2014年3月31日月曜日

3月去る


ここ10年あまり、3月の暦をぴりりと破りながら思うことは、「ああ、もう1年のヨンブンノイチが終わった。早いなあ。この調子なら、1年の終わりもすぐに来てしまうなあ……」と、いつも同じだ。
1年が早い、と思うのは、老人の常で、誰もが思うはずだ。それは、これからの人生が、50年以上あるだろうと思っている者と、3年か、5年かしら?なんて思う者の違いである。分母の数が違うと、その【1年】という数の重みも違ってくるからだ。
そういう重みのある1年を感じるトシになると、自然と「一日一日を大切に送らねば」と思うのは当然である。といっても、なかなか、思うようにはいかないのが常なのだが、ま、思わぬよりは、ましだろう。(笑)

先日も書いたように、半世紀も地獄のような毎日を送らねばならなかった袴田さんのことを思うと、人ごとであっても腹が立ってしかたがない。だれも責任はとってはくれないし、責任とってくれたところで、歳月が戻るわけでもない。

さて、私の今日一日は、どうだったのか? と反省してみよう。

まず6時起床。なかなか起きたすぐにはエンジンがかからないのが常。TVを聴きながら、1時間ほどかけて、ゆっくりと身づくろいをして洗濯機を回し、庭に出て、水仙を10本ほど切って、花瓶の花を取り替える。朝食準備。片付けのあと、家中の掃除。

掃除機をかけるのは1週間ぶり?かな。10時から我が家で(事務局)文芸協会の会計監査があるので、いつもより丁寧に。(笑)

9時半頃から、会計係の方と、監査の方、会長さん等4人がいらっしゃる。珈琲を。11時監査終了。お茶とお菓子をいただきながら、文学四方山話に花が咲く。125分前、解散。昼食用意。

昼食後、42日の役員会に発送する【藍住文芸だより29号】(6ページ)の残り印刷を仕上げる。あとは、2日に集まった役員で仕事を分担して発送までしてくださる。

3時、車のガソリンを満タンに。明日からは、3%の上に、環境税が上乗せになるから、リッター5円以上の値上がりだ。わずか200円ほどだが、こういうことは、こまめだ。どこかで、ぽっかりと、無駄をするのだが。

その足でマーケットへ。買い物2000円ほど。買いだめはしなかったが、少なくなっている調味料など、補充。

夕食準備。頂いたカブラを漬物に漬けこむ。あっ、忘れていた。昇降台で30分運動が出来ていない。もう、眠たい。今日はやめておこう。

ま、何とか満足のいく一日だったかな?

 

2014年3月30日日曜日

クラス会


昨日から今日のお天気を心配しながらでしたが、無事に女学校時代のクラス会が出来ました。毎年行ってきたクラス会でしたが、もう、今回が最後になりました。54名中、鬼籍に入られた方が14名。残り40名のうち、住所不明が3名。残り37名中、出席者8名という淋しさです。

県外の方が17名おられます。殆どが神戸、大阪あたりで、そう遠くはありませんが、今回は2名の方の参加でした。

今回参加されない方の中には、昔から同窓会にはまつたく出てこない方も数名おられますが、何年か前までは、楽しみにしていらっしゃった方も、身体の不調、出ていくのが大層になった、お連れ合いが入院、といったような理由での欠席です。中でも、県内の遠方(といっても車で1時間ほどのところ)に住む方たちは、どなたも、出席されませんでした。もう徳島市まで出ていけない、とおっしゃる方がかなりおられます。

そんなに遠方ではないのですが、バスや汽車に乗っていくのは大層になったということです。

やはり一年一年、健康も、考え方も、動きも、変わられていく様子が、分かるものですから、出席した8名の皆が、健康の有難さをしみじみと語りあいました。と言いましても、それぞれ皆さん、足が痛いの、腰が痛いの心臓がどうのと、全くの健康体と言う方はおられません。でも、前向きに明るく生きておられるということです。

来年からは、硬苦しいことでなく、今日来ている元気者だけでも、電話で連絡し合って集まりたい、ということになりました。県外の方も、ぜひまた連絡してほしいということでした。

こうした会のよいところは、昔の女学生気分になって、楽しいおしゃべりをしたり、近況や健康法を語りあったりしながら、お互い元気を分けてもらっていることです。

「さあ明日からも、頑張って歩こうか」とか、「止めようと思ってたけど、漢字の練習続けるわ。ボケんように」なんてやる気を吹き返したりして、にこにことお別れ致しました。いい一日でした。

2014年3月28日金曜日

袴田事件


何とも言いようのない事件だ。48年間もの長い間、死刑の判決を受け、狭い独房に閉じ込められ、死刑の実施される日を怯えて暮らしていたという元被告が、今頃になって証拠捏造の疑いで、無罪の可能性があるということで、裁判のやり直しという判決が出されたのだから、あまりにも遅すぎる。

釈放された袴田氏も、心身共に正常な状態ではなかったろう。喜びの声も、笑顔もカメラの前では見せてはもらえなかった。あまりにも酷い話である。

昔彼をとり調べた静岡地検は、まだ自分等は、正しいと、即時抗告する構えらしい。犯人の衣類でもないのに、証拠品として持ちだして人ひとりを死刑囚にするという、こんなことがあっていいものだろうか。
何がなんでも、犯人にしてしまう、ということは、よくあることで、あのサリン事件でも、河野さんとかいう方が捕まり、一旦は、「やりました」と白状させられている。第三者が考えると、やってないのに、なぜウソの白状などするのか不思議に思うのだが、取り調べがひどかったりすると、その場から逃れて、公判になったら、何とか分かって貰えるだろうと思ったりするのだろう。しかし、一旦白状すると、もうなかなか元には戻れないのが現実のようだ。

世の中は色々な人間がいて、芯からの悪人は反省もなく【やってない】を押し通す者もいるので、調べる側の苦労も分かる。

『本当にやったか』の判断は、科学的手段だけではなく、人間対人間として、あるいは、カウンセリング的に対面していくうちに、「この判決は、あやしい」と分からぬものなのか、などと思ってしまう。

今後の袴田さんが、幸せな老後が送れますことを祈るのみであります。

 

