2012年10月31日水曜日

古典の日


いよいよ10月も終わりです。もう晩秋という感じですが、まだ半袖の元気な方もいるものですから、晩秋には早すぎるのかもしれません。

今日10月31日は、古典の日だそうです。知りませんでした。新聞を見て、「そんな日ができたのか」と、思ったことでした。新聞にも、認知度が低いとありましたが、そのはずで、法制化されて、初めて迎える『古典の日』だそうです。やはり、こうしたことには、熱心に法制化にとりくんできた方がおられるのは当然のことで、瀬戸内寂聴さんや、日本文化研究者のドナルド・キンさんらの文化人が運動をすすめてこられたようです。

私は、自分でエッセイなど書くのが好きなくせに、まったく古典に弱く、勉強していませんので、悔いているのですが、若い方たちは、やはり興味をもって学んでほしいと思っています。

古典離れは、かなり以前からすすんできたようで、国文学を学ぶ学生以外は、古典に接するのは、受験勉強まで、ということらしいので、やはり、学校教育の責任もあるように思います。

私自身をふりかえってみますと、女学生時代、まともに古典を学んだことは記憶にありません。多分、何か忘れましたが、古典のある一部分の文章が国語の教科書に出ていて、それを学んだのでしょうが、ただ書いてある意味をなぞったくらいで、深くは学んでいないはずです。
 
師範に入って、初めて『増鏡』を学んだのですが、ただ分かりにくい文章を現代語に訳して行くだけの授業で、何の興味もわきませんでした。『初めが肝心』というか、習うべきときに、きちんと習っておかないと、なかなかモノにならないのは、古典にかぎったことではありませんが、とくに国語や英語のようなものは、中学校の教育は、肝心と思います。頭の柔らかい海綿のように、吸い取っていく時代こそ、いい教師に恵まれることは、大切なことだと思うものです。

無論、高校、大学で、そうした教師にめぐまれて、目覚めていくこともあるでしょうが、私のような、凡人は、土台の教育が出来ていなかったら、なかなか高くは築くことはできません。当時の先生を恨むわけではありませんが、もっと魅力ある古典の授業をしてくれていたら、なんて恨みたいですね。(笑)
やっかいな文法や活用形だけを、ムチをもった怖い先生が、机をしばきながら、ひとりひとりに言わせて、机間巡視していたのを、懐かしく思い出しはしますが、何も憶えていない。(^^;;
 
先生に責任をなすりつけたりして、ほんとに悪い教え子であります。先生、ごめんなさい。m(_ _)m

2012年10月30日火曜日

根性


長い間、同窓会の世話役をしてくださっていたMさんが、何日も前に亡くなられていて、家族・近親者だけでの葬儀もすまされていたことを知りました。ご病気で、入退院を繰り返されていたのですが、ご本人が、「早く同窓会に出れるように頑張ってリハビリに励む」とおっしゃっていただけに、残念なことでした。

そんなかかりで、今日は、遅ればせながら、同窓会の世話役4人で、お焼香にうかがったわけであります。

彼は、病人であっても、見舞い客を笑わせるような、とても楽しい方でした。昔からそんなサービス精神があって、学生時代も、教室の中で難しい講義を聞いているとき、ひょいと罪のないヤジをとばしてその場の空気を和らげたりしてくれたものです。そして自然に周りを楽しくしてくださる才能は、抜群でした。

「根性」ということばの解釈をきいたことがあります。「根性とは、根の性質のこと。土の中にあって、人の目にはつかないが、土の上に出ている部分を育てる役目があって、しっかりと、根を張る。堅い石や岩があると、無理せずにそこをよけて根を伸ばす。そんな根の性格がええ根性ということだと思う」と。なるほど、と思って聞いたのを思い出しました。

Mさんは、そういう根性をお持ちでした。教師時代も、管理職時代も、人生の歩み方も、そうした根性で押し通したように思います。けっして出世主義ではありませんし、上の方にゴマを擂ることなど大嫌いな方でしたが、お人柄も頭もよかったし、腕利きでしたので、出世なさいましたが、そういうことは、いっさい関係なく、いつの時代も子どもたちのことを考える教師の姿勢をくずしませんでした。管理職時代以外は、ほとんど知的障害児教育にうちこまれていましたので、私もよくご指導をあおぎました。「根性」の話をお聴きしたのも、その頃だったと思います。私の夫ともウマアイでした。今ごろは、あちらで「よう」なんて言って、話がはずんでいるやもしれません。

心よりご冥福を祈ります。

 

 

2012年10月29日月曜日

時刻表通りに


今日は、知人を駅に迎えにいった。かっちりと、時刻通りに列車は着いた。10秒の狂いもなく、である。

日本ほど、ダイヤ通りに列車が発着する国は、珍しいらしい。何かの理由で、数分でも遅れると、すぐに謝りのアナウンスが流れる。

ある方が、ある外国で、列車が10分遅れて着いたら、周りの人達は、驚いてしかも、大喜びしていたとか。1時間や2時間の遅れは、日常茶飯事なのだそうだ。

以前、JR福知山の脱線事故の時、運転手が、1分半の遅れをとりもどそうとしたのが、事故の原因ということが報じられたが、外国人の目からみると、信じられない事故というか、日本の国だから起こった事故、というようなことが書かれていたように思う。

ある会に出なければならないときに、車の渋滞に巻き込まれたことがある。「困ったなあ」と、思ったとき、「そうだ、駅から、汽車に乗っていくのが早い」と気が付いて、駅前のマーケットに車を乗り捨てて、列車に乗ったことがあった。汽車は15分ほどで徳島駅に到着した。車なら、1時間もかかるところだった。こんな具合で、バスはあてにならないのだが、鉄道列車は、事故でもないかぎり、定刻に着いてくれるので有難い。

外国のよく遅れる列車は、乗る人たちも、慣れていて、怒ったりする人はないという。いらいらしているのは、日本人だけなのかもしれない。

何時も遅れる列車が、定刻に発車したりしたら、乗客が怒ったという笑い話もある。
「どうしてくれるんだ。いつも遅れるくせに! この責任はどうしてくれるんだ!」「ご安心ください。今の列車は、昨日の列車です」()

2012年10月28日日曜日

朝からバイキング(^^)


話を横道から入らせていただきますが、徳島市内のよしのやというお店で、初めて〝モーニング〟をいただきました。
バイキングで食べ放題のモーニングは850円。日曜日ということもあったためか、随分たくさんのお客様が家族連れできているのに、まず驚きです。ほとんどが若い方たちと中年。年寄りは、私ども以外は見当たりません。日本の食文化の変わりようというか、朝から家族連れで外食、ということなどは、私らには、あまり馴染みのないことなのです。いただきながら、年寄りは、バイキングにはあまり来ないはずやなあ。なかなか元はとれないもの、なんて、思ったりしました。(^^::

今日は、【花の会の役員会】ということで、上記のように、よしのやで、朝から仙谷議員を囲んで、〝バイキング〟に舌鼓をうちながら、わいわいと意見交換を致しました。こうした時も、「いつでも国の舵を握ってもらっても問題ない総理級人物」と思う仙谷議員ですが、『私たちの仲間』といった感覚で接していただけるものですから、今回も楽しく1時間半という時間を過ごすことができました。

解散が近いと言われているのですが、仙谷議員にも、解散がいつのことなのかは、まったく解らないということでした。私たちも、気持ちを束ねておくということで、集まったわけです。
 
何度も言うようですが、世間では、民主党が政権交代後、何をしてきたか、ということに、ひどく厳しいというよりは、間違った評価をしていることで、誤解をされつづけています。そうした誤解を少しでも解いて、ただしい判断をしていただくことが、民主政治の基本と思うのです。

