2012年7月31日火曜日

お知らせ


毎日暑い日が続きます。皆さま、お元気てしょうか。

私は、冷蔵庫から出し入れされた青菜に塩をまぶしたように、しんなりとなっております。。

ブログを書き始めて、4か月あまりが過ぎました。

飽きもせずに、毎日読んでくださっている皆様、ありがとうございます。大変励みになっております。


知人友人から、無理をしないようにと、ご注意を受けておりましたが、最初の目標は、3か月は、毎日続けて書いてみよう、ということだったのですが、書くことがあまりたいそうでないこともあって、今日まで続けてまいりました。

しかし、この暑さと、他の仕事のこともあって、少しばかりバテぎみです。
急ぎの仕事も少しずつ溜まり始めました。


また、100名ほどの会員で、年に一度、(10月)町民文芸誌を出しておりますが、その事務局をしておりますので、これからしばらくは、多忙となります。

その上に、道楽で入れていただいたシニア劇団【マデーラ塾】の脚本にも、そろそろかからねばなりません。(来年春5月公演予定)
これは、塾生の私ごときが書いてそのまま、上演出来るものではありません。塾長先生のご指導を受けながら、また、団員の皆さんのご意見を伺いながら、仕上げていかねばなりません。今からかなりの時間、ボーッと考えながら、筋などをまとめていきます。

その、ボーッとする時間も、年とともにホントにボーッとしてばかり。考えをまとめる能力の低下は著しいのです。()


毎日読んでくださっている方たちには、すまないと思いますが、8月からは、2日か3日に一度のペースで書いてまいりたいと 思っております。

ときには、短いものであったり、エッセイとは言えないような内容になるかもわかりませんが、お許しください。こう言いますと、今まで、エッセイと言えないものなど書いてないみたいですね。とほほほ。(^^;;

エッセイを書くのは大好きなので、これからも無理せず、細々でも、続けていこうと思っております。今後とも、よろしくお願い致します。

2012年7月30日月曜日

ユーモアのある人生


世の中には、立派な仕事をしたり、人の為に尽くしている方たちがたくさんいらっしゃることに感動することがよくあります。TVにそういう方たちが出てくると、人生は長さではなく、質が大事とつくづく思います。

いい質の人生が、しかも長く歩めたら、こんないいことはないでしょう。


その「いい質」の人生を歩むために、何をしたらいいか……。だれでもが芸術家になれるわけでもないし、奉仕者になれるわけでもないのですから……。


私のような凡人は、己をよく知った上で、自分を大切にしていく以外はないように思います。


これは、そんなに難しいことではないように思うのです。こうありたいという自分に近づくだけですから。本当にやりたいことだけを、やったらいいのですから。ここのあたりは、「おまけの人生」を歩んでいるものの特権でしょうか。

口で言うは易し、行うは難し……かもしれませんがね。

でも、一ついえることは、楽しみながらやることは、そう難しくはないし、出来なくても、どーってことない、ということです。失敗も、ユーモアと思うことにしています。



そうそう、ユーモアといえば、以前、あるお医者さんの講演で、面白いお話を聞きました。
ユーモアは、とても大切なことで、ユーモアのある人生は、長生きにも通じるそうです。
こんな事例もお話してくださいました。



96歳の一人暮らしの老婆が、体調を崩したので、往診に通っていたときのこと。
何やら引き出しをごそごそしている。
医師「何をしているの?」
お婆「私も、隣のじいさんみたいに、急にお迎えがくるやもしれんので、ちょっと整理しとったんや」

(医師は、お婆ちゃんの目が白内障で、自分の顔がはっきり見えていないことを知っているので)
医師「お婆ちゃん、こんないい男が、毎日往診に来ているのに、急いであの世に逝くことないじゃないの」

(お婆ちゃん、部屋の障子を見つめながら)
お婆「いい男かどうかは、一晩いっしょにおらな分からんなあ。今夜、あの障子開けておくけん、気がむいたらおいでなはれ」
(医師、一瞬、妻の顔が頭をよぎる。そしてドキリ)・・・(爆笑)


講師「長生きする人は、ユーモアがありますね。このお婆さん、もう100歳になるけど、まだ、死んだとは聞いておりません」



私は、その先生のユーモアたっぷりのお話を、つぎつぎとお聞きして、お腹の皮がよじれましたが、脳味噌にブラシをかけていただいたのも事実でした。

聞くこともいいけれど、話すことが出来るのはなおのこと。そんな能力は、やはり持ってうまれたものなのか、発想、視点の違いから生まれてくるものなのか、どちらにしても、羨ましいことです。