2014年3月27日木曜日

無駄遣い


ブログを読んでくださっている方たちの中には、色々と励ましてくださる方がいらっしゃって、とても有難いことだと感謝の気持ちでいっぱいです。

中には、同じようなことであっても、かまわないよ、とか、ちょっとした日記でもいいから、続けたら?とか、優しいことも言っていただいて、感激しています。私も、負担にならない程度のことは、書いていくのが楽しみなので、無理をせずに、なるべく書いていきたいと思いますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

もう3月も終わりとあって、買いだめをしている方がおられるのでしょうか。5%の消費税が8%になることが、息に罹る人たちではなさそうな方たちも、カートにトイレットペーパーを山のように積み上げていらしたりして、けっこう駆け込みの買い物客で、賑わっています。

45日前、パソコンのインクの黒がきれかかっていたので、買いにいきましたら、ずらりと並んでいるはずの品物が売り切れていました。店員さんが「想像以上に買いにきてくれて、驚いてる。また仕入れときます」と言ってくれたので、今日行ってみますと、並んでいました。4月から上がるということで、全色入りの箱も買いました。

買ったインク代が、税込で9260円です。そのうちの5%を引きますと、8820円。4月からは、9526円ほどになります。その差266円。それだけならいいのですが、その店で、買うつもりのなかったものを、4500円で買いました。電気で髪の毛をカール?するコテのようなものです。衝動買いです。家に帰って使ってみますと、不器用な私には、上手く使えない。時間がかかり過ぎますし、ヘタしますと、手や頭を火傷します。「ああ、買うんじゃなかった」と、後悔しています。私としましては、4234円のソンをした思いです。(笑)

消費税は国民としては、止むをえないと思っているのですが、その使い道には、約束違いがあったり、年金族や低所得の方たちは、更に苦しくなることを思いますと、複雑な思いです。

ま、身のほどを知っていますので、平和でさえあったら、何とか生きていけると思ってはいますが……。

2014年3月25日火曜日

立ち止まって……


立ち止まって、振り返ってみることも大切なことと思う。

このブログをはじめるときに思ったのは、毎日は書けないけれど、500回くらいは続けられるだろうなあ、と思った。書き始めると、毎日書きたくなって、今日まで続けている。見てくださっている方が、いることも励みになっていて、続けられたのだと思う。

どうもトシをとると、忘れたり、勘違いすることも多くなって、昨日も、書いたつもりになっていたのだが、それは、思い違いだった。書いたのは、ほかのところに載せるものだった。

また、特に思い出などの話を書き始めて【あっ、この話は、以前に書いたような気がする】と思って調べてみると、やはり書いているのだ。(この調べるという仕事、けっこう大変な仕事なのだ)全く同じ文章ではないのだが、こういうことは、ちょっとイヤなので途中で止めるのだが、気が付かずに今までに、多分何回か同じような内容を書いているだろう。

始めから下手の横好きで、エッセーの様なものを書こうと思っていたものだから、文章が雑になってくるのも気になっている。「何を書こうかな」と思ってもいい材料が浮かんでこないこともよくあって、思い付きで書いたりしていたり、文章のことも気にせずに書き殴っているものも多いので、雑になるのも当然だ。殆ど読み返して直すということもしていない。

パソコンの前での仕事をして、目が疲れたり、頭がにぶっていたりすることがあると、夜のパソコンは睡眠の妨げにもなるようなので、休もうと思っているのだが、つい書きたくなって書いてしまうのだ。ちょっと前にも、夜遅くなった日はお休みすることを皆さんにお知らせしたのだが、それが中々守れない。

ま、そういうことの反省もあって、立ち止まることも必要ではないかと思うのだ。

そこでこれからは、思い切って数を減らしていこうと思っているので、このブログを開いてくださっている皆様に、無駄なお手間をかけることもあろうかと思いますが、よろしくお願い致します。

 

2014年3月23日日曜日

『片付けたい女たち』


永田愛作・演出【グループる・ばる】演じる片付けたい女たち』を観てきました。ふた月に1度の演劇鑑賞会「徳島市民劇場」の例会でした。

幕が開くと、客席から、どよめきが起こりました。なんと舞台いっぱいの部屋の中が、すごい散らかしようなのです。なるほど、この散らかった部屋を片付けるのか、と納得。ただし、これは、単なる無精者の部屋、ということではないことは分かります。

都会に住む初老50歳を過ぎたツンコという女のマンションです。仲良し友達のチョビとバツミは、連絡のとれなくなったツンコを心配してマンションに訪ねてくることからはじまります。

驚きあきれる友達が片付けを手伝うのですが、部屋の主のツンコも、なかなか思うようには仕事がはかどりません。片付けながら、色々な発見があったり、捨てられない理由があったりするので、それぞれの人生模様が浮き出てくるのです。でも難しく考えずに、ユーモアに包んでいるので、気がるく観せて頂き、帰ってきてから、じんわりと、心の中の片付けということをも考えさせられるものでした。

永井愛さんらしい喜劇風の笑いのある作品です。昨今、よく「若い人は片付けない」ということをよく聞きますが、若い人だけではなく、中年も年寄りも、散らかした部屋に住んでいる人が増えているそうですし、ゴミ屋敷が社会的に問題にみなっている時ですから、初演は10年も前らしいのですが、今時ぴったしの作品です。しかも、国内に於いても、片付けられない問題が山積ですからね。(笑)

演劇であれ音楽であれ絵画であれ、芸術は、見る人、聞く人それぞれが、自分なりの観方をしていいものです。こんな自由は科学や数学の世界では、なかなかあり得ません。自由な鑑賞は、その人の知識や経験にもよりますが、楽しめたらいいものです。いくら○○賞を取った作品であっても、分からない、ツマラナイと思ったら、それはその人にとっては、あまり価値はないでしょう。

しかし、私などはもう間に合いませんが、子どもの頃から、いい作品、いい物に触れて大きくなっていくことは、芽を育てていく上では、大切なことだろうと思っています。

 