そうはいうものの、中には、民主党を高く評価してくださっている方もおります。下記に載せますのは、私等の文芸仲間の『渡辺健一氏』が、以前寄せてくださった文章です。ぜひ、読んでいただきたく思うので、途中略させていただきながらですが、載せさせていただきます。

 野田総理大臣殿                 

私は、あなたは政治家としてしっかりやっていると思います。国会で消費税増税と社会保障の改革を通しました。消費税の増税だけでも、これを実現できたら、その実績は後世に残ると思っていました。ただ、今後事項に移す際、分かりやすい宣伝が必要です。日本国民は、大多数が、政治に無関心の、マスコミに踊らされやすい国民です。これは、以前から言われていることですが、英国のような多くが洗練された政治思想をもった国民ではありません。したがって、消費税増税についても、国民に対して、「貴方は、今、子供や孫を助けますか、それとも膨大な借金を子供たちに負わせますか」。こうした分かりやすい言葉で良いと思います。何度も何度も国民に訴えること。これで、過半数の国民が納得するようになるでしょう。今でもかなりの国民がやむを得ないことと考えているのです。 それで、税と社会保障の一体改革を成し遂げること、これが大事です。

そのほか、TPPも早急に進めなければなりません。これを進めなければ、後世につけを回すことになるでしょう。しかし、党内に、鳩山のような、人を平気で裏切る人間とその取り巻きがいては、困難と思います。まず、自民党、公明党と協力して消費税増税と社会保障の一体改革を成し遂げ、その上で解散をすること。そうでないと、自公の協力が得られないようになり、国会をせっかく通した税と社会保障の一体改革もだめになるでしょう。解散をすれば、民主党全体の議席数は減るでしょう。しかし、野田、前原グループなどの今民主党を支えている良識派、改革派の議席数は躍進させなければなりません。全体では減少しても、改革派は躍進させること、小沢新党、鳩山グループなどの守旧派を壊滅させること。そして、小沢、鳩山を政界からしりぞいてもらうこと、やってほしいです。選挙では、党内の所属グループをはっきりさせてもらいたいです。改革派か守旧派かで。

永年民主党を支持してきました。それは、自民党という一つの党がずっと権力を持ち続けるのは良くないと考えたからです。事実悪い面が多々出ていました。したがって、民主党への政権交代は、大いに期待していました。

小沢にはもううんざりしています。国民の大多数が彼の金の問題に対して黒と認識している人物です(国民の目を馬鹿にすべきではありません)。彼は、剛腕と言われますが、どこが剛腕でしょうか。常に権力の傍にあり、自民党、日本新党、今また民主党とたえずその党を内側から壊してきただけの人物ではないですか。とても剛腕とは認められません。彼が、政策面で何か剛腕ぶりを発揮したのでしょうか。

哲学者の梅原さんが、彼との対談後、評して「彼は大きな子供のような人物である」と評したことがあります。哲学のない、権力が好きなだけの人物と受け取っています。時の首相が何かをやろうとした時、それをねたみ、妨害しただけのように思います。彼が権力の傍に着いてから日本の政治は何も進まなかったといってもよいかもしれません。政治には、哲学が必要で、また、大義で動くことも必要です。彼には、そのどちらもありません。

解散を恐れないこと。民主党など、潰しても良いではありませんか。新民主党を立ちあげれば。 
勇気を持って進んでください。  渡辺 健一
 
 

 

2012年10月27日土曜日

微笑む


人ごみの中を歩いていると、いろいろな方とすれ違う。中には、怖い顔をした女性もいて、睨みつけられたように思わず、こちらが俯いてしまうことがある。
そうかと思うと、にこやかに頬笑みかけてくださっているような方もいて、「おや、知っている方かしら?」と思ってこちらも笑顔になってしまったが、相手は、特に私に向けた頬笑みではなかったらしく、視線は会わなかった。でも、その頬笑みは、その人の顔を一段と優しく美しくしているように思えた。

でも、実際にすれ違う方たちのほとんどは、すまし顔か、怒っているような顔が多いように思う。

そんなとき、はっと思うことがある。【今、私はどんな顔で歩いているのだろうか?】と。

普段の無意識の顔が、どんな顔なのか、自分ではよくは解らないが、多分、無愛想な顔だろうと想像できる。笑顔が自然に出てくるというのは、かなり難しいもので、「微笑みながら歩いてみよう」と心していても、いつの間にやら頬笑みは消えているのだ。

友人が、フラダンスを習っていて、その発表会を観にいったとき、全員が、初めから終わりまで、笑顔で踊っているのには、ひどく感心したものだ。いつも先生から、「笑顔、笑顔」と、注意をされてきたとのこと。なるほど、笑顔も訓練でモノになるらしい。

やはり、少々シワが目立っても、笑顔は「怒っているのかしら?」なんて思われる顔よりは、ずっと優しく美しい顔のはず。私も、友人に習って、「笑顔」がいつも自然に出てくる顔にしたいものだと、前々から思っているのだ。というのも、気持ちがいらいらしたり、ハラをたてたりしていては、笑顔にはなれないはず。まずは、顔かたちから、心を制する、ことだって出来るのではと。

化粧でシミやシワを隠すのもいいが、まずは笑顔や頬笑みではなかろうか。お金も手間もかからずにできることなのだ。……と、思うのだが、ほんと、ほほ笑むというのは難しいなあ……。大声で笑うことは易しい。それだけの理由があるので自然体だ。顔の筋肉まで堅くなっているのかもしれない。いつも自然にほほ笑んでいるようなお顔の方は、本当に優しい方なのかもしれない。(^^)

2012年10月26日金曜日

人生遍路旅


四国遍路ということばが、いつも身近にあるところに住んでいるためか、人生双六ではありませんが、四国八十八番札所までは辿りつきたい、という願いがあります。そういう想定にしてみますと、今日は、香川県善通寺市の八十二番札所 曼荼羅寺にたどりついたであります。

徳島県鳴門市の一番札所、霊山寺を出発して、高知、愛媛を過ぎ、香川と最終県に入ってもう幾寺もすぎました。振り返りますと、山あり谷ありの遍路道でしたが、大きな災難もなく、人並の人生を歩んでこられたことに、感謝しています。お目出度いことでもあります。

私の親は、八十八歳までは、生きてはくれなかったので、少々甘い想定かもしれません。が、まあいいとしておきましょう。平均寿命も延びていることですから。……とすれば、これからの人生こそが、胸突き八丁坂だろうという思いです。それなりの覚悟がなければ、などと、朝から、何となく、背すじを延ばしています。(^^)

今日は、いいお天気です。讃岐山脈の稜線がくっきりと白い雲に縁どられています。その上を流れる雲を見ていますと、大自然の中に生かされているちっぽけな自分を忘れてしまいそうです。大自然の中に溶け込んでいる気分です。

「遍路旅がしたいなあ」ふと思いました。まだ一度もしたことがありません。団体旅行気分の遍路旅ではなく、しかと自分を見つめる歩き旅がしたい、と思うのですが、もう体力がありません。無理です。今までにするべきでしたが、なかなか実行しようとはしない自分がどこかに居座っていました。

今となれば、したいという思いは夢ででもありますから、夢を持ちつづけていくことにします。心の中で旅をするのもいいでしょう。どんな形であれ、旅は可能でしょう。「頭を垂れるだけでいい。内から生えたトゲが抜ける気分になるだけでいい。一枚の名画から、美を感じるも、醜を感じるも、それは自由であるように、お寺巡りも自由であっていいだろう」と思います。

