2016年5月31日火曜日

№1058 闘いすんで……


  無事、……と言いたいのですが、やはりアクシデントはありましたが、なんとか同窓会が終わり、欠席者への送り物をすませ、ほっとしています。当日、会のあることをお忘れになっていた方、時間を間違えた方、すってんころりと、転ぶ方などなど、やはり、トシは争えません。やはり、1年という月日の重たさを感じました。

同窓会というのは、それぞれが1年間の変わりようを確かめ合っているふしがあります。『もう車は止めた』とか、『片耳が聞こえない』などと言い合っています。今の自分に合った生活をされながらも、自立した生活、自分が出来る範囲の働きをされているのが、とても頼もしいと思いました。

殆どが教員だった同窓会は、ある程度、よく似た経済環境であって、老後の暮らしぶりもよく似たものと思うのですが、その生き方は色々で、山に魅せられて山歩きを楽しむ方、音楽に生きがいを投じておられる方、孫曾孫に囲まれて幸せを満喫されている方などなど、要はその方に似合った生き方が一番いいのでしょうね。

しかし、同胞たちの急病や急逝に接し、≪明日は我が身かも≫の思いを強くしたことでしょう。

私も、これからは、出来なくなることが一つ一つ増えていき、老害という現実を受け入れなければなりませんが、難しいこととは思いますが、≪自立の心≫と≪優しさ≫そして≪心のお洒落≫は、持ち続けたいと思いました。

 

2016年5月27日金曜日

№1057 ギリギリまで


  明日は同窓会。ギリギリまで、資料の印刷をひかえていたのだが、刷りあげたあとから、2名のキャンセルが入った。体調不良で参加できそうにないと言う。出たい気持ちがあるので、参加のハガキを頂いているだが、Aさんは、歩けないくらい足が痛くなったというし、Bさんは、どうもお元気だったのに、大変なことになったらしい。ま、このトシになると、Cさんのように、出席のハガキが付いたと思ったら、すぐに訃報がはいったというようなことも起こり得るのだから、致し方無い。
〈死〉がもう足元に来てるのだが、出てこられるだけでも幸せと思いながら、前向きで知らん顔して頑張るしかない。資料と、会の様子を書いたものを後日、出られなかった方に送ってあげるのだが、それを楽しみにしている方も多い。元気がもらえるというので……。

2016年5月23日月曜日

№1056 朝いちで……


  先日、TVの【朝いち】で、藍住のニンジンが紹介されていた。レポーターの方が、畑で生のニンジンを齧って『甘いっ!』と叫んでいた。

 我が家の前に少しばかりの土地があり、雑草を生やしてくのも困るので、役場の仲介で、農家の方に貸してある。昔と違って年貢などはいただけない。

 その畑は、お米を作り、そのあと作に【ニンジン】を作っている。ビニールで覆っているので、その季節になると、藍住には、あちこちで白いビニールの小山の並ぶ。

 収穫時ともなると、畑には、商品にならないニンジンが、ごろごろところがっている。機械で堀りながら、目ですぐ分かる割れたものや二股などをポンポンと捨てて行く。いつも「もったいないなあ」と思うのだが、それだけではない。収穫したニンジンの中でも、企画に合わぬものや、器量のよくない二流品は、手間、箱代を考えると、出荷しては損をするらしい。農産市などに、ビニール袋に入れて、安い値段で売っている方もいるが、大量生産している農家は、そんな暇がないのだろう。私がみたら、なぜこれが売れないのか、と思うような二流品だ。箱入りは、ほとんどが都会の方に高値で出荷されていくようだ。

 いつも、収穫すると、一箱、我が家に持ってきてくださる。私が、「もったいないから、売れないニンジンでいい」といって、そうしていただくのだが、箱に並ぶと何の支障も無い。
 ニンジンの季節には、農家はアルバイトを雇っている。近所でそんな仕事をしているAさんが、「ニンジンようけ捨てるのがもったいない。いるなら、持ってきてあげる」とおっしゃる。私が、「ニンジンあげたら喜ぶ方にあげるから、貰ってきて」と頼むと、翌日、どさりと持ってきてくださった。演劇仲間にもっていくと、皆さん、喜んで持ち帰ってくださった。2日ほどすると、また、どさりと。(笑)次の日、べつのグループに合うことがあったので、差し上げた。(Mさんが、二日ほどしてニンジンで作った美味しいポタージュをくださった。)

話が後先になったが、そのTVを見て、私は、冷蔵庫のニンジンを1本取り出した。先の方5センチほどのところが、よくみると、僅かに曲がっているだけだ。齧ってみた。確かに甘い。朝いちでとりあげられたニンジンだもんなあ。(^^)

2016年5月21日土曜日

№1055 総会


  藍住町文藝協会が立ちあがって10年が過ぎた。名前は、町が援助してくださっているような会だが、町からは、1円の援助も受けてはいない。会費と、有志会員の基金と、広告で運営してきた。私などは、1つの広告もとれないが、お人柄、人脈、職業がら、素晴らしい腕利きの方もいらして、広告をとってきてくださる。