私も、オマケの人生なればのユーモアある人生でありたいものです。


2012年7月29日日曜日

聞き上手に話し上手



昔こんなことがありました。
退職後の57歳のときでした。

旅の途中、富良野の小さな旅館のフロントで、新聞を読んでいたら、話ずきのご主人につかまりました。
ジュースなど出してくれたりするものですから、こちらもついつい腰を落ちつけてお付き合いしていましたら、「奥さん、学校の先生でしょう」と、ずばり当てられました。

もう足を洗って二年が過ぎるというのに、今だに先生面をぶらさげているのかと、正直いって、参ったなあ‥‥と思ったのですが、ご主人の言われるには、「先生とか看護婦さんは、聞き上手なのですぐ分かる」と言うのです。
それを聞いて、さすがは人間相手の商売、目のつけどころが面白い‥‥と、感心してしまいました。

自分では、特別聞き上手とは思っていませんが、話し上手と聞き上手の二つのどちらかにきめろ、と言われれば、聞き上手と言わざるを得ません。
まあ、聞き上手といったところで、単に喋ることが苦手なだけで、自然に聞き手に回っている、というだけのことなのですが、『聞き上手』などと言われると、さすがの私も、面映ゆくなります。



そういえば、ある方の随筆を読んでいましたら、銀座のホステスさんの中には、元看護婦さんという人が、かなりいるということが書かれていました。病院と銀座のバーとは、似ても似つかぬもののように思っていたのですが、「聞き上手」といった特技があるとすれば、分からぬこともありません。病人もバーのお客も、話を聞いてもらいたいのは同じようなものでしょう。上手な聞き手になれることが、腕利きのホステスさんの大事な条件であることも頷けます。



話はもどりますが、旅館のご主人の言われるには、商売がら、十人中、八人まではその人の仕事を当てるそうです。また、一夜の泊りであっても、人柄から育ちまで想像がつくというのですからたいしたものです。

 

そのご主人が、こんなことを言いました

「私もね、こんな小さな旅館やってるけど、気苦労あるのよ。何が辛いかったって、客のないときほど辛いことはないね。ほんと辛いよ。半値でもいいからさ、誰か泊まってくれないかと思って外なんか出てさ、落ち着いていられないよ。本当いったら、こんな旅館止めて小料理屋したいんだけどね。奥さんみたいなこぎれいな婆さん雇ってね。その方がずっと気楽だと思うよ」


私は思わず笑ってしまいました。(こぎれいな婆さんときなすったか。とうとう婆さんの仲間に入れられてしまったか‥‥)ということもあったのですが、それよりも、ホステスの素養など、かけらもない私を雇ったら、来る客も来なくなるだろうことがおかしかったのです。ご主人の言う「人を見る目」なるものも、その打率は口程でなし‥‥かもしれません。

それにしても、いざとなれば、この婆さん、こぎれいにして小料理屋のスタンドに立って立てなくもないかもね‥‥。ま、銀座は無理として、富良野ぐらいの田舎町ならさ‥‥。なんてにやにやしながら富良野を立ち去ったのでありました。

さて、『三つ子の魂百まで』とかいいますが、私は小さい時から、何人かの遊びのグループの中で、いつも引っ込みがちに、皆のおしゃべりを聞いていた感じがします。
そんな性格を、祖母はよく、「この子はシャンとせん子やなあ」といっていましたが、自分では、けっこう「シャンとしてる」と、内心反発していたのを憶えています。
聞き上手に話し上手、どちらが人生巧く渡っていくのかわかりませんが、「こちらがいい」と言われても、持って生まれたものは、おいそれと裏返すことはできません。死ぬまで抱えていくように思います。ま、例外はあるでしょうが……。















2012年7月28日土曜日

オリンピック始まる


いよいよオリンピックが始まる。

スポーツにはご縁のない私だが、日の丸を背負って頑張っている選手の皆さんのことを思うと、応援したくなってくる。

といっても、夜中にTVをつけて応援するほどの熱意も無いのだから、偉そうなことは言えないのだが……。



オリンピックも、色々な競技があるのだが、やはり、その種目によっては、陰の薄い競技もあって、「へえーっ、こんな競技もあるのか」と、驚くこともある。

反対に、サッカーなどは、すごい人気が集まっている。サッカーのルールもよく知らない者までもが、熱くなっているようだ。



今は、学校の運動会の種目になっている『綱引き』は、昔はオリンピックの種目にあったというのも、驚きだ。第2回から第7回まで、正式種目だったようだ。公式ルールでは、選手8名、交代要員2名、コーチ、監督各Ⅰ名でチームを構成し、選手8人の体重によって、ジュニア、ライト、ミドル級まで4階級が設けられていた。中止になったのは、どうしてなのか? あまり、人気がなかつたのだろうか。