その旅の終わりは、ひと回り膨れた気球のように、新しい視界が広がって、新しい旅路を迎えられるのではないでしょうか。

そんな夢をいだきながら、胸突き八丁坂を登っていくのもいいじゃないか、と思っています。

2012年10月25日木曜日

買い物

今日は徳島市内での書道の県展を見てから、そのあと、シャッターがあちこち降りている商店街に出て、靴を買いました。靴は、どこにでも売っているのですが、なかなか足にぴったりというのが見つかりません。不思議なことに、店内では履心地がいいのに、帰って履きはじめますと、不具合が出てくるのです。昔、あるカバン店で買った靴が、ぴったりと合って、いつまでも履いていたのを思い出して、その店に行きました。いい買い物をしたかどうかは、まだ解りません。

その靴屋さんの近くに、知人がお勤めし始めたという高級婦人服のお店があるので、ちょっと立ち寄りました。まったく買うつもりはありません。……というより買えません。目のお正月です。世の中には、お金持ちが大勢いらっしゃるらしく、そのお店のお客様の多くは、いらっしゃると、何点もの品物を抱えて帰られると聞いて「へえー。そんなものなのか」と、感心しました。ちょっと考えても、ウン10万になります。

その帰り、夢タウンに、寄りました。夢タウンという大きな店舗が私たちの町に出来たものだから、とても便利になりました。家から車で10分も走れば着きます。徳島市内にあるデパートは、かなりお客が減っているのではないかと思います。1時間300円の駐車料金を払うデパートには、ちょっとした買い物には行きません。2000円か3000円の買い物で、1時間無料ということは、その金額にするために、無駄な物を買うこともあるのです。家計を握る主婦は、ストレス解消のため、ちょっと贅沢なこともするけど、そういうケチケチ精神もあるものです。
 
夢タウンでは、化粧品を買いました。何日か前にカラッポになっている化粧品のビンを逆さに振りまわして今日の日を待ちました。「割引の日」なのです。これもよく考えてみますと、おかしなものです。私の部屋には、「こんなもの、買うんでなかった」という品が、幾つも置いてあるのですから。

しかも、欲しくて買ったものではありません。32万円の健康器具は、農協からとかいう女の方が来て、言葉巧みにすすめてくれたもの。半分農協への義理みたいな気持で買ってしまいました。使っても何の効果も無い感じなので、ほとんど使わぬまま放置してあります。同じく足のマッサージ機も10万円もしたのに、めったに使わない。洋服も薦められるままに脱いだり着たりしていると、何か買わないと悪いと思って買ってしまい、ほとんど手を通さぬまま、ぶらさがっているものは、見るのも悔しい。……といったように、無駄な買い物はそこら中にあります。ま、こういうことをしていては、どこかでケチケチしないといけないハメになるのも当然でしょうね。()

化粧品というのも、若い時は、何でも安物でよかったのですが、シミや皺が増えてくるにしたがって、高い品を使いたくなるものです。でも私は、そうしたものが、あまり効果がないことが解りましたので、そこそこの値段のものばかり使っています。自分で体験したわけではありません。高級品を使っているらしい方達のお肌の状態を観察しての結果です。()

化粧はやはり年を寄せても、たいそうがらずにしなければと心がけています。素顔のままでは、外には出て行けない。相手を驚かせてしまうからです。人違いかと思われても困ります。私の妹のひとりは、まったくの無化粧で70年を生きていますが、そういう人は、人を驚かせることはないでしょうが……。
こんなこと書きますと、いかにも厚化粧したお婆さんと思われそうですね。自分では、薄化粧で上手く化けてると思っているのですがね。(笑)
いらんことまで書いてしまいました。(^^;;

2012年10月24日水曜日

ままならぬ一日


朝、6時半に目が覚めた。5時間ほど眠っていたことになる。いつ寝ても、5時間程で目覚めてしまう。最低、6時間は眠りたいと思っているのだが、2度寝はあまりしない。よほど早寝して、3時や3時半などに目がさめたら、2度寝をするのだが、そんな時でも、なかなか寝つかれず、読書のまま、朝を迎えることも多いので、よほどの疲れでもない限り、12時近くまで起きていることが多い。

昨夜は演劇のシニア塾の日だった。塾の終わった9時半から、先生に、次回公演(来年5月19日)の脚本のことでご指導を受けていたものだから、家に帰りついたのが10時半。それからパソコンを開いて仕事。気が付いたら1時半だった。私が時間を忘れて熱中してしまうのは、何かを書いているときくらいだ。「わっ、こんな時間だ」と思うと、急に眠気が襲ってくる。入浴もせず、歯磨き洗面もそこそこに寝床にもぐりこむ。眠り薬の読書など不要。すぐにシャッターが下りる。

朝は、目が覚めたからといって、すぐに用ができるわけではない。まず「ああ、今日も何とか生きているわい。今日一日は、予定通りの生活が出来そうだ」と感謝しながらトイレに行き、再び横になって、動きにくい節々をほぐす。寝ている間、血のめぐりが悪いのだろう。首や肩、手の指などがこわばっていて痛い。手首をぶらぶらさせたり肩をまわしたりしながら、10分か15分ほど動いて、やっとエンジンがかかった気分になれる。よいこらしょと床を離れる。
 
私と会う人々が、いつも「お元気そうだ」と言ってくださるのだが、こうした毎朝のことを思うと、「健康じゃないですよ」と、言いたいのだが、「まあ、何とかカラ元気出してやっています」と答えることにしている。

朝は殆どの日はTV画面を見なくてもいい音楽番組をつけっぱなしにしてあれこれと用事をする。洗顔、化粧、朝の食事の用意、洗濯、ゴミ出し、掃除と、けっこう忙しい。朝だけではない。我が家は、用事を捜せば、いくらでもある。
 
柿の木を見上げると、食べごろの柿が幾つも鳥につつかれて、傷ものになっている。これでは、人様にちょっと差し上げたいと思っているのに、次々とやられてしまうと、身支度をして柿をちぎることにする。高いところに生っているものだから、大変だ。
近くで畑仕事をしているTさんに、20個ほど差し上げようと思って長い柄のついたハサミを振り回して、やっとちぎって差し上げたのはいいが、手や肩や腰が痛くなるし、身体はしんどくなるし、どうにもならない始末。こうなると、何も手にすることもできず、ごろりと横になる。昼から県展の第2部を観に行くつもりだったが明日にのばすことにして……。

ま、「無理せず楽せず」の座右の銘のとおりではなく「無理せず楽して」ということで、予定通りにはならずの一日が終わりました。(^^;;

2012年10月23日火曜日

ロマンチスト


私がロマンチストというわけではありません。ロマンのある人が好きということであります。夫との結婚もそうでした。めっぽう短気で、いいかげんな所のある男でしたが、ロマンのある人だったし、望まれたので、先輩同僚から「苦労するぞ」と脅されましたが、夫婦になりました。
皆さん、よく見ておられました。おかげで苦労はしました。短気で経済観念のない人でしたから。()

でも、最後まで逃げ出さなかったのは、相手のロマンを大事に思ってあげられたからだと思っています。大きな子供を抱えたようなものだと思うことで、何とか持続できたのです。(笑)
今は、何の後悔もありません。夫にたいしても、ああすればよかった、こうすればよかった、なんていうことがないのです。
自分なり出来る範囲のことをしたという満足感があります。ちょっと傲慢ですが、他人さんはどう思うかは別で、私としては、あれ以上は無理、精一杯ということですから、傲慢でもなんでもないと思うのです。
考えてみますと、私は、何でもすぐに信じる単細胞で、安易に満足してしまうタイプみたいです。 おまけに、私のロマンは、ロマンにあこがれる、単なるエセロマンチストです。でも、けっこう自分流の生き方に満足しています。

