2014年1月31日金曜日

インフルエンザ




インフルエンザが、全国的に急増しているようだ。手洗い、うがい、マスクなど、いろいろと対策をしているにもかかわらず、かかってしまった人は、やはり抵抗力が低かったということなのだろうか。

私は、インフルエンザには、かかったことがないので、孫が受験の年だけは、予防ワクチンの注射を受けたが、それ以外は、特別なことはしていない。普通の風邪も、あまり引かないので、【バカは風邪をひかない】というのならば、おバカさんの部類にはいっている。

私のように、元気ではないが、病気にはあまりならないのを柳に雪折れなしと言うのだろうが、身体つきは、柳ではない。

どういうわけか、小学生の頃から、身体検査の結果は、要注意児童だった。細く痩せていた。
学校では、要注意の子でなくても、希望すれば、学校で毎日肝油を飲むことができたし、放課後は、パンツ一つになって、紫外線をよける色眼鏡をかけて、円形の10人ほどが入れる太陽灯という中にはいって、前と後ろから、10分ほど、薄紫の光に当たっていた。独得の匂いがあったので、いやいや仕方なく、ということだった。多少のお金は出さねばならなかったのだろうが、親が強制的に受けることを命じた。

【太陽灯】を百科事典で調べてみると、【人工太陽灯のことで,医療に用いる水銀灯の通称。太陽光線と異なり熱線をほとんど含まないが,広い波長範囲の強い紫外線を出す。紫外線には食品内に存在するプロビタミンD(エルゴステロール7-デヒドロコレステロール)からビタミンDを形成する働きがあり,くる病の予防,治療に有用】 とあるので、日照時間の短い北国の学校らしい設備だったようだ。放課後の太陽灯室は、いつも順番待ちで大賑わいだった。

女学生からの私は、スポーツは不得手だつたが、病気で学校を休むことは、殆どなかった。太陽灯のお蔭かどうかは解らないが……。

2014年1月30日木曜日

地球温暖化の終わり?


 フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか さかい)さんが、独自の視点で世界を斬る時事問題の分析記事、新聞やテレビを見ても分からないニュースの背景を説明しています。難しいことは、私には解らないのですが、中には、好く解る記事もあるので、配信していただいています。今日は、関心の高い温暖化に関する記事が配信されましたので、ここに主なところだけを転写しておきます。読んでみてください。

◆地球温暖化の終わり
 昨今の世界的な大寒波の原因について、太陽の活動が劇的に低下していく傾向の始まりであり、世界はこれから17世紀後半に起きたような「小氷河期」になる可能性が高まっているという指摘が、学者の間から出ている。黒点など太陽の活動は、11年周期のピークにあるが、ピークの高さが異様に低く、これから太陽の活動が低下していくと、マスコミや政府が喧伝する「地球温暖化」とは逆の「地球寒冷化」「小氷河期」が起こるという分析が出ている。

米政府(大統領府)は、この冬に米国などを繰り返し襲っている、北極の気
流のうず(極渦)が引き起こす大寒波について「地球温暖化のせいで起きているようだ」と発表している。「地球が温暖化すると、地球は寒冷化する」という学説を大まじめで主張する学者もいるが、オバマ政権が、地球温暖化懐疑派が多い連邦議会を回避しつつ炭素税を導入したがっていることから考えて、米政府のコメントは、政治目的の歪曲だろう。
(オバマ政権は、米議会の反対を無視して地球温暖化対策をやろうとしているだけでなく、水に関する政府の行政介入を強めようとしている。水に関する事業の民営化、事実上の価格引き上げ、水道水でなくミネラルウォーター利用の奨励、水など環境関係の大企業の利益拡大の誘導を目論んでいるように見える。TPPによって、大企業の権限を拡大して政府を超越する存在にしようとしているのと同根だ。世界的な水問題の政治化は、人類にとってプラスになりそうもない)

 太陽は、宇宙の恒星の中で、非常に安定している方で、11年周期の太陽活動における光量の変化は0・1%にすぎない。しかし、太陽が地球に与えるエネルギーの総量は、地球上の他の動きによって発生するエネルギーの合計量の2500倍も大きい。だから、太陽の活動が少し変化しただけで、地球の気候に与える影響も非常に大きいものになると、米コロラド大学の学者が言っている。

 政府やマスコミ、学界が喧伝する「地球温暖化人為説」は、恣意性の高いコンピュータモデルしか根拠がなく、科学的に正しい可能性がかなり低い。これまでの研究を読むと、二酸化炭素の増加が地球を上げる要素なのか下げる要素なのかも確定的に言うことは困難だ。NASAでは昨年、二酸化炭素が気温の低下要因になっているとする研究結果が出された。それらを踏まえつつ、万に一つ、地球の二酸化炭素量が人為理由で増加し、それが地球を温暖化する要素として働いているとしても、その要素は、17世紀後半のマウンダー極小期のように小氷河期が来て太陽の活動が低下することによる地球寒冷化の規模をはるかに下回り、結果として地球は今後数十年間、寒冷化することになる。

「ならば数十年後、百年後に再び温暖化するに違いない。その時に備え、今のうちに二酸化炭素を減らすべきだ」と言う者がいそうだが、そもそも二酸化炭素増が温暖化の要因だと確定できないし、人為説も政治誇張の可能性がある以上、それは詭弁にすぎない。二酸化炭素削減先にありきで、人為説が確定的に論じられ、それを疑問視する人々を政治的に排除する近年の状況は、非常にいかがわしい。

地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(2)

 予測されている寒冷化と関係あるとは言い切れないが、地球の平均気温は、
すでに1997年から横ばい状態が続き、それまでの上昇傾向が止まっている。
温暖化人為説の「総本山」である国連のIPCC(国連気候変動パネル)は、
ようやく昨年からその傾向について認め始めた。しかし、その一方でIPCCは、97年以前の温暖化傾向の原因が、人為に基づく二酸化炭素の増加である可能性が95%だと発表した(以前は90%の確率と言っていた)。IPCCは「今は温暖化の傾向が止まっているが、今後再びひどい温暖化が起きるのは確実だから、二酸化炭素の削減が必須だ」と主張し続けている。

 曖昧な根拠しかないのに「地球の温度は15年間横ばいだが、今後必ずまた上がる」と断言することが許されるのなら、太陽活動の傾向を根拠に「これから17世紀後半に起きたような小氷河期が来る」と断言することも許されるはずだ。「地球の気候変動の歴史を見ると、大きな寒冷化が来る前に、小さな温暖化の時期があることが多い。今回もそれだろう」と言っている学者もいる。