実は日本では、綱引きは古くは大人たちの行う信仰行事のひとつで、神前で綱を引き、その結果によって豊作凶作を占うというのが綱引き本来の目的だったようだ。今は信仰の意味は無くなっていて、子どもたちの遊びというか、運動会でよく行われる行事の一つにすぎないのだが。



とにかく、ここしばらくは、オリンピックムードで、熱くなった皆さん。寝不足の人達が増えることだろう。

今日は土曜日。いつもなら、朝寝坊の人達も、目覚ましをかけて早朝の開会式は見ておこうと、今頃は白川夜船だろうか。()

……只今0時48分。私は今から、ぐつすりと休むことにします。そして7時のニュースでみせてもらいましょう。






2012年7月27日金曜日

物忘れ


先日、同窓生が10人程集まって、食事会をした。

いつものことながら、「物忘れがひどくなった」「二つのことをしようと思っても、一つしているうちに忘れる」「モノを取りに隣の部屋に入ったのに、何を取りに入ったのか分からない」などなど、グチとも心配ともつかぬ話があちこちでなされていた。


私の場合は、小学生の頃から、物忘れははじまっていたので、恐れることもない、と開き直っている。


物忘れで思い出すのが、「みょうが」のはなしである。

私の祖母が、「みょうがを食べたら、物忘れする」といって、みょうがを嫌っていたが、そのわけを尋ねても、納得のいく返事は聞けなかった。


昔からのいい伝えの中には、生活の知恵のようなものもある。あの、何ともいえない味の中に、脳神経に良くない成分でもあるのかしら・・・とも思ったこともあるが、それも、馬に喰わすほども食べるわけでもなし、ということで、季節には、けっこう好んで食べていた。


ところがある時、『・・・・むかし、インドの国のはなし。釈迦の弟子に、自分の名も覚えられぬ、愚かで忘れっぽい僧がいた。・・・釈迦は、この健忘僧の名を大書して、背中に貼り付けられた。健忘僧も、励んでついに仏果を得る。そしてその死後、彼の墓の周りに生えた見知らぬ植物、墓の主にちなんで、「茗荷」と。つまり、名を荷うの意味である。巷間、今もなお、みょうが(茗荷)を食べると物忘れしやすくなるという俗説が流布されている・・・』という内容の一文を眼にした。


やっと、納得の行く答えに出会った。
そして何となく、みょうがに、得も言われぬ親しみが湧いてきた。


ただ、同じ俗説を流すのなら、健気な僧のためにも、「茗荷を食べたら、物忘れする頭も、良くなる・・・」と流して欲しかったなあ……。






2012年7月26日木曜日

健康施設あれこれ


今年3月に新しく出来たKという健康のための施設に入会した。ここは、女性のための施設で、30分きりの運動で帰ってこれるので、手軽でいい。おまけに、30分、途中さぼりたくてもさぼれないのだ。聞こえてくる号令に合わせて、12の機械とその機械の間に敷いたマットの上での足踏みを30秒ずつしながらぐるりとふた周り回って動いていくものだから、後の人のためにも動かざるを得ないのだ。
家から車で15分もかからないところなので、1時間あれば、十分というのもいい。

以前、私は、徳島市内まで出かけて、プールで歩いたり泳いだり、ヨガをしたり、社交ダンスのレッスンを受けたりしていた。終わると、入浴して、帰ってくる、というパターンで、半日掛かりだった。時間割に合わせて、一週間に2日か3日くらいは出かけていた。


その施設を暫く休む休会の手続きをとったのは、3年前、高校生になった孫の送迎をすることになったため、時間的に無理になったのだ。


このトシになると、続けてしていたら、続けられることも、3年ほど休むと、もう続ける気分はなくなってしまう。

今年の3月で、孫の送迎は終わったのだが、プールに入るのは、前々から冷えると思っていたし、社交ダンスも、回転して転んで骨でも折ったら大変と思うし、時間も勿体ないと思うしで、新しい施設にも入ったので、退会することにした。



先日、その施設の近くに用事があって出向いたついでに、退会の手続きをしていただこうと思って施設に寄った。
が、向こうも商売だ。そのまま、休会にしておくと、今度家族の方が入られるときに、お得だとか何とかおっしゃる。その予定はないと言うのだが、向こうさんも粘る。



