2012年12月31日月曜日

おおつごもり


幾つになっても、大つごもりは女どもには忙しい日ですね。特別なことはしないつもりでも、昨日と今日は、朝から夜まで、休むひまもなく、動いてばかりでした。

私は、いつもは独り世帯なのですが、大つごもりとお正月三が日は、同じ庭に住む息子一家といっしょに祝いますので、手分けでおせちを作ります。私は、もっぱら煮物係り。今年も12種類の煮物を作りました。手なれたものですが、黒豆のように、時間のかかるものもあって、目が離せません。

ちょっと丁寧な掃除も、けっこう大変。重たいものを動かしたり、普段は見逃している隅っこの埃を拭きとったりするものですから、腰をさすったりしながらの大奮闘であります。

忙しいと言っても、無理をするほどの体力はありませんから、傍目には、ぶらぶらしながらやっているように見えると思います。事実、ぶらぶらしているのです。その証拠に、色々なことを思い出したりしながらしているのです。

子どもの頃の大つごもりで思い出すのは、集金に行かされたことです。印刷屋をしていたので、ツケのお客があります。今のように、会社組織ではありません。父母と、工員さんが3人程の小さな工場です。年末ともなれば、忙しく、集金に行く間もなかったのか、長女の私は、小学校5年生くらいから、月末は集金に行かされたものです。特に、大晦日は、何カ月も引き延ばされていた支払いをいただきに行くのですが、それまで、何度も「来月にして」などと言われてきた家に、何度ぶりかの訪問ですから、気が滅入ります。玄関先に犬でもおろうものなら、もう泣きたい思いでした。
今の子どもたちには、想像もできないでしょうねえ。集金の手伝いなど……。

そんな手伝いをしたせいか、ツケで品物を買うということは、嫌いで、したことはほとんどありません。

紅白歌合戦も、もうあまり興味がないのですが、除夜の鐘は聞きたいと思いながら、今年の終わりを待っています。

皆さま、よいお年をお迎えください。m(_ _)m

 

2012年12月30日日曜日

心を病む先生たち


新聞で発表された「心を病む教員]の数は、相変わらず多い。5.000人以上だ。今の教育界のことを知れば知るほど、むりもないなあと思ってしまう。先生をノイローゼや自殺に追い込むような親たちがかなりいるらしい。「モンスターペアレント」と呼ばれている怪物保護者が学校を破壊しているそうだ。学校に、理不尽な要求をし、教師を疲労困憊させてしまうとか。

学校も、親たちに対する態度がまるでお客様扱いというか、甘えさせてしまった責任はあるかもしれない。子どもを注意したら、親は子どもを叱らず、先生を叱る時代である。

ま、そんな親の教育をしてきた昔の教師としては、責任を感じるのも事実である。こうした現状は、今に始まったことではない。かなり以前から、こうしたことは言われてきたのだ。

先生だけではない。子どもたちも、虐めにあったり虐めたりしているのだ。友人を自殺に追い込むような虐めをしているということは、やはり子どもたちも心を病んでいるのだろう。

このままでは、将来日本の国は、どんな国になっていくのだろうかと、心配してしまう。人づくりは、大切な国づくりというのに。

 

2012年12月28日金曜日

成田離婚



こんな記事が出た。滋賀県知事、嘉田由紀子率いる日本未来の党が、分裂。嘉田さんと小沢さん、成田離婚なんて、古臭い流行語を使っての表現に、思わず苦笑いをしてしまった。
小沢と組んでは、出来るものも出来ないのとちがう?と、私らは思っていたので、「やっぱりねえ」と思った。

 
それにしても、学者上がり嘉田さんは、小沢という人物をどうみていたのだろうか。まさか、お金に引かれて結婚したわけではないでしょうに。(笑)

ともあれ、【壊し屋】の小沢さんと言われるだけあって、今回も誘っておきながらのお別れ。ま、どうなりとお好きにどうぞ。

 

2012年12月27日木曜日

28歳だよぅ (^^)


いいことを聞くと、黙ってはいられなくて、皆さんに教えたくなるのは、元教員のサガなのだろうか?()

先日TVで見たのだが、人間の脳は、何歳になっても成長する、と言うから嬉しいではないか。使えば発達する、即ち脳細胞は何歳になっても増えていくというのが基本で、使わないと減っていく、というから、財布の中身とは正反対のようだ。脳には定年はなく、それぞれ仕事の分担があって、脳番地というか、いつも使っているところは、衰えないどころか、発達までしてくれるというのだから、しっかり使わなそんそんということになる。

今まで、使っていないところは、もう私のような年になると、ぐっと細胞は減ってしまっているだろうから、今から運動神経を発達させようと思っても、ダメだろう。……と、正直思うのだが、こうした考えは、よくないらしく、年齢は忘れて、全員28歳だと思って生活せよ、とおっしゃる。笑ってしまう。思えと言われてもねえ……。簡単には思えない。でも、思うことが大切なのだ。28歳なら、何でも挑戦出来る年なのだ。そして、定年のない脳をしっかり使う。人生120年と思って生活せよ。とおっしゃった。

教えはよく分かる。65歳から勉強してご自分の専門(医者)以外の大学に入学して、新しい学問を始められた方を知っている。

でも、そうした方は、もともと頭のいい方だと思うし、そんな真似は、誰でも出来ないと確信しているのだが、そうではないのだ。頭が悪ければ、悪いなりに、自分に会ったことをしたらいいだけのことなのだ。

最近は、脳トレとかいって、知能を使う訓練などが流行っているが、そうしたことも効果があるのだろう。しかし、機械的なトレーニングなどより、楽しんで、何かをすることによって、トレーニングができていく、というのがよさそうだ。

例えば、私の参加しているシニアの劇団は、記憶力がどんどん低下して行く年頃にもかかわらず、お芝居好きが集まっていて、苦労しながらも、台詞を憶えている。こうしたことが、とても脳のためになるということだろう。

