2017年8月24日木曜日

№1165 エッセー


  私の属している藍住町文藝協会は、『あいずみ文藝』という200頁あまりの冊子を年一度出版しています。(会員80名あまり)短歌、俳句、詩、随筆、小説、評論と、何でもありです。ちょうどその原稿の〆切が7月末でしたが、なかなか揃わず、やっとお盆が過ぎて揃い、2回の校正をすませて、先日印刷に回すことが出来ました。この会の事務局をひきうけておりますから、雑用は多いのですが、会長はじめ、編集委員(役員)の方々が皆さん立派な方ばかりで、和気あいあいのうちに、仕事が 出来ますから、私も大年増ながら、お役に立てることはやっております。

私は、巧くもないエッセーを書くのが趣味なので、このブログのように、つまらぬことを書くのですが、最近は、ちょっと疲れ気味か、読み返すこともせずに書き殴りのまま挙げてしまうことが多くなりました。いい物が書けるはずもありません。(^^;;

むろん、プロではありませんし、それで口すすぎをしているわけではありませんから、気楽に書いておりますが、これがプロなら、大変だろうなあと思います。

 プロの、小説を書いたり詩を書いたりする方の中には、エッセーは難しいとおっしゃる方はよくあります。分かります、その気持ち。自分が丸裸に近い状態にならないと、ただの自慢話や体験では、「それがどうしたの」ということで、もう次の本は買っては頂けない。() それだけに、プロのエッセーは、読む人の心を掴むのがうまいと思います。私もいつかは、読む人の心を掴めたらいいなあと思うには思うのですが、まだまだそこまでの余裕はありません。
 書くという作業も、トシとともに劣ってくるもので、運動と同じで、書かなければどんどん書けなくなっていくこと間違いなしです。登り坂を後ろ向きで登って行くような状態なので、いつ前のめりになって下ってしまうやら……という現状です。お尻にムチを打ちつつ、何とか、ブログも続けていけたらと思っております。読んでくださっている方、ほんとにありがとうございます。m(_ _)m

 

2017年8月23日水曜日

№1164 宗教


  ある宗教団体の女性の方が、小冊子を持って尋ねてこられた。聖書も解釈の違いによって、こうも違うものなのかと思うほど、かなり考えが片寄っている。まず、選挙には行かない。この世は、神が治めると。本も読まない、輸血もしない、「この世は将来戦争も病気も、死も無くなり、地球上の生き物総てが仲良く、永遠に幸せに暮らせる世の中になります」と断言される。
 こうした説明を以前お聞きしているので、それ以後は、「私には私の宗教がありますから」と玄関先で、お断りしている。

 色んな宗教があるのは当然だし、信仰の自由も当然だが、こうした変わった宗教にのめり込んで行くという心理のほうに興味がわく。

 私はどちらかというと、信心深い方ではない。そうかといって、宗教をまったく軽蔑しているわけではない。進化論や化学の発達で、あの世の極楽や地獄を否定しつつも、この世に生まれた以上、大自然の力というか、どんな生き物や生物にも、命をふきこんでくださっているのだから、神としか言いようがないものの存在があって当然と思う。総ての生き物は生かされ還元されて地球の一部となっていく。土となり、石となり、或いは水となって……。

 どんな動物であっても、植物であっても、命をつないでいくすべを持っている。不思議なことだ。動物のように、脳があるわけではない小さな花の種をじっと見つめながら大いなる神の存在を感じたのでした。

2017年8月14日月曜日

№1163 軟らかい頭って……


  ある広告のテストをしてみた。自分の頭の状態は、認知一歩前くらいやなあと、いつも思っているので、「それでも軟らかいかもしれんなあ」なんて思ったのだ。答えのイエス・ノーで→に沿って進み、たどりついてみると、【けっこうやほらかタイプ】というところにたどりついた。ふーん、何でもすぐ忘れても、まだ頭はそんなに硬くはなってないな、なんて思いつつ、注意書きを読むと、「その軟らかさを5年10年とキープしたいものです。そのためには油断は禁物」と言うことで、最後は、「脳の細胞一つ一つが、血液や体液に溶けてしまわないように、アブラの膜でおおわれているが、この膜の質が大切で、いい油を取って、細胞膜のアブラを入れ替えましょう」と言うことに落ち着いた。そのアブラが、ARA・DHA・EPA(3つのオメガ脂肪酸)で、特に大切なのがARAとDHAだそうで、ARAは肉や卵に、DHAは、青魚に含まれていると。ま、偏らずに何でも食べることが大切ということのようだ。

セルフケアとして、脳が一時戸惑うようなこと、慣れないことをすることで、刺激され活性化によいと言う。

 ○ひとりで左右の手でジャンケンをし、左の手と右の手を交互に勝ち負けをする。

○日常の利き手と反対の手で字を書いたり、食事をしたり、歯をみがいたり、テレビのリモコン操作等をする。

真剣にやってみよう、とは思わなかったけど、悪いことではないようだ。思い出したらやってみようかな。(笑)

 

2017年8月5日土曜日

№1162 暑い夜


  県外に住むAさんから、電話がかかって来た。女学校の同級生で、昨年まで続けて来た同窓会には、毎年参加してくださっていた。参加者が減ってきたので、一応昨年の集まりを最後とした。
 でも、県内の同郡や近くの郡市の希望もあって、年二回ほどの集まりを持っている。わずか10名足らずだが、その様子が知りたいとのことだった。
 それは10分ほどで終わったのだが、それからの1時間20分ほどは、彼女のおしゃべりタイムとなった。彼女の唇は見えないけれど、多分活き活きと、陽気なマシンガンのように動いていたにちがいない。
 聞き役の私がまったく知らない下級生や、その子供のこと、孫のこと、旧制中学生(男子)のことなどなどが飛び出してくる。『○○君、知っとるやろ?』「いや、知らんなあ」『その子が立派になってるんよ』と言う具合なので、私は「へえー」「ほうー」くらいしか発言はできない。(笑)でも憎めない。他人ごとだが感心しながら聞いている。
 ただ暑いのが苦になるだけ。何しろ、エアコンを切って、隣の部屋に異動しようとしたときに電話がかかってきたものだから、親機の受話器を耳にしたまま、その前の机の椅子を引張り座りこんでの1時間あまりだから汗が流れるのだ。可笑しかったのは、話の中で、「△△さんの電話は、いつも一人喋って長いんよ」というのが○○さんは、□□さんも、などと3人くらいあったこと。(ふふふっ、あんたもよ)と言いたいところだったがぐっと我慢。(笑)

ああ、Aさんはまだまだ元気でおれるなあ、あれだけ口が動けば心配なしやわ。お顔のシワもきっと増えないはず。しっかり動かしていてね。

それにしても、トシをとると、Aさんタイプは少なくない。Aさんもそれは感じていて、私にも告げている。私だって長話をすることはよくある。でも、その時はお互いがしゃべくりあっていて、笑いあっての楽しい時間である。……と思っていても、相手はそうは思っていないかもわからない。

老化とは、【人のふりみてわがふり直せ】ということが、なかなか出来なくなる、ということでもあるようだ。用心しなくちゃなあ……。