2014年5月31日土曜日

去る五月


まるで真夏日のように暑い一日でした。朝から、あちこちの田植機の音が聞こえていたので、「ああ、もう田植えがはじまったな」と思いつつ、外には出ずじまいの一日でした。少しばかり腰の調子が悪いものだから、外の仕事をしなかったし、買い物にも行かずに、台所と机の前の仕事に精を出していました。

しかし、こうした一日というのは、足腰には良くないらしく、夕方からは、ちょっとへっぴり腰で椅子から立ちあがっているのです。

今年も6月の末に開く同窓生でつくる【友の会(53名)】の同窓会があります。その案内の往復はがきの返信が、ここ5日ほどの間に半数ほど届いています。同期生ばかりなので、ほとんどが83、4歳ですから、昨年よりも出席者が少なくなることは否めません。
今のところ、欠席は5名。出席者が20名近いので、確率からいうと、トシのわりに元気者が多いように思われるのですが、実は平成23年6月の同窓会(25回)を最後に120名ほどの同窓会は、もうトシなので、ということで解散しました。しかし、元気でいつも出席しているような連中が、「まだまだ集まろうよ」ということで、57名の方たちで【友の会】というのをつくったのです。
それでも、1年後の第1回目の友の会は、43名ほど出席出来たのですが、昨年は36名となりました。会員も53名に減少しています。中にはまだ活躍なさっている方もいて、会議があるとか、来年は行きますとかおっしゃる方もいるのですが、やはり足腰が……とか、遠方なので……とか、もう無理だ、と言う方が出始めました。それは仕方のないこととは思いますが、【健康寿命をのばそう】ということからも、こうした機会には、「楽しみにしていました」というくらいに、少々足腰が痛くても、是非出掛けてきてほしいものです。

明日は衣替え。温暖化もあってか、ちょっと夏が早くなったようなこの頃ですから、衣替えも早くしたほうがよいように思います。ま、最近は、季節に関係なく、何でも自分の思うような服装で闊歩出来ますし、学生さんも、黒い学生服やセーラー服は、早めに脱いでいるようですが……。

あっ、もうすぐ、日付けが変わりそう。明朝は、5時半からの毎日放送の時事放談を見なくちゃなりません。仙谷由人氏と、自民党の副総裁高村正彦氏が、御厨 貴氏の司会で「攻撃に反撃」ということで、話されます。朝はやいのですが、仙谷党員の私としましては、ぜひ見なくっちゃあ。(笑)

 

 

2014年5月29日木曜日

集団的自衛権


国会では昨日、衆議院予算委員会で【集団的自衛権】の行使容認などをめぐって、集中審議が行われましたが、野党それぞれが、団結して、安倍政権をどうこうしよう、ということは、簡単ではなさそうです。野党内でも意見は割れているようです。安倍さんに近いのが維新やみんなの党のようですが、ただ、この問題は、大きな問題です。極端ないい方になりますが、戦争に引きずり込まれる、という可能性だってある問題ですし、反対に、いきなり爆弾を投げ込まれるかもしれない国の問題ででもあります。どのような形で国を守るのか、ということは、ただ平和平和と叫んでいれば良い問題てもありません。

このような大きな問題を、自民党だけで決めていいのでしょうか。数は少ないかもしれませんが、国会議員と言うのは、国民の代表です。とことん、議論をしてもらいたいと思うのは、多くの国民の思いだろうと思います。

最近の安倍さんをみていますと、ひどく自信にみちていて、【そこのけそこのけお馬が通る】というような感じを受けます。立て板に水を流すような答弁は、心のこもらない答弁にも聞こえます。

私たち市民には、深く考えて、最良の道を考える、というのは難しいことです。ゆえに、議員殿に託しているのです。時間をかけて、真摯に議論していただきたいものです。

2014年5月28日水曜日

主婦・職業婦人


こんな会話が耳に入ってきた。

A「今の時代はいいなあ。昔は働き手が男に限られていたから、女はどんな苦労があっても自立できなんだから辛抱した。離婚なんて、考えもしなかった。私の親なんか、そんな感じやわ」

B「今はちがう。家、空っぽにしても、皆働きたがっているなあ」

C「いや、働かざるを得ないんだわ。父ちゃんの働きだけでは、喰っていけないんだ。子どもを他人に任せて働くなんて、つらいでよ。特別な自分の特技を生かした仕事でもするんなら別やけど、誰でも出来る単純作業しか出来ない女に、子ども預けてまで、働く喜びなんてないわ」

……ふと思った。

そういえば、私も仕事が生き甲斐というよりは、子どもが出来てからは、家庭の主婦にひどく憧れたのだ。仕事を止めたら、生活が成り立たなかった。そんなとき、夫は言った。「わしの給料が、1万円になったら、やめてもやっていけるやろなあ」と。事実1万円になった時には、「給料2万円になったら、止めてもいけるやろなあ」そして2万円の時代になると、5万円になったら、10万円になったら……と。(笑)

給料が上がっても、物価もあがっていて、一人の給料では、家族を養うことは難しかったのだ。その上、3種の神器などといって、次から次へ、新しい便利な電気製品が出てくるので、それを月賦で払いながら、結構苦しい生活だったのだ。

私は、平凡を絵に描いたような女だつたので、自分の才能と呼べるようなものはなかったし、ただただ、子育てや家庭の主婦業に憧れたものだった。あまりにも、主婦と職業婦人の両立が忙しく、疲れ果てたこともあったのだが……。

今思うと、そうした苦労のおかげで、老後の生活も何とか自立できているし、昔の苦労のおかげで、今の幸せが増幅されている、ということにもなっているようだ。

終わり良ければ全て良しとも言うが、若い時の苦労無しの生活から、老いて苦労する、というのはちょっと敬遠したい。昔の人は「苦労は買ってでもせよ」といったが、それは、今も通用することだと思うものである。