2014年3月22日土曜日

高校野球と涙

野球のことはよくわからない私ですが、高校野球は、感動させられることが多いので、地元の池田高校が久しぶりに出るということで、TVをみていましたが、何となく負けそうになったものですから、「みちゃおれん」気持ちになって、TVの前を離れました。地元の高校が負けて泣いている子などをみていると、「ああ、親はどんな気持ちか……」なんて思うと、胸がいっぱいになってしまうので、見るのを止めるのです。そんなとき、すごい歓声が挙がったものですから、もしや、と思ってTVの前にいきますと、点が入っているものですから、「これはもしかしたら」の気持ちです。
8回9回での得点さよなら逆転勝ちという思いもよらない展開で、池高が勝ちました。最後まで希望を捨てずに全力で戦い抜いた姿は、とても素晴らしく感動させられました。

プロ野球のように、成績と年俸が裏表の選手とちがって、高校野球は、どちらの学校であれ、負けて涙を拭う生徒の心中を察して、こちらも泣いてしまいます。甲子園までの長い血のにじむような努力があるだけに、どの生徒にも勝たせてあげたいと思います。

昔、小学校2年生の時に担任したB君が、甲子園に出たことがあります。9回裏の最後にバッターボックスに入って三振して、ゲームが終わりました。その時は、もう涙が止まりませんでした。バットを担いで運動場を行き来していた幼いB君が、晴れの舞台で活躍したことを嬉しく思う一面、どんなにかホームランを打って、逆転したかったろうにと思うと、辛くてたまりませんでした。

年をとりますと、ただでさえ涙線のゆるい私は、すぐに涙が出てしまいます。困ったものですが、ま、喜怒哀楽を感じるうちは、生きがいもあると思っています。

2014年3月21日金曜日

ごちそうさん


NHKの朝ドラを観ています。戦前戦後の不自由だった時代を思い出しながら、「この西岡家は、随分お金持ちなんだなあ」とか、「お金があっても、買えなかったなあ」なんて、回想したりして楽しんでいます。
ドラマを作っている方たちほとんどが、戦前戦後の本当のことをあまり知らない方たちが作っているのですから、事実は、もっと大変だったよ、なんて言っても仕方ありません。

特に、インフレや、通貨が新円に切り変わったりして、私たちの親たちは、何十年も働いてコツコツと髪振り乱して蓄えたお金が、殆ど紙屑のようになってしまったのですから、生きて行くのは大変でした。

親が嫁入り仕度のための保険をかけてくれていたのですが、当時20歳で満期になってみると、木綿のスカート地2メートルが買えなかったのです。今でも憶えているのは、水玉模様の布を買って、自分でギャザースカートを縫いました。その布代が三千円もしたのです。学生時代のことです。千円普請といって、千円で、立派な家が建つ時代に掛けてくれた保険は、たしか、千円だったと思います。満期になった千円が、スカートの布の前半分も買えなかったなんて、泣くにも泣けない時代でした。

それでも、農家で土地を持っている方たちは、食糧と、モノとを交換に来る街の人たちから、色々なものを手にしていましたから、けっこう贅沢ができたようです。沢山の嫁入り道具や着物を持って嫁入りしています。

私は、親からは、何も買っては貰いませんでした。私が長女であとにお金のかかる弟妹がおりましたので、私は教育だけでした。しかし、教員になっても、初任給が、革靴1足も買えない金額でしたから、生活で手一杯。普段着ばかりをもって、嫁入りしました。嫁入り道具は、いらないと、言ってくれたおかげで、何とか結婚できました。(笑)

苦労は買ってでもせよ、ということばがあります。苦労のお蔭で、どんな貧乏も、どんな食糧難も、乗り越えられるという、ヘンな自信があるものですから、年金がガタンと減っても、文句も言わずに暮らしているのですね、きっと。(^^)

 

2014年3月20日木曜日

片付け


片付けることがイヤではなく、どちらかしいうと好きで、片付け始めると時間を忘れる。……ということは、よく散らかしているということになるのだが、実は、そうでもなく、あちこちに置き換えるということをするのだ。机の中のモノにしても、それなりに片付いていると思うのだが、掃除を兼ねて片付けをはじめると、なかなか止められない。

今日は、夜になってから、箪笥の引き出しの整理を始めたところ、不用と思うものがたくさんで出て来て、部屋中が散らかってしまい、それをまた、ゴミ袋に入れようか、もう少し置いておこうか、なんて考えながら片付けていたら、もう眠たくなってしまった。()

というわけで、ブログは止めようと思ったのですが、おやすみなさいのご挨拶でも、と思って書きました。m(_ _)m

2014年3月19日水曜日

靴下へのこだわり


特別の正装の時以外、ここ何年も同じ靴下をはいています。普段はスカートは履きませんから、いつもズボン(パンツとは、なかなか言いにくい)の下は、黒の5本指で、軽い着圧のある膝下までの靴下です。冬もその靴下を履いてからタイツを履きます。

4年前?だったと思うのですが、東京の衣料品店で、3足1000円というその靴下を買いました。宿で履いてみますと、着圧のしまり具合が、キツクも無く、長さも、ちょうどいいので、また3足買い足しました。そればかりを履いていましたが、お安い品なので、あまり長くは持ちません。履き口が緩みます。同じような品は、あちこち探してもありません。他の良く似たものは、品は良いのでしょうが、圧がきつかったり、丈が短かすぎたり長すぎたり薄すぎたり厚すぎたりするのです。

2年ほどして、東京の孫に頼んで、同じものを6足買ってもらいました。四季を通して履くものですから、それも、また買い足したいと思って今年になって孫に頼みますと、その店がもうなくなっていて、あちこち探しても、同じものが無いというのです。ネットで探して、製造している会社と、その品番まで分かったのですが、目に就かないらしいのです。私は、会社に電話をして、送って貰おうと思ったのですが、小売はしない、靴下を売っている店にしか卸していないとおっしゃるので、「徳島なら、どこと取引しているのですか?」と聞きますと、何軒か教えてくれたので、その店に行ったのですが、他の商品は、たくさんあっても、私の求めるものはないのです。

そうなりますと、もう卸してもらうくらいの数を買おう、と思って電話しますと、在庫を調べてくれましたが、ありませんとのこと。「あの靴下は、もう製造を中止していますので、商店にもまずないでしょうね」とのこと。

製造中止ということは、あまり売れなかったということでしょうか。もうしかたがありません。やっと諦めがつきました。()

靴下の試着はできません。あんな履き心地のいい靴下を見付けるには、また、何足かの無駄な商品を買うことにもなります。そんな靴下が、箪笥の引出しにたまっています。(::)

