、メールでニュース解説を有料、無料で配信しています。私は、無料の配信を受けています。難しくて解らないことが多いのですが、気になることもよく配信しています。今日は、その一部を転写して、皆さんにも読んでいただこうと思います。


 日本銀行は今年8月、日銀史上最大額の株式を買い支えた。日銀は8月、ETF市場を通じて1236億円分の日本株を買った。毎日、朝方に株価が下がると、日銀が100億-200億円分の株をETFで買い、株価をテコ入れするのが常で、日銀の株買い支えは市場関係者の間で広く知られたことだった。
日銀は以前から株が下がると買い支えてきた。9月は株価が下がらなかったので買い支えをしていないという。日銀は、東証の株式の時価総額(480兆円)の1・5%にあたる7兆円分を保有し、日本生命を抜いて最大の日本株保有者となった。

 日銀は特に8月第一週に、924億円分の株を買い入れた。アベノミクスの失敗が取り沙汰されて株が下落した時期で、日銀が買い支えなければ株価はもっと下がっただろう。経済成長の実現は、アベノミクスの3本目の矢である。安倍政権は、株価の上昇が続いていることをもって、経済成長が実現していると言っている。その株価が下落しそうなときに、総裁を黒田にすげ替えて財務省に乗っ取らせて以来、安倍政権の命令を何でも聞くようになった日銀が株を買い支え、株価をテコ入れし、アベノミクスの成功が続いているように装っている。かなりインチキな技であるが、今の日本でこれを批判する人は少ない。

 当局が株を買い支えるのは、相場の不正な操作であり、大っぴらにやるべきことでない。米国の連銀や政府も、株価が下がると買い支えてテコ入れする策をやってきたが、米当局は隠然と買い支えをやっている。対照的に今の日銀は、市場や国民に買い支えがわかってもかまわないという態度で、大っぴらに株式や日本国債の買い支えをやっている。
 日銀が大っぴらに株価の不正操作をやる理由は、これによって投資家に「株は下がり出すと日銀が買い支えるので上がりやすい。今が買い時だ」という印象を持たせ、株を買う人を増やし、株が上がっている限り安倍政権はアベノミクスの経済成長策が成功していると豪語でき、人気を保持できるという策略だろう。

 その手法は完全な不正だが、日本にとって絶対の「お上」である米国が、中央銀行による通貨の過剰発行によって債券や株を買い支える量的緩和策(QE)をやり、日本など他の先進諸国にも奨励しているのだから、QEの一環である日銀による株価操作は「良いこと」「やるべきこと」になる。株価操作を「悪」だという奴は「お上」である米国に楯突く非国民だ、ということになる。

 安倍政権は日銀だけでなく、国民年金基金にも株式を買う割合を増やすよう命じ、株価のテコ入れに余念がない。株価の不正なテコ入れは長期的に成功し続けるものでなく、いずれバブル崩壊的な株価急落に見舞われ、年金基金も赤字になって、今の若い人が老人になるころには年金支給額が大幅に減るだろう。しかし安倍政権にとっては、自分たちの政権が続いている間だけ株が上がり続ければ良く、その後の年金支給がどうなろうと関係ないのだろう。
 アベノミクスの3本の矢は、資金増加、財政支出、経済成長であるが、これらはすべて、米国当局が、日本や欧州などの同盟諸国にやらせたいことだ。資金増加とは、米連銀や日銀がやっているQEのことであり、08年のリーマン倒産後、流動性が欠如したままの債券金融システムに当局が資金を注入し続ける、植物人間化した金融システムへの生命維持装置である。米国だけが通貨(ドル)を大量発行し、日本や欧州が引き締めたままだと、ドルの価値が下がりすぎるので、日本や欧州にもQEをやらせたい。

 2本目の矢である財政出動もQEと同様、公的資金で経済を回し(米国の)金融界を救済するものだ。米国はすでにリーマン倒産後の2年間で財政出動をやり尽くし、これ以上赤字を増やせない法定財政上限に達している。そこで米国は、安倍政権になるまで財政緊縮をやっていた日本に方向転換を迫り、安倍政権になってから、それまでの財政再建の話はどこ吹く風で、財政赤字の急拡大が奨励されている。3本目の矢である経済成長は、見かけ上のものだ。日米ともに、QEによる資金供給で株価を操作し、雇用統計などを粉飾するかたちで行われている。米国の例は、前回の記事に書いたとおりだ。

 日本の場合、失業率は統計上3%台だが、新卒者の就職の困難さ、失業した中高年の再就職が困難さなどから考えて、実際の失業率はそれよりはるかに高く、10%を超えていると推測される。政権の人気取りのため「お上」である米国と似たような方法で、日本の当局が失業率を粉飾していることは十分に考えられる。