昨年秋、10冊目の【藍住文芸】を出したのだが、今日は、11回目の総会を開いた。役員改選の年になっていたので、本来なら事務局という大役は、もう引退したいのだが、なかなかそうしたことには首を縦に振って貰えない。というのも、会長、副会長はじめ、10人近い役員それぞれが、お忙しい。代ってもらえない。私も出来るうちはお役に立つならという、今までの惰性?もあり、皆さんに、ご迷惑をかけるような引退もしたくないので、つい続けてきた。

10年前、お誘いを受けたとき、会が出来たら会員として何か書かせていただくけど、世話人としては、もうそんなトシではないと、と強くお断りしたのだが、ま、そもそも書くことが嫌いでないという性なものだから、押し切られたのだ。でも、振り返ってみると、いい勉強をさせていただいたと思うし、面白かったし、いい仲間とのご縁もでき、ありがたいことだった。

つくづく思う。会をつくる、会を運営する、ということは、それらに関わる人たちの【暖かい輪】というものの大切さ、というか、楽しく出来るということが、何よりも大切だなあ……ということだ。いい方ばかりの集まりなのだ。有難いことだ。

 

2016年5月18日水曜日

№1054 データーの不正


  車の選び方は、まず値段と乗り心地、形ぐらいしか考えていなかった。燃費など、尋ねたことはない。無知だったのかなあ。

私としては、三菱事件等、驚いたのだが、その後、この問題が、毎日のように報道されている。燃費のいい車は、そんなに売れ行きと関係あるのだろうか。燃費がよい車、などと考えて車を選んだことがなかった私なので、こうもマスコミで毎日とりあげられているのが、不思議である。

 こんな問題よりも、国民の殆どの人達が払っている税金の話、【お金持の税金隠し】の方が、ずっと関心があったり、怒りの感情があるのだが……。

そんなことをあまり報道しないマスコミは、【怪しい】のではないか、とも勘ぐってしまう。 ……最近私も老害のためか、根性が悪くなっているのかしら。

2016年5月14日土曜日

№1053 世相あれこれ


 世の中の仕組みや、能力の違いが、格差を生むようになっていますので、金持と、貧乏人が出てくるのは、致し方の無いことなのですが、どうしてこうも【お偉い】と言われるお方たちや、【お金持ち】は、品位がないのでございましょう。「パナマ文書などに名を連ねている人たちは、ほんまに欲の深い人間なんだなあ」と、感心してしまいます。課税を逃れるなんて、貧乏人がやりたいことですが、課税は1円たりともマケはもらえないのでございます。お金持は、財産を棺桶に入れて持って逝くつもりかもしれませんが、あの世だって、そうは問屋がおろしますでしょうか。閻魔さまに、舌をぬかれるのではないでしょうか。ほほほっ。

  大企業も大企業らしく、正々堂々とやってこその大企業ではないでしょうか。誇りなどないのでしょうかねえ。日本関係が270社もあるそうですが……。私めまで、恥ずかしい思いでございます。不思議なことに、こうした問題、あまり、騒がれませんのは、どうしてでございましょう。お偉い方々が、関わっていらっしゃるためでしょうねえ。え、違いますの? それは失礼いたしました。

  パナマだけではございません。チマチマと、排気量をごまかした三菱自動車様は、とうとう身売りなさるようですが、こうした事件は、トップのご存じないところで行われているのでしょうか? 売上を上げるための出世欲? それとも、会社思いの忠誠心? 何れにしましても、いただけないことでございますねえ。人間の欲望は、果てしがないらしうございます。理性も品位も恥もかなぐり捨てさせてしまうのでしょうか。

  私は、上品、品位、といったものには関心はございましたも、それらを身にまとった人間では決してございません。でも、こんな私でも、「こんなことは恥ずかしくて出来ない」と、自分自身に言い聞かせるものを持っているのでございます。こんな私の目からみましても、パナマ事件や、政治家の資金運用問題、公私混同などは、恥ずかしいの範疇に入ってしまいます。

  個人の考えは、人それぞれでございますから、私の考えが正しいなどとは思っておりませんが、もし、今の私が大金を懐にしましたら、やはり欲の深い人間になるのでしょうかねえ。人間って、そんなに弱いものなのでしょうかねえ。あ、そう、私もなる?
 
  コンチキショゥそんなら、貧乏人でよかったわ。だれが金持ちなんかになるものかっ!!
 