こうなると、私は粘りがない。急いでいたこともあって、ま、暫くそのままでいいか、と思って帰ってきた。休会中は、会費はいらないこともあり、そのままでも、どうということはないのだ。



帰って来てから思ったのは、『しまった』なのだ。万一、私が明日にでも死亡したら、その手続きは息子か嫁がすることになるのだ。やれ、実印だ、身分証明書だということになる。入会時に、少々収めたお金があるからだ。

人の命なんて、明日のこともわからないのだもの。するべきことは、きちんとしておくのがいい。
近いうちに、また出向き、今度こそは、退会してこようと思っている。



心身の健康維持が、今の私には大切な仕事と考えているので、時間の許す日は、施設に出かけ、運動をしている。目標は、1週間に3日、月に12回としているのだが、今のところ、何とかクリアできている。

しばらくは、頑張っていけそうだ。





2012年7月25日水曜日

『生きて死ぬ知恵』という本


『柳沢桂子著 生きて死ぬ知恵』という本があります。もともとは科学者であった柳沢さんが、大病を患って36年間苦しみ、科学の限界を知らされます。

彼女は、宗教にのめりこんでいきます。そして、般若心経を科学的解釈で、美しい、易しい現代語に訳しました。
ある時、NHKの教育テレビ、「心の時代」で、柳沢さんの著書や生き方を放映し、大反響でしたので、ご存じの方も多いと思います。



私は、その放送を観て、とても感動しました。宗教には、まったく無縁の私ですが、そのときの放送内容を(録音したもの)何度も聞き返しました。本は、わずか50頁ほどのものですが、その放送の中にも詳しく紹介されています。



「死」という問題が、大きく圧し掛かってきたこのごろ、この本は、とても心を軽くしてくれました。
「宇宙の全てのものは、粒子で出来ていて一枚の布のようなもの」という考え。それは、すべては同じ無・空という考えで、だれにも避けられない「死」を安らかに受け入れられる基本的な考えだろうと思います。

これまで私は、「宇宙は一つ、全ては水である」という哲学のようなものを心にいだいていたのですが、似たようなものとは思いますが、こちらに切り替えました。より科学的です。(笑)

無・空に近づくための、「自我を捨てること」は、凡人にはとても難しいこと。命はみんなのもの、というところくらいまでは、考えられることであっても、「あらゆるものを削り取る」ことが難しいのです。


病気でだれかに同情されてイヤな気分を味わった柳沢さんが、自我を捨て切れていない自分に気づいて、「私がいなかったら、こんないやな思いはしなかっただろう」という思いで、はっと目の前が光り輝いたという柳沢さんのことばに、私も目のうろこが落ちた思いでした。

永遠の命に目覚めている人たちは、苦の中で幸せに生きることが出来る、夜が明けることだけでも幸せになれる、ということは、そんなに難しい学問をしなくても、できるようにも思います。
決して「永遠の命に目覚めた」などということはこの世のうちには言えないと思いますが、近づくことは、出来るかもしれません。



無常の中で生活しながら楽園で生きられる、自我を削って生きさえすれば、幸せになれる、という柳沢さんの考えは、宗教を、そんなに難しく考えないで、折々に自分たちの生活の中に、反映していく、ということでもあるようです。

そして最後にのべられた、「神の領域にまで手を伸ばそうとする科学に疑問、人間として、してはいけないこと、自然に対して、畏敬の念を持つこと、自然の偉大さをもっと認識すべき、生き物としての限界を知るべきだ、というお考えに、大きくうなづきました。



柳澤さんは、すでに悟りの境地に立たれているように思いました。悟りとはこういうものなのかなあとも感じさせてくれました。

自我を捨てることは、口では言う事が出来ても、凡人の私らには、なかなか出来ることではありません。

これからの私は、どれくらい自我(エゴと言い変えてもいいと思いますが)と格闘し削り落とせるかしら、と考えますと、頭を垂れるしかありませんが……。



(実はこの本の絵を担当しているのが、このブログの615日『堀文子と言う画家』でも書きました堀文子さんです)




2012年7月24日火曜日

コーラ


マーケットに食材を買いに行った。そのついでに、コーラを買おうと、売り場に行った。ジュースはあまり飲まない私だが、コーラは好きでよく飲んでいる。


最近店頭にコーラがたくさん並んでいる。それも、0カロリーとか、糖類0と書いたものが多い。そうしたものが、よく売れるのだろう。


以前は、コーラといえば、コカコーラかペプシコーラしか並んでいなかったのだが、最近は、キリンが出しているキリンメッツコーラが肩をならべている。
このコーラは、『食事の際に、脂肪の吸収を抑える』と、書いてあり、【消費者庁許可、特定保健用食品マーク】がついている。あの黒色の人間が円の中で胸をそらして万歳をしているマークである。あのマークがついていると、一応、書いてあることが信用できる、と思っているので、発売以来、脂肪の多い私は愛用しているのだ。

