2014年4月30日水曜日

風の噂


最近、本人に確かめるわけにもいかないような噂を耳にすることがあります。あまりよい噂ではないことが多いので、心配もしたりするのですが、どうしようもありません。

私のようなトシになりますと、だれそれさんが、最近ボケ始めた、などという噂を聞くようになります。

先日も、Aさんの噂が耳に入ったところでしたが、今日もまた、知人のBさんの噂を聞いたのです。しっかりされていた方でした。マージャンも好きで、若いときから、よくなさっていたのです。先日のTVでは、マージャンは、脳を使うので、認知症にはなりにくい、なんて言ってましたが、あてにはならないなあと思いました。(苦笑)

このような噂は、「もう他人ごとではない」という思いがありますから、とても気分的にはよろしくありません。

早いか遅いか、多少の違いはありますが、老いは平等にやってきますので、もっと明るく【認知症】というものを受け入れたらよいと思うのですが、なかなかそんな気持ちにはなれません。

家族にとっても、自分の母親が認知症になったときに、隠したいという気持ちがあってか、見舞いを断ったりすることもあるようです。それは、かえって本人にはよくないことで、なるべくなら、色々な人たちとの関わりによって、進行を遅らせることも可能なのですが、曝しものにはしたくない、という気持ちになるのでしょうか。

老いも若きも、もっと素直に優しく自分の中に【認知症】を受け入れていくべきだと思うこの頃です。

2014年4月28日月曜日

GWあれこれ


GWといっても、毎日が日曜日の者にとっては、別に取り立てて変わったことがあるわけではありません。でも、いつものことながら、旅行、帰省などで交通ラッシュだったり、大きな事故があったりして、痛ましいニュースが報道され、心傷むのもこの時期に多いのです。私は、GW中は遠出はしないことにしているし、なるべくなら、人の込み合う場所には行かないことにしています。せめて遊んでいる年寄りとしましては、これくらいの遠慮はしなければと思っています。(笑)

遊びには行きませんが、この連休中に、花の会のバザーをするので、当日は無論、その準備もあって、けっこう忙しいのです。

【花の会】というグループは、もう25年以上も、民主党の仙谷由人氏を、無償の愛?で応援してきた女性グループの名で、会員は500名前後の大きな会です。会長さんと世話人10名ほどが中心になって、色々と活動をしてきたのですが、会費は徴収していないので、会報(花の会だより)の発行や、新年会をしたりしている、その費用を稼ぐためのバザーです。

選挙に敗れた仙谷氏を、私達は今も応援し続けているのは、落選した今も、日本のため、以下のような活動をなさっているからです。先日、花の会便りに頂いたメッセージの一部をご紹介しておきます。

(前略)成熟社会入りした日本、国際化の中での日本の進むべき道は、偏狭なナショナリズムに基づいた中・韓との対決・対抗などではなく、アジアに視野を拡げ、アジアを舞台として躍動すること、そして、自らの生活する「その場所」では、現役世代を励まして格差をできるだけ緩和し、支援し、すべての世代に「居場所と出番」が実現するような、共同、協働の地域社会の統治(=自治)の仕組みを作り上げることを、私の活動の大きな「2つの軸」として位置づけ、ミャンマー外交(2ヶ月に1回程度の訪問と啓発のための徳島での勉強会)地域社会の統治の仕組み作りに向けた取り組み(地方議員を増やし、政治塾などを通じて共に学習)に力を入れ、元気に活動しています。

 来春の統一地方選挙まで1年。私たちの仲間を1人でも多く各自治体に送り出し、私たちの考える「共同、協働の地域社会の統治(=自治)の仕組み作り」実現のため、花の会の皆さんの多大なるご協力とご支援をお願いいたしたいと存じます。

 そして今年もまたゴールデンウイークにバザーを開催して下さるとのこと。皆さんのお気持ちに感謝、感謝です。バザー当日は、私も皆さんと一緒につつじの花を楽しみながら、ゆっくりとお話させていただきたく、楽しみにしています。(後略)

 

……ということで、私たちの生き甲斐の一部となっているのが花の会であります。バザーは、会員や応援してくださる方たちの出品してくださった品物の販売やら、ご協力して頂く方たちの手作り品、餅つきをして出来たてのお餅の販売、ラーメンを出前でつくってくださる、などで儲けさせていただくのです。52日は、お天気らしいので、安心しました。午前10時から、午後2時くらいまでの間で、品物を売り切りたいものです。(場所は、佐古椎の宮神社下の辻さん宅前庭)

お暇でしたら、ツツジ見学がてら、ぶらりとお越しくださいませ。鉢物や野菜の苗もあります。(^^)

 

 