夫は、自分の仕事には、情熱をもっていて、夢がありました。それは、耳の悪い身体障害児の教育で、その夢のためには、無茶苦茶することも、いといませんでした。夫は、聾児の教育は小学校からでは遅すぎる。ゼロ才からの母と子の教育をしなければならないという主義でした。普通、子どもが言葉を憶えるのは、産まれたときからの周りのことばかけによって憶えていくので、それと同じように、いつも母親が、そうしないと、子どもは伸びない、教育効果があがらないというのです。でも、相手は、耳の悪い子です。どのようにことばかけをしていくか、教育していくか、それを学校で子どもと共に学び、家に帰ってそれを子どもと共に学習していくのです。学校も、教育委員会も、そんな予算がないと突っぱねます。予算がないは、やる気がない、と思うものですから、とことん上に向かってゴネます。少なくとも、幼稚部をつくることからはじめてくれるよう、要求します。

たまたま理解のある校長先生がいらっしゃって、校内でやりくりして、

1年保育が出来ました。しかし、それができると委員会にまた無理をいって2年保育、3年保育と要求は次々出てきます。教育委員会は、「金がないのに5円くれというのでやればすぐ10円くれ。10円やればすぐ20円くれと言う」と怒ります。怒られたって平気です。

しかし、理解ある校長ばかりではありません。委員会にタテツイテまで、子どものことを考えないのです。あるときは、「委員会がダメダといったら校長はそれに従うものなのだ。できるものなら、お前が校長になったらやったらええ」と。正論なんでしょうが、夫は家にかえってきても怒りまくります。ボロ校長にドがついて。(笑)

上司もたまったものではありません。でも、やはり私は夫の言い分を信じました。子どもの幸せのためには、出来る努力はするのが正しいと。

そのうちに、やっと夫等のやっていることが、認められて、とうとうゼロ歳教育にまでこぎつけました。

こんなメンドイ夫でしたが、死後、障害児を持つ母親、そして子どもたちには、笑顔を忘れなかったと聞いて驚きました。にこやかな遺影をみて、「ああ、こんなお顔でいつも教室に入ってこられて、子どもに話しかけてくださいました」とおっしゃるのです。「先生に出会っていなければ、子どもといっしょに死んでいた」といった親ごさんも何人も来てくださいました。そうした親ごさんたちの苦しみを、本心耳を傾けて共感出来たのでしょう。人間味のある教師だったようです。

苦労のストレスのはけ口は、釣りと家庭でした。理由もなく怒られたりしましたが、「鬼には仏が必要」と我慢。と言えば聞こえがいいのですが、私も呑気者ですから、そんなにハラもたちませんでした。「勝手に怒っとれ」と柳に雪折れなしで、どこ吹く風です。保身術でもあります。

息子も、家庭での父親には、かなり反面教師的な思いもあったようですが、死後、父親のしてきた仕事をだれかれに知らされて、「親父は、尊敬出来る教師だったと思えるようになった」と私に語り、私もほっとしました。

世間には、いろいろな生き方があります。

幸せの物差しは、人それぞれに違い、一概にどれがいいなどとは言えないので、自分好みの生き方をしていくだけです。どちらにしても、悔いのない生き方こそが、幸せと思うのです。

教師を辞めてみると、世間は広いなあと感じました。ロマンのある方がたくさんいらっしゃいます。そんな方たちが、一生懸命になっていらっしゃるのをみますと、男であれ女であれ、惚れ惚れしますねえ。得てしてそういう方は、自分のことは後回しで、奉仕の精神が背骨を貫いているようです。

この歳になりますと、人間の裏も表も見えてくるので、ますます人間好きになります。隠された部分にだって、いいところはあるものです。

多くの方たちとの出会いは、幸せなことだということですね。

2012年10月22日月曜日

ユーモア


人間は、笑う事がとても健康にいいことらしい。ユーモアのある方と話をするのは楽しく、一緒にいても退屈しない。その上健康にいいというのだから、こんないいことはない。このユーモア精神というのは、サービス精神と表裏一体ということかもしれない。

金さん銀さん姉妹が、たくまざるユーモア精神の持ち主でいらしたことは記憶に残っている。100歳を越してから、人気スターになったお二人は、かなりのお金が入ってきたに違いない。ということで、あるお方が「お二人は、この収入を何に使われますか?」と尋ねたところ、「貯金します」と。「貯めてどうするんですか?」というと、「そりゃねえ、老後のためですよ」とおっしゃったものだから、皆さんが笑われたとか。
こうしたユーモアがお二人の人気のもとだろう。

そういえば、昔、徳之島の泉重千代さんという男性が、120歳まで生きて、ギネスブックに載ったとか、取り消されたとかいうことが言われたことが記憶にある。年齢がどうも正確でなかったらしいのだが、それでも104歳以上生きられたのは事実のようだ。その彼も、「どんな女性がいいか」と問われたら、「やっぱり年上の女がいい」と、答えて、周囲を笑わせている。この世にはそのような女性はいないのだから……。

元気で長生きで出来る人は、常にユーモアが出てくるくらいのゆとりが気持ちの中にあるらしい。

そうはいっても、私はユーモアがすぐに出てくるような、気の利いた人間でないので、万一長生きしても、ユーモアは出そうにない。自分の失敗談で人さまを笑わせることも、ないではないが、同じことを何度も披露するわけにはいかないし、第一、失敗談など、どこででも、だれにでも出来るものではない。ちょっとした会話の中に、相手をくすりと笑わせるような、ユーモアが身につけばいいのだが、至難の業である。

こうした笑いを誘う天才的な方もおられる。電話でTさんと話していると、30分もの長電話であっても、私はほとんど笑いっぱなしなのだ。こればかりは、持ってうまれたもののような気がしてならない。羨ましいかぎりである。(笑)

2012年10月21日日曜日

今日は宣伝の日です(^^)


昨日は、朝からバタバタしていましたし、夜は夜で、今年の『あいずみ文芸第7号発行祝賀会』(年に一度発行しています)だったので、ブログを書く暇も元気もなく、寝てしまいました。(笑)祝賀会というよりも、懇親会ですね。

徳島県は、ちょうど国文祭の真っ最中なものですから、会員さんも忙しい方が多くて、例年より参加者は少なく、30名を切りました。出席予定の方の、取り消しがあったり、その反対があったり、会の日時をお忘れになっていたりと、悲喜こもごもの会でしたが、参加の皆さんは、和気藹々のうちに終わることができ、事務局としてはホッとしています。

私の住む町は、藍住町という、地方の小さな町ですが、会長の漆原伯夫氏のお顔が広く、いろいろな分野で活躍されている方たちをお誘いくださったおかげで、創刊号以来、地方誌としては、かなりの重みのあるものが発行されてきました。会員さんは、町周辺の他町村の方たちでも、参加して頂ける形にしましたので、更に重み厚みができています。したがって、こうした懇親会も、とてもバラエティに富んでおります。

ただ、この会は、町の支援などは一切なく、自由奔放な会でありまして、会員の衆議院議員として活躍されている高井美穂議員も、博士号をお持ちの先生方も、何ら特別扱いはいたしません。皆さん平等です。元副大臣であっても来賓ではない、というこんな会は、珍しいかもしれません。(来賓は、会員ではない町長さん、教育長さん、出版で、すごくお世話になっている印刷会社の原田英樹社長さん、三好昭一郎文化協会会長さんのみ。今回は町長・教育長は公務で欠席)