あのマークは、なかなか許可が降りないと聞いたことがある。きちんとしたデーターが揃わなければ出さない、ということなのだ。国が認める以上、当然のことだろう。


コーラが初めて日本に上陸してきたときは、多くの人達は、「なんだかヘンな味の飲みモノだなあ」と思ったのに、またたく間に日本中に広がって定着した。私もその一人である。



コーラといえば、以前、面白い話を聞いたことがある。
あのコカコーラのビンの形は、独得の形である。それは、女性がスカートの裾をぐっとすぼめてヒップラインを強調しているスタイルからヒントを得たものらしい。

若い青年が、ガラス工場でビンを洗っているとき、彼女がそんなスカート姿で現れた。

そのイメージにピンときた青年は、デートのあと、そんなビンを創り、意匠登録をして、コカコーラの会社に持ち込んだのだ。

コカコーラは、それをさっそく採用したところ、爆発的に売れだしたものだから、青年の懐には、ざっくざっくと20億近くも入ってきたとか。何ともハッピーな青年だ。


彼女とその後どうなったかは知らないが、彼女が全く違うスカートをはいていたら、考えつかなかったことだろうから、彼女にも、大いに感謝し、更に仲良くなったことだろう。()



それにしても、人間の心理って面白いものだ。ビンの形が変わっただけで、売れ行きが爆発するなんて……。






2012年7月23日月曜日

いじめの問題


昨日、『親の顔が見たい』という演劇を観に行きました。

今、ちょうど世間を騒がせているいじめ問題を取り上げたお芝居です。


自殺した生徒の遺書に名ざしされた子どもたちの保護者が、学校に呼ばれます。

そこで繰り広げられる【我が子可愛さ】のための言動。真実の究明などそっちのけで、我が子を庇う親や祖父母の顔が浮き彫りにされていきます。


子どもたちのいじめの根深い原因、学校の対応なと、ちょうど大津の自殺問題と重なって、観るものの心に響くお芝居でした。


大津問題にしろ、このお芝居にしろ、友達を死に追いやったことへの反省、罪悪感は、ちょっと理解に苦しむような薄っぺらなものです。


いじめの内容を聞かされても、まさかうちの子が、そんなひどいことをするはずがない……と、親も理解できないのです。

何の不自由もさせていない家庭の子。反対に、子どもだけには希望の学校にと、頑張っている母を見ている子ども。どちらも親からみれば、「うちの子が、そんな子になるはずがない」のです。

ほんとうなら、常識で考えたなら、その通りなのです。


今の子どもたちは学校では、ほとんどの子が何人かのグループで仲良くやっています。そんなグループから、何かの原因ではぜのけられると、すごく落ち込みます。そのような子が、昨日まで仲良しだったグループの仲間にいじめられることが多いのではないでしょうか。

いじめは11ではなく、主犯格の子がおり、その子に嫌われるのを恐れて、仲間は主犯のいうがままに犯罪を重ねていくことも多いと思います。

子どもたちは群れからこぼれることを恐れます。いじめなければ、自分がいじめられると思うでしょう。

昔から、子どものいじめはありました。でも、いじめられて死ぬ子も、死ぬまでいじめる子もいなかったように思います。


自分のしたことは、遊びの範囲だったとか、ふざけていただけとかは、子どもらの弁解で良く聞くことばです。

本当に子どもらは、ゲーム感覚で友達をいじめ、殺すこともゲームの延長だったのかもしれません。


皆が皆、そういう子どもに育っているわけではありません。
しかし、何かが、どこかで、育つものが育たなかったということでしょうか。


私は以前から思っていたのですが、TVの影響は大きいと思います。家に帰って友達と走り回って遊ぶことをせず、塾に通うかTVを視るか、ゲームをする、といった毎日。

しかも、TVは、殺し合いや殺人など、いつもどこかの局でやっています。ゲームも同じです。

脳がまだ未発達のうちに、そうした人殺しを日常茶飯事のように頭に刷り込まれていく恐ろしさ。

ニュース報道にしても同じです。

マスコミがこぞって報道するおぞましい事件を、何度も繰り返し見せられ、そのようなあと、派手な報道の影響を疑いたくなるような、類似の事件が後に続くということが何度もありました。

