2020年3月25日水曜日

№1285 もっと心配性に……


  人間を長くやっていると、色々な物が体内に溜まって来る。良い物が貯まるのは歓迎だが、そういうものは少なくて、ストレスとか心配ごと、後悔などのような不燃物が、解決されぬまま、月日が流れ、忘れていく。しかし、忘れたというのは正しくなくて、心の奥深く包み込んで沈殿しているのだ。私的なことばかりではない。国の行く末、地球の将来、などなど、真剣に考えだすと、夜も眠れなくなってしまう。だから私はノンキな楽天家となって生きて来た。「なるようになるさ」と。でも時々思う。私ってもっと【心配性】になるべきなのか?と。

 その一つに、認知問題がある。忘れることが多発、憶えなければいけないことが、中々憶えられない。もしかして頭の中は天津甘栗のように、隙間だらけになっているのでは……と。以前このブログに書いたかもしれないが、(こういうことも忘れているのだ。)認知だけは心配になって、調べてもらったことがある。初めに色々と質問されるのだが、それには皆答えられるものだから、先生は初めから認知ではなさそうだと思ってしまうためか、真剣には見てくれない。脳の写真では写らない認知症もあるだろうに、「心配ありません。少し鬱気味ではありませんか?などとおっしゃって、鬱の薬をくださった。鬱どころかノンキ者なのに。()

 最近の新コロナウイルス問題についても、あまり神経質にはなれない。この徳島県で、そんなに心配することはないじゃないか、と思っているものだから、人ごみにマスクをして出かけることもしない。マスクをするときは、ろくに化粧もせずに出かける時の、日焼け防止のためとか、防寒のためだ。こんな心がけではいけないのだ、もっと危機感をもつべきだろう、もっと心配性にならねばと思うのだが、ノンキにかまえている。これは、持って生れた性かもしれない。直りそうもないから……。

2020年3月19日木曜日

№1284 障碍者


  長い教員生活の殆どを障碍者の教育に当たってきました。障碍の無い子供の教育も、初めの4年間は経験しているのですが、やりがいのあったのは、やはり障碍者教育だったように思います。難しい教育でした。何も分からないのに飛び込んで、失敗もありましたが、否応なく、いろいろと勉強せざるをえなかったのは、ありがたいことだったと思っています。

 今日TVで、出産前検査で、産む産まないの選択ということで放送されていました。そういう時代になっているのは当然だろうと思います。それを見ながら、ある日の教室の一場面を思い出しました。盲学校の中学部の特殊学級を受け持っていた時のこと。夏休みが終わってのある日のことでした。

「夏休の思い出で、どんなこと、心に残っているかしら」

A「ぼくはなあ、母ちゃん泣かしてしもたことやなあ」

「ありゃりゃ、お母さん泣かしたん? どうしたん?」

A「ぼくがな、こんなぼくでも、産んでくれて嬉しい言うたらお母さんがおいおい泣きだしたんよ」

……私も泣きだしてしまったのです。これでは授業にならんと思いながらも、涙がとまらなかったのです。

B「こら、Aよ、先生も泣かしたらあかんやないか。あかんやないか」
 泣き虫の私は、Aのお母さんの気持ちが胸いっぱいに広がってしまったのです。

 Aが、生まれてきて良かったと心から思っていることが、とても嬉しかったです。お母様きっと、嬉し涙と、障碍者に産んでごめんなさいの気持ちとが、泣かずにはおれなかったのでしょう。

今は亡き、A君のご冥福を祈っています。

 

2020年3月15日日曜日

№1283 香害


  あまり聞いたことのないコトバだが、人工的な香りに含まれる化学物質によって、吐き気や目まいなどの症状を起こす人が増えていて、公害をもじって、香害という呼び名になったらしい。

私は、そんな害にあったことはないが、そうした香りはあまり好みでない。その主なものは、化粧品、洗濯に使う柔軟剤などらしい。化粧品のほとんどに香りがあるのだが、香水は別として、付けた時は少々香っていても、そのうち消えてしまうように思うので気にならない。今、先ほど付けた手の甲のクリームも、鼻を近づけて嗅いでみても臭わない。勤めていたこともあり、化粧は習慣で、このトシになっても、毎日欠かさない。顔のシミやしわを隠す?目的もある。ただ、薄化粧らしくみせねばならないので、けっこう手間はかかる。()

洗濯の柔軟剤は使わない。理由は乾かしても匂いが残る。洗剤の匂いが残るのはなお嫌なので、決められた量の洗剤は入れるが、出来あがったら、そのまま、もう一度「洗い」だけ繰り返して脱水している。洗剤の匂いは殆どしない。

私は何事にも鈍感な方なので、その程度なのだが、敏感な方は、そうはいかないらしい。新聞によると、カフェを経営しているご夫婦は、科学物質の過敏症を発症したとか。店の入り口に、柔軟剤を使用した衣服の着用した人の入店を控えてもらよう張り紙を出したという。また、女子社員の香水によって同僚が知らないうちに症状をひきおこすこともあるというから怖い。