 ドイツの学者は、太陽活動の循環説に立ち、今後の寒冷化を予測している。
気候変動の主因は人為でなく、太陽を含む自然活動の変化であり、その中には循環的なものが多い。そう考えるのが妥当だ。人類が出す二酸化炭素が地球を破滅的に温暖化するという理論は極論だ。極論を「真実」のように扱った学者が国際的に権威を持ち、それに対して科学的に反論しようとする学者が冷遇される時代が続いている。こうした状態は最終的に、学界や大学の全体の権威を落とすことになる(すでに多くの大学は、非常にくだらない存在になっているが)。

  地球温暖化は、極地の氷が溶けて海面上昇を引き起こし、標高が低い土地が大半の小島群からなる島嶼の諸国が沈んでしまうと懸念されている。しかし実際のところ、モルジブでは海面上昇の懸念を無視して、海面すれすれのところに新空港が作られた。トンガでは海面が低下している。

 逆に今後もし小氷河期が来るとしたら、緯度の高い地域での生活が困難になり、それが大きな問題になる。娯楽の面では、たとえば日本アルプスの槍穂高や白峰三山など3千メートル級の山々や、北海道の大雪山系の主脈などが万年雪に覆われ、夏山登山ができなくなるおそれがある。登山が好きな人は、早めに飽きるまで登っておいた方が良いかもしれない。

 英国とオーストラリアは最近、政府予算の中の地球温暖化対策費を、相次いで大幅に削減した。英豪とも、今の保守系の政権が地球温暖化対策に反対しており、そのため予算削減したというのが表向きの事情だ。しかし英国や、外交面で英米の影響が強い豪州のようなアングロサクソン諸国は、長期的な覇権戦略を重視し、国際的に重要と考える事柄について、誰が政権をとってもあまり変わらない政策を続けるのが通常だ。

 米国はもともと議会が温暖化対策に反対している。日本も昨秋、2020年までに行うはずの温室効果ガス排出削減の目標を達成できない(する気がない)と発表した。カナダは3年前に京都議定書からの離脱を宣言した。このように英米など先進諸国が温暖化対策に消極的になっている理由は、地球が温暖化していないという物理的な事象だけでなく、国際政治面で、かつて先進国が握っていた地球温暖化対策の主導権を、中国が引率する途上諸国が奪い、先進諸国が途上諸国に金を出さねばならない事態になっているからだ。

 もともと地球温暖化問題の本質は、経済が成熟化して環境技術も高いため二酸化炭素などの排出量が減った先進諸国が、これから排出量を増やして経済成長(金儲け)しようとする途上諸国から資金をピンハネするための国際政治詐欺だった。ところが、米国の影響力の低下、中露などが率いる途上諸国の台頭、覇権の多極化により、09年のCOP15を境に「これまで二酸化炭素をさんざん排出した先進諸国が、途上諸国に金を出せ」という要求が国際的に強まった。

新興諸国に乗っ取られた地球温暖化問題

 ワルシャワで行われているCOP19の準備会合では、昨秋来、金を出すのを渋る先進国を途上国が非難して議事が進まなくなっている。先進国は、降参して金を出すか、それとも温暖化問題自体の存在を無視して離脱するしかなくなっている。その流れの中で、英豪で政権をとった保守派が、温暖化懐疑派を気取ることで、金を出すのを拒否している。

世界経済の構造転換
 どうせ、もともと温暖化人為説が詐欺なのだから、温暖化対策が世界的に頓挫しても、人類の生活に何ら悪影響はなく、むしろ詐欺に乗ったマスゴミや学者の権威が失墜して好都合だ(米英では、クライメートゲートなどで関連学者の権威が落ちたところがあるが、学界後進国の日本では、温暖化人為説を声高に主張していた学者らが、まだのうのうと大学で給料をもらい続け、権威も低下していない)。地球温暖化は、温度上昇の停止や太陽活動の低下といった現実面と、先進国が途上国との綱引きに負けたという国際政治面の両方において、終わりになりつつある。



2014年1月29日水曜日

Y子さんのこと


女学校2年生の夏、北海道から、父、そして祖母(母の親)の郷里である徳島の田舎町に帰ってきたのだが、暫くして、2キロほど離れたところに住む、母の従妹であるY子さんと私が、瓜二つであることを知った。私の方が、3歳年下なのだが、知らないおばちゃんからY子さんと間違われて、「あれ、髪切ったんで?」とか「こないだはありがとう。すまなんだな」などと声をかけられたことが何度かあった。

いつも、父親似と言われていた私が、母の従妹に似ていることが、ちょっと不思議だったのだが、近所の人が間違うほどだったのだから、似ていたのは事実なのだろう。

 

真面目で家の百姓仕事を一生懸命にこなすY子さんは、近所でも評判の娘で、二十歳そこそこで、大きな百姓家にぜひにと望まれて嫁入りした。


嫁入り先が、ひどい家だったということを、私が教師になってから母に知らされた。おなかの調子が悪いので、医者に行かせてほしいと姑に頼んだが、「つわりにきまっとる。つわりにいちいち病院になどいくことない。しんどうても、病気でないのだから、仕事はせないかん」と言われたのだ。

そのうち、下痢が止まらないようになり、痩せ衰えてしまい、ある日畑で倒れてしまったのだ。
やっと医者に診てもらったのだが、病名は腸結核だった。医者に、「こんなになるまで医者にもかからず、仕事してたなんて……」と呆れられたらしい。その日のうちに結核療養所に入院させられた。
Yちゃんも、負けん気なものだから、医者に行けと言われるまで、意地を張っていたのだろう。


入院し、治療をはじめたのだが、なかなかよくならず、時々顔を見せていた夫も、次第に足が遠くなり、そのうち仕事の出来ない嫁は、しかたがないと、涙金ほどの慰謝料で離婚させられた。それから15年も入院していただろうか、当時の結核療養所は、長い人は20年も入院していたようだ。


Y子さんは、同じように、長く療養していたある男性に見そめられ、退院してすぐに再婚した。子どもが産めないので、と辞退しつづけたらしいが、そんなことは承知している。子などいらない、ということだったらしい。
それを聞いたとき、私は「世の中は捨てる神あれば拾う神ありだねえ」とY子さんの幸せをとても嬉しく思った。