2014年5月26日月曜日

思い出ノート


探し物をしていると、いつも思うことがある。「ちょっと整理せなあかんなあ。いらんもんが、ようけ溜るっとる」とか、「大事なものは、どこにつまえたか、書いておくノートを、別に作っとかなあかんなあ」と。ま、こんなことを思うくらいなので、探し物は、なかなか見つからないのが常である。(笑)

ということで、ちょっと時間があいたので、さっきは、滅多にさわらない古い本箱の引き出しを整理していたら、昔のノートが出てきた。表紙は布張りで、色がハゲ落ちている。いかにも大事なことを書きとめてあるようなノートだが、そんな記憶はない。ちょっとしたことを、作文風に書き記したものだ。拾い読みをしていると、出てくる出てくる、もくもくと玉手箱のように、当時の様子が立ち上ってきて、とめどもない。

可笑しいのは、自分では、【私は気が長い。めったに腹を立てたりしない性格】と自負していたのだが、そんなこともない。けっこう腹をたてて、怒りをぶちまけているのだ。(笑)

まあ、若かったということもあるのだろうが、今なら、それくらいのことで目クジラをたてないだろう。

思い出とはいいものだ。悲喜交々の思い出も、年月の衣をまとうと、それなりに熟成して、ほとんどが美味しい思い出となっていく。寝たきりになっても、こうした思い出の箱を紐解いてひと時を楽しむことが出来ればと思う。

 

2014年5月25日日曜日

映画【ペコロスの母に会いに行く】


今日は、町民シアターで行われた【ペコロスの母に会いに行く】という映画を観に行きました。ペコロスというのは、小さな玉葱のことですが、息子の頭が玉葱のようにつるつるということで、こんな分かりにくい題名になったようです。

認知症になった母と頭の禿げた息子を中心に描いたこの作品は、昨年の11月に、封切られていて、かなり有名になっていましたので、チャンス到来と足を運びました。

もう89歳になったという女優赤木春恵さんが、この映画が初主演だそうで、迫力ある演技を見せてくれました。

原作は、長崎在住の漫画家・岡野雄一氏のエッセイマンガ【ペコロスの母に会いに行く】とい本で、今はベストセラーになっているようです。ご自身の体験をもとに、深刻な社会問題となっている介護や、認知症という日常の問題を、喜劇風に映画化されています。

やはり、こうした映画は身につまされますし、共感と感動はつきものです。

家でひとり留守をさせられなくなった母親を、グループホームに預け、逢いに行くのですが、息子を怖い人と思ったり、誰なの?と言ったりするようになる母を、何とも言えない気持ちで見つめる息子の落ち込みは、よくわかります。私も昔、母が脳梗塞のあと、だんだんと認知症になっていくのを目のあたりにして、涙をこぼした経験があります。

しかし、息子は最後に言いました。〝ボケるとも、悪かことばかりじゃなかかもしれん〟と。昔の楽しかったこと、亡き夫や、幼さな友達と再会する幻想。そんなときの母親の顔は、幸せそうなのです。

とは言いますものの、やはり、大変なことには間違いありません。できることなら、親も子も、認知症とは、ご縁のない一生をおくりたいものと、つくづく思いました。

 

2014年5月24日土曜日

教え子


教師という仕事をしていた者は、【教え子】という呼び名の子どもがいる。何十年もの間、入れ替わり立ち替わり教え子は、はなれていくのだが、出来のいい優等生もおれば、そうではなかった子もいて、何となく心配というか、どんな暮らしをしているのかと、気になることは、よくある。色々と問題を抱えていた子どもについては、特に気になることが多い。

昔、同じ日に、二人の教え子に会ったことがある。最初にであったのは、頭脳明晰の優等生だった男の子。逢うなり「ゴマメ先生、じゃないですか。お久しぶりです。A男です」と懐かしそうに声をかけてくれ、しげしげと私の顔をみながら、「先生、ちっともお変わりないですねえ」と、嬉しいお愛想を言ってくれた。5分ほどの立ち話をしながら、立派になったAに、当時の顔を重ねながら、とても嬉しかった。

ところがその日の帰りの汽車の中で、座っている私の肩をポンと叩き「ごまめ先生、こんにちは。ぼく、憶えとるで?」と、声をかけてきたB助。憶えとるもなにもない。長い教員時代で、悪さと勉強嫌いでは、王様か金かという駒である。「忘れるもんですか。よう憶えてますよ」と笑うと、「センセ、トシとったなあ。始め、だれかと思ったわ」と、これまた正直な感想を言うではないか。「学校では、ウソばっかり言うて、先生を騙してばかりいたけど、今日は正直なこと言うてくれたなあ」と私もやりかえして、二人で大笑いした。

仕事のことを聞くと、何となくウソっぽいことを言うし、結婚したけど、追い出したなんて言うので、逃げられたのかな、なんてまた心配が増えたような気分で別れたのだ。

その後、何度か私の家に遊びにきたのだが、そのたびに何らかのお説教をしなくちゃならなかった。調子のいいことを言ってるかと思うと、馬脚を現すものだから、つい、言いたくないことも言ってしまう。いつまでも、教え子というカセから外せない子だった。

その後、風の噂によると、B助の母親は、母親としての愛情を持って居なかったことが分かった。そうしたことを知らなかった私は、若かったとはいえ、教師としては失格だつたと思う。当時、そうしたことに気づいていたらと思うのだ。