報道は病原菌をばら撒いているのではとさえ思いました。

こうしたことに、一緒にみている親や祖父母は、こうしたことが決して現実ではない、当たり前ではないことを、強く言い聞かせねばならないと思います。


今もいじめ報道が止まりません。この報道が新たな連鎖を生み出したりはしないだろうかと心配です。

いじめに苦しんでいる子が、「自分もこのように行動すれば、テレビや新聞がとりあげてくれる、敵討ちをしてくれる」などと、とんでもない考えをおこしたりしはしないか。
報道は、いじめに耐えながらも、必死になって頑張る、生きようとする姿こそを、しっかりと伝えてほしいものです。


悪いことに、最近の子どもは、本物の死を家の中で見ることは、殆どなくなりました。子どもたちは、現実の死を知らないのです。
こうしたことも、死を軽くみることの原因かもしれません。


……思うままにあれこれと書きなぐりましたが、ただただ、子どもを絶対に自殺などさせてはならないと思うのです。


最後に未来ある子どもたちに大きな声で叫びます。【どんなことがあっても死ぬな!産まれて来たのは生きるためだ!生きるんだ!






2012年7月22日日曜日

成せばなる……


もう10年も前になるだろうか。私は、医師の島健二先生をお訪ねしたことがある。

今も、時々新聞で、糖尿病のことなどに関してお名前が出てくることがあるので、お元気でお仕事を続けられていらっしゃることを知るのだが、島先生の業績は、ちょっと並みではなかった。


成せば成る、成さねば成らぬ何事も……という諺など、もはや関係ないのが老人、とお考えの方に、ぜひこの方を知っていただきたいと思うのだ。


以下は、当時、私がある小冊子に書かせていただいた文章である。


徳島大学名誉教授、島健二先生といえば、知る人ぞ知る、糖尿病の世界的な権威者でいらっしゃるが、その先生、今は若いときから興味があった考古学を学ぶ、学生さんなのだ。退職後一年間の受験勉強の末、六十六歳というお年で、徳島大学総合科学部に堂々と合格なさっている。


先生は、「老人はそんなにダメなものではありません。その気になれば、誰にでも出来るということを、自分で証明したまでです」とおっしゃる。自分をモルモットにして、実験的に(といっても、学ぶことが目的ではじめられたのだが)受験勉強や入学、新しいことへの挑戦をやっていらっしゃるわけだ。さすがは学者さんだ、転んでもただでは起きない、などと言うと失礼だが、脱帽である。

人には色々なタイプ、経歴があって、誰でもが定年後、先生の真似が出来るわけではないだろう。ただ、加齢とともに誰しも老化していくという常識は、その気になれば何とかなることを実証してくださった。

特に強調されたのは、そうした意欲、気力の源は、運動のおかげ、体力だ、と。まさに、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の図式である。


以前から運動はかなりなさっていらしたのだろうが、六十歳ごろから、毎日五キロのジョギングをなさり、すでに何度もフルマラソン大会に出場して完走されているツワモノ。体力に不足はない。だからこそ、あれも、これもの夢がかきたてられるのだろう。


あれもこれも……とは、ただ受験だけではないからで、例えば、ピアノの鍵盤など、触ったこともないのに、「退官記念パーティでは、自分でショパンの『別れの曲』を弾きたい」という、素的な夢を抱かれる。そしてレッスンをはじめられ、見事に念願を達成された。

六十歳すぎてからでも、やればショパンが弾けるのだ。うーむ。


それだけではない。退官後は、市内の病院で名誉院長を務められての受験勉強であり、弱られたご母堂の介護も、充分になされ、悔いの無いお見送りをなさったし、入学後は著書「定年教授は新入生」という大変面白い本も上梓されている。


現在先生は、教官時代に部長をなさっていた水泳部の部員なのだ。卒業コンペも、部員として参加され、若い方に囲まれて一段とお顔が輝いている。

「皆さんも、ご自身で実証していただければと思います。自分の能力を試しながら生きるのも、以外に楽しいものですよ」


走って、診て、学んで、泳いで、弾いて、という大学院生も予定にあるとか。(予定通り実践なさいました)


老後は暗夜航路ときめこむことはない。
「退職も楽し、加齢もまた楽し」という人生を歩む先生を見習って、新しいことや夢の扉を叩いてみたいものである。扉を叩くだけでは進めない。扉のキーは、体力で作るしかなさそうだ。


