【歌】といえば文部省唱歌か演歌、そして軍歌。英語まじりのテンポの早い歌など、歌えないという手合いは、昭和一桁くらいまでが多いのだろうか。この世代、(同級生)10人集まったときに聞いたところ、ビートルズの歌を知っていて、1曲でも歌えるという人は、だれもいなかった。この中には、音楽大好きと言う人が何人もいたのだが、そういう世代なのだ。
ニューミュージックという言葉のように、新しい自作曲を歌うフォーク・ロック系の音楽は、すでに40代になっていた私達にとっては、馴染みたくても馴染めないものだった。何しろ、音楽の授業なんて、小学校時代から文部省唱歌と軍歌のみ。ドミソの和音も、はほと、と発音していた。(ドレミは、敵国語)しかも、先生がピアノで『はほと』『はへい』と、和音をならして、敵機B29の爆音はどれですか、なんてことを習っていたものだから、リズム感など、伸びるはずもない。
そんな時代でも、お金持の家には、オルガンやピアノがあった。ピアノを習っていた子が、音楽室の掃除などのとき、オルガンの蓋を開けて引いてみたりする。そんな様子を見て、家に帰って「オルガンを習いたい」と言ったところ、「楽隊屋にでもなるのか、そんなもの習う暇があるなら、そろばんでも習字でも習いに行け」と藪蛇だった。親の悪口を言うわけではないが、文化だの、芸術だの、縁のない親だった。ちなみに踊ることが好きだったので、舞踊を習わせてというと、「芸者にでもなる気か」(笑)
それにくらべると、若い方たちは、もうママのお腹の中で、音楽を聞いており、多分リズムに合わせて手足を動かしていたに違いない。保育所の子どもでも、けっこう難しいリズムの歌を歌えるのだもの。
生まれてくる時代が悪かったなんて言うつもりはない。そのときときに、私は満足して生きてきたように思う。おめでたい性格と言われそうだが、与えられた環境にいつも感謝して「幸せ感」を味わってきたのだから……。