ともあれ、人間相手の仕事には、喜びも大きいが、心配ごともあるものだ。それぞれが、真面目に頑張ってくれることを幾つになっても願っているものである。

2014年5月22日木曜日

嘘の天才


遠隔操作ウイルス事件で、片山祐輔被告の嘘がばれて観念したのか、【自分が犯人】ですと告白した、という事件がありました。主任弁護人の佐藤弁護士は、片山被告については信じていたらしく、真犯任と名乗ったことで、ひどくショックを受けながらも、「悪魔が仮面を被っていた」とまで厳しく表現していました。また、「嘘の天才というのか、嘘をつくつもりもなく嘘がつけてしまう。どうやってこの人格ができたのかわからない。片山の中にまったく別々の人間が存在しているというよりも、悪魔に支配されているとしか言いようがないです」とまで言っています。

まあ、世の中には、嘘の天才とまではいきませんが、嘘ばかりを言って暮らしいいる悪い人間もいて、この世から、犯罪は無くならないのですが、こうした人たちは、生まれついての嘘つきなのでしょうかねえ。

私の小学校の2年生だったと思いますが、隣の席のA子ちゃんは、嘘つきの天才のような子で、私はよく騙されてばかりいました。「家に猿を飼っているから、いっしょに帰ろう。見せてあげる】と言われ、反対方角というのについていくと、家の近くまでくると、「忘れていたけど、お猿は親戚の人が、昨日連れていったので、いない」と、言うものですから、私はひとり、とぼとぼと回れ右して家に帰るのです。その子は、ひとり帰るのがイヤなので、私を家の近くまで誘ったのでしょう。でも、次の日は、また、昨日の猿が、もどったというのです。私はまたついていき、家近くまでいくと、また猿が逃げていなくなった、と言うのです。家に帰って母や祖母に、「かくかくしかじか」と、遅くなったわけを言うと、「騙されているのだから、もう行ったらだめだ」と言うのですが、私は、やはりA子がそんな嘘など言うはずがないと信じていましたし、お猿が見たくて3度も行ったのです。2、3日すると、こんどは、サーカスの像が近くにきたから観に行こう、といって騙されました。

今から思うと、それはそれは子どもながら、立て板に水を流すように、猿や、像のことをしゃべったりするのです。話を聞くだけで面白い子でしたので、騙されたと知っても、恨むことはありませんでした。さすがに像で騙されてからは、親の言ったことを信じて、その後は誘われてもついて行きませんでしたが。(笑)

祖母は、こんな私を「この子はお人よしにもほどがある」と、情けないというように叱るのですが、本人は、そうは思っていませんでしたから、何と言われても平気でした。ま、それがお人よしということなんでしょうか。

今ごろは、A子さん、どんなお婆ちゃんになっているのかしら?と思ったりしています。やっぱり嘘つき婆さんかしらねえ。ふふふっ。

 

2014年5月21日水曜日

朝の虹


知人awatenさんの、今日のブログです。


awatenさんは、実力派の俳人。藍住文芸のお世話もしてくださっています。

今、私がawatenさんのブログをみて、さっそく、ここに紹介させて頂いたのは、私も、この【朝の虹】を見たからです。ワイパーを動かしている車を走らせながら虹を見付けて、「あっ虹だ!」と、叫んだのです。早朝、用事で西に向かっていた時でした。Awatenさんのように、写真をとることもできないし、ハンドルを握って、ちらちらと眺めただけで、心残りだったのです。Awatenさん。ありがとう。写真のような虹でした。当たり前かな。() 

虹って、幾つになっても、いつ見てもいいものですね。自分の未来までが明るくなるような、ふわっとした気分になります。いい日になりました。

 

2014年5月19日月曜日

犯罪


私は顔も知らない歌手ですが、ASKAとかいう歌手が、麻薬で捕まっているようです。麻薬がどれほど怖いものなのか、人間を破滅するということが、これほど広く言われているというのに、一向に犯罪者が減らないといのは、どういうことなのでしょう。麻薬など何の関心もない者にとっては、不思議でもあるし、バカな人間だと憐れんでしまいます。

麻薬の犯罪は、芸能人に多いと言われていましたが、今や、一般の人達にもはびこっている、というのですから、怖い話です。
先日は、校長先生が捕まっているのには驚かされました。先生や警察官は、少なくとも犯罪など起こすようなことは、しないのが世の常ですし、「してはいけない」と、教える立場ですのに。

最近は、若者の麻薬は減少しているのに、いいトシの50代や高齢者が増えているといいますから、これも困ったものです。

高齢者は、麻薬だけではなく、万引きだの、ストーカーといったような犯罪が、増えつつあると言います。これも時代の変わりようと同じで、年寄りの生活環境が、昔とちがっていることと、関連があるのでしょうか。

例えば、以前から、増加傾向にあるストーカー被害の中でも、60歳以上の加害者が急増しているそうですが、高齢者の数の割合が高くなっていくのですから自然と犯罪の数も、増えて行くことになる、なんて思っていたのですが、そんななまやさしい数ではなさそうです。
ストーカーは、加害者の大半は男性なのは、納得できますが、10、20、30、40、50歳代の各増加率は昨年までの10年間で1,21,5倍らしいですが、60歳以上は4倍近いのだそうです。

専門家は「背景に高齢者の社会での孤立化があり、対策が急務だ」と指摘しています。『老い先短いから』と自暴自棄になったり、『青春を取り戻したい』と思ったりした時にそのはけ口を女性に求めてストーカー行為に及ぶ人が多いそうですが、昔は、いくら孤独であっても、そんな自暴自棄になるような年寄りは、希でした。

理由はともあれ、そうした行為に走るなんて、女性からみますと、ほんとに男はしゃあないなあ、ということになります。
連れ合いに死に分かれたり、仕事がなくなったりしても、女性は、けっこう立ち直り、前向きに生きている方が多いのですが、男性は、その点、女性に敵わないようです。