高井議員は、随筆【子育て奮戦記】を書かれていて、ちょうど私たちの町にお帰りになっておられたので、出席くださいました。そのお隣には、たしか農学博士でいらっしゃる渡辺健一さんが、【短歌】や【詩】を載せられていますが、民主党贔屓なので、高井美穂さんに、頑張れのハッパをかけられていたようです。

皆さんそれぞれのテーブルで話が弾みますから、会につきもののカラオケなどは、まったく用なしです。(笑)

こうした文芸誌の底辺を支える会員の方たちが、かなりの高齢者になりつつあるというのが現実です。俳句も短歌も、若い方の参加がとても少ないのです。あ、昨夜は俳句の新人がみえられました。といいましても、地元の小学校の校長先生の青木秀明様です。この会では若者です。(笑)

ここで、いつも編集その他で活躍なさっている役員をご紹介しておきましょう。

編集長の上窪青樹さんは、徳島新聞の俳句の選者をなさっていて、【風嶺】という俳句冊子を毎月刊行されている大ベテランです。仕事を退職されていますから、高齢者ですが、この会の中では、若者です。むろん、容姿も美男の若者という方。(ちょっとゴマを擂っておきましょう)
 
その風嶺の編集長の安曇統太さんは、この会の運営費の大半を占める広告費を、お人柄と凄腕で、どっかと集めてくださるという方。徳島では大病院の事務長さん。むろん同級生という青樹さんに劣らぬ男まえです。ですから風嶺も「あ・うん」の呼吸です。あ、風嶺の宣伝までしてしまいました。。

同じく俳句のベテラン五味靖さんは、県下では12の結社【杭標】の編集長。実直なお人柄と、こつこつとご自分の趣味であるIT機器の研究、釣り、山歩き、燻製作り、その他前向きに日々走り回られているという高齢者のお手本のような活動家です。今年より、事務局にも入っていただき、私に代わって藍住文芸だより(年4回発行)をお願いしましたら、快く引き受けてくださいました。

短歌の部の編集委員をしてくださっているのは山本枝里子さんと福井美代子さん。山本さんは、短歌の全国誌で名をとりあげられつつあるベテランですが、定年退職され、まだその職場から乞われて引き続き仕事をなさっています。このお年で慶応通信教育での大学生という勉強家。用紙淡麗(どうして私のパソコンは、こんな変換してしまうのでしょう。困ったヤツです。すみません)いや、容姿端麗のせいか実にお若い。

同じく短歌の編集の福井美代子さんは、ご自分では「としだわ。すぐ忘れる」などと謙遜なさいますが、いわゆる天然ボケ的な大らかさで、みなさんの人気者。素敵な短歌を詠まれ【七曜歌会】の大黒柱。友人を誘い車に乗せて、幾つもの合唱グループに出かけられている明るく楽しく、歌も唄うという歌人です。

詩の部では、副会長の堀川豐平さんと会計担当の竹原洋一さん。
豐平氏は、詩以外でも、郷土の歴史、特に古代史の研究に情熱をそそがれている熱血漢。お年は私と同じで、けっして若くはありませんが、情熱は、若者顔負け。特に古代史の話になると、お顔がちがってきます。また、「映画評論」では、昔は全国誌の大賞を取られたというベテラン。その昔の作品が、日の目をみて、7号に掲載されています。

竹原さんは、元銀行員という堅いお方。今年から、事務局もお手伝いいただいて、会計を担当。それこそ、確かめることは銀行並みで、わが協会の会計は間違いなし。素敵な詩だけではなく、彼の音楽、絵画、宗教、哲学と、その知的教養は、だれもかなわないというインテリで、そのような話になれば、普段おとなしくお優しい彼の眼が輝きだします。

小説の部は、会長の漆原氏。昔から、小説を書いてこられたベテランです。特に歴史に詳しく、郷土史のことは、何でも、というお方です。色々な人脈をお持ちなので、広告集め、人材集めと、役員会員は、大船に乗っています。

最後私めは、随筆を担当させていただいていますが、なんせ、慌て者の上、持って生まれたいい加減さというか、「ま、なんとかなる」の呑気者なので、事務局としては、皆さんには、多大な迷惑をかけています。我が家は、とても小さいアバラヤで、部屋というのは居間と寝室だけですが、少ない部屋数のため、広めにとってありますので、居間を事務局として、皆さんにお使いいただいています。家庭的な雰囲気で仕事ができるのが、唯一いいところでしょうか。

この主だった役員の一番の特徴は、とてもお人柄のいい方たちばかりの集まりということです。これも、会長さんのおかげでしょう。人間関係がいいということは、この上ない財産となります。そして、ユーモアの分かる方たちばかりですから、笑いが絶えません。こんな素晴らしい役員会も珍しいと思います。

今日は、随分と、藍住文芸協会の宣伝をさせていただきました。実名をこれだけあげさせていただいたのも、叱られる心配はないからです。(こう書きいておきますと、もう叱られる心配はありますまい。笑)
実名のないのは、古女だけですが、藍住の人間ということは、公表させていたしました。よろしくお願いします。(^^)

 

2012年10月19日金曜日

老婆心ながら……


昨日、今日と2日間、ある会に出席いたしました。中・四国の退職女教員の方が、徳島に100人ほど集まりました。私の同級生が、熱心なお世話役なので、私もちょっとお手伝いしたりして参加させていただきました。

私は、色々な集まりに出ましても、大抵最長老なのですが、この会だけは、先輩が大勢いらっしゃいます。今日も、私の近くには、90歳という方が、県外から見えられていて、立って堂々と質問したり意見を言ったりなさっていました。

遠方の岡山からも、大勢いらっしゃっていました。皆さんとてもお元気そうでした。ま、お元気でなければ、こうした会にも出てはこられないでしょうから、当然といえば、当然です。


私は、昨夜は会があったので、夜の懇親会は、失礼して帰ってきたのですが、殆どの方が、残ってわいわいと楽しい夜を過ごされたようです。

二日間の研修会で、研究発表を聞いたり、意見交換をしたりしたのですが、感じたことは、どなたの発表も、元気にトシをとっていくための努力や、実行されているボランティア、教え子を戦争に送らないための活動、といったようなことでした。講演も、健康寿命を延ばすための色々な具体的な注意事項などでした。また、機会を見て書くことにします。

もう、どこにいってもこうしたお話が多いのですが、「そうですよね。そうしたいと思っています」という思いで聞いておりました。

私は、もう1週間もすると82歳になる、どこから見ても「大年寄り」です。元気そうに振舞っていても、カラ元気であります。今もかなり疲れています。会が終わって帰ってきて、明日ある会の準備をしていましたものですから、けっこう疲れていて、『トシだなあ』と目をしょぼつかせているのですが、皆さんも、いずれは迎える「年寄り」なので、ぜひ、お伝えしておきたいと思って、キーボードを叩いています。(笑)

こうした老いの実感は、私一人ではなく、同年のほとんどの方は、感じているようです。
老いは、急に来るものではありませんが、70代後半ころから、それまでは、本当に「まだまだ・・・」という気持ちでしたが、音も無く忍び寄ってくるのです。
ところが、そのころは、まだ切実に老いに追っかけられているとは思っていませんでした。気持ちは、昔とほとんど変わらないのですから。(と、皆は口をそろえて言います)
でも、身体と頭は、気持ちとは同一ではないことを、いやがうえにも知らされるのです。無理がきかなくなります。物忘れもひどくなります。


