2016年6月29日水曜日

№1064  車間距離


  雨の中、車を運転していると、後ろから来る車が気になった。私の車を突くのかと思うほどに、ぴたりとくっつけて、車間距離を縮めてついて来る。『早く走れよ』と、言いたげだが、私は、そんなにすっ飛ばすことはしない。警察が張っていても、スピード違反にかかるような運転はしない。

車間距離がないと、万一の急ブレーキをかけたら、追突されるだろう。追突など、してもされても大変だ。まして雨の中だ。私は、道幅の広いところにでたとき、車を止めて後ろの車をやりすごした。

 車間距離は、車だけではない。人間だって、字をみたらわかるように、人と人の間は大切なことだろう。いくら親しき仲であっても、間がなければ、ギスギスしたものになるだろう。人と人の間も、適当な距離があれば、思いやりや、愛情が入り込むことも出来るのだから……。

 

2016年6月26日日曜日

№1063 長いお休み


 このブログを書き始めて以来の長期?お休みをしました。

忙しいのもありましたが、毎夜のように遅くまで仕事をし、お風呂にも入ることも億劫になって、そままま日が変わってから床に入りますと、なかなか寝付けないものです。その上に、ちょっとした心配事が幾つか重なったので、精神的に書けなかったというのが正しいかもしれません。

 やっと少し落ち着きましたので、また、つまらないことですが、書いていこうと思います。(^^)

 

2016年6月17日金曜日

1062  元気です

少々草臥れていますが、何とかやっています。こ゛心配なく。(^^)

2016年6月12日日曜日

№1061 困った将来


  久しぶりに仙谷由人氏のお話をうかがいました。彼を囲む会があったのです。参院選も近いことでありますし、しっかりとお聞きしました。今の日本の状態を、【鳥の目・虫の目・魚の目】で見ることのできる仙谷氏が、現実を話してくださいました。

話の内容では、やはり私たちが想像していた以上に日本は傾いているようです。そして、このまま進んでいくと、日本の将来は、にっちもさっちもいかなくなることが、よく解りました。憲法問題、外交問題、労働力の問題、教育の問題、格差問題、少子化問題など等、恐ろしいことばかりです。遅蒔きながら、今すぐにやらなければならない問題は、安倍さんのやろうとしていることでは、出来ないことも解りました。何としても、「安倍さんよ、すまないが、もう一度、腹痛起してください」とお願いするほかありません。

私が、益々仙谷氏を信頼できるようになってきたのは、昔、彼がおっしゃってきたことが、総て現実となってきたこともあります。『今に日本の銀行や保険会社が、潰れるようなことが起きる』『格差は、益々大きくなる』『早くから手をうっていないので、少子化や老人問題が大問題になる』『アメリカ社会の二の前になる』『日本の小・中市町村の繁華街は、シャッターのおりた店だらけになる』等、総てがその通りになってきました。「まさか」と思っていた保険会社は潰れ、私も少ない財産が、大きな損害を被りました。勤め先に来て、『定期預金と同じ感覚で、しかもお得ですよ』と薦められるままに入ったのが運のつき。欲はほんとによくない結果をうみました。()

高知・徳島2県で選ぶ今回の参院選挙は、どうしても、【独断と偏見で、いくつもの悪法案を通してきた自民党】を抑え込む、力ある議員を当選させねばならないことを強く感じたことでした。

大西聡さんよ!がんばってね。

2016年6月9日木曜日

№1060 鏡


  先日、Aさんから、ある相談を受けた。Aさんは、母親Bさんが、まったく人の話を聞く耳をもたず、お金のことを言って娘であるAさんを苦しめるという。認知が始まったと思うのだが、昔から、何事も自分本位で、人の話を聞く耳を持たぬという。自分の思い違いも、何度言っても自分を主張してきかぬらしい。

 そうしたBさんも、他人の行動にはかなり厳しい目をもつ。が、自分の言っていることが、他人の目には、自己中心的と思われていることが、解っていない。自分を写す鏡をもっていないのだ。『こんなことを言っては笑われる』『子どもの幸せのためには、子どもを苦しめてはいけない』ということが、まるでなく、これが親子か?と思うような言動をとるという。

 認知にも、いろいろあって、あることがらは異状でも、他のことは正常というタイプもあるので、検査をしてもらったらと思うのだが、そういうことなど、応じるわけがないと娘たちは諦めているから、しまつが悪い。大事に育てたはずの子を憎んだり、怖がられたりするほど不幸はないはずだ。

 私たちは、いつ認知症に襲われるかもわからないのだが、日常生活と深いかかわりがあるように思う。認知になると、その人間のマイナス面が、更にひどくなる傾向があるらしい。人の迷惑などあまり考えていない人は、益々迷惑をかけるようになるかもしれない。【認知にはなりたくない】ということは、そもそも【まわりに迷惑をかけたくない】ということが根本にあるわけだから、年寄りになっても、いつも自分の行動を反省できるよう、自分を写す鏡を常に持つことが大切だと思う。

2016年6月5日日曜日

№1059 ある日のできごと


  昨日から梅雨に入ったようだ。朝から、田植え機の音が聞こえてくる。ニンジン畑が、田に衣替えだ。お米を主食としている日本人にとって、田植えと言うのは、何となく郷愁を感じるものだ。「どうか、今年も豊作でありますように……」といった気持ちが、自然にわいて来る。

このあいだのことだが、ひどく小鳥が庭で鳴き始めた。いつも烏や雀が年中鳴いているのだが、ムクドリか何か、よくは見えないのだが、数羽が叫ぶように鳴く。台所の換気扇を回すと、更にチッチッチッチという声がよく聞こえてくる。「換気扇の当たりで鳴いているのだろう」くらいに思っていたのだが、どうもそうではないらしい。といっても、換気扇の中に小鳥が入れるはずなどない。外の細い隙間からは、入りようがない、と思っていたのだが、一向に納まらないので、外に出て、換気扇を睨んでいると、何と、隙間から、雀より大きな小鳥の姿がちらちらと見えるではないか。驚いたが、どうしていいものやらと思案し、息子に相談すると、柄の長いハサミで、換気扇をふさいでいる細い棒のようなものを3本ほど切り落としてくれた。何と、プラスチックの軟らかいものなのだ。小鳥は、頭から突っ込んで入ったものの、出てこれなかったらしい。
でも、小鳥は用心してか出口が出来ても出てこない。何とかならないかと家の中に入って、換気扇を回し出すと、出て行ったらしい。らしいと言うのは、飛び出していく姿は見えなかったからだ。

それからというもの、それまでやかましく叫んでいた小鳥たちは、すっかりおとなしくなって、ちちちっと、ときおり鳴きながら、庭の木々の間を飛び回っている。あの叫びは、「だれか助けてあげて!」だったのか、「早く出ておいで!」だったのか? それにしても、小さな小鳥たちの家族か友人か知らないが、随分と深い絆で結ばれているのだなあと、感心してしまった。「気が付くのが遅くなってごめんね」。