 日銀がQEで円を過剰発行するのと連動して、為替市場の円安が進んでいる。
これまで円安は日本の輸出産業を繁栄させるので良いことだとされてきた。
しかし実のところ、円安が進んでいるのに日本を代表する輸出企業だったソニーが破綻に向かっているなど、製造業の不振がひどくなっている。日本経済の大黒柱だった製造業の不振の加速から考えても、最近の失業率は粉飾である感じが強い。
 大手の輸出企業の中には、生産工程を国際化して円だけの為替の影響を受けにくくなっているところが多く、以前からの円安待望論は浅薄な間違いである。
今の円安は、むしろ輸入価格の上昇を招き、貿易収支のひどい赤字化を生んでいる。このまま貿易赤字が改善しないと、今後の日本は衰退感が増していくだろう。私が見るところ、日本が円安(ドル高)を望むのは、経済的な理由からでなく、覇権国である米国より劣った存在であり続けねばならないという国際政治の理由からだ。

 国際的に強い国、(地域)覇権国になるには、通貨が強く(為替高)、財政が強く(財政黒字)、製造業など経済生産が強く(持続的成長)なければならない。通貨が強いと他国への支払いが自国通貨で行えるし、財政が強いと戦争に強いし、国債を外国に買ってもらう必要もない。通貨が強いと輸出産業が苦戦するが、それを補うだけの技術力・開発力を持つことで、為替が強くても強
い製造業を持てる。今の世界でこれをやっているのはドイツだ。

 米国は自国の延命のため、日欧にも自国同様のQEや財政赤字化を求め、世界中の通貨と財政を横並びに弱体化させようとして、日本は米国の要求に完全に応えたが、ドイツ(EU)は拒否している。そのためEUは、ギリシャなど周辺の弱い部分の国債市場を米国の投機筋に攻撃され、ユーロ危機によって強制的に財政や通貨を弱体化させられている。

 ドイツと対照的に日本は、経済力で米国を抜きそうになった1980年代から、米国を抜くことを回避するように、通貨安、財政赤字化をずっと追求し、バブル崩壊を放置して金融や経済を自ら弱体化している。日本人はもともと倹約を美徳とする民族なのに、財政赤字の急拡大が黙認されてきた。これらは、対米従属を続けるためという国際政治上の日本の国是の維持のために行われてきたと考えられる。

 人為的な政治でなく「自然」な経済の動きで説明したがる人が日本に多いが、実のところ、経済が非人為な「市場原理」「需給」で動いていると考えるのは馬鹿げている。重要な経済の動きの多くは、官僚らによる政治的な意志決定に基づいており、本質を隠すため、経済学者やマスコミが動員され、政治でなく自然な動きであると国民に思わせている。近年、先進諸国における株価、金利、債券相場、雇用や物価など経済統計、為替相場、金相場など、これまで「自然な市場原理」で動いてきたと考えられてきた重要指標の多くが、実はずっと以前から金融界や当局の政治的な操作によって上下してきたことが暴露されている。経済ぐらい政治的なものはない。日本人がそれを知らないのは、対米従属(官僚独裁)の敗戦国民だからだ。

 通貨を過剰発行すると、どこかの時点でひどいインフレ(物価高騰)になると考えるのが、従来の経済学の常識だった。しかし今の世界では、10年以上通貨の過剰発行を続けてもインフレになっていない。これは、従来の経済の大部分が実体的な商品(モノ)で構成されていたのと対照的に、今の経済はモノがない金融が肥大化し、金融がモノの経済(実体経済)の何百倍もの大きさになっているため、通貨の過剰発行がモノの価格高騰に直結しなくなっているからと考えられる。今の経済では、物価上昇の代わりに金融部門で信用収縮や金利高騰、つまりバブル崩壊が起きる。

 アベノミクスは、日本を(中国に負けないよう)強くするため、国民生活を良くするための政策として打ち出されたが、実のところ、米国の弱体化に合わせて日本を弱体化する策であり、円を弱くし、日本の財政を弱くし、国民生活を悪化させている。アベノミクスは、米国の命令に従って、日本を意図的に弱くしている。中国は「敵」として置かれているが、それは日本が米国の言いつ
けどおり防衛費を増やすための口実的存在でしかない。中国は日本にとって本質的な敵でない。日本人は、政府や傘下のプロパガンダ機関から「中国を嫌え」と示唆されているが「中国と戦え」とは示唆されていない。戦えと示唆されたら、観光で訪日した中国人を殴りたがる人がもっと多くなるはずだ。今の日本政府が気にしているのは米国だけだ。