万引きや、ストーカーに限らず、老人の孤立を防ぐために、地域と触れあう機会を作る、ということが大切と言いますが、田舎ならともかく、都会では、なかなかそうしたことは難しいと思うので、行政が力を入れていくほかないように思います。



 

2014年5月18日日曜日

記憶力


昨日のブログに書いたことの中に、【二日前の日記を書く】ということをしたらよい、ということを書いたことを思い出した。そして書いてみよう、と思って考えていた。すぐには思い出せない。
しばらく考えて、やっと思い出した。金曜日のことだ。まず曜日を思い出しすことからはじめなければ、何も思い出せなかった。
したことは、土曜日の夕方からの文芸協会の総会と、そのあとの懇親会の準備に、午後の時間の殆どをかけた。
午前中は、日曜日(今日)に行なわれる町一斉清掃のための仕事と、(家の裏庭の草取りなど)それからその間を縫うように、徳島まで用事で、車で2往復している。

たった二日前のことであるが、やっと思い出した、の感である。こういうことをしなければ、記憶力は減退して行くということらしい。

さすがに昨日のことは、直ぐに思いだせる。午前中、一斉清掃で集めに来る草などを一か所に運びだそうとしていたら、休日の息子や嫁に、そんなことは、私らがするからおいておくようにと言われて、させてはもらえなかった。()

私のことを心配して、「するからおいておいて」と言ってくれるものだから、私はなるべく誰もいない時に仕事をしたいのだが、そうばかりはいっておれない時もある。

私の経験から、毎日仕事に出ている者が、休みに草取りなどするのは、大変なのでさせたくないのだ。それでなくても疲れているし、ごそごそと用事がたまっているのだから。

話が脱線しながらジグザグしてしまうが、記憶がだんだんと衰えていくのは致し方ないと思う反面、鍛えることも【楽しみながら】するというのもあっていいだろう。

学生時代、英語が苦手で、苦しみながら暗記したことは、悪夢のような思い出で、何一つ身につかなかったのだが、年をとった今、芝居の台詞を憶えるというようなことは、そんなに苦ではない。簡単に覚えられるというのではない。若い時の何倍もの苦労をするのだが、その苦労が実になるので、苦労とは思わないのだ。

何であれ、楽しみながら出来ることは、いいことだと思うので、また何かいいことを見付けてやってみたいものだ。(^^)

 

2014年5月17日土曜日

MCI


最近、MCI という文字をよく目にします。日本語で書くと、【軽度認知症】といことだそうです。そう言われたら直ぐに分かります。こんな言葉造られたら、年寄りはわかりません。

 厚労省は昨年、「軽度認知症(MCI)」の人が全国に400万人いる」と発表しました。認知症ではないが正常でもないという中間状態で、言ってみれば、この頃良く聞くグレーゾーンであり、認知症予備軍です。

「予備軍は放っておけば認知症を発症します」とよく言われています。海外のデータではMCI510%が1年以内に認知症を発症しているということです。どんな症状を軽度というのか、しらべてみました。

1)同じ事を何度も言ったり聞いたりする。(2)人と会う約束を忘れる。(3)最近の印象的な出来事を覚えていない。(4)電話で聞いた事を忘れ、家族に伝えられない。(5)財布、鍵など大事な物を置き忘れてよく探す。(6)薬の管理ができなくなった。

と、書いてあるのは、「物忘れ外来」を開いている奥村という医師の方です。こういう傾向がみられたら、物忘れ検査をしたのがいいとも、おっしゃっています。

で、予防法とか、進行を止める方法はあるのか、ということも、書いてありました。

国立長寿医療研究センターの島田裕之部長と言う方が日常生活で有効な記憶力改善方法を提案しています。

まず、「スーパーでの買い物で後戻りせずに、どんな食材を買うか、どこに並べられているかの記憶をたどり、1度も後戻りをしないで買い物をする手順を考えて、その通りに実行する」

次は「歩幅を5センチ広くして歩く」 やや強い有酸素運動をすることで、脳の神経細胞の物質を多く作れる。

もう一つは「2日前の日記をつける」何も見ないで書く事で、認知症で衰えるエピソード記憶を鍛えることができる。これらのレッスンは、使っていない神経細胞を蘇らせる。

さらに、「運動しながら頭も使う。つまり2つの神経を同時に使う。ウォーキングをしながら100の数字から3ずつ引いてゆく、踏み台の上り下りをしながらシリトリゲームをする。1週間に90分、1年間続けたチームは、何もしないチームより格段に記憶力が上回りました」とか。

私めも、「近ごろ物忘れがひどくて…年だね」なんて暢気に言っていますが、ああ、すでにMCIかもしれなません。

 

2014年5月16日金曜日

朝ドラを見ながら……


朝食をとりながら、BSTVで7時半からの朝ドラ2本を見ている。【花子とアン】や、続いての再放送している【カーネーション】昨年の【ごちそうさん】などは、昭和一桁生まれの者にとっては、とても懐かしい時代を思い出させてくれるので、特に親しみが持てるのだ。

今放映中の【花子とアン】は、花子も白蓮も、恋愛ではその時代を騒がせた実在の女性なので、ミーハー的にも面白そうだ。私が成人してからも、花子さん、白蓮さんは、まだこの世に生きていらしたので、これからの二人の人生が、どのように表現されていくのか、楽しみだ。

今の若い人たちから見ると、汽車に乗っての旅が、大変なことだったことが不思議に思うかもしれないが、戦前や戦中は、東京から大阪間であっても、簡単には行き来はできなかったのだ。

