2020年2月21日金曜日

№1279 叱る


  あるTV番組をみて思った。一口に言うと、子供を叱ったら子供のためにはならない、何故そのようなことをするのか、考えて、その原因をさぐって取り除く事が大切で、叱るのは、子供にとって何の利益にもならない、というようなことだった。

 子供のころ、よく叱られた私としては、「そうかしら?」と、首をかしげてしまった。同じようなことを仕出かして、何度も叱られた記憶もある。叱られながら、叱られるのは当然と思ったことも多い。暗くならないうちに帰りなさいという家の決りを守らず、遊びに夢中になり、気が付いたら、薄暗く、走って帰ったが、間に合わず、叩かれたこともある。親は、かなり心配していたにちがいないのだが、気持ちとしては、不満はあったが、すぐそんな不満は消えていた。

 しかし、こうした経験は、別に悪いことではなかった。今になって思うと、懐かしい思い出となっている。

 子供のころからよく叱られても、よその家を羨むことは、まったく無かった。平凡な自分の家や家族だったが、最高と思っていた。この家に生まれてきてよかったと、思っていたのだ。お金持の家を羨んだりすることはまったくなかった。と、いうことは、叱られることが私にとってマイナスではなかったのだろう。

 思うに、親や家族が、本当に子供を愛していたら、叱り方もちがってくるはずだ。叱っても叩いても子供にとってマイナスではないと思う。叱られることの経験がない子が、大きくなって社会人になると、どうなるのだろうか、と心配になる。社会人になってはじめて小言を言われてショックをうけて会社に行きたくない、なんてことにならないことを願う。

 

2020年2月16日日曜日

№1278 赤ちゃんの名前


  いつの頃からだろうか、子供の名前が変わって来たのは……。カナをふってなければ、正しく読めないような名前が増えて来た。

  例えば、私の町の毎月発行されている広報に、「こんにちは赤ちゃん」というところに1月に届け出された親子の名前と住所が掲載されている。両親のお名前は、総て読めるのだが、赤ちゃんの名前は、17名のうち、正しく読めた子は3人、奏成(そうせい)ちゃんと、瑛斗(えいと)ちゃん,愛依莉(あいり)ちゃんだけだった。あとの14名の赤ちゃんの名は、括弧の中のひらがなを見て、「へえー、そんな読み方ができるのか」と、思うようなお名前だった。「ああこれは解る、姫奈は、ひめなちゃんだろうと思うと、【ひな】ちゃんだったりする。虹心ちゃんは、にこちゃんなので、なんとか納得できたが、心詩ちゃんという女の子の名は、こしちゃんかと思ったが、みうちゃんだった。

 漢字の読み方が、幾通りもあったにしても、以前は、だれもが納得できるような呼び名だった。私の父は、延(のぶ)太郎だったが、のぶをえんと呼ばれることがあった、と聞かされたことがあったが、それくらいの間違いだった。

 元教員としては、【先生泣かせ】の名前と思う。こうした流行り(といってはいけないのかな)は、なるべくすたれてほしいと思うのは、私だけだろうか、花子さん、太郎さんが懐かしい時代になってしまった。何となく漢字というものが、泣いているような気がしてならないのだが……。

 

2020年2月10日月曜日

№1277 文化人


   文化人といっても、色々と幅は広いだろうが、公衆道徳ということが、守れることも一つの条件だろう。町を車で走っていると、前を行く車が、窓から何やらポイ捨てをした。町には、先日立派な文化ホールが出来て、色々な催しがあるのだが、そんな催しものを見聞きしても、なかなか文化人には成れないのが、この世の中らしい。
 我が家の近くに大きなスーパーが出来てから、家の前の道路には、食べ残しの弁当やら、空き缶などのポイ捨てが多くなっている。ゴミを出す日には、家の近くを見て、それらのゴミを拾いながら出しに行くことになる。
 ざっと2000年も昔になるだろうが、かの有名なベスビオ噴火で、ポンペイと運命を共にした町が何と13もあったらしいが、その一つ高級リゾート地の発掘の時、今ふうに言うと、歩行者天国のようなところの交差点で、【公共の場所にゴミを捨てるな】と書かれた布告が発見されているらしい。その時代より、世の中は、随分進歩してきたのだが、永遠と言っていいほど足踏みばかりしている人間の現実は、何としたものか。本物の文化を伝承していくことは、難儀なことらしいと、つくづく考えさせられた。
 

2020年2月3日月曜日

№1276 春近し


  1月があっという間にいってしまった。2月というのは、1年のうちで、一番寒いと感じる月で、名ばかりの春である。あまり好きな月ではない。1月のカレンダーをびりっと破りながら、「はや2月かぁ、2月は逃げる、3月は去る、ああ、すぐに4月がくるなあ……と、溜息まじりの声が出る。

90歳も近くなると、躰の動きも鈍くなる。最近特に躰全体が重く感じる。別に体重が増えたわけではない。朝、寝まきを脱いだら裸で体重計に乗るのだが、ここ2年間の体重は、殆ど変化はない。

ま、愚痴は言わないことにしているので人様の前では、毎日ニコニコ顔をしているので、皆さんに「あんたは元気でいいなあ」と言われている。カラ元気なんだけど……。

老人ばかりの施設に入っている友人が、『トシとると、自慢とヒトの悪口しか言わない人、泣きごとと、愚痴ばかり言っている人が居る』と。やはり、自分を写す鏡を曇らせず、【どんな老人になるか】という目標をしっかり持っていないといけないなあと、教えられた。

明日は立春だ。ちょっと温かくなりそうだぞ、なんて気を緩めたら、風邪をひきそうだ。しばらくは、厚着スタイルでいこう。