それから4,5年もたっていたろうか。私は実家に行き、母に、Y子さんの死を知らされた。吉野川に冷たくなって浮いていたという。母に訳を聞くと、「よくある話で、男が女をこしらえたんよ。子が欲しいからと言ってな。Yちゃんは男に別れてくれと言われ、びっくり仰天して家を飛び出したらしい。翌日になっても帰ってこないので、男も心配してあちこち探したらしいが、見つからず、とうとう二日目に、吉野川に浮いてたのが見つかったそうな……」

私は無性に腹がたつやら悲しいやら、その夜は眠れなかった。

Y子さんが、うっかりと転げ落ちたものなのか、あるいは自ら早まって飛び込んだものなのか、だれにも解らなかった。ただ、検死の結果は、飛び出したその日に亡くなっていたらしい。

あの日から随分と年月が流れた。母親に似てきた自分の顔を見ている時、ふっとY子さんを思い出すことがある。

2014年1月28日火曜日

観劇

火曜日は夜、演劇塾の日なので、昼間にブログをあげておこうと思うのだが、今日は、市民劇場と言う観劇の日だったので、午後は、それに出掛けた。

演劇は、仲代達矢の無名塾【ロミオとジュリエット】だった。

この美しくも悲しい愛の物語は有名な作品なので、今までに芝居、TVなどで観たことがあるのだが、仲代達矢が、神父さんの役をするためだろう。ロミオとジュリエットが亡くなったあと、最後に神父さんが出てくる場面があったりして、新しい感覚のものだった。やはり、仲代達矢は、オーラーのある役者なので、すばらしいなあと思った。無名塾の役者さんも、声もよく出ていて、さすがに【一人前の役者を育てる】という無名塾だと思ったのだが、そんな中でもキラリと光った存在だった。

ただ、シェイクスピアのあの独特の台詞は、現代ではちょっとモテないかもしれない。私らの世代の者には、懐かしいものがあるのだが……。

市民劇場は、会員が少ないと成り立たない。3人以上のグループが幾つも集まった会員制なのだ。毎年、100名ずつの減少が続いているそうだ。お世話人が、会員を増やすようにと、皆に呼びかけていたのだが、今年は、50人ほど増えたそうだ。ずいぶんとお世話人は、ご苦労なさっている。ありがたいことだ。

舞台を観る楽しさを、徳島の人達は、はもっと広めることができればいいのにと思った。

 

2014年1月27日月曜日

前向き


まだ70代のある知人が悲観的なことばかり言うので、「貴女はまだ若いのに、えらい年寄りみたいに過去はよかったとか、今はつまらんとかばっかり言うのね。そんな思い出に溺れていちゃあだめだわよ。私はもう83にもなっているけど、過去や思い出したりするのは、せんことにしてるんよ。それよりこれからどうするかと前の方ばっかりしか見てないわよ」と言うと、「昔のよかったことでも思い出すことが無かったら、ますます落ち込む」と言うのです。

ま、思い出は財産とか言いますが、思い出して今を悔やむための思い出なら、無い方がいいとさえ思います。思い出を語るときは、懐かしく笑って思い出せるときだけでいいのです。


私は極楽トンボなので、いつも、今が一番いい時と思いつつ生きてきました。苦しい時代でも、そう思うことが出来たのは、前向きに生きてきたからだと思っています。
私は、人様には、「もうトシだから、半分ボケてます」なんて言うのですが、心中は、「まだ83歳。まだ若いじゃないの。これからだわ」なんて、言い聞かせているのです。
これは、本心ではないのですが、そう思うことが大切と思うからです。気持ちの持ち方が大切だと思っているからなのです。

残された時間の殆どを過去の追憶に費やすのは、もう動けなくなって、頭も怪しくなって来た時、お迎えを待って居る時に、楽しく思い出してにっこりと笑っていたらいいのです。残された家族は、「ああ、いい一生だったのだ」と、安心して送ってくださるでしょう。
世の中には、高齢者になってから、新しい生き甲斐を見付けたり、それに没頭して豊かな人生を送った、と言う方は、たくさんおられます。この世の中には、年齢制限のないものは、たくさんあります。
【若い】と思い、【まだこれから】と思うことで、老化を遅らせることができるのなら、こんなお安い栄養剤はありません。そして大切なことは、自分を信じてあげることでしょう。


またまた、私、おせっかいなことを書きましたね。(^^)

2014年1月26日日曜日

火災


最近、よくニュースで報道されているのが、火事。それも、老人夫婦、独居老人の家から出火して、連絡がとれないということ。

最近の暖房器具は、ある時間が過ぎると、自然に消えるものとか、転がっても、火は消えるといったものが多いのだが、どういうことで、火災が起きているのか、そうした報告は、あまりされていないようだ。

 

多分、台所の火が原因ということが多いのではないかと思う。私自身、火を付け忘れて、焦げる匂いに慌てて火を消すということが何度かあった。もう火をつけたら、親のカタキとばかり、火のそばを離れないか、離れるときは、タイマーをポケットに入れておかなければ、失敗することが多くなっている。つい、「ちょっとゴミを出しておこう」なんて思って火のそばを離れても、「あ、これも片付けておこう」なんて、思って片付けたりしていると、すぐに5分くらいは過ぎてしまう。
家の中に入って、はっと気づいて台所に走り寄ると、鍋の中は煮詰まりかけていたりする。

 

こうしたことが、何度も重なると、もう、何事もすぐ忘れるということを性根に据えて、物事にあたるようになってくる。それでいいのだ。格好悪くても、メモ帳、タイマーと仲良しにして、迷惑をかけないようにするしかない。

 

火ばかりではない。こうした一種の記憶力の衰えを認めずに、若い者と同じようにコトを処理しようとふんばっていても、それはムダな抵抗というもの。例えば、使える機器を使う。携帯に、行事と時間を打ちこんでおくと、忘れていたこともピーとか、時間でーす、とか言って教えてくれ、思い出すことが出来る)こうしたことを「情けない」などと思うことは、バカげていて、頭がダメなら、機械で補足出来るわ、というように思っていると、「ああ、もう惚けはじめたのか……」と落ち込み、沈みこむよりは、ずっと楽しく暮らせるということと思っている。(^^)