2014年3月17日月曜日

祖母


子どもの頃、家業は小さな印刷屋だった。工員さんが3人ほどと、父母の5人でやっていた。母は、今でいう経理担当だったのだが、暇ができると、活字拾いもしていたし、名詞の印刷もしていた。そんな関係で、私は祖母と過ごす時間が多かった。祖母は、母の実母だつたので、娘可愛さで、炊事、洗濯と、こまめに家の仕事をしていたように思う。

祖母は、現在の徳島県阿波市の農家で生まれた。本人から聞いた話では、在所では評判の働き者だったらしい。「お婆ちゃんは、器量が悪く、背も小さいから、嫁にもろうてくれる人はおらんやろと思うとったけど、働き者だったので、爺さんのところへ嫁入りした」というのを何度か聞かされた。

その爺さんという人は、母がまだ結婚していないときに脳溢血で亡くなっているので、私は知らないのだが、祖母の言うことには、男前で役者のような人だったらしい。若い時から、よくもてて、よく遊んだので、祖父の母親と言う人は、「早く身を固めさせるのがいい」と思って、嫁選びをしたのだ。「息子の嫁は、器量よしで、顔や尻を撫でまわるような嫁では困る。働き者でなければ家がもたん」と言うことで探したらしい。それに叶ったのが祖母だったのだ。

祖母は、どうも男前の祖父に一目惚れしたらしい。しかし、結婚後も、祖父はかわらなかったのだろう。仕事もあまりしなかったのか、「こんな極道の長男では、すぐに家をつぶしてしまう。家は、弟に継がせることにする」といわれ、なにがしかのお金をもらって、二人で北海道という新天地に出てきたのだ。

祖父は、遊ぶことは遊んでも、お金儲けはしたのか、いい暮らしをした時代もあったようだ。しかし、相場に手を出して失敗したりするので、波乱万丈の人生だったとか。子どもは息子と娘のふたり。その一人息子を結核で亡くした祖父は、力を落としてすぐに病に倒れたらしい。

夫の死後、祖母は小間物屋を開き、私の母である娘を女学校を卒業させ、婿を自分の故郷から迎えたのだ。

私があるとき「お婆ちゃん、あの世でもお爺ちゃんと結婚する?」と聞いたことがある。すると「お爺ちゃんは、もうええ人見つけとるわ」と笑っていた。さて、あちらではまた夫婦してるかどうか。また一目惚れしているかもしれない。

私は、祖母が大好きだった。自分では、鼻が低いとか、何とか言っていたが、小柄で可愛いお婆ちゃんだった。身贔屓が強くて、私のことを賢いええ子だ、器量よしだ、何だかんだと褒めてくれたので、ある年齢までは、それが事実と思っていた。しかし、そんな事実ではないことを知る年頃になって、がっかりしたことを憶えている。祖母に文句を言うと、「それだけの頭と器量で何が悪い」(爆笑)と言う始末。そんな愛情を注がれた私は、母よりも祖母を懐かしく思っているし、恩返しのできなかったことという悔いも残っている。

2014年3月16日日曜日

ドライブ日和


今日は、昼から私用で香川県の志度まで往復して、120キロほど走ったのだが、時間がゆっくりしていたので、高松自動車道は使わず、行きは、御所、奥御所を抜けて白鳥に出て志度へ。帰りは、11号線で、海岸線を眺めながら鳴門回りで帰った。距離は、帰りが6kほど遠回りなのだが、時間は同じ1時間半ほどで、帰りの方が、快適な運転ができた。道路が良いからすいすい走る。

自動車道を走ると時間は半分もかからないのだが、高速は、周りの景色を観ながらというわけにはいかず、つまらない。急ぐとき以外は、高松程度の距離なら、いつも国道や県道を走ることにしている。本当は、高速の方が、危険性からいうと、危なくない。事故に巻きこまれたりすれば大変だが、滅多にそういうことはないし、普通道のように、飛び出してくる車もない。

以前、松山まで、2台の車で行ったことがある。自動車道のサービスエリヤでトイレ休憩し、買い物もし、買った物と財布を助手席に置いて、1分ほど隣の車の運転手(息子)と「ちょっとここでガソリン入れていくからね。この車はどうする?」なんて言って運転席に座り、給油所でガソリンを入れてもらってふと助手席をみると、財布だけが無くなっていた。素早い泥棒に驚いたものだ。
財布の中には、現金だけでなく、カードが何枚か入っていたので、すぐに使われないように手続きしたりして大変な目にあった。ああいうところには、もう専門の技術者が目を光らせているのだろうか。()

それ以後、車の施錠は、どこででもきちんとすることにしている。きちんとしすぎて、キーまでも閉じ込めてしまい、JAFさんにお世話になったことも1度だけではない。(^^;;

今日は日曜日で車の渋滞もなく、お天気もよく、暖かい日差しで、桜もちらほらと咲いていた。いいドライブ日和だった。

2014年3月15日土曜日

民主党大会


今日は、徳島県民主党の大会があった。私は、以前にも書かせてもらったが、仙谷氏の応援のために、民主党の党員になって、年会費をしはらっている。民主党が好きというよりは、仙谷党ですから、与党となった時点でサポーターから、党員に格をあげた。仙谷さんが、総理候補にでもなれば、選挙権があるかもしれないという、ヤマシイ心。()しかし、今となれば、一人でも多くの民主党議員を送り込んで、自民党の暴挙を叱る強い野党になってもらわねば、と言う思いなので、そのためにも、党員を止めるわけにはいかない。何の仕事もできないのだが、せめて会費だけは、納めようと思っている。

今日は、海江田代表も、来てくださり、お話もうかがったが、身贔屓な私は、仙谷氏が代表なら、対与党に、もっと強い押しがきくと思った次第。()

会のあと、【ふるさと資本主義政策塾】の名のもとで、東洋大学の教授・根本裕二氏の講演をお聞きした。主な著書に『朽ちるインフラ』『豊かな地域はどこが違うのか』などがあり、今日の公演内容は、インフラ老朽化問題からみる地域活性化ということだった。
お話をききながら、【これは大変なことだ】という思いがした。いままで、どんどんと作ってきたものが、殆ど何の手当てもせずに、きてしまったツケが、でてきているのだ。
50年たつと朽ちてくるのは当然なのだが、それぞれの地域では、補助金をもらっても、新しいモノばかり作ってきたので、それらを補修していくには、莫大なお金がかかり、とうてい出来ない。