ましてや北海道となると、今なら外国なみだろう。私が小学校3年生のとき、父は、結婚以来、始めて北海道から徳島に、私を連れて里帰りしたのだ。何日かかけての里帰りだった。

徳島駅に着いてから、バスに乗って、実家までの田舎道をガタゴトと1じかんほども走ったろうか。運転手さんが「お客さん、この次が役場前っちゅう停留所なんやけど、家は、役場のどっちにあるんで?」と父に尋ねた。外ばかり見ていた父が、「ちょっと待ってつかいよ。ええとう……このあたりと思うんじゃけんど……あっ、あそこじゃ。あの家じゃ」と、指差したその先には、樹に囲まれた、藁屋根と蔵の瓦屋根が見えていた。
私は、今まで聞いたこともない訛りの田舎ことばが、父の口から出たものだから、ひどく驚いてしまった。バスは急停車して、私たちを下ろしてくれた。むろん、停留所ではない。父の実家に一番近い細道の脇で、おろしてくれたのだ。

祖父母が、10年ぶりに会った息子と、始めて見る孫を前にして、野良着の袖や、首に巻いた手ぬぐいで、涙を拭きながら喜んでいた姿が、今も目に浮かぶ。昭和14年の夏休みだった。

今は便利になったものだ。当時も飛行機はあったのだが、庶民が飛行機で旅をするなんて、考えてもいなかった時代である。

横道にそれたが、朝ドラを見ながら、色々なことを思い出したり、あっ、それはちょっと大げさすぎるねえ、などなどつぶやきながら、楽しいひと時をおくっている。

 

2014年5月14日水曜日

行方不明の……


認知症の女性が、徘徊が原因で行方不明になり、7年目に夫と再会出来たというニュースが、先日ありました。

私は、そんなことが、今のこの情報時代にあるのかと、不思議でした。いくら手違いがあったにせよ、生きていて、しかも施設に入っていて、名前まで分かっているというのに、どうしてこんなことになるのでしょう。なんとなく、周りの人達の取り組みの甘さのようなものを感じました。

これからは、行方不明になる認知症のお年寄りは後を絶たないでしょう。私達の身近にも、よくあることです。『○○さんが、今朝から行方が分からなくなっています。云々』という報せが、マイクを通じて町中に聞こえるのです。マイクでは、認知症の方とは言っていませんが、認知症であることは直ぐに分かります。何時間かして、無事にみつかったという放送が流れますと、ほっとします。

以前、認知症の夫が、妻のちょっとした不注意で外に出て、汽車に跳ねられて亡くなった事件がありましたが、裁判所は、その妻に、JRの損害に対して、かなりの罰金を課しました。この判決には、疑問もあるように思います。ずっと、監視しているわけにはいかないことも、よく分かりますし、家族も大変です。この例から考えますと、この7年間の施設での暮らしの賠償を、要求されて、裁判にでもなれば、どうなるのでしょうか。

と、まあこんなことも考えさせられました。

こうしたことを見聞きしますと、自分もいつ認知症になるか分からないだけに、色々と考えさせられるのです。

認知症の早期発見とか、ならない為の生活習慣などなど、いろいろと言われていますが、あたりを見回しますと、何をしていても、なるときにはなる、というのが実感です。実感というよりは、覚悟といったほうがよいかもしれません。

『○○さん、近頃、おかしいになっとるらしいよ。あんなにしっかりしとったのになあ』『えーっ。どなになったん?』『財布を家の中で盗られるからいうて、警察に行ったんやって。そしたら、婦警さん二人が話聞いてくれて、外から入ってくる泥棒は、鍵かけておいたら入られんけど、家の中で盗られるンは、鍵かけることできんわなあ、って言うたけん、監視カメラつけたらしいよ』『へえーっ。監視カメラやかし付けるなんて、ようそんなこと思いついたなあ。で、それで盗った人、写っとったんやろか?』『そのカメラ、写らんらしいわ。どうせ、嫁が写らんようにしたに違いないって言うとった。嫁さんもええ災難やなあ』

こうした事実があるんです。ああ、認知症になるときは、可愛らしい認知症にならないと……。これは、日常の心がけで、どうにかなるかも。()

 

2014年5月12日月曜日

脚本 その3


どこの県にも、芝居好きな方は、大勢おられます。観るだけではなく、自分が舞台に立って、芝居をやってみたい方もたくさんいらっしゃいます。そういう人たちのつくる演劇のグループが、県内にも、幾つかあります。中には若い時に都会でお芝居をしていた、という方もいて、そうしたグループを作って、活動なさっていたりします。しかし、簡単に役者で生活出来ないこともあって、或いは家庭の事情で、帰ってきて仕事をしながら夢を実現している方もいます。ロマンのある人たちが関わっているようです。

年1度でも公演するということは、経済的にも大変なことなので、チケットを買っていただいたりするわけですが、まず地方では、演劇では、お金儲けにはなりません。そういうことを度外視して活動されているのです。

私たちのシニア演劇も、4回公演しましたが、赤字を出さないようにと、皆で頑張ってきました。

今年6月末には、県の演劇フェスティバルがあります。文化の森で、28日(土)、29日(日)と2日間で、高校演劇や一般の演劇が開かれます。出入りは自由で、チケットもありません。そんな中に混じって、私たちシニア劇塾も出演することになりました。

先生からは、題が出されました。高校演劇で、有名な【7人の部長】という脚本があります。越智優という高校の先生の書かれた脚本です。女子高校の七人の部長が集まってきて、「部活動予算会議」が始まります。しかし、会議は脱線また脱線。……といったような内容ですが、それにちなんで【7人の(老)部長】というか、ケアハウス内での老人のクラブ活動の部での予算をめぐっての話をやりましょう、ということです。