私は、以前にも書いたのだが、お芝居をするよりも、脚本の勉強がしたくて入れて頂いたので、先生に教えていただきながら、台本作りをしてきた。皆さんといっしょに普段は発声練習などもいっしょにしている関係で、舞台にもちょろっと出ているのだが、けっこう楽しんでいる。
昔から記憶力の悪い私は、自分で書いた少ない台詞もなかなか覚えられないのだが、興味のあることなので、何とか憶える努力をする。
すると、ああ、やればやれるのだ、ということに気づく。しかも、これは、だれでもやれば出来るということなんだ、と気が付いた次第。

パソコンだって同じである。機械に弱く、横文字はまったくダメな人間が、パソコンなどいじくれるはずがない、と思っていたのだが、習いたくてしょうがなかったので、思い切って触ったのがはじまり。ブログまで立ててしまったのだ。(ただし、機械に強い若い知人に立ててもらった。無理はしない主義なの。笑)
これも、いやいやではなく、楽しみながらパソコンをいじくっていたからこそ出来たと思う。

そうそう、私、28歳と思うと、まだまだ先があるし、やりたいことがあるはず。

……こういう考えが、【前向き】というのだろうなあ。うん、そうだよなあ。前向きだよなあ……と、自分に暗示をかけるのも、いいかもしれない。ああ、28才のばあさんか。うっふっふ。

2012年12月26日水曜日

シルバー川柳 その2


先日(12/22)の続きです。

☆延命は不要と書いて医者通い

当たり前ですよ。ぴんぴんコロリという理想の死を夢みての医者通いです。生きてる間は元気でいたいもの。

☆おじいちゃん冥土の土産はどこで買う?

孫ちゃんには、「さて、どこで買うていこうかな?」 なんて言うてやりましょう。そんなもの、重くて持てないほど、どっさりと背負い袋に入れてありますけどね。

☆年金の扶養に入れたい犬と猫

ずいぶんと甘やかしてしまいましたねえ。犬は番犬の役目を忘れ、猫はネズミ獲りの仕事もせず、ただただ、贅沢三昧。「え?なんですって?人間様が悪い? 頼みもしないのに、服まで着せられて、栄養たっぷりの食事で成人?病になってしまったの? まあ可哀想に。でも、お医者様にも診てもらっているじゃないの。え?ノラがうらやましいって? 贅沢ねえ。旦那様より大切にされているじゃないの」

☆指一本スマホとオレを使う妻

ああ、女性もやっと男性を抜きましたか。バンザーイ。

☆忘れ物口で唱えて取りに行き

しっかりと唱えていてね。途中で「どっこいしょ」なんて言っちゃあダメですよ。

☆湯加減をしょっちゅう聞くなわしゃ無事だ

ああ、あなたを思えばこそですぞ。お湯の中で沈んでしまったら、どないして引き上げますか? 私ひとりじゃ無理ですわ。

☆誕生日ローソク吹いて立ちくらみ

お気をつけてくださいな。ケーキの上に顔を突っ込んで倒れたら、もう食べられませんがな、そのケーキ。

☆万歩計半分以上は探し物

ええことです。探し物も出けんようになったら、おしまいでっせ。

☆ふり返り犬が気遣う散歩道

いいお散歩ですこと。【露払う名犬またも振り返り】ですねえ。

☆カード増え暗証番号裏に書き

おっとっと。その番号の前後に、幾つかの数字をくっつけておいてくださいよ。あ、それ、忘れないでね。

☆まだ生きるつもりで並ぶ宝くじ

そりゃあそうですよ。金さん銀さんが言いました。ざくざく入ってくるお金、どうしますか?とたずねられたとき「そりゃあ、老後のために、貯金しておきますよ」と。

今日はここまで。
 

2012年12月25日火曜日

切れる人

買いたいと思っていたものが売りだされているので、大型店舗まで車で走りました。店の中は、随分と賑わっていました。子どもにせがまれているお母さんが、大きな声で子どもを叱っていました。ああ、クリスマスというのに、わんわん泣く子。あまり、いい格好ではありません。でも、泣くからといって、言いなりもいけませんし、お気のどくな情景です。

【切れる】で思い出しました。面白い番組に出合うと、ちょっとメモをしておくことがあります。そんなノートを開いて書いています。

何年か前のNHKのクローズアップ現代で「切れる大人」というのをやっていました。ご覧になった方もあるはず。ぶち切れは、何も若者の特権ではないようで、以下は、その内容です。

実際に切れて事件になるのは、30代から50代の大人が多いらしい。また、「注意された人」よりも、「注意した人」が切れるというのが事実だとか。多分、大人は、色々とストレスがどんと溜まっているのだろう。

解決策として、脳内の精神の落ち着きを左右する「セロトニン」という物質を増やすという方法を紹介している。

具体的には、腹式呼吸、瞑想、座禅、フラダンスなどをすると、セロトニンが増えてくるらしい。複式呼吸や瞑想は、誰にでも、どこででも、タダで出来ることなので、切れそうな方には、おすすめである。

切れる人の中には、うつ病の人が少なくないとか。【過度に内にこもる傾向と、過度に他者に攻撃的になる傾向】は、じつは表裏一体であるという。エネルギーの方向が違うだけで、本質的には同じ(あるいは、とても近い)そうだ。しかもうつ病は、誰でもなり得る。いつも元気にしている人、しっかりしている人ほど要注意といわれるほどである。現代は、随分増えているように思うのだが、それだけ大変な時代なのだろう。

ともあれ、複式呼吸でもしながら、立ちそうなハラを寝かすことにしましょう。

それにしても、多くの若者達にとっても、なんと生きづらい時代になってしまったことでしょう。ボーナスもカットされた人達が大勢買いものにきていました。10円でも安いものに目を向けています。
派遣社員だの、請負社員だのと、正規の半分にも満たないような賃金で働かされている人たちが随分大勢いるようです。小泉氏の「規制緩和政策」「弱肉強食の自由主義経済」の正体が、こういうことだったのでしょう。

格差社会をつくるのは目にみえていたはずですが、「仕方ない」と認めてしまった、こうした現実を、どこまで私たちが「政治が悪かった」と認識するか、が問題と思います。またまた政治につながっちゃいました。くせになったかな?()

 

