2016年4月27日水曜日

№1048  豊か過ぎる


罹災地の生活を移すTVをみていますと、水道が使えない、電気が使えない、といった生活が、いかに不便であるかが、想像されます。思へば普段私たちは、随分と、贅沢な、豊かな生活をしています。「もったいない」ということばは、死語に近いようです。お風呂に入っても、どれだけの水と、電気やガスを使っているのか、などと考えたことはありません。毎月の水道料金を引き落とされると、「あ、今月は多かった・少なかった」と思うくらいで、だからと言って、どこでどれだけ無駄をしたのかしら、などと考えたこともありません。豊か過ぎる現状を反省させられます。

一方、世の中が活性化するには、どんどん消費をしなければならない仕組みです。賞味期限が近くなった物は、売れないので捨てるという時代なのです。まだ使えるもの、食べられる物を捨てて、新しいものを買い求める生活を求められています。車にしても、古くなれば税金は高くなります。いやなら早く買い換えろと言わぬばかりです。

経済経済と、経済ばかりに気をとられてきた政治ですが、どこかに何かを忘れてきたような気がしてなりません。憲法にうたわれている【幸せになる権利】など、絵に書いた餅のように、手に入れようとしてもがき苦しむ人たちは、増え続けています。前進のみがいいとは思えない昨今です。

 

2016年4月24日日曜日

№1047 抵抗力


被災地には、まだまだ多くの方たちが避難生活を送られているようで、色々と病気がはびこって来る危険があると、報道されています。衛生状態も悪くなっているので、手洗いその他に気をつけるようにとのことです。こうした現状の中でも、抵抗力のある人たちは、病気にもならずに暮らしています。

この、抵抗力というものは、持って生まれたものもあるのでしょうが、最近の子どもたちや、若者は、抵抗力が低くなっているようです。その原因は、雑菌と触れ合う機会が少なくなったということらしいのです。

以前読んだ本には、【雑菌と触れ合う生活が、バイ菌に強い体をつくる】ことを書いてありました。手を洗い過ぎるのもいけない、石鹸など使わぬのがよい、床に落とした物は、拾って食べる、と。

そういえば、私たちの子どものころは、食事の前に、石鹸で手を洗うどころか、そのまま、テーブルについていましたし、テーブルに落とした食べ物も、手でつまんで口にいれていました。

消毒された乳房や、哺乳瓶で、乳を飲んだりはしませんでした。

食中毒を起こすような悪玉大腸菌は、毒素を生みだすために、100の力のうち、70をつかいはたしており、残り30程の力しかありませんので、雑多な菌の住んでいるところでは、生きられません。食堂や、給食の現場のように、いつも清潔にしているところでは、繁殖しやすいのです。そういう点では、我が家の台所では、雑菌もたくさんおりますから、食中毒など、起こりません。

また、手や喉、他の皮膚には、普段から、雑多な菌が住んでいるのがよいので、きれいになり過ぎたところには、ウイルスは簡単に増殖しやすくなるので、手や喉のうがいも、水でさっと流すだけでよいのだそうです。大事な皮膚常在菌を守りながら、汚れを落とすことが大切というのですから、無精者の私の生活は、理想的かもしれません。(入浴時だけ、軽く、石鹸で洗うだけで、十分とのこと)

ちなみに私は、インフルエンザにも、食中毒にも罹ったことはありません。けっこう【抵抗力】があるのは、常に雑菌と同居しているためのようです。(^^

 

2016年4月20日水曜日

№1046 気になる災害


  大きな災害が有る度に天災の恐ろしさと、日本人の底力のようなものに感動させられる。若い方は勿論、年寄りも殆どの方たちは、困ったとは言いながらも、前向きに何とか生きて行こうと頑張っておられる。大きな災害の中でも、暴動やら、犯罪といったものも、外国にくらべると、殆どなく、皆さんが助けあっている。こうした日本人の心というのは、やはり、長い歴史の上に培われてきたものだろう。そういう点では、中国の歴史などと違って、有難い国である。

  私のような体力もなく、財力もない者は、わずかの義援金だけでただただ一日も早く地震がおさまり、復興を祈るだけという、何のお役にも立てないのだが、それでも気もちはTVの画面を離れられない。同じことを繰り返すニュースでも、仕事をしながらも床に入っても、聞き耳をたてている。お蔭で睡眠不足で頭が重い。これから大雨もあるらしい。何とか、これ以上の被害の無いことを祈っている。

2016年4月15日金曜日

№1045  熊本地震


  昨日午後9時25分頃に大きな地震があった、というニュースを知ったのは、今朝、5時半に目覚めてテレビをつけたときだ。昨夜は、12時まで起きていたのだが、テレビをつけていなかったので、まつたく知らなかった。その時、徳島あたりも、震度1くらいの地震があったのかもしれないが、最近、よくふらっとすることがあるものだから、例えふらっとしても、地震とは気が付かなかっただろう。今のところ、死者は9人とのことだが、それにしても、津波がなかったということは、どれほど有難いことか。地震と津波が重なると、5年前の惨事のようなことになってもおかしくない。

 四国は、活火山がないので、地震は少ないように思われがちだが、私の住む町の北側には、中央構造線断層帯(讃岐山脈南縁)というのが走っていて、大きな地震が起こる可能性がある。
以前の南海地震だって、徳島県の南地方だけではなく、北地もかなりの被害があったのを憶えている。
 何となく、地球の地底で、大きな変動が起こりつつあるような、不気味な昨今である。こればかりは天にまかすしかないのだが、心しておかねば……。

2016年4月12日火曜日

№1044 疲れ


  今日、昨日と、目が疲れているのか、パソコンの前でも、テレビの前でも、目が痛くなって目を閉じてじっとしている。すると、すぐ眠たくなる。眠ると、姿勢が悪いので、すぐ目が覚めるし、首や肩が痛くなる。おまけに頭が重たくて気分がよくない。

無理が出来ないトシになったと、つくづく思う。単純な作業だが、頼まれて3日ほど、手伝いにいったのと、クラス会のことで気をつかったのとが疲れとなっているようだ。ブログも書きたかったのだが休んだ。ま、無理せずに行こうと思う。寝込むほどではないので、23日で直ると思うので、ご心配なくね。(^^

 

2016年4月8日金曜日

№1043 国会疑応答風景


今日は、衆議院TPP特別委員会が開かれていた。まあ観ていてこれほどあほらしい質疑応答もないだろう。

野党の質問に対して、的外れの答弁を繰り返す与党の大臣。懲りもせずに同じ質問を繰り返し、しまいに野党側は怒って退場してしまい、とうとう午前中は、議会は仕事にならぬままにおわった。

素人の私が聞いていても、なぜあのような的外れの答弁しか出来ないのかと思うのだが、考えてみると、まともに答弁すれば、我が身の傷むことがあらわになるので出来ないのだから致し方ないのだろう。ほんとに人間のお面を被った狸だ。

すっぺらこっぺらと身をかわすのは仕方がないが、子どもが聞いても的外れと解るような答弁なので、答弁しているご本人も、苦しかろうと、同情してしまうほどだ。

こうした風景は、よく見ることだが、与党の質問の場合は、また風景は変わって来る。安倍さんの業績を褒めたたえたりしながら、穏便に終わるので、与党の質問など、なくしたらいい、時間のむだだと思うことしばとじある。しかも、議員さんは寝不足らしく、居眠りをしていたり、居眠りをすまいと我慢していたりしている。カメラは意地悪く、そんな議員さんをよくとらえている。

ま、どの議員さんも、我々国民が、選んだ議員さんだけどね。

 

2016年4月7日木曜日

№1042  予定


  土曜日(9日)に開く恒例の女学校時代のクラス会は、毎年出席者が減ってきたのだが、今年はもう出来ないかもしれないと思っていたのだが、8名という少人数だが、ぜひということですることになった。そのうち県外(阪神)から2名の参加で、県内は、徳島近郊の6名という寂しさだ。やはり、身体の衰えもあるが、出掛けるのが【大そうになる】ということもあるようだ。関心も感動も希薄になってくると、以前は待ち遠しかったクラス会も、出て行く気分にはなれないのだろう。

 おっとっと。つい今、出席予定だった方お二人から、続けざまに、体調が悪くて行けなくなったとの知らせが入った。Aさんは、持病の目まいが朝から起こり、34日は、動けないというし、Bさんは、風邪をこじらせて、熱が下がらないという。こうした予定の狂うことは、年寄りにはままあることなので驚かないが、とうとうクラス会は、6名となってしまった。仕方がない。さっそく、ホテルに人数予約の変更を知らせる。6名でも、楽しみにしている方たちばかりなので、やるしかない。
 もう今年が最後となるだろうクラス会なので、いい思い出となるクラス会にしたいものである。

 

2016年4月4日月曜日

№1041  流行りとはいえ……


  最近の流行りとはいえ、ぼろぼろのジーパンには驚きだ。わざわざ汚して破ってそれが売り物なのだから恐れ入る。こんなことを言うから、年寄りは相手にならないのだろうが……。

  そうしたジーパンが、仕事着として使われるのではなく、街着として堂々と、電車に乗ったり、町を闊歩するのだから、鼻をつまみたくなる。ジーパンだけではない。トレシャツが破れていても、それが流行りなのだ。以前なら、針と糸、持ってきて縫ってあげたいと思うだろうが、わざわざ破っているのだから、そんなお節介は出来ない。さすがに女の子には、そういう酷いのは目につかないのが、せめてもの救いだ。(笑)

  流行りも色々あって、有難い流行りもある。と言うより、一般的には、何でも着ていても、おかしくない時代のようだ。ロングスカートの流行ったときは、ロングでなければ目立ったし、ミニが流行れば、ミニを穿かねば、目立ちすぎて困ったものだ。私もいいトシになっていたが、膝小僧の出るスカートを穿いた経験がある。

  今はそんなスカートを穿いて、下に細めのパンツ(ズボンと言いたい)を穿いたっていいのだ。残念ながら、ウエストが、入ればの話だが。

  いつまでも若々しく、お洒落心を失わずに、とよく聞かされるのだが、案外これが難しい。着飾る欲も自然と無くなって来る。デパートに行っても、買いたい物が無くなって来る。こういうふうに枯れていくのだなあ……と、体験中であります。(^^;

 

 

2016年4月3日日曜日

№1040 新年度のはじまり


四月が色々な年度始まりというのは、不思議な気がしたのは、いつの頃だったかもう忘れたが、解らぬまま、そんな疑問も忘れていた。調べてみると、色々な説があるようだが、明治10年代までは学年は一定せず、学制発布後も「随時入学」の伝統は残り、地域や学校によって入学時期はバラバラだったり、好きな時に入っていた時代もあったようだ。
高等教育はドイツ、イギリスなどを手本にしたため、9月入学が主流で、開成学校(東大の前身)も9月を学年始めとしていたようだ。

政府の会計年度は明治19年ころになって、四月から三月末までを1年とする制度が発足して、学校も、それにならって四月からになったらしい。

これは、世界統一ではむろんなく、それぞれの国によって、ばらばらというのも面白い。

外国では、学校が九月始まりのところもあり、日本でも、大学の入学は九月にしたらどうか、ということを言われていたこともあったが、そのような説も、もうほとんど聞かれなくなっている。

今は学生はもちろん、学校、企業、公務員等にとっては、慌ただしい三月、四月だろうなあ……。