私は、大体の構想が決まれば割合に早く仕上がるのですが、それまでがなかなか決まりません。どういう筋書きにするか、どんな構成にするか、もたもたと迷いに迷います。先生に相談もし、助言もいただきながらですが、先生はいつもおっしゃいます。『説明や井戸端会議は退屈される』と。でも、私のような力不足が書くのですから、理屈通りにはいきません。もう、あとは演出にお任せです。演出というのは、悲劇を喜劇にも、またその反対も出来るのです。先生の演出をみながら、こんな台本でも、何とかしてくださる、と大船に乗っている私です。()

今回は、主宰者のお達しで、台本が仕上がってから、60分が50分に短縮され、さらに40分以内ということになりましたので、何度か書き直すこともありました。それに、主役7人のほかの方たちは、出番が少ないので心苦しいし、7人の方たちは、台詞が多くて苦労をおかけしますし、そういったことで私もけっこうストレスがたまりました。()

私たちの出番は(私は今回出演しませんが)6月29日です。まだ、時間は不明ですが、それに向かってしばらくは、必死になって頑張ります。

 

2014年5月11日日曜日

脚本その2


私が脚本に興味を抱き始めたのは、やはり、向田邦子さんの作品が好きということからだろうと思います。エッセイに興味をもち、読み始めた向田さんのエッセイが、とても面白く、こんな文章が書けたらいいなあと思ったのですが、そのうちに、憧れの向田さんの書く脚本も読むうちに、自分も何か書いてみようと思ったのです。
彼女の足元にも及びませんが、色々と舞台や映像を想像しながら書くのは、とても楽しいものです。

脚本は、人によって書き方は違うでしょうが、私は自己流ですが、テーマ―がきまれば、私の知っている有名な俳優さんを頭に浮かべ、配役を決めて書いていきます。
たとえば、4人の年配女性の物語でしたら性格的に、Aは杉村春子、Bは沢村貞子、Cは八千草薫、Dはお転婆の似合いそうな……といったような方を想像しながらしゃべらせていきます。そうしないと私のような素人は、途中から混乱してしまいます。スジの通らないものになっても困ります。

シニア劇塾の場合でも、あらかじめ、だれがどの役、と決めて書き始めます。それは、私だけの胸の内ということで、台本を指導してくださる先生に、配役はほとんどお任せします。おとなしい感じのAさんが私の思っていた役と違うこともあります。それは、Aさんを今回は違ったイメージの役をやらせて、Aさんの隠れた面を引き出すこともなさるからです。

教師時代、学芸会というものがありました。劇をする時、主役がいたり、その他大勢という役もあって、その差は、頭の痛い問題でした。
でも、一言しゃべるのに、一生懸命に頑張る子もいますし、長い台詞をすぐに覚えられる子もいたりして、それぞれが納得するわけですが、劇塾はそうはいきません。
劇塾に入ってくる人たちは、演劇に興味と情熱を持っています。皆さん、それなりの役どころを希望しています。熱心であればあるほど、自分の思うような役が欲しいのは当然のことです。それが分かるだけに、台詞の量も、あまりの差は付けられません。先生は、そういう配慮はしなくてよいとおっしゃいますが、つらいところです。
本職の役者さんなら、『一言が光る』役者さんに感動させられることがありますが……。()  明日に続きます。

 

2014年5月10日土曜日

脚本その1


お芝居の台本を書く、というと大袈裟になりますが、私は脚本を書く勉強がしたくて、今入っているシニア劇塾、【カサデ・マデーラ塾】に入れて頂きました。塾長の浅香先生は元高校の校長先生で、お若い時から演劇にかかわってこられた方です。
シニアには、さまざまな人生経験が蓄積されている。そういう方たちは、そこに居るだけで存在感があるものだ。そうした人生経験の豊富な、厳しい世の中を長年生きてこられた方々と一緒に演劇を通して新しい道を探っていきたいと言う思いから、立ちあげられたものです。
そんな塾生募集の新聞記事を目にして、私はすぐに応募したのです。今更、役者の真似はできないけど、脚本の勉強や、発声練習はしてみたいと思ったのです。それまでに、何本かの脚本は書いたことはありましたが、むろん実際の舞台で、上演などしたことはありません。ご指導いただいて、もし、そのようなことが可能なら……、と思うと、迷うことなく申し込むことが出来ました。平成21年の秋のことでした。

80歳にまもなく手の届くほどの大年増の私でしたが、先生は快く入れてくださいました。そして翌22年秋には、旗揚げ公演となったわけです。それ以来、シニア問題を取り上げた劇作りを、皆さんと一丸となってやってきました。

脚本は、実際に舞台で上演するのと、紙の上だけの脚本とは、かなりの違いのあることも学びました。
また、演出なさる先生のご苦労は、想像以上でした。何しろ、シニア集団です。教えられても、なかなかその通りは出来ない。()何度も何度も同じことをくりかえされる。高校生なら、怒鳴ったりもできますが、そうはいきません。先生は、気長く手取り足とりのご指導です。

私は、旗揚げ公演は、出演しませんでした。舞台に立つことなどは、はじめから考えていなかったものですし、舞台に立つ勇気もありませんでした。
でも、あとで見てくださった友人の方々から、【あんたが出てくるの待ってたのに出てこんかった】という不満を聞かされましたので、次回からはちょろりとでも出ることにしました。出てみますと、また違った目で脚本の不備などが分かるのです。

前書きが長くなりました。脚本については次回に、と言うことにいたします。

 

2014年5月9日金曜日

反省の日


【難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことは、あくまで愉快に】

……これは、作家の井上ひさしさんが書いたことばです。何かを読んだり、或いは書こうとするとき、ふと思い出すことがあります。思い出しても、このことばは、とても難しいことです。