2016年5月9日月曜日

№1052 返信ハガキ


  恒例の同窓会【友の会】の季節がやってきた。今年から、皆の希望で、5月末開催と変更になった。
 卒業後、ほとんどが教員となったのだが、何年目かに開いていた同窓会も、全員が退職した年からは、毎年、市や郡の持ち回りで、行ってきた。そして20回目くらいから、数名の世話人での運営となった。
 25回目の平成23年6月に、もう80歳も過ぎのだから、ということで、一応解散。24年からは、希望者だけの【友の会】ということで、55名の会員で、再出発した。まだまだ同窓会は続けたい、という方たちだ。この55名のほとんどは、それまでの同窓会に出席していた方たちだった。

今年は、第4回友の会の開催である。亡くなられた方、退会された方もあって、今年は、50枚の往復はがきを印刷した。80歳を過ぎてからの出席者は、年ごとに減少するのは致し方ない。昨年は、30名を切った。今年になって、すでに3名(男性)が亡くなられている。
5月1日、往復はがきを投函。連休があったので、県内であっても、2日にハガキが着いたという方もあれば、7日に着いたという方もいた。町村によって、配達がまちまちらしい。

6日の夕方、Fさん(男性)の訃報がはいった。そして7日、Fさんの返信ハガキが届いた。出席に大きく○が入っていた。近くの友人の話では、朝、よくねむっていることを確認した奥様が、マーケットに出かけ、帰ってみると、そのまま蒲団の中で亡くなっていたとのことである。いかにも理想通りのピンピンコロリであるが、あっけない旅立ちに、ご家族は、悪夢のような思いだろう。

もう、我々は、死と隣り合わせに生きている。いつ、どこで倒れてもおかしくはないのだ。こうしたことが死への心準備を急がせるのだが、なかなか進められない。明日死ぬという実感がわかないこともある。

ある友人は言う。「おかあさん、万一のとき、知らせる方の名簿をつくっておいてな」と娘に言われたと。ま、まだまだ元気な母だから言えることだろう。病人の親にはなかなか言えないだろうから。子にとって、言いづらいことは、親の方から言うべきだろう。

色々と考えさせられたが、願わくば、訃報はしばらくストップとお願いしたいものである。

2016年5月4日水曜日

№1050 子どもの日


最近思うことは、子どもの少ない地域の目立つことだ。鯉のぼりなどは、滅多に目に留まらない。560年前は、♪屋根より高い鯉のぼりの歌のように、あちこちと林立していたものだった。そのころ、鯉のぼりを立ててもらった子どもたちは、大体家のあとを継いでいるのだが、その子たちの跡継ぎは、ほとんどが同居はしていない。

私にとって、【子どもの日】は、二人の孫たちに、【お祝い】つまり金一封を、与える日であった。もう、成人式を終えた孫たちだが、私は子どもの日がくると、熨斗袋に【元気な○ちゃんへ】と書いて手渡している。『えーっ、もう子どもでないよぅ』と言いながらも、笑顔で手を差し伸べてくれていたが、今年は名目を変えている。婆としては、自立するまでは、続けるつもりなのだ。これも楽しみの一つなのだ。

Aさんは、『孫が7人もおるから、子どもの日なんて、なーんもしてやれん』とおっしゃる。そのかわり、7回も嬉しい目をし、たくさんの楽しみをいただいてきたはずだ。羨ましい。(^^

子どもはいいものだ。TVでも、子どもが出てくると、自然に頬笑んでくる。エレベーターの中で、幼い子と目が合うと、こちらも幼子になったように無邪気な顔になる。

≪産めよ増やせよ≫は、戦時中のコトバだったが、平和国家だからこそ、若いお母さんたちに、お願いしたいコトバである。

2016年5月1日日曜日

№1049 五月の庭


窓のカーテンを開けると、眩しい朝の光が目を射してきた。寝坊をしたので、ガラス越しには、真夏のような光だ。戸を引いて物干し場に出てみると、ひんやりとした空気が春らしい。

我が家は、昔の農家なので、敷地が300坪ほどあり、母屋と、私の住む兎小屋と、小さな物置きが建ててある。この三つの建物が囲む空間は、さすがに車や人の出入りで草はないが、敷地のぐるりに樹が植わっているだけなので、雑草は遠慮なく生え放題だ。目に付く丈の伸びた草は一応抜いてあるのだが、毎日天を突く勢いで伸びたがる雑草なので、庭のあちこちに緑の塊がはびこっている。西側と北側の空き地には、水仙を植えてあるのだが、その水仙も花がおわり、葉が寝込んでしまう頃には、雑草も遠慮なく生えてきて、これもまた鬱陶しい。

草だけではない。鳥がよく飛んできて、物干し場の屋根や床に糞を落として行く。「こらー」と叫びたいが、ポンポン手を叩いて追うと、翼を広げて舞い上がる。気持ちよさそうな格好で光の中を飛び交う姿は、「ここまでおいで」と、勝ち誇っているようだし、隠れ場所を見つけて緑の葉の中に潜まれると、またすぐに舞い戻って来るのかと思ったりして、去りがたい。

人間も翼があったら便利だろうなあと思うことがある。飛んでいると、何かにぶつかって、失速することもあるだろうし、自分より大きな羽を持つものに、当て逃げされるかもしれないが、地上や空、海上の交通機関の発達は、無かっただろうなあ……なんて、夢みたいなことを思ったりする。

さて、いよいよ五月。町の一斉清掃、文藝協会の新年度の総会、同窓会の開催、台本の仕上げと、忙しいことが並んでいて、気忙しい月だが、何とか切り抜けたいものである。