こんな先生の真似はなかなかできないけれど、学べるものはたくさんあるはず。
素敵な先生である。

2012年7月21日土曜日

髪の雑学


白髪頭なので、ひと月に一度は美容院で染めていただいている。一旦染め始めると、なかなか止められないのが髪染めである。



髪は、個人差もあるが、1日に0.3ミリから0.35ミリくらい伸びるらしい。1か月たつと、1センチちょっと伸びるわけで、根元が白くなると、どうも気になるものだ。春から夏にかけては、1年中でいちばん髪が伸びるらしい。道理で、このところ、25日目くらいで我慢の限界がきている。ひと月に2度も染めなければならないこともある。


いっそ、白髪頭にしてしまおうか、と思うこともあるのだが、多分、1年ほどは見苦しい頭を我慢しなければならないと思うと、どうしても染めに走ってしまう。
おまけに、髪が痩せてきたし、本数も少なくなっているものだから、なおのこと、染めてボリューム感を、と思うのだ。


随分と科学や医学が発達してきたというのに、こんなことが解決できないのかと、不思議に思うことがある。
それは、薄毛や禿の特効薬がないということ。


昔、皮膚科の先生に皮膚のかぶれを診てもらった時、その男先生が、鬘をかぶっておられた。それを見て、「ああ、皮膚科の先生でも、どうしようもないのだなあ」と、みょうな同情?をしたことがあった。
あれから40年もたっているのだが、今だに解決策はなさそうだ。


人間の髪の毛というのは、普通の成人?で約10万本、多い人で14万本、少ない人で8万本という。その差は6万本もあるらしい。その上、毛の太さも人まちまちなので、髪の多い悩みも出たり、少ない悩みも出てくるのだろう。それが2年から6年の周期で生えかわっているそうだ。


まあ、こうしたことも、年齢によってはちがってくるのは当然で、年と共に、抜けたあと、新しい芽が出てこなくなるのだろう。

歳をとっても、黒々として、ふさふさとしたおつむの方は、こと、頭髪の悩み0ということで、お幸せである。


私たちのような、ミメカタチを売り物にしていない者は、どうということもないのだが、俳優さんのような方は、気になさるにちがいない。

まだ女性は何とかなるのだが、男の方の額が広がっていくのも、頭をさげるとそこに毛のない広場があるのもさぞ悩まれることだろう。目立たぬ鬘を被るのも一つの方法だろうが、それもけっこう難しい。昨日とまったく違う頭や顔になっても困るだろう。


ちょっと気になるのは、若い人達の脱色して茶色に染めた頭だ。
「髪はカラスのぬれ羽色」といって、むかしは美人の条件の一つだった。
好みや流行りもあるが、髪は、単なる飾りではなく、熱に弱い脳みそを直射日光から守る役目もしているし、その一番効果的なのは、黒髪だとか。それも、黒人のような縮れ毛がいいそうだ。
まあ、どこまで信用できる話かしらないが、この季節、おつむの薄い方は、外出には、お帽子を被るのがよさそうだ。


話はそれるが、【黒髪象をもつなぐ】ということばがあるが、健康な髪1本で150グラムから200グラムの重さのものを持ち上げられるというから、まんざらのウソではないのかも……。

ある若い方は、一本の髪の毛に、コーヒー茶碗をぶらさげてみて、実験したそうだが、そこまで熱心にやってみるのは、やはり若い証拠でしょうねえ。

2012年7月20日金曜日

祝婚歌


詩人 吉野弘氏の有名な詩があります。ご存じの方も多いと思いますが、若い方も、お年寄りも読んでみるととてもいい詩と思います。


『祝婚歌』 吉野弘

  二人が睦まじくいるためには
  愚かでいるほうがいい
  立派すぎないほうがいい
  立派すぎることは
  長持ちしないことだと
  気付いているほうがいい

  完璧をめざさないほうがいい
  完璧なんて不自然なことだと
  うそぶいているほうがいい

  二人のうちどちらかが
  ふざけているほうがいい
  ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても
  非難できる資格が自分にあったかどうか
  あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは
  少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは
  相手を傷つけやすいものだと
  気付いているほうがいい

  立派でありたいとか
  正しくありたいとかいう
  無理な緊張には
  色目を使わず
  ゆったりゆたかに
  光をあびているほうがいい

  健康で風にふかれながら
  生きていることのなつかしさに
  ふと胸が熱くなる
  そんな日があってもいい
  そして、なぜ胸が熱くなるのか
  黙っていても
  二人にはわかるのであってほしい