2012年12月24日月曜日

クリスマスイブ


今日は昨日の天皇誕生日(日)の代休。子どもたちにとっては、嬉しいクリスマスイブでしょう。

孫が小学校2年生くらいだったと思います。孫の友達が、5人程集まって、サンタクロースは、実際に来てくれるのかどうか、という議論をしていました。「うちは来てくれる」と、言う子がほとんどの中、Aちゃんが言いました。「サンタクロースなんていない」と頑張るのです。他の子どもたちは、おるにきまっていると頑張ってます。すると、Aちゃんが「だって、私の家に来てくれたことないもん」と、かなり厳しい口調で言いました。皆は、一瞬、キョトンとしていましたが、他の子が、それぞれに「家、知らんのとちがうん?」「靴下ぶらさげとるん?」とか言います。

こういうことは、何とも切なくて、聞いておれません。Aちゃんは、母親が病気です。子どものクリスマスのことどころではありません。だからといって、そっとプレゼントをポストに入れておく、なんてことは、出過ぎたことと思うので出来ません。今でも思い出します。

サンタはお父さんやお母さんで、寝ている間にそっと置いてくれる、と気付くのは、小学校45年生でしょうか。それを見届けようと、寝たふりをして、確かめたという子もいるでしょう。いつかは感づくことですが、親に騙されていたと怒る子はありません。大人になって、我が子にプレゼントをそっと枕元に置きながら、懐かしく子どもの頃を思い出しているかもしれません。

私のような年齢の者は、クリスマスに親からプレゼントをもらったというような思い出のある方は、かなり恵まれていた方たちでしょう。幼稚園でも学校でも、クリスマスなんて、まったく関係なく過ごしました。その代わり、お正月は、とても楽しい行事でした。お年玉をもらうと、一日はじっと我慢して、二日には駄菓子屋に走っていって、あれこれと籤をひいたりしたものです。(元旦からお金を使うのは、いけないことと教えられたものです)羽子板を突いたり、かるた取りをしたり、トランプをしたり、福笑いをしたりと、普段では味わえない楽しさがありました。

今の子どもたちと違って、テレビもゲームもない代わりに、友達との遊びは、一年中ありました。

今の子どもたちと、どちらが幸せだったのか、なんとも言えませんが、あまりにも恵まれ過ぎた子どもたちをみていますと、一体、何が思い出に残っていくのかなあ……なんて思ってしまいます。

いよいよ年の瀬。ちょっと忙しくなります。風邪などひかぬよう、気を付けていきたいと思っています。

2012年12月23日日曜日

田原総一朗さん






総選挙が終わって、何人もの方たちから、慰めやら、怒りのお電話をいただきました。【まさか】の結果に驚いたのは、少なくなかったようです。

私もやっと平静な気持ちにはなっていますが、仙谷さんのしてこられたことや、考え方などをよく知っているだけに、残念でなりません。

昨日、政治評論家の田原総一朗さんが、インターネットラジオで、仙谷さんのことを話をしていらっしゃるのを紹介していただきましたので、さっそく聞きました。私と同様に悔しい思いをしておられる方々にも、聞いていただけたらと思いましたので、お時間のある方は聞いてみて下さい。

検索で、田原総一朗のタブーに挑戦!と。

2012.12.21放送 「自民党大勝 検証とこれからの課題」下にある(MP3ダウンロード)をクリック。

または、ここをクリックし、その下の(MP3ダウンロード)をクリックしてください。

http://www2.jfn.co.jp/owj/fri/index.php

スタート後、20分ころから仙谷さんがいかに民主党に必要だったか、なぜ今回の選挙で落選させられたかを田原さんが分析、語っています。事実と少し違う所もあるかも知れませんが、田原さんが仙谷さんを、とても大切な議員であることを、具体的にのべられています。

 

2012年12月22日土曜日

シルバー川柳


「シルバー川柳」という本があります。面白いのでご紹介しておきましょうか。ついでに一言。

☆日帰りで行ってみたいな天国に
そうねえ。でも、帰りたくなくなったら困りますよ。見るなら地獄がいいかもね。

☆LED使い切るまで無い寿命
私、今日電気屋でLEDの照明をみてきたんです。安売りしていたので、取り替えようかな、と思ったんですが止めました。電気代がいくら安くても、到底取り戻せない。けっこう高価ですからね。

☆紙とペン探してる間に句を忘れ
分かります。句どころか、何を探しているのか忘れるんですからね。

☆三時間待って病名加齢です
優しい先生ですこと。ある方が一日掛かりで大きな病院で診てもらったら、「命が長すぎるせいでしょう」とひどい診断だったそうですよ。

☆改札を通れずよく見りゃ診察券
機械の改札口って面白くないなあ。駅員さんならきっと「ここは病院ではありませんよ」と、優しく言ってくれたでしょうに。そんな駅員さんだったら、徳島駅の窓口で、『徳島まで』と言ったら、きっと『ただですよ』とにっこり言ってくださるでしょうね。

☆二世帯を建てたが息子に嫁が来ぬ
きょうび、親と住んでくれるような健気な嫁なんて、金の卵です。息子が悪いんじゃありません。でも、気長く【待てば海路の日和かな】ですよ。

☆女子会と言って出かけるディケア―
朝夕、たくさんのディケア―の車がお客さんを送迎しています。
日本はいい国だなあと思います。年寄りを大事にしてくれます。でも、国がつぶれたらどうなるのかしら。子は宝。子どもも大切にしてね。

☆起きたけど寝るまでとくに用もなし
いい身分ですねえ。冥土への最短コースでしょうね。

☆目覚ましのベルはまだかと起きて待つ
目覚ましなんて無用ですよ。たとえ寝過ごしたって、どーってことありませんものね。あ、ひょっとすると、家族が『生きてるのかしら』なんて心配して覗きにくるかもね。

今日はこれまで。

2012年12月20日木曜日

ウソも方便


森の石松は次郎長さんに、金毘羅代参を言いつかったときに、「行って帰って400里、三月の間、酒というものは、笹の露ほども飲んでくれるな」と言われます。石松は「そんなことは出来ない」と答えますが、あとで大政に、「ウソも方便」ということを教わって出かけることになります。どれほどのお酒を飲みながらの旅だったかは知りませんが、こんなウソなら、だれしも経験のあることでしょう。

