2019年11月19日火曜日

№1266 櫛


  昨日、久しぶりに汽車に乗って徳島市の百貨店そごうに出かけた。強い風が吹いていて、頭の髪がぼさぼさになってしまったが、あいにく櫛を持って行くのを忘れたので、手櫛で整えたのだが、その時ふっと幼い頃を思い出した。女の人は、必ずと言っていいほど、頭にはいつも櫛がささっていたものだ。小間物屋の店先には、色々な櫛が並べられていた。髪の表面に出る部分1センチほどの幅だが、貝殻などで、色々な模様か゜張りつけられていたものだ。トシ相応の櫛を求めて、風で乱れた時は、すかさず櫛で撫でて整えていた。道路には、櫛が落ちていることもよくあったが、それを拾って帰ることはなかった。一度、拾って帰ってひどく叱られたのだ。お正月で、日本髪用の半月型の美しい櫛だった。「まあ、この子はお正月早々、縁起でもないものを拾って来てぇ。早く捨てて来なさい」と。

櫛が゜【苦死】に通じて忌まれていた、と知ったのは、大人ににってからだった。車中で読んだ文庫本の中にかかれていた。その時も私の鞄の中には、友人のお土産にと買った、つげの櫛が゜三本入っていた。

音が通じている、というだけのことなら、お正月につきものの獅子舞だって、死んでしまい、ということになる。縁起のいい悪魔払い、おまけに、獅子舞に頭を噛んでもらうと、頭が良くなるとも。櫛だけが苦死と結びついているのは、女の黒髪、多情多恨、といったような情念との結びつきがあるからなのだろうか…。

私の土産の櫛は、迷うことなく差し上げて喜ばれた。形の残るお土産は、お饅頭よりも良いと思っていたのは私だけかもしれない。こうした迷信みたいなことは、若い方たちには、無縁なこととなっているはずだが、お堅いお年寄りやご病気の方へのお土産には、櫛より美味しいお饅頭がよさそうだ。

2019年11月8日金曜日

№1265 80代の最後


  誕生日を迎えてまず思ったことは、「来年は90歳かぁ」というとだった。当たり前のことだが、やはり今までとちょっと違っていた。

ここ23年の間に、「忙しい」ということばがよく出て来るようになった。10年という歳月は、あっという間に過ぎるのだが、80代になってから、この間の10年近い歳月というのは、人をガラリと代わらせる。50代と60代との違いとは異なるのだ。これは人によっては、少々ずれがあるかもしれないが、80代になると、70代の有難さが良く解る。私の個人的な経験では、85歳を過ぎるころからは、何もかもが衰えを感じ始めた。特に身体的な衰えは大きい。スキップどころか、転倒が怖くて走れなくなる。重いものが持てなくなる、高い棚に手がとどかなくなる、何をするにも、時間がかかるようになる、といったように、いつのまにかなっている。掃除をするのがおっくうになっても、化粧をすることが、面倒になっても、炊事がしんどくなっても、気持ちを立て直して、することを減らさずに続けていくと、一日の時間が短くなってくる。1時間で出来たことが1時間では出来なくなるのだから、忙しくなる訳だ。ま、一休みする時間は、増えているのだが・・・。

することがなくなってTVを見ている時間が増えた、という方がおられるが、それはすることを減らしてきた、ということだろう。今更イヤなことをするつもりはないが、なるべくなら、続けたいことは、続けて行こうと思っているので、ゆっくりのこのこであっても続けて行くつもりである。それが一日でも長く自立した生活を送ることにつながっていくと思うので・・・。