吉野氏は、この詩が、皆さんに親しまれてあちこちで発表されていることに対して、「民謡のように皆さんに親しまれている詩には、著作権等ありません。民謡は、作者不明ですからね」とおっしゃっています。言いお話ですね。


2012年7月19日木曜日

恩師 その2


昨日に続いて、高学年でお世話になった中田先生の思い出を書いておきます。

話が後先になってしまいますが、始めて私が北海道の故郷を離れたのは、14歳の夏でした。親戚の一軒とてない北海道は、戦中、戦後を通じて遠い異国のようなものでした。戦後のどさくさ、インフレ、長かった貧乏暇なし時代……。親しかった友達との音信も途絶えたままです。それでも私の望郷の思いは膨らむばかりでした。親しくして頂いたご近所のおばちゃん。母と親友だった梅子おばちゃん。その子と毎日遊んだ思い出。どうしているのか……。そして先生は……。

やっと念願がかなって故郷の土に立ったのは、教職について20数年も過ぎたある年の夏休みでした。仙台に出張した折の帰りに回り道をして北海道に足をのばしました。それも、夫がぜひ行って来いと後押ししてくれたので思い切ることが出来ました。

夕方、帯広の駅に降り立ちますと、ホームは昔のまま。20数年という歳月が長かったという思いが一瞬消えました。でも、本当は長い年月でした。長年の思いが叶った嬉しさと懐かしさで、涙が流れるのを抑えきれませんでした。

先生はむろんご退職なさっていたのですが、私の通った柏小学校へ行って、その消息を確かめたところ、中田先生と、相沢先生のご住所がわかったのです。
中田先生は、帯広に住まわれていらっしゃったので、さっそくお電話をしますと、昔と変わらぬ先生のお声が耳に飛び込んできたのです。

先生は、まるで小学生に説明するような口調で、お家までの道順や乗り物を、教えてくださいました。多分、先生の頭には、遠い昔のおかっぱ頭の私が頭に浮かんでいらしたにちがいありません。せっかちな私には嬉しいことに、「すぐおいで」とおっしゃってくださいました。

 

さっそく先生に教わったとおり、バスに乗って前方を見つめていますと、やがて見覚えのある先生のお顔が、バスのフロントガラスに写ってきたのです。その瞬間から私は小学生になった気分でした。


バスを降りて、ご挨拶をはじめましたが、先生は、そんなことより早く家においでと言わぬばかりに、すたこら歩きはじめるのです。ちょっと背をまるめるような、そして手を後ろに勢いよく振る格好が、また何と懐かしいこと。昔とちっともお変わりではないのですから‥‥。


退職後の先生は、専門の数学を研究なさる傍ら、覆面算とか、虫くい算とか、ルービックの面の模様作りとかいった、パズルなどに凝られて、実に楽しい毎日を過ごされていらっしゃいました。旅行をする暇もないというほどの力の入れようで、びっくりさせられてしまいました。私は秘かに、数教(数狂)先生とあだ名をつけました。

 

先生の思い出といえば、先生のお宅に、何人もが泊りに押しかけて行ったこと。授業中よく笑わせてくださって、授業がとても楽しかったこと。先生はネクタイを毎日変えてくるので、三百六十五本持ってるな‥‥と思ったこと。毎日学校が終わって帰る前に、続きもののお話を聞かせていただいたこと。などなど数えきれません。お話は、わくわくしながら、続きを聞きました。


続きものお話が、先生の創作童話と分かったのは、夏休みが終わって二学期が始まった時でした。お話の続きをお願いしますと、先生は、それまでの話を忘れていらっしゃって、私たちにあらましの筋を尋ねられました。(この連続童話は、先生の作ったお話か‥‥。先生はこんな面白いお話まで作れるのか‥‥)と、あらためて尊敬の念を強くしたのをおぼえています。
そんなお話をしますと、「そんなこともあったなあ。話の続きを毎日せがまれて、その場で思いつくまましゃべったから、何日も休みが続くと、話のすじが分からなくなった」と笑っていらっしゃる。お話が完結すると、次のお話をせがんだものです。先生も大変だったことでしょう。(笑)


私は退職後、再び帯広をたずねて、先生と奥様にお世話をおかけしたのですが、そのときも、ユーモアたっぷりのお話ぶりに、またまた昔を思い出しました。若者顔負けの勉強ぶりには驚きもものきで、再び先生を仰ぎみると同時に、お尻を叩かれた次第でした。


先生、今頃はきっとあちらでも、皆さんに数の面白い組み合わせ等をご披露なさっていらっしゃると、想像しています。