私もたくさんのウソをついてきました。治らぬ病に倒れた方に、「治る」とウソを言ったりするのは、当然のことのように、言いました。子どもたちの前では、いかにも知ったかぶりをしたり、知っていたことを知らなかった、なんて言ったりもしました。こうした「ウソも方便」ということで、何の罪の意識もなく、言うことが 出来ます。

ところが、ウソを言ったばっかりに、ひどく叱られたこともあります。

日曜日には、畑に出て、仕事をしていた頃だったと思います。まだ子どももいなかったので、夫が、「映画を観に行こう」と、いうので、二人は、それぞれに、「今日は、学校の用事がある」ということで、家を出ました。悪いことは出来ぬものです。舅が夫に帰りに何か、買ってきてほしかったのです。それで学校に電話をかけたのです。「来ていません」と、日直は言います。仕方なく私にも電話を。同じように「来ていません」()

帰ってから、まあ怒られたこと。映画が見たいなら、なぜ正直に言わぬのかっ。と脂を搾られました。当時は、親の権威は、かなりのものでしたから、どちらにも言い分はありますが、ただただ、謝るしかありませんでした。

遠い昔の思い出です。

やはり、つかねばならないウソと、つかないのがいいウソがありますね。

それに、物忘れする年頃になったら、ウソはつかぬのがいいようです。ウソを言ったことを忘れてしまっている方がありますからね。
ウソがばれます。()

 

2012年12月19日水曜日

ある学校風景


ある学校の校長先生が、廊下を歩いているときのこと。向こうから、生徒が歩いてきます。紙屑が落ちていたので「そのゴミ、拾っといて」と言いますと、生徒は、「お前が拾ったらええだろう」と、言ってすれ違いました。校長先生は、そのゴミを拾って捨てました。そのことをある父兄に言ったところ、「ほら校長先生が悪いわ。先生が拾って、生徒に模範を示すべきだわ」と、おっしゃったそうです。

私は、この話を聞いて笑ってしまいました。しかし、こうした現実は、マンガでも、笑い話でもなく、事実にあるのです。

最近の学校は、私が教師をしていた時代とは、まったく違った世界となっています。現場の先生方は、子どもたちの言動や親の言動に、やる気をなくしたり、ノイローゼ一歩手前になったり、職場放棄をしたくなったりと、大変な精神的苦痛を味わっているようです。

このような子どもたちや、その親たちを育てた親の責任、ということになれば、私たちの世代でありますし、その親たちを教育してきたのは我々です。

誤った自由主義や個人主義の中で育てられた世代が作る日本。一体どんな国になっていくのかと思うと、ぞっとします。

全部が全部、このような人たちでないことは、わかっています。でも、とても、安心はできません。
高等学校の朝の風景をみていても分かります。校門前で、毎朝何人もの先生たちが指導をしているのです。小学生を迎えるように。そして、「おはよう」と、先生は声をかけますが、生徒は知らん顔。

そういえば何年か前、こんな話をTVで見ました。東大の入学式のとき、学長さんが、新入生に、「挨拶のきちんと出来る人になってほしい」とおっしゃいました。日本のトップクラスの頭脳が集まっている大学生の訓示に、こんなことを言わねばならないのかと、思ったものです。

国造りは、人作りでもあります。礼節もわきまえない人間や、我儘人間に、いくらお金をかけて教育しても、いい日本にはならないと、思う者です。

 

2012年12月18日火曜日

記憶


人間の記憶力というのはおかしなものだ。かなり前のことでも、しっかり憶えているのに、さっきのことを思い出せない。

このブログでも、「あのことを書こうか」と、かなり昔の思い出を書き始めて、「あっ、この話は、たしか書いたなあ」と止めることがある。それも気付かず、同じようなことを書いてしまったこともあるやも知れないが、お許しいただきたい。

最近は、無論大切な約束などは、手帳に書き込んでいるので、集まりを忘れたりすることはないのだが、生活の中では手帳に書けないことの方が多い。そんなときに頼りになるのはタイマーだったり、手の指の輪ゴムだったりする。

風呂の湯を入れ過ぎて、また抜き過ぎて、また入れる、なんてことはしたくないし、焦げ付かせた煮豆と一緒に鍋まで捨てるようなこともしたくない。タイマーも、途中で電池が弱くなって、蚊の鳴くような音では困る。電池の取り換えも、怠らずにやっている。

タイマーも輪ゴムも役に立たないものもたくさんある。ちょっと置いた鍵が神隠しにあったのかと思うことなど、日常茶飯事である。一つ一つの行動に気が抜けない。ほかごとを考えたり、ぼんやりと鍵やメガネを置くと、後が大変だ。その都度、鉄道員のように指さしこそしないが、「ここに置く」ことを頭に認識させなくてはいけない。ま、こういうことは、決めたところに置くという習慣があればいいのだが、それがひょいと違ったことをしてしまうのが私め。
残り少ない人生の黄金の日々を、物探しに費やすほど勿体ないことはない、と、しかと心得ているのだが……。

「老いて自分の能力がだんだんと衰えてきたら、基本的に自分の生活を縮めることを考えなければいけない」とある方が言っていたが、なかなかそうしたことはできにくい。たかが年賀状の枚数を減らすこともなかなかできないのだから。生活を縮めて物探しの時間を増やすのでは、困るしなあ。(笑)

 

2012年12月17日月曜日

闘い済んで日が暮れて その2


投票日が済んで一夜明けました。徳島県も、全国に習って人物よりも、党を選ぶ、ということで、全員民主党は破れて自民党県になりました。

仙谷氏も、民主の重要な仕事をしてきた責任者として、深く反省している旨のご挨拶をなされました。
私ごとき者には、よく解らないのですが、自民党が、「3年前の安定していた世の中をこの3年間で悪くしてしまった民主党」と言われても、ピンときません。交代前の世の中がひどかったので、交代したのであって、その後、よくなったこと、たくさんあるけどなあと、首を傾げています。マニフェストというのは、約束ですが、守られたこともたくさんあるし、そんな約束事より大事なことが出たら、そちらを優先せざるをえないのでは、と思います。