そして一方では、楽しみながら、記憶力、推理力、などを蘇らせる遊びなどに熱中してみるのもいいと思っている。

*昨日、またまたmimiさんが、貴重な体験からのご意見を載せてくださっています。ご参考までに。


2014年1月25日土曜日

昨日のブログへのコメント


昨日、【特別養護老人ホーム】というブログを挙げましたら、mimiさんが、とてもいい体験からのお話を書いてくださいました。

mimiさんは、あるケアハウスに入られていたのですが、体調を崩されて入院、退院と同時に我が家にお帰りになりました。お家には、お嬢さんご夫婦がmimiさんと同居され、理想的な家庭内での介護がなされております。お体が完全に治られてはいないので、ご不自由なこともあるmimiさんですが、頭脳明晰、思考力抜群のmimiさんに、私は憧れています。mimiさんのコメントを読まれない方もいらっしゃるかもしれませんので、再度ここにあげておきます。


介護保険は3年毎に見直されるようですが、今年が見直しの年。先ず特別養護老人ホームは要介護3以上でないとは入れなくなるらしいです。要介護3はかなりの重症、なかなか認定が取れません。介護保険を利用しない有料ホームがあるのかどうかはよく知りません。

それからケアハウスは入居に介護保険を使わない代わりに、介護はついていませんから自立できる人以外は入居できません。外からホームヘルパーを雇ったりディサービスを利用したりするのです。これには保険が使えますが入居費以外のお金がかかります。

特養でどういうような介護がされているかはよく知りませんが、希望しないのに歌わされたり、折り紙さされたりはしないと思います。ただあまり明るい感じではないようです。
ホームヘルパーも規則でがんじがらめで、必要な時に必要なサービスは受けられません。ケアプランと言うのがあって、何曜日に何時間と決まっています。これも時間とお金は、
介護認定度によって変わります。で、ヘルパーさんだけで、終末まで乗り切るのはちょっと大変でしょう。それも、次第に予算が減らされていますから、元気なうちにそこらへんは調べておく方がいいと思います。以上、私の経験から・・・失礼。

2014年1月24日金曜日

特別養護老人ホーム


もう20年も昔のことだが、70歳近くなっておられたMさんは、まだ私立の学校で現役の教師をなさっていた。そのとき、こんなことをおっしゃった。「もうじき職を退くのだけれど、毎日が日曜日のような生活が続くと思うとぞっとするわ。10年もすると、身体が不自由になって、特別養護老人ホームみたいなところに入れられて、タンバリンやカスタネットなんか持たされて、歌いたくもないのに、咲いた~咲いた~~なんて歌わされるなんて、想像しただけで泣けてくるわ」と。

彼女はその後、大枚をたたいて立派なケアハウスに入居して、自由で快適な暮らしをしており、そこでは終身お世話をしてくれるらしく、少し認知症になっているらしいのだが、特別養護老人ホームに送られることもなく、ケアハウス暮らしをしておられるので、泣くこともなく、理想に近い生活をされているようである。

こうした環境は、お金持ちだった彼女なればこそできることであって、乏しい年金生活をしている者は、真似のできることではない。


とはいうものの、明日どうなるか分からない年頃になると、心穏やかではいられない。私も、近くにある特養老人ホームのそばを通るときは、近い将来ここにお世話になることもあるかも……、なんて思うのだ。


施設も、だんだんと改革されているし、働いている人たちの教育もなされているので、昔のイメージとは違うのだろうが、それでもある病院が経営されている特別老人ホームに勤めている方が、明るく楽しい施設という雰囲気ではない。なるべくなら入りたくない、とおっしゃるのだ。


これからは、こうした特養施設に入らねばならない年寄りが、増え続けるのだ。もう、自立が困難というような事が、目の前に来ているような私の同級生が寄ると、いつまで自立した生活が出来るか、1日でも長く自立していくためには、どうしなければならないか、といったようなことが、いつも話題になってくる。そして口をそろえて言うことは、娘や息子のところには行くことなく、一人の生活を何とか踏ん張り、介護保険などを利用しながら、やっていくつもりだと。

今、実際に国を動かしている方たちのほとんどは、老後の心配などしなくてもいい方たちばかりである。人ごととは言わないだろうが、所詮人ごとなのだ。だから、老人福祉の予算が少なくなっていくのだ。

何とかならないのか、そうした独居老人を、地域で支え合っていくということができないのか、と思うのだが……。こういうことは、国なり地域なりが、指導的立場にたたなければ、なかなか出来ないように思う。

2014年1月23日木曜日

治療


最近、ガンが増えたそうですが、そのためガンで死亡する人も激増しているとのことです。だから早期発見、早期治療に心がけましょう、ということのようです。ま、当たり前と言えば当たり前のことです。病院に行かず、検査も受けていない私には、何となく「検査を受けろ、もっと病院へ行け」と叱られているような思いで読みました。


先日も、私の仲の良い友人が、検診の結果、胃癌と分かって手術をしました。早期発見で、命を拾ったのです。私も、心から「よかったなあ」と思った次第。そういう出来事が身近にあったのですが、さて、私が検診を受けに行こうと思ったかといいますと、べつに思わなかったのですから、困ったものです。(笑)でも、血液の検査には、近々行こうと思っています。

そう言いながらも、今日は、手の指の腫れと傷みで、整形の病院に行きました。痛いのは敵いません。以前、肩が突っ張って痛くなった時も、同じ整形の病院に行きましたので、診察の時には、そんな以前のレントゲン写真まで、診察室に用意されていて、手だけではなく、首までレントゲンを撮ってくださいましたが、前と同様に、骨には異常なしでした。手の関節のところが少し、すり減っていますが、これは、長年の使い傷みですとのこと。

私の手を触って「冷たいですねえ」肩をつまんで「硬いですねえ。寒いので、血液の巡りが悪くなりますから、暖かくして、手を冷やさないようにし、指を酷使しないように、そしてしっかり運動をして、血液の循環をよくするように」とのことでした。

パソコンはしても、指を酷使するほどしていませんし、草むしりで指を酷使したりは、したくても出来ませんから、ま、トシのせいだと思いました。傷み止めの塗り薬と、貼り薬をいただいてきました。

冷えは、万病のもとと心得てしっかり着ぶくれているのですが、家に帰ってから、エコにしてある暖房の温度を元に戻しました。年寄りは年寄りらしく、エコや医療費の心配より、身体の事を心配していたらいいのですよね。(^^)

 

