2016年1月29日金曜日

№1021 大臣失格


 【甘利担当相辞任。政権支える3本柱の1本折れた】【安倍政権司令塔失う】こんな内容の文字が、新聞TVネットに大きく踊る。

もう、聞き飽きた政治とお金の問題。甘利大臣より、もっと酷い議員も居るに違いないが、甘利氏は大臣なるがゆえにバラされたのだろう。

「秘書から菓子折りの紙袋の中にのし袋が入っていたとの報告を受け、政治資金としてきちんと処理するように指示した」などと説明していたが、私も一度でいいから、菓子折りの紙袋の中にのし袋が入っていた、なんていう夢をみてみたい。どんな気持ちになるのだろう。(笑)

私は、自民党のやることには、ハラのたつことはたくさんあるのだが、野党が単に安倍政権の足を引っ張るために、ヤイノヤイノと言っていることには、眉をしかめている。甘利氏の退場で、日本がよくなるのなら、大いにいいのだが、今の大事な時期、こうしたことで、国益が損害をこうむったり、たちまち外国に迷惑をかけたりするようなことにでもなれば、困ったことになる、と思うのだ。TPP問題のカタがついてからの糾弾では遅かったのか、と。素人考えなので、そんな心配はない、と聞かされれば安心するのだが。 (_?)

 

2016年1月25日月曜日

№1020 勿体ない


  あれこれと詰め込んだ冷蔵庫の中を、「腐らせてしまいそうなものはないだろうか」と掻き回しながら見ていると、あったあった。押しつぶされて変質している【もやし】の袋が出てきた。

このもやし、1週間ほど前に、「これは安い」と思って買ったもやしで、たしか50円程だった。もうこうなっては食べられない。私は、何であろうが、少々賞味期限が過ぎていても平気なのだが、もやしなどは傷みが早い。その日か、34日のうちに調理しないといけない野菜だ。使うことなく捨てるハメになったのは、同時に買った100円の品を150円で買ったも同然で、安いどころか、高い買い物をしたことになる。

このようなことは、食品以外にもよくあることだ。衣料品の福袋を1万円で予約し買わされたことがある。薦められて断われなかったのだ。中に、高齢者向き1万円相当の物が3枚入っていると言われて、ま、1枚でも着れたらいいか、と思って買ったが、実際は、着る気になれた1枚も、着心地からは、5000円ほどのモノと思われたのだ。そのつど反省はするのだが、なかなか直らない。

 話は別だが、廃棄処分にされるはずの物が市場に出回っていたという事件が何度も放送されている。悪いことをするものだと思うのだが、それを食べた人たちに、問題があったとは放送されていない。賞味期限が切れたものでも、食べられる物は、たくさんあるということだろう。

廃棄される食品の中には、賞味期限内というのも、かなりあるという。賞味期限が近い物は、売れないので仕方なく廃棄することになる。戦中戦後の食糧難を経験している者は、「勿体ない。世界には餓死する人もあるというのに……」と思うのだ。そうした勿体ない物が1個でも少なくしてほしいと思うので、私は、賞味期限の近い物を極力買うことにしている。その日に使うものや、賞味期限内に使い切れるものは、何のさし障りも無い。しかも、【2割引き】という有難いシールが貼られたりしているのもある。ただ、独り暮らしなので、「これは食べきれない」と思うような生モノだけは、期限の長いものを買うのだが、何となく、奥の方に手を突っ込んで引き寄せるのは、悪いことをしているようで、いい気分ではないのだが。(笑)

日本では、1年間に1700万トンの廃棄物が出ているのだが、ほんとに勿体ないことだ。何とかならないものなのかしら……。

 

2016年1月23日土曜日

№1019 笑う


  誰でも知っていることだが、笑うことは、健康にもいいし、ストレス解消にもいいことなので、例え可笑しいことがなくても、【常に笑顔を!】ということは、よく言われていることだ。

私も心がけたいと思っているのだが、これが案外難しい。無意識に笑顔になれることが大切なわけで、作り笑顔など、どこてでも出来るわけがない。ま、せめて、しかめっ面をして暮らさないようにせねばと思う。

 街中を歩いていると、多くの方たちとすれ違うが、微笑んでいるような、感じのいいお顔にも出会うが、怖い顔をしている人もかなりいる。そんなとき、はっと自分の顔は?と思わず想像して微笑んでみる。

何処で出会っても笑顔になれるのは、赤ちゃんや、幼い子どもたちだ。エレベーターの中、レジに並んでいる時などなど、自然に私は恵比寿顔になって見つめている。ときには、相手も反応してくれて、じっと私を見つめてくれる。もう眼が離せなくなってしまう。別れる時は、小さくバイバイをしてお別れだ。

近頃、私は自分のアホさ加減に自笑することがよくある。さっき聞いたことを、ちょっと間をおいてメモしようと思ったら、「あれ、何時集合だったかしら?」 探し物で他の部屋に入り、「ここに何を取りにきたのかしら?」といった具合だ。こんなことが重なると、もう笑うしかない。しかし、こんな笑いは有難くないのだが、私の描いている理想の自画像は、たとえ認知になっても「いつもにこにこ、可愛らしいお婆ちゃん」だ。何でもいい。笑って済ませるようになろう。(*^_^*)

2016年1月21日木曜日

№1018 奥底の悲しみ


 先日116日に、日本放送文化大賞グランプリ受賞した【奥底の悲しみ・戦後70年の記憶】が放映されました。私は録画をしてあったので、今日、それを観ました。「戦いに負けるということは、こんな酷い目に合わなくてはならなかったのか」と、涙を流しながら観ました。
 引き上げ者の方々のご苦労は、よく聞いておりました。着の身着のまま、財産も捨てて、命からがら引き上げてきたご苦労は、「ずいぶん大変なことだったろうなあ」と、思っておりました。しかしこの記録は、今までだれも語ってこなかったものでした。それは、ソ連兵による婦女子の略奪、暴行、強姦、それも、家族の目のまえで、銃を突きつけられて、妻や娘が何人もの兵に強姦されたり、連れて行かれたりしたことを、かつて子どもだった老人が語っていました。ある時は、45人もの女を出せと言われ、銃で殺されるよりは、まだ生きて帰されるだろうと、泣く泣く妻や娘を差し出すと、足りないと言われ、70人もの婦女子を差し出したりしているのです。抵抗して殺されたり、また、そうした辱めにあった女性が自殺したり、見ていて涙が流れました。ソ連兵の野獣よりもおとましい仕打ちに腹わたが煮えくりかえる思いでした。

引き上げ船では、婦人の中で、体の異常があるものは、下船後、すぐにその場に設けてある婦人相談所に駆け込むようにと、船中でビラがくばられていたのですが、投身自殺をした女性もいたようです。
相談所には、医者と看護婦が待ち構えていて、堕胎をしたり、性病の手当てをしたりして、何とか故郷へ帰れる身体にして帰したというのです。麻酔もせずに、9か月にもなる胎児を堕胎したりすると、胎児が泣き声を挙げるので、母親に聞かせないよう、水に直ぐ沈めて殺したりしたそうです。そんな苦しみにも母親は、皆声も立てず、歯を食いしばっていたといいます。

ソ連と言う国のやることには、ずいぶん腹立たしいことがありましたが、今回ほど憎く思ったことは有りません。母が眼の前で強姦され、引き上げ中に栄養不良で亡くなったという老人は、『私ら子どもや夫が殺されないために、身を投げ出した母が、子に食べさすため、自分は栄養失調になり、引き上げ途中で死んだのです。母の最期の姿ばかりを思い出します』と、涙しておりました。

戦に負けるとは、こういうことなのでしょうか。それにしても、あまりにもひどいソ連。日本は、そうしたソ連、ロシアには、何の文句も言えないのでしょうか。戦後70年という歳月は、あまりにも長すぎるのでしょうか。せめてこうした作品を、日本だけではなく、ロシア国家も、見ていることを願うものです。

2016年1月19日火曜日

№1017 初雪


  徳島市近郊に初雪がふり、とても寒い一日となりました。しかも、風が強く、吹雪のように、横殴りの雪でしたから、車に乗っていても、前が見えないような降りようでした。

夕方からも、鳴門まで出かけましたが、暗くなってからは、特に見えにくく、運転していて肩が凝ったのは、久しぶりでした。

 徳島県も、昔は道路工事がいたるところでしていましたが、今は予算がないのか、中央の白線が消えて見えなくなっているのに、そのままになっています。雨や雪の夜は、とても通りづらいです。

 今日は、昼間、近しい方のお葬式でした。死は、だれもが逝く道と思っていますし、自然なことと思ってはおりますが、やはり、別れは悲しいものです。二度とこの世に帰ってこれない死者との永遠の別れ。その最後の儀式……辛く、悲しく、寂しい日でした。。

このトシになりますと、死はいつも心の片隅に住みついておりますが、なかなか悟りはひらけません。(;;

2016年1月17日日曜日

№1016 花の会解散


  何度かブログにも書いたのですが、【花の会】というのは、『仙谷由人(元民主党官房長官)を、国会に送る』と言う目的で結成した会でした。が、徳島県は選挙区割りが1減し、2区となり、前回の衆議院選挙に、仁木博文という若手候補に出馬を譲ったことで、仙谷氏は、国会議員という仕事から身を引かれました。仙谷氏は、その実力からしても、やはり日本になくてはならない政治家ですから、とても残念でしたが、『皆様には申し訳ないが、私はバッジがなくても政治的・社会的活動は、続けていきます。必ず、この国の政治を良くするために役立つための努力をしてまいります』という嬉しいお言葉を聞き、私たちは、納得致しました。
  そのことば通り、東京を拠点にして、昨年だけでもアメリカに行きミャンマー5回(通産では20回)、ベトナム韓国など等に出向き、様々な活動をなさっていらっしゃいます。これらは、日本国のためも、相手国のためにも、ということなのです。その様子は、皆様はご存じないかもしれませんが、以後何度も「時事放談」という番組に出演されていますことでも分かります。司会:御厨貴氏 (東京大学教授)・今月の24日、毎日放送、日曜日午前530分から、また出演します。

ということで、花の会は、一応解散して新しく希望者で【仙谷由人を囲む会】という会を立ち上げました。今まで花の会の行事である新年会に来てくださっていた方たちや、バザーに協力してくださった方たちにもご案内しますと、男性の方も入会くださいまして、昨日の恒例の「仙ちゃんお誕生会&新年会」には、100名を超す方たちの出席を頂き、盛会でした。

花の会会長Yさんも86歳、副会長もご入院中、その他数人の世話人も高齢というわけで退任。新しいお世話人(仮)もご挨拶いただきました。ホッとしています。

思えば仙谷氏を応援し始めて、もう20数年がたっております。その間、いろいろな方との出会いがありました。嬉しかったこと、涙を飲む悔しさもありました。

ま、書きつくせませんが、昨日も、日本の状況、これからの日本の問題など、色々といいお話を伺いました。よい日でした。これからも、積極的にご活動なさるということで、益々お元気そうで安心致しました。

2016年1月15日金曜日

№1015 不正と欲望


  廃棄したものが、売られて商店に並ぶ、なんて、とても考えられない。

しかし、世の中には、毎日のように、不正なことをした企業や人物が報道されている。単純な思いだが、そんな不正をしなくても、やっていける会社のくせに、不正をしている場合が多い。ということは、人間は、富めば富むほど欲張りになるのかもしれない。しかも、不正などすることに、良心の呵責というようなものは、あまり感じないのかも。

 それに比べると、平凡でお金儲けに才のない者は、良心を持ち合わせていて、めったなことで法に触れる悪事には、手を出さないだろう。あるいは、そうしたことは、諦めているのだろうか。

欲望にはキリが無いようだが、悪い人もようけおるなあ。

2016年1月13日水曜日

№1014 運


 【あさいち】というTVで、【運】がどうこう放送していたので思い出したことを書いてみる。「運がよかった」「運が悪かった」といったことは、よくあることなので、私は運がいいとか悪いとかは、一概には言えないのだが、こと【籤運】は悪いなあと思っている。だから、宝くじなどは、買ったことがない。買わなきゃ当たらないよ、と言われるが、【籤運】だけは、たしかに好い人と悪い人があるのは、実感出来るからだ。

私の在所で、お祭りの日に、カラオケがあり、最後に集まった人たちに籤があって、5等までは、自転車とか、扇風機とかが当たる。
籤の時刻になると、在所以外の方まで集まるので、250人くらい集まる。以前在所の会計を10年ほどおおせつかっていたのだが、その時、籤を作っていた。その籤は、まったく不正は出来ないのに、毎年、その5等以内に入る方がいた。在所の方ではなく、町営住宅団地の方だった。近所だったので、あるとき、私が「籤を引く時、どんなこと考えて引いてるの?」と聞いたところ、『1等は当たりませんようにと願って引く』と言うのだ。ちょっと遠慮があったのだろう。すでに何度か1等を引いていたのだ。その時は、3等までは、他の方が当たったので、ああ、今年は当たらなかったと思っていたら、連れてきた子ども兄弟が、4等と5等を引いた。(笑)

私の忘れられない悔しさは、戦後の学生時代、女子学生に、当時高くて手が出なかった紺のサージが格安で手に入ることになった。それで皆制服?のスーツをつくるのだ。嬉しかった。しかし、その数が2枚足りなくて、籤を引いたところ、私は外れた。皆が紺の上下揃ったスーツを着ていたが、私は、ドンゴロスのような生地の上着しか着れなかった。

ビンゴゲームは、何度もしたことがあるが、毎回最後まで残ったし、反対に、当たった人から、外れて行くというゲームになった途端に、一番に出来あがったことがある。

また、年末にちょっと大きな買い物をして、デパートで抽選券を15枚もいただいて、コロコロと回して抽選をしたところ、全部白い球が出て、ティシュ15個いただいた。係の方が、『あらあら、残念ですねえ』と。最近は、抽選券や補助券を頂いても、わざわざ並んで抽選場に行くことはしない。

あ、そうそう。籤運だけでなく、金運の悪いことも、実感している。よく当たると言われていた手相見さん(素人さんだが)に、『あんたは、一生食うには困らないけど、お金は貯まらないなあ』と言われた。「私はそんなにお金使いは荒くないけど」というと、『荒くても貯まる人は貯まるし、しまつにしても貯まらない人は貯まらない』と。そのとおりだ。ほんとによく当てる方だった。(笑)

2016年1月11日月曜日

№1013 睡眠不足


  睡眠不足か、昼間に居眠りをしていることがある。居眠りなどあまりしたことがなかったものだから、トシとったなあ、と思う。

最近、よくテレビを見るようになった。ほとんどが、再放送ものだが、いい番組が放送されている。テレビを見ていると、癖になるようだ。旅番組や、自然の美しさとか、宇宙の不思議、そうした心が癒されるようなものばかりだが、そうしたものをみながら、気が付くと寝ているときがある。 睡眠時間は、あまり変わっていないのだが、「もっと睡眠をとりなさい」という信号かもしれない。

夕べも、0時半に床にはいったが、なかなか寝付かれず、寝付いたのは1時くらいだろう。朝目が覚めたのは、6時過ぎていたので、5時間は寝ていたのだが……。

 以前TVで睡眠について放送していたが、やはり、7時間くらいは寝るのがいいとか。ま、睡眠の質にもよるのだろうが、睡眠不足になると、太るらしい。食欲を抑えるホルモンが減り、食べ過ぎるのでそうなるのだが、今のところ、体重は変わらない。

 そのときの忘れられないことばが『眠くなるまで、寝床に入るな』ということだった。困ったことに、夜は、大抵仕事をしているか、本読んでいるか、録画してあったTVを見ているかだ。そんなときは、眠くならないので、眠くなるのを待っていたら、2時にもなりそうだ。時計を見ながら、いつも「寝なければ体に良くない、いかんなあ」と思って寝床に入っているのだ。

朝寝坊をすればいいのだろうが、寝坊の癖がないので、日が高くなって起きるということが出来ない。困ったなあ。(^^;;

2016年1月9日土曜日

№1002 脳と痛み



  NHKスペシャル【腰痛革命】というTVのことは、以前書いたのですが、(125日・脳と痛み)もうお忘れと思いますので、転写してみます。
1002 脳と痛み
   最近、朝起きたときのひどい腰の痛み(こわり)が少なくなった。腰は、日常ちょっとしたことで傷みを感じたりするので、無理はできないのだが、朝起きたときの痛みは、なす術がなかった。30分もすると、ほとんど治るのだが、その30分の間に、必ずトイレには行かねばならないので、それがとても難儀だつた。 
  そんな折、【NHKスペシャル腰痛革命】をみたことで、翌日から半減したのだ。放送当日は観ることができなかったので録画をしてあったのを思い出して観たのが11月の下旬だったと思う。今は、70%くらい直ったようだ。原因は、脳にあったのだ。
  簡単にいうと、事実は痛くないのに、直っているのに、脳が痛いことを引きずっていたらしい。「なるほど、本当は、痛みはないのに、脳が、それを感知できていないんだ」と思い、信じることで、痛みが軽くなったのだ。あと、30%は、本物のこわりだろうか、それともぼつぼつと治っていくのか、治ることを信じていくことにする。
ということでしたが、その後も、その録画を2度ほどみて、もう随分と楽になりました。ただ、長らく座っていて、立ちあがって歩きだすときは、やはり痛みがありますが……。
最近も、他の局でも、この腰痛と、脳の関係を放送しておりました。
思いますのに、この痛みの無いことを正しく感知する脳は、腰だけではなく、他の部分の痛みにも通じるのではないかと思うのです。例えば、膝の痛みも、もう治っているのに、「痛い」と感じているかもしれません。というのも、私は、腰も膝も以前よりよくなって、歩きやすくなっているのです。歩く速度は、普通に歩けますし、昇降台の上がり降りも、気が付くと、以前よりスムーズにやっております。ま、腰と膝とは、深い関係があることはあるのですが……。
ということなので、もし、腰の痛い方の、参考になればと思って書きました。総てではありませんが、【病は気から】ということばは、科学的にも、一部解明さたような気がします。(^^)
 

2016年1月7日木曜日

№1011 映画【母と暮らせば】


  外出のついでに映画を見てきました。【母と暮らせば】という山田洋次監督の反戦映画です。

以前、亡くなられた井上ひさしさんが、生前「父と暮らせば」というお芝居を書き、その芝居を見ましたが、それと対の「母と暮らせば」というのを長崎を舞台に書きたいと言っていたそうで、それを知った山田洋次さんが、「井上ひさしさんに捧げる」ということで形にされた映画です。

原爆であっという間に死んだ子が、亡霊となって、母の前に現れてきて、語りあうと言う優しくて悲しいファンタジーですが、戦争、そして非人道的な原爆の酷さを訴えています。何度も涙が流れました。若い夢のある若者が、命を落とさねばならなかった戦争。大切な子どもを奪われた母親、悲しみに暮れる家族や恋人。どんなことがあっても、二度と戦争に巻きこまれるようなことがあってはならないと、戦争体験者でなくても、感じたに違いありません。母親役の吉永小百合さん。お似合いの役柄でした。いつまでも美しい方ですね。

 

2016年1月5日火曜日

№1010 絵に描いた餅


  早々に国会が開かれたようだ。【一億総活躍】ということばが安倍さんの口から出るたびに、【絵に描いた餅】ということばが頭をよぎる。もっと適切なことばがないのか、とも思う。第一、【活躍】ということばに該当する国民は、この日本の国で、一億人も居るのだろうか? 高齢化そして格差のひどいこの社会にあって、これらの対策、特に格差を小さくする努力をしっかりしているとも思えない。コップを山に積みあげて上から流す利益が、溢れて下のコップに届くまでを、すぐにでも実現できると思っているのだろうか。

何時の世がきても、今の状態では、格差は無くならないだろう。資本家、特別な才能に恵まれた人、そういう一部の人たちを除いた多くの人たちは、身を粉にして働いているのだが、生活は楽にはならない。歯の浮くようなことばや、絵に描いた餅を百回聞かされるよりも、食べられるお餅1個頂けるような政策のほうが有難いのだが……。

2016年1月3日日曜日

№1019 年賀状


  元日、昨日と、ゆっくり出来なかったこともあって、頂いた年賀状に、詳しく目を通すことをしていなかった。今日は、午前中は、出て行く用事もなかったので、一人ひとりの年賀状に微笑んだり驚いたりしながら、読ませてもらった。毎年、家族や子どもさんの写真を載せたものもかなりあって、その成長ぶりを見ることが出来た。

  同級生のマーちゃんは、「高齢になったので、今年で最後にする」という内容が含まれていて、私も考えさせられた。葉書を出す相手は、もうほとんどが年下の方になると、こちらから「来年からは失礼します」と申し上げるのが、相手さんに喜ばれることもあると思っていたからだ。昔のちょっとした出会いで、賀状だけのお付き合い、という方もある。お顔も思い出さぬ方もいて、その都度、出すべきか止めるべきか、なんて悩むことがある。【年賀状出さずにいたら死亡説】と言うシルバー川柳があった。やはり一言申してから止めたがいいようだ。

  同級生の、同じマーちゃんでも、こちらはバリバリの活動家。年賀状の3匹のお猿には、【きちんと目を開いて見極め】【しっかり耳をすまして聞き】【はっきり発言しよう】平和と憲法9条を守るために、と。どちらのマーちゃんも、私にとっては、大切な友人である。お互いに元気で今年も頑張っていくことだろう。

 

2016年1月1日金曜日

№1008 新年


  明けましておめでとうございます。

昨年中は、このブログを読んでいただきまして、有難うございました。思ったような、文章が書けなかったにもかかわらず、読んでいただけたこと、嬉しく思います。今年も、大したことは書けませんが、お暇なときにでも、覗いていただければ、励みになると思いますので、よろしく、お願い申し上げます。

  昨年は、何かにつけて、「ああ、トシをとるということは、こういうことか」という思いを致しました。でも、まだ介護サービスをうけずに暮らせたことは、有難いことだと思っております。

性格が、【コンがつむ】というか、やりだしたら、のろのろだらだらですが、やってしまいたいものですから、いつも午前様になってしまうので、睡眠不足気味な毎日(朝、ゆっくりと寝ておれぬ性格)ですから、頭はいつもぼんやりです。横になって昼寝をする癖がないので……。

  今日はよいお天気に恵まれて、静かな元日でした。年賀状の整理と、残っていた整理整頓で、一日が暮れました。明日は、来客もあり、お寺にも行かねばならず、じっとしてはおれません。
でも綺麗な元日の朝日も拝め、体調もまずまずの出発で、いい一年のスタートがきれました。まずは御礼方々ご報告まで。m(_ _)