これからは、老朽化した公共施設更新のさいは、用途転換が容易に出来るよう、多機能化して周辺施設を移転するとか、発想を変えていかなければならないこと。
例えば自治体の公共施設の半分は学校なので、老朽化した公民館や老人福祉センターなどは、学校を含めた複合施設にするなど、工夫が必要になってくる。
また、図書館などは、何台かの車での移動図書館とか、その街での店舗内での図書室づくりなどなど、民間を活用工夫することによって、新しい道もひらける。など、そうしたことをすでに実践している町村の事例などを出して説明してくださった。

水道管、下水、橋、トンネル、道路、など、直さねば大きな事故につながるものは、山ほどあるようだ。
町村によっては、しっかり将来を見つめてこつこつとやってきたところもあり、反対にそうしたことには目をむけず、ただ新しい目立つ物作りばかりを進めてきたところもあるという。
そんな話を聞くと、「私のすむ藍住町は?」と考えざるをえない。私たちの町は、人口的には増えている。発展しているのだ。スーパーや大型店舗もたくさん出来ている。ただ、個人商店は、振るわない。近くに店舗のないところに住む老人は、不便だ。

ま、いずれにしても、これからの日本には、大変な問題が山積していることには間違いない。国ばかりではなく、市町村民も、頑張らねばならないようだ。

明日は、仙谷氏がTV毎日放送の時事放談に出演される。朝の530分と早いが、是非みておこうと思う。(TBSは、6時から)

2014年3月14日金曜日

地震のお見舞い電話


今日未明、地震がありました。眠っていても、目が覚めるくらいの震度ですから、震度3くらいかな、と思いながら、蒲団から出るほどのこともない、とそのまま、蒲団の中でいたのですが、どこか近辺の府県が大地震か?の思いもあって、すぐにTVをつけましたら、「午前2時6分ごろ、近畿から九州までの広い範囲で地震があり、愛媛県西予市で震度5強、広島県呉市や大分県臼杵市で震度5弱を観測しました。津波の心配もありますので今後の放送云々」というようなことを繰り返し、早口で言い続けておりました。
何となく、マグニチュード9級の南海トラフ巨大地震の余震?ということも気になりましたが、そのうち、津波の心配はないということでしたので、ほっとしながら3時頃、再び眠ってしまいました。

7時起床。ちょっと寝坊をしました。
7時半、電話がなりました。「もしもし、ユキエです。地震、大丈夫だった?」開口1ばんに、私の安否を尋ねてくださったのは、北海道の友達、小学生時代の仲よしで、みんなの憧れのお嬢さんだったユキエちゃんでした。普段は、お互いご無沙汰ばかりなのですが、四国の地震ということで、心配してくださったのです。多分、あの未明のTVでの放送を観ていらしたのでしょう。今から思うと、ちょっと大げさと思われるほどの放送だったので、心配してくださったのだと思います。ありがたいことです。

電話のあと、暫く、ユキエさんと別れて始めて再会した北海道旅行を思い出しました。ユキエさんには、私の都合で室蘭まで出向いてもらい、短時間でしたがお会いすることができたのです。みんなのあこがれの的だったユキエさんが、同じように素敵な女性だったことが、私にはとても嬉しく思いました。慌ただしさの中にも私は、懐かしい胸のうちを、しっかりと燃焼させてきたのです。

そんなユキエさんが、今もとてもお元気で、「四国に旅行する機会作って、ぜひお会いしたいわ。会いましょうね」と。「ぜひ、いらっしてね」と、まるでお互い何十年も若返ったような気持ちになっておりました。

楽しかった想い出は、宝物と同じです。ほっかりと胸を温めてくれ、元気付けてくれたのです。いい一日でした。

 

 

2014年3月13日木曜日

百舌の会&クラス会


今日はホテルでの百舌鳥の会。10人ほどのおしゃべり会だ。毎月集まっている仲良しグループで、皆さん市内近郊の方たちばかりだが、このトシがくると、ちょっとしたことで、来られなくなる。
Aさんは、昨日鼻血が出たので今日は大事をとってお休み。Bさん、孫がB型インフルエンザにかかっているから、自分も菌を持って居るやもしれないので、皆さんの前に出ていって、菌をうつしたら困るのでお休み。Cさん、旦那さんが風邪気味なので、お休み、といった具合。

私は家に帰ってから、どうも腰の調子がよくない。会場の部屋が、掘り炬燵式なので、膝を折って座ることはないのだが、背もたれの無い掘り炬燵に2時間以上も座っていると、腰にこたえるのだ。

よそ様のふかふかの立派なソファーに座った時も腰に悪い。でも、そんなこと言って、キッチンの椅子を貸してくださいとも言えないから辛い。

この会の皆さんは、元教員ばかりなので、出歩くのは積極的なお婆さんで気は若いのだが、身体がどうも、という方が何人もいらっしゃる。でも、昼食後、お薬を飲みながらも、けっこう議論?は活発だ。

何のかんのと言いながらも、師範学校時代の同級生は、元気者が多い。

これが、女学校のクラス会となると、かなり違ってくる。もう、出掛けること事態が大層になってくるらしい。3月末に開くのだが、今年が最後のクラス会となりそうだ。

ただ心配なのは、家にいても、することがないという方たちが多いことだ。その点、農家に嫁いだ方たちは、何かかんかの仕事を今だになさっている。くの字に背が曲がっていても、元気で家の手助けをしてる。しかし、クラス会にはもう出てこない。元気でも、市内まで出てくるのは、大層らしい。

つくづく思うのは、やはり70代と80代の違いは、大きいということだ。60代と70代の違いは、あまりなかったのだが……。

何かにつけて、友達を引っ張り出したいという思いがあったので、クラス会のお世話をしてきた。集まるということは、お互いに元気をもらったり、励まされたりするもので、いい刺激になるのだ。古女さんが世話してくれなかったら、こうして集まることができない、と言って喜んでくれていたのだが……。

ま、仕方がない。一人でも多くの出席のはがきの来ることをねがっている。

 