2014年1月22日水曜日

大根漬けの件


*ブログの調子が悪くて、昨日のブログ(買い物)も、何度か公開のクリックをおしましたが、公開されず、パソコンに詳しい方に、遠隔操作(こんなことができるのですね)で、一応仮に直していただき、公開出来ました。(グーグルクロームから)21日に公開されるはずの「大根漬けその2」が、されておりませんでしたので、本日上げて置きます。もし、またおかしくなりましたら、何日かかかるかもしれませんが、直しますので、よろしくお願いします。


大根漬け その2

1月17日に、このブログで、大根のビール漬のことを書きました。漬物の出来ばえをご報告いたします。

結果は、上々でした。漬物といえば、タクワンを2切れか、多くても5切れくらいしかいただきませんが、この大根は、おかず感覚で、ぱくぱく食べられます。塩の分量も、普通の漬けものよりずっと少ないので、しょっぱくありません。


作るときの注意は、水分がたくさん出ますので、漬け桶は、深い物がいいかと思います。置く場所も、万一水分がこぼれ出ても、心配ないように。5日くらいで、味はまろやかになります。洗わずにそのままいただけます。

私は、5キロ漬けましたが、幅50センチ縦60センチのビニール袋に大根を入れて塩その他を入れて袋の中でまぜてから、直径28センチ深さ15センチほどの円いポリ桶に、袋のまま入れて中に押し蓋をのせ、重石も新しいビニール袋に包んで載せて漬けました。桶は流しのところに置き、大根を入れてある袋は大きいので口のところを流し台のところにもっていって余分に出てきた水分が、流れてもいいようにしておきました。5キロくらいの大根漬けは、家族が3,4人おられますと、直ぐ無くなると思います。これを昔教えてくださった方は、2人家族で、10キロも漬けていました。
唐辛子は、輪切りにしたものをそのまま入れました。輪切りのばあいは、適当に。また、和辛子(粉)も、好みによっては、加減なさるとよいと思います。以上、ご報告まで。(^^)


買い物


お隣さんの中国とは、仲良くしなければならないのだろうが、相手が悪い。どうも長い歴史の中で、いろいろとあった国なので、そうした民族性というか、嫌われる国民性が出来たのかもしれない。

個人的には、何の恨みもないのだが、どうも好きになれない国である。

そんなこともあって、中国製、中国産というものを買いたくない、と言う気持ちがあるのだが、今や、そんなわけにはいかなくなっている。

衣料品売り場で、中国製をきらっていては、買い物ができない。何らかの形で中国が関わったものがほとんどになっている。


食料品であってもそうだ。マーケットにならぶ出来たてのおかずなどの材料は、安いものを使っている可能性はあるだろう。わざわざ「このお弁当の食材は、すべて日本産のものです」と、断り書きをしてあるものも並んでいる。そんなお弁当は、ちょっと高いようだ。

が、まだ、農産物は日本産のものはたくさんある。少々値は高いが、手に入る物が多い。


中国の食品を嫌うのは、ただ中国嫌いというだけではない。わざと毒をいれたりするようなことは、日本の国内でもあることなので、そういったことではなく、生産過程での生産者の問題なのだ。


中国で暮らしている人がおっしゃっていたが、農民の多くは、消毒の薬の使い方がよく解らず、ラベルに書いてあることが読めなかったり、意味が理解できなかったりの人もいて、適当に薄めたりしていて、かなり濃度の高いものを平気で野菜などに撒いたりしているし、未だに人糞も使っているとか。

そういう話を聞くと、安いからといって買う気にはならない。健康に気をつけている中国の主婦は、野菜を30分も水で洗いながしている、とも聞いたことがある。

食品売り場で、加工品などを手に、裏返して小さな字を読む格好は、あまりみっともいいものではないのだが、よくそんなことをやっている。

安心して手にするのは、卵くらいだ。中国の卵というのは、まだお目にかかったことがないので。(笑)

安い物には魅力はあるのだが、日本人として、地元の農産物を、できるだけ頂くことを心掛けたいと思っている。

2014年1月20日月曜日

大寒


大寒。一年中で一番寒い日、ということになっていますが、これから、もっと寒くなる日、ということがほんとうのことだろうと思っています。

ただ、50年、60年昔は、もっと寒かったという記憶があります。

ここ何年も、水道が凍って朝、水が出なかったという日はありませんし、洗濯物が凍ってしまったということも有りませんので、やはり温暖化されてきたということなのでしょう。

全国の気温にしても、私が北海道帯広で過ごした70年も前は、冬がくると、冷下20度以上の日は、よくありました。そんな日は、学校が10時始まりで、朝はゆっくりと長靴をストーブのそばにおいて温めていたものです。温めても、外を歩きますと、すぐに冷たくなって足の先が痛くなるのですが、それでもしないよりましだったのです。帽子を被りマスクをし、耳当てをして外にでますと、マスクは、すぐに息の蒸気で硬く凍りますし、まつ毛には、小さな氷の粒のようなものがくっ付いてしまいます。

夜、近くの銭湯に行きますが、帰りは、髪の毛が鉛筆くらいの太さに分かれて凍り、手で触るとシャリシャリと音がしますし、タオルは、すぐにカチカチの棒のようになるのです。それが面白くて、タオルをくるくるとまわしたりしたものです。

外はそれくらい寒くても、家に入りますと、ストーブがカンカン燃えていますから、冬は、けっこう楽しい季節でした。
今はもう、そんな寒さも珍しいのではないでしょうか。

ともあれ、その季節になれば、その季節らしい寒さや暑さ、そして春秋の過ごし易い季節がやってくる地球であってほしいと思うのです。

 

 

2014年1月19日日曜日

利休にたずねよ


【利休にたずねよ】という映画が、北島サンシャインにかかっていたので、それを観に行こうと思っていたのを思い出し、昨日パソコンでチケットを予約しようとしたのだが、1日前にもう終わっていた。たしか24日まで上映されると思っていたのだが、思い違いだった。

あまり時代もの、というよりも、闘いとか戦争とか、切りあい撃ちあいなどの嫌いな私なので、あまりそうした映画は見ないのだが、昨年12月号の文芸春秋の記事を読んで、ぜひ観たいと思ったのだ。

