2017年4月28日金曜日

№1145 リズム感


 【歌】といえば文部省唱歌か演歌、そして軍歌。英語まじりのテンポの早い歌など、歌えないという手合いは、昭和一桁くらいまでが多いのだろうか。この世代、(同級生)10人集まったときに聞いたところ、ビートルズの歌を知っていて、1曲でも歌えるという人は、だれもいなかった。この中には、音楽大好きと言う人が何人もいたのだが、そういう世代なのだ。

ニューミュージックという言葉のように、新しい自作曲を歌うフォーク・ロック系の音楽は、すでに40代になっていた私達にとっては、馴染みたくても馴染めないものだった。何しろ、音楽の授業なんて、小学校時代から文部省唱歌と軍歌のみ。ドミソの和音も、はほと、と発音していた。(ドレミは、敵国語)しかも、先生がピアノで『はほと』『はへい』と、和音をならして、敵機B29の爆音はどれですか、なんてことを習っていたものだから、リズム感など、伸びるはずもない。

そんな時代でも、お金持の家には、オルガンやピアノがあった。ピアノを習っていた子が、音楽室の掃除などのとき、オルガンの蓋を開けて引いてみたりする。そんな様子を見て、家に帰って「オルガンを習いたい」と言ったところ、「楽隊屋にでもなるのか、そんなもの習う暇があるなら、そろばんでも習字でも習いに行け」と藪蛇だった。親の悪口を言うわけではないが、文化だの、芸術だの、縁のない親だった。ちなみに踊ることが好きだったので、舞踊を習わせてというと、「芸者にでもなる気か」(笑)
それにくらべると、若い方たちは、もうママのお腹の中で、音楽を聞いており、多分リズムに合わせて手足を動かしていたに違いない。保育所の子どもでも、けっこう難しいリズムの歌を歌えるのだもの。

生まれてくる時代が悪かったなんて言うつもりはない。そのときときに、私は満足して生きてきたように思う。おめでたい性格と言われそうだが、与えられた環境にいつも感謝して「幸せ感」を味わってきたのだから……。

2017年4月24日月曜日

№1144 みかんの木


  我が家には、みかんの木が2本ある。甘夏と八朔だが、昨年も今年も、八朔は実をつけなかった。わずか10ほど、小さな実をつけたが、モノにならなかった。甘夏は、昨年は大きな実をつけたが、数はいつもの年より少なかった。今年はたくさんの実をつけたが、小さくて、甘夏らしくない大きさのものがほとんどで、味も、ちょっと劣るようだ。(消毒は一切しないので、器量はとても悪い)

 この2本のみかんは、ある植木市で同じ甘夏を2本買ったものだ。1本がうまく成長しなくても、1本は育つだろうという思いで2本買ったのだが、実をつけてみると、1本は八朔だったというもので、何となく騙されたような木である。その八朔は、毎年ろくな実をつけない、【ろくでなしの八朔】であるので、何とか美味しい八朔を、と思って、「ぼかし」と言う肥料をつくって撒いたりもしてみたのだが、ダメだった。多分、苗木が良くなかったのだろう。
……なんて言いながら、本当は、植える場所が悪かったか、手入れが行き届かなかったか、いずれにしても家主の責任に違いない。

 今日は、甘夏の高いところに生っている実の半分ほどの収穫をしたものだから、ひどく疲れてしまった。もう新しい葉が顔を出し始めたものだから、早く取らないと、実がすかすかになると思ったのだが、思いもよらず、時間がかかってしまった。昨年まで、使っていた3メートル近い長いハサミが、手に負えなくなっていた。手の指の力が、1年の間に、すっかり弱くなっていて、なかなか切れないのだ。手の届く下のほうの実は、剪定鋏で20日も前から少しずつ収穫して、だれかれに差し上げていたのだが、長鋏が、これほど力が入らなくなっているとは、自分ながら情けなかった。まだかなりの実が残っている。

 80代後半に入っての体力の衰え方は、かなりの急カーブだとは感じていたのだが、毎日のことは、あまり目には見えにくい。ところが、長鋏のように、1年ぶりとなると、はっきりと感じられる。気持ちの老化というのは、余り感じないのだが、身体の老化だけは、どうしようもない。ま、これも、もっと運動をしたりすればいいに決まっているのだが、トシのせいか、そういうことも少なくなってくる。心身共に若さを保つことは、かなり難しいことなのだと、つくづく思う日だった。

 

2017年4月21日金曜日

№1143 春たけなわ


  四月も下旬となりますと、暖房の出番も少なくなりました。庭に出ますと、雑草もわが世の春とばかりに勢いを増して伸びています。種類は少ないのですが、14本も植えられているツツジの花もちらほらと咲き始めています。丸く刈り込まれたものがほとんどですが、2m以上もあるのが何本もありますから、満開になると、けっこう派手な眺めになるはずですが、手入れが悪いのか、葉っぱが見えないほど、花でいっぱいという姿にはなりません。

 庭の北側には、蕗も食べごろに伸びています。ついこの間、襟元を緩めた蕗の薹を見つけて二つ三つ取ったのですが、伸びきった蕗の薹は、『蕗の姑』という姿になっています。

 春宵値千金といいますが、この季節は、気分が先走っているせいか、ちょっと気温が下がると、格別こたえます。しかも、きまって起こって来るのが、朝、目がさめると、手首や膝の関節がうずき出すことです。蒲団の中で、しばらくは、手を揉んだりしながらの始まりです。こうしたことは、今にはじまったことではありませんが、一年一年酷くなっていくようにも思えませんので、1日卵3つのお蔭? かも。()

トシを考えますと、当たり前のことで、悔やむことはありませんが、身体の動きが、だんだんと鈍くなってきて、身体が重く感じるのは、致し方ありません。スキップが身体にいいと聞いても、スキップもギャロップも出来ません。言っときますが、昔はダンスが好きでしたし、わりあい巧かったんです。ふふふっ。

えっ?「わりあいつければ、バカでも利口ですって?」

2017年4月13日木曜日

№1142 スマホ


  歩きながらのスマホは、よく見かけるのだが、この頃は、買い物をしながら、しきりにスマホをいじっている方が大勢いらっしゃる。ケーキ屋さんに行っても、スマホで何かをしらべている。よその店の同じようなケーキの値段を調べているのだろうか?便利な道具らしい。

 以前から、バスに乗っても、列車に乗っても、周りの人のほとんどがスマホをいじっているか、音楽?をきいているか、手にはスマホが握られているのだが、最近は、スマホの依存症が深刻な問題になっているようだ。これはなかなか解決の道はないように思う。スマホで、勉強したり、便利に生活している人は別として、ゲームに夢中という人も少なくない。お酒の依存症とか、薬物依存症のようなものに似ているようだ。お酒や薬物は、大人の問題だが、スマホは子ども時代から、ということも困る。こんなことを言ってるのは、スマホを持たない者の、(いや、何となく使いこなせないだろうという思いで持っていないのだが)僻みだろうかなあ……。

2017年4月9日日曜日

№1141 田舎

   田舎は、皆さん人が良くて親切で絆が強い、と思いがちだが、そうとばかりは言えない。田舎は田舎なりに、どんどん変わってきた。

私の住む地区は、昔は12軒しかなかったのだが、今は、300軒近くに膨れあがって、いくつもの班に分かれている。田舎というにはふさわしくないかもしれない。市内に近く、便利なところだけに、今でも町の人口は増え続けている珍しい田舎なのだ。それだけに難しいこともあるようだ。

地区の自治会も、今までのようにはいかなくなってきた。脱退者が増えてきた。私たちの班は、12軒だが、この新年度より、脱退する方が、並んで3軒も出て9軒となった。お隣同士で相談して決めたらしい。それほど高齢というわけではない。高齢で班長役は出来ない、というよりは、人の世話は出来ないし、自分も世話にはなりたくない、ということであったり、年間3,600円の自治会費を払っても、メリットがなかった、とおっしゃる方もいる。(役員の方は、色々企画されていますから、参加されなかっただけですけど……)

お互いが助け合うことが負担と感じたりするのは、時代の流れに逆行するのだが、こうした考えが時代の流れとなってきたような思いもする。ま、強制的なものではないので、しかたがない。

班長役が回ってきても、その役が出来ないと言う方には、「お手伝いしますよ」と言っても、そうしたことはまた負担らしく、田舎らしくなくなった。返って都会の方が助け合う気持ちは強い感じがする。

自治会だけではない。学校に通う子供たちも、またその親たちも、自分勝手なことを言って先生を困らせることも増えてきて、心を病む先生が増えているらしい。親が怖くて、めったなことで子ども等に注意は出来ない先生、こんな学校でいいのだろうかと思う昨今である。

2017年4月7日金曜日

№1140 ミニ同窓会


  今日は、女学校時代の同級生が、7人ほど集まって、おしゃべり会を開く予定でしたが、朝がきて、Aさんは、体調不良、腰と足の付け根が痛くてどうしても出席できないとのこと、Bさんからの電話は、朝のうちに、注射に行くので、家じゃなく、○○医院に迎えに来てほしいとのこと。
迎えに行くと、看護婦さんの伝言で、気分が悪くなって、こちらのベットで今寝ていますので、出席は無理ですということで、けっきょく5名となりました。

昨年までは、県外の方たちも出席いただいた本格的な? 同窓会でしたが、出席者も少なくなり、昨年でお仕舞いになりました。でも、同郡市の元気な人だけでも集まりたいという希望があって、1年ぶりに実現したのですが、これからは、年1回ではなく、毎月でも開いてほしいとおっしゃるのです。
というのは、家庭の主婦をされていた方が多いものですから、このトシになると、外出をあまりなさらず、ほとんど家の中におられるのです。「同級生っていいなあ」「こうして出席出来るのはありがたい」「健康でなかったら出てこれんのやから、達者でおろうなあ」と、とても再会を喜び合いました。お世話係りとしましては、(ああ、やはり2が月か3か月に1度は開くことにしなければ……)という思いがするのです。『忙しいあんたに頼むのは気がひけるんやけどなあ』と言われれば、私だって皆さんとのおしゃべりは楽しいし、毎日忙しいわけではありませんから、引き受けざるを得ません。(笑)6月に、また開きましょう、と言うことで終わりました。
車に一緒に載せてきた方2人とともに、休まれたBさん宅にお見舞い方々寄りました。Bさんは、朝かかりつけのお医者さんに行って、注射して頂いたところ、急に気分が悪くなったとか。お目にかかったときは、何とか元にもどられたようでホッ。年寄りは、いつ何が起こっても不思議ではありません。……というような一日でした。

2017年4月1日土曜日

№1139 4月


 4月は新年度の始まりで、学生はもちろん、学校、企業、公務員等にとっては、慌ただしい4月だろうと思います。私も昨日は文藝協会の会計監査ということで、何人かが集まり、監査を終えました。いよいよ本年度始まりの第1号【文藝便り41号】の準備もし終えたところです。

 そもそも4月が年度初めということ事態、なぜなのかという疑問があって、以前調べたことがあったので、ブログにも書いた記憶がありますが、色々な説があるようで、学校でも、学制発布後も「随時入学」の伝統は残っていて、地域や学校によっては、入学時期はバラバラだったり、好きな時に入っていた時代もあったようです。外国などは、高等教育は9月入学が主流のようで、東大の前身の開成学校も、9月入学としていたようです。政府は、明治19年ころになって、4月を年度初めとしたようですから、学校もそれに習ったのでしょう。

 私も、今年から、これに習おうと思っていることがあります。それは、家計簿です。やりくりしながらの【その月暮らし】ですから、たいした家計簿ではありませんが、1月というのは、やはり、お年玉その他、大きな出費があるもので、いつの年も、年頭1月は、かなりの赤字になります。新年早々の家計簿の赤字というのは、いい気分ではありませんからね。(笑)

 何だかんだと言いながらも、今年度も、何とか寝込むこともなく始められることに、感謝しております。