そういえば、妹のひとりは、娘時代から、化粧は一切しない。結婚したとき、化粧をしなければと思ったが、夫に化粧は嫌いと言われて喜んだようだ。トシとって皺もシミも出てきたが、化粧する気にならないという。自分の娘の結婚式の時も、スッピンで留袖を着ていた。化粧は身だしなみと思っていた私だが、しなければしないで、それなりのプラスはあるようで、「私は素顔でも姉妹では一番の美人やろ?」と、面の皮も厚いが、誰もが認めている。残念ながら手入れしているだれよりも、顔も素肌もきれい。肌も、香害を受けているのかもしれない。

香害を取り締まることは無理だろう。隣にすわっている同僚に「化粧してくるの、止めてくれない?」なんて言えそうにない。自然の香りだけを用いての製品には限りがあるだろうが、化学物質を使わない製品や、無香料の製品がたくさんでてきてほしい。

人々は、良い香りを嫌っているわけではない。自然の香りは、心身をリラックスしてくれる。疲れた夜など、枕元でお香を焚く。線香一本でリラックスできるのだ。あちこちに、自然の美しい花々が香り高く咲き乱れている町づくりができたら、素晴らしいことだと思う。

 

2020年3月7日土曜日

№1282 柿の木


  庭に2本の柿の木がある。義母が生きていた頃は、蜜柑の木が何本もあったのだが、今は、総て枯れてしまった。私が柿の木を植えたことはないので、多分、義母が何時の頃かに植えたのだろう。柿の木の寿命は、50年から300年とも言われているのだが。何の肥料も与えず手入れもせずなので、50年もすれば、多分枯れるだろう。もう寿命が来ているのかもしれない。

実をつけだしたのは、記憶にない。【桃栗3年 柿8年枇杷のアホめは13年】と言う諺? を聞いたことがある。何時まで実をつけてくれるかは分からない。

 10年も前になるだろうか、3年程実を付けなかった。木の幹をトントン蹴りながら、「どうして実をつけないの? もう切ってしまうよっ」と叱ったところ、再び実を付け出した。私の気持ちが通じたわけではないだろう。柿の木も、一休みしなければ、身が持たなかったに違いない。

 柿に限らないだろうが、実の生り年と裏年というのがある。昨年は、裏年で、一つも口に入らなかった。上のほうに、20個程生っていたが、総て鳥の餌になってしまった。消毒をしたら、少しは実を結んだのだろうが……。

 そんな柿の木が、家の垣根の外の一段と低い土地に根をのばしたらしく、柿の木が生えて来た。チョン切る事もせず放ってあるのだが、子指ほどの太さで、二本出ている。ふと思った。「柿8年か、これが実をつけるのは、見届けられないなあ」と。にわかに、「ああ、私もトシとったもんやなあ……」と思った。秋には90歳になる。まだ90歳だ、と思うことにしようか……。

2020年3月4日水曜日

№1281 常識


  普通、常識というのは、一般人が持ち、というか、持っているべき判断力、思慮分別などをいうと思うが、最近、ふと常識は、人それそれにかなり違うものかなあと、思ってしまった。今回のコロナウイルス事件で、TVでもしきりに、トイレットペーパーは、国内で生産されているものなので、買いだめなどしないように、と言われているにもかかわらず、Aスーパーのトイレットぺーパー売り場が、カラッポになっていた。B店も売り切れていた。私は自分では常識人と思っているので、買いだめをする人たちが不思議でならない。そんなことをしたら、たちまち家に余分の無い人たちはどうなるのか、と心配してしまう。どうも、自分さえよければ、という考えは、常識なんだろうか……。古女の呟きでした。

 

2020年3月1日日曜日

№1280 新コロナウイルス


  まだ冷たい風が吹いて来るでしょうが、庭の雑草や木々が春らしく精気を取り戻したような感じがしています。

徳島県に新コロナウイルス陽性の方がいらっしゃったようですが、本日退院され、家庭に帰られたとのニュースを耳にしました。特に症状もなかったらしいのですが、ひどく騒がれてしまいました。私は、何の心配もせず、自由に外出もしていましたが、ちょっと騒ぎ過ぎでは?と思いました。全国殆どで、明日から学校は、お休みになる気配です。沢山の患者さんが出ているところは危険ですから、一斉休業の意味はあるのでしょうが、この徳島県で、そのような処置は、必要なのか?と思うのは、のんき過ぎるのでしょうか。

 私の町も、ほとんどの集会は、キャンセルとなっていますし、施設も使えなくなっています。私のようなのんき者ばかりではありませんから、直ぐ近くの店に行くのも気遣ったり、近所の数人が集まるような会にも、出て来ない心配性の方も事実いらっしゃいます。

こういうときは、私のようなのんきな性格は、得やなあ()と思いますね。