自民党は、運がいいですねえ。崖っプチで民主に後始末してもらって、これからというときが来て、再び政権を握るのですから。
ま、この3年あまりで、生まれ変わったとおっしゃるので、期待することにします。

それにしても、あやしげな新人多いですねえ。議員定数、減らしたらいいと思わざるをえません。どなたでも、頭数が多ければいいという政党ばかり。こんなことで政治がうまくいくのでしたら、党は関係なく、精鋭わずかでいいと思います。あとは、公務員をやとって、お手伝いしてもらったら経費はグンと節約できると思います。

負け惜しみは言うまいと思うので、これくらいにしておきましょう。

このブログを読んでくださっている皆様の中で、私の書いてきたことに、「うん、そうよね」と民主党に応援くださった方々に、厚く御礼申し上げます。m(_ _)m

 

2012年12月15日土曜日

闘い済んで日が暮れて……


雨の中、最後のマイク収めをした仙谷由人さんは、一回り小さくなられたほど、疲れていらっしゃいました。それでも、元気なお声で、にこにこと皆さんにたっぷりなお礼をおっしゃっておられました。今回の選挙ほど、ご苦労をなさったことは、多分なかったと思います。

今日は、私めも老骨に鞭うちながら、与えられた名簿の電話掛けのあと、持ちこんでいた私の電話帖をひろげて、ご無沙汰を詫びながら、友人知人にお願いしたのですが、仙谷さんの今までの仕事ぶりを、ほとんど知らない人たちの多いことに驚きました。
ま、無理もありません。私でも、この度、耳新しいことを色々とお聞きしたのですから。言うなれば、日本の国の大事な決断や、なさってきたお仕事を、殆どご本人もしゃべらないし、マスコミも報道していないということです。
これは、ご本人にとっては、奥ゆかしいということかもしれませんが、市民にとっては、正しい判断材料の不足ということでもあります。マスコミは、自分たちの生きやすい党派を贔屓にするのが当たり前のような現実です。私は、こうしたマスコミの堕落は、長い自民党政権に責任があると思うのですが、今頃こんなことを言っても仕方ありません。市民の一人ひとりが、しっかりしないことには、どうしようもありません。

自慢ではありませんが、私は、あまり人の悪口は言わずに生きてきたのですが、今日ばかりは、電話口で、友達や知人に、相手の悪口(いえ、ほんとのことだけ)をしゃべって、溜飲を下げてきました。()
こんな気持ちのいいこと、久しぶりでした。ふふふっ。
虚像を作られて悪戦苦闘している仙谷さんを思うと、これくらいの仇討は、やってもいいさ、と、古女は思った次第です。

家に帰ってから、Kさんという親しい女性から、電話をいただきました。区外の方ですが、今までしたことのない応援をしてくださっています。仙谷さんが落選でもしたら大変ということで、電話をしてくださっていたのですが、思ったことがあるとか。
それは、今まで知性のある方だと思っていた方に、がっかりさせられたり、反対に、思いのほかご自分の意思をもっていらして、世の中をみておられて感心したりした、と言うのです。選挙の人選びというのは、その方の政治意識はむろんですが、人物そのものの物差しにもなりうる、ということかもしれません。
いずれの方を選ぶのも、自由です。ただ、どなたを選ぶにしても、視野を広げて、ご自分の意思で判断していただきたいと思います。

明日は投票日。棄権は危険です。胸をはって、【この方なら、まちがいなし】という方を投票いたしましょうね。

2012年12月14日金曜日

おわび m(_ _)m

気がついたら、もうじき日が変わる時間がせまっています。ちょっと、書いておこうと思ってブログを開きました。
随筆、エッセーの類を書き始めて、かれこれ20数年になります。その間に、いろいろとご指導いただいたり、読み返して反省したりしてきましたが、つきつめますと、「文は人なり」というか、私には私以上のものは書けないし、私以下のものも書けない」という、当り前のことが、分かってきました。ま、随筆を書くということは、自分をテストされているようなものでもある、ということでしょうか。
こんなブログをたてたこと事態、とても勇気のあることでしたが、そんなに深くは考えずに立ててしまった、というのが本当のところです。

そんなこと考えていますと、書けるものも書けなくなってしまいそうですが、それは、自分を飾りたい、立派に見せたい、という邪念があるからだ、ということで、そこからは、早々と卒業できました。
ありのまま、自然体の自分を理解していただけたら、それでいいと思っています。。但し、いい文章、読んでいただけるような文章にする、という努力はおしまずにしたい、と思うのです。が、時間も暇もかけていない文章は、読んで頂けないなあと、反省はしております。今日も走る走るですみません。m(_ _)m

2012年12月13日木曜日

見る目


【自分】とは、どんな人間なのか?と問われたら、どう答えたらいいのだろうか。顔の説明一つにしても、巧くは表現できない。いつもいつも鏡を見ているわけではないが、何となく分かっていると思うのだが、説明せよと言われても、なかなか出来るものではない。「ああ、母親の顔に似てきたなあ」なんて思っても、具体的に表現するのは、かなり難しい。

自分の顔のことを書くとすると、読む人に、想像出来るように書くのだが、欠点は強調したり弱めたり、人並以上の部品だと、控えめに書くことになったり、膨らませて書くこともあるだろうから、実像とは、ちょっと違ってしまうことになるだろう。

以前、ある文章の中で、自分の顔のことを書いたことがある。友達が、ある方に私の文章を読ませたら、「この方の顔は不細工らしいけど、文章の感じでは、かわいらしい感じね」(笑)と、おっしゃったらしい。私は、決して美人ではないのだが、ま、親に言わせれば人並に産んである、と言う。(親の欲目かも)だから、書いたときも、そう思いつつ書いたのだが、読む方は、不細工な顔と言うのだから、控えめに書いたらしい。(^^;;

声だって、自分の声だけは、伝わる経路が違うらしいので、少し違って聞こえるという。匂いなんかも、自分の口臭はきづきにくいし、体臭など、分からない。

ましてや、その人間性だとか、知性だとか性格などは、自分の思いと他人さまが、自分をどう見ているか、などということになると、まつたく異なるかもしれない。どちらが本物の自分か、となると、あやしくなってくる。