私は、難しいことは書きたくても書けませんから、「どうしたら易しく書けるか」なんて悩んだことはないのですが、頭が良くて難しいことを書く方にとっては、易しく書くことはかなり難しいことのようです。専門誌に専門のことを書く場合は別ですが、一般の方たちに分かりやすく書くことは、必要なことで、分からないことを読み続けるという健気な方は、少ないと思います。読んでくれなければ書いても仕方がないと思うか、一人でも読んでくれたらいい、と思うかは、その方の考えでしょうが、私はやはり、分かりやすく書いてほしいと思います。

反対に、難しいことを書いてあると思ったが、よく読むと、易しい内容だった、というような文章に出会いますと、どうして難しそうに書くのかなあ、と思ってしまいます。

【易しいことを深く】ということもなかなか難しいことで、私のように、内容が深いわけでもない駄文を書いている者にとっては、お手上げです。結局は、自分の深さ以上のものは書けないということです。【深いことを面白く】なんて、とても出来ることでははありません。易しいことを面白く、ということは、努力によっては出来るかもしれませんが、これもそうしたセンスの問題で、自分だけが面白がっていることになるかもしれません。

【面白いことを真面目に】は書けても、【真面目なことを愉快に、そして愉快なことは、あくまで愉快に】ともなりますと、もう筆で生きている人たちなら別ですが、素人が自分のことばで書く文章では、かなりの実力を持たねば書けそうにありません。

私は、【書くことは楽しい】と思っている者なので、恥ずかしげもなく、こうしてブログを続けているのですが、やはり、自分の足跡が、少しでもましになるようにしなければ、と、今日は深く反省しています。(^^;;

 

2014年5月7日水曜日

ちょっと……


ブログを読んでくださつている方に、先日お知らせしましたように、休み休み書き込むことにしましたが、正直気分的には、楽になりました。書いても書かなくてもいい、と言う気分なので、「ああ、ちょっと眠たくなつた」とか、「疲れたから止めておこう」と言ったように、怠け心もありますが、それでいいのだと思っています。

今夜も、もう眠たくなったので止めようとお風呂に入りましたが、出てくるとちょっと目が覚めて、書きたくなって、日記代りに書いています。明日は、夜も出て行きますので多分書けないと思いますので。

バザーの翌日(3日)から、大体午前中2時間、午後2時間庭の見えないところにはぼうぼうと生えている草を抜いています。
けっこう腰や手の指が痛くなっているのですが、草を抜いた後を見ると、とてもすっきりとして気持ちがいいものですから、何とか続いています。

今日は、蔓が木に撒きつくイヤな草の根の芋をスコップでいくつも掘り起こしました。まるでさつま芋のような、握りこぶしほどもあるのです。これで少しは蔓草も少なくなると思うと、痛い腰をのばしながらも、精が出たのですが、何となく、「ごめんなさいね」の気持ちでした。町の一斉清掃の日に、その膨大な()草を集めに来てくださるのです。

……ということです。もう冷えてきました。お休みなさい。

 

2014年5月6日火曜日

無理と我慢


常日頃、私の心得ていることに、【無理せず楽せず】ということばがあります。無理せずと言うことの中には、【我慢せず】という意味合いも含まれているのですが、実際のところは、無理はしていなくても、我慢はしていることがあります。例えば、買いたいもの、食べたいもの、言いたいことを我慢するとかいったようなことです。

「無理はいけないよ。我慢しちゃダメよ」ということは、心身共にストレスを貯め込んでいるような方には、よく言うことですが、どこにでも使えることばではなさそうです。(最近は、嫁に出す娘に母親が言ったりしているとか。世の中変わりました)

誰に聞いたのか忘れたのですが、ノートの端にこんなことが書いてあります。『凝りや力みをとるためにとりあえず一番良い方法は【静かに聴く】ということで、自分のからだの内側から発信される微細な身体の信号をそっと聴きとること。微かな信号を聴きとるためにそっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります』と。

これは人間が生きていく上での大切なことだと思います。
とはいえ、現代人にはちょっと難しいことかもしれません。なにしろ、ある学者さんによれば、現代人は、本能が壊れているんだそうですから。(笑)

 

2014年5月5日月曜日

鯉のぼり


今日は子どもの日。昔風に言いますと、端午の節句です。桃の節句同様に、男の子を祝う風習はまだ残っていて、マーケットには、チマキが並んでいます。

それとは反対に、鯉のぼりは姿を消してしまったと言えばおおげさですが、もう滅多にお目にかかれなくなりました。沢山の鯉のぼりを泳がせて、町起しのイベントとしているところはよくありますが、一般家庭の庭に泳ぐ鯉のぼりは、なかなか目に入りません。家の中に飾る兜などが主になったのでしょうか。子どもが少なくなってきたことも大きな原因でしょうが、やはり空に泳ぐ鯉のぼりが元気があっていいですねえ。

♪屋根より高いこいのぼり/大きな真鯉はお父さん/小さな緋鯉は子どもたち/面白そうに泳いでる ……そして 

♪甍の波と雲の波/重なる波の中ぞらを/橘薫る朝風に/高く泳ぐや鯉のぼり// 百瀬の滝を登りなば/たちまち竜になりぬべき/わが身に似よやおのこごと/空に泳ぐや鯉のぼり

……この2曲は、私たちの子ども時代から歌い継がれてきた童謡です。懐かしくなって、庭の草を抜きながら、唄ってみました。ふと、子ども心に返ったひと時でした。(^^)

 