幼児が、ぐんぐんと大きくなっていくように、「老い」も、ぐんぐんとせまってきます。そのカーブは、幼児の発達と同じような曲線で、一年一年の老化現象が著しくなっていくのです。

「えっ?こんな字忘れたの?」いつも使っていた簡単な字が思い出せないのです。悔しくなって思い出すまで考えて、やっと思い出して苦笑いします。

ここで、声を大にして申しあげたいのは、「前向きの生き方」と、「体を動かす」ことを続けていないと、それがますますひどくなるということです。
まず、何をする意欲もなくなるのが早いですね。早く老けこむということです。それでもいい、楽していたいという方は、そうしても、いいと思います。自由です。でも、楽がいつまでも続かないから困るのです。

「前向き」というのは、「まだ何かできることがある」という気持ちで、小さなことでも何かのお役に立ちたい、という心を忘れないことでしょうか。「年寄りだから何かをしていただく」よりも、「年寄りだけれど、何か出来ることをさせていただく」という気持ちが、前向きの基本かもしれません。それには、やはり何とか健康で自立できているほうが簡単にできるはずです。むろん、病気になっても、前向きに生きている方はたくさんいらっしゃいます。
しかし、多くの人は、健康を失うと、やる気も失うようです。旅行ひとつにしても、行きたいところへ行けなくなるし、そのうち行きたいと思わなくなってくるでしょう。そして大切なことは、楽しみながら出来ることが大切とおもいます。どんな良いことでも、無理にいやなことをするのは、毒です。

そういうことでありますから、皆さん、今から、どうか心がけていてください。
私のような年になりますと、何をやろうとしても、出来ないことがたくさんあります。(;;)長生きするということは、色々と諦めたり捨てていくことでもあるのです。一日でも健康寿命をのばし、好きなことが続けられるために、食事や睡眠にも気を付けて、楽しく身体を動かせましょう。

またまた釈迦に説法のようなこと、書きましたが・・・。

2012年10月18日木曜日

生前検査


昨日、テレビで、産まれる前の赤ちゃんの障害の有無を調べる検査について、放映されていました。最後までみていないので、よくはわからなかったのですが、長い間障害児と関わってきた者なので、複雑な思いで見ていました。

重度の障害児を抱えた母親からは、何度となく、この子を連れて死のうと思った、ということを聞かされました。ま、現代のように、障害者に対する理解がなかった時代だったのも事実です。

健常児の子育てでさえ、満足に育てられない親が増えていますので、そんな親が障害児を育てていけるのかと、いう思いもあります。

子を殴り殺すような親には、子どもを産む資格はないのですが、真面目な親が、子育てに疲れて、ノイローゼになることだってあるでしょう。

また、一方では、「障害を持って生まれてきたこの子は、私たち夫婦でなければ、幸せになれないと、神様が私たちに授けてくださった。この子のおかげで、私達夫婦は、生き甲斐を与えてもらっているし、夫婦の絆も、より固くむすばれている」とおっしゃる親ごさんもおられます。

子どもの立場はどうでしょう。ある目の不自由な子は、こんなことを言いました。「ぼくがお母ちゃんに、『こんな悪い目で産まれたけど、死なずに産まれてきてよかった』って言ったら、お母ちゃんって、おんおん泣くんでよ、先生」と。

それを聞いて私もその子を抱きしめて泣いてしまいました。「先生も、○ちゃんが死なずに産まれてきて嬉しいよ」と言いながら……。

母親は、いつも「こんな不自由な子に産んですまない」と思っていたにちがいありません。また時には、「この子さえいなかったら」と思ったこともあったかもしれません。その子が、産んでくれてよかったというのですから、泣けて当然だったと思います。

産まれてこない方がよかった子もおります。苦労だけして死んでいく子もおります。親がよく考えて判断することでしょう。その判断は、どちらになっても、正しいと思うものです。産む産まないは、他人がとやかくいうことはないと思います。

 

2012年10月17日水曜日

空白の年


先日、丸谷才一さんが亡くなられ、新聞にいろいろと彼の業績がかかれています。

私は、この方の小説は、一つも読んでいません。随筆は何冊か手元にあるのてすが、日本語を大切になさっていて、どの本も、旧かな遣いで書かれています。文庫本なので、本棚の奥の段にでもならんでいるらしく、捜すのがちょっと、めんどうなので、暇な時にでも読み直そうかと思っています。

彼は、何となくユーモアがあって、親しみがわく作家なので、新聞などに彼が何か書いてあると、大抵読んできました。でも、ほとんどのことは、憶えていません。

本で読んだのか、新聞で読んだものなのか、ちょっと忘れましたが、こんなことが書かれていたのを思い出しました。

世界の歴史の中で、1年間で大きな事件が起こらなかったという年がたった1年あるのだそうです。むろん、戦争や天災、その他、大きな出来事を年表に書き込んでいくと、その一年だけ、何も書くことがない年なんだそうです。それは、989年で、その年だけ空白だそうです。
 
私がそれを憶えているのは、989年という年だからです。ちょうど9(くう)8(は)9(く)というゴロあわせで、空白の年、ということで、おもしろいなあと 思ったので、憶えていました。こんなことは、丸谷さんは書いていませんでしたが、自分でそう思ったものですから、忘れられなかったのです。記憶力の悪い私が、ひょっと思ったことをめずらしく、何年も忘れていないのが不思議です。(笑)

2012年10月16日火曜日

ある健康法


以前、ネットでチコリさんという方に教えて頂いた健康法があります。

私は、ときおり、身体が凝ってきたときに、この中の一つをすることで、気分の転換ができるので、やつています。皆さんも、知っていて悪くは無いと思うので、書いておきましょう。

 フォード博士の健康法

運動は、その人に合った運動をするのが一番。ただ、だれにもよいものがある。それはヨーガ。とくに、ここにあげたものを毎日することによって、とても健康的なからだになる。

1)床にねそべり、両脚を大きくひろげる。
両腕を横にのばし、床に沿わせながら、ゆっくりとあたまのほうにあげていく。その間、からだが床にぺたっとついているのを感じながらおこない、もとにもどす。
これを1日5分から10分おこなう。
 
2)椅子に座り、腰を折って、顔が床につきそうになるまで状態をゆっくりと前に倒していく。
次に両手で両足首をつかみ、そのまま静かに5分間座っている。
これは腰をのばし、横隔膜をひきあげて、呼吸のリズムを深くするのに役立つ。

3)椅子に座って、足を床につけ、背筋をのばす。つぎに、両肘を曲げて前につきだし、両手の指先を肩につける。 ゆっくりとした深い呼吸をつづける。
息を吸いながら、両肘を天井のほうにあげ、あたまをさげる。
息を吐きながら、両肘を横にひらき、あたまをあげながら、両肘をもとの位置にもどす。
このエクササイズは肩から上の筋肉をのばし、緊張のパターンをとり除くのに役立つ。
1
日に2~3度、これを5回ずつおこなう。

4)壁を背にし、かかと・尻・肩甲骨・後頭部が壁につくようにしてまっすぐ立つ。
つぎに、両腕をまっすぐ水平に前にのばし、両手の親指どうしをつける。
両腕をできるだけゆっくりと上にあげていき、時間をかけて、ようやくという感じで手の甲を壁につける。
ついたら、ゆっくりとさげていき、両腕をからだの脇におさめる。
ゆっくりと深い呼吸をすることを忘れないように。
これを1日に2回おこなう。
このエクササイズは胸郭をひきあげて正常な位置にもどし、横隔膜をゆるめ、骨盤から首にいたるすべての筋肉をのばすのに役立つ。