ただ、人を見る目、というのは、かなり難しいものがある。顔や声や匂いとは違う。こうした【人を見る目】というのは、その人の知性や経験や人間性がかかわってくるので、まちまちになることもある。

独りの人物を、ああだこうだと言いあうのが選挙かもしれない。

そういう点では、【その国の政治は、選んだ人たちのレベルの政治】だ、というのは間違いないようだ。A級レベルの政治の国にしたいものだ。

 

2012年12月12日水曜日

今回問われるものは……


今夜は、仙谷由人氏の最後の総決起集会が市文化センターで行われた。開場満杯の支援者が集まっていた。週刊誌、全国紙、地方誌に、自民党リード、仙谷氏巻き返しにどぶ板作戦、などと言われているせいか、思いがけないほどの応援者がかけつけてきて、仙谷さんの業績をたたえてくださって、日本の国のリーダーを落選させるなと、ハッパを掛けてくださった。
 
同じ民主党の方たちの応援は、当然のことであるが、党派を超えた応援が、いままでに全国から集まっているということは、いかに仙谷氏の働きが、ずばぬけていたかを物語っていると思う。

先日は被災地の市長さんはじめ、何人ものかたたちが、来てくださった。今日も、被災地のKさんご夫婦が泊りがけで、この会に参加されていますと司会者はおっしゃっていた。国を思う方たちにとっては、どうしても、国会に帰ってきて貰わねばならないと思うのもようく分かった。

元自民党の野中さんは、老骨にムチをうって来てくださり、「元自民党副総理、後藤田正晴先生が、私に、『仙谷は将来日本のリーダーとなる大物政治家なので、頼む』と言われた。その通り、日本に無くてはならない人物」と、いろいろな業績を挙げられたのは、つい先日。一口で言うと、外交から何から何までに力量を発揮しているのだ。
そして福島県相馬市市長さんは、人情厚く、困った人たちのためには、骨身を惜しまずに汗を流し、官僚を説き伏せる実力者と、力説された。

そもそも、仙谷氏は、今から13年も前に政界はむろん、社会に向かって、警告の直球を投げている。著書【焦眉】である。土建国家への警告、この無駄遣いをゆるしていいのか、と。しかも、この土建国家は、政治・官僚・民間・学者の癒着システムでなりたっていること。しかも、政治家ではなく、官僚が主導権をにぎっていること。

こうした実態が、土建のみならず、教育、文化、健康といった分野まで、同じやりかたで干渉している、と言う事を知って、これが日本の実体か、と私は身震いしたのをおぼえている。

公共事業とは、国民の幸せのためにあるもののはず。国民がまったく必要としていない設備のために、血税を湯水の如く使ってきた自民党政策。そうした後始末のまだ最中というのに、20兆円の公共事業を宣言している自民党に、政権を譲って後戻りさせていいのだろうか?

今まで私たちが知らなかった仙谷さんの働きに、感謝するとともに、実に悔しく思ったのも事実である。【政策を論議し合う合同個人演説会】に出てこれないような無責任な自民党候補者と、互角に戦わねばならない仙谷由人候補者が気の毒でならないのだ。

徳島県民の知性が問われる選挙でもあるようだ。

2012年12月10日月曜日

ボーナスの季節


師走の冷たい風が吹く頃ですが、サラリーマンの皆さんの中には、心待ちに待っている日もあるのが師走。ボーナスの頂ける日であります。
私のように、まったくボーナスとご縁が切れた者にとりましては、財布が軽くなる心寂しい師走でありますが、これは致し方ありません。

ただ、ご時世がご時世なので、働いていても、ボーナスにありつけないお方もいらっしゃることも事実で、こうした格差のない世の中になってほしいものです。

昔、小学校の教師をしていたとき、こんな作文に出会いました。

【私のうちは、クリスマスに何か買って、と言うと、お母さんは、うちにはボーナスがないから、何も買えない。よそは、ボーナスがあるから買ってもらえるんだよ。と言います。私は、うちも、どうしてボーナスを買っておかないのかと思います。今年は、何もいらないから、ボーナスを買ってきてほしいと思います。】

これを読んだとき、私は、子供らしい面白い発想に、拍手を送りながら、赤ペンで、【○子ちゃんが、大きくなってお仕事するようになったら、一番に、お母ちゃんにボーナス買ってあげようね】と書いたのをおぼえています。

今は○子ちゃん同様に、買えるものなら私もボーナスを買いたいものです。

もう年金での【その月暮らし】にも慣れていますが、退職後の何年かは、ボーナスの季節になるし、ボーナス恋しやと、寂しく思ったものです。

今はもう、そんな悠長な気分ではなく、【年金が頂けなくなったら、どうしよう】なんて思ってしまうのです。こんな心配している老人はたくさんおられることでしょう。どうか、このような心配のない世の中になるためにも、政治をする方たちには、後戻りをせずに、頑張ってほしいものです。消費税アップも我慢しますから。

本当いうと、消費税アップによる私たちの懐の痛みは、私たちの作った借金の結果ですから当然のことです。政治家の責任というより、そんな政治家を選んだ国民の責任です。
将来の子や孫の痛みを少しでも軽くしないと、死んでも死にきれないですよ。ほんと、若い人たちは、これからが 大変なんだもの……。

*どうも最近は、頭の中が、選挙のことでいっぱいなので、何を書いても、政治にくっついちゃいます。(笑)

2012年12月9日日曜日

不思議な闘い

昨日は、元自民党の幹事長をしていらっしゃった野中広務氏が、こともあろうに、民主党仙谷由人候補者の応援に駆けつけてきて、徳島駅前で、寒風に吹かれながら、仙谷氏がいかに日本にとって大事な政治家であるか、ということを語ってくださいました。過去において小泉政権後の日本の経済危機状態のときに、党派を超えて仙谷氏の賢明な指導助言によって、危機を逃れたことも話してくださり、あの時、仙谷さんがいなかったら、大変な状態に陥っていたと。やはり、私たちの思っていたとおり、日本の政治を動かせる方ということで、是が非でも、当選させてもらわねばと、思った次第です。