2014年5月4日日曜日

バザー&体調


話が後先になりましたが、2日のバザーは、つつがなく終わることが出来ました。暑い一日だったので、外での作業は、汗が出ました。お茶を飲むのも忘れるくらいの時間帯があり、熱中症に なったかと思うほど、ふらふらになりましたが、何とか完売。目的は達成できました。毎年のことですが、花の会役員以外の大勢の方たちの協力があってのことなので、本当にありがたいことでした。

3,4年前から、年寄り連中は、「もう、来年は引退やな」と毎年言いながら、やってきました。さて、来年はどうなりますか。

今年の寒さは、格別身体のあちこちがおかしくなって、血の循環が悪くなり、手足が冷たくなって痺れたりして何かの病気かしら、なんて思ったりしましたが、最近はそういうこともなく、やはり寒さのせいだったのだと、体調不良の原因は、納得出来ました。
そうはいいましても、暑くなりますと、また体調不良になると思います。去年の夏がそうでした。格別しんどかったように思います。
トシをとりますと、一年一年老化が進みますから、体調もそれなりに崩れも大きくなってくるのは当たり前です。これは、病気ではない、ということが分かってきました。
更に分かったことは、不調が治る、といっても、もとにもどるのではなく、ジグザグしながら、下っていくということなのです。1年単位くらいでみてみますと、それがよく分かります。
自分のことはあまり分かりませんが、姿勢も歩き方も、1年前とは違ってきているはずです。
ただ、以前も書きましたように、私は卵を毎日3個は食べていますから、関節などの退化の速度は、遅くなっていると思います。膝の痛みも、腰の痛みも、一時よりも良くなっています。
でも、卵を食べたからといって、退化しないわけではありませんから、自然の摂理は当然受けています。そうした自然現象を受け入れながら、出来ることはやっていく、という姿勢は続けたいと思っています。

 (前にもお知らせしましたが、毎日卵を3個食べて15カ月。コレステロールの数値は、むしろさがっていました)

2014年5月3日土曜日

憲法記念日


今年の憲法記念日は、安倍さんのゴリ押しで、憲法解釈の変更がまかり通るという動きが加速されている中なので、かなり激しい動きでもあるのかな?なんて思ったりしていたのですが、そうしたことも、ニュースを見た範囲では、あまり目立たないようでした。先日来日したオバマ大統領も、安倍さんの方針を支持されていたようですし、もう、戦争を体験された人たちも少なくなっている現状なので、集団的自衛権といったところで、たいした不安もないのも当然かと思います。

日本が、今の憲法のもとで、一貫して海外の戦争で、武力行使を行わなわずにすんだのは、やはり平和憲法があったおかげと思うのです。

かつての日本が、海外の戦地で戦った元兵士だった人たちは、複雑な思いだろうと思います。そして、いざとなると、戦わねばならない自衛隊の隊員さんも、文句は言えない立場ではありますが、複雑な気持ちと思います。

幾つもの国が、お互いに守りあうということは、悪いことではないかもしれませんが、これに日本が参戦する、というようなことを、こんな国の大事を決める問題を、安倍さん一人じゃないかもしれませんが、自民党だけで、しかも強引に決めていいものでしょうか。何だか、昔の日本の軍国主義を思い出してしまいます。

憲法だって、時代が変われば、変えていかねばならないこともあるでしょう。改憲=9条と言う考えも狭すぎます。憲法には、いろいろなことがふくまれています。経済のことも、議員のことも。これからの国のありようは、9条だけではありません。しかし、私たちの生活の基本は、平和で豊かな幸せな生活です。平和の保障が崩されては、たまったものではありません。

どんな理由があっても、【戦争は悪】であることを私たちは骨身にしみこませなくてはなりません。

今現に改憲が出来にくいからと言って、憲法解釈のカセをはずしてしまう安倍さんの考えは、本当に怖いと思います。

私たちは、安倍さんのあの笑顔に騙されないようにしたいものです。

2014年5月1日木曜日

五月晴れ


昨日とうって変わって五月晴れの良い天気でした。早場米は、早くも田植えが終わって、しっかりと腰を据えた苗が田に息づいています。

我が家のあたりは、ニンジンの収穫時。そのあとにお米を作るので6月にならないと田植えは出来ないようです。

田植えといっても、機械がするので、1日で終わってしまうのですが、昔のように、定規を当てて、手で植えていく田植えと違い、苗の並びが、きっちりとした絣模様というわけにはいかないようです。ちょっとばかり【前に習え】の号令をかけたくなります。

今日は、明日のバザーの準備で、少々疲れたのですが、人間は勝手なもので、張り切って仕事をしているときは、一向に疲れを知らずに動けるもののようです。もう何十回としてきたバザーなので、値付けなどは慣れたもの。(笑)

最近、不用品の中でも、毛布、蒲団といったような、高額のものの出が少なくなってきました。香典返しなどが、色々と選べる冊子が送られてくるためでしょう。時代が変わってきたという感じがします。

高額といっても、バザーではそんなに高い値をつけても買ってはいただけません。デパートでは1万円の品物でも、せいぜい2000円か2500円の値しか付けられません。それでも売れなければ、半額のたたき売り。

それにくらべると、洗剤などは、マーケットの売り出し価格(1キロ入り)250円より50円安くするとすぐに完売できます。(といっても、洗剤などは、多くはありませんが)お客様特に主婦の方は、そういう買い物はよく心得ていらっしゃいます。

明日のお天気も、五月晴れのようです。見上げる椎の宮のツツジも満開。沢山の人出を期待しているのですがどうだろうか? 明日は、外での接客仕事。じっと立ってるだけでも大変。毎年のことながら、「ああ、もう来年はお手伝い出来んやろな?」と思います。(笑)ま、ほどほどにさぼりながら、お手伝いしたいと思っています。