2014年4月27日日曜日

ロコモ


最近よく【ロコモ】とか、【ロコモティブ症候群】とかいう言葉が使われています。こんなカタカナことばは、まったく馴染めないのですが、これを日本語でいうと、長たらしくなるのでしょうか。
一口にいいますと、人間の身体の中でも、とくに運動と関わりの深い「骨」「関節」「筋肉」の部位をロコモと呼ぶそうです。
加齢とともに、下肢を中心にこれらの部位の機能が衰えてきて、立ったり座ったりするのがつらくなり、ついには「歩く」ということもままならなくなってしまう、その危険性が高まった状態を「ロコモティブ症候群」というそうなのです。
ま、そうならないために色々と気をつけなければならないのですが、いま、日本ではロコモティブ症候群の患者が急増中だそうです。それは老人が急増しているのですから、当然のことでしょう。

この間、TVで見たのですが、最近、子どもたちが、ロコモ症候群の予備軍になっている子が増えつつあるとのことです。こちらの方が心配です。

子どもの発達異状が目立ち始めたというのです。例えば、両手をきちんと上まであがらない、足の裏を床に着けた状態でしゃがめない、腰を曲げて手が床に届かない、ちょっとしたことで、骨折する、跳び箱をしていて、両手首をいちどに折る、というような子もあるそうです。
原因は、昔のように、外で遊ばないことと、反対に、激しい運動のため、発達障害を起こしている、とのことでした。何となく分かります。

指先にしてもそうです。私の小学生時代は、【肥後守】という小刀が、よく使われていました。不器用だった私でさえ、鉛筆を削ったり、竹割り遊びの竹を削ったりしたものです。でも、今の子供たちは、恐ろしくて使えないでしょうね。何でもさせなければ、出来るようにはならないのですが……。

余談になりますが、肥後守を使った私たちは、笹がきゴボウを指の動かし加減と包丁で作ることが出来るのですが、若い人たちはどうでしょう。

昔ある外科医の方の随筆に、「若い外科医は、不器用で手術の後の縫う作業がとてもぎこちない。これは、小学生時代に肥後守を使わせなかったからだ」と書いておられましたが、今は、そうしたことも、機械がしてくれるのでしょうが、パソコンやスマートホンで使う指先だけが早くなっても、細かな仕事になると、もたつくことになるのかもしれません。

ともあれ、ロコモなどというどこかの携帯電話の会社の名のようなことばですが、ロコモを鍛えて、ロコモティブ症候群にならないように、子どもたちも老人も気を付けたいものです。

2014年4月25日金曜日

平行線


TPP問題が、一向に前に進まない。閣僚折衝だの事務レベルだのと言っても、どちらも譲らないのだから、決着など出来るはずがない。
オバマさんも、何とかカタをつけようと来日したのだろうが、国民の見たところでは、何も解決できなかったとしか思われない。

どちらも譲る気がないのだから、解決するわけがない。強気のアメリカに、踏ん張りの日本。脅しのようなことも言われながらも、踏ん張るしか仕方のない甘利大臣には、お疲れさんと言いたい。

ウソかホントかしらないが、寿司屋に入るなり、オバマ氏は、すぐさまTPP問題を切り出したとか。オバマ氏は、お寿司は半分しか手をつけなかったらしい。美味しいと言っていたのに。
こんな噂は、寿司屋のご主人の口から出ているというから、お口の軽いお方だ。(笑)

それにしても、オバマ氏と安倍総理のあの記者会見を見くらべると、ただ日米関係を立てなおしたと自慢する安倍総理と、日米関係は強いと言いつつも、日本に灸をすえるオバマ氏を比べてしまうのは、私だけだろうか。

 

2014年4月24日木曜日

「たちかぜ」事件の東高裁判決



東京高裁が、海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」で起きた隊員の虐めを認めて、国と自衛隊に7300万円の損害賠償を命じる判決を下しました。この件について、ある評論家が、こんなことを書いていましたので、貼りつけて置きます。

今回の裁判で、ここまで明確に国と自衛隊のいじめ責任を弾劾した東京高裁の判決は異例だ。なぜここまで東京高裁は異例の判決を下す事が出来たのか。それは公益通報保護法に基づき虐めがあったことを 内部告発した三等海佐の勇気ある行動があったからだ。いじめに関する自衛隊の証拠隠蔽が内部告発で明らかにされたからだ。

 しかし特別秘密保護法が安倍首相の手で強硬に成立させられてしまった為に、これからはこのような内部告発は困難になる。

 内部告発した者が罰せられ、国家権力は組織的国家犯罪を隠し続けることができる。

 我々は、だからこの稀代の悪法である特定秘密保護法の発動を阻止し、法律そのものを葬り去らなければいけないのだ。

 今度の東京高裁の判決の本当の凄さは、判決が我々にその事を教えてくれたところにある。

私の頭では、ここまで考えることはできませんでした。もっともなことだと思いました。

2014年4月23日水曜日

春爛漫


いいお天気で、春なのか初夏なのか、と思うような一日だつた。庭のツツジが、咲き始めている。

買い物に大型店舗に足をはこんだら、いろいろな服装の方たちがいらっしゃった。私のように、ちょっと汗ばむ程、まだ冬のような衣装の方もおれば、薄物の春着で軽々と歩く若い姿もみられる。今年の流行の春着が、あちこちの店内を軟らかく彩っているのも楽しい目のお正月だ。