これを全て毎日することは、大変かと思いますが、ときどき思い出してして1つでもしてみるのもよいかと思います。



2012年10月15日月曜日

正しい評価を


毎日のように、「民主党はあかん」といったようなことを聞かされていますと、長年民主党(と言うよりは、仙谷さん)を贔屓にしていた私としては、「むりないよ」と嘆いたり、「それはびどい!」と怒ったり、で、私の顔は、もみくちゃになったり拡げられたりした和紙の包み紙のように、皺だらけになりました。(;;)
そんなひどい顔を曝しながら、昨日、仙谷議員のお話を聞く機会がありました。「政権交代後、色々と取り組んできたことがらの殆どが、正確に皆さんに伝えられず、巧くいかなかった事だけを取り上げられているものですから、世間は私たちに非常に厳しい。私たちは、そんなに悪い評価されるような仕事をしてきたのではないと思う」とおっしゃられ、マニフェスト検証という約束事の達成状況を小冊子にまとめたものを皆にくださいました。
それを見ますと、随分と約束事は達成していたり、その途中であったりで、決して恥ずかしい内容ではないのです。前政権では、とてもやりおおせるものではないと思いました。
 
例えば、「すべての子どもたちのために」では、子供手当受給総額では約2.5倍になっていて、出生率もアップしていますし、35人学級の実現に2011年は1年生。2012年度は2年生まで拡大しています。
また、小中にスクールカウンセラーを2万校配置。
その他、公立高校生授業料無料化、私立高校には、所帯の所得に応じて平均118.800円を助成。
そのほか、大学生・専門学校生の希望者全員が受けられる奨学金制度の創設で、今まで経済的に進学を断念していた生徒たちの進学が可能になり、奨学金貸与者19万人増加と充実しています。
 
医療関係をみましても、医療崩壊を食い止めるための改定、介護関連の人材確保、消えた年金問題への取り組み等、ここには書ききれない改革がなされています。農林漁業、中小企業、雇用と環境を柱に人材育成等等、前政権ではなしえなかった事が、盛り込まれておりきすし、
また無駄な公共事業でも、例えば12か所のダムをストップしています。
(高速道路無料化実験は、大震災復興財源だそうです)

このように、3年間で、約20兆円が、マニフェスト達成のために使われているのです。

こうして見てみますと、「消費税増税だけで何もしてこなかった」などと、野党や知識人にまで言われている民主党の評判の悪さは、とても気の毒でありますし、それを鵜呑みにする国民としては、正しい判断ができないのは当然と思いました。
国民の多くの方たちがマスコミからの知識だけで判断されている現状です。
ということを考えますと、マスコミに踊らされていることが、とても心配になります。野党が言う悪口を真に受けている方もおります。野党のいい加減さにもあきれますが、前政権時代が、マスコミにとっては、住み心地のいい政権だったのでしょうか。

私が20数年も仙谷先生を本物の政治家と思っている理由の一つに、どんなときも、ご自分を過大評価なさらず、冷静にご自分を見つめられる他人の目をお持ちであること、それは、ご自分だけではなく、民主党内のことであっても、同じ目線です。判断力も、地を這う虫、空飛ぶ鳥、水の中の魚、の複眼目線でなさるので、私のような政治にうとい者でも、納得できるのだと思います。

総選挙も近いと言われています。私たちは、幸いにも誰を選ぶかは自由です。しっかりと目を開いて、正しい評価をしながら、子や孫のために、住みよい国造りをして頂ける人材を選ぶ責任があると思う昨今です。

2012年10月14日日曜日

走る椅子


10月も半ばになると、朝晩は肌寒さを感じるようになりました。今朝などは、「ああ、もうすぐストーブを焚くようになるなあ。灯油の準備をしておかないと」と思ったりしました。

昨夜は、先日読み残していた、Mさんから送っていただいた 関 政明さんという方の歌集【走る椅子】を読みました。走る椅子とは、関さんの愛車、電動車椅子のことです。

 ・夕暮れの歩道をわが椅子走りゆく二つ車輪を光らせながら

関さんのことは、よく知っています。と言っても、お会いしたことも、お話したこともないのですが、よく地方新聞の短歌や俳句の欄にその作品が選ばれて載っていましたので、その作品を通して、色々と想像していたにすぎません。

関さんは、現在、海辺に近い療養施設で車椅子生活をなさっておられます。画家を志していらしたのですが、まだ若いころ、脊髄腫瘍という病に倒れられ、以後、ずっと麻痺と闘いながらの入退院を繰り返し、今は療養施設での生活を余儀なくされていますが、それでも、絵を描かれながら、短詩にも打ちこまれてこられました。次第に身体の自由を奪われて行く病のため、ややもすると悲観的になりがちなはずですが、どのように気持ちの中で発酵させ、味付けをされているのか、出てくる短歌は、ユーモアもあって、人間味にあふれていて、しかも真摯に病と向き合って生きていらっしゃるので、私のような短歌にはご縁の薄い者にも、眩しいほどの感動と、生きる力をあたえていただけるのです。むろん、重度の障害を持つ身です。時には針のむしろのような傷みに耐えたり、呻きであったりが短歌になっておりますが、それでも、けっして諦めではありません。私たちに光をあたえていただけるのです。

そのはずです。ご本人のあとがきによりますと、ご自分の病よりも、療養生活のできることに感謝をし、不自由であっても、出来ることを、前向きにやっていこうという姿勢が彼を生き生きと充実した生活に結びついているのです。

病んではいない私めが、病と闘う関さんから、生きる力を分けて頂いた本でした。 関さん。ありがとうございました。
 
 ・全身で生きし日もあり麻痺の身を横たへ遠き花火を睨む

 ・麻痺の脚慣れてしまえばそれもよし若葉仰ぎて絵筆を握る

 ・飛び散って激しきものよ曼珠紗華いのちぶつける絵の描きたし

 ・生き方は選び取るもの北風に向かい電動車椅子馳す

 ・療園に衣食の足りて介護されテレビ見ている日々の空つぽ

 ・わが家とも獄舎ともなる療園の小さな空に銀河またたく

 ・芽吹きゆく中庭の木よ病床にわれは気化するごとくまぶしむ

 ・自動ドア真ん中より割りわれは出るウォークマンの歌と一緒に

 ・大小の輪を四つ持つわれの椅子万のコスモス揺らして走る

 ・しっかりと生きてゆかねば何もかも介護士まかせの生にあれども
 
   

2012年10月13日土曜日

子どもの名前

 
新聞に出ている【おめでた】という出産の欄に、赤ちゃんの名前が公表されている。随分と考えて付けたらしい凝った名前もあれば、太郎ちゃんのような日本の代表的な名もあって、両親の想いが何となく伝わってくる。

何と呼ぶのか解らない難しい名も多く、幼稚園や学校の先生が、最初は判読に苦しむような、出席簿に振り仮名をつけておいてほしい名がある。

それに引き換え、おくやみ欄や結婚のお慶び欄には、そうした読めないような名は皆無なので、名前に懲り出したのは、そんなに古くはないようだ。

皮肉にとってもらっては困るのだが、最近の若いお父さん、お母さんは、漢字というものに、かなりの知識や認識があるらしい。私らにはついていけない。

親の付けた名前には、恨み辛みのある人は、かなりあるだろう。
ある知人の名に、【鬼】という字が使われている。ご本人は、首をかしげながら、「子の名前に、鬼という字を入れたのは、どういうことなのか、親の気持ちがよく解らない」と嘆かれていた。周りの人が、「それは、鬼のように強くなれということだろう」とか、「家に中に鬼がおれば、外から鬼は入れない」などと、いい加減なことを言っていたのを思い出す。
最近は、男やら女やら区別の解らない名も多いが、昔は、割合にはっきりと分かる名が多かった。
そんな中で、民衛とか、善衛とか衛という字が付くと、男性の名になってしまう。女性に付けると男と間違われることしばしば、ということで、名を変えた方もいた。
また、ひどく難解な漢字を使うため、「名前を書くのに皆の3倍の時間がかかる」と嘆いた人もいた。