 米当局は、QEなどの金融救済策を続けずに放置したら米経済が崩壊すると知っている。従来の危機対策のように、救済策を一定期間続けたらその後は自律的に経済が上向くのでなく、救済策を永久に続けねばならないと知っている。
しかし、救済策を永久に続けることなどできない。だから米当局は困窮し、相場の不正操作や経済統計の歪曲など、長期的に見ると自滅策になることを含む、なりふりかまわぬ「何でもあり」の延命策を続けている。短期的なバブルの大崩壊を回避できるなら、長期的な自滅策の方がましだというわけだ。
 安倍政権は、日本でも米国のコピーの「何でもあり」の策をやるための政権として生まれた。経済面だけでなく、軍事面でも従来のタブーを破って米国の要求に沿った「集団的自衛権」の行使を国策に取り込んだ。国内の反対勢力の無力化と官僚独裁体制の強化の中で、財務省はかねてからやりたかった消費税値上げを敢行した。見かけだけの経済成長、多くの人の所得の減少、失業の実質的な増加、貧富格差の拡大など、貧しい人が増える中で消費税の値上げをするのはタイミングとして悪く、日本の衰退に拍車をかける。しかし消費増税は安倍政権に政治力があるうちにしかやれないので財務省は敢行した。

 マスコミに対する言論統制も強化されている。象徴的なのが、戦争犯罪報道の「誤報」をめぐる、官民挙げての朝日新聞たたきだ。8月の株価急落が象徴するように、今後アベノミクスの失敗が露呈する可能性がある。その前に、安倍政権に楯突きそうなマスコミ内の勢力をできるだけ無力化しておく必要がある。朝日新聞の尊大な社風を考えると「ざまあみろ」でもあるが、今の朝日たたきの本質は、朝日新聞がどうなのかという話でなく、マスコミ全体に政府批判を許さなくするための、安倍政権の延命策として見る必要がある。
 いずれ安倍首相が退陣しても、米国が今の金融救済策・覇権延命策を続けている限り、誰が日本の政権に就いても、安倍と似たようなことをやり続けるだろう。日本が対米従属をやめて自立する戦略は、09年に民主党の鳩山・小沢が試みたが官僚機構から猛反撃されて潰されて以来、再起の可能性がほとんどない。日本の方から対米自立していく道は閉ざされている。

 すでに述べたように、米国は延命策をやめたらバブル大崩壊だ。米国は延命策を効かなくなるまでやり続け、最終的にバブル大崩壊するだろう。それまで何年かかるのかわからないが、その間ずっと日本は対米従属で、米国に求められるまま、自分で自分を弱める策をやり続けることになりそうだ。非常に暗い結論なので、日本のことはあまり書きたくなかったのだが、大事な話なので書くことにした。


私たちが読んで、まったくの嘘ではなさそうだと思えるというのは、怖いですねえ。



2014年10月1日水曜日

10月1日


☆さわやかな10月、と言いたいのだが、悲しいニュースばかりが流されていて、気分は暗い。何の前触れもなく噴火して、多くの善男善女を苦しめた御嶽山。こんなことがあると、【ああ、神も仏もない】と思ってしまう。日常は、大自然の美しさや、大らかさに癒されているというのに……。人間の命の儚さに、胸をしめつけられる毎日だ。

☆一年に一度出版している【あいずみ文藝】という250ページほどの冊子が出来あがった。事務局をしていると、雑用が次々と出てくるので、もう無理せざるを得ない。でも不思議なことに、暇な時よりも身体が軽く感じる。手足がよく動く。口も動く。()
楽しく仕事が出来ているからに違いない。どんなことであっても、何かを作り出すというのは、楽しいものだ。

☆電話がかかってきた。受話器をあげて、「もしもし?」という私の声は、電話にかぎり、若い声に聞こえると、よく言われる。ちょっと普段より高い声になるからだろう。「75歳までの方に、お知らせがありますので、お電話をさしあげています」と。「あ、残念ですが、私はもう84歳になるところです」と本当のところを申し上げる。「あら、そうですか。そんなお声にはきこえませんけど。どうかお元気で長生きしてくださいませ」とご丁寧なお言葉を頂いた。

こういう勧誘電話は、ウソを言わなくてすむのでいい。中には、やむなくウソを言って断らなくてはならないのがある。お断りしても、粘られるときもある。来客もないのに、「来客中ですので」と、電話を切ったり、「あ、よいお話ですが、まだ若いので」など等。ま、嘘も方便とはいうものの、いい気分ではないのだが。()