2014年3月12日水曜日

ある老人の会話


A「高齢化の弊害ばかりが声だかに響くけれど、何となくヘソを曲げたくなるわ」

B「仕方ないわよ。事実なんだから。これから、どっと団塊世代が老人の仲間に加わってくるんだもの。どこ通っても、元気な老人ばかりになるわ。ほほほっ」

A「だけど、団塊の世代が、経済成長にも頑張ってきたのよ。目の上の瘤みたいに言うことないじゃない」

B「今はその団塊世代の高齢化が、国の屋台骨を揺るがし兼ねないと騒がれているのよ。なんたって、若者が少ないんだもの。仕方ないわ」

A「こんなことは、何年も前から分かっていたことじゃないの。団塊世代が働き盛りに積み上げてきた、たくさんの年金資金や、税金をどういうように使ってきたのか分からんけど、慎重さが欠けていたんじゃないかと思うわ。今更のように、この問題を声高く叫ぶのは、政府や役人のいい加減な認識の甘さとしか、考えられないわよ」

B「ま、そううことかもしれないけど、、こんなにも少子化になるとは、思っていなかったでしょうね。 少子化、人口の減少と、弊害ばかりが叫ばれているけど、何とかなるんじゃないかしら。日本人は、どんなときでも、頑張る民族だもの」

A「あんたは極楽トンボやものね。私はあの終戦当時の、朝ドラみていて、私らは、あの昭和20年代の苦しかった生活なんか見せられると、今の高齢者を邪魔者みたいにしたら、こらえんと思うよ」

B「邪魔者とは思うとらんやろう。国のやることには、不満もあるけど、個人個人は、皆、親を大切に思うとるやろうし……。ま、私らは、そんなに小さくなって暮らさんでええと思うし、堂々と生きとったらええやないの。僻むこともないし、ヘソ曲げることもないわよ」

A「高齢者が病気になりだしたら、自宅介護がええとかなんとか言うて、本人が、施設に入りたい言うても、施設に入れるのは、金持ちだけになるよ、きっと」

B「施設に入らんでもええように、元気でおらなあかんと思って気ぃつけていかんで。それが私らのような者の仕事と思うてな」

AさんBさんの言うことは、どちらも頷けるものがありました。


2014年3月10日月曜日

3年前の思い


明日は、朝から夜まで、忙しくしていますので、ブログはお休みいたします。震災の日のことを、一日早いのですが、犠牲になった方々のご冥福を祈りながら、書いておきたいと思います。

あの日は悪夢のような日でした。震災があったことを知ったのは、震災後、何時間かしてからでした。車の運転をしながら、何となく異常な雰囲気を感じました。吉野川の堤防付近では、拡声器で何やら言っていますが聞き取れません。

家に帰ってTVをつけたとたん、大震災のニュースでした。

それからは、連日テレビ情報に釘付けになっていましたが、犠牲になった方々のことが、頭から離れませんでした。

その後、しばらくして、何とも言いようのない、気持ちが私の身体の中をうずめました。それは、東北地方の方たちの素晴らしい人間像というか、不思議な風のようなものが、私たちを安堵させてくれました。ああ、日本人はこんな大災害に遭っても、暴動が起こることもなく、ただただ、皆で助け合いながら、頑張っている、素晴らしいと、今度は悲しみの涙が、嬉し涙になったのでした。
TVに映し出されるのは、被災地の避難民の耐えて生き抜こうとする懸命な姿でありました。しかも、不自由、不便、不満といった感情も、ただ助かったという感謝の気持ちの中に押し込めて、懸命に、歯をくいしばっておられました。「ありがとうございます」と、感謝の言葉がほとんどのような東北の罹災者の皆さん。私たちは、多くを学ばせて頂いたものです。

大自然の猛威には、私たちは何も手だしはできません。ただただ恐れ慄くばかりです。紙一重の違いで助かった方々にとっては、裸同然になっても、有難く、謙虚にならざるをえないのでしょうか。
そんな思いの中で、私たちは、いろいろなことをしっかりと認識させられたものです。日本と言う国の有難さ、豊かな生活の有難さ、そうしたことへの感謝の気持ちも、あらためて身にしみたものでした。

災害の恐ろしさを忘れてはなりません。そして、あの時に学んだ心も、忘れてはならないと思っています。

まだ寒さの残る東北。早く、暖かい日差しが輝くことを願っています。

 

2014年3月9日日曜日

復興の遅れは……


新聞テレビでは、3年になる大震災を返り見る報道が、次々と目の前に突きつけられています。罹災者の殆どの方は、復興の遅れを何とかしてほしいと願っています。

この3年間の前半分は、民主党政権でした。民主党政権は、震災の衝撃と、直後の緊急対策に追われた1年半でした。大変な目にあいながらも、よくやったと思います。

しかし、それからの1年半は、どうだったのでしょうか。安倍さんは、国会で追及され、答えに窮しますと、真っ先に民主党の無策を引用してそれよりましのようなことを言ってきました。もう、黙ってはいられない気持ちです。
自民党は、民主党のやったことの反省の上にたって、やっていると言いますが、それなら本格的な復興政策に全力を注いできたのでしょうか。憲法改正だの、何だのと、大多数の議員を獲得したことを武器に、自分勝手にやりたいことばかりに力を注いできたとしか思われません。
しかもその内容は、いらんことだつたり、今急ぐことでなかったり、まるで肝心なことは後回しということです。これでは、復興が遅れても仕方がないでしょう。
数の暴力、その上野党がまとまらないというか、このままでは、安倍政権の暴挙に日本はにっちもさっちもいかなくなる日がくるとしか思われません。

私の個人的なことですが、元民主党官房長官を務めた仙谷由人氏のフアンで、彼が徳島から国会議員を目指した時から応援してきました。それは、この方なら、野党であっても与党であっても、どんな時でも、日本の国のことをまず考える人であるし、何事も徹底的に研究したり分析したりする能力と、間違ったことには、怒り喰ってかかる弁を持つインテリであることに惚れたからです。
このような議員は、自民党としては、すごく煙たい存在でしたから、総選挙前には、【仙谷を何としても落とせ】ということで一致、徳島県内は、驚くようなひどい噂が流され、全く予期しない結果となって落選させられました。自民党の選挙網というのはすごいものがあります。
仙谷危ないという噂がたちますと、元自民党の大物議員や、被災地からは町長さんらが、「仙谷さんは落としてはならぬ」と、応援に駆けつけてくださいましたが、応えませんでした。
仙谷さんが、被災地にどれだけ真剣に取り組んだか、私たちは知らされていませんでしたが、応援にきてくださった方たちから、真実を聞かされました。やはり、心底罹災者、罹災地のことを考えての行動でしょう。
いくら流れが民主党に背が向けられたにしても、そうした自民党の『仙谷落とせ』のコールがなければ、常識ある県民は、仙谷氏を落とすようなことはしなかったと思います。この期にいたって、腰折れのように言われている民主党に、仙谷氏がいたなら、と残念でなりません。