子どもは、親を選ぶこともできないし、名は勝手につけられる。「悪魔ちゃん」事件じゃないが、将来子どもが困るような名は、避けておくのが無難のようだ。

 

2012年10月12日金曜日

誤記


いくつになってもバタバタとした性格は直せない。一見、落ち着いているように見える私らしいので、「慌て者よ」と言ってもなかなか信用してもらえないのだが、暫くすると、「やっぱり慌て者のようだ」と思うらしい。

慌て者の一つの証拠として、【誤記】というのがある。特にパソコンを使いだして、ひらがなを漢字に変換する場合、確かめるのを怠ると、とんでもない誤記となる。読み返すということをせずに、印刷してしまい、後になって読んでみたり他人さまが指摘してくださって、慌ててやり直すことはよくあることだ。

昨日も、発行した文芸誌の正誤表を印刷したのだが、出来あがったものに合わせてページをめくってみると、P310じゃなく、P311なのだ。正誤表に正誤表が付けられるはずもなく、刷り直した。

このような誤記をみつけると、私は秘かに「ありゃあ、またゴキブリだあ」と叫ぶのだ。

おかしなもので、他人さまの文書の誤記は、よく目に付くものだ。

文芸誌のようなものは、原稿自体が間違っているものもあれば、印刷会社での誤りもある。それを見付けて正すのが校正で、校正で見逃すと、出来あがった後から、ご本人からのお知らせが入ってくる。

最近は、パソコンから送ってくださる方もあり、そのデーターを一応印刷し、誤記があれば正し、無ければ、データーはCDに入れて印刷会社に送っている。
手書きの場合は、誤字脱字、その他の訂正があればそれをして、それぞれの分野で、校正をすることになる。俳句は俳句をよく知っている方、というふうに、役員も、それぞれの分野のベテランさんが選ばれている。とはいうものの、私のような慌てものもおり、随筆担当でありながら、「幸せを漢字た」などということばを見逃すこともあり、一冊の本の中には、必ずといっていいほど、誤記ぶりは、何匹かは這っているのだ。
むろん、印刷会社でも、丹念に見てくださっているのだが、見落しというのはあるのだ。というのは、1校2校と、何度かしても、見逃す所は、何度も見逃してしまう、という落とし穴があるのだ。思い込みというのもあって、この方の文章は間違いないと思ってしまうと、見逃す傾向がある。

ま、何とか今年も、何匹かのゴキブリが這っていたのだが、訂正表と会員に発行している文芸便りに掲載することでお許しいただくことにする。

ある方がおっしゃった。「昔は本を書く人は、文筆家や、学術研究者くらいだったから、ほとんど間違いなどはなかったのだが、最近のように、書き手が一般化してきたら、間違いも多くなるのは当然」と。

書き手が増えたということは、とてもいいことであり、少々の誤記も何のその、と思う。しっかり書いていただきたいと思っている。

2012年10月11日木曜日

今日は……


忙しい一日だった。ブログを書こうと思ってパソコンの前に座っても、何を書こうかと考えるのが億劫なほど疲れている。

こんな日は、無理に書くことはしないでおこう……と思う。

庭の金木犀がいい香りを撒いている。今年は花の付きがよいのか、いつもの年より香っている。

5時半に目覚めた今日は、出かける用事は特別にないので、仕事ができそうだ、と思って6時起床。朝食までの1時間半は、身づくろいと朝食の準備と洗濯。7時半から朝食をしながらテレビ。一息入れてゴミ出しと洗濯ものを干す。9時、パソコンや机の前に座っての仕事をはじめた。一息ついたら昼過ぎだ。

午後は来客が4人みえられた。タイミングよくうまく重ならずに用事が出来た。

夕方、5時すぎてから、身体の芯をほぐそうと、健康施設カーブスへ。30分の体操を終えて、買い物をして帰宅。夕飯用意。食べ終わると8時。昨日いただいた歌集を読むが、まだ礼状を書くところまで読んでいない。続きは明日にしようと本を閉じた。

ああ、今日も、ぼんやりと音楽聴く時間がなかったなあと思う。これを【充実した生活】というのなら、ほんとに充実した一日だ。【貧乏暇なし】というなら、その通りだ。一文にもならない仕事ばかりである。でも、痩せるほど忙しくしていたわけではない。年とともに、仕事がとろくさくなるし、間違いも多く、やり直すことも多くなる。捜し物の時間は、まったく時間の無駄遣いだが、致し方ない。

ま、こうして一日があっという間に終わるのだ。イヤな仕事ではないので続けられるのだと思う。

それでも痩せるどころかジリジリと太っている。【天高く馬肥ゆる秋】のせいだ。

 

2012年10月10日水曜日

銭湯の日


1010日といえば、何年か前の体育の日、ということくらいしか思い出さなかったのだが、1010という数字から、千十(せんとう)ということで、【銭湯の日】ということになっているらしい。また、1010で、ト(う)と、マがあいてト(う)があるので、【トマト】の日でもあるそうで、どなたが考えるのか、いろいろとこじつけるのがお上手だ。

銭湯が廃れたのは、戦後の文化住宅とやらで、各家庭にお風呂が作られ始めたのがきっかけのようだ。

戦時中、引っ越して田舎暮らしを始めた頃、銭湯がないのでとても不自由をした思い出がある。
借家には、お風呂が付いてなかったのだ。近くの農家の親戚に、【貰い風呂】に行く。庭に便所と風呂場が一つ屋根に並んで建てられていて、その風呂場は、とても狭く、流し場というのがないのだ。立って洗うしかない。風呂の中で身体を洗うのが当たり前のようだった。水道もないので、バケツに水をくんでは入れて、釜の下で、どんどん燃やし続ける。湯垢や石鹸のカスなどは、あふれる湯とともに流れていくので、思ったほど、どろどろにはならないのだが、それでも終い湯ともなれば、そうとう濁っているに違いない。何しろ、貰い湯に来る客は、我が家だけではないのだ。近所で風呂の無い家の人が、何人も入りに来る。小さな豆電球の灯りなので、はっきりとは分からない。
そんなお風呂では、入った気分にはなれなくて、早々に、器用だった父が、五右衛門風呂を築いて、掘立小屋だが、風呂場を作ったのを思い出す。

貰い風呂は、一つの社交場だったように思う。その家の主は、来た客に茶や駄菓子を振る舞い、くんだら(他愛も無いおしゃべり)を言うのだ。主は、親分気分というか、風呂だけではなく、何かと世話もしていたようだ。しかし、女どもは大変だ。次々と入る人達の為に、水を運び、火を燃やし続け、湯加減を尋ねる。薪などは滅多に使わない。麦がらをパチパチと燃やすので、ずっと付いておらねばならない。自分が入るのは、いつも最後なのだ。

こんな塩梅なので、風呂を焚くのは、週に1回もあればいいほうだ。あとは行水ですます。大百姓といえども、朝から晩まで働いてのあとの風呂炊きなので、風呂といえども大仕事だつたにちがいない。

そんなこんなを思い出すと、水道の栓をひねり、スイッチひとつでお風呂に入ることが出来る現在とつい比較をしてしまう。何と便利になったものよと有難く思うのだ。