あまりにも、相手候補の陣営が、仙谷氏の悪口を言いふらしていて、虚像をつくりあげているので、大変な苦労を強いられています。今日の会議では、有る方が、「相手は、無いことあること怪文書にまでしてくばっているというのに、こちらは、あまりにも紳士すぎる。相手のことをぶちまけたらどうですか」という意見も飛び出す始末。皆さん、色々と知っているらしいのですが、相手の悪口は言わない選挙運動をしてきたという歴史がありますので、さあ、残された一週間は、やはり紳士を貫くのでしょうか。本当のことを言うのは、悪口なんでしょうか。どうでしょうねえ。

「あれっ。テレビでの政権放送があるというのに、1区だけ、どうして民主党と共産党の二人なの?」私は不思議に思ってある方に尋ねたら、自民党候補者は、出ないとのことです。Aさん曰く。「まともな自分の政策も何もないから、しゃべれんのでしょう」と。まさか、そんなことはないでしょう。テレビに出る暇があったら、握手の一つもしたのがいいと思っているのでしょう。更に、「ああ、仙谷の相手が、それなりの互角に渡りあえる相手なら、負けても我慢が出来る。申し込んだ討論会にも出てこれんのでは、負けてもどうしようもない」と歯ぎしりなのです。

あーあ。相手さんも、陰では、こんなことも言われていますけど、お互いに大変な闘いなんですよね。

相手さんに忠告したいなあ。TV討論逃げていては、いろんな噂、ほんまにしまっせ。どうか、5分がイヤなら2分でもいいから、ご自分の意見をおっしゃって、堂々と闘いませんか? と。

私は選挙のたびに思うんです。選挙に出る方の、資格テストの様な制度を作ったらどうだろうかと。度々、耳を疑うような現実を見せられたり、あるいは、現実を見た方がおられます。【資格テスト委員会】を、どなたか立ち上げてくださいな。むろん学力、性癖、女癖、金癖、酒癖、手癖、足癖もね。いくら陣笠議員だって、票稼ぎが上手いだけじゃあ、どんならんですよ。

2012年12月8日土曜日

温泉


12月8日。嫌な思い出がよみがえってくる日だが、こうした日を忘れることなく、再び戦争など始めるような国をつくらないように、と、心しなければならない。

今日もめっぽう寒い。真冬並みの寒さらしい。
寒い時期になると、温泉が恋しくなってくる。家のお風呂では、身体の芯から温まることが出来にくい。時間をかければ、出来ないことはないのだが、一坪ほどの風呂場では、あの大きな湯船の中で湯けむりに咽びながら、ゆったりと手足を伸ばしている気分は、味わえない。

何年か前の話になるが、あるグループに加わって温泉に行った。巨大な建物の中に、劇場有り、飲み屋あり、土産物屋ありで、一歩中に入ると、もう、外界とは無縁で何日でも暮らせるような温泉宿だった。うっかり者は、迷子になってしまいそうなところである。

ただ、温泉情緒というような、贅沢な気分は味わえなかった。情緒よりも、飲んで騒いで歌ってドブン。お土産買ってハイさよなら、という塩梅だ。

温泉で懐かしいのは、昔、四人の仲良しが訪れた山陰の静かな温泉である。道中降りだした雪が、宿に着く頃には、足首が埋まるほどに積もっており、通された部屋の真ん中には、炭火の切り炬燵。雪見障子のガラス越しに、庭の木々が、白い布を被った怖くも何ともないオバケのように立っていて、これもまた面白い風景だった。たしか、みしみしと音がする廊下を歩いて、湯けむりで顔も定かに見えぬ湯船に、じっくりと浸かって温まった記憶がある。

部屋に帰ってみると、それぞれが炬燵に足を入れて8本の足が十字になるように蒲団を敷いてくれてあった。

夜中、目がさめた。皆が目をさましたようだ。「少し熱いなあ」と言って、だれかが逆さに向きを変えて、炬燵の炭火に灰を山のように被せてくれた。

たかが温泉だが、いつまでも忘れられない思い出となっている。このような、ホッとする鄙びた温泉は、今はもうなくなっているだろう。あるのだったら、また行ってみたいと思う。

2012年12月6日木曜日

ご近所付き合い


団地という塊りがどんどんと出来た時代があった。
市内でも、ちょっと町はずれで土地の価格がそんなに高くなく、中流といわれていた庶民が、手に入りやすい価格で売りに出された所が多い。30年も、それ以上ものローンを組んで、家賃程度の支払いで、土地も家も手に入ったのだから、かなりの数があると思う。

そんな団地が、3040年たつと、そのほとんどが老人夫婦の家になっているのが現状のようだ。
子どもたちは、独立して核家族を作り、残された老人は、連れ合いに先立たれて独り暮らしだったり、施設に入って、だれも住んでいなかったりするものだから、団地の中は、昼間も静まりかえっているところが多い。

Yさんの住む団地も例外ではなく、通学する児童の姿など、みかけたたこともないらしい。
田舎と違って、若い時から、近所とのお付き合いもあまり無かったらしく、お隣さんが倒れていても、入院しても、亡くなっても、なかなか耳に入ってこない、といった塩梅とか。

元気なうちはそれでもいいのだが、いつまでも元気というのは無理な話で、いつかは自立の生活が難しくなってくる。そうした現状を、元気なうちに考えておくということは、あまりしない方が多く、「何とかなる」ぐらいに、深くは考えない。考えたくないのかもしれない。
急によぼよぼになるわけではないのだが、心準備は早いと思ううちに考えておくのがよいようだ。

そして何よりも、ご近所同士が、助け合いながら生きていくようなことも、考えておいたらと思う。街中の方たちは、そうしたお付き合いを「煩わしい」と思ってきたのだろうが、これからの大きな課題ではないだろうか。『遠くの身内より近くの他人』ということが、昔はよく言ったものだ。私達日本人の血の中には、そうした助け合う気持ちがきっと受け継がれているはず。老後を上手く生きていきたいものである。