とにもかくにも、1日も早い復興、罹災者一人ひとりの苦労と悲しみを早く何とかしてあげてほしいと願っています。

 

2014年3月8日土曜日

ソチパラリンピック


ソチパラリンピックが始まりましたが、何となく、盛り上がらないのか、NHKTV局などは、しきりに宣伝していましたが、オリンピックほどの情熱は感じられません。無理も無いと思います。障害を持った方たちへの理解があっても、競技そのものに、あまり興味がわいてこないのでしょう。
こういう私も、スポーツにはあまり縁のない者ですから、オリンピックは何とか興味のあるものは観ていたのですが、パラリンピックは、ほとんど観ていません。身体の不自由な方が、一生懸命に練習して、立派な成績を挙げるということは、オリンピックの選手以上に大変なことと思うのです。しっかり応援してあげたいと思うのですが、オリンピック同様、観ることには、力が入りません。

昔、徳島県で国体が開かれたことがありました。TVでは、何日間かは、国体の競技場から、いろいろな競技の放映をしていました。そのあと、やはり、障害者の国体が行われましたが、その放送は、何一つ有りませんでした。当時私は障害児教育にのめり込んでいたものですから、それはとても不服でした。障害者の家族にとっても不満だったと思います。
帰ってきた夫にそのことを言いますと、夫は気が短いものですから、NHKに電話をして喧嘩していました。徳島の局は、上からの指示がなかったので、と言い訳をしたものですから、「指示がなければ、こっちから言えんのかっ。障害者差別とちがうのか」と怒鳴り、更に東京のNHKにまで電話をして怒鳴っていました。()

まだまだ、障害者に対する差別意識があった時代でした。だんだんと意識が変わってきましたが、どんなに呼び名が変わっても、学校名が変わっても、健常者の気持ちが変わらなければ、何にもなりません。特に障害を持つ子どもたちを傷つけるような言葉や動作があってはならないと思います。

2014年3月7日金曜日

江戸の暮らし


最近の大消費型社会から、自然と共存できる社会を!ということが、よく言われています。そして、そのお手本を、江戸時代の暮らしに例えているのを読みました。そもそも江戸の暮らしぶりとは……。

・太陽に合わせた生活。……蝋燭を倹約するために、町人は、日の出、火の入りに合わせて寝起き。日の長さの変動に合わせて、時を刻む鐘は、15日おきに補正されていたのです。

・天下泰平……時代劇に出てくるような辻斬りや泥棒は、滅多になく、平和な街だったようです。お使いに出た丁稚どんが、財布をそこらに放り出して道草していても、安全だったといいますから、今とは大違いです。

・循環型の暮らし……布、紙、食品から人糞まで、徹底的に回収し、再利用され「捨てるものがない社会」と称されたのが江戸の社会とか。街には延長80キロの上水網が張り巡らされ、水源の河川の水質は、厳格に管理されていました。

・祭りを楽しむ……江戸の祭りは、天下祭と呼ばれるほど、市民は熱狂。もりあがっていました。

・粋な食文化……絢爛豪華な元禄文化から打って変わって、江戸中期からは、そば・てんぷら・寿司などの屋台が大流行しました。手ごろな価格でたべられた庶民の食文化です。

といったようなことが、「いきいき」という雑誌に載っていました。まあ、今の私たちの生活を江戸時代にはもどせませんが、心して、暮すことは出来そうです。現に、再生可能なモノの回収には、こまめにやっています。紙なども、小さなレシート1枚でも、集めて捨てませんから。()

 

2014年3月6日木曜日

脳活


脳も、年をとると海綿のようにすかすかになるので、色々と問題がおこってくるらしいのですが、脳トレなどがいいとか、指先を使うのがいいとか、色々と言われていて、たくさんの方がやっているようです。私も、読み書きがいいとか、炊事をすることが、ボケ防止だとか思ってやっていますが、脳の先生(加齢医学研究所・川島隆太氏)が、こんなことを書いています。

認知症の予防法として、【手と脳】はもてはやされていますが、大事なのは、編み物のように、目的を持って手を動かすということです。ほかには料理も脳にいいです。それは、献立と手順を考えて材料を切って調理して、お皿に盛りつける。ただ、作り慣れて身体が覚えてしまっている料理では、記憶に負荷がかからないから、効果はありません。新しい料理に挑戦するのが理想です。と。

ありゃりゃ。私の料理は、もう体が憶えているものばかりです。脳にはほとんど役にも立って居ないらしいのです。そうでしょうなあ。毎日食事の準備しているだけで、脳が衰えないのなら、女性の多くはボケないはずですよね。(笑)私のように、作り慣れたものを煮炊きして、鍋を焦がしたりしているようでは、ダメですね。

更に計算は、単純なものほど脳が活動しているというのです。読むのは音読をしているときが、黙読より効果的で、音読の場合は、脳全体の8割を働かせているそうです。

また、掃除、部屋や、モノの片付けは、考えながらするので、いいそうです。これは私も好きで、忙しい時等、やたらと掃除、片付けや、部屋の模様替えをしたくなります。

また、スマホをいじくっているときは、前頭葉の働きは、睡眠中より下がっているそうです。(まだ研究途中で原因不明)