利休を演じた市川海老蔵氏と、裏千家15世家元 千玄室氏の対談である。お茶のたしなみのない私が興味を憶えたのは、映画の場面で、海老蔵が切腹の前のお手前に使う茶碗が、450年も前の楽家の初代長次郎の黒楽、赤楽の名器、今は付加価値がついて何億円という本物を使って演じたということで、手が震えないように稽古の時からそれを使ったとか、しかも、100年も眠っていた器は、出してもすぐは使えず、【器を起こす】のに3週間くらいかかって、現場に持って来てからも、まずはお湯で温めてから、それをまた乾燥させて、実際に使うまでに2時間くらいかかるのだそうだ。しかも、当時の450年も昔は、単なる利休のお気に入りの茶碗ということであって、その価値時差を埋めることが、演じる者にとって大変だったらしい。

また、利休の師である武野紹鴎を、海老蔵の父、団十郎が演じ、親子共演なさったこと、そしてまもなく団十郎は、この世を去っていること、などなど、ぜひ観てみたいと思っていたのだ。またの機会もあることと思い、諦めている。

それにしても、家元千玄室氏にしても、歌舞伎役者海老蔵氏にしても、親から子へと、【世襲】ということで、ご本人は、小さいときから、大変な努力とご苦労をなさっていることが、現在の土台になっている。

それにくらべると、政治家の世襲というのは生ぬるい。贅沢に、ぼんぼん暮らしという方が多いと思うのは、私の僻みだろうか?

 

2014年1月18日土曜日

寒さ対策


寒い毎日で、身体が冷えてしまいそうですが、身体の冷えを防ぐには、ころころと転げるほどに、重ね着をするのが一番です。最近は、下着でも、薄くて発熱して暖かいものが出ていますので、暖かい下着をつけ、セーターも徳利襟(この頃の方は、タートルネックと言わないと分からないかな?)のもの。その上にカーディガン、その上に綿入れはんこかジャンパーという勇ましい出で立ちで家の中で忙しくしていますから、午前中はほとんどストーブもエアコンも点けずに過ごしています。

午後からは、机の前での仕事になりますから、足温器を付けてますが、今日はストーブの暖房も入れました。かなり冷えました。

冷えは万病の元といわれますし、私の体験からも、そうだと信じているものですから、しっかりとガードしています。

冷えないように心掛け出したのは、もう10年近くになります。特に夏に冷えますと、身体がだるくなったり、足がだるくなったりするので、気をつけています。そのおかげか、抵抗力も割合にあるのか、風邪も引かず、これといった病気もせずに今日までそれなりに元気でした。

夏、靴下をはいて寝ることなども、慣れますと平気になります。
冬も無論靴下も履いて寝ますし、敷き蒲団も暖かくしていますし、首や肩も防寒していますから、夜トイレに起きることもありません。寒くて身体が冷えますと、トイレに起きてしまいます。

ある友人が、冬になると風邪を引くのが定番になっている、と言うので、じっとしていても寒くないくらいにしっかり着ることを薦めました。実行していないのか、この冬も風邪を何回か引いています。()

そして最ものお薦めは、昇降台の昇り降りです。30分、テレビでもみながらやってみてください。どんなに寒い日でも、汗ばんできますから。私の寒さ対策は、お国のための省エネにもつながっています。(^^)

2014年1月17日金曜日

大根のビール漬


大根をたくさん頂いたので、大根のビール漬というのをこしらえることにしました。

作り方
大根を洗って皮をむき、5センチほどの長さの親指ほどの太さに切ったものを用意する。大き目のビニール袋の中にいれて、その中で調味料を混ぜ合わせる。

        大根   3kg
        塩    100cc
    砂糖   600g
             酢    100cc
    洋芥子  30g
       唐辛子  20g
    ビール  350mℓのカンビール1

この分量で漬け込み、重石は、5~6kg(大根の倍くらい)を載せて、4日か5日くらいで食べごろになるはずです。この割合で、以前は、1キロの大根を漬けたのですが、おしいかったものだから、次は、もっとたくさん漬けようと思ったのを思い出して、3倍にししました。味の結果はまた、出来あがってからの後日ご報告いたします。(^^)

2014年1月16日木曜日

百舌の会


以前にも書いたと思いますが、【百舌の会】というのは、近辺に住んでいる同級生10人ほどが毎月集まっている会の名前です。名前の通り、おしゃべりの会です。昼食をしながら、政治の話をしたり、老後の話、学生時代の思い出話と、話題は尽きません。市内のホテルが会場であったり、我が家が会場だったりするのですが、我が家は時間に縛られず、大きな声で笑ったりしゃべったりするには、持って来いの場所とあって、人気がいいのです。何しろ、耳の遠い方が何人かおりますから。()

今日は、体調の悪かった二人の欠席がありましたが、百舌の会でした。全員が教員の古手なので、相手の経済状態も、好く似た者どうしですし、何をしゃべっても、心配のない会なので、皆イキイキとしゃべるのです。聞いているだけでも楽しく、笑いが絶えません。

今日は、最近亡くなった同級生の話題から始まって、学生時代の思い出話に花が咲きました。Aさんが忘れたことをBさんが憶えていたり、Bさんが記憶にないことを、Cさんが記憶していたりして、当時の学生生活の絵巻物が鮮明に浮き上がります。苦しかったことも、残念だったことも、総てが懐かしく笑いに包まれてしまいます。

中でも特別記憶のいいDさんなどは、本人はすっかり忘れていることをしっかりと憶えていて、本人にとっては、人ごとのような過去の言動をあぶり出してもらったりします。「へえーっ、そんなことあったのかしら?」と、浦島太郎のような気分です。私も、Dさんのおかげで、今日もすっかり忘れていたことをいくつか聞かされました。()

戦後のまだ不自由な生活をしていた頃の貧乏話は、やはり、家が農家であったEさんは、あまりひもじい思いをしていません。食糧だけではなく、物々交換で、衣類などにも不自由はなかったようですから、土地を持ち、食べるものがあるということは、いつの時代も強みだったようです。そうした経験もあってか、農家の年寄りは、土地を減らすことはとても嫌がるのです。若い方たちには、そうした気持ちは、あまり分からないと思いますが。

夕方になって、「あらら、もうこんな時間だ」と、皆さん慌てて帰り仕度でした。「来月もここでお願いしたい」という皆さんのご希望。「あなたには、迷惑かけるけど」と、一応は気の毒かけるなんて言ってくれます。()