2012年12月5日水曜日

寒い日


寒いなあ。急ぎの用でちょっと外に出ていたが寒い。昨日も寒かった。美穂さん(高井美穂衆議院議員立候補者)の出陣式で震えあがったが、コートも着ずに車の上で、シャッキと立っている美穂さんをみると、「寒いなんて言っちゃおられん」と私も終いまで我慢出来た次第。お人形のように可愛いお顔が、一回り小さくなったなあ…、なんて思いながら、2児の子を育てながら、奮闘してきたことを思うと、目がうるうるしてきた。それに県下で一人は女性議員が出てほしい。

寒さは関係ないのだが、あまりの忙しさに昨日はブログが書けなかった。といっても、何をしても、樽みたいに着こんでいるものだから、肩や首が凝るし、やることがはかどらない。おまけに火曜日というのは、夜は毎週シニア演劇塾に出掛けるものだから、帰ってきてからもすぐには寝ることが出来ない。寝床に着くのは大抵暦が変わって1時になってしまう。好きなことにはどんな疲れも気にならないという勝手者なので、何とかなっていくのだろう。

この頃は、身が二つ欲しい毎日だ。『花の会・仙谷党員』としては、日本の頭脳、仙谷由人が、1区で落選か・はたまた当選できるか、などという巷の噂なので、気が気でないし、私の選挙区2区で闘う高井美穂立候補者も、仙谷さんに仕込まれて、押しも押されもせぬ議員に成長し、元文部副大臣までしたというのに、逆風にふんばっているので、一枚のシール張りでもいい、お手伝いしたいのだ。

ま、古女が歯ぎしりしても、どうにもならない。どうか、民意の高まることを祈るのみである。

それにしても、どこでもだろうが、選挙事務所というのは、大変なところである。常識人には、考えられないような、訪問者があったりするようだ。それに対応しなければならない方は、大変だろう。怒らせたらいけないし、なだめたりすかしたりするのかどうかしらないが、一応お帰りになる。電話などは、怒鳴られたりは日常茶飯事だろう。

もう昔のことなので書くのだが、あるとき、パチンコ屋さんのお隣に、選挙事務所を構えたことがあった。私は、台所のお手伝いをしていたのだが、昼食時、毎日、5・6人でやってくる一団があった。外回りのお手伝いではないことは、一目でわかる。まつたく関係なくパチンコ屋で稼いている?らしき団体さんだ。

食事は、カレーライスだったり、日替わり定食のようなものだったりだが、食べ放題だ。満腹すると、机の上のゆで卵やら、みかんやらをポケットいっぱいにねじ込んでお帰りになる。「さあ、票稼ぎに行こうか。ごちそうさん」と言って。
炊事係の者は、じろりと、横目で睨むことはあっても、「もう来ないで」とは言えないのだ。それどころか、「脚での票稼ぎは、大変やなあ。しっかり食べて、稼いでな。よろしくたのむよ。当選させてな」と言いながら食事を出す。だまっていても、しっかり食べるのだから、これくらい言っておくのがいい。彼等の1票があるだろうということで。()

また、あるときは、子ども二人を連れた女の人が、身をかがめるようにして入ってきた。「どうぞ」と、座っていただき、お茶等出す。炊事場から良く見えるところだ。選挙の話をするでもなく、ただふらりと入ってくる客には、それなりにお相手をしていても、「どうぞごゆっくり」ということくらいしか相手にできないだろう。そのうち子ども二人が炊事場に入ってきて、「ごはん」と、催促した。「ああ、そうだったのか」と、こちらも納得。昼は過ぎていたのだが、気持ちよくあがってもらう。こんな親子たちが居なくなる政治が必要なんだと、思ったのを思い出す。

社会の縮図をみるような事務所風景。私にとっては、色々と学ばせていただいたものである。
最近は、こうしたことも少なくなったと思うけれど、大変さには変わりがないようだ。

【無理せず楽せず】でいきよりますので、ここも穴があくやもしれませんが、よろしくお願いします。

 

2012年12月3日月曜日

ニュースあれこれ


まあ、【雨後の筍】とでもいいましょうか。これだけ揃いますと、何党が何を言っているのか、まったく分からなくなりますねえ。党の名前、全部言えません私は。投票に行かなくなる人が増えるんじゃないかと心配です。
下衆の勘ぐりはしたくはありませんが、候補者なんて、誰でもいいのでしょうかねえ。ただその時に「サンセーーイ」と、手をあげてくれさえすればコトたりるのですか?
『波に乗って、うまく当選すりゃあ、いい収入になるから、イチかバチか立候補してみよか』なんて思っている人、けっこういなさるらしいですねえ。目の前にきているというのに、数だけは間に合うのでしょうか。国民の皆さん、こんな政治家困りますよねえ。
以前、小沢とかおっしゃる親分さんが、言ってましたね。子分の1年生議員さん集めて、『あんたたちの仕事は、次回選挙に当選することです』って。議員の仕事って、そんなことでいいのですか? 呆れます。

トンネル事故。何という気の毒な犠牲者の方々。何ともお気の毒でなりません。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。運命って、なんでしょうか。私は、信仰心の薄い人間ですが、神や仏の前に立つと、手を合わせ拝みます。でも、神や仏などいないと思うのは、こうした運命に嘆き悲しむ人たちを目にする時です。

今日、南の方に車を走らせましたが、小松島のトンネル、早くも片側の天井をコンコンと検査していました。こうした事故がありますと、即対応が出来るのはさすが日本です。ありがたいです。でもしばらくは、トンネルを抜けるのは、気持ち悪いです。

北朝鮮のまたまたお騒がせ。ミサイル発射にふりまわされるのは、どうにかならないものですかねえ。そのたびに、税金使って対応しています。

発射したミサイルが、そのまま、発射台めがけて墜ちてきたらいいのにと思っている人、たくさんいると思いますが、そうはならないでしょうねえ。ヤクザな国がお隣りさんというのは、ほんとに困ります。

明日は衆議院議員選挙の公示日です。どこの陣営も、出陣式です。こちらは、ぱらぱらと雨がふりだしています。明日はどうでしょうか。街宣車にのって、「お願いしまーーす」と叫ぶ候補者さん、そして鶯嬢。窓は全開。寒くても雨が降っても全開で走りまくります。命がけです。どうか、声を枯らしても、身体を枯らしてしまいませんよう。皆さん頑張ってください。