反対に人と直接会って、コミュニケーションをとるというのは、非常に好い脳トレということですから、大いに、お友達とおしゃべりをいたしましょう。

といった具合ですが、文明は、私たちに便利を与えてくれましたが、反面、身体や脳を使わなくてもいいようにもしたようですね。

2014年3月5日水曜日

笑顔の効用


街中を歩きながら、ふっと「今、自分は、どんな顔をして歩いているのかしら?」と思う時がある。それは、すれ違った方の顔をふっと見て思うことが多い。中には、怖い顔をした女性もいて、睨みつけられたように思わず、こちらが俯いてしまうことがある。
そうかと思うと、にこやかに頬笑みかけてくださっているような方もいて、「おや、知っている方かしら?」と思ってこちらも笑顔になってしまったこともあり、相手は、特に私に向けた頬笑みではなかったらしく、視線は会わなかったのだが、その頬笑みは、その人の顔を一段と美しくしているように思えたりする。

普段の無意識の顔が、どんな顔なのか、自分ではよくは解らないが、多分、無愛想な顔だろうと想像できる。笑顔が自然に出てくるというのは、かなり難しいもので、「微笑みながら歩いてみよう」と心していても、いつの間にやら頬笑みは消えている。

以前、友人が、フラダンスを習っていて、その発表会を観にいったことがある。全員が、初めから終わりまで、笑顔で踊っているのには、ひどく感心した。いつも先生から、「笑顔、笑顔」と、注意をされてきたとのこと。なるほど、笑顔も訓練でモノになるらしいと感心したのだ。

やはり、笑顔は「怒っているのかしら?」なんて思われる顔よりは、ずっといい顔のはずだ。シワやしみが所狭しと増えているのだが、せめて【笑顔】がいつも自然に出てくる顔にしたいものである。

というのも、気持ちがいらいらしたり、ハラをたてたりしていては、笑顔にはなれないはずだ。まずは、顔かたちから、心を制する、ことだってできるのではなかろうか。化粧でシミやシワを隠すのもいいが、まずは笑顔や頬笑みで……、いや、それよりも、笑顔でいると、気持ちが何となく優しくなれるような気がするのだ。暇を見つけて、ちょっと鏡の前で、頬笑みの練習?をしてみようかな。(^^)

2014年3月3日月曜日

桃の節句だが……


今日は桃の節句。梅の花は満開。桃の花も蕾を開きかけているようだ。風はつめたいものの、陽射しの明るさは、もう春着で出掛けたい気分である。

我が家の雛人形は、もう10年以上も、戸棚の中で、眠っている。最近は、小さな人形に人気があるらしいが、孫が生まれた頃は、大きな雛段が流行りだった。大きい雛段は、飾るのも終うのも手間がかかるので、子どもが大きくなると、もう飾らなくなってしまう。子どもも「雛段は、もう飾らなくていいよ」と言うのだ。何となく人形が可哀想な気になるのだが仕方がない。


話は変わるが、悪夢のような女子高校生殺人事件の容疑者が捕らえられた。高校を卒業したばかりの18歳の男性。優しくおとなしい子だったという。成績も悪くはなかった模範生のような高校生が、いとも簡単に人殺しをするこの狂気。何とも言いようのない恐ろしさで胸が痛む。やはり、【死】ということの意味が、よくは分かっていないとしか言いようがない。

こうした事件を見聞きすると、いつも思うことがある。意味も良く解らぬうちから、テレビでいとも簡単に人殺しを毎日のようにみている子どもたち。死ぬことが、殺すことが、怖くも悲しくも無く、平気で見ている幼い子ども、命の大切さなんて、育たぬままに成長してしまうように思えてならない。嫌な世の中だ。

2014年3月2日日曜日

不穏


ソチオリンピックの熱がまだ冷めやらぬというのに、ロシアのプーチン大統領は、政変で混乱が続くウクライナに軍事介入することを決めたとか何とか言っている。

こうした戦争をする、しないを決めるのは、国のお偉い人たちばかりである。市井の人達は、戦争なんて、望んではいないだろうのに。しかも、戦争で苦しめられるのは、何の罪も無い市民がほとんどなのだ。

戦争の馬鹿らしさ、悲しみ、怒りを嫌と言うほど味わったがゆえに、「どんなことがあっても、日本は、戦争をしない平和国家だ」と決めたのだ。だから軍隊もつくらなかったはずだ。こうしたことが崩れて行くようなことがあっては、再び不幸な戦争にまきこまれることがあるかもしれない。戦争を体験してきた私たちの年代の者は、どんなことがあっても平和を守り抜かねばならない、という思いは強い。

人類の歴史が始まって以来、この地球上で闘いのとぎれたことはほとんど無かった、ということは、人間が愚かな生き物であるということなのだろう。戦争をすることで金儲けをしているひとたちもいて、そういうひとたちに踊らされていることもあるだろう。

日本だけは、そんな戦争の片棒など担がされることのないように、憲法で守ってもらいたいものである。

2014年3月1日土曜日

お魚は……


最近、食事の内容がよくないと思うことがしばしばある。むろん、卵は毎日3個は食べているのだが、魚や肉は多くはない。特に魚は匂いが強いものは食べにくいので敬遠しがちだ。魚は高級魚よりも、背の青い魚が身体によいのだから、生きのいいサバやイワシなどを、うまく料理したらいいのだが、それもなかなかできない。マーケットに並んでいる鮮魚を買って、自分で捌いてどうこうするのは、もうたいそうなのだ。パッケージされているのは、何となくイキがよくないイメージがしてしまう。

野菜類は、たくさん食べているつもりだが、一人住まいなので、同じものを朝晩食べるということが多くなる。よく一日30品目と言われていたが、私は一食10品目ということで、以前からやっているのだが、朝昼晩と重なっているものもたくさんある。若い者とちがうので、それで十分なのだが、死ぬまで元気でいたいので、バランスのいい食事は大切だとは思うのだ。

そこで珍しいことだが、最近よく宣伝している魚をあまり食べない人のためのDHA関係の魚油加工食品という錠剤をネットでさがして送って貰った。しばらく続けてみることにして、割安の半年分をすでに買って有る。飲まないわけにはいかない。

余談になるが、マーケットでイワシをみると、ときどきあの有名だった土光敏夫氏を思い出す。NHK特集では、メザシを食べる質素な生活ぶりが視聴者の共感をよんだのか、一躍メザシと土光さんは有名になったものだ。
ただ、後日談では、あのイワシは、知人から送られてきた上等のウルメイワシだったそうだ。3匹が1000円もするイワシとか。「普段は煮干しを喰ってるよ」とおっしゃっていたが、本当かどうかは分からない。(笑)