流行りといえば、衣装に限らず、言葉そのほか、いろいろなことに流行り失さりがあるのだが、むかしは禁じられてたようなことが堂々とまかり通るようになっているのがファッションかもしれない。

若いお嬢さんが、以前はお兄ちゃんが被っていた中折れ帽を被って闊歩しているし、その横をすれ違って行く女の子が、下着のスリップのレースが出ているような服を着ている。その後ろを歩くお母さんらしき方は、もうゴミ箱に捨てても惜しくはないようなズボンを恥ずかしげもなく履いて堂々と歩く。長袖ブラウスの上から、下着と思うような半そでのTシャツを着ている。

……といったような光景は、もうフツウなのだ。私のような疎い者は、流行りとはいえ、首をかしげたくなるような姿も珍しくない。

かく言う私めも、古い洋服を捨てられぬワケの一つが、「こんなものも、また流行るかもしれない」と。(笑)

家に帰って庭に生えている蕗と、頂いた筍と煮つけたりして、春の味をいただいた。いよいよ暖房器具ともお別れが近づいたようだ。

2014年4月21日月曜日

連想


昨日のブログに、食堂などで親子丼という張り紙などをみると、昔を思い出すと書いたが、こうした【連想】は、よくあることだ。

【海】を見ているとき、ふっと口ずさむ歌がある。それは、戦時中、女学校の朝礼で、毎日歌った【海ゆかば】である。万葉集の中の大伴家持の長歌の一節をうたった名曲である。

  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山(やま)行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
かへりみはせじ

今の世には、まったくそぐわない歌詞であるが、当時は、当たり前の歌詞であった。大君即ち天皇ではあるが、それは国のため、妻子のために、という思いで戦いに出て行ったと考えるのがよいと思う。

この歌を口ずさむと、私はいつも涙ぐんでしまう。若くして特攻隊で亡くなった方をはじめ、一枚の赤紙で、後ろ髪を引かれつつ、死を覚悟して行かねばならなかった兵士。残されたものの悲しみが、手にとるように胸に蘇ってくるからだ。

私の父は支那事変に駆り出され、幸い無事帰還したのだが、出征する父の勇姿と、家に帰り着くなり泣き崩れた母の姿、神棚と仏壇に燈明をあげて、無事を祈りだした祖母。家で働いてくれていた工員さん4人も加わり、祖母に続いて手を合わせ、皆で無事を祈ったことが、霞んだ涙目に浮かんでくる。

こうした悲しい体験をされた方たちを大勢目にしてきた私たちの世代は、平和憲法はどんなことがあっても守らねばならないという思いは、骨身に沁みついている。近いうちに、戦争を知らない人たちばかりになるこの国だが、どんなことがあっても、平和憲法だけは、守り抜いてほしいと思う昨今である。

 

2014年4月20日日曜日

かつ丼と親子丼


先日、友人何人かで、食事処で昼食を注文したとき、Aさんが、こんなことを言った。「私はどこに行っても、自由に注文するときは、かつ丼ばっかりよ。ほかの物を注文しようかと思っていても、やっぱりかつ丼になってしまう」と、笑いながらかつ丼を注文した。私はその時、「私はいつもというわけではないけど、親子丼が多いわ」と言いながら、親子丼を注文した。

Aさんは、かつ丼が大好きという理由があるらしいが、私にはちょっとした思い出があってのことである。

小学校3年生の時、妹とふたりが、母に連れられて旭川まで行った。父が戦地から帰ってきているという旭川の連隊に面会にいったのだ。

駅前の食堂に入って、お昼の腹ごしらえをすることになって、私は生まれて初めてお食事処というところに入った。ちょっとした食堂だ。壁には、木の札に、メニューが書かれていた。母が、「何でも好きな物食べていいよ」と言ってくれたのだが、何がどんな味がするものやら、よくは分からない。素麺、うどん、カレー、散らし寿司程度は家で食べていたのだが、その他のものは、食べた記憶がないのだ。母は素麺にするという。素麺なんてイヤだというと、じゃあ親子丼でも食べたらいいとアドバイスをしてくれた。母の推薦によって、私と妹は生まれてはじめて親子丼なるものを口にいれたのだ。

それが何と美味しかったことか。アツアツの丼に顔を埋めるようにして、こんな美味しい物を、母は食べたことがあるらしいことが不思議だった。

その年の夏休みに、私は父とふたり、父の生まれた徳島へ旅をするのだが、途中、青森の宿でも、東京でハトばすに乗せてくれ、昼食の注文を聞かれた時も、大阪で叔父に会い、レストランに連れていってもらったりしたのだが、どこへ行っても、親子丼ばかりを注文するものだから、父は閉口したと、母に告げていた。