私もイヤなことはしない主義なので、けっこう楽しんでいますから、「どうぞどうぞ」ということになりました。

来月は、全員、元気なお顔でお越しいただけたらと思っています。

2014年1月15日水曜日

上がり正月


お正月といっても、我が家は特別なことをしたわけではありません。大きな節目ではありますが、昔からの日本のよきしきたりを守っているわけでもなく、お節をつくったり、お雑煮をいただいたりはしたものの、晴れ着を着るでもなし、日本の情緒豊かな正月の遊びや行事をしたわけでもありません。
琴を奏でたり百人一首を読みあげたりするような風流なこともまったくしないものですから、大きな口はきけませんが、家族揃っておめでとうを言い合って、テレビの中のお正月風景を楽しむなどは、やはり日本人らしく落ちつけるものです。

それにしましても、元来、お正月は、女の骨休めでもあるはずなのですが、年末年始というのは、女どもにとっては、気忙しいものです。とくに里帰りなどで、家族がふくれあがる家庭の主婦たちは、注連縄を外す頃ともなりますと、お顔にも疲れがしわ寄せされることもあります。風邪をひいたりするのも、今頃かもしれません。

今日は上り正月。主婦の皆さんには、そろそろ手抜きをしながら、骨休めをすることをお薦め致します。(^^)

2014年1月14日火曜日

続・成人の日


火曜日というのは、いつも忙しくて、夜も出かけるものですから、ブログはお休みにしようかと思っていたのですが、一言書いておくことにします。

昨日、成人の日、ということで、成人式も、落ち着いてきたようだ……と書きましたが、新聞やネットによりますと、まだ、けっこう暴れたり、警察官が、会場の入り口で目を光らせていたりするところがあったようです。
市長さんの祝辞に、ヤジをとばして「出ていけ」と叱られたり、何とも子どもっぽいことです。

こんな成人式は、集まった多くの成人の方たちにとっては、迷惑極まりないのでしょうが、このような一部の若者が、これからも色々と社会に迷惑をかけるようになるのかなあ、なんて思ってしまいました。

選挙権を18歳から、とか、成人は18歳から、とか言われたりしていますが、成人式もまともに出来ないようでは、考えものです。
30歳にもなれば、まともな成人式ができるのであれば、そういう方たちは、30歳で成人となってはいかがでしょう。()

また、女性の服装も、花魁スタイルとか、背中に入れ墨の真似ごとの絵を書いて、背中を半分ほど見せた着付けをしたような娘がいたり、獅子舞かと思うような頭だったりと、けっこうふざけた格好の成人が参加しています。一生に一度の成人式なので、目立ちたい、という気持ちも分からぬでもありませんが、ここまでくると、もう、私らは宇宙人を見ているような気がします。

以前のように、大立ち回りのような逮捕劇や暴力沙汰は少なくなってきたのでしょうが、成人らしからぬ態度の成人は、どこにもまだまだいるようです。こんなことが続きますと、成人式はもうしません、というところも近いうちに出てくるかもしれませんね。困ったことです。

 

2014年1月13日月曜日

成人の日


1月15日が成人の日であったのが、2000年から1月の第2月曜日に移動されました。その時分から思っていたことがあります。どうして第2日曜日にしなかったのかと。それは、日曜日が祝日ならば、月曜日は代休になるのですから、どちらになっても、3連休です。そうすれば、たいていの成人式は、成人の日当日に行うことが出来るのでは?と思うのです。私の町では、今年も昨日の日曜日にすませました。日曜日は、大抵の職場はお休みです。

最近は、成人式が事実上、学齢方式で成人式を行っていますから、中学の同窓会的な意味合いもあって集まってくる成人式です。ですから、式のあとは、色々と夜遅くまで遊んだりすることが多いものです。次の日がお休みというのは、帰郷している若者にとっても、ゆっくりできるのではないかと思うのです。そういうことで、殆どの自治体は、前日に行なっているようです。

ま、どちらにしても同じようなものですが、折角そうした日が定められているのですから、その日にするのがいいのではと思うのです。

成人式といえば、21世紀ごろからでしょうか、成人式に暴れる成人が、TVで報道されて、ヒンシュクをかっていたものです。一人前の成人と認めますという式典で、暴れて警察に逮捕されたり、壇上で祝辞を述べる市長さんに、「出ていけ」などと叫んでみたり、まるで、ガキのような若者を見せられました。こんなモラルの低下した若者の行動をマスコミは、七五三現象などと書きたてました。
こうしたことも、全国にはまだ毎年1件か2件はあるらしいのですが、何となく落ち着いて来たようではあります。
感心することではありませんが、中学生や高校生が、卒業式に学校や先生を恨んで暴れるのとは、ワケがちがいます。大人気のない行動です。

ま、最近は落ち着いてきたとはいえ、やはり、同窓会気分からか、私語が収まらなかったり、スマートホンをいじくったりと、来賓の気分を害する成人式も少なくないとか。  

それとは反対に、華やかな晴れ着姿の女性は、いつ見ても可愛らしいものです。
親御さんは大変と思います。でも、こうした派手な装いが出来なくて、成人式には行けない、なんて思うお嬢さんがいたとなると、考えものです。
ある時期、簡素な服装で、ということが言われた時代もあったのですが、いつの間にか、そうした風潮はなくなったのか、貸衣装でもすごく高価なものを、成人式に備えて、一年以上前から、予約をしている、という方が多いと聞きました。いい柄は、そうしないと、回ってこないのだそうです。

私の思うには、皆さん、どんな簡素な衣装であっても、柄が古くても、何であっても似合うお年頃なので、あまりお金を使わずに、お洒落してみては? と、老婆心ながら思いました。

余計なことを書きましましたが、心から、新成人におめでとうございますと申し上げます。頑張ってほしいものです。

 

2014年1月12日日曜日

片付ける


あるお方が、「最近の若い者は、片付けることをしない。いつ見ても、部屋が散らかっていて、足の踏み場がない」と嘆かれていたが、よくある話である。こういうことをおっしゃる方は、ほとんどが孫のこと、いうなれば、お年寄りである。

むろん、性格にもよるのだろうが、昔と違って、小さいときから、ひと部屋を与えられ、散らかしても叱られない、自由にのびのびと育てられた子どもが、大きくなっても、散らかった部屋に何の不快感も感じないのは当然かもしれない。こうした躾は、子どものころから喧しく言わなければ、難しい。「散らかしてあるのは恥ずかしい」という気持ちにでもならなければ、なかなか片付けられないのではなかろうか。

私の子ども時代は、散らかそうにもそんなにモノを持っていなかったし、自分専用の勉強机などもなかったので、夕食がすんで、ちゃぶ台の上がきれいになってから、ランドセルを持ちだしてきて宿題を広げたものだ。

家の中も、一つの部屋が、食事の部屋になったり応接間になったり寝室になったりするのだから、いつも綺麗に片付いていないことには、生活が回らない。どこの家も、ある程度は片付いていた。

汚い所に住むよりは、片付いたところに住む方が気持ちがよいのは当たり前と思うのだが、これからは、汚い所が当たり前の世の中になるやもしれない。片付けを知らない子が大きくなり、そんな親に育てられた子も、片付けが出来ないとなれば……の話だが。(笑)
 
最近は、若い人だけではなく独り暮らしの老人でも、片付けの出来ない、というより、片付けを面倒がる方が多いという。これは、一種の老化現象というのだろう。

ともあれ自立の出来る間は、ゴミ屋敷にならぬよう、部屋であれ、身であれ、小奇麗にしていきたいと思っている。

2014年1月11日土曜日

花の会新年会


今日は、元衆議院議員、仙谷由人氏を応援している女性の会【花の会】の恒例の【新年会&仙ちゃんお誕生会】でした。仙谷さんは68歳になられます。体調はとてもよく、安心しました。

仙谷さんが、議員バッジを外しても、私たちの会は、日本の政界には、無くてはならない方と思っていますので、どんな環境であれ、応援をしていくことに変わりはありません。

久しぶりに仙谷節を聞くことが出来ました。安倍のお坊ちゃんのやりたい放題の不始末が、いつか国民をひどい目にあわすことになると、断言されます。

また今回は、京都出身の参議院議員の福山哲郎氏をゲストにお迎えして、お話もうかがいましたが、やはり、仙谷氏の欠けた民主党は、ポカリと大穴があいたようだと。自民党、安倍さんなどのむちゃくちゃなやり方にたいして、喝を入れる人物がいない。入れようものなら、たちまち色々な形でバッシングが襲いかかってくるらしく、それができるのは、やはり仙谷氏だけとおっしゃるのです。
福山氏は、「若造の私は、仙谷さんのかわりにだれかが言わねばと、何度かやりましたが、それはあとでとてもひどい目にあいました」とのこと。ぐるになっている官僚や、マスコミからの嫌がらせみたいなものもあるのでしょう。やはり、自民党が選挙戦に入ったとき、「徳島の仙谷さえ落とせば何とかなる」と、全力で落選させるためのあの手この手を使ったということが、分かる気がします。それに乗って、仙谷さんのあることないことのデマをとばした人たちの罪は重いです。

案の定、仙谷さんは、今も日本の国のためにアジアその他外国との交渉や話し合いに出かけられていたり、招待されたり、活動なさっていますので、けっこうお忙しいのです。

仙谷氏のトコトン分析したり、歴史的考察をされたりしながら、はっきりと、正しいこと、間違ったことを、誠意を持って相手と話し合う態度は、中国でも信頼がおかれているようで、やはり、日本の代表としての頭脳は、揺るぎません。
 
今夜は、211名の参加でした。会費5.000円。阿波観光ホテルでの座席指定の会なので、落ち着いてお話も聞くことができましたし、ご馳走も頂くことができました。

徳島県は、選挙区が3区から2区になったこともあって、まだ、正式な次回の公認候補者は、発表されていませんが、全国区であれ、比例であれ、小選挙区であれ、ぜひ、返り咲いていただきたいと願っています。

今年最初の大きな行事が盛会のうちに終わり、お世話役の一人としてほっとしています。今は眠たくて仕方ありません。ぐっすりと眠れそうです。

2014年1月10日金曜日

節約の楽しみ


昨日、Aさんがおっしゃいました。「孫が成人式を迎えるので、今日明日のうちに、銀行に行って、お祝いのお金を下ろして、新札に変えてもらわな」と。ああ、私と同じだ、と思いつつ聞いていました。

人生というのは、案外うまく出来ているもので、年を取り、お金を稼ぐことが出来なくなりますと、使うお金も次第に減ってくるものです。子は自立するし、結婚もしたとなれば、もうあまりお金のことで、頭を悩ますことも少なくなってきます。着るものにお金をかけなくてもいいようになるし、交際範囲も狭くなります。もう、お金、お金と、お金の心配はあまりなくて、与えられる年金に見合う生活をしていくだけでいい、ということになります。

ただ、先にも書いたように、孫のことでの出費というものがあるのですが、これは、爺婆として、出来る範囲のことをしたらいいだけの話で、お祝いが少ないからといって叱られることはありません。子の通う大学の授業料が払えないのとはワケがちがいます。

しかし、世の中には、老後の生活が不安だ、という方が大勢いらっしゃるようです。そうした方の多くは、自分で自分の自由に使えるお金を多かれ少なかれ持っているのに、「インフレになったら生活出来ない」とか、「年金がこれから益々少なくなるに違いない」とか言って心配しているのです。

お金に対する考え方の違いで、幸せなはずの老後を不幸にしてしまうほど、つまらないことはないと思うのですが……。

私の世代は、戦中戦後のインフレや貨幣の切り替えなどで、財産の価値がなくなるという苦難時代からの生え抜きなので、「節約は美徳」ということが身にしみついています。高度成長期からの団塊の世代の「消費は美徳」という時代は、何となくしっくりいかぬ思いで過ごしてきましたから、その違いがあることは、たしかです。

団塊世代の若者たちは、マイカー、マイホーム、海外旅行と、豊かな生活をしてきたし、借金をしてでも、海外旅行に出かけていたものです。私など、そういうことは、とてもできませんでした。

これからは、団塊世代の方たちにとっては、暮らしにくい世の中かもしれません。そろそろ収入の少なくなる世代です。「節約は美徳」としなくてはならないかもしれません。価値観を切り替えるということは、かなり難しいことかもしれませんが、慣れればどうということはありません。ま、ミエなどは捨てて、贅肉を落とすような気持で節約生活を始めると、また人生も楽し、となるように思います。

私も今年からは年金の下がった分、消費税アップの分、物価上昇の分、これだけの分を更に節約していかねばなりません。「何だかわびしいわ」「みすぼらしいわ」なんて決して思いません。こうした節約を「楽しみ」ながらやっていくことこそ、自分らしさが発揮できて、幸せな気分になるのではと、思っています。