昨日、久しぶりに汽車に乗って徳島市の百貨店そごうに出かけた。強い風が吹いていて、頭の髪がぼさぼさになってしまったが、あいにく櫛を持って行くのを忘れたので、手櫛で整えたのだが、その時ふっと幼い頃を思い出した。女の人は、必ずと言っていいほど、頭にはいつも櫛がささっていたものだ。小間物屋の店先には、色々な櫛が並べられていた。髪の表面に出る部分1センチほどの幅だが、貝殻などで、色々な模様か゜張りつけられていたものだ。トシ相応の櫛を求めて、風で乱れた時は、すかさず櫛で撫でて整えていた。道路には、櫛が落ちていることもよくあったが、それを拾って帰ることはなかった。一度、拾って帰ってひどく叱られたのだ。お正月で、日本髪用の半月型の美しい櫛だった。「まあ、この子はお正月早々、縁起でもないものを拾って来てぇ。早く捨てて来なさい」と。
櫛が゜【苦死】に通じて忌まれていた、と知ったのは、大人ににってからだった。車中で読んだ文庫本の中にかかれていた。その時も私の鞄の中には、友人のお土産にと買った、つげの櫛が゜三本入っていた。
音が通じている、というだけのことなら、お正月につきものの獅子舞だって、死んでしまい、ということになる。縁起のいい悪魔払い、おまけに、獅子舞に頭を噛んでもらうと、頭が良くなるとも。櫛だけが苦死と結びついているのは、女の黒髪、多情多恨、といったような情念との結びつきがあるからなのだろうか…。
私の土産の櫛は、迷うことなく差し上げて喜ばれた。形の残るお土産は、お饅頭よりも良いと思っていたのは私だけかもしれない。こうした迷信みたいなことは、若い方たちには、無縁なこととなっているはずだが、お堅いお年寄りやご病気の方へのお土産には、櫛より美味しいお饅頭がよさそうだ。