そんな思い出があるものだから、食事処に入ると、今でも、すぐに親子丼のメニューが目に入り、何となく口元がほころぶ。別に親子ばかりを注文するわけではないのだが、かつ丼の注文は、1度もしたことがない。かつ丼を注文するくらいなら、親子なのだ。(笑)

そういえば、ある作家が、(多分、五木寛之さんだったと思うのだが)学生時代どこかのお家でよばれた出前のかつ丼に、世の中には、こんな旨い物があったのかと驚き、出世して、朝昼晩、かつ丼を食べる身分になろうと思った、と書いてあったのを思い出す。

今ならお笑い草だが、当時は庶民というのはそうしたものだったのだ。今はもう、美味しいものばかり、毎日食べている人たちばかり。それも沢山の残飯がでている始末。ちょっと考えをあらためなくてはいけない時がきているように思うのだが……。

2014年4月19日土曜日

痛む


足が痛む、肩が痛むという状況は、辛い物があるのだが、【心が痛む】というのは、実につらい。

高校生の乗った韓国の旅客船沈没事件も、涙なくしては見ることが出来ない映像が毎日放映されている。

何といっても、檀園高校修学旅行中の高校生が乗っていたということが、胸を締め付ける。家族保護者の気持ちを思うと、見てはおれない心境になり、TVを消すことが、何度かあった。

家族ではない私でも、「すぐにでも船を引き上げることができないのか」という気持ちになってくるのだから、身内にとってみれば、関係者にとびかかって胸ぐらをつかむ情景も良く解るというものだ。

本格的な引き上げ作業が未だ手がついていないというから、生存者のおられる可能性はだんだんと薄くなっていくだろう。

修学旅行を引率していた教頭先生は、助けられたものの、200人もの生死不明の生徒を思うと、一人いきているのはつらい、私にすべての責任を負わせて欲しい、と言う遺書を残されて自殺なさっている。遺体は火葬にして事故海域に撒いてほしい、あの世でも沈んだ子ども等の先生をしたい、というようなことも書かれていたとか。これも涙なくしては読むことの出来ない一文であった。教育者としては、当然の思いだっただろう。

そうは言っても、船長さんのように、早々と脱出して助けられたことを責める気にもなれない。人間は、とっさの判断は、自分中心になることもしばしばあることだ。船長さんも、これから自責の念を抱えて苦しみながら生きねばならないかもしれないが、それでも、何か人のために役立てるような「生きていてよかった」という人生を送ってほしいものだ。

 

2014年4月17日木曜日

天津甘栗と脳


天津甘栗という栗がある。栗といえば秋に店頭に並ぶものだが、この天津甘栗は、一年中どこにでも売って居るものなので、よく目につく。中国嫌いの私だが、日本産の天津甘栗というのは無いので、これはたまに買っている。

先日も、あるところで、テントの下で裸電球に浮かびあがっている天津甘栗の店を見付けて車を止めた。そこは、お風呂屋さんの入り口のところだった。(こんなところで天津甘栗の店を出している)と、ちょっと意外に思ってそばに寄っていくと、おっちゃんが店終いをするところだった。

春というのに、とても寒い夜だったので、おっちゃんは震えながら、「寒くて冷えてしもうた。お客さん、マケとくけん、二つ買うてつかい。はよ風呂に入りたいんじゃ」とおっしゃる。11000円のを二つで1000円にしておくと言う。「そんなにたくさんいらんのよ」というと、冷凍しておけとおっしゃる。ま、いいか、と21000円で買って袋を抱えて気が付いた。袋はふくらませてあるから、袋いっぱいに栗が入っていると思いがちだが、さわってみると、半分ほどしか入っていないのだ。これなら、たいした量ではないと思った。

帰ってから、5粒ほど取りだして、あとは教えてもらったように冷凍室に入れた。

今日、夕食後ふと思い出して、冷凍された天津甘栗を10粒ほどとりだした。しばらく置いておくと、食べごろになっている。

甘栗をむきながら、こんな栗のように、振ればコトコト鳴るような頭にはなりたくないなあ」と思った。

最近、漢字を書いたり単純な計算をして脳を鍛えている、ということをよく聞く。本屋の棚には、その手の本が山積みされている。人気があるのだろう。こう言う私めも、昨日本屋でその手の本を手にしてみて、面白そうだったので、3冊買ってきたところである。(そろそろ脳も隙間が広がってきたに違いない、とやる気を出したのだ)昨夜は、それにはまって12時近くなるまでやっていた。今のところは、易しいものなので、すいすできているが、そのうち、だんだんと難しくなつて、投げ出すかもしれないのだが、【脳を鍛える】という目的があるので、続けられそうにも思うのだが、あやしいものだ。(笑)

 

 

2014年4月16日水曜日

停電


今日は、我が家のあたりは、午後から停電になる。前もって通知していただいているので、別に支障はないのだが、何時間もの停電なので、冷蔵庫の中は、大丈夫かしら、厳寒の日でなくてよかった、なんて思ったりしている。

思えば、私たちの生活は、何から何まで、電気のお世話になっていることを、停電の度に思い知らされてきたのだが、【電気に感謝】なんてあまりしたことがない。○○の日なんていうのが色々あるけれど、電気に感謝の日は、まだ聞いたことがない。

日本は資源の無い国なので、電力会社は、軒並み赤字経営らしいが、そうかといって、原発をやすやすと動かされたのでは怖くてたまらない。

そもそも原発は、むかし小沢一郎議員等当時の自民党が、先頭に立って推し進めてきたもので、よく言われているように、「トイレを作らずに、マンションを建てたようなもので、何事もなかったときは、かくされていたのだが、福島の事故以来、どれほど大切な問題だったか、私たちも思い知らされた。

事故以来、私達の耳に【想定外】という言葉がよく入ってくるのだが、東北大震災程度の大地震は、想定外と言っていいのかと思う。遡れば、それ以上の地殻変動は、あったはずだ。今更こんなことを言っても仕方がないのだが、やはり、私たちは自然の脅威や、科学の恐ろしさを十分に知らぬまま、便利や金儲けに走ってしまったということになるだろう。

今更、私たちの生活から、電気を縮小することは、かなり難しいことなのだが、それでも、何とかして原発を遣わなくてもよい時代に早くなっていかねばと思う。私達の出来ることは、差し詰め節電しかないのだが……。  

 

2014年4月14日月曜日

99歳のBさん


今日は、徳島県退職女性教職員の会がありました。

「教え子を戦場に送るな」というスローガンがしめしていますように、どちらかと言いますと、自民党嫌いの会の、政治色の強い会なので、会員数は、100名にも足りませんし、会員も若い方は少ないのです。

私は退職した当時、熱心な同級生に誘われて、入会したのです。(笑)

なかなか活発な活動をしたりしますから、ついていけないときもあるのですが、色々な方たちとの交流があったり、学ぶことも多いので、今日の様な総会には、ほとんど出席しています。

初代会長さんであったBさんが、満99歳というお年でありながら、今日も入居されている、老人施設の方に付き添われて、参加されました。

25名の出席者の拍手で迎えられたBさん、顔色といい、色つやといい、99歳とは思えぬお元気そうな様子に、驚きました。

それだけではありません。決算報告のあと、「何か質問は?」と言う声に、一番に手をあげられ、とてもいいご意見をおっしゃいました。

そのあと、昼食会を兼ねての親睦会のとき、「私は、皆さんに聞いていただこうと思って、歌の練習をしましたので、ご披露します」とおっしゃって、【阿波のよしこの】を歌って聞かせてくださいました。

私たちは、Bさんを見ているだけで、元気を頂きました。それぞれの方たちが、「ああ、私はまだまだ若い」の気持ちと、「Bさんのように、いつまでも前向きに、生きよう」と思ったにちがいありません。

Bさん、来年は100歳。ぜひ来年も出席いただいて、皆さんからのお祝いのことばを受けていただけますよう、お元気でお過ごしください! と、みんなでお願いいたしました。

Bさん、ありがとうございました。

2014年4月12日土曜日

中国産の野菜


うっかりと、中国産の筍を買ってしまいました。

中国という国が、日本とは違って、大国ではありますが、中味が乏しい国で、人道的にも卑しい国、という印象が強いので、好きにはなれません。お金をくれても中国に旅行したいとは思ったことがない、というほどの中国嫌いです。

そうは言うものの、中国人が全てそういう人たちというわけではないし、立派な方も大勢いらっしゃることも事実なのですが、何しろ上部の官僚から不正やごまかしが横行している国なので、貧富の差が大きくて、貧しい生活をしている人たちが、沢山いるのだから、生きるためには、戦後の日本人のように、不正も略奪もあって当然かもしれません。

中国のものは、なるべく買わない主義の私ですが、そんなことは、言ってはおれないほど、何もかもが、中国製品に押されている有様です。

ただ、口に入るものは、どうしても買う気にはなりません。その理由は、単に中国嫌いだけではありません。以前、こんな話を聞いたからです。

中国の農民は私有物でない農地には愛情が持てないので大切にしないのです。その結果、日本の農地とは比べ物にならないほど土地が荒れていますが、中国政府は農業政策を改善するだけの知識を持っていないし、外国から、農業技術を手に入れても、農民を指導する体制がなくて、農薬の使用説明を農民に配っても、ほとんどの農民は字が読めないので、正しくは使えないのです。
だから、中国では未だに人糞が一般的に肥料として使っています。

しかも発酵させる技術がないので生のまま使っているものですから、その結果、土壌に細菌や害虫が繁殖するので、大量の農薬を撒く必要があり、中国農産物が農薬まみれなのはこのためだということです。大量の農薬散布のために、土は益々悪くなり、土だけでなく水も汚染されていきます。農業の溜池には全ての生活排水が何の処理もされずに流れ込み、当然のごとく悪臭を放ち、泡が浮き、アオコが繁殖して緑色をしています。その細菌まみれの汚水を畑にまいています。それでも植物は育ちます。日本の旅行者は知らずに喜んで中華料理を食べています。飲み水である地下水は工業廃水と化学肥料による水質汚染でとても飲めたものではありません。中国富裕層は外国産のミネラルウオーターしか飲みません。人口と領土の広さだけなら間違いなく大国ですが、文明人が住めるような国ではありません。

と、いったようなことです。そうしたことを知っている中国のちょっとしたインテリ主婦は、野菜を30分も流水で洗い、それから、調理している、と聞いたことを思い出しました。

もう、何年も前に聞いた話ですが、今も、たいして変わってはいないだろう、という思いであります。

2014年4月11日金曜日

つれづれに思うこと


人間って可笑しなもので、感覚というか、大きなことがあると、何となく感覚がマヒしてしまうことがある。例えていうと、結婚式だの家を新築だのといったことを前にして、パカパカと10万だ100万だと大金が出費していくと、1万や2万は、そんなに気にならなくなってしまうのだ。普段10円安いの高いのと財布の中を気にしているくせに、だ。

今回のみんなの党の渡辺氏の8億円事件を知ると、前東京都知事の5000万円事件は、可愛らしい事件のように思えてしまう。辞めるほどのこともなかった事件とさえ思う。(笑)
ま、渡辺氏が、議員を辞めさせられることもなく、お勤め出来るらしいので、そんなことを思ってしまった。

小保方さんの言い訳放送をみて思うのは、やはり、若い未熟な研究者らしいことがよく解った。基本的なことを学んでいないということだろう。捏造、改ざんと思われるようなことを、「間違いをしただけ」と言うあたりは、科学者とは言えないだろう。いかに研究熱心で、頭がよくても、そうした基本姿勢が出来ていないということは、未熟としか言いようがない。可愛い方だけに、同情はされるだろうが、大きな問題を投げかけられた科学者の方たち、お気のどくだが、頭を抱えられていることだろう。

気温の変化が大きい昨今なので、年寄りはかなり体調が狂ってしまう。朝は真冬の衣裳。昼近くなると、筍のように着たものを剥いでいくしかない。そして日が沈むころから、また、1枚重ね、暖房のスイッチを入れる。冷蔵庫に入れたり出したりしている食材みたいなものだ。そのうち萎れてくる。

そろそろ我が家の庭が、【雑草園】らしくなってきた。我が家には、綺麗な庭よりも、雑草だらけの庭が良く似合う、と思っているので、気にしていないのだが、訪れてくださる方たちは、きっと、「草くらい取りなさいよ」と言いたいにちがいない。ま、目立ち過ぎるような大物は、ちょいちょいに抜いていくことにします。(^^;;

2014年4月9日水曜日

体調 その2


皆さんにご心配をおかけしてしまいました。何人かの方から、電話やメールを頂きました。ありがとうございます。

あまり薬を飲んだことの無かった私なので、恐る恐る飲んでいるのですが、ちょっとした驚きがありました。いつも、日常的に手足の冷たかった私で、よく、冷たい手やなあと言われてきましたが、薬を飲み出したら、手が冷たいという感覚がなくなりました。暖かい日ということもあるのかもしれませんが、朝の気温の低い時間帯であっても、手が冷たくないのです。

冷えは万病の元、と、以前から冷えないようにと、寒さ対策は十分していたにも拘わらず、手足は冷えていたということは、いくら厚着をしていても、血流はあまりかわらないのかもしれません。血流が悪い元の原因というのがあるのかもしれませんが、体質かもしれません。ま、薬で何とかなるのであれば、たいしたことないと思っています。

今さっき、TVで【ためしてガッテン】という番組で、鉄分の不足についてやっていました。鉄分不足でおこる病気も、新しく発見できているようで、肌荒れ、鬱なども、鉄の中の【フェリチン】というのを補うと、治ることも発見されているとか。フェリチンは、鉄分を貯めて置く袋で、血液検査でヘモグロビンの不足というのは、もう、フェリチンの袋の中身が底をついているということらしいです。ヘモグロビンは正常でも、フェリチンが不足しているばあいはよくあることなので、気をつけよう、ということでした。一般のヘモグロビンは、酸素を運ぶ重要な役割なので、優先的にそちらに回るのでしょう。

鉄分不足の簡単な見分け方は、【あかんべえ】をして、下まぶたが赤ければ○、白っぽいと不足なんだそうで、私は、赤くなっていましたので、まあ安心しました。

野菜の中の鉄分は、肉類の中の鉄分に比べますと、吸収が悪いそうです。しかし、ビタミンCを補うことで、吸収がよくなるということなので、食後のオレンジジュースとか、野菜にレモン汁を、かけるなどは、とてもいいそうです。

ただ、鉄分を取り過ぎると、肝臓には悪いとか。過ぎたるは及ばざるがごとしですね。番組を見逃した方のために、ちょっといらぬこと書きました。(^^

 

 

2014年4月7日月曜日

体調


ここ何日か温度差が大きいためか、体調が狂って、頭がふらついたり、手先がしびれたりしますので、久しぶりに医院の診察をうけ、薬を頂きました。血液の流れがうまくいっていないらしく、肩コリもひどいので、血流をよくする薬を飲んでみて、様子をみましょう、ということになりました。

パソコンもあまりよくないので、控えよとのことでした。ふらついたり手先がしびれたりすると、脳がどうにかなっているのかと思ったのですが、先生は、薬が効かないようなら、MRIをとってみましょうとのこと。

私としましては何となく、頭の中を調べたら、血管には異常はありませんが、老化がかなりすすんでますと、言われそうで、行きたくないのです。(笑)なるべく、薬が効きますように、祈る気持ちです。

ま、無理せずに、やってまいりますので、ご心配なく。

 

2014年4月5日土曜日

幼稚なセンセ


最近、つくづく思うことがあります。今の日本は、嘆かわしいことがたくさんあるなあと……。

その一つに、私たちの首根っこを掴んでいる政治家のセンセたちは、私たち一般人より、賢い人であってほしいし、そうあらねばならないと思っています。

国民の目線なんてことも言いますが、私らの目線を知ってもらわねばなりませんが、私らの目線と同じでは困ります。もっと高い目線で、何事も考えられなければなりません。それがどうでしょう。

みんなの党の渡辺代表が大手化粧品会社から8億円を借り入れた問題で、政治家として、個人的な出費に遣ったことの説明を聞いて笑ってしまいました。例え話に酉の市で、熊手を買った、などと言うのですから、これを笑わずにはいられましょうか。(爆笑)大きな熊手をいくつお買いになったのか知りませんが、子どもでも笑うに違いない例え話です。

こうしたお方が、党首なのですから、党の中身はどんなものかと想像してしまいます。

浅尾幹事長は早急に結論を出して党としてのケジメをつける考えを示していましたが、たとえ党首交代したところで、頂いた熊手を皆さんが揃って担いで見せてくださっても、8億円は問題なし、とは言えないでしょうし、国民は納得しないでしょう。

こんなことを言ったら叱られそうですが、多くの政治家のセンセたちは、どう贔屓目にみましても、国のため、国民のために働いているとは思えません。票稼ぎや、権力のために動いているとしか思えません。

賢くて、熱意がある方であってほしいのは山々ですが、もう、今となっては、高望みは無理。最低、見え透いた愚かなことはしないセンセたちであってほしいものです。

それにしても、化粧品会社というのは、随分と儲けているのですねえ。DHCなんていう化粧品会社など、まったく知らなかったのですが、1議員に、こんな大金を政治資金に出すなんて、よほどぼろ儲けしとるんだろうなあと思いました。安い材料で、高価な化粧品を作っていると想像しましたよ。【化粧品なんて、安物で上等】とも思いました。ごめんなさいね。(笑)

 

2014年4月4日金曜日

ご報告


このブログで、卵の効用について書いてきましたが、私自身、実験している、ということもありました。毎日卵を3個は食べ始めて、1年3カ月ほどになります。そこで、病院に行って、血液検査をしていただきました。皆さんの心配なコレステロールが、どのようになっているか、ということが、一番の目的でした。私自身は、コレステロールが少々高くても、どうということはないと思っているのですが、それではやはり、気になさる方には、お薦め出来ません。

コレステロール値の結果は、以前よりも、数値は少し下がっていて、全く問題はありませんでした。太り気味の私なので、以前から、中性脂肪は、高めでしたが、今回も高めでした。が、お医者様は、数値は食事のあとの検査なので、これくらいの数値は、だれでも食後はあがりますから、問題ありませんと言ってくださいました。

ということでしたので、やはり、三石理論は、正しいと、私は、確信できました。これからも、卵を毎日3個以上は食べていきます。100点満点の蛋白質が多く含まれている卵ですから。

体重50キロの私は、一日50gの蛋白質が必要なのに、以前は、それが摂取できていなかったと思います。その人の体質によって、不足は、どのようなところに現れるかは、まちまちのようですが、私は、足腰の関節や、頭の毛だったようです。というのは、髪のコシがつよくなって、毛が太った感じ。そして、白髪も、少なくなったことです。足の関節も、一年前とくらべますと、痛みも違いますし、平坦なところでは、痛みもほとんどありませんし、手すりを持たなくても、駅の階段が登れるようになりました。関節に良いというコラーゲンや、いろいろなものを摂取しても、蛋白質が不足していると、関節の細胞が作れない、という三石理論は、何となく分かる気がしてきました。

ということで、一応ご報告をしておきます。(^^

 

2014年4月3日木曜日

小保方さん


小保方さんが発表したSTAP細胞が、大きな問題となっている。「捏造・改ざん」と、正式な発表があったのは4月1日。エープリールフールだが、冗談やウソではない。車を走らせているときに聞いたラジオのニュースだった。
素人の私たちには、信じられないという一言だが、天国から地獄へ落ちた小保方さんは、【悪意のない間違いを改ざん・捏造ときめつけられたことは、とても承服できない】と憤慨していなさる。

割烹着をつけて研究をしている小保方さんの姿がTVに始めて写ったとき私は、「この方は、科学者らしくないお顔だこと。割烹着の似合う、主婦の顔だ」なんて思った。何となく厳しい世界に生きてきた方のようには思えなかった。そこらの可愛いおかあさんみたいに……。

そして今、「悪意のない間違い」ではなく、【悪意のない改ざん・捏造】だったのだろう」という思いがする。実験ノートが2冊しかなかったということだが、どう考えても、大発見をするような、しっかりとした理論や知識を持つ科学者としての資格があるとは思えない。そんな資格は、ないままに、トントンと科学者の仲間入りをして、深い考えも無く実験やら論文作成やらをし続けてきたのだろう。可愛い子ちゃんなので、多くの男性から、助けられながら、やってきたのかもしれない。

問題が、高度なノーベル賞もののような内容だけに、世界を驚かせたり、怒らせたりして叩かれているのだが、世の中には、こうしたことは、よくあることなのだ。
大学生の卒論にしても、色々な学者の論を切り貼りして仕上げることが多く、それを見付けるソフトがあるとか聞いたこともある。

純粋と思われている学問の世界ほど、どろどろとした世界ともいわれている。昔、大学の講師の殺人事件があった。もう内容は忘れたが、その時、ある大学教授が言ったことは忘れられない。「あんな事件は、大学で毎日あってもおかしくない。出世欲の塊のような人間は、大学には山ほどいる」と。むろん、純粋に学問のことだけを考え、出世など、眼中にない人もおられるだろう。でも、そういう方は、少ないのだそうな。

山崎豊子作【白い巨塔】という医学界の話も、医者としての良心と倫理の問題がえがかれていて、教授の席をめぐる醜い争いである。

人は欲望とは無縁には生きられないものかもしれない。我々のような凡人は、何よりも諦めというものが身についているので、そんな欲は早くに切り捨てているのだが、なまじっか、お偉い方たちは、名誉欲は、どこまでも持ち続けていかねばならないのだろう。気の毒なことだ。

2014年4月1日火曜日

公園で……


今日は、人さまを騙してもいい日らしいのですが、真面目に書いています。(笑)

徳島に用事があって行きましたが、ちょっと時間があったものですから、徳島公園の桜を見てきました。
茶店の方がおっしゃるには、いっぺんに咲いたので驚いてますとのこと。開花宣言をして、まだ日が浅いのに、満開の様子です。

大きな桜の木に近寄って見ていますと、何人かの中学生らしき方が、準備運動のようなことをしていましたが、私を見付けて「おはようございます」と、私の背中に元気な声をかけてくださり、私も思わず振り返って、笑顔で「おはようございます」と答えました。聞くところによりますと、陸上部に入っている女子中学生で、目の前の階段を、何度か駆け上るのだそうです。「登られますか?」と言われて、「登ってみたいけど、止めとくわ。膝が痛くなりそうな階段だから。皆さんは頑張ってね」と、手を振って別れました。「ああ、いい生徒さん達だこと。私まで元気を頂いたわ」と思いながら、公園を出ました。

学校によっては、こうした知らない人にも、挨拶をするということを教えて?いる学校があります。しかし、なかなか実行している生徒はあまりおりません。

家の前を通る小中学生の中には、挨拶を交わす子どもは、何人かおりますが、こちらから「おはよう」と声をかけても、恥ずかしそうに下を向いて足早に去る子もおります。

また、ある町を車で走っていますと、「挨拶をしましょう」といったようなことを大きく掲げているところもあります。【たかが挨拶されど挨拶】で、挨拶というのは、相手にとても幸せ感を与えていますし、自分も幸せな気分になれるものですが、簡単に身につくものでもないのでしょうか。

何年も前になりますが、テレビで、東大の入学式のとき、学長さんが、「きちんと、挨拶のできる人間になるように」と訓示をなさっているのをみて、驚いたことを思い出しました。学長さんが、そのようなことをおっしゃるのは、ろくに挨拶が出来ない学生もいる、ということでしょうか。天下の東大生が、挨拶が出来ないというような世の中では困ったものだと思ったものです。

ということで、私は今日も一日、